崩壊したかのような建物の中に二人して引き篭もっているこの状態を一体何と言えばいいのだろう。囲まれている、とそう言えばいいのだろうか。
「ついてない」
「ついてないな、確かに」
ロイは左肩に手を当てている。銃で撃たれたからだ。そこから、血が流れて、ロイの青い軍服を赤に染めている。黒ずんでいた制服にその赤がやたらと目立つ。
壁を背にただ、じっと、息を潜めている。建物の後ろにいる幾つかの人間は、この場所で、エドワードとロイが倒れ、死ぬのを待っているように感じた。静かに、そのときを待って。確かにそれが一番効率のいいことなのだろうとそう、思う。
「大佐」
「何だね」
「オレがあいつらを引きつけるからその間に」
続ける筈の言葉はロイの言葉に止められた。
「それは却下だ」
「却下ってなあ。他に何か手があるのか」
「ない」
「あんたはオレの上官だ。あんたには義務がある、生き残る義務が」
「そんなの知らないって言ったら?」
「そんなの許さない」
この男は生きていなければならない。生きて、生き残って。腐ってるこの世の中を何とかしなければならないのだから。それは自分の役目ではない。
「アルフォンスはどうするんだ?」
弟の名前を出すのは卑怯だ。口の中に錆びた鉄の味が広がる。
「君にもやり残したことがあるんだろう?」
アルフォンスのことを考えた。リゼンブールにいる弟のことを。久し振りに考えたとそう思う。こんな場所で弟のことを考えたくなかったからだ。リゼンブールは季節は春をもう直ぐ迎える。春になるとリゼンブールは色とりどりの花が咲き乱れる。アルフォンスを、故郷を思い出すときは優しい感情に満たされる。一瞬だけ、この場と違った空気を感じ取れる。
「他に、何も手がないんだろう」
どうしろと言うのだ。誘き寄せられているとそう感じていた。しかし、どうしようもなかったのだ。
「それより、他の話をしないか?」
「何を話すんだよ」
もう、話す言葉なんか何も、持たない。<br> 唇を固く引き結んだエドワードにロイが言葉を続ける。<br> 「他にも話したいことがあるだろう?」
「オレは別にねえ」
「じゃあ、帰ったら何がしたい?」
「うまいもん食べたい」
以前質問されたときと、違うことを答えた。
ロイの前で言いたくなかった。
「最後にどんないいものを食べた?」 「パンを食べた。女の子がくれたんだ。分けてくれて。あの子ちゃんと逃げられたかなあ」
途中で出会った十歳くらいの少女だった。市街戦の際に助けた少女だった。お礼にと健気にも笑って差し出したパンだった。食事は咽喉を通らなくなっていたが、親切が篭ったそのパンは食べることが出来た。少し乾燥して、ぱさぱさしていたパンも、食べれば気にならないほど美味しかった。そのときになって、空腹だったのだと思い知った。
「パンか。私も食べたいな。焼きたてのパンがいいな」
「焼きたてうまいもんなあ」
「他には?」
「他にはって。ていうか、今それどころじゃないだろう」
「今話す以外に何があるんだね?」
最期の会話になると思っているのだろうか。
これから話すことがないかもしれないからと、とそんな独白が聞こえてきそうだ。涙が、出そうになる。堪えていたものが一瞬にして噴き出しそうになる。
今まで死んでいった者たちの顔が次々に浮かんだ。そして、その中にロイの姿が一瞬、混じった。
「大佐、死ぬなよ」
思わず、そう呟いていた。
「鋼の」
その声音は酷く優しい。そんな優しい声を出すなと怒鳴りそうになる。
「死ぬなよな。身近な奴が死ぬのは嫌だ」
そんなこと、願っても仕方がないことだとわかっている。それでも、そう思う。軍服の胸に縋り付いた。厚い胸だった。軍服が厚くて心臓の音が聞こえない。それでも、きっと、力強く奏でているのだ。
「私も、君が死ぬのは嫌だよ」
「オレは死なない。だから、あんたも死ぬな」
「難しいことを言う」
「簡単なことだろ。死ななきゃいいんだから」
それが難しいんだ、とそうロイは言った後でまさかなと溜息を吐いた。続く言葉が何なのかと、気付かれたのかと思ったが、「まさか、死ぬときは君と一緒だとはな」とロイは笑う。この状況を笑い飛ばそうとしているのだろうと漠然と思う。
「………悪かったな。可愛い姉ちゃんじゃなくて」
「いや、君でいいよ?」
「嘘吐け」
隣にいるからだろう、互いの腕が触れる。
「私は君のことが好きだよ」
腕、だけじゃなくなった。指がふと、触れた。機械鎧ではなく、生身の左手だからだろう、感じ取れる体温が酷く優しいものへと映る。指が戯れのように、絡んで離れる。
「やばいっ」
ふと、口から零れる言葉をロイが拾った。
「何が?」
この状況で離れる指を離したくないとそう思うのは。
「あんたわかって、言ってない?」
「いや、わかってないが」
「あんたって性格が悪い!」
ロイの左肩が直ぐに目に入る。出血は止まったようだった。止血する道具も何もないのだ。些細な怪我であっても、命取りになってしまう。
