ロイはなかなか姿を見せなかった。当然だろう、とそうエドワードは思う。 ホークアイにこってりと絞られていることだろう。考えるまでもないことだ。 家にいる気配がないその家にエドワードは何十分も何時間も待つつもりだった。 しかし、思ったよりも早くロイは現れた。



ロイが仕事に終えて、直ぐに帰路に着いた。仕事が捗らなかったこともあり、足取りは重かった。 自分の迂闊さに腹を立てていたし、エドワードにどう思われただろうかとそう思うと、気が重くなるばかりだった。 なので、玄関で誰か立っていることに気付いたとき、それがエドワードだと気付いたとき、心臓が痛いほど脈を打った。
「エドワード?」
どんな理由があるにせよ、それでも、目の前にエドワードがいる。その事実がただ嬉しい。そう思う自分がいることが信じられない。
「どうしたんだ?何があったんだ?」
理由がわからなかった。エドワードがロイのところに来る理由が。
「……本!」
とエドワードが手に持っていた本をロイに突き出した。
「それ、返しに」
「もう読んだのか………」
並みの読書量ではないことを自覚していたが、あまりに早すぎる。これでは、殆ど睡眠を摂っていないだろう。 しかし、正直落胆した。当たり前だ。エドワードが自分に会いに来る理由など限られている。
「そんなこと、わざわざ来なくても仕事のときにでも、返してくれればよかったのに」
「あと、未だ本借りてっていいんだろう?直接選びたかったから…」
エドワードにしては歯切れが悪い言葉だ。 でも、そうさせているのは自分が原因なんだろう。 そう思うとここまではないくらいに気分が重い。 ロイはとりあえず、エドワードを家へと上げた。エドワードは勝手知ったる何とやら、とばかりに家へずかずかと入って行く。 そして、その後ろ姿を見たとき、ロイの中でふとした衝動が湧き上がった。 今は二人きりなのだ、と。ロイの足を踏み出し、エドワードの手を取ろうとした 。が、それは瞬間に過ぎったアルフォンスの言葉に我に返る。兄をよろしくお願いします、とその信頼を裏切ることなどできない。 しかし、もう元通りになどならないのだ、という諦めもある。 彼の父親になれれば、とそう思ったこともある。しかし、それは手を触れれば壊れてしまうものでしかない。瓦解など目前だ。 だから、壊してしまえばいい、と。そんな誘惑に駆られもする。 駄目だ。エドワードと今、一緒にいるのはよくない。 しかし、思考は信じられないほどの速度で加速する。 錬金術の原則、等価交換を出せば――と。ロイとエドワードの関係はその等価交換で成り立っている。 それをまた出したところでおかしいところなどない筈だ。彼が望むものを差し出せばいい。 それに、とロイは思う。どうせエドワードにはあの同居人の女性との間のことを誤解されているだろう。 口にしていなかったところを見るとエドワードはあの女性が誰なのか気付いていなかったのだろう。 そのことを説明したところで、なら何で抱き締めたのだ、と同居人の恋人のことでもあり、ロイを詰るだろう。 エドワードの性格からして、そうなる確率が高い。
「電話をしてくれればよかったのに。結構待ったんじゃないか」
そんな自分の心中を押し隠すために、ロイは何事もないように会話を続けていく。
「そんなに待ってねえよ。大体そんな私的な理由で軍部に電話なんて掛けれるわけねえだろ」
そう言ってエドワードは書斎へと入っていく。 確かにその通りだ、とエドワードの言葉に納得したものの、 内心ではそんなこと気にしなくていいのにとそう思っている自分がいることを知っていた。 恋は盲目だというが、それは当たっているように思う。 とりあえず、エドワードのためにココアを淹れて、ロイはリビングのテーブルに置いた。 リビングは片付けられていて、整然としていた。エルリック兄弟が片付けたのだろう。 以前は要らないものが散らかっていた。が、それはもうなくなっていた。 そんなリビングをひとしきり眺めてから、ロイはソファに腰掛けた。 座っているうちに唐突に今、エドワードがいるのだという実感が湧いてきた。 何をするわけでもないのに、心臓が痛いほど脈打つ。犯罪を犯す前のような、そんな心境だ。 早く戻ってきて欲しい、とそう思う一方で戻って来なければいいと矛盾したことを思う。 思いを告白しようと思っていたが、思いがけないことが起こったそのことで、それは頓挫していた。 それに、例え今口にしたところで、真実味などエドワードは感じないに決まっていた。 何しろ、今日女性を抱き止めているところを見られているのだ。誤解するに十分だろう。 この状況に焦れている中、エドワードは何冊か手に持って現れた。恐らく、何冊か目当てのものがあったのだろう。
