■読む人
■6月6日(月)〜11日(土)正午から午後8時(最終日午後5時まで) カロ・ブックショップ・アンド・カフェにて「読む人OSAKA」を開催します。東京展出品作にさらに追加して展示する予定です。
■蘊蓄斎ナイト開催決定! 6月6日(月)午後6時〜8時 カロ・ブックショップ・アンド・カフェにて。
1「読む人」についてのスモール・トーク
2
赤貧・山本善行+ブッダハンド・扉野良人+林蘊蓄斎による「古本蒐集の極意/最近の収穫披露(自慢)」
3 歓談タイム、古本なんでも相談・質問タイム
4日までに参加予約された方に福袋進呈(!)予約はこちらからsumus_co@yahoo.co.jp
当日参加も大歓迎です。参加費無料、ただしドリンク等のご注文をお願いいたします。
■あなたの読む姿スケッチします会 6月11日(土)正午〜5時 ※会期中、会場に作者がいる場合は随時受け付けます。A5判一枚3000円也。
2005年5月31日(火)東からくずれてくる午(ひる)書を曝す
貴ノ花はやはり一九七〇年代を代表する存在だった。上位力士には強いが下位力士にコロコロ負けることが多く安心して見ていられなかった。今朝のワイドショーで、引退直後に、妻、小学生の息子ふたりと寿司屋のカウンターに並んでインタビューを受けているシーンが流れた。その会話のなかで、妻が次男(後の横綱貴乃花)に「この子はやさしくて、土俵で弱い相手に手加減するんですよ」というような意味のことを夫に告げていた。貴ノ花は「相手は必死なんだから手加減しちゃだめだよ」と諭していたが、今見ると、これは後の花田ファミリーひいては若貴時代の相撲界を考える上でたいへん示唆的な遣り取りじゃないか(!)。
大岡昇平『昭和文学への証言』からもうひとつ。芝書店の話が出ているので書き留めておく。青山二郎の装幀本を集めているとけっこう芝書店はひっかかってくる。
《芝さんは本来は目黒の河上徹太郎の家の近くの古本屋さんで、河上が小遣銭をつくりに本を売りに行って、顔見知りになったのである。前から季刊「小説」の世話をしていたが、河上の処女論文集「自然と純粋」(昭和七年)を出したのが、単行本の処女出版だった。》p55
古典社『古本年鑑1935』によれば、芝書店の住所は《品川区上大崎二ノ543》、また『一九三八年版文芸豆年鑑』(作品社)によれば当時の河上徹太郎の住所は《品川区五反田五ノ七八ノ一》である。『小説
Roman』第一輯は一九三二年春発行、第三輯(同年秋)までは出ている。また翌三三年二月に恒久版『小説』限定二五〇も出したようだ(ともに日本近代文学館蔵)。この芝書店から昭和九年に河上訳『悲劇の哲学』が発行されてシェストフ・ブームが起こった。
《同年末までに九版を重ねている。その頃の一版の基準は大体千だが、時によって五百や三百を一版と勘定したこともあるから、全体で八千ぐらいだったと芝さんは言う。シェストフ・ブームと言っても、たかが知れていたのである。》《しかし芝書店のような手工業的小出版社にとっては、文字通り目を廻すような事件だったので、結局はシェストフのために書店の規模がふくれ上り、人件費もかさんで、三年後にはつぶれることになったのである。》p55-56
《芝さんは昭和十年から「生活」という雑誌を始めたが、これには河上などはタッチしていない。主な執筆者は本田喜代治、内山健など、「唯物論研究会」その他一種の転向グループである。本田喜代治などははっきり「文學界」に対抗意識を出して論文を書いている。当時は本や雑誌に左翼が入って来るときまってその本屋は潰れてしまったもので、芝書店も例外ではなかったわけだ。》p56
八千部を売ったことが芝書店の経営を肥大させ、ひいては倒産につながった・・・というのは疑問だろう。八千ぐらいでどうこうなるものでもなかろう。それより、これが甘い体験だったことは間違いなく、ビギナーズ・ラックに近いものだった。夢よもう一度(?)が破滅を導いたと考える方が妥当かと思う。また『生活』の第一巻第一号は昭和十一年一月発行である(日本近代文学館蔵)。
例によって安直ながら出版リストを作ってみた。牧野信一の代表作二点を含む刊行書の概要を知ってみると、大岡の左翼云々についての断言はどうも偏見が勝っているように感じられる。『新潮日本文学アルバム 吉田健一』に芝書店主が写っている集合写真が載っていたはずだ(今手元にない)。吉田訳・ポオ『覚書』出版記念会のときだろうかと思ったが、吉田健一が写っていないので断定はできないと西村義孝氏よりご教示あり。リストの訂正・追補はこちらへsumus_co@yahoo.co.jp
自然と純粋 河上徹太郎 昭和7年9月20日
文芸評論 アンドレ・ジィド 昭和8年1月15日 限定版アリ
文芸評論 続 アンドレ・ジィド 昭和8年3月20日
エチユード ジヤック・リヴィエール 昭和8年10月20日
ドストエフスキー論 アンドレ・ジイド 昭和8年12月1日
悲劇の哲学 レオ・シェストフ 昭和9年1月28日
文芸評論 続々 小林秀雄 昭和9年4月15日
物質と悲劇 フリートリヒ・ニイチェ 昭和9年6月15日
虚無よりの創造 レオ・シエストフ 昭和9年7月5日
ボオドレエル芸術論集 中島健蔵 佐藤正彰 昭和9年10月20日
思想の秋 河上徹太郎 昭和9年11月20日
チエーホフの手帖 チエーホフ 昭和9年12月15日
異境と故郷 正宗白鳥 昭和9年12月25日
学校学級統整の根本的革新 関勝男 昭和9
実践読方教育 高橋喜藤治 昭和9
性教育と優生問題 兼子常四郎 昭和9
綴方の心理学 スターチ 昭和9
作家論 テエヌ 昭和10年3月20日
ゲエテ トオマス・マン 昭和10 年5月17日
叡智 ポオル・ヴェルレエヌ 昭和10年6月20日
ユリイカ エドガア・アラン・ポウ 昭和10年8月10日
リルケの手紙 リルケ 昭和10年9月10日
覚書(マルジナリア) アラン・ポー 昭和10年11月15日
コント研究 本田喜代治 昭和10
うつろひ アンドレ・モオロア 昭和10
ラモオの甥 ディドロオ 昭和10
鬼涙村 牧野信一 昭11年2月25日
酒盗人 牧野信一 昭11年3月18日
マルチンの罪 バフメーチェフ 昭11年4月20日
女に賭ける ラモン・フェルナンデス 昭11年4月25日
獄中からの手紙 エルンスト・トルラア 昭11年5月20日
精神の将来 ヴアレリイ 昭11年6月20日
意志の悲劇 ヤンコ・ラヴリン 昭和11年9月10日
現実派作家論 アーサー・シモンズ 昭11年9月23日
中村光夫評論集 昭11年10月23日
二葉亭論 中村光夫 昭11年10月23日
日本の橋 保田与重郎 昭11年11月21日
深淵の諸相 阿部六郎 昭11
道徳・宗教の二源泉 ベルグソン 昭11
古典美術の再批判 ヴェルツマン 昭11
自意識と恋愛 D.H.ロレンス 昭11
芸術とヒューマニズム T.E.ヒューム 昭11
音楽と思索 山根銀二 昭和23
新今昔物語 菊池寛 昭和23
プチ・ブルジョア. 上巻 バルザック 昭和23
プチ・ブルジョア.
