◆daily sumus TOP ◆トルコ紀行1 ◆トルコ紀行2 ◆トルコ紀行4
2005年12月4日(日)トルコ行進曲!
●朝食はこのホテルも最上階のダイニングルームで摂ることになっているようだ。昨日からずっと霧が立ちこめている。晴れていれば眺めがよさそうなのだが。町並みも南欧的である。むろんビミョーにテイストは違っているけれど。

食後、一休み。部屋のTV(チャンネルは「atv」アー・テー・ヴェ)では「ベイブレード」という日本製アニメ(テレビ東京)をやっていた。十時出発。日曜日なので高速道路はガラガラだ。途中、給油したガソリンスタンドにホンダのカッコいいオートバイがあった、と思ったら、白バイだった、いや青バイである。パトカーは白と青と両方あるようだ(違いは知らないけど)。

そのスタンドの端っこに犬がつながれていた。写真を撮ろうとして近寄ったら、だんだん後じさりして、ついには犬小屋の中に引っ込んでしまった。番犬にならない気弱なヤツ。犬小屋の造作を見よ、トルコにおける人間様の住処と基本的には同じだ。軽量レンガを積み上げて屋根を渡しただけである。
(あれ? へんなトーヨージン、こっち来んなヨ・・・)
(目を合わさないでおこう、しらんぷり、しらんぷり)
(わがはいは孤独と平和を愛するのだ)
十二時にはイスタンブルのオメル氏の店(かいます、あそこ)に戻ることができた。数日の留守だったけれど、ものすごくなつかしい感じがした。なにしろ1500キロメートルは走ったはずだ。とりビーならぬ、とりチャイ(とりあえずチャイ)を一服。さすがトルコである。なにかというとチャイを飲む。角砂糖を二個くらいは入れる。ウンチク、初めは入れていなかったが(日本では紅茶に砂糖を入れない習慣なので)、だんだん砂糖を入れた方がおいしいような気になってくるから不思議なものだ。このチャイ用の独特な形のコップを「チャイ・バルダーウ」という。


