P-BOOK 05「カバン堂目録」 ◆HP TOP ◆mail to sumus_co@yahoo.co.jp


2005年7月31日(日)にわか雨たどりつく間の吹き飛沫(しぶき)

例によって昼飯を大宮のラトナカフェで摂り、ナベツマを大丸の近くで降ろし、五条のブをちらりとのぞいて、『芸術新潮』二〇〇一年八月号「全一冊イタリアの歓び」を買う。ピエロ・デッラ・フランチェスカ巡礼のような特集。最近号はドイツ美術の旅だし、この前はボローニャ案内だった。旅行雑誌になってしまったのか。

誕生日プレゼントとしてナベツマにヤフオクで落としてもらったDVD「STRAIGHT NO CHASER」をそっと見る。記録映画としてはもうひとつという気もしないではないが、モノクロ映像はたいへん素晴らしくかつ貴重だ。映像を見ながら聴くと印象がかなり違ってくる。スタジオでの録音風景はものすごくいいかげん。しかもモンクは一度か二度しか録らないという。サックスのチャーリー・ラウズが、そのときしくじったら一生その音を聞かなきゃならないんだ、と苦笑していた。

朝日新聞(7/30)に「異才磯田文学を再評価」という記事が出た。「磯田敏夫研究会」の発足を紹介する内容だが、『文学雑誌』の同人だったと書いてある。一九五七年の二十四号を取り出してみると、「海行かば」という海軍時代を回想した小説が巻頭に掲載されていたので、ざっと読んでみる。なるほど大阪人らしい諧謔がちりばめられた作品だ。《大阪人をテンプラ、またはドテンプラと呼んでいた。天麩羅のようなという意味であろう。口あたりがよくてお調子がよいというのか。すると、私などはもつともテンプラらしからぬテンプラであつたのだが。》これが書き出し。敗戦の放送についてはこうある。

《天皇の放送のことをいい、私は天皇の声とはどんな声だろうと思つた。天皇が私たちと同じ言葉を話すのが早速とは理解できなかつた。私の血肉のなかにある天皇の何かは、体質までになつている。天皇と私たちとは、天皇と日本人とは、ことある毎によまされた教育勅語が私たちを妙なものにしてしまつていた。私一人では、私一代ではどうしようもないものがあるのだ。》

 磯田は一九一七年生まれ。彼らにとって天皇とは声なき存在だったのである。


2005年7月30日(土)夏座敷虫を談ずる懐かしさ

昨夕は徳正寺での集まりに招かれた。扉野をはじめスムース文庫『1914年 ヒコーキ野郎のフランス便り』の編者である築添さんや近代ナリコさんらともしばらくぶりで会って楽しい時間だった。『インテリア・オブ・ミー』は絶好調らしい。他にも珍しい体験がさまざまあったが、ここでは伏せておく。機会があれば、どこかに書くこともあるでしょう。なお今日の俳句で「虫を談ずる」と詠んだのは、その席で、昆虫がブームになっていることが話題にのぼり、群馬県でもゴキブリをコガネムシと呼ぶ地方があるということを教えてもらい(かまどのところにいたゴキブリを殺そうとすると、ゴキブリは黄金虫だからむやみに殺してはいけないとお祖母さんにたしなめられたそうだ)、ビートルズの来日コンサート話で盛り上がった状況などをふまえて。

渡辺一夫『世間噺・戦国の公妃』(筑摩書房、一九七三年)と『世間噺・後宮異聞』(筑摩書房、一九七五年)届く。後者は没後出版、芳枝夫人の「あとがきにかえて」がいい文章である。二冊ともちゃんと索引が付いている。ところで、渡辺本といえば、先頃、山本より《青木書店のロマンチック叢書、伊吹武彦訳「夜のガスパール」はいい本ですね。渡辺一夫の装幀がとてもいいです。このロマンチック叢書はすべて同じ装幀なのでしょうか》というメールが届いた。だが『夜のガスパール』(青木書店、一九三九年)は『渡辺一夫 装幀・画戯集成』(監修=串田孫一、一枚の繪、一九八二年)には掲載されていない。一度現物を見せてもらおう。


