こんこんという軽いノックの後に入ってくるのは、ホークアイだった。 普段に群青の制服ではなく、髪もまとめず入ってきた彼女は私服だった。 手には林檎を持っているところ、お見舞いの品なのだろう。

「誰が来ると思っていました?」

何かを期待していた、そんな表情をしていただろうか。 僅かに笑って見せて、ロイはベッドの上から窓を眺めやった。 変わることがないように見える世界でも少しずつ変化が訪れている。 それは自分としても確かだった。 目が見えなくなっていた。 眼帯で覆われた右目は視力を失っている。 そんな不安定な視界の下、室内はどこか暗っていた。 それは今の自分の心境を表しているかのようだった。 ホークアイはもしかしたら、そんな自分の気持ちを見透かしているのかもしれない。 だからこそ、今の忙しい時期にも関わらず、合間を縫って何度も病室には顔を出していた。

大総統が建前上失踪しても(どうしてなのか、そのことについては知る者は少ない)それでも、軍は機能している。 しかし、最近では落ち着いた軍内もそこに至るまでには随分ごたついていた。 ロイは重症の身の上で、全てホークアイからそれまでの話を聞いていた。 聞いているだけで、嫌になる、そんな軍内ではあったが、変わって来たとホークアイ話した。 それは当然のことであるとそう言えた。
そして、ロイはそれを願っていた。
しかし、その渦中に、エルリック兄弟もいたのだ。 耳に入ってきたその事実に一瞬、ロイは、本当に一瞬嘘だろうとそう思った。 鋼の錬金術師が消えた、とそう表現された言葉に。 そして、弟のアルフォンス・エルリックも旅をしてきた四年間の記憶を失っていると。

等価交換。
錬金術師の法則が真っ先に脳裏に浮かぶ。 きっと彼自身がそれを望んだのだろうと知れる。 自分自身を代償にしたのだろうと。

ロイは錬金術師として、等価交換の法則を信じていた。
が、今ロイはそれは釣り合わないとそう思っている。

「未だ、鋼のの情報は入って来ないのか?」
だから、ロイはそう言った。ホークアイも聞くだろうとそう思っているのだろうと思ったからこそ。
「ええ、入ってきません。生きているのならばいいのですけど」
そして、返された言葉は予想の範囲内のものだった、

顔を曇らせていたホークアイはロイのベッドの傍までやってきて、椅子を引き寄せる。 その椅子に腰掛け、林檎の皮を手馴れた仕草で剥き始めた。 まさか、彼女から食べさせてもらえるなど考えもしなかったことだ。 この状況に対して少し笑えるのはそれがおかしいからだ。

「そうか」

脳裏に浮かぶのは、あの夕日の下、差し出したロイの手をぱちんと叩き、別れた少年の姿だった。 確かにあのとき、覚悟が少年の瞳に映っていた。 保護するだけの子供ではないことも知っていたし、そんなことを望んでいないことも知っていた。 それでも、あのとき視界に捕らえた子供は間違いなく自分と肩を並べるほどに成長しているのを感じた。 数々の経験が成長を促したのだと知れた。 だからこそ、消えた、とそう聞いたとき、信じられなかった。 きっと彼は目的を達するだろうとそう思っていたから。 しかし、次々と入ってくる情報にそうなのだとそうなのだと受け入れるしか術がなかった。

「帰ってきたら言いたいことがあるんだが」

帰ってきたらという表現は妙なのかもしれない。 しかし、ロイにはその言葉が1番すっきりとした。 足を止めずにただ前を向き歩いていた少年の帰りをいつもロイは待っていた。 待ち疲れた頃にいつの間にか顔を出す少年を。

だってそうじゃないか。
あれだけ弟の為にと動いていたのに、その弟を残していくなど考えられないではないか。
そう、口元だけでロイは笑う。
何処にいるのかはわからない。
しかし、わかることはある。
きっと今頃帰る算段をしているに違いないと。

だから、お帰り、とそう言ってやりたい。 そうしたら、少し変な顔をするかもしれない。 それでも、ただいまとそう言ってくれるのはないかとそう思う。 意外に律儀な子供だから。

ああ、とふとロイは思った。
こういう感情を何というのか、ヒューズに教えてもらったことがある。
いなくなってから気付いた。





私はあの子供が好きだったらしい。