上巻 バルザック 昭和23
音楽と思索 山根銀二 昭和23
Xへの手紙 小林秀雄 昭和24年7月30日
冥途 内田百間 昭和24年10月15日
母の手毬歌 柳田国男 昭和24年12月8日 学友文庫
フランス文学. 第1 フランス文学会 昭和24
りんごのお化 佐藤春夫 昭和25年2月15日 学友文庫2
Sさんよりお手紙。《どのような文章よりも一枚の写真の物語る真実に勝るものはない! でしょうか》《それにしても中也の写真は、死体のように見えませんでしょうか》とあった。《写真》とは朝日新聞5月26日号掲載の中原中也がかやの上でまどろんでいる写真のこと。時期は特定できないようだが、福岡県東郷町の高森文夫宅に遊んだときに撮られた。高森は中也を兄のように慕っていたようだ。没後の第二回中原中也賞を高森は杉山平一とともに受賞している。
大岡昇平『昭和文学への証言』に、中原とつき合っていた長谷川泰子(小林秀雄とも同棲していた)が《子供を連れて金持の崇拝者と結婚した。彼は泰子を神様のような人だと言っている。彼女の赴くところ、どこへでも中原がちゃんとついているのが特徴で、青山の「独特の女友」という呼称は、正確である。中原が死後、三年ばかり続いた「中原中也賞」は、その金持の懐から出たものだ。》(P125)と書かれているのを読んだところだった。
長谷川泰子については佐々木幹郎『中原中也』(ちくま学芸文庫、一九九四年)の「文庫版あとがきにかえて」が出色。やはり独特な女性だったようだ。彼女は一九九三年に八十九歳でなくなっている。『新潮日本文学アルバム別巻 昭和文学アルバム1』(p87)に彼女の全身写真が出ているのをたまたま見つけた。
Sさんは『野田書房臨時通信』のコピーも入れて下さった。これは貴重な資料。野田誠三が「中原中也氏逝く」という文章を載せている。
《氏の訳業「ランボオ詩集」が大変売行きよく、再版しようかななどゝ呑気に考へて居た矢先、突然、氏の死亡通知に接した私は文字通り愕然と驚いた。「父中也儀予て病気の処二十二日午前零時十分死去仕候間……」読み下す黒枠付きの葉書である。父中也と呼ぶ遺児は、享年三十一歳である筈の中原君にとつて、ああ未だ這ひ這ひをやつとするか、しないか位のいたいけな坊やではないか!》
『ランボオ詩集』が大変売行きよく、とあるが、これは野田らしい誇張表現と思って間違いない。大変よければ、考える必要はない、即増刷だろう。中原訳としては『ランボオ詩集 学校時代の詩』が昭和八年に三笠書房から出ている。戦後すぐ伊達得夫が刊行した『ランボオ詩集』はこれら三笠版と野田版を合わせたものだという(長谷川郁夫『われ発見せり』p176)。中也の遺児愛雅(よしまさ)は昭和十一年十二月誕生、十三年一月没。なお野田が《いたいけな》と使っているのは「いたいけない」とするところ。この「ない」は否定ではない。
大貫伸樹さんがブログを始められた。装丁探索に興味のある方は必見である。
山本一生『[増補]競馬学への招待』を読み継いでいる。ちょうど、ハイセイコーが、一九七三年、単勝66.6パーセントというダービー史上最高の支持率を出した(p163)・・・というところを読んだ直後に、昨日のディープインパクトの73.4パーセントが記録されてしまった(さっそく書き入れ)。そのときハイセーコーはタケホープに敗れたのだが(単勝51.1倍)、ディープインパクトは余裕の勝利。
アセテート編集者日記を覗くと「蘊蓄斎(ひらがなでよんではいけません)ナイトに呼ばれる」とあって苦笑。先日いただいた『ピラネージ建築論 対話』(アセテート、二〇〇四年)を読了した。ピラネージ(1720-78)は版画「牢獄」(ボルヘス『異端審問』晶文社の表紙)で知られるが、自らは建築家を名乗っており、この書物にはピラネージ設計のプリオラート聖堂の写真が掲載されていている。けっこうカッコイイ建物だ。ただ、対話のなかで建築装飾の重要性を主張しているにしては、図版を見る限り、その装飾は取って付けたようで、訴えてくるものが乏しい。幾何的な潔癖さの方に惹かれる。
『ピラネージ建築論 対話』アセテート、二〇〇四年
西村氏より佐野情報メールあり。《佐野本関連で2件、蒐集できました。1冊目は、「SANO」PIERRE DESCARGUESを入手しました。佐野の斎藤寅郎宛ての署名献呈本です(横文字サイン)。斎藤寅郎の美術、建築関連蔵書が市場に出て、そのうちの1冊とのこと。アンカット、ハガキつきです。モノクロ写真もある冊子です。2冊目は、佐野本リストに入れておりました『男性飼育法』(婦人公論付録)が手に入ったのですが、島田しづ子の装幀、カットであることが判明し佐野本リストより削除しました》・・・そうか、『男性飼育法』はウンチクも持っているが、うっかり佐野本にリストアップしてしまったようだ。よ〜く見ると、佐野よりもタッチが少しおとなしい。
三宅艶子『男性飼育法』(婦人公論付録)
Mさんより古書メール。《古書展3日目にやっと出かけることが出来ました。10時過ぎでものんびりしたものです。甲鳥書林の本を2冊。『高原』川端康成と『向日葵』安騎東野どちらも函付で500円。後者に矢倉年の献呈署名。ラッキーでした。》・・・谷町古本まつり(大阪古書会館)のことですね。古書蒐集、熱心に勝る極意なし!
大丸心斎橋の戸田勝久展を見る。編集者のTさんと合流。一緒に四つ橋筋まで歩き、昼食。スタバで雑談。午後一時になったので、貸本喫茶ちょうちょぼっこへ。タコシェ出張販売と古本市「ボブ」開催中。佐野繁次郎題字の『婦人画報』など買う。小冊子『ボブ』ミニコミガイド2005をいただく(ウンチクは寄稿者なので)。他に、岸田浩章、南原四郎、金城静穂、今日マチ子、今柊二、塔島ひろみ、旭堂南湖、さくらい伸、shachi、しばた・なおみ、ポポタム、近代ナリコ、きじまこう、束松陽子、野中モモ、竹村真奈、南陀楼綾繁、赤田祐一、いのまたせいこ、土井章史、畠中理恵子、綿貫真木子、石川あき子、山下賢二の各氏が寄稿していて、かなり濃〜い「ミニコミ」への思いが詰まっている。500円にて販売中。
肥後橋まで地下鉄。カロ・ブックショップ・アンド・カフェへ。「ひろすけ童話絵本
原画展」開催中。網中いづる『むく鳥のゆめ』、nakaban『ないた赤おに』、牧野伊三夫『子ざるのかげぼうし』(いずれも集英社)の原画展示。新鮮でとてもいい。絵本の絵という手垢みたいなものがほとんど感じられない。
「読む人」の展示方法、搬入についてなどを石川さんに確認し、風邪気味なのでブラッドオレンジジュースを摂取す。牧野伊三夫編集・発行『四月と十月』8号(四月と十月編集室、二〇〇三年四月)を購入。500円。表紙が気に入った(絵=金田実生)。
『四月と十月』8号(四月と十月編集室)
昨日の「宿」という夫の呼称についてNさんよりご教示いただいた。《「宿」を珍しい例にあげられてました。確かに現在では聞きませんよね。でも「宿六」=やどのろくでなし、となると、今でも通用します。悪貨は良貨を、ではありませんが、やはり悪口の方が、後の世まで生き残りやすいようです。/よくは知りませんが、「宿」=主人、亭主のこと、は江戸から明治ぐらいまでは、まだ生きていた言葉のようです。ちょっと古い落語でも使われてますので、庶民言葉なのでしょう。この「やど」、実は今でも使われていて、骨董屋さんは市場の主催者を主人、という意味合いで、「やど」と言いならわしています。》
なるほど、で手近の古語辞典で調べてみると「やど」は『桜陰比事』や『冥途飛脚』でも用いられているようで、前者では「夫」、後者では「あげやの主人」の意味だという。それにしても、「宿六」、「甚六」(柳樽)、「贅六」(浮世風呂)、「助六」など「六」がつく名前には蔑称が多い。ロクがあってもロクデナシ(陸でなし)というわけか。
『銀花』夏号の「自著を語る」に『読む人』が登場(p193)。また戸田勝久さんの京都案内に湯川書房や山崎書店が紹介されているが(p145)、山崎さんの看板はうちの息子が書いた文字だ。他に「創刊号の貌」という岩波コレクションの紹介もある。
『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』(石鍋真澄、平凡社、二〇〇五年)を読む。口絵に「聖ヒエロニムス」の絵が二点掲載されていて、どちらにも本が描かれている。本とヒエロニムス(342?〜420)は切っても切れない関係にある。多くの肖像画は読書する姿で描かれている。というのもヒエロニムスはヴルガータ
vulgata 聖書を翻訳編纂した人物で聖書の普及に大きな貢献をしたとされるからだ(vulgata
とは「一般の、公衆の」を意味する)。荒野で修行したり、ライオンを手名付けたりした逸話が『黄金伝説』では語られているが、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語に通じて、異教の書物を含むすばらしいライブラリーを所有していたという点がもっとも強調されているように思う。
「聖ヒエロニムスと寄進者」部分
ピエロは十五世紀の画家だからこういう本を描いているが、ヒエロニムスが本当にこんな蔵書をもっていたのかどうか? シナイ写本が同時代の書物ということになるけれど・・・。
2005年5月26日(木)喉荒れて五月の風の薄荷沁む
三月から催しが続き、多少疲れが出たのか、喉が痛い。斜向かいが内科医院なのですぐに診てもらう。オシリに注射、喉に薬を塗られる。土曜日には大阪へ出る予定。今日明日はおとなしくしておこう。
早稲田古本村通信で「蘊蓄斎ナイト」の告知をしてくれている。向井くん、ありがとね!(ご予約はお早めに)sumus_co@yahoo.co.jp
備忘録を読むと、鈴木信太郎と小沼丹の妻の呼び方(呼鈴を鳴らす)、とくに小沼に対して不平が洩らされている。例えば、石川淳宅では石川が「おい家来・・・」と声をかけると奥さんがお茶を持ってきたそうだ(江國滋が田沼武能から聞いた話、『図書』一九九五年七月号)。呼鈴と家来、どっちも主人と使用人の関係だな。
一時、夫婦の呼称(他人に対して互いの連れ合いをどう言い表すか)を調べてみたことがある。家内、主人、細君、同居人、連れ合い、相方、じいさま、ばあさま、主殿、うちの人、たくの主人、などいろいろだった。珍しいと思ったのは、薄田泣菫『茶話』の「宿」(妻が夫を)、泉鏡花『草迷宮』の「爺殿」、織田作之助『夫婦善哉』では二十歳の妻を「おばはん」、瀬戸内晴美『かの子撩乱』にかの子が岡本一平を「パパ」、田村隆一『鳥と人間と植物たち』に海軍では細君のことを「KA」と云う・・・など。
一九九九年のアンケートでは、四十代以上が「1家内、2女房」「1主人 2お父さん」、二十代が「1妻 2(名前) 3女房 4嫁さん」「1主人 2旦那」という結果だった。
細君(妻君)の「細」は「小」の意味で小君のこと。小君は愚妻と同じで、自分の妻を卑しんでいう謙譲語。だから基本的には他人の奥さんに「細君」と用いるのは誤り(目下の者の妻に用いることはある)。
『論語』巻八季氏第十六には邦君(君主)の妻などの呼び方について書かれている。邦君は妻を「夫人」と称する。夫人は自分のことを「小童」と称し、国民は「君夫人」と称し、外国人に対しては「寡小君」と称し、外国人は彼女のことを「君夫人」と称すなり。
