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2005年12月6日(火)さらば、さらば
●朝食を済ませ、オメル氏の店へ荷物を預ける。考古学博物館をひとりで再訪。ギリシャ・ローマの彫刻をゆっくり見ておきたかった。メモしながら写真を撮る。死せる人々よ、さらば。さすがに蓄積疲労がずっしりと重くなってきたので、十一時半にはオメル氏の店に戻る。スージーさんがmixiのコミュニティを運営しているというので、そこからメールを発信しておく。「KAYMAZ&COイスタンブール」というコミュニティである(mixiに参加されている方は覗いてみてください、トルコ情報はここがいちばんと思う)。
サッカー・ライターのワタナベ氏にトルコの話をいろいろうかがう。神戸にやってきて、すぐに帰った王子さまことイルハン選手はイスタンブルのクラブチームで活躍中だとのこと。ただし、そのチームはかなり下位らしい。そういえば、ホテルのスタッフにも「サッカー選手のイルハン知ってるか?」と英語で聞かれたなあ。

オメル氏の店へ出前をとって、最後の昼食。チャイ。午後三時にオメル氏とともに全員でワンボックス車に乗って空港へ向かう。道路脇にピカソ展の開催を告げるポスター(のぼり)が目立った。トルコにおける外国人アーティストとしては初めての大規模な回顧展だということだ(〜2006/3/26)。空港に入るときに、金属探知器をくぐったが、ベルトまではずさなければならなかった。出国ゲートでオメル氏と別れる。「また日本で会いましょう。お世話になりました」。搭乗ウィングで二度目のボディチェック。十七時三十分搭乗開始。十八時離陸予定が、滑走路の混雑により、三十分以上遅れる。すっかり夜のとばりが下りて、離陸したときには、イスタンブルの夜景が、ほんとうに、宝石を鏤めたように見えた。ふたたびこの景色にまみえることがあるだろうか。
2005年12月5日(月)正しい絨毯の売り方(買い方)
●朝、CNNを見たりして過ごし、朝食のあと、オメル氏の店へ集合ということになる。皆より少しだけ早めに出て、もう一度、古い街を歩いてみる。この写真のように半地下の部屋をよく目にする。オメル氏の店もそうなっている。パリなどにもあるが、Aさんによれば、建物の構造上の問題だという。基礎を作らない建物なので、この方がしっかりするのだとか。

とりチャイのあと、スージーさんの案内で、Aさん以外の四人はグランド・バザール見物に出発。歩いて十五分ぐらいのところ。こちらの注文で、まず、古書店街を訪れることにしてもらう。サハフラー・チャルシシ(Old
Book Bazaar)。グランド・バザールの入口と反対側の路次を入ると両側に書店が連なる通りがあり、その先の狭い広場を囲んでも書店が軒を並べていた。規模としては、大阪天満宮の古本市を想像してもらえば、案外、近いものがあるかもしれない。店はそれぞれ、観光客用の版画や地図を売るところ、新刊書店のようなところ、コーランを店頭に並べているところ、ディスカウント的な店、いろいろありそうだった。



グランド・バザールは、狭義にはカパル・チャルシュ(屋根のある市場)のことだが、元来は、広大な敷地に建てられた二つのベデスタン(いくつも小ドームのある石造りの建物に商店がひしめいている)、無数の商店の並ぶチャルシュ(市場)とハン(隊商宿)のすべてを意味する。オスマン帝国が一四五三年にビザンツ帝国を滅ぼした後、メフメット二世(在位1451〜1481)が建設した。その後、オスマン=トルコ帝国全盛時代のスレイマン一世(在位1520〜1566)によって拡張され、現在の姿になったのは十八世紀初頭だとされる。かつて、イスタンブルは、ヨーロッパとアジア・アフリカを結ぶ通商のカナメとして膨大な商品が流通したのである。

上の写真、正面の白い建物から右手がグランド・バザール。白い建物に沿って進み左手路次へ入ると古書街がある。下はベデスタンの内部。迷路のように入り組む通路には4〜5000もの店がひしめき、金属製品(銀と金の製品が目立った)や宝石、陶器、絨毯や皮革製品などなど、多種多様な品物(主に観光土産)が売られている。

スージーさんの話では、ベリーダンスが日本で流行っている(?)そうで、その衣装を調達に来る日本人がけっこういるそうだ。ダンスの衣装ばかりを扱っている店があった。ほとんど何も興味惹かれるものはなかったけれども、唯一、チェスやその他のゲーム・セットを売っている店には、余裕があれば、入ってみたかったような気もした。タヴラ(Tavla、バックギャモン)のボードがなかなかに美しかった。
グランド・バザールは本当に通り抜けただけ。その後、Dさんが香水を奥方に買うというので、ちょっとおつき合いし、中心街の路次にある食堂で昼食。ピーマンの肉詰めなど。こちらの大衆的な店はどこも、入ったところに料理を区分けして並べているので、それを幾つか選んでライスならライスに掛けてもらって一皿にする。あとは飲み物とサラダ。
オメル氏の店に戻る。フィリピンかららしい女性二人の客が入ってくる。シャバン君があれこれ出して見せる。端で見ていると、なかなか目利きのようだ。単なる旅行者ではなく、仕入れに来ているのかも知れない。欲しいというのは高く、シャバン君が進める安物はハナにもかけない。しばらく見ていて出ていった。
われわれ一行も明日は帰国なので、お土産をあれこれ調達することになる。当方は土産は買わない主義。自分のためだけに欲しいモノを選びたいと思っていた。オメル氏の案内で近隣の商店へ皆で出かける。キリムの端切れを靴やカバンなどに使った小間物店へ。さらに山羊の毛で織ったパシュミナを大量にまとめ買いする者も。これはかなりいい。Aさんなど何度も足を運んでいるので、はっきり言って、そうとう安く買っていた。
こちらはイスタンブル初日から丸い小さい帽子が気になっていた。オメル氏に尋ねてみると、友達の店にあるはずだと言って、連れて行ってくれた。アラスタ・バザールというブルーモスクの隣にある商店街。そこの中の衣類などを主に扱っている店で天井にいくつか飾り付けてあったのを下ろしてもらう。一見して気に入ったが、二種類のうちどちらにするか少し迷う。どちらも三十七ドルだという。手染めで手縫いなので、オメル氏が交渉しても負からないとのことで、両方とも思ったが、片方だけにする。ウズベキスタンとか、そちらの地方のものだという説明だった。

