男の名前を知るまでにそう時間はかからなかった。 男の名前ははロイ・オーベルトと言った。 名前まで同じなことに、奇妙な符号を感じてしまう。 何処かでアメストリストとこの世界は繋がっているのだろうか。 顔を上げるとそこには白い雲が浮かんだ空が広がっている。 久し振りに見た空だったが、何も変わっていなかった。 それなのに、と比較してしまう自分をどうしたら、やめられるのだろう。

顔を合わせるとあからさまに嫌な顔をするエドワードにオーベルトは苦笑いを浮かべた。 あ、似てるとそう思ってしまう自分にエドワードは嫌になった。

「私は君に嫌われるようなことをしたかな?」
苦笑い混じりにそう言うオーベルトをエドワードは睨みつけた。
「存在自体が」
「それは手厳しい」
ははと笑うオーベルトからエドワードは目を背けた。 どうしてこれほどまでに自分と接点を持とうとするのだろうとエドワードはオーベルトに聞きたかった。 しかし、聞けば落胆するのがわかっていた。 それほどまでに自分は強くなどない。

「あんたさ、暇人なの?」
「いや、暇人ではないさ。でも、そうだね、暇人なのかもしれないね」
「何だよ、その曖昧な答えは」
「少し研究が行き詰まっていてね、君と話しているのはいい気分転換になる」
「ふうん」
じゃあ、とエドワードは話をしようかとそう思う。
きっと男にとっては突飛にしか過ぎない話を。

「アンタさ、今、時間ある?」
エドワードは目をつけていた酒場に視線を送った。 その意味を的確にオーベルトは理解したように思う。 酒場は人で溢れていた。 今の情勢を考えれば当然のことなのかもしれないとそう考える余地が出来た。 様々な人が集まり、酒を交わしている、そんなテーブルの一つに空きを見つけた。 今の政府に不満を持ち、未来を憂いている男たちが口々に世論を説いていた。 エドワードとオーベルトはビールを頼み、腰を落ち着けた。 店員から直ぐにビールが届き、二人して、口をつけた。 元々、エドワードは酒に強い方ではなかったが、抵抗なく口に出来た。 きっと、アルフォンスが見たら、怒ったことだろう。

「アンタはさ、学者なんだろう?」
「助教授だな」
助教授、とエドワードは呟いた。
何となく、この男は教授なのだと思っていた。 ロイが野心を抱いているように、この男もまた上を目指しているんだろうかと、ふと思った。
「パラレルワールドって知ってる?」
「ああ、平行世界というやつだな。」
合点がいくという顔をするオーベルトにエドワードは次いで言葉を継げた。
「オレはこの世界の人間じゃない」
「何だって?」
そう言うロイの目が僅かに瞬いた。 その反応が見たかったのだとエドワードは自嘲交じりに笑って見せた。
「こことよく似た世界だよ。ただ、向こうでは錬金術が発展してた。こっちの科学技術の代わりかな。 戦争も起きてて、決していいところとは言えないけど」
「君は私が思っていないようなことを口にするね?」
「オレ、あんたに初めて会ったとき、大佐って言っただろ?あんたは向こうの世界にもいたんだ」
「なるほどね」
「嘘だって思わねえの?」
「君が嘘を吐く必要が何処にあるんだ?」
柔らかく笑ったオーベルトの顔が見えない。 真意がわからない。 可哀想な子供の次には一体何を思ったのだろう。 木製のテーブルの節目にエドワードは睨みつけた。
「帰る方法はあるのか?」
「わからねえけど、今それを探している」
「君は」
そうオーベルトはどこか遠くを見ながら言った。
「何で帰りたいんだ?」
「え?」
頭がおかしい人間だと思われればいい。 関わろうとしなくないような、そんな人間に思われれば、とそう思ったのだが、どうして、この男は自分の隣に未だいるのだろう。 何故言葉を止めようとしないのだろう。
「帰りを待っている人がいるんだ」

帰らなくては。そうしなければ、アルフォンスの無事が確かめられない。

「此処で暮らすわけにはいかないのか?」
「そんな、わけにはいかない」

不意に焦慮がエドワードを襲う。 どうしなければならないのか、そのことを考えていなかった日々が思い出される。 衝撃が収まったというのに、自分はどうして動かなかったのだろう。 ホーエンハイムも未だ帰って来ていない。
だから――。
だから――?
帰らなくてはならないというそんな思いだけが先走っている中、エドワードは何もしていなかった。 その事実に打ちのめされる。

エドワードは掌をぱんと合わせてみる。 それは慣れ親しんだ仕草で、自然なものだった。 乾いた音が鳴るが、やはり、何も起こらない。 突然のエドワードの行為に、オーベルトが眉を持ち上げた。

「どうしたんだ?」
「別に、何でもない」

わかってるんだ。わかってるんだ。
ここはアメストリスではないということを。
エドワードはぐいと一気にビールを煽る。
咽喉を通り過ぎる熱が熱い。

「おい」
あまりアルコールに強くないことに気付いているからか、オーベルトが止める。
「大丈夫だって」
「何が…」

視界がぐらりと揺れたのを感じた。
意識が遠ざかるようなそんなことを思った気がする。
そういえば、最近まともに食事をしていなかった、そのことに気付いたのは後からだった。