ちなみにわが家では・・・「ナベツマ!」、てわけないじゃない。
2005年5月25日(水)老犬の足さだまらず薔薇こぼす
陰の文庫王(?)・吉田氏より、島尾敏雄文庫についての情報をいただいた。よって角川文庫『贋学生』1979年を追加し、角川文庫『夢の中での日常』を1973年に移動した。↓ご参照あれ(5月22日欄)。品切れ文庫というページもご教示いただいた。感謝です。
EDI藤城氏より地下展関連の写真とCD-Rが届く。アッという間に五月も終わろうとしているのが信じられない。
夕方、近所の画材店へ額縁を注文に行った。入るなり、ご主人が「おお!」と声を上げた。「?」。先日の古書店レッテル・コレクションの取材記事が夕刊に載っており、ちょうどそこを読んでおられたらしい。すっかり忘れていた。帰宅して目を通してみると、内容は心配したほどでなく、まずは無難にまとまっている。ただし、新刊しか読まないなどとしゃべった覚えはない。古本を買ったからといって読むわけじゃないと言ったまで。誇張して面白く書こうとするのはいいとしても事実を曲げてはいけません。
その画材店に「ミヒャエル・ゾーヴァ展」のチラシがあった。美術館「えき」KYOTO(6/8〜7/3)。ゾーヴァは『ちいさなちいさな王様』(ハッケ、講談社、一九九六年、原著は一九九四年刊)で知られるようになったドイツのイラストレーター。映画「アメリ」でアメリの寝室にかかっていた犬の絵がゾーヴァ作だ。その映画を見たミカンの兄(つまりわが息子)が「あれはエリザベス朝の犬か?」と。た、たしかにエリザベス・カラーではあるが・・・
2005年5月24日(火)夏草にうしろ姿の老いてゆく
ミカン、このところ元気がない。まだ11歳なので老い込むには早いのだが、手術はやはり大きな負担になったか。
「蘊蓄斎ナイト」参加申し込み受付開始。にとべさん第一号です。
掛野氏のブログ備忘録。淡々とポイントを衝く記述が連なっていて感心する。
『彷書月刊』6月号。町の五・七・五、俳句特集。巻頭、小沢信男さん、坂崎重盛さん、石田千さんの座談会、スローなかんじでいい(坂崎さん、『論座』6月号で拙著『帰らざる風景』を取り上げいただき深謝です)。長谷川耕樹「俳句の家」は、デイリー・スムースで何度も話題にしてきた「はせ川」について、内部から語られている貴重な文章。長谷川氏は長谷川春草の孫、古書長谷川書店を銀座で営んでおられる。石塚友二が小説集『松風』(小山書店、一九四三年)を出版したときの記念パーティの写真があって、横光利一、小林秀雄、永井龍男ら全員集合、ちょっと壮観なのだが、この会場が「はせ川」ではないかと推測している。この記事を読んで、その中に写っている女性の一人が長谷川葉さんではないか、などと妄想をたくましくする(写真は『新潮文学アルバム
横光利一』掲載)。「グレちゃん」が通っている長い地下道は地下鉄四つ橋線肥後橋駅から中之島の方へ抜ける通路のことだね、きっと。
石塚友二『松風』小山書店、一九四三年
『sano100 佐野繁次郎とその装釘』(ユトレヒト・ホンデルト、二〇〇三年)の改訂版を入手。「佐野繁次郎に会いに行こう」という折り帖のリーフレットが付いてきて大いに喜ぶ(先日、カフェ・ド・ポッシュの催しのとき壁に貼ってあったのだ)。
『黄金の馬車』10号届く。戸田勝久さんの夢のようなクノップフ追跡譚をまず読む。そうそう、明日25日から大丸大阪心斎橋八階美術画廊で「戸田勝久展―風の森便り」が開催されるのだった(〜31日まで)。古河荘吉氏の正岡容についてのエッセイを次に、「荷風読んでさびしき日かな昼寝かな」(正岡容)。四釜裕子さんの街景を切り取った写真がたのしい。
『黄金の馬車』10号、書肆啓祐堂
丸善京都店が九月末で閉店することに決まったそうだ。1907年に三条通麩屋町に開店(ときおり誤解されるが、梶井基次郎が「檸檬」で描いているのはこの最初の三条店である)、1940年に現在地(河原町通蛸薬師上)に移転した。京都新聞。
2005年5月23日(月)緑陰にスキー板出す月曜日
月曜日は大型ゴミ収集日。スキー板が今頃なぜか一枚だけ、古い絨毯などといっしょに置かれていた。
昨日の島尾敏雄文庫リスト、にとべさんのご協力によりさらに訂正と追加をしました。セドリのご参考まで。
晩鮭亭さん、大西巨人さんの文庫本を宣伝していただいて感謝です。ウンチクも『神聖喜劇』は表紙画を提供することになって初めて読んだ。めちゃめちゃ面白かった。あまりに長大(光文社文庫で全五巻)なので躊躇してしまいがちだが、上質の中間小説というかミステリーである。EDI叢書の最新刊『畔柳二美(くろやなぎ・ふみ)三篇』の解説に大西氏が畔柳を高く評価していたと書いてあってなるほどと思った。苛つくような心理描写の巧みさには共通するところがある。
鈴木地蔵さん主宰の雑誌『文游』24号(文游社=埼玉県飯能市新町27-15)が届く。長谷川憲一「出版文化の戦後史」が印刷所の立場から戦後の出版のポイントを摘出していて興味を引く。例えば、一九六〇年代の出版界ビル建設ラッシュのなかで、オンボロの事務所で出版を続けるいくつかの出版社があった。
《その最たるもので、これだけは社長に言われてもやめなかったのが、ユリイカという出版社です。神田神保町で伊達得夫さんという方がなさっていたのですが、急な階段を上っていくと、ギシギシいうような二階に机が四つだったかな、ありまして、机一つが一社だったんです。それで社長がその話を聞いて、そんなところはやめろといったけれども、私は伊達さんが好きだったものだからやめなかったんです。肝硬変で四十歳で急にお亡くなりになって、その時に三点ばかり組んであったやりかけの仕事があって、さて困ったなと思ったところが、その隣の机の「昭森社」という出版社で、森谷さんという方が、バルザックというあだ名だったかな、が、おれが引き受けてやるよと言ってくれて、後始末してもらったことがあります》
『われ発見せり』(長谷川郁夫、書肆山田、一九九二年)によれば、一九六〇年八月に伊達が入院したとき、《事務所の机には、かれが片づけなければならない仕事が山積みになっていた。未刊詩集を収録した「金子光晴全集」の第一巻がもうじきできてくるはずである》とあり、『本の手帖別冊
森谷均追悼文集』(昭森社、一九七〇年)の「昭森社刊行書目総覧」では、一九六二年十一月《『金子光晴全集』II(中略)ユリイカの企画(Iのみ既刊)を継承》とあり、三点のうちの一点が金子全集だったと分かる。
『文游』では小坂部元秀「下北沢の三奇人(二)」もおもしろい。森茉莉が下北沢の喫茶店「風月堂」を執筆場所にしていて、ある日、主人に原稿書きを止めてくれと申し入れられる逸話など、井上ひさしが終日原稿書きのために占領し何軒もの喫茶店を閉店に追いこんだ、という話が思い出された。
2005年5月22日(日)青梅の固きが弾く銀の露
「読む人OSAKA」展の案内状、宛名書き。本欄の最終日の終了時間が午後7時までとなっていましたが、午後5時までです。お詫びして訂正いたします。せっかくですから、初日の夕方に「蘊蓄斎ナイト」でもやろうかと考え中です。
例によって日曜の昼食は、ラトナ・カフェでカレー、そして五条の「ブ」というコース。二、三購入、特記するものなし。
近ごろ、岡崎が探しているという島尾敏雄の文庫本をネットなどで調べてみた。追補ご教示歓迎。にとべさんありがとうございます。sumus_co@yahoo.co.jp
死の棘 角川文庫 1963
その夏の今は・夢の中での日常 講談社文庫 1972
島へ 潮文庫 1972
出発は遂に訪れず 新潮文庫 1973
出発は遂に訪れず 旺文社文庫 1973
夢の中での日常 角川文庫 1973
日を繋けて 中公文庫 1976
出孤島記 新潮文庫 1976
われ深きふちより 集英社文庫 1977
島の果て 集英社文庫 1978
夢の中での日常 集英社文庫 1979
贋学生 角川文庫 1979
死の棘 新潮文庫 1981
特攻体験と戦後 中公文庫 1981
その夏の今は・夢の中での日常 講談社文芸文庫 1988
魚雷艇学生 新潮文庫 1989
硝子障子のシルエット 講談社文芸文庫 1989
日の移ろい(正続) 中公文庫 1989
贋学生 講談社文芸文庫 1990
はまべのうた・ロング・ロング・アゴウ 講談社文芸文庫 1992
夢日記 河出文庫 1992
新編・琉球弧の視点から 朝日文庫 1992
集英社文庫『島の果て』カバー=野中ユリ、『夢の中での日常』カバー=中林忠良
到来もののグリーンアスパラを食する。美味なり。
『ロゴス書店古書販売目録』(昭和三年十月)をある方よりいただく。巻末にロゴス書店の所在を示す地図が載っているのが何よりありがたい。神戸三宮生田筋に面していたようだ。開巻一番目に掲載された書物は《仏蘭西革命史図録 一八〇二年パリ刊 皮二冊 二百三十円》である。フランスのヤフー!で調べてみると、同じ書物と思われる『TABLEAUX
HISTORIQUES - de LA REVOLUTION FRANCAISE』が2002年に競売にかけられ、2500ユーロ(約34万円)で落札している。しかもこれは三巻揃い。とするとロゴス書店の二冊で230円というのは法外な価格(現在の邦貨で百万円程度か?)ではないか。ま、輸送手段その他、時代状況を考えればそんなものかとも思うけれど。
『ロゴス書店古書販売目録』
著作権のお勉強の続き。アメリカ合衆国憲法には第一条第八節に知的財産権保護に関する文言がある。《To promote
the progress of science and useful arts, by securing for limited
times to authors and inventors the exclusive right to their respective
writings and discoveries;》というもの。知的財産権(知的所有権)は工業的な所有権(パテント)と著作権(コピーライト)の両方をカバーする。日本国憲法にはこれに相当する条文はないが、「知的財産」という以上、第二十九条《財産権はこれを侵してはならない》で間に合うはず。
言い訳はこのくらいにして、今回のゲット品はダンスク片手ソースパン、14cmである。確かに上面の直径は14cmであるが、ぷっくりの下半身は16cmあり、容量も1.5Lと大きめ。ダンスクのソースパンはデザインが数種類あり、今回のは注ぎ口があるソースパンのなかで一番大きいサイズとなる(小さなタイプはバターウォーマーという名称で呼ばれたりもする)。お色はレアな渋めのオレンジ。茶色がかった落ちついた色目で、一目見た瞬間に「欲しい!」となった。
ヤフーオークションでは「即決価格」のオークションがあり、これだと、出品者の希望価格さえ納得できれば、何日もハラハラドキドキしなくて済み、即落札可能なのである。今回のソースパンは未使用とも思われるほど状態も良く、蓋がついていなかったため手頃な価格だったのも心引かれた要因だ。
ダンスクが少しずつだが増えてきている・・・。今eBayでもダンスクに入札中なのだ!! お楽しみに!!!