雑誌『文体』復刊第一号、文体社、一九四七年十二月 装幀=青山二郎
宇野千代「おはん」、小林秀雄「梅原龍三郎」の他、河上徹太郎、河盛好蔵、高浜虚子、久保田万太郎、佐藤春夫、井伏鱒二、北原武夫、真船豊、高見順。挿絵に石井鶴三、宮本三郎、木村荘八、朝井閑右衛門、伊東深水。また発行人宇野文雄の編輯後記に《青山二郎氏の評論はたうとう締切までに頂けなかつた。次号には頂ける筈》とある。

okatakeの日記が休刊になった。ある程度の内容をもった日記を書き続けるのは大へんな時間と労力の消費である。忙しいときには重荷だろう。また気が向いたら再開して欲しい。それにしても内田先生(内田樹の研究室)、むちゃくちゃ忙しいようだが、ブログも延々と書き綴っておられる。自虐的としか思えない。先日、ちらっとおうかがいしたところ、「ブログを書くのがストレス発散なんです」とおっしゃっておられた。でもじつは一種のビョーキかもしれない。ブログ依存症候群とかなんとか。人ごとじゃないけど。


2005年7月29日(金)点々と堕ちたカナブン前夜祭

Web読書手帖に青山二郎を知る本について質問があったので、お答えします。

  別冊太陽 青山二郎の眼 平凡社 一九九四年秋
  彷書月刊 二〇〇〇年十月号 特集・青山二郎の装幀 弘隆社
  季刊 暮しの創造12号 特集・青山二郎 創芸出版社 一九八〇年三月
  芸術新潮 一九九〇年二月号 荒川洋治「眼で生きた青山二郎の装幀」 新潮社
  小さな蕾 一九九〇年一月号 蝦名則「装幀家としての青山二郎」 創樹社美術出版

  青山二郎の話 宇野千代 中央公論社 一九八〇年(中公文庫、一九八三年、改版二〇〇四年)
  いまなぜ青山二郎なのか 白洲正子 新潮社 一九九二年(新潮文庫、一九九九年)
  青山二郎の素顔 森孝一編 里文出版 一九九七年
  さまざまな追憶 野々上慶一 文藝春秋 一九八五年

  青山二郎文集 増補版 小沢書店 一九九五年(ちくま学芸文庫、二〇〇三年)
  眼の引越 青山二郎 創元社 一九五二年(中公文庫、一九八二年)
  鎌倉文士骨董奇譚 青山二郎 講談社文芸文庫 一九九二年
  眼の哲学|利休伝ノート 青山二郎 講談社文芸文庫 一九九四年

 『別冊太陽 青山二郎の眼』にはカラーで多数の装幀本が掲載されており、総合的に青山を知るための必携本である。『彷書月刊』にはウンチクも寄稿。弘隆社あらため彷徨舎にはまだ在庫あるでしょう、きっと。『季刊暮しの創造』はえびな書店の蝦名氏が編集発行していた雑誌で、青山再評価を決定付けた一冊と思う。『芸術新潮』と『小さな蕾』は中央公論画廊で開催された「青山二郎装幀展」に連動する記事、どちらも装幀のための草稿などの図版が貴重。青山二郎についての諸家の回想は『青山二郎の素顔』に纏められている。文集に収録されていない青山二郎の日記は抜粋という形だが『新潮』一九九三年六月号に発表されており、若き日の青山を知るためにはぜひ押さえておきたい。他に、えびな書店の古書目録『書架』五号(一九八九年十二月)は青山二郎の装幀本リストとして基本文献となるものだ。細かく挙げればもっといろいろあるが、とりあえず、これで青山二郎についておおよそのことは分かると思う。

