ある程度、廃墟の中を歩けば、もういいだろうとエドワードは足を止めた。廃墟は何処までも続くように思えるほどに、広く、長かった。瓦礫の山が未だ続いている。廃墟を出るまでにも時間がかかりそうだった。
本来なら、エドワードは錬金術である程度、敵の足止めをしたかった。そして、活路を見出したかった。しかし、もう、足が一歩も出せなかった。がくりと足から力が抜けて崩れ落ちた。
「ほんとに、ついてねえなあ」
ちゃんと頭狙えよなとエドワードは拳銃を乱射していた敵の軍人の姿を思い出す。若い青年だった。きっと、戦争に出ることは初めてだったのだろう。怯えが顔中に広がっていた。敵ですら、そんな者たちばかりだった。弾丸はロイの左肩に当たり、エドワードの左足にも当たったのだ。
その軍人はロイによって、一瞬にして吹き飛ばれた。
オレの為に人を殺すようなことさせたくなんてなかったのに。
大きく息をつく。それで少し楽になったような気がした。
「戻って来たりしないよなあ。大佐。変なところでお人よしだから」
戻って来たりでもしたら、怒鳴りつけなければならないだろう。そう考えると、思わず、今まで来た道を振り返ってしまう。しかし、そこには誰の姿もなく、ぽっかりと広々とした空間が広がっていた。
「こんなところに来たくなかったな」
きっといつか、来るだろうなとそう漠然と考えていた場所。
「ごめんな、アル」
帰って来るからとそう約束を交わした。
本当にごめん。本当に駄目な兄貴でごめん。約束破ってごめん。ごめんな。
アルフォンスの身体を取り戻したかった。あの優しい弟の身体を。
死というものを意識する瞬間はこれまであった。エドワードは今、このときもまたそれを意識した。死というものを考えるとき、世界は自分の想像上のものなのではないのだろうかとそうふと、思う。現実は実際には虚像なのではないだろうかと。それは、とても、怖かった。
そんな折、こつこつという音が聞こえた。何かを探しているような、そんな足音だった。はっと身体を固くして、顔を上げる。敵なのだろうか。戦えるだろうか、とエドワードは自分の余力のことを考えた。錬金術師にとって水も土も壁も何だって凶器となり得る。戦えるとそう思った。
そして、待つ時間は長かった。靴音を響かせて、現れたのは、ロイだった。
「大佐…」
何を言えばいいのかわからなかった。酷く、ロイの顔は安堵していた。口の中でそんなロイを罵った。何をしているのだと。
ロイはまるでそれを見透かしているように、口を開いた。
「君を、置いて行けない」
「気付いていたのか」
足のこと、とエドワードは続ける。
「気付かないふりは出来たがね。こんな、寂しいところに君を置いていきたくない」
「もう駄目だよ、オレは。もう動かないんだ。だから、最後くらいあんたの役に立ちたかったのに、あんたが引き止めるから」
生きたい、とそう思ったのだ。
「鋼の、私はね、綺麗事は好きじゃないんだ。多くの人々を守りたいとそう思っている。でも、自分の手が届く範囲の大切な者も守りたいんだ」
手が差し出される。かさかさしている手。それでも、温かい。これからもきっと、人々を救える手だ。手を取りたいなとそう思う。自分が望む何もかもをその手が持っているのに、とそう思う。
それでも、首を振った。
「それだけ聞けりゃあ十分だよ。置いてけよ。足手まといを連れてれば命取りになる。やり残したことあんただってあるだろ?この世界を変えろよ。こんなことが二度とないように」
「春になったら、リゼンブールに行くんだろう、一緒に。君の故郷に」
やめろよ、そんなことを言うなよ。ちくしょう。
不意に涙の膜が張り始めるのを感じる。膜は時間が経たないうちに、崩れ落ちるだろう。泣きたくなんてないとそう思ったのに、ぶわっと涙の堰が切れた。泣きじゃくるエドワードにロイが身体を屈めて、身体を抱き寄せた。宥めるように背中を行き来する手がひたすら優しい。
「あんたって、馬鹿…!」
しゃくりあげながらも、そう言えた。
「馬鹿とは酷いな」
「馬鹿だよ、馬鹿!置いていけばいいのに。ほんとあんたって馬鹿。変にお人よしだし、オレのことも甘やかすし、直ぐかっこつけるし、雨の日は無能だし」