「君はそんなに読むつもりなのか?」
流石にエドワードに呆れてしまった。いや、これがエドワードにとって当たり前なのだと知っているが、 この状況に対してロイは何らかの期待を抱いていたらしい。
「当たり前だろ」
代わってエドワードは嬉々として答えた。
「准将ってすごい奴だったんだな!禁帯出のやつが何冊かあった…!」
「君は私を何だと思ってたんだ?」
そんなこと褒められても嬉しくない。
「それよりもこっちに座りなさい。言いたいことがあるんだ」
本にばかり夢中になっているエドワードにロイは意識を自分に向けて欲しくなった。 しかし、そう言って初めて自分は何を言うつもりなのだろうとそう思った。この機会に気持ちを打ち明けようかとそうも思う。 が、言葉が出てこない。
「何だよ、話って」
あからさまにエドワードは嫌そうな顔を向けた。しかし、それでも、大人しく向かいにあるソファに腰を掛けた。 拒否してくれればいい、とそう期待したのだが、聞くつもりはあるらしい。 動揺しつつ、出てきた言葉は「もうアパートは見つけたのか?」というものだった。 「はあ?」とエドワードは何だよ、それはと拍子抜けした様子だった。
「いや、アパートを探しているとそう言っただろう」
「未だ見つかってねえよ。そう簡単に見つからねえよ」
なら、とふと口に出た言葉は願望以外の何でもない。
「だったら、私と一緒に暮らせばいい」
エドワードの目は点のようになっていた。苦虫を噛み潰した顔をされないだけよかったかもしれない。 そのときの衝撃を想像すると、再起不能になっていたかもしれない。 冗談だ、とロイは訂正することもできた。万が一、の確立を捨て切れなかったからだ。 そして、以前のようにエドワードは嫌だ、と口にしなかった。
「アパート見つけるまでな」
「一緒に暮らすのはかなり便利だな。君は料理ができるし」
嬉しかったが、それを誤魔化すために都合がいいとそんな言葉を使った。 しかし、続かず、言葉に詰まった挙句、出てきた言葉は――。
「それに、君がいてくれれば安心だ。軍人は狙われることが多い。万一のことがあったとしても、傍にいるなら守りやすい」
「何だよ、それ。マジで言ってんのかよ」
言わなくてもいいことを言ってしまったとそう悔いたが、もう遅い。
「オレはアンタに守ってもらわなくてもいい。自分の身は自分で守れる」
エドワードの何かに踏み込んでしまったようなそんな気がした。しかし、このまま引き下がるつもりはなかった。
「それはよく知っている。だが、簡単にいかないこともあるんだ。君が怒るのは当然だと思うが」
ロイの発言はエドワードの矜持を刺激したのだろう。
「見透かしたこと言ってんじゃねえよ!」
唐突にエドワードが怒鳴った。
「オレはアンタの部下なんだろう!そんなに信用できないんなら切り捨てればいいじゃねえか。 アンタならそれくらいできるんだろう?だったら、オレなんか…」
苦汁が混じっている言葉だ。
しかし――。
「切り捨てれるならとっくにそうしている。何度しようと思ったことか。数え切れないくらいだ」
思わず吐露していた。 エドワードはその言葉に顔を俯かせた。
「だったら、何で?」
「さあな、自分でもわからん」
「いい加減な奴…」
本当はわかっている。エドワードに傍にいてもらいたかったからだ。 エドワードは気持ちを落ち着かせようとしてか、軽く息を吐いた。
「准将の気持ち、嬉しいよ。そういう風に思ってくれて。本当はちゃんとわかってるんだ。 あんたがオレのこと大切に思ってくれてるの。でも、オレは嫌なんだ。そういうの。大体逆だろ。普通はオレが准将守る方だろ」
泣き出しそうな声に思わず近寄って手を伸ばしていた。驚くほど触れた頬は冷たかった。 びくりと触れた瞬間エドワードは驚いたようだったが、手を払いのけたりしなかった。
「私が来るのをずっと待ってたのか?」
「アンタが帰るのが遅すぎるんだよ!」
この子供が私のためにずっと待っていたのだ。 そういえば、少し顔が赤いのに気付いた。 それほど寒かったのだ。 駄目だ、と誰かがそう言った気がする。 しかし、気付けば、エドワードを腕の中で抱き締めていた。