*バックスタンプには、70年代後期製造となるFranceの刻印がある。ちなみにナベツマ、このあとeBayでのダンスク入札は4連敗となった。
テキサス州のサン・アントニオにある Mcnay
Art Museum で「大正シック」(TAISHO CHIC: Japanese Modernity,
Nostalgia, and Art Deco marks Japan's decisive encounter with
urban, industrial, and international society. )という展覧会が開かれている。同名の画集がホノルル・アカデミイ・オブ・アーツから2002年に刊行されているが、中村大三郎の女性像が表紙になっており、今回の展覧会でもアドに用いられている。中村は昭和二十二年に五十歳で没した京都の日本画家。代表作は京都市美術館にある「ピアノ」。この展示、ちょっと見てみたい。ちなみに「chic」は英語でもシックと発音する。
ユトレヒト岡部さんより『読む人』の注文あり。大阪・梅田「ANGERS ravissant(アンジェ・ラヴィサント)」(昨年11月にオープンした「ハービスENT」内)のブックショップで5月25日よりユトレヒト・プロデュースのミニコミ誌フェアを予定しておられるそうだ。5月27日からは貸本喫茶ちょうちょぼっこで「ボブ booklet
of booklets」、タコシェの出張販売・ミニ古本市(書肆砂の書、一色文庫、ふるほんミシシッピ、Honey Bee Brand、杉並北尾堂、book-on)もあるし、カロでは「読む人」展と、大阪は楽しいぞ。
荒川トークの後でお会いした掛野氏より、横光利一関連の資料、とくに甲鳥書林の矢倉年、中市弘に関するもの、および「寺崎浩著作目録」(『論樹』18号)抜刷が送られてくる。「寺崎浩著作目録」は労作。深謝です。
大岡昇平『昭和文学への証言』(文藝春秋、一九六九年)を読み始める。少年大岡の文学上の指導者的立場にあった従兄洋吉について語っているところ、徐々に二人の立場が離れていくときの逸話が印象的だ。《洋吉さんは友人から聞いた話として、「昇ちゃん、こないだ新宿を中原って人といっしょに歩いてたろう。みんな振返って見ていたそうだぜ。あんまり柄の悪いのと歩くのおよしよ」と言った。》・・・荒ぶる中也が目に浮かぶようである。
大岡昇平『昭和文学への証言』装幀=北園克衛
午前中は画室で制作。ラジオから美空ひばりが歌うナット・キング・コールのナンバーが流れた。どうも声がジャズに向いていないような気がする。三人娘と言われた時代にひばりだけはジャズを歌わなかったと解説していたが、たしか若い頃のジャズ音源も耳にした記憶がある(むろんラジオで)。
必要あって著作権について勉強しようと思い、とりあえず『出版事典』(出版ニュース社、一九七一年)を取り出した。読み始めて、まずひっかかったのは「著作権」という用語である。明治時代の出版法では「版権」とされていたが、これは想像するに、copyright
の直訳ではなかろうか。フランス語では「droit d'auteur」すなわち「作者の権利」(著作権法は loi sur la
propriete litteraire et artistique[アクサン省略]=文学と芸術の所有権についての法律)というらしい。「auteur」は「作家、著作者」である以前に「創始者」という意味なので、作家すなわち創始者だという認識があると考えていいだろう。そして、版権(copyright
複製権)は「創始者の権利」のうちのもっとも重要な一部だとみて間違いない。これらと較べて「著作権」という言い方はかなり曖昧である。著作物に権利があるというふうにも、著作する権利というふうにも解することができるのではないだろうか。著作権法の冒頭には《著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め》云々とあるから、やはり著作権という名称は適当でない・・・などとのっけからささいなことで時間をつぶしてしまった。
米田義一氏発行の個人誌『東市場 気まぐれ通信』11号(大阪府池田市豊島北2-4-18)が知人より届く。プリントアウトした原稿をコピーしてステプラーで綴じたしごく簡単な造りだが、内容はかなり濃い。まず北尾鐐之助が編集していた雑誌『新世間』(世間社、創刊一九四七年四月)の細目および解題が労作だし、「『大阪新聞』に拾う(三)」という連載もたいへん根気の要る仕事である。両者とも鍋井克之の名前が何度も出てくるので、後々役に立ちそうだと思う。また米田氏は『伊丹万作』(武蔵野書房、1985)の著者でもあり資料収集も徹底して行われているようで、一昨年、久万美術館で開催された「生誕100年
重松鶴之助 よもだの創造力―伊丹万作 中村草田男 伊藤大輔『楽天』の仲間たち」展の感想などもある。重松鶴之助は洲之内徹が何度もエッセイで取り上げている獄死した画家。松山と転向という二点から洲之内は強い関心をもっていたようだ。
昨日、青弓社より新刊の喜多村拓『書痴迷宮』が届いていたのを読む。《本というものがどんなに人を狂わせるものか。わたしは、三十歳になって狂いました。本が三度の飯より好きで、とうとう古本屋です》とあとがきにあるが、本が好きなら古本屋になってはいけません。そんな勘違いの怨念がこの短編集を貫いている。喜多村氏、もともとは洋菓子屋だったそうだが、先日の鈴木地蔵氏の『市井作家列伝』あとがきには《和菓子職人のたつきに見切りをつけ》とあって、おかしな符合だ(オカシなって駄洒落です)。
鈴木氏が「森山啓の廉恥」で復刻版『文学界』中原中也追悼号(昭和十二年十二月号、冬至書房、一九七〇年)に森山の小説「濤声」が載っていると書いているので、書箱から同誌を引き出してさっそく読んでみた。巻頭掲載のわりにはいまいちだった。対して中也の追悼文はどれもみんなめちゃめちゃ面白かった。《「死んじまつちやあ何にもならない」「死んじまつちやあ何にもならない」と思ふと無性に腹が立つた》(菊岡久利)、《とうとう最期の友の塊りを竹箸の先きで積つてはみたが/この僕に一体何が納得出来ただらう》(小林秀雄)
勝本清一郎も鈴木氏が熱心に調べておられる物書きだが、地下展で買った勝本清一郎『こころの遠近』(朝日新聞社、一九六五年)をめくっていると島崎藤村の思い出を綴ったエッセイがあった。それによれば、藤村は品川沖や隅田川に小舟を出して、寄贈書など不要の書物を水中に投げ捨てたというのである。《藤村らしい綺麗な始末のつけかた》と勝本は書いているが、つまらない本が送られてきたときにはほんとうに処置に困る。いくらなんでも川に捨てるなんて・・・でも桂川岸を散歩しているとエロ本を纏めて捨ててあったりするから、藤村の発想と同じようなものだ。水に流すといっても土左衛門みたいに本も水ぶくれしてしまい決して綺麗じゃない。
復刻版『文学界』中原中也追悼号、表紙=青山二郎
『二十歳のエチュード』についての書誌的調査が発表されているページを田中栞さんよりご教示いただく。世の中にはたいへんな方がおられるものだ。《「書肆ユリイカの本展」を、秋に仙台の「火星の庭」で開催することにしました》とのことで、仙台方面の方はぜひご覧下さい。見事なコレクションです。
そう言えば、8日の装幀トークの終了後、小林一郎氏に声をかけていただいた。吉岡実書誌を作成していらっしゃる方である。このサイトはすごいです。okatakeの日記(5/16)に書誌ユリイカ版『吉岡実詩集』の話が出ていたが、それをこのサイトで調べてみると、例の正方形に近い判型で表紙に写真が使われているものだろうと推測できる。ユリイカの枡形本のシリーズはどれもいい。
↓東京滞在中の日記をやっとおおよそ書き終えました。ご覧下さい。
やっと上京後の雑用を片付けて、絵の仕事を再開する。姫路での展示までに少し追加を制作しておく必要がある。
東京で買った本のリストをつくる。この習慣、しばらく止めていたが、四月から再開した。一箱古本市の売上げもあったのでけっこう買っている。46冊。午後、締め切りを過ぎていたスムース文庫の古本漫画を仕上げて宅急便で南陀楼綾繁に送る。どんなものになっているのかは出来上がってのお楽しみ。
昼前に車で出かけ、まず千本通から鷹峯街道へ少し上ったとこにある Klore(クロア)というパン屋に寄り、堀川通り北大路上がるの「はせ川」でラーメンを食べる。山崎書店まで南下して「手作りART
BOOK」展に出品した本を受け取る。『萩原朔太郎写真作品のすたるぢや』(フォトミュゼ、新潮社、一九九四年)を600円で。当然、故郷の前橋風景が多いが、大森駅前の坂、そして阪急(大正七年に箕面有馬電気軌道から社名変更)石橋駅などはたいへん気になる写真だ。
「trico+」で開催されているカフェ・ド・ポッシュの第四回私的読書週間をのぞく。数々のそそられる古書が展示されていたが、ほとんどはお茶でもしながらゆっくりと読んで時間を過ごすためのもので、非売なのだった。うーん、古書は買えないとなると気持ちがしぼむ。詳しくは下記ナベツマの報告を参照されたし。帰宅途中、欲求を満たすため文庫堂へ立ち寄る。島木赤彦・中村憲吉『馬鈴薯の花』(東雲堂書店、一九二二年再版)を100円で。早稲田・文学堂書店と梅田書房のレッテルが貼ってある。じつに筋のいい本だ。初版は大正二年でこれだと数万円なのだけど。
帰宅すると鈴木地蔵『市井作家列伝』(右文書院、二〇〇五年)が届いていた。鈴木氏は『文游』という同人雑誌を刊行しておられて、何冊かいただいたことがあるが、今はたしか勝本清一郎について連載されているはずだ。奇特な方である。しおりには南陀楼綾繁も寄稿している。この本で取り上げられている作家がまたじつに渋い。中野鈴子、森山啓、木下夕爾、斯波四郎あたりについてはほとんど何も知らないのでぜひ昧読してみたい。「耕治人の孤影」をまず開くと、武蔵野書房・福田信夫さんのことが書かれている。昔、岡崎武志といっしょに国分寺駅近くの同書房を訪ねたことがある。「西の編集工房ノア、東の武蔵野書房」と川崎彰彦さんが呼んだというだけあって、福田さんは文学浪人という風貌だった。この折りにうかがった話など、ぜひ出版すべきだと思ったほどに面白かった。右文書院からは年内にもセドロー向井くんの本が出るらしいが、きっといい本になるだろう。
本日ナベツマは京都白川の trico+ さんにて開催されている展覧会におじゃました。cafe de poche を主宰されている小西さん(勇敢にも京都スムース友の会に参加)と、その友人のコトコさん、吉野さんによる「衣・食・住」をテーマとした私的読書週間の展覧会だ。書物を中心としてその他様々な雑貨も展示してあり、お茶をしながら眺めることができるという美味しいイベントだった。もちろん食に関連しているので鍋の出品もあり、コトコさんが最近落札したキャサリン・ホルムの紺ポットが非売品として展示されていた。きゃあ素敵、超キュート!