オメル氏の店にもどって、いよいよキリムを見せてもらう。キリム(kilim)とは何か、ということは kilim.com
に詳しいので参照していただきたいが、カーペット(いわゆる絨毯)とちがって、ケバ(pile)のないつづれ織(平織の一種)のラグである。素材は羊毛。起源は、ペルシャ、トルクメニスタン、アナトリアあたりで、古く紀元前数千年頃から作られていたらしい。「キリム」はトルコ語だが、その元はペルシャ語だともいう。

まず、とにかくキリム売りは、店の壁際に畳んで積み上げてあるキリムや絨毯をどんどんどんどん客の前に拡げて行く。客が、「これ、ちょっといいな」と言うと(言わなくても、表情で察して)、それは横にどけておく。下の写真はキリムを広げながら値段を告げるオメル氏。少し色の薄いキリムが彼の店で最も高価だそうだ。たしか2,500ドルと言っていた(絨毯で一番高いのは3,500ドルだった、九十年前の品だとか)。
高額商品の目安は、まず古さ。古いということは手織であり、天然染料(インディゴ、マダーなど)を使用している。天然染料は時とともに退色するし、洗濯などにも弱い。だから天然染料で保存状態が良いものが一番高価である。百年経っていれば博物館ものとか。壁に小振りな新しそうなキリムがあった。「これは古いよ、二十年は経ってる」とオメル氏は言うが、日本の染織品で二十年は古い内に入らないだろう。少なくとも江戸はないと。ただ、百年以上経っていると、キリムに限らず、トルコから持ち出せない決まりになっているらしい(いろいろ手はあるようだが)。
その意味で、キリムを買って十年も大事に使えば、買ったときよりも高価になっているという計算も成り立つのである。以前、パリでトルコ人のおじさんの店で買ったときも、「いつでも引き取るし、傷んだら直しに持っておいで」と言われたことを思い出した。

店にあるだけ全部を広げ、そのなかから、その十分の一ぐらいの数を絞り込んで、さらに選別して、五六枚になると一度に見渡せるように並べる。そこから、これとこれとこれ、三枚まとめて買ってくれたら幾らにする、などという交渉が始まるわけである。

とにかくこちらは財布がかる〜いので、選ぶ基準の第一は値段である。キリムの伝統的な模様にはそれぞれ意味があるが、どちらかというと、今回はキリムらしくないものに目が行った。買ったのは下のストライプ。オメル氏の故郷の近く、ということはアナトリア東部のクルド人の地域、で作られた品物だというのが決め手。185ドルとのことだったが、帽子を買っていたので183ドルしかドルがなかった。もち、負けてもらう。ついでにキリムのクッション・カバーも一枚オマケしてくれた。オメル氏の店はAさんの顔だから、ぼられるということは、さほどないだろう。しかし、呼び込みなどで入った店では要注意。次々拡げて見せてくれるからと、つい根負けして買ってしまわないことだ。本当に買うつもりがあるなら、何軒も品定めをしなければならない。そうしているうちに、シロウトであってもそれなりに、だんだん相場が見えてくる。
(部分)
買い物もしたので、全員一旦ホテルに戻る。八時前に、オメル氏の自宅アパートへ。夕食に招かれたのだ(いいお客さんだから当然でもあろう)。ホテルから歩いて一分くらい。ただし、すごい階段だった。ホテルと同じ螺旋階段。四階まで上るのがヒヤヒヤものだった。アパートは、かなり広いワンルームとダイニングキッチン、風呂トイレ洗濯兼用スペース、といった間取り。トルコ式なのだろう床の上に布を敷いて、食べ物を並べてある。それを主人が客たちに取り分けて饗応する。料理はスージーさん(書いてなかったかもしれないが、日本人女性、江戸っ子である)が作ったもの。オメル氏が教えたそうだ。ただし女性は同席しない。しないように努めていると彼女も言っていた。手前中央の皿はお好み焼きに似た食物、次は魚の揚げ物、奧は鰯のフライ、左手は野菜の煮物、ピクルス、茄子の煮物、右手前が例の麦ご飯、サラダ、など。

先日のハリー・ポッター君がこれからイラクに向けて出発するといって別れの挨拶に来る。オメル氏に借りていたというドカ靴を返していたが、そのへんがすごいね。とにかく若者の無事を祈る。十時半ごろ引き揚げる。