 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮社 装画・題字=青山二郎

田中栞さんより『田中栞の古本教室』(紅梅堂、二〇〇五年)届く。十月に開かれる仙台「火星の庭」での書肆ユリイカ本展に向けての小冊子。十六ページだが中身が濃い。ユリイカ本の魅力、図書館でユリイカ本を手に取るための案内、女性三人による古本鼎談。そして「折紙豆本」の作り方、糊もハサミも必要なし、五分でできる(!)、これは絶対チャレンジしてみる価値あり。書肆アクセスにて販売中(300円)。


2005年7月28日(木)御器被うごめきありて夏嗄れる

御器被(ごきかぶり)はゴキブリのこと。「御器」は蓋付きの椀、合器、五器。外見が似ているからとする説もあるようだが、おそらく食事のあと雑司場などに乱雑に重ねて伏せてある器の下からのぞく様子を「被り」と表現したと考える方が実感がこもっている。『広辞苑』では「御器〓(口齒) ごきかぶりの転」と断定しているけれど、『言海縮刷』(小林新兵衛、一九〇四年二版)には「ごき」に続いて「ごき‐あらひ‐むし」という項目が立てられており《(名)蜚〓(虫廉、ルビ=アブラムシ)ノ異名》と説明されているように、ゴキブリと食器洗いを結びつける命名もあったことが分かる。実際、夜中に台所の電灯を点けるや、流しのあたりにゴソゴソ動くものが・・・という経験は珍しくない。

 また童謡「こがね虫」で金持ちと呼ばれているのもゴキブリのことだそうだ。ただしこれは、この歌を作詞した野口雨情の郷里(茨城県磯原町)における方言のようである。だから、黄金虫(金持ち)=ゴキブリという皮肉が「こがね虫」の歌詞には籠められている、と憶測できなくもない。ちなみに全文。

  黄金虫は金持ちだ
  金蔵建てた蔵建てた
  飴屋で水飴買って来た

  黄金虫は金持ちだ
  金蔵建てた蔵建てた
  子供に水飴なめさせた

大西巨人さんより新著『縮図・インコ真理教』(太田出版、二〇〇五年)をいただく(むろん版元代送)。オウム真理教、護憲、天皇制、糊口文学をめぐる思索などの雑多なテーマ、例によって、メタ小説というかメタ随筆の感があり。錯綜しているように見えて、じつは誠にシンプルな主張がなされており、同感するところ多し。例えば、糊口文学については樋口一葉の日記から始められている。

《人つねの産なければ常のこころなし。手をふところにして月花にあくがれぬとも、塩噌なくして天寿を終らるべきものならず。かつや文学は糊口の為になすべき物ならず。おもひの駆するままこころの趣くままにこそ筆は取らめ。いでや是より糊口文学の道をかへて、うきよを十露盤の玉の汗に商ひといふ事をはじめばや。》(明治二十六年七月日記)

 これは一葉の、ある意味決死の、文筆宣言だが、作者はさらに、川端康成が水上瀧太郎を非難した文芸時評(一九三四、三五年)を取り上げ(川端は文壇の「垣」の外にいる水上のような人物(明治生命の専務)の作品を《所詮古風な道楽芸》であり《社会にも文学にもこれほど害虫的な作品はない》と決めつけた)、談話形式を用いながら、けっきょく文学は「糊口の為になすべき物」なのだ、というふうな結論を導いている。

『gui』75号が岩田和彦さんより届く。「gui」(ギ)はフランス語で「やどりぎ」。いつも奥成達氏の連載を面白く読んでいる。今回は稲垣足穂の引用があり、そこでタルホ大僧正はこんなことを言っている。《何事にも気乗りがしなくなって、よんどころなく創作と取組み、ひょっとして何らかの成果が上ったら幸いというものである。芸術とはもともとそんな仕事なのだ。それは仏教で云う「逆流(ルビ=ぎゃくる)」であって、世間法とはあべこべに行こうとするものである。》(『タルホ=コスモロジー』文藝春秋、一九七一年)・・・これでは糊口文学もクソもあったものではないが、樋口一葉の場合は、兄の死、父の破産と病没、婚約破棄など、何事もうまくいかなくて、よんどころなく創作と取組んだのだろう。いずれにせよ、文学だけが最後に残った、そういうことなのかもしれない。


