バレンタインデー。
それは年に一番、大量にチョコレートが売られる日である。 バレンタインデーの前からチョコレート戦線は続いている。 そして、一ヶ月も前なのにメイド喫茶でもチョコレート戦線が始まっている。
色めきたつ客の視線。
正直見たくない。
「お客様に私からチョコレートのプレゼントを差し上げています」
籠片手にメイド姿の出雲は微笑む。籠の中には大量のチョコレート。
「出雲ちゃん、ありがとう」
客は喜んでくれている。
その隣で自分も欲しいと目で訴えているのは紗英だ。正直鬱陶しいことこの上ない。
「僕も國崎くんのチョコ欲しいな」
「紗英は今日は手伝いだろ。客にしか配らないぜ」
紗英はウェイターの姿をしている。イベントをする際、人が足りないので駆り出されたらしい。 御曹司なんだから、働かなくてもいいだろうに。少しでも出雲の役に傍にいたい、役に立ちたいという気持ちが伝わってくる。何でお前は男なんだよ、と見当違いな八つ当たりをしてしまう。
「わかってるけどさ」
目が出雲の籠に釘付けだ。まだ何袋ものチョコレートが入っている。メイドの中で一番人気の出雲が、客にサービスでチョコレートを配ることになっているのだ。
何故そんなにチョコレートが欲しいのだと出雲はよくわからない。 一粒のチョコレート。
女性が気持ちをチョコレートに託して渡すのが常のバレンタインデー。
大体、俺男なんだぞ?紗英。
ちらりと顔を見れば、やはり物欲しそうな紗英の顔がある。溜息がふと漏れた。
「ちょっと来い」
出雲は紗英の服の裾を引っ張り、トイレの前へと連れて来た。 トイレは建物の影にある。だから、誰にも見つからない筈だ。
「ほら、やるよ」
籠の中の一袋を差し出す。 袋には市販のチョコレートが三つ入っている。
「内緒だからな」
そう小声で言うと、ぱっと紗英が嬉しそうな顔をする。正に大輪の花が咲いたような。昔だったら、しなかっただろう顔だ。自分の仏頂面が崩れそうだ。紗英が自分のことを想っているのが嫌でも伝わってきて。
紗英なら女子生徒からたくさんチョコレートを貰えるだろうに。
「ありがとう」
紗英にバレンタインデーにはチョコレートのもっといいものあげようかなと思ってしまった出雲が、ぶんぶんと自分の思考を振り払おうとするのはその五秒後だ。
そして、その現場を実は見ていた玄衞にチョコレートを強請られるのはその三分後である。


なんだかんだで出雲は紗英に弱いと思う。