おんやあ、その鍋の中を覗いてみると、そこには・・・、Nabe Quest じゃあありませんか?? ありがとうございます!こんなところに登場させていただいて幸せものです、はい。

展覧会 cafe
de poche vol.4「衣・食・住」は、来週木曜・金曜と続きます。詳しくは、http://blog.drecom.jp/cdp/
キャサリン・ホルムは以前ここにも紹介したことがあるが、ホーロー製品はノルウエーで作られており、特に取手が金属枠という珍しいデザインだ。ポップなデザインが北欧風で、ひとつあるとお部屋が楽しくなることうけあい!!
留守中の雑用を片付け、礼状などをしたためる。『海鳴り』17号(編集工房ノア、二〇〇五年)届く。涸沢氏があとがき「たわごと少々」で石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』(新宿書房、二〇〇五年)に触れている。この本は入手したいと思いながら、まだ果たしていない。地下展でも売っていたのだが。杉山平一さんの講演記録「三好達治の詩と人柄」に初めて三好を小石川の借家に訪ねたとき、《格子戸の上に名刺が表札の代わりにペターッと貼ってあって、なんとなくがっかりしました》そして本は縮刷の漢和辞典が一冊あるだけだったというような思い出を語っている。『海鳴り』、海文堂書店などでは無料配布コーナーに置いている。
街の草さんより、本をつぶしたので、といって古書店レッテルが届く。十三書房(阪急十三駅前)など洒落たものだ。深謝です。
図は淀川にかかる十三大橋だろうが、今よりずっとシンプルだ。
昨日の夕刻、京都に戻った。京都駅に降りて地下鉄に乗り換えると、みょうに人々の動きが鈍いような印象を受けた。それだけ東京は忙しいのだろう。昨日出した荷物がもう届く。
今日もギュウ詰め中央線。「にこごり」状態と呼ぶそうだ。十時に古書会館着。まずは絵を降ろして梱包し、すむーす堂の荷物もパックしてしまう。それなりに売れたのだが、同数以上買ったので段ボール箱の数は減らず。参加書店さんたちは本などの商品の他に会場の備品をすべて片付け、清掃もするので大変だ。十二時過ぎまでかかる。二階ギャラリーの大貫さんも三日間会社に行ってないといいながら梱包を終え、電話をしていた。現在、大貫コレクションも出陳されている「装丁浪漫―ブックデザイン懐古」展(さいたま文学館)が開催中(〜7/31)で、6月18日には大貫氏の講演「近代装丁の歩み―明治から昭和初期まで」が予定されている。
中野、西秋、森井、大貫の各氏と昼食を摂り、地下鉄の神保町駅前で別れる。終わってみればアッと言う間でした。お世話になりました。
京橋まで出て、楢橋朝子さんの個展(ツァイト・フォト・サロン、〜5/19)をのぞく。水面すれすれの目線で捕らえた風景写真。ウンチク、泳ぎは苦手なので溺れているような錯覚あり。会場はブリヂストン美術館の裏手になるが、この辺りを歩くのはかなり久しぶりだ。学生時代にはよく来ていた。ブリヂストン美術館の土曜講座に通ったこともある。
そこから日本橋のCOREDO日本橋まで歩く。な、なんと丸善のビルが無くなっている(!)。立て替え中というか更地になったところのようだった。2007年春再開店とのこと。コレド日本橋での目当ては「メゾンカイザー」のパンである。ナベツマはパン好きなので、他には何も土産はいらぬ、メゾンカイザー(今東京一と言われている)を買ってこいという指令が届いていた。ちなみにこれは日本経済新聞2月19日号「何でもランキング/通が食べたいパン店」という記事を参考にしてのこと。メゾンカイザーは第二位にランク(ちなみに一位はカロさんにもほど近い大阪西区靱本町の「ブランジュリ
タケウチ」だ。行列がすごすぎて買えないらしい)。じつは、8日の古書会館8階でのパーティに出ていたパンがメゾンカイザーのものだったと中野さんから聞いていたので、味見は済ましていたとも言える。たしかにバゲットはうまい。香りが違う。ただ、メゾンカイザーはチェーン店、大手資本だから、いつまでこの味が保てるかというのが正直なところ。ジャムも買ったが、こちらはバツ。
東京駅からのぞみの自由席で京都に戻る。スーツ姿の女性がとなりの席に座った。丸善の紙袋がパンパンになるほど本を買っていた。横目で見ると東京案内とか岩波文庫だったが、ずっと車中で読みふけっていた。こちらはぐったりしてうつらうつらの状態。彼女も京都で降りた。
中央線で出勤。ギュウギュウ詰めの満員電車は何年ぶりだろうか。今日はさすがに来客も少なくゆったりしている。西秋氏とカフェで雑談。UBCカタログ掲載の貴重書などを見せてもらう。堀口大学がパリで発行した短歌の紹介書『TANKAS』(Editions
Du Fauconnier, 1921)などポール・フォールの序文が入っていてとても興味深いものだった。西秋書店から買った中では、伊達得夫編集の原口統三『二十歳のエチュード』(前田出版社、一九四七年)が高額だった(といっても知れてます)。ただしカバー欠。田中栞女史の「伊達得夫と『二十歳のエチュード』の出版」(『紙魚の手帳』29号、東京エディトリアルセンター、二〇〇四年十一月)によれば、女史の架蔵本の検印紙には「Coppee」(最初のeにはアクサンテーギュ)と書かれているそうだが、ウンチク入手本には「Mephisto」(?)と記されている。
『二十歳のエチュード』初版本の検印紙(前田出版社、一九四七年)
他には版画荘文庫の伊藤永之介『春遠し』(版画荘、一九三七年)傷アリを1500円で。松本が熱心に集めているのも分かる。いい造りだ。高柳重信『山海集』(冥草舎、一九七六年)1200円、大岡昇平『昭和文学への証言』(文藝春秋、一九六九年、装幀=北園克衛)200円、渡辺一夫『空しい祈祷』(学徒援護会、一九四九年再版)500円などは嬉しい収穫だった。
伊藤永之介『春遠し』版画荘文庫
石神井書林の内堀さん来場。しばらく雑談。本を装幀の面からしか捉えないという話にショックを受けた、内容は全く関係ないとなると本の見方が一変する、など日曜日の装幀トークについての感想うかがう。紀伊国屋書店の『アイ・フィール』に連載を開始されるようだ。興居島(ゴゴシマ)屋の石丸澄子さん見える。石丸作のポスターは古本酒場コクテイルに常設されることになったという。西秋氏に紹介され、ささま書店の野村氏と立ち話。なるほど、こういう青年があの均一を作り出しているのかと、なんとなく納得できた。
六時半終了。映画のトークあるが、そちらはパスして神楽坂へ向かう。間村さんと飲む約束をしていた。平凡社ライブラリーから『増補・競馬学への招待』(二〇〇五年)を出したばかりの山本一生氏の内輪での出版記念会。担当編集者の松井氏、新潮社の八尾氏、光文社の鈴木氏(岡崎にばったり会った話はokatakeの日記に出ている)に山本氏の知友お二人が参加。いい会だった。山本氏の著書は競馬をほとんど知らないウンチクが読んでもけっこう引き込まれる内容だ。松井氏にはやはり出来たばかりの石鍋真澄『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』(平凡社、二〇〇五年)をいただく。厚冊の研究書。巻頭にカラー口絵でピエロの全作品が掲載されている。《ちょうど有元利夫が連作《私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ》を提出して、東京芸術大学を卒業したのと同じ一九七二年三月に、私はピエロに関する卒業論文を書いて、大学を卒業した》とあとがきにある。
また、もう一冊、間村さんの装幀した福島泰樹『月光忘語録』(砂子屋書房、二〇〇五年)もいただいた。じつはこのカバー(および扉)に印刷されている豆皿は、先年、間村さんが京都へ来られた折り、ウンチクが差し上げたものだった。江戸でもわりあい古いものだと思う。間村さんは意識しなかったと言っていたが、それは福島氏の絶叫ライブ(於・磔磔)のときだったから、ちょうど辻褄が合っている。なお豆皿だから実寸は径五センチにも満たない。
福島泰樹『月光忘語録』砂子屋書房
思想詠などなかったのだよ旗はまた小林なして移りゆくのみ
さびしさや五月の風や放埒や 花を捧げに男ともだち
帰らざる時の彼方を漆黒の雨はたばしり居るのであろう
上村一夫と飲みし新宿花園の 黒いインクの雪ならなくに