昼食は例によって、フランスパン風のトルコパン、ライス、麦トマト炒め、サラダ、そして羊肉のトマト唐辛子煮込み(ピリ辛味)。
食後、一行七人にオメル氏のパートナーであるスージーさん(アメリカの美術学校でファッションを学んだ経歴をもつそうだ)も加わって、新市街にある軍事博物館へ。トルコは朝鮮戦争のときに朝鮮半島へ出兵していたそうで、その特別展示を行っていたが、はっきり言って武器や制服、戦闘シーンを描いた絵画などを見て回っても、まったくつまらない。Bさんと二人でさっさと一周してしまった。で、しょうもないから出ようか、と言うと、Bさんが「いや、コンサートをやるんですよ、それを聴かないと」と言い出すので、あわてて守衛さんに英語で尋ねる。英語は得意じゃないらしいが、しょっちゅう尋ねられるに違いなく、「バンド?」と一言、あとは手振りでまっすぐの右、で十分伝わった。それでもみょうに奥まったところでやるので、もう一度尋ね、やっとたどり着く。他の一行はとっくに座席を占めていた。「何やってたの?」たって、何も言ってくれないんだもの、帰りたくもなりますよ。
トルコの軍楽隊についての教育ビデオ上映が三十分ほど。そのあと実演。たしか以前、向田邦子のTVドラマ「阿修羅のごとく」でタイトル曲になっていたはずで、その音色が脳裏に焼き付いていたのだが、まさにその音楽に違いない。みょうになつかしい。大太鼓、ティンパニィ、二連の小太鼓、トランペット、笛、鈴、コーラス。その他に旗持ちの兵士が数人。二度に分けて何曲か演奏し、最後にもっとも有名な、ジャンジャ〜カ、ジャン、ジャンジャカ、ジャンジャンジャン・・・になり、フィナーレは突撃の喊声と乱打。いや、なかなかの迫力だった。今、観光化してこれだから、全盛期はさぞすごかったろうと思う。暗くて写真がうまく撮れなかったので、スケッチを掲げる。
中央のティンパニィと指揮者
オスマン時代にはスルタン直属の親衛隊イェニチェリというのがあった。いわば旗本である(大奥といい旗本といい、オスマン朝と徳川幕府は似た制度を採用している)。このイェニチェリの兵士が派手な羽根帽子を被り、鬚を鼻の下だけに長く伸ばすというファッションをしていたそうだ。イェニチェリが政治に干渉してくるようになってオスマン朝は衰亡へ向かったという。
イスタンブル初日に泊まったホテルにふたたび入る。しばらく休息してから、やはり初日に行ったケバブ・ハウスで夕食のテーブルを囲む。メニューは初日とほとんど同じ。オメル氏の店で知り合いになった若い男性も参加。彼は二十二歳ながら、ボスポラス海峡に海底トンネルを掘るという工事を日本のある大手ゼネコンが請け負って、その下請け(孫請け?)の会社から派遣されている、ちゃんとした身分らしい。一月から来ているそうだ。もうひとり、スイス人の若者(十八と言っていた)で世界漫遊中のハリー・ポッターくん(眼鏡をかけた感じがそっくり)も。彼は近々イランへ向かうそうで、そこから東南アジアを経て、今年の夏ごろに日本上陸する予定だとか。若いときにしかできない旅だなあ。
2005年12月3日(土)空中都市でござ〜る
●さすがに疲れがたまってきた。ノドがいがらっぽい。寝るときのマスク(これは飛行機の中も有効なり)、日中のチューングガム「キシリッシュ・ハイパークール」(明治製菓)は欠かせない。五箱持参したけどもう半分なくなった、ぎりぎりもつかどうか。ホテルのベランダからモスクが見えていたので、朝がまたうるさいだろうなあ、と心配した。しかし、一分くらい「ウ〜、ウ〜」と唸っただけですぐに止んだ。
ホテルから見えるモスク
朝食まで、例によってミュージックTVを見る。ターキッシュ・ポップスの巻。男性はひと昔前のジョージ・マイケルみたいにセクシー系、胸はだけ系で迫ってくる。失恋、未練歌が続いていたように思えた(歌詞不明でも想像はできるでしょ)。女性は、ジャジイな曲もあるけれども、大半は演歌ぽい恋歌で年齢関係なく、真っ黒なアイラインで眼を強調している(とくに熟女はキツイ)。みんな顔が同じように見えてしまう。
九時から朝食、食後すぐに出発した。昨日の旧市街をにょろにょろと道を間違えながら通り抜けて、アクロポリスへの登坂道へ入る。両端が舗装されておらず、どうみても、バスがやってきたら対向できそうもない。ぐねぐねと登って行くと見晴らしがきわめて良くなってくる。入口前の駐車場に十時十五分到着。ワンコが日向ぼっこ。こんな冬場でもアメリカ人、スペイン人、ドイツ人、そして日本人の団体が次々訪れていた。

アレクサンダー大王の遺産を受け継いだ都「ベルガマ」については、まったく下調べも何もしていなかったので、見晴らしがいいところだなあ、というだけの感想だった。遺跡といっても、さほど驚くようなものはない。断片的に復元して公園のようになっているだけだ。ネットなどで調べたことをメモしておくと、下記のようになる。
ベルガマ(ペルガモン)はアレクサンダー大王の死後、腹心の部下リシマコスが支配した。しかし、シリアとの戦争に敗れ、戦死したリシマコスに代わって部下のフィレタイロスが実権を握り、紀元前281年にベルガモン王国を築いた。フィレタイロスの甥、アッタロス朝のエウメネス一世の時代にはローマと協力し、シリアを撃破し中央アナトリアの覇者となった。交易ルートを握った王朝は、その豊かな財力を使って神殿や王宮を建設し、また芸術の保護と育成に力を注ぎ、第二のアテネといわれた時代もあった。その後、王国はローマ帝国の自由都市としての立場となり、紀元三世紀頃まで繁栄を続けるのであるが、ローマの弱体化に追随して徐々に衰退。八世紀にアラブ人の侵攻に遇い、それ以降以は衰退の一途をたどった。
標高335mのアクロポリスの頂上付近、更には中腹と麓全体には、多くのヘレニズム文化とローマ時代の遺構が無数に残されている。アクロポリスの丘頂上にある「トラヤヌス神殿」は、ローマ皇帝・ハドリアノスが前皇帝・トラヤヌスのために、紀元二世紀半ばに建造したものである。めぼしい発掘品はドイツ人に持ち出されてしまい、ベルリンの博物館に収蔵されている。


