雨、のち晴れ




天蓋を見れば、どんよりと曇っている。薄墨色の空がどこまでも広がっているのだ。
「今日も雨が降りそうだな」
ここ数日、雨が続いていた。叩きつけるような雨ではないものの、しとしとと続く雨は人を陰鬱な気分にさせる。傘を差してはいても、服は濡れ、風でも吹けば寒い。恵みの雨、とはとても思えない。
ロイはハボックに運転手をさせようかとそう思っていたのだが、馴染みの古書店で欲しかった本が手に入ったとの連絡もあり、そこへと足を進めているところだった。雨が降るのが心配だったが、それでも、読みたかった本だ。早く手に入れたかった。
その店で、ロイは数ヶ月に一回と顔を合わせている少年の姿を目に入れた。昨日司令部にて会っていた。背中を向けているが、特徴的な三つ編みと赤いコートでそれとわかる。ふと、どうしてそんな目立つ格好をしているのかと思ってしまう。見つけ易い為か。
「鋼の」
イーストシティーに暫く滞在するのだとそう聞いていた。直ぐにでも何処か遠くへ、飛び立ってしまいそうなエルリック兄弟を、司令部以外で目にすることは珍しい。
「あ、大佐」
「珍しいな、君一人か」
声を掛けると、「まあな」と歯切れが悪い返答が返ってくる。また、弟のアルフォンスと喧嘩でもしたのだろうかと口が滑りそうになるのを抑えた。
棚に手を伸ばして、エドワードは物色している。店の中には古書店らしく、棚一杯に整然と本が並べられている。エドワードにしてみたら、さぞかし嬉しい光景だろう。
「何かいい本が手に入ったか?」
「まあね。大佐も買い物?」
「店の主人に教えてもらったんでね」
「マジかよ。いい本だったら貸して」
「気体関連の本だが。それでも、いいか?」
「う、面白そうだったら読みたい」
本を整理していた、店の主人に声を掛け、確かにロイが読みたいと思っていた本を一冊受け取る。その様をエドワードが見ていた。どんな本か気になるのだろう。
「ちょっと貸して」
そう、口に出す。彼の好奇心を刺激したようだった。
「君のちょっとっていうのは信用が出来ないんだが」
「ちゃんと返すよ。ケチだともてないぜ?」
エドワードはロイから本を受け取ると、ぱらぱらと頁をめくり始める。
ロイはその様子を見てから、外へと目を向ける。雨の気配が濃厚に漂ってきたように感じる。空はやはり薄墨色をしたままだった。今にも、冷たい粒が落ちて来そうな。
「鋼の」
エドワードは真摯な表情をしたまま、本を読んでいる。瞬きをしていないんじゃないかと一瞬思った。エドワードの集中力をロイはよく知っていた。本を読むのにそれほどの時間はかからないだろう。しかし、返してもらえないと困る。それに、雨が降る中帰るのはごめんだ。本も濡れてしまう。
「鋼の」
もう一度、今度は力強く呼びかける。反応はない。
呼びかけたというのに、反応がないのは腹立たしいことである。ロイは読み耽っているエドワードからぱっと本を取り上げた。
「おい。もうちょっとくらいいいだろ」
「私は何度も君の名前を呼んでいたぞ。それに、雨が降り出しそうだ」
「雨の日は無能だもんな」
憎たらしい顔をしているとロイは思う。
「君はいつもそれを言うな。ボキャブラリーが少ないぞ」
そう文句を言ったところで、「あ」と両者とも言葉が出たのではないだろうか。店の向こう、そこで雨が降り始めていた。しとしと、という表現では生温い。ざーと雨が地面に叩きつけられている。
「雨…」
呆然と口にと出してしまう。
「だから嫌だったのに」
溜息を吐きそうになる。
「傘、持ってる?」
エドワードが訊ねる。
> 「持っていない。雨が降る前に帰るつもりだった」
実際は傘を持つのが面倒くさいからだった。邪魔ではないかと。
「使えねえ」