今日は九時過ぎまで寝坊して、十一時頃まで日記など書いてごろごろ過ごす。すこし休養がとれた。十一時半に中野家を出て、この機会に荻窪のささま書店をのぞくことにする。うわさに違わず、表の均一コーナーは昼休みのサラリーマンなどで賑わっていた。白水社の新しい世界の文学シリーズは北園装幀なのでキープ。しかし表よりも店内の方がはるかに印象的だった。中公文庫がズラリと並ぶのもあっぱれ。美術、写真あたりをざっとなめて、日本文学の棚で立ち止まる。『風報』百号記念号(「風報」編集室、一九五二年十月)1050円を発見。関口良雄「古本」が掲載されている(『昔日の客』収録)。海外文学へ移って、マンディアグル『黒い美術館』(生田耕作訳、白水社、一九六八年)525円。ミショー『試練悪魔祓い』(小島俊明訳、思潮社、一九六四年、カバー=瀧口修造)1575円。そして小海永二『現代フランス詩人ノート』(書肆ユリイカ、一九六〇年)。これはさすがにウン千円だったが、むろん買いである。ま、こんなところで十分に満足。
小海永二『現代フランス詩人ノート』書肆ユリイカ
古書会館へ着くと、月の輪さんが来ていたので、西秋氏と三人で食事に出る。月の輪さんらしくないオシャレなフランス料理店「サル・ド・ルポ」へ案内される。今、晶文社から出る予定になっている本を執筆中らしいが、どうも例によって遅れ勝ちだとか。予定では佐野衛さんの本と同時発行だそうだ。久々の著書で楽しみ。次の目録は三田平凡寺がテーマとか。三年後を目指して(ということは五年後になる)解読と補充に努めているという。いつもながら気の長い目録作法である。月の輪さんのおごり。ゴチです。
西秋氏は会場に戻り、月の輪さんは彷徨舎に広告の原稿を届けに行くというので同行する。名前が変わってから初めての訪問。田村さんはもとより、女性の片岡さん以外、全員丸刈りという硬派な編集部(?)。ちょうど青木正美氏が連載の原稿を届けに来られる。近々古書通信社から弘文荘反町茂雄についての本を出されるそうだ。来簡の引用が難しいという話など。
古書会館に戻る。水彩画が三点売れていて、なんとかこれで赤字は出さずにすむ。松本八郎、藤城さんら来場。荒川洋治さんがちょうど東京堂書店で新詩集『心理』(みすず書房)にサインをしているというので、地下展で販売する分を受け取りに東京堂の六階へ松本に同行する。会議室のようなところで佐野店長と荒川さんがサイン中、百冊積み上げられている。地下展用は七冊と控え目だった。
会場に戻り、松本、岡崎、山本、矢部登氏らと雑談。樽見博氏と挨拶。『少々自慢この一冊』(EDI)に執筆者全員のサインをもらうという不可能に挑戦する男・西村氏が、この機会にと来場、いつも佐野情報では世話になっているので、宮内淳子さんと竹内栄美子さんを紹介する(といっても宮内さんに一度お会いしただけ)。その後さらに曾根博義氏、蜂飼耳さんの二人を追加できた。この本、珍品になること請け合いだ。
午後七時、荒川洋治さんのEDI叢書完結記念トークショー開始。聴衆はおよそ八十人。この叢書には「忘れられた作家たち」という副題が付いているが、紅野敏郎氏が叢書で取り上げている作家は「忘れられた」ではないと批判している。しかし一般読者のほとんどの人はEDI叢書に入っている作家を知らないだろう。文学研究者と一般読者のギャップが大きすぎる。その落差を埋める、例えば淀川長治のような人が文学の世界にも必要だ。加能作次郎、中戸川吉二、とくに中戸川は現代的であり、ある作品は芥川より才能を感じさせる。高見順の『昭和文学盛衰史』を高校時代に読んで、索引を作った。長見義三(おさみぎぞう)という名前をそのときに覚えた(今、調べると、角川文庫版では461頁に『紀元』同人として一度名前が出ているだけ)。新宿書房から『水仙』(一九九九年)という作品集が出たときに高校時代に覚えた名前が甦った。もうひとり、平林彪吾の「輸血協会」という作品、生前に著書のなかったことを幼い息子が嘆いた(高見前掲書407頁)、後に平林の作品集『鶏飼のコムミュニスト』(三信図書、一九八五年)が出たときには驚いた。ここで中休み。ちなみに『鶏飼のコムミュニスト』を編集したのは中尾務氏である。山本、扉野は京都へ戻る予定だったが、最後まで聞くことになる。蜂飼耳さんと挨拶。
後半は郵便番号の話から。田山花袋「田舎教師」の主人公や父親の動きを示す地名を郵便番号と地図を対照させながら同定してゆき、彼らの動きに深い意味があることを読みとる。夏目漱石が「心」を新聞連載を開始した直後に、漱石に手紙を出した小学生の話。小学生が「心」を読んでいたこと(晩鮭亭さんも読んでいたらしいけど)、「心」という言葉が当時流行していたこと。ラジオの文化放送で朗読番組を始めた。四月は葉山嘉樹「セメント樽の手紙」と黒島伝治「二銭銅貨」の二作を放送した。これは画期的なことである。文学作品を読むときには自分なりの視点(郵便番号とか)を持ち込むと、作品の良さがよりよく分かる。といったところで終了。サイン会。
荒川トークは見事。具体的な数字を挙げたり、子供を登場させてホロリとさせたり、何かを強烈に批判することによって、飽きさせずに最後まで引っ張って行く。粗筋を自分なりの言葉で説明するのも巧みであり、何よりじつに楽しそうに喋る。八階で軽く休息の後、荒川さん、松本らとすずらん通のシャノアールへ。荒川さん、とにかく歩くのが速い。十数人で雑談。「[EDI叢書]ガイドブック」を編集した掛野氏という横光利一の周辺を研究している若い人を松本に紹介してもらう。小野松二や石塚友二のこともこれからいろいろ教えていただきたいと思う。十時半過ぎに解散。
中央線で出勤。日曜なので空いている。九時二十分頃、古書会館に到着。すでに五六人ほど開門を待っている。裏口から入る。岡崎武志も一箱分の古書を出品するのですむーす堂と並べて展示。いい本がある。『現代詩手帖』特集・瀧口修造(思潮社、一九七九年十月)を譲ってもらう。お茶をしてから神保町古書モールへ誘われたので同道する。三省堂のすずらん通側の入口横から三省堂書店第2アネックスビル五階へ。いかにも何かありそうな雰囲気だ。じっくり見ている気力もなかったが、その雰囲気につられてあれこれ抜いて見ていると、書肆ユリイカの『現代フランス詩人集1』(一九五五年)が500円だった。これはラッキー。岡崎は五冊ほども買っていてやはり500円払っていた。均一小僧の真骨頂を見たかんじ。
『現代フランス詩人集1』書肆ユリイカ
岡崎と別れて古書会館へ戻っていると、吉田氏とばったり。石塚友二関連の本を見つけたのでといって渡してくれる。いつも気に掛けていてくれて感謝です。会場では西秋書店の棚からばんばん抜く。安くてウンチク向きのものがかなり出ていた。安さで勝負というのは地下展参加店のなかでは異色。玉英堂書店のブースと隣接しているので、いっそう安く感じられた。山本、扉野が姿を見せる。『現代フランス詩人集1』を見せると、扉野はもっているという。「いくらで買った?」「900円です」「勝ったな」・・・。岡崎も戻ってくる。濱田研吾氏も来た。午後一時五十分頃、みなで「東京スムース友の会」会場「オレ・オレ」に向かう。途中、文具店で均一対決用のマジックを山本が買ったのだが、より太く書けるものにこだわるほど気合い十分だった。
で、「東京スムース友の会」についてはナンダロウアヤシゲな日々を参照していただきたい。会場で聖智文庫さんより『彷書月刊』の創刊号と堀辰雄『晩夏』(甲鳥書林、一九四一年)をいただく。残念ながら、ちょうど盛り上がってきた頃に、こちらは古書会館の二階で行われている大貫伸樹さんの装幀トークに参加するため三時五分に会場を出た。トークショーはすでに始まっていて満席状態。あわてて前列へ。午後四時すぎまで大貫さんがあれこれ陳列された1920〜30年代の装幀コレクションについて喋る。その後、ウンチクが佐野繁次郎の装幀について、それこそウンチクを垂れる。後で、幾人かの人に感想を聞くと、横光利一『機械』(創元社、一九三五年)の初版と再版のタイトル文字が微妙に違っているという指摘が印象的だったようだ。五時過ぎに終了。聴衆のなかに石神井書林さんがいたので挨拶。古書ほうろうのご夫妻が一箱古本市の売上げを持参してくださる。300円均一で46点売れていた。みさきたまゑさんに『黒板ぶるーす』(めもあある美術館、二〇〇四年)いただく。ありがとうございます。
地下展のカフェで知人と談笑。山田俊幸先生ともひさしぶりで会った。大阪で装幀展をやるらしい。佐野本についての協力を依頼される。EDIの藤城さんから池袋リブロの三浦さんを紹介される。『帰らざる風景』と『読む人』を面出しで並べてくれているとのことで感激する。また田中栞さんと話していた男性を紹介されたが、彼は「書泉」のシオリだけをすべて集めようとしているコレクターだった。ファイル三冊にぎっしりつまっていた。こんなに沢山のシオリを発行していたとは驚き。