この廃墟を抜ければ、各地に点在している仲間たちと連絡を取れるとそう思うのだが。

「鋼の。抱き締めてもいいだろうか」
ロイの突然の言葉にエドワードはぽかんと口を開けてしまう。命の心配をしているときに言う台詞だろうかと。
「………あんたってさあ。すごいこと言うよな。さっきもすごいこと言うし」
「君はわかっていると思っていたよ」
「いやあ、何ていうか、あんたがあまりにはっきり言うもんだから」
「実感がないなら、もう一回言おう。君が、好きだ」
「いや、もう一回とか言わなくていいから」
どうしようとそう思ってしまう。もし、抱き締められたらわかってしまうのではないだろうかと。エドワードは自分の左足へとふと、視線を下ろした。このままこうしているだけでも、本当はよくないとわかっている。このままでは動けなくなってしまう。動きたくない。この男の傍から離れたくない。こんなに近くにもいるのに。
一瞬、考えてしまう。この男と一緒に戦争なんてそんな馬鹿みたいなことから逃げ出して、リゼンブールに行きたいなと思う。もうすぐ春になる。その季節はエドワードが一番好きな季節だった。花は綺麗に咲き乱れ、色彩に溢れる。
そんな綺麗な景色をこの男に見せたいとそう思う。こんな血なまぐさい景色じゃなくて。
ずきんずきんと足が痛みを訴える。ずっと前から。血も流れているのがわかる。この男が、気付かなければいいのにとそう願う。
「大佐」
「何だね?」
身体を抱き締められなかった。律儀に返事を待っているのかもしれないと思うとおかしくなった。笑おうとしたけれど、笑えなかった。唇が固まってしまったようだった。
大佐、ともう一度名前を小さく呼ぶと、「うん」と返ってくる。それが、何故だか嬉しかった。目尻が広がるのが自分でもわかる。
「春になるとさ」
エドワードは言葉を切り出した。
「うん」
「リゼンブールがさ、めちゃくちゃ綺麗なんだ。花も、本当に綺麗でさ。田舎で、何もないところだけど本当に景色だけは綺麗なんだ」
「うん」
「春になったら、一緒に行こう」
「私とか?」
「あんたに言ってんじゃん。っつうか、あんたしか此処にはいないじゃん」
「それは嬉しいな」
笑っている顔が酷く愛しい。キスをしようかな、とそう、ふと思った。きっと、驚くかもしれないけれど、最後くらいいいだろうとそう勝手に思った。
実際にしようと思って、身体を乗り出したら、足が今までに比がないほど痛みを訴えた。ずきんずきんずきんとずっと気が遠くなる様な痛みだった。足が動くなと言っているようだった。ずきんずきんずきん。機械鎧である左足が最近、ずっと不調だった。そろそろウィンリィに調整を頼まないとなと、そう思っていたところに、戦争へと駆り出された。それが祟ったのか、それとも、運が悪かったのか。どちらもだろうとエドワードは反省する。定期的に調整しないといけないとウィンリィがリゼンブールに行く度に言っていたものだ。
気付かれていないといいなと痛みの中、ただそれだけ思った。こんな足ではもう無理なのだということがわかる。機械鎧の右手も思うように動かせなくなっていた。
こんな足だと知られたら、きっと置いていかれるとそう思う。ロイ自身怪我を負っているのだ。そんな状態でエドワードと一緒にいられない。それでも、自分にもやれることがあるのなら、やりたいのだ。きっと、この戦場にいる者は皆そう思っている。
約束を交わして、動けるうちに、とエドワードは立ち上がった。途端に痛みの奔流が突き抜ける。痛みが歩くなとそう言っている。それでも、堪えて歩き出す。歩き出さなくては何処にも行けない。進まなくては。
歩け。歩け。歩け。歩け。歩け。歩け。歩け。
そう、自分に叱咤する。
足の代わりをする何かがあれば、とエドワードはそう舌打ちしそうになる。杖代わりにするのだが、生憎と見つけられなかった。
「鋼の」
ふと、呼びかける声に足を止めそうになる。振り向かず、息を大きく吸い込んだ。
「敵をオレが引き止めるってもう言わないよ。それでも、二人で行くよりも、一人で行く方がどちらか一人が生き残る可能性が高いだろ?」
沈黙は一体何を意味しているのだろう。
大きくエドワードは息を吸った。
「さっき言ったろ?オレは死なない。だから、あんたも死ぬな」
「私は君と一緒に死んでも構わないんだが」
優しい声音だった。
あんたは普段だったらそんなことを言わないだろう?
命の重みを知っているあんたが。
「馬鹿なことを言うな。怒るぞ、マジで」
「………そうだな。じゃあ、暫し別れよう。後で、落ち合おう」
落ち合う場所を言い、ロイも立ち上がり、踵を返した。振り返ると、左肩を少し庇いながらも、歩くロイの姿がある。振り返って欲しいような、振り返って欲しくないような、そんな気持ちがある。
それでも、そんな背中をいつまでも見ていたくなくて、エドワードは歩き出す。