研究仲間と一緒にビールを飲んでいた。本当は飲むつもりなどなかった。 しかし、「今日くらいいいだろう」と肩を抱かれ、ほれほれとジョッキを見せ付けられたら、断る術を思いつかなかった。 今、一緒にオーベルトとエドワードがいるのだとそう思うと、何をしているのだろうと考えてしまう自分がいた。 別の世界があるのだと、そうオーベルトは言ったのだと言う。 それならば、きっと、オーベルトはエドワードを受け入れられる。 エドワードもオーベルトが好きならば、その行き着く先に何があるのかわかっていた。 思考はぐるぐると螺旋のように同じことばかり考えていて、気付けば、仲間に話をふられても、沈黙してばかりいた。 ジョッキの中の泡がぷつぷつと湧いては、爆ぜるのをただ眺めていると、隣の仲間に声をかけられた。

「大丈夫か、アルフォンス」
「ええ、大丈夫です」
そう、答えるのだが、笑われた。
快活な笑い声が耳に障る。
「顔赤いぞー」
顔が火照っているのだと僕自身にもわかっていた。
「ちょっと飲み過ぎました」
「弱いぞ、アルフォンス君」
肩を叩かれる。ドイツでは、ビールが水よりも安い。その為、ビールを飲み慣れていない人間は殆どいなかった。
「――――慣れていないんです」
「これから慣れていけばいい。それより、教授とエドはそろそろ来るかな?」
「来ないんじゃないですか?」
即答した僕に、仲間たちが不自然だとばかりに目を向けた。
「何かあったのか?」
「何もないです」
何もない筈なのだと、僕は視線を仲間から逸らした。 酒場では、誰も彼もがビールを飲んでいるそんな光景が広がっている。 インフレーションというものを、この場では感じられなかった。

結局、エドワードもオーベルトも酒場には来ることがなく、散々仲間たちで自分たちの夢を語り明かした後、解散となった。

今日はエドワードは帰って来ないかもしれないとそう思ったのだが、家路を辿れば、家の二階に明かりが点いていた。 あ、と僕は思った。 エドワードがいるのだと。 家に入ることに、躊躇してしまうのは、何が原因なのだろう。 ふと、躊躇っていると郵便受けを何日も覗いていないことに気付いて、開けてみた。 そこには、ヴァン・ホーエンハイムの名前が書かれている封筒が一つだけ入っていた。 エドワードに会う口実を見つけてしまった。 どうしようかと迷った後で、僕はエドワードに手紙を届けることにした。 なるべく、寝ているであろうグレイシアを起こさないように、家の中へと入り、階段を上がっていく。 エドワードの部屋のドアの隙間からは光が漏れていて、そこだけこの夜の中明るかった。
「失礼します」
僕は封筒を片手にエドワードの部屋へと足を入れた。 ベッドの中で、本を読んでいる彼の目が腫れている、と先ずそう思った。泣いたのだろうか。
何があって?

「アル?」
そのとき、顔を上げた不安そうなエドワードの目が、僕じゃない誰かを見ているとそう思った。 それは、きっと、彼が言っていた弟なのだろう。 幸せそうな、壊れそうな笑みを浮かべるとき、彼が連想しているものが直ぐにわかるのが嫌になる。 彼は、僕を弟と重ねている。 そして、瞬時に現実を思い出したかのように、はっとして、目を覚ます。

僕は。
心の底から彼の弟のことが妬ましいとそう思う。 確かに、自分自身のことを見てもらえるから。 僕は彼に何を望んでいるのだろう。 小さな子供ではないのだ。 子供の頃のように望んでも、手に入らないものがあるのだということもわかっている。 届きそうで届かない星を取ろうとするように、近くにあるのだとそう思っても。

きっと疲れていたのだろうとそう思う。 彼は二度だけ、僕のことを「アル」とそう言った。 初めて会ったときと、そして、つい先日。しかし、それ以外では「アルフォンス」と呼んでいた。 区別をする為なのだろう。