ピラカンサ(ギリシャ語で「炎+棘」)

下界を見下ろすと・・・神々になった気分(?)
オメル氏はこの景色を見て、「こんなところ住みたいなあ」とためいきを吐いていたが、ぜったいイヤだ。昔の人だってここで生活するのは骨が折れたと思うよ。祭祀と政の場所としては適当かもしれないけれど。この斜面に円形劇場が作られている。山肌に向かって石の座席が扇形にせり上がっている。パフォーマーは緑の丘陵を背景にした舞台の上で芝居なり演説なりを行うわけだ。借景を通り越して、「大根! ひいっこめ!」とかヤジがトンできたら、すぐに突き落とされそう。
どやどやと日本人の団体客がやってきた。五十人前後はいるだろうか。先頭で案内しているトルコ人のガイド、こなれた日本語だ。「ハイ、みなさん、ここに立ってみてください、ここから、ウンヌンクンクヌン」、オメル氏が途中でちょっと声を掛けると、なんだか、ガイド・コンテストで一等賞を獲ったおじさんなのだそうだ。どうりで。ドイツ語や英語のガイドもさすがに流暢だった。言葉そのものがウマイ下手よりも、トルコ人は基本的によく喋る。イスタンブルに向かっている機内から、何人かのトルコ人が、ず〜っと、愚にもつかない雑談をしていたのが、耳について困った、いつの間にか、スチュワーデス(女性のフライト・アテンダント)も加わって三人で長々話し込んでいた。声は大きいし、まったくガイド向きだと思う。
およそ一時間、暖かだったので、ゆっくりできた。入口のところまで降りると、駐車場の前にある土産物の売店が騒々しい。後から来た日本の団体さんも下山は一緒になったから、さあ大変。書き入れどきとばかりに、客引きが始まる。
「バザ〜ルでござ〜る、バザ〜ルでござ〜る、バザ〜ルでござ〜る」
「やすいよ、やすいよ、バザ〜ルでござ〜る」
もちろん、このままの日本語で怒鳴るのだ。中学生くらいの少年も肩から絵葉書(プリンターで出力したようなやつ)を垂らしながら、
「バザ〜ルでグざ〜る、バザ〜ルでグざ〜る」
その勢いの良さ。思わず団体さんの何人かは立ち止まって衣料品などを手に取ろうとしていた。オメル氏は「バザ〜ルでグざ〜る」は初めて聞いたと笑い転げていた。
●そろそろと坂を下りて、ベルガマの町を通り抜ける。どうやら、イスタンブル方面へ引き返すようである。行き先はAさんとオメル氏が相談して決めるという、じつに行き当たりバッタリの旅。海岸沿いの町で給油し、城壁を見ようとして道に迷って断念。そのまま北へ海岸沿いの山道を疾走。今、地図で見ると、その海岸あたりから、レスボス島が近くに見えたはずである。レスビアンの語源になった島。曲がりくねってトラックと対向するので気が許せない。かなり走ったところで、ドライブインのようなレストランで昼食。またもや午後三時になっている。相も変わらぬメニューだが、味はそこそこだ。かなり広い食堂の奧正面に大画面テレビがデーンと鎮座している。どうやら近隣の人間が集まってサッカーなどを見るようだ。