阿部知二『火の島』創元社、一九四八年 装幀=青山二郎


2005年7月27日(水)白磁器の廊下に響く涼しさよ

昨夜、寝就いてから、ギシギシギシと廊下を歩くような音で目が覚めた。ミカンがねぼけてうろついているのかと思い、寝室の廊下側の障子を開けてみたが、ミカンもいなければ、他に何があるというわけでもない。ふたたび横になったが、しばらくすると、またミシミシミシ・・・。ナベツマが跳び起き、そこらじゅうを点検した。どうやら台風の残り風が床下から吹き上がってきて、かつて床の間だった物置場の荷物を規則的に揺らす音らしかった。ちょっとした古家ミステリーだった。

 幽霊の足音といえば『怪談牡丹灯籠』だろう。青空文庫には春陽堂文庫版がアップされているようだが、その説明にこうあった。《「カラコン、カラコン」の駒下駄の音で有名な、三遊亭円朝の『怪談牡丹燈籠(かいだんぼたんどうろう)』の主要部分を、田中貢太郎らしい簡潔な文体で書いた再話小説。》・・・「カラコン、カラコン」で有名とあるが、ゲゲゲの鬼太郎でもおなじみの「カランコロン、カランコロン」じゃなかったろうか。ちくま文庫版、岩波文庫版も出ているが所持していないので今すぐ比較できないのがちょっと残念。ただし、それらの元本になるであろう『怪談牡丹燈籠』(若林珥蔵筆記、文事堂、一八八六年五版)を持っている。ざっと目を通すと、こういうくだりがあった。[※]=繰り返し記号使用

《伴蔵[ともざう]一人酒を呑で待て居るうちに八ツの鐘が忍ヶ岡[しのぶがおか]に響いて聞へますと一際世間が寂[しん]と致し水の流れも止まり草木も睡[ねむ]るといふくらいで壁に鳴[すだ]くカゲロウの声も幽[かす]かに哀を催ふし物凄く清水の元から毎[いつ]もの通り駒下駄の音高くカランコロンカランコロン[※]と聞こえましたから伴蔵は来たなと思ふと身の毛も慄[ぞつ]とちゞまるほど怖ろしく、かたまつて様子を窺つて居ると生垣の元に見へたかと思ふといつの間にやら縁側の所へ来て伴蔵さん伴蔵さん[※]と云はれると伴蔵は口が利けない漸々[やうやう]の事でハイハイ[※]と云ふと(米)毎晩上りまして御迷惑の事を願ひ誠に恐れ入りまするが未だ今晩も萩原様の裏窓の御札が剩[はが=ママ]れて居りませんからどうぞお剩しなすつてくださいましお嬢様が萩原様にあひたひと私をお責め遊ばしお憤[むず]かつて誠に困りまするからどうぞ貴所様二人の者を不便[ふびん]に思召御札を剥してくださいまし》

 若林珥蔵と奥付にはあるが、表紙は若林〓(王甘)蔵(かんぞう)となっており、国会図書館には東京稗史出版社から明治十七年に出た版と文事堂の明治十八年版その他が所蔵されている。架蔵の文事堂版奥付には明治十七年十月八日拾篇以下版権免許、同十八年五月十八日版権譲渡受御届云々とある。若林は速記術に関する著書もあり、一八五七(安政四)年生まれの昭和十三年没だから、相当長生きした人物だ。

 池田弥三郎『日本の幽霊』(中公文庫、一九七七年四版)に《そしてこの最もこわい足音が円朝の「牡丹灯籠」の、カランコロンという下駄の音である。円朝自身の口演を耳で聞いたことはもちろん私にはないが、その口演の速記を読むだけでも、この下駄の音は効果的である。ところが反省してみると、ゆうれいの足音は、われわれのゆうれいについての常識と矛盾する。われわれの頭の中に描かれているゆうれいは足がないからである。(中略)能に出てくるゆうれいは立派に足がある。われわれの常識を大きく支配している足のないゆうれいの姿は、あるいは、ずっと新しいものかも知れない。》(p25)と書いている。