「そんなに、僕は弟さんに似ていますか?」
僕の顔は笑っているだろうか。苦笑いを。確認する為だけに、そんな言葉を口にしたくなどなかった。
「悪い」

済まなそうな顔をしなくてもいいのだとそう思う。前までそんな顔をしなかったのに、何があったのだろうとそう思う。 目を腫らして。 それでも、彼をずたずたにしたいような、そんな残虐な気持ちに囚われる。

ベッドへと引きずり倒して自分のものにしたいと。 彼がただ僕のことだけを見れるように。身も心も全部、と。 でも、そのとき彼はきっと、目を丸くして、どうしてなのかと思うに違いない。 そして、彼が目にする僕はきっと残酷な顔をしているのだろうとそう思う。

それでも、彼の口に出す言葉は全部、夢物語であって欲しいとそう思う。
彼の以前いた場所までも全部。
「現実を見れない人たちが作り出した幻影なんだと思う」
そう、モニカが口にしていたように。
認めたくないから。

「エドワードさん、お父さんからの手紙が来ていました」
早く、エドワードの部屋から出たいとそう思って、用件を切り出した。
「親父から?」
エドワードの目が瞬いた。予想出来なかったのだろう。
「手紙、ちゃんと来たじゃないですか」
そう、言って手紙を差し出す。 疑わしいとそう目が言いつつも、エドワードは本を置き、ベッドから抜け出して、封筒を受け取った。 封筒をびりびりと破き、そこから殆ど、睨みつけるかのように、手紙を読んでいる。
「何て書いてあるんですか?」
「もうすぐ帰るってさ」
口では嫌そうに言っているけれども、肉親だからだろう、少し嬉しそうに感じた。
「良かったですね」
「よくねーよ。どうせ、ろくなことしてなかったんだぜ?」
元気が出たみたいだ、とそう思いながらも、少し嬉しくない僕自身を感じてしまう。
「どうせなら、あいつから手紙貰いたかったよ。来ないだろうけどさ」
封筒の中に綺麗に手紙を戻しながら、弱っている彼からつい、本音が零れ出た。 彼がもう一つの世界に帰りたいと思っている理由を漸く知った気がした。 そして、涙の理由もわかったと思った。やりきれない。ただ、そう思った。





何処までも零れる声がとても甘く感じられて仕方がない。 このままだと溺れる、とそう思いながらも、手放せない。 こんなことをしては駄目だとそう思っているのに。

声が、目が、手が。
自分を放さない。

ベッドのシーツの中で泳いでいるのは、誰なのだろう。
喘ぎ、自分を求め、快楽を貪っている人は?

「……アル、アルフォンス!」
切羽詰った声に「何ですか?」と冷静に答える。 目の前にいるのは、裸身を惜しげもなく見せているエドワードだ。 身体のあちこちに古くからの傷があり、汗で濡れていた。 そして、右手、左足は義足だった。痛々しく映るものの、それが、どこか艶かしく映るのは、エドワードのものだからだろうか。 金糸の髪はシーツに散らばり、目からは涙腺が壊れたかのように幾筋もの涙の痕がある。 組み敷かれているのに、何故か主導権はエドワードが持っているように感じられた。 その、髪を僕は愛しくなり、何度も撫でる。 柔らかな感触が伝わってくる。
「どうしたんですか?」
重なり、結合しているそこから、快感がもたらされる。 潮のように満ち干くそれが惜しくて、何度も、腰を上下に動かしてしまう。 肉のぶつかり合う音、そして、ぐちゃぐちゃと水音が満ち始める。 ぎしぎしとベッドが音を鳴らす。
「っん。んんっ」
濃密な気配が室内に立ち込める。そして、馴染みのある青臭い精液の臭い。 口元を必死に手で多い、声を出すまいと抗っているエドワードの足を抱えたまま、僕は見下ろす。 ストイックに見える彼が、性欲に敗北しようとしている様は、何処か背徳的に映る。 もう直ぐで―――。
登りつめ、崖からがくりと落ちるように衝撃が来るとそう予感がした。



が、途端に目を覚ました。 汗がどっと流れるのを感じた。
「夢…」
ベッドの柔らかな感触、馴染みのある天井、そして、何より僕は一人だった。 笑ってしまう。一体何を自分は考えているのかと。
「有り得ない」
そう零した後で、そうか、だから夢なのだと納得をした。
その後で、酷く、後悔した。