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「未だ仕事が終わらないんですか?」 上官である筈のロイを睨みつけるのは、側近であるリザ・ホークアイだ。 「もうすぐ終わるよ」 ははは、と苦笑いをしてみせると、睨みつける視線が鋭いものに変わった気がした。 「期限は今日までなんですからね。あと二時間で仕上げてもらいます」 溜息を吐くホークアイに、猶予期間をもらったのだとそう解釈する。 ホークアイはそのまま、ロイが片付け終わった書類を持って執務室を出て行った。 書類を提出しに行くのだろう。 ほっと溜息を吐く。 机の上には書類が山積みなっている。 厚さが少しでも減っただろうか、と定規で測りたくなった。 執務室に一人きりになって、昨日のこと、そして今朝のことを思い出した。 普段とは少し違った時間をエドワードと過ごした。 子供に戻ったような、そんな時間だった。 自分がエドワードに特別な感情を持っているかもしれないことは薄々わかっていたつもりだ。 キスは二度目だった。 流石に二度目となると、冗談では済まされない。最初にキスをしたのは、それが自然だったからだ。 一緒にベッドに入ったから、温もりが錯覚させたのかとそう思った。 女性ではないことを知っていたのに。 しかし、二度目は――。 好きか嫌いかとそう聞かれたら、好きなのだろうとそう思う。 何となく、執務室の窓辺に置いてある雪ウサギに目を向けた。 真っ白いウサギは日差しによって、少しずつ形が壊れていく。 輪郭は既に形を失っていた。 まるで、今朝の出来事は夢だったのだと言わんばかりだ。 私は、とそう思う。 夢にしたくないのだろうか。 エドワードとはひとしきり、雪で遊んでから、別れた。 またな、とも挨拶をしたりしなかった。 何故だろう、それが寂しく感じられたのは。 がちゃりとふと執務室の扉が開いた。 ノックもなしに現れるのは、大概限られている。 誰だ、とそう思って顔を上げれば、エドワードがいた。 いつもと変わらない赤いコートに黒い上下。 「鋼の。どうしたんだ?」 エドワードが執務室に来る理由がわからなかった。 既に報告書は提出済みで、読みたかった資料も読んでいる筈だった。 「雪ウサギが」 その言葉に、ロイは窓枠を見遣った。 ところどころ雪が溶け、もうウサギの輪郭は残っていない。 ただの雪の塊になってしまった。 エドワードの視線も雪ウサギに向けられていた。 「どうなったかとそう思ったんだけど、やっぱり溶けちゃったか。雪だし」 諦めた口調ではあるが、さっぱりしたものだ。 そうだ、雪は溶けるものだ。 「そうだな」 「中尉に怒られなかった?」 「怒られていないよ。君も一緒にいただろう?」 「後から怒られたんじゃないかってさ。仕事の邪魔してごめんな」 そんなことを聞きたくなかった。 この子供との間に境界線が引かれているような、そんな気がしたからだ。 「楽しかったよ。君と一緒に遊んでたのは」 何故か訂正がしたかった。 「雪で遊ぶなんて子供の頃みたいだった」 エドワードは「そうか」と一言だけ言って少しだけ安心したように笑った。 それを見て、自分と同じ気持ちだったのではないだろうかとそう思った。 言いたいことはそれだけだったのだろうか。 それでも、何故かエドワードは執務室に足を縫いとめられたかのように動かない。 所在なさげに視線をさ迷わせているエドワードに、ロイは話し掛けたりが出来なかった。 「じゃあな、俺もう行くわ」 「ああ、そうか」 ホークアイがそのうち、執務室に戻ってくるだろう。 そして、今それぞれ仕事に出かけている部下たちも戻ってくる。 もし、今、話をしたいことがあるなら、今しかなかった。 エドワードはまた直ぐにイーストスティーを出て、自分たちの目的の為に何処かに行くのだろう。 エドワードが背中を見せた途端、ロイは無意識に声を掛けていた。 「鋼の」 「何?」 朝、仕事に戻ろうとしたロイを引き止めようとしたエドワードのことを思い出した。 同じ気持ちだったのだろう。 今日が終わってしまうと。 「今日は未だ東部にいるんだろう?」 「雪で列車がストップしているし」 動けないのだとエドワードは言う。 「そうか」 だったら、とロイは何かを期待して口を開いた。 「一緒に夕食を食べないか?」 返答はわかっているのに。 「何で俺が大佐と」 普段どおりのエドワードだ。 それでいいのだろう。 今朝、エドワードに対して感じたのは、これまでの保護者としての気持ちの範疇外でしかない。 何故そんな気持ちになったのか。 「その通りだな」 軽く笑ってそう応える。 ペンを軽く握り、再び書類を向き合う。 今日中に仕上げなくてはならないのだと先ほどホークアイに叱咤されたところだった。 書類に目を通そうとしたところ、遮るようにエドワードが口を開いた。 「あのさ」 「何だね?」 「言ってなかったけどさ。俺、二、三ヶ月北部の方へ行って来る」 「手がかりがあったのか?」 昨日、今日とそんな話は出なかった。 「いや、多分違うと思うんだけど、確かめに」 「ほう?しかし、信憑性はあるんだろう?」 「わからねーけどどな。ないより、ましって感じの」 「そのときには、もう春になってるな」 「うん、何か1年経つのって早い」 春。 その季節になる頃にはこの少年の目的は達成されているだろうか。 弟の身体を取り戻し、自身の片手片足を取り戻し。 時間の移ろいは一定のものだ。 しかし、時間は有限ではない。 限られている。 時間が足りない、と目の前の少年だったらそう口にするだろう。 「だから、大佐に会うんだったら、春かな?」 もう会わないといいけど、とそうにかっと笑う少年が憎らしい。 そこには自分が目的を達成したら、の前提が入っている。 「そうか」 春になればいいとそう願う気持ちは冬を過ごしていものが味わう者特有のものだろうか。 「待ち遠しいよ」 そう言うと、目の前の少年が少しだけ困惑し、その後、ぶすっと顔をした。 嫌味な奴、とそう口の中で呟いたのが聞こえた。 彼の、いや、彼らの目的が達成できないことを意味しているからだ。 それでも、その後の言葉を取り繕わなかったのは、口に出した言葉が本音だったからだ。 春が早く来てくれればいいと。 そうしたら――。 → |