ハイデリヒが自室に籠もりっきりなのがエドワードには心配だった。
自分は何か間違いをしてしまったのかとそう思う。
アメストリスの話をした。
もう一つの世界の話を。
話を終えたところで、ハイデリヒはどんな表情をしていただろうか。
気の毒な顔をしていたかもしれない。
話をすることに一生懸命でまともにハイデリヒの顔を見ていなかったことに、今、気付いた。
どう、思われたのだろうか。
可哀想な人間だと思われたのかもしれない。
以前、オーベルトに話したときも、同じようなことを思っていたことを思い出した。
しかし、調子がハイデリヒが悪いことも確かなのだろう。
咳をしていて、顔色も優れていない。
弟と同じ顔をしているハイデリヒの調子が悪いとアメストリスにいる弟も大丈夫なのかと心配になってしまう。
連鎖。
考えれば、考えるほどに迷宮に気持ちが向かってしまうようだ。
安否を確かめる術はない。
いや、ロケットが―――。
階段を上がってくる音が聞こえてきた。
誰なのかは直ぐにわかる。
グレイシアの足音だ。
段上に姿を現したのはやはり、グレイシアで手には、アップルパイがある。
狐色に焼き上がったアップルパイだ。
甘い香りが漂ってくるのを感じた。
昔、アメストリスの彼女がやはり、アップルパイを焼いてくれたことを思い出した。
「アップルパイを持ってきたの。アルフォンス君は食べるかしら?」
エドワードを見つけたグレイシアはにこりと笑ってみせた。
「グレイシアさんの作るアップルパイは好きだから、食べると思う」
「そう」
笑うグレイシアは優しさが滲んでいる。
以前、弟にも食べさせたいとそう思っていたアップルパイだ。
美味しいとそう思う。
「姿を最近見ていないけど、アルフォンス君大丈夫?」
きっとそのことが言いたかったのだろう。
そして、アップルパイもそんなハイデリヒを元気づける為に、用意されたものなのだろう。
「今、寝てるところだから、そのうち元気になると思う」
「アルフォンス君、早く元気になるといいわね」
「そう、言っとく」
過去のアメストリスでのことをふと思い出してしまう。
それでも、エドワードはグレイシアが階段を下りるのを見届けてから、振り切るようにハイデリヒのいる室内へと足を踏み入れた。
寝ているのは知っていた。
起こすのは悪いだろうと思ったが、それでも、何となく傍にいたいと思った。
しかし、ベッドで寝ていた筈のハイデリヒは枕元にあったらしい本を数冊ベッドに広げて読んでいた。
顔色は、やはり悪かった。
「起きてて大丈夫なのか?」
先程まで呼吸も浅く、ベッドの中で眠っていたのに。
「大丈夫です。ただの風邪だから」
「辛いんだろう?」
時々、咳をしていたから気にかけていたのに。
あまり、身体が強くないのだろう。
ハイデリヒは一瞬、エドワードの顔を見上げてから、目線を下へと落とした。
「何か俺に言いたいことがあるんだったら、言えよ」
「別にないですよ」
「………言えよ」
「………じゃあ、聞きますけど、その手に持っているのは何ですか?」
エドワードはあ、とアップルパイのことを忘れていたことに気付いた。
「グレイシアさんがアルフォンスにって。食べろよ。寝た後でもいいからさ」
「グレイシアさんが?」
お前のこと心配してた。あまり、心配かけるなよ」
「わかりました」
素直に、そうハイデリヒは言って、読んでいた本をベッドの上へと下ろした。
それを期に、エドワードはアップルパイベッドの隣にある小さなテーブルの上に置いた。
そして、エドワードはベッドの上に広げられた本を何冊も取り上げた。
「これも没収!」
「え、何でですか?」
「調子が悪いときに無茶するな!」
いつも、弟に言われた言葉。
「エドワードさん、お兄さんみたいですね」
「兄貴をやっていたからな」
よく反対みたいだと言われていたけれど。
途端に、ハイデリヒが沈黙する。
ああ、何か間違いをしてしまったのではないかというそんな思いが再び現れる。
しかし、何が間違いなのか。
それがよくわからなかった。
「アルフォンス。お前、俺のこと嫌いか?傍にいられると迷惑か?」
ベッドの上に座り、ハイデリヒと向き直る。
手に持っていた本をベッドの上の自分の隣へと置いた。
何冊もハイデリヒが自分で読み、買ったものだ。
きっと、内容も充実しているに違いないものばかりだ。
置いただけで、自分に重みが伝わったような気がした。
彼の情熱は本物だ。
アメストリスに帰りたいという自分は、もしかしたら、アルフォンスに不純だと思われているのかもしれない。
しかし、見遣ったハイデリヒの顔は当惑に彩られていた。
「え、どうしてですか?」
「なんか、オレのこと避けてる気がした」
「そんなつもりないですよ。エドワードさんの気のせいですよ」
「ほんとか?」
「そうですよ」
安堵が遂、顔を出し、顔が綻んだ。
「良かった」
ハイデリヒは困ったように笑い、仕方がないとばかりに、「じゃあ、僕は寝ますね」とそう言った。
「そうしろ、そうしろ。寝たら直ぐ良くなるから」
弟にするような気分でぐしゃぐしゃとハイデリヒの頭を撫でる。
「ぐしゃぐしゃになるんですけど」
仲直りが出来たのだとそう、エドワードは思って満足だった。
そして、同時に、堪らなく何処かで切ない気持ちが湧いて来るのを感じていた。
それはきっと、寂しかったからだとそう思う。
「え、エドワードさん?」
声に驚きが混じっているのに気付いていた。
しかし、今、突然したくて堪らなくなって、ハイデリヒの身体を抱き締めた。
抱き締めるよりも、しがみついているといった方がいいのかもしれない。
自分よりも背が高いのに、薄い身体をしているのがよくわかった。
どくどくと命を奏でる音が聞こえてくる。
生きている証拠だ。
「アル…」
困るだろうな。
そんなことはわかっていた。
しかし、衝動は抑えられない。
行き場をどうしたらいいのかわからないというように、そろそろと背中に手を回される。
温かい腕に包まれて、どうしようもない安堵を覚える。
それでも、ぱっとエドワードはハイデリヒと身体を離した。
「ごめん、遂」
「いいですよ。エドワードさんの奇妙な行動には慣れましたから」
「き、奇妙?」
「初めて会ったときも抱き締められました」
顔が赤くなってしまう。確かに、ハイデリヒの言う通り、弟と会えたのだとその喜びに任せて、抱きついてしまったのだ。
それが間違いだと知ったとき、どれだけ狼狽したことだろう。
「あれは、言っただろう?弟にお前がそっくりで」
「ええ、聞きました。でも、今日は間違えてないでしょう?」
「そうだけどさ」
察しの良いハイデリヒのことだ。
わかって言っているのだろう。
遂、気まずさに顔を背けてしまうと、ハイデリヒがアップルパイを一切れ、エドワードへと向けた。
「グレイシアさんのアップルパイ、本当に美味しいですよ。エドワードさんも食べませんか?」
「食べる」
一切れ、口の中へと入れる。
さくっと歯切れよくパイが噛み切れ、次に甘い林檎の味が口の中へと入り込んだ。
確かに美味しく、懐かしい味がした。
きっと、自分の気持ちは未練というのだろうと、そう、思った。
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