「君だって持っていないんだろう?」
「オレはアルが持ってけって傘持たされたからある」
嬉しそうな言葉だ。ロイを出し抜いたようで、嬉しいのだろう。雨宿りをするという手もある。外を再び眺めた後、ロイはエドワードへと目を向けた。
「鋼の、もう帰るか?」
「本は買ったし、帰るけど」
アルにも見せたいし、とエドワードは本が入っている袋を持ち上げてみせる。エドワードにしてみれば、数冊と少ない。
「じゃあ、君の傘に入れてくれ」
「………買えばいいだろ。男と相合傘なんてやだ!」
「君がずっと本を読んでるからだろう?雨が降ったのは。責任を取って、傘に入れろ」
雨は嫌いなのだ。
「傘なら貸しますよ、お得意さんだ」
そう、店の主人が言うのを、エドワードがほらと言いたそうにこちらを見遣る。
「いや、大丈夫です」
そうきっぱり言うので、エドワードは眉をへの字にさせた。
「オレが嫌だって言ってるのに」
それでも、悪かったという気持ちがあるのだろう。渋々、エドワードは店を出ると、傘の中にロイを入れた。小柄なエドワードにしてみたら、大きな黒い傘だった。今にも雨の中傘を手に、歩き出そうとするエドワードにロイが待ったをかけた。
「傘は持つよ」
「何で?」
不満そうな顔をしているエドワードがじとりとロイを睨んでくる。
「私のが背が高いからだ」
にやりと笑えば、直ぐに言葉が返ってくる。
「誰があんたよりチビだ!」
身長差があり、出来るだけ上の方にと傘を上げている、エドワードからロイは傘を受け取り、歩き出す。傘からはみ出した肩が濡れるのを感じる。
だから、雨は嫌なんだ。濡れるし。気分が憂鬱になるし。無能だと言われるし。
エドワードはと見れば、濡れてはいないようだった。
「もう少し寄りなさい。雨で濡れるぞ」
「だったら、あんたが傘から出ればいいだろう」<
br> 「上官を風邪にする気か?」 無理矢理肩を回して、身体を近付ける。途端にぶつかったが、気にならなかった。肩に回した手は離さなかった。
「おい」
文句は勿論聞き流す。
「何か誤解とかされるの嫌だぞ」
「そんなことを言っていると、もてないぞ」
「意味わからんし!てか、大佐も困るんじゃねえの?こんなところ女にでも見られたら」
「別に困らん」
「…………………………困れよ」
そんな遣り取りの末、少し雨足が緩んできたのを感じる。それでも、あちこちに水溜まりが出来ており、歩くのにも気をつけなければ、足まで濡れてしまう。通りにはこんな雨だからだろう、出歩いている人が殆どと言っていい程いなかった。
「やんできたな」
「今日は天気予報では雨のち晴れって、アルが言ってたからな」
「そうか」
そして、少し歩いていくうちに思った通り、雨がやんだ。どうやら、通り雨だったらしい。
「雨、やんだな」
「そうだな」
空を見上げれば、薄墨色だった空が澄んだ色に変わろうとしている。
そんな色彩の変化は綺麗だった。ロイは傘を傾け、手の平を開く。そこに雨粒が当たらないのかとそう思っていたが、当たらなかった。
「空」
 エドワードがふと、呟いた。
「空?」
エドワードの言葉に見上げた空に、虹が架かっていた。三色の虹が。太陽の光が空気中の水滴によって屈折、反射されるときに水滴がプリズムの役割をする為、光が複数の帯に見える気象現象だ。そのことをロイは知っていた。それでも、ぽかんと空を眺めてしまう。雨の後は地面がぐちゃぐちゃになるから、靴に泥が被るなど、嫌なことしか思い浮かばなかった。
「虹、久し振りに見た」
「私もだ」
「雨もたまにはいいんじゃない?あんたは無能な日だけど」
エドワードは虹が綺麗だから、とそう言った。たまにはならな、とそうロイは苦笑いをしつつ、何故か明日は晴れる、とそう思った。<