エドワードは疲れていたのか、すっかり寝息を立て、眠っていた。
そんな兄の姿に心が痛むのを感じた。あまり眠れていなかったらしく、エドワードの目の下には隈があった。
目敏いロイがそれに気付かないわけがなかった。
「兄さん、ボクに相談してくれれば良かったのに」
聞きたいことがたくさんあるんだ。
そう寝ているエドワードに言いたくなる。しかし、兄を揺り動かすわけにはいかない。
アルフォンスはそのまま深い眠りに落ちようと努力したものの、眠りは訪れなかった。
逆に、目が冴えてしまう。仕方なく、アルフォンスはそのままベッドから這い出て、キッチンへと向かうことにした。
何か飲めば、少しは眠れるだろうとそう考えたからだ。
キッチンには先客が椅子に腰掛け、遠くを眺めていた。
ロイだった。
意外なものを見たとばかりに、固まっているアルフォンスに気付いたロイは優しく微笑みかけた。
「どうしたんだ、眠れないのか?」
「ええ、実はそうです……」
そんなことはないとそう言いそうになったが、何となく素直になりたかった。
目線を落としながら、アルフォンスは「准将は?」と声を掛けた。
はぐらかされるという思いもあったが、ロイは薄く笑った。
「私も眠れないんだ」
「すみません、ボクたちがベッドを取っちゃったから」
「いや、そうじゃないんだ」
長い話になりそうだと、アルフォンスはロイの対面する形で椅子に腰を下ろした。
「あの、仕事は大変ですか?」
アルフォンスの言葉にロイは「そうだな」と一瞬だけ視線を落とした。
「大変だよ。以前よりも命を狙われることが増えた」
「えー」
「別に不思議なことじゃないだろう?」
「そうですけど」
テロがあったことを話したときのエドワードの淡々とした口調を思い出す。
大したことではないと。
遠い存在になってしまったとそう感じるのは、エドワードだけではなかったらしい。時間が流れているのを感じずにはいられない。
「あ、そうだ。アルフォンス。聞きたいことがあったんだが」
「え、何ですか?」
「私は君たちに手紙を送ってたと思うんだが」
「ええ、読みましたよ」
ロイ・マスタングからの手紙がリゼンブールから届いたときのことを思い出す。
エドワードはアルフォンスに手紙を読み、「出世したんだって、他のみんなも」などと他愛ない会話を交わした。
その頃だったように思う。唐突にエドワードが軍人になると言い出したのは。
それ以降もロイから、ロイ以外からも手紙が届くようになった。やはり、エドワードがアルフォンスに手紙を読み上げた。
そういえば、とアルフォンスは思い出す。あの手紙たちは何処に行ってしまったのだろう。
あの手紙があれば、ロイの住居へ直接行くことも可能だった筈なのだ。何故なら、宛先が書かれていた筈なのだから。
もし、何処かにある筈なのだとしたら、それは間違いなくエドワードが知っているに違いない。
「あの、手紙が何か?」
「いや、いい」
それはどちらかというと、もうどうでもいいという諦めのものとは違っていた。
何かを確信しておきながら、それでもまた次に聞こうというものだったのだと思う。
何となく胸に錘が乗っているような感覚を覚える。何か引っかかりを覚えるのだ。
ロイが沈黙したのを機に、アルフォンスはその引っ掛かりを口にしようとしたのが、うまく言葉に繋がらない。
代わりに、アルフォンスはロイの姿を見たときから言おうと思っていた言葉を口に出した。
「兄さん、悩みがあるそうなんです」
「…………悩み?」
「でも、ボクには話してくれなくて。准将からなら、話をしてくれるかもしれません。
だから、准将、手のかかる兄ですけど、話を聞いてあげてくれませんか?」
兄さん、准将の話ならちゃんと聞くから。
その言葉にロイは本当に驚いたようだった。
「鋼のが?」
その呼称は懐かしいな、とアルフォンスは思った。多分、ロイにとってエドワードは未だに鋼の錬金術師の印象が強い証だろう。
からかうようにいつも呼んでた呼称は、今は遠いところに置いてある。
「逆じゃないのか。会えば、クソ大佐だと無能だの散々…」
「それは、別に大佐、じゃなくて准将のことが嫌いなわけじゃなくて」
「嫌いじゃないのに、悪口を言うのか?」
ロイはエドワードのことをわかっているとそう思っていた。しかし、案外違っていたらしい。
当たり障りなく受け流していると思っていたが、ロイにも子供のようなところがあったのだとそう場違いなことを考えてしまう。
気にしていたのだろうか。
「兄さんが本当に准将のことが嫌いだったら、そんな悪口すら言いませんよ。兄さん好き嫌い激しいし」
あれ?
何かが繋がりそうな気がする、とアルフォンスは思ったが、繋がらない。
「多分、ボクじゃ駄目なんです。兄弟なんだから、話してくれてもいいって思うんですけど」
「私は君が羨ましいよ」
「え?」
意味がわからなかった。どういう意味なのか。しかし、ロイは何故なのか答えなかった。
窓から差す月明かりがやたらと明るく感じた。
そんな深夜だった。
アルフォンスは再び兄のいるベッドへと戻った。そこには未だ温もりが残っていた。
体温を感じない身体をもっていた頃、体温が酷く懐かしかった。恋しかった。
しかし、今生身の身体にも関わらず、何故か悲しかった。
「あれ?アル。何処行ってたんだ?」
「兄さん、起きてたの?」
「んー。何かお前がいないなって思って」
「ちょっとね、准将と話してた」
話さないでおこうかとそう思ったのは、何故だろう。
何となく、エドワードと視線が合わせづらく、アルフォンスは仰向けになり、天井を見上げた。
手が届きそうにいくらいに高い。以前なら近いと感じただろうに。
「――――何を?」
一瞬、兄の視線が猫のように鋭くなった気がした。鋭利な刃物のような。自分は何かしでかしてしまったのかとそう思った。
「……………兄をよろしくお願いしますって」
「またかよ!」
「だって、大切なことだよ!どうせ兄さんのことだから、准将に迷惑ばっかりかけてるんでしょ」
してないって、といつもなら返って来る筈だ。負けず嫌いな兄は、いつだって反論を繰り広げずにはいられない。
しかし、そんなエドワードが何も言わず、考え込むように、
沈んでいく頭を見遣りながら、アルフォンスは何となく確信していくものがあるのを感じていた。
きっと、何かがあったのだと。
「大佐と何かあったの?」
もし、今聞いていけないことがあったとしたら、その一言だったのだろう。
ぼろりとエドワードの瞳から零れ落ちたのは紛れもなく涙だったからだ。
「あれ?」
涙を流しているのだとエドワードが自覚するのに時間がかかった。
「何で……」
エドワード自身驚いているようだったが、何よりもアルフォンスが驚いた。
「兄さん…。」
「お前が変なこと言うから!」
ごしごしと手で目を擦る兄に何を言えばよかったのだろう。
アルフォンスは久し振りに見た兄の涙に心が波打つのがわかった。
→
|
|