パラレルワールドという言葉を知らなかった。

世界には自分に似た人が三人はいるという。 実際にそんな人間に会い、その人間は亡くなっている。 だからこそ、別に気にしたりはしない筈だった。

窓から臨めば、そこにはありふれた日常が広がっている。 買い物に勤しむ主婦、仕事に出かける男、今から遊びに出かけようとしている子供たち。 ありふれた日常。 その片隅にエドワードもいた。 窓から景色を眺めるのはやめようと何度思っただろう。 窓から眺めれば、今いる世界が現実なのだと思い知らされる。

ふと、視界の隅に警官の姿が入る。 これも現実のものとなった日常の姿。 彼が見ているのは、エドワードの今いる建物の1階の花屋の主人だ。 最初は笑い出してしまいそうになった。 そして、次いで懐かしさに泣き出しそうになった。

声を、彼は声を掛け様としている。 しかし、彼は戸惑っているから、足が進まない。 アメストリスの彼では想像がつかなかったものだ。 やがて、花屋の主人がそんな彼に気付き、声を掛ける。

仲良く二人の姿が重なる。それは、いつか彼らが一緒になることを暗示させるかのようだ。 そう、心優しく接してくれた二人の姿に。 二人は酷く、ドイツのミュンヘンという地に馴染んでいた。

「エドワードさん」
扉が開き、部屋の中へと入って来たのは、ハイデリヒだ。
「何だ、アルフォンス」

口にするのも慣れてしまった。 それでも、どこかで慣れてしまうのを恐れていた。

「そろそろ大学に行く時間ですよ」
「あ、そっか。もう、そんな時間か」
わかっていたのだと、そんなことを口に出来ない。
「今日はもう教授が学会から戻ってきてますから、色々お話出来ますよ」
「んー、そうだな」
アルフォンスと一緒にどれだけ話をしただろう。 何処かつっかかることを覚えては、教授と話をしたいですね、とそう言っていた。 だからこその言葉なのだろう。 それでも、オレは、と思う。 あの男に会いたくない。 今こうして、目の前にあるものが現実。 今目の前にいるアルフォンスという青年がどれだけそっくりであろうと弟ではないことを同じのように。 その現実を認めたくない気持ちがある。 こうして何人も、元の現実と重なり合っているのを感じたら、とても――。
少しだけ、窓に視線を落とすと、それにハイデリヒは気付いた。

「また来てるんだね、ヒューズさん」
「ああ、そうだな」
「グレイシアさんのこと本当に好きなんですね」

微笑ましいことだ。 そう心の底で思いながら、沈殿していくものは何なのだろう。

「二人が付き合ったらいいなって思うんですけど」
「まあな、だといいけど」
二人が仲良く連れ添っている姿を想像するのは酷く容易いことだ。
「お父さんから連絡はないんですか?」
「どうしたんだよ、急に」
ホーエンハイムのことを口に出されて、狼狽する。 弟と同じ顔をしているハイデリヒに言われると、不思議な気分だ。 性格は違うのだけれど。

「エドワードさん、窓とか眺めていることが多いから」
言ってはいけないことを言ってしまったのか、とそうハイデリヒは思ったのか、遠慮がちにそう言った。
「そうか?」
「誰かが来るのを待っているんじゃないかと思って」

そんなことはない、とそう言うことが出来なかった。 ふと、思い浮かぶのは、以前よくアパートに訪ねてきた男の姿だ。 漆黒の髪に、漆黒の目をした、こちらの世界では、教授となっている男。

「手紙とか書いてみたらどうですか?」
ハイデリヒがそんなことをふと、言い出した。
「手紙?」
「お父さんに」
「あのくそ親父に!?」

そこまで言わなくても、と苦笑いをするハイデリヒにお前は親父のことを知らないから、と言い出しそうになった。 どこで何をやっているのかわからない、とそう何日か前に言った言葉をハイデリヒは律儀に覚えていていたらしい。

「つうか、どこにいるのかわからないから手紙も送れないし」
「エドワードさん本当は心配してるんですね」
「はあ?するわけないだろう!?」

あいつはホムンクルスなんだぜ。
ホムンクルスっていうのはな、あー、面倒だから説明は略すけどな。 要するにホムンクルスっていうのは。 不死身で。 賢者の石があれば。 なんだよ、アルフォンス。

そんなこと言えない。
優しいこいつでも笑えないだろう。

「心配するのは当たり前ですよ」
「そうだけどな」

心配なのはそれでも、どちらかというと、アメストリスにいる弟のことだったりする。 生きているのかな、大丈夫なのかなと。 会いにいけない分不安が降り積もる。 それなのに、目の前に弟に似たアルフォンス・ハイデリヒがいるのだ。 これはどういう運命の皮肉だというのだろう。弟が成長したら、とそう思わせるまでに。

と、同時に思い出すのは、アメストリスの某国軍大佐だったりする。 大丈夫なんだと思う。 思っているし、強いことを知っている。 それでも、時折最後の別れを思い出しては、どうしてるのかなと思う。

だんだんと顔が思い出せなくなってきている。 それだけ、記憶が薄れているということだ。 いつか、何もかもそうやって消えてしまうんじゃないかなと思ってしまう。

手紙、か。

何となく、出だしを考えてみた。

宛名は、ロイ・マスタング。 これはあれですよ、やっぱり、一応上司だったわけだし、後見人だったから、別に深い意味はないんですよ? 弟にも送りますよ? 大佐には報告書は義務だったわけだし、一応ということで。

ロイ・マスタング様。

様とかつけんの?
ま、いいか。

ロイ・マスタング様。
お元気ですか?
オレは何とか元気でやってます。 別世界に来てしまいましたが、今は弟に似た男と一緒にロケットの研究をしています。 名前も実は一緒だったりして、アメストリスとどこか繋がっているんじゃないかと考えてます。 大佐はどうですか? 今頃、中尉に怒られながら、仕事をしているんですか? いつも思うだけど、何故怒られるのがわかってて、さぼるのかオレにはあんたのことがさっぱりわかりません。 大佐って地位を手に入れたんだから、仕事出来るんじゃねえの? まあ、多分、あんたはそんな感じで変わらないと思うけど、元気でやってるならそれでいいです。

元気、なのだろうか。 ロイとホークアイはキング・ブラッドレイの元へ向かったのではないのだろうか。 だとしたら、きっと、ただでは済まなかった筈。 何故、そんなことを考えてしまうのだろう。
不安が、訪れる。

「エドワードさん?」
「ああ?」
暫く思考の淵を彷徨っていたらしい。
「何を考えていたんですか?」
「何書こうかと考えてた」
「手紙の?」
「まあ、な」

一瞬現実に引き戻れたような、気がした。

会いたいな、とそう思う。 あの、いけすかない某国軍大佐に会いたい。 手紙なんて代物じゃなく、会って話をしたい。 話をしたいことがたくさんあるのだ。


もう一度、手紙の出だしを考えてみた。

ロイ・マスタング様、お元気ですか?
オレはやっぱり、元気じゃないです。
あんたに会いたいです。 重症なので、会いに来て下さい。

エドワード・エルリックより。


宛先がない手紙が届くわけがなく、エドワードは心の奥にその手紙をしまい込んだ。