「無能というのはやめてもらえないか」
ロイの小さな抗議は無視してしまう。
「ほんとのことだろっ!もうほんとに馬鹿!………でも、好きだけど」
ずっと目の前の男のことが好きだったのだ。
「す、き?」
驚いているロイをエドワードは睨んだ。
「何驚いてんの?あんたが先に言ったじゃん!オレもあんたのことが好きだよ。軍人で、国家錬金術師で、オレと同じで男だけど、あんたが好きだよ!オレはあんたのことが好きなんだ!等価交換だろ!」
「そんな怒るように言わなくても」
「怒ってるんだよ!このクソ大佐っ」
泣きながら、怒っている。それとも、怒りながら泣いているエドワードにロイはどう対応したらいいのかわからないらしい。うろたえているのが感じられて、エドワードは少し、笑った。笑えて、その拍子にまた涙が零れた。
どうしようもないな、とふと思った。どうしようもない、本当にオレは。
「大佐」
「うん」
「セックスしようか」
「せっ…?」
何だこの男は一体何を驚いているのだろう。
「セックスしようかって言った。大佐が連れて行ってくれても多分、オレはもたない。戦力にならねえよ。それなら、今ここで」
大佐と一つになりたい。
そう願う。
「まあ、こんなところで、血だらけの、こんなガキ抱いても面白くないかもしれないけどな」
へらりと笑ってしまう。笑う以外に、どうしたらいいのかわからない。
拒絶を、しないで欲しいと思った。自然と首が俯いてしまう。拒絶をされるのが怖かった。どれだけ国家錬金術師で、人間兵器だと言われようが、この男の前では無力な子供になった気がした。
「鋼の」
声と共に、目の前に影が出来る。顎を掴まれ、顔を上げさせられる。怒っているのだろうかとそう思ったところで、噛み付くようにキスをされる。それでも、ロイに縋り付き、深く唇を合わせた。
「んん………っ」
もう一回とキスを交わす。ロイの舌がエドワードの歯列を割り、するりと入って来て、エドワードの舌に絡む。肉厚な舌を絡めていると、否が応でもその先を考えてしまう。零れた唾液が口の端を濡らす。<br> 本当はずっとこうしたかった。触れ合いたかった。どれだけ望んだことだろう。この男が欲しいと。
身体の芯が急激に熱くなる。しかし、互いの唇は離れ、その先は続かなかった。
「鋼の。続きは帰ってからだ」
「………だから、置いてけって言ってるのに」
脱力を覚えてしまう。
「上官命令だ。部下を見捨てさせるようなことを何度も言うな」
「右手も、あんまり調子良くないんだぜ。きっと壊れかけてる」
ウィンリィに怒られるだろう。どんな思いで作っているのか知っていたのに。顔が自然に右手の機械鎧へと向けられる。鋼鉄の右手。そして、鋼鉄の左足。どちらも自分をもう一度歩かせてくれたものだった。大切なもの。
「鋼の」
「あんた、左肩怪我してるし」
「鋼の、行くぞ」
「あんたの足手まといになりたくないんだ」
「置いてくぞ」
「だから、置いてけって」
ロイが立ち上がる。自分で言っておいて、本当に置いていくつもりなのかとそう思った。一瞬、足に縋りつきたくなった。生身の手を強く握り込んだ。
「オレのせいであんたが死んだりでもしたら、あんたの部下に顔向け出来ない」
どんな顔でこれから会えばいいのだろう。どんな顔をして。
ロイを慕って、ずっとついて来た者たちだ。いつか、彼が大総統になることを誰もが願っている。もちろん、エドワードも。
「一緒にリゼンブールに行くんだろう?」
ロイの言葉に思わず、顔を上げる。足は未だ痛む。断続的に脳内に響くような痛みだ。
「………あんた鬼だろっ」
「鬼と言われたことは初めてだ」
壁を支えに、何とか立ち上がる。身体が不調を表すようにふらふらした。その身体をロイが支えた。そして、そのまま背中に負ぶされた。このまま敵がいるところまで突破しようと言うのか。あまりにもあまりなことに口が開かない。
それでも、この男と一緒に死んでもいいかと反対していたくせに、そう思った。
見捨てられるよりもいいかもしれない。
安堵からだったのか、疲労からだったのか、エドワードは数歩ロイが歩き出したところで、意識を失った