羊肉のステーキ、サラダはニンジン、紫キャベツ、キュウリ、レタス、トマト、ピーマン、ほとんど定番。肉は薄味なので好みで塩を利かす。ビールはどこで飲んでもエフェスという銘柄だった。イスタンブルで一度ドイツ・ビールを見かけた(飲んだわけではない)外、すべてこのエフェス・ビールだけ。エフェスは先日のローマ遺跡のエフェスだそうだ。
ウンチク「ほかにビールはないの?」
オメル氏「これが一番おいしいよ」
どうやらこれと決めたら変えないガンコさもあるようだ。ついでにこのレストランのトイレをご披露する。

奧の便座の横にある黒っぽい容器は水を流すためのもの。右手に水道の蛇口が見えている。トルコの水洗はだいたいがこのスタイル。ここはきれいな方である。どうも水道の管が細いのか、工事があまり上手ではないのか、水が漏れていることが多い。シャワーの栓がゆるいのはすでに書いた。どこのホテルもドアの締まりがピシッとしないというのも、同じような原因からよって出る国民性かもしれない。
さらに車は走る走る。このあたりがトロイだと教えられたところは、海岸から丘陵になっていて、ここ何日か見慣れた田舎風景と同じだった。「トロイ」(ペーターゼン、2004)という映画では砂漠のように描かれていたけれど、ひょっとして当時はそうだったという仮定は否定しないものの、このへんの海岸風景からはあの映画のシーンは想像できない。
チャナッカレという町からダルダネルス(Dardanelles)海峡を渡るフェリーが出ている。ダルダネルスは、黒海からボスポラスという狭い水路(すなわち食道)を通ってマルマラ海(胃のようなもの)に入り、エーゲ海へと続く、その途中の十二指腸みたいな細長い水通である。フェリーで渡るのに十五分ほどしかかからない。そのフェリーの小汚いトイレが有料だった。0.5YTLだから四十五円ていど。マルマラ海で最初に乗ったフェリーは無料だったけどなあ。
船室は禁煙。窓の外は夕焼けから釣瓶落としのように闇に変わっていった。若い女性や親子連れがたくさん載っており、賑やかである。二歳ぐらいの男の子が船室内をぐるぐる歩いてまわっている様子は、日本の連絡船と何ら変わらない。スカーフをしているような女性もいなかった。東欧や南欧に似た雰囲気だ。
海峡を渡れば、もうそこはヨーロッパ(じつに分かりやすい)。海岸からすぐに山道に入り、霧が濃く立ちこめてくる道路をどんどん走る。ある場所ではほとんど十メートル先が見えるかどうかというほどだったが、そんななかでもドライバー氏は勢いよくトラックを追い越して突っ走る。生きた心地がしなかったぞ(後で聞いたら、日本人は全員、肝を冷やしていたらしい)。およそ二時間半でテキルダという町に着く。投宿。ホテルの前にマシンガンを抱えた警官が立っていて「おいおい、大丈夫か?」と思ったら、そこは警察署だった。
歩いて一分のところにある大衆食堂へ。子供たちがジロジロ見る。どうやら日本人が珍しいらしい。豆のスープとハンバーグを注文。ふと、隣のテーブルを見ると、大柄な警官が腰に拳銃を光らせながら飯を食っている。親指ほどの大きさのハンバーグがテキルダの名物だそうだ。なかなか美味だった。黄色いのがレンズ豆のスープというかお粥のようなもの。赤い汁の皿は唐辛子の漬物。これは日本でも食べたことがある。とにかくムチャクチャ辛い。オメル氏もドライバー氏も大好物だそうだが、「今、食べると、明日が大変なので止めておく」といって端きれをちょこっとつまんだだけ。こちらも小さいのを一口だけ。ガオ〜!! 右の手前、犬のウンチのようなのがハンバーグ。横に添えられているのはクスクスに似た感じだったが、麦飯のトマトケチャップ炒めというところ。ちなみにクスクスは北アフリカの「パスタ」だそうだ(だから麦にはちがいなかろう)。このくらい食べて、七人で35YTL(一人450円ていど)。