角田光代・岡崎武志『古本道場』出版記念トークに参加。とにかく角田さんの素直な応答が微笑をさそう。ほんとにごくふつうのお嬢さんというふうで、街中でもほとんど誰にも声を掛けられないというのも頷ける。直木賞を受賞して以来のさまざまなインタビューでいちばん嫌な質問は「負け犬」についてどう思うかだそうだ。(ちなみに負け犬は英語で
wet dog というらしい、「トロイ」という映画の字幕にそう出ていた)。
トーク終了後、古書会館の八階で角田さんらを囲んで打ち上げパーティ。トムズ・ボックの土井さんと名刺交換。おもしろい人だ。中野書店で茂田井武の初期の原画を安く手に入れた話など、驚き(驚いてばっか)。午後十時解散。中野さんといっしょに帰っていると半蔵門線神保町駅でさっき別れたセドローくんにバッタリ。九段下で東西線に乗り換えて早稲田までバカ話。降り際にセドローくんにいたずらする(古書現世店番日記参照)。
京都駅午前八時五八分発のぞみ4号で出発。いきなり急停車し、数分遅れる。理由の説明はなかった。尼崎事故の後だけに不気味。東京駅着後、まずは東京ステーションギャラリーで佐野繁次郎展を見る。絵画作品も予想以上に良かった。コラージュは生涯を通しての佐野のこだわり、というか手法となっている。作品表面に亀裂の目立つものが多かった。良く言えば実験的、悪く言えば材料の扱いに習熟していない、ということになろう。なお、装幀作品の展示中、横光利一『考へる葦』(創元社、一九三九年)は佐野のものではないはずだ。著者自装だと思われる。
そのまま西荻までJRで直行し「遊空間がざびぃ」で初プロデュース公演「蜘蛛」(演出=前嶋のの)を観覧する。「遊空間がざびぃ」は中野書店の中野さんご夫妻が運営する小劇場である。「蜘蛛」は実在の殺人鬼ペーター・キュルテンに題材を取り、敗戦直後の日本に舞台を移した。ペーター役が津田好吉、妻が以倉いずみ。以倉さんは詩人以倉紘平氏のお嬢さん。なかなか凝った演出だった。
神保町へ取って返し、書肆アクセスへ寄る。畠中さんと伯剌西爾珈琲で『読む人』に句入り署名をする。そのあとカツカレーで腹ごしらえをして古書会館へ。玄関のところで西秋書店の西秋氏と浅生ハルミンさんに会う。二階展示室で大貫伸樹さんに初対面。装幀本の展示はほぼ終わっていた。地下展の搬入は予定の午後七時よりも少し遅れる。出店予定のリコシェ、タコシェ、八朔さんらと顔合わせ。午後八時頃から展示開始。まずは油彩画・水彩画をカフェ・コーナー壁面に吊してゆく。すむーす堂のカバン店もざっと並べてしまう。一箱古本市の残部もここに加える。午後十時頃展示終了。十人ほどの人たちとロイヤルホストで食事をとって解散。ウンチクは中野書店さんの自宅に宿泊させてもらうので中野氏と一緒に帰る。始まる前からどっと疲れた。
明日からしばらく上京します。「東京スムース友の会」、東京古書会館でお会いしましょう。
足立巻一(けんいち)の『虹滅記』(朝日文庫、一九九九年二刷)を読了。すぐれた評伝だ。評伝というか祖父そして若くして没した父の姿を探し求める旅である。明治から大正にかけての長崎、東京、京阪神など時代背景も過不足無く描かれていて名作と言えるだろう。足立には『立川文庫の英雄たち』(中公文庫、一九八七年)や『やちまた』(河出書房新社、一九七四年、朝日文庫にも入っている)、『評伝竹中郁』(理論社、一九八六年)などがあり、いずれも力作。昭和六十年八月十四日没。
扉野良人より、昨日の椎の木社のリストに関してメールが届く。《『葩の思意』(昭和10年6月1日)の著者・浜名与志春については桑島玄二が『兵士の歌』(理論社/1973)で「こんど僕に詩のかける時代がきたら 浜名与志春論」という一文で論じています。浜名は昭和15の『神戸詩人』事件に連座し、獄中の無理から敗戦の年の秋に病没した詩人。
若い生命の沈黙に肖せて
波に息づく風は古人の肩に駐る
傷跡をためらふ苑の碑文よ
薔薇を背に 指を組む
海辺のあけくれ
ひかりを砕く地下の骨よ
閉ざされた眼の窓をひらけ
風に寄せて 吐息をうたふ碑文よ
むかしの心情を晒して傷痕をきく
(「骨」『林間抄』〈大阪詩人倶楽部〉)
浜名はシュルレアリスムすなわちコミュニスムの詩人とみなされ投獄されますが、戦争が膨張するなか「新領土派的リアリズム(永田助太郎、楠田一郎、鮎川信夫)」=戦後詩に通じるものをそなえた詩人のひとりだったようですね。》、なお桑島玄二と足立巻一は同じ同人雑誌『天秤』の仲間である。
2005年5月5日(木)草萌える恋人たちの蹠(あしのうら)
イチローが美技でフェンス際のボールをキャッチした新聞記事を読んでいると、チームは《零敗》とあって、一瞬「零敗」の意味が分からなかった。零敗だから負けなしか? 文脈からしてそんなわけはない。検索してみると「0点で敗れた」という意味の野球用語としてまかり通っているようだ。しかし「二勝零敗」などというときの「零敗」と紛らわしい。まだしも「零封」じゃないか。
『図書』二〇〇三年十月号、紅野敏郎「詩集コレクション―高橋留治・衣笠静夫のことなど」を読む。高橋留治は拓殖銀行の行員で東京転勤を機に《書物を漁る習慣が身につき、勤務を終えた午後五時すぎより「帰途の省線を一と駅づつ降り」、かたはしより古本屋に立ちより、午後九時以降の帰宅、「推定千軒を二、三か月で一巡」「手取月収の半分と賞与のほぼ全部を注ぎ込み蕩尽」。妻はその耐乏生活に耐えたという》などと書かれている。どうも詩集のコレクターにはこういう人が多いようだ。恐れ入るしかない。
文中に椎の木社のコレクションについての言及がある。先日、山本、扉野と本を見せ合ったあの椎の木社である。やはり百田宗治の調査は進んでおらず、ただひとり曾根博義氏(『サンパン』同人)が雑誌『椎の木』などすべてを追求しようとしていると書かれている。ぜひお願いしたい。安直にネット検索でざっと椎の木社の刊行物をリストアップしてみた。ご参考まで。増補情報歓迎。sumus_co@yahoo.co.jp
単行本
詩集 寸 内田忠 昭和16年8月10日
眠りとともに 内田忠 昭和15年9月20日
詩のために 内田忠 昭和15
教室に生きる 長谷執持 綴方学校 昭和15
村々 内田忠 昭和12年1月30日
田園挽歌 内田忠 昭11
児童詩読本 百田宗治 昭和11
牧神の午後 ステファン・マラルメ 昭和10
詩の純粋性 内田忠 昭和10
わが鎮魂歌 高木恭三 昭和10年9月20日
詩集 仮睡 畚野聖三 昭和10年9月15日 限定120
葩の思意 浜名与志春 昭和10年6月1日
詩集 花卉 乾直恵 昭和10年5月5日 限定版
大鴉 ポオ 阿部保訳 昭和10年2月20日
詩集 牡蠣と岬 吉田瑞穂 昭和10年1月1日
短歌集 日まはり 三好達治 昭和9年6月25日
純粋な鶯 西脇順三郎 昭和9年11月20日
詩作法 百田宗治 昭和9年10月25日
左右 内田忠 昭和9
春燕集 百田宗治 昭和9年5月5日(椎の木詩抄3)
大鴉 ポオ 佐藤一英訳 昭和8年11月18日
渇ける神 安西冬衞 1933年4月15日
園 滝口武士 昭和8年6月30日
海辺の墓 ヴアレリイ 菱山修三訳 昭和8年3月31日(限定500部版あり)
希臘十字 高祖保 昭和8年8月25日
スタイン抄 春山行夫訳 昭和8年7月20日
一篇一片づゝの詩集 ジェイムス・ジョイス 昭和8
随筆 井伏鱒二 椎の木社 昭和8年5月31日(特製本あり)
Ambarvalia 西脇順三郎 昭和8年9月20日
ambarvalia 西脇順三郎 昭和8年9月20日
イカルス失墜 伊藤整 昭和8
春宮美学 小村定吉 椎の木社 昭和8年7月15日
雪のおもてに 城越健次郎 昭和8
詩抄 百田宗治 昭和8
1と2 内田忠 昭和8
ヴィヨン詩抄 城左門・矢野目源一訳 昭和8年
肋骨と蝶 乾直恵 昭和7
木乃伊の春 高村直之 昭和7
影のない樹木 内田忠 昭和7
影のない樹木 内田忠 昭和7
南窗集 三好達治 昭和7
純粋詩抄 ヴァレリ 秦一郎訳 昭和7年12月10日
雪のおもてに 城越健次郎 昭和7年12月1日
室楽 ジョイス 左川ちか訳 昭和7年8月10日
詩集 一月の河 安達義信 家蔵本 昭和7年5月1日
随筆 詩論集 百田宗治 昭和3(椎之木叢書第3篇)
偶成詩集 百田宗治 (椎之木叢書第2篇)
大道芸人 安藤真澄 昭和2(椎之木同人叢書)
詩集 故郷図絵集 室生犀星 昭2年6月1日
詩集 何もない庭 百田宗治 昭2年3月1日(椎之木叢書第1篇)
雪明りの路 伊藤整 大正15
一人と全体 百田宗治 表現発行所 大正5
刊年未確認
雪に埋れた葡萄園 青木茂吉
晩餐 山村酉之助
大道芸人 安藤真澄
雑誌
[表現 百田宗治編 表現発行所]
椎の木 第一次 百田宗治編 1926-27
椎の木 第二次 百田宗治編
椎の木 第三次 百田宗治編 1932-36
生理 萩原朔太郎編 1933-35
尺牘 百田宗治編 1933-
苑(その) quarterly 百田宗治編 1934-
綴方学校 百田宗治編 1937-
一昨日、古書仲間というテーマで『日本古書通信』より原稿依頼があった。昨日、先日の即売会と「一箱古本市」をからめて書いてしまい、南陀楼に「一箱古本市」の部分をチェックしてもらう。ブログを通しての古書つきあいについて。その後、地下展用の荷物を作る。
大貫さんとのトークの原稿(佐野についての問答形式なので、回答を予め用意した)も仕上げて大貫さんに下見をしてもらった。装丁展の出品配置図が送られてきたが、恩地から始まって村山知義、柳瀬正夢などなど、とても興味をそそられる内容だ。早く現物を見たい。
古書現世さんより菊地重三郎『英吉利乙女』(暮らしの手帖社、一九五一年)届く。花森安治の装幀。函の貼り題箋は和紙に手彩色。表紙の方も題箋は和紙貼りだ。凝っている。後ろの見返しを見ると「街の草」というレッテルが・・・なんとまあ。
『英吉利乙女』函と本体、装幀=花森安治
『紙魚の手帳』32号。田中栞さんの「昭和初期の書皮コレクター」を興味深く読む。南天堂書房の書皮は一枚もっているが、文中で触れられている《昭和三十五年頃、美術出版社からデザイナーを紹介してもらい、六店の書店が共同で書店カバーを作成》したものだろうか?(これだそうです)
南天堂書房の書皮、白山上と草加市の店舗名が印刷されている。
スーパーの野菜売り場、縦長な箱に入った「しょうぶ」の葉が売られている。手書きPOPに値下げの文字。よく見れば先の方がちょっと黄ばんでいた。まだ東北北海道あたりでは桜が楽しめるらしいが、京都市中はすっかり初夏の陽気で、満開だった桜はまぼろしとしか思えない。と、「桜抄」と題した短歌の抜き書きがT夫人より送られてきた。「道の奧
桜の樹のもと過ぎるとき妖しきものゝ淀めしかもと」「花あかり遠き書店の窓透けて夜気に漂う憂うつのあり」「黒土に散り敷く花びら一枚一枚を鼻つけ喰めゆく仔馬の真昼」・・・。桜ははかないようだが、じつは初秋頃にはもう開花の準備を枝先で始めているらしい。冬の裸木にも花々は眠っている。
マン・レイ石原さんの日録に「京都新聞」にまたもやウンチクが登場していたという報告あり。一昨日、山崎書店へ行ったときにちょうど取材記者が来ていた。さくらですよ、これも。
kuzanの日記をのぞくと、源氏鶏太『まだ若い
上』カバーの著者名に別ヴァージョンがあることが指摘されていてビックリする。
さて、なぜそんなに不人気だったのか? それは・・、多分・・、入札時期&鍋の色のせい・・、だと思う。そこで問題です。「日本人が一番好きな色は何色でしょう?」。ヒントはサッカーの国際試合において日本人サポーターで埋め尽くされる色。答えは「ブルー/青」。
なんだなんだ、じゃあナベだって「青」が一番人気だろ!? いえ違います。鍋の場合の一番人気はなんてったって「白!」です。続いて「黒」、次に「焦茶」・・。日本人、やっぱりコムデ以来「黒」は鍋でも人気。あとは「ベージュ」と「水色」が続き、どんぐり状態で暖色系の「オレンジ・赤・黄色」、最後に不人気な寒色系の「緑・青」となります。ル・クルーゼやダンスクで御馴染みの「ターコイズ」も日本ではそれほど人気なし。
対してアメリカ、eBayで見ている限りは、鍋カラー人気は「白」「ピンク(アメリカでも滅多にないレアもの)」「ターコイズ」と続きます。う〜ん、お国柄か。
ちなみに今回のクーザンスのブルーは、ル・クルーゼの一般的なブルーとひと味違う。ポスターカラーでいうと「ウルトラマリン」に近いかな? 一般的なブルーには「セルリアンブルー」やら「コバルトブルー」があり、ちょっとニュアンス違うのよねー。
まっ、いずれにしても不人気のブルー、でもあたしの気分は澄み切った5月の青空ブルーよ〜ん!!

*取手と蓋が特徴的なクーザンス鍋。あっさりとしたデザインがまた味わい深い。実際のお色はもう少し濃いーのだ!
一箱古本市の報告を退屈男さんが蒐集しておられる(旅猫雑貨店さんのブログが写真も入って分かりやすい)。どれを読んでも大好評だ。この企画立案実行を「編集」と呼ぶ南陀楼綾繁の努力によるところ大である。お疲れさま。次は「東京スムース友の会」、よろしく。そうだ、南陀楼担当スムース文庫「古本漫画」の締め切りも申し渡されていた。
駒井哲郎『白と黒の造形』を拾い読む。《本造りは、いろいろの職を持った人たちが協力して一つのものを造り上げる訳だけれど、その職種は交響楽の演奏の場合ほど緊密に結びついてはいない。》《一ばん大変なのはやっぱり出版担当者で、目に見えないところで非常な努力をしいられるのである。装丁がその特有の美を発揮して、装丁美術として独立して存在するためには、協力者すべてのさまざまな努力と心遣いが必要なのであろう》、全くその通りであろう。また、先日、書評のメルマガに安東次男のことを書いたが、駒井が安東のことをこういうふうに描いているとは知らなかった。《詩人安東次男の物そのものに対する執念は、端で見ていてもすさまじいものがあるように思われる。だから言葉でも骨董でも作者の精神の屈折が物質化されて存在していないものにはあまり興味がないのではなかろうか》・・・・小生はこう書いた《「物質」へのこだわり、物質への嗅覚、それが安東の評釈(=鑑賞)の根元に存在する、そういうふうに感じられる》。あながち的はずれでもなかったようだ。安東はこの本のあとがきで駒井の文章を《明晰かつ爽やか》と形容しているが、まさにそういう名文であろうと思う。
駒井哲郎『白と黒の造形』
朝イチで京都国立近代美術館の村上華岳展を見る。これほどまとめて見たのは初めてか? ふしぎな作家である。仏画はほとんど感心しなかった(例外数点)、風景に独特のものがある。
みやこメッセ(旧勧業館)の春の古書即売会へ。雨だというのに(だからこそ)、かなりの人出で混雑している。五十万冊集まっているという。まあぼちぼち、空いていそうなところを選んで見てまわる。収穫らしきものは伊藤安二『街頭心理学』(モナス、一九三二年)の「瀬川書店」レッテル貼付、一冊のみ。こういうスタイルは初めてだ。気に入った。

山本と昼食を会場外のお好み焼き屋でとって、引き返している道でM岡さんとバッタリ会う。今、ブログで話題(?)の源氏鶏太『まだ若い
上』(文春文庫、一九七八年五刷、カバー=佐野繁次郎)を取り出して譲ってくださる。「岡崎武志さんに差し上げてくださってもいいですよ」とのこと。岡崎さん、いります?(ウンチクは持ってます。『ニッポン文庫大全』で紹介済み、p254)。さきほどいただいたメールによれば、あの後、三月書房へ寄って『永田助太郎詩集』(『sumus』12号参照)を新刊で(!)購入されたそうだ。おそるべし三月書房。
源氏鶏太『まだ若い
上』カバー=佐野繁次郎
小雨のなか街路樹の下で、山本が稀本『高間筆子詩画集』(『サンパン』最新号参照)をいかにして入手したかという話を二人で聞いていると、篆刻家であり古書通のRさんが通りかかり、今日午前中、山本が発見した香月泰男『海拉爾通信』(新潮社、一九七一年)のサイン本をめぐって軽口の応酬が始まった。それにしても何もないとボヤキながらもちゃんとそういう本を手にしているところはさすが赤貧ゴッドハンド。
山崎書店の「手作りART
BOOK展」をのぞく。今回は出品数も増えて楽しい催しになっている。福本浩子さん(去年、活字をすべて砂消しゴムで消していた方)は今年は一冊すべての活字をあますところなく線香で焼き抜いた本を出品していた。すごい。瀧口のバーントブックのもっと徹底したような作品。感動ものです。扉野良人も彼らしい洒落た詩集を二点出品している(今日はおつとめがあったため古書展にも姿が見えなかった)。山崎書店の棚から駒井哲郎『白と黒の造形』(小沢書店、一九七七年)を入手、やや欲求不満を解消す。とくに安いわけではなかったが(高くはなかった)、小沢らしい瀟洒な造本である。
帰宅して「一箱古本市」の報告をあちらこちらのブログで拾い読む。内澤さんの出品本は売れそうな予感がしたが(事前にブログにちらっと書影が出ていた)、売上げトップだとか。しかし、ホントに楽しそうでいいねえ。やはりイヴェントはみずから参加しないとだめだ。京都でも誰か企画してくれないか。