 足の件について言えば、上記場面に付けられた挿絵の幽霊には足がない。森銑三『明治人物夜話』(講談社文庫、一九七三年)の円朝に関する文章を読むと、当時の芸人のなかでも一二を争う蔵書家だったと書いてある。《円朝は古版の大蔵経をも蔵したし、更に意外なのは、熱心な王陽明の研究家であつたとのことで、死後売払はれた書物の十中八九は、王陽明に関するもので、落語の種本らしいものは、極めて僅かであつた》(p317)。とてもまじめな人だったようだ。

BOOKISH』8号で扉野良人らが取り上げた雑誌『きりん』についての本がアセテートから出版されることになったらしい。期待したい。それにしても、ブッキッシュの次号はどうなってるのでしょう?

ナンダロウアヤシゲナ日々に《(林さん、『プラハへの出奔日記』は、内澤の指導のもと、ワタシが自作したものですよ。ま、ずいぶん内澤センセのお手を煩わせはしましたが)》とあった。訂正します。上手にできていたものでつい、思い違いでした。


河上徹太郎『作家論』日産書房、一九四八年 装幀=青山二郎


2005年7月26日(火)呉須皿に幾時代あり晩き夏

本日ウンチクの誕生日なり。The Big Five-O といい、五十而知天命という。天命とは「天のさだめた運命」(金谷治による)だそうだ。運命を知るとは、言い換えれば、限界が見えてくるということだろう。過ぎ去る日の速さを思うばかりである。

南陀楼綾繁より『チェコのマッチラベル』(ピエ・ブックス、二〇〇五年)が届く。これは無条件に楽しい! シンプルでありながら多様な構成、派手なようで渋い色調。北園克衛ふうの色面構成もある。戦後しばらくの時期にはああいうのがインターナショナル・スタイルだったんだろうなあ。いろいろな方面のデザイン・ソースとして使えるぞ。どのラベルがいちばん好きか、でマッチラベル占いができそう。岡崎は「健康でありましょう」(p62)だとか、ウンチクは「BRNOの博覧会」(p172)ですな。

 幾種類か掲載されているマッチラベル・コレクターのための雑誌というのがまたいい。洋酒天国ふうなキャラクターまで登場(p128)。さらにチェコの古書店の写真(杉浦かな子)がステキすぎる(p145)。ゆったり感と趣味の良さ、そしてバナナの空き箱を利用した均一本(?)の台にも味がある。時間の流れ方が違うナ、と思わせられる。

 まだ同人ではなかった南陀楼君のインタビューを京都でさせてもらったとき、チェコのマッチラベルを貼り込んだ日記帳(内澤旬子さん造本になる『プラハへの出奔日記』、『sumus』8号に図版掲載)を持参して見せてくれたことを思い出す。すごく新鮮な印象があった。あれが二〇〇一年だから、およそ四年経ってこういう図集にまとまったわけだ。おめでとう。カロさんで8月16日〜9月3日「チェコのマッチラベル」展が開催される。8月27日にはトークショーも予定されているので、ぜひ参加されたし。

 南陀楼綾繁編著『チェコのマッチラベル』装丁=松尾ミユキ・滝村美保子 ブックデザイン=榎本香里

『彷書月刊』8月号、特集・神出鬼没 杉山茂丸。夢野久作のおやじで戦前の政界フィクサーだった人物。杉山茂丸と吉田磯吉、林きむ子と杉山茂丸、茂丸の義太夫と竹本素女、杉山茂丸の日活、活字メディアと杉山茂丸、杉山茂丸と武智鉄二、杉山茂丸と満鉄こと始め・・・特集の原稿のほとんどが「杉山茂丸と」または「と杉山茂丸」である。フィクサーのフィクサーたる所以か。


2005年7月25日(月)日傘へも雨やわらかに人急ぐ

昨夕、濱田研吾氏の新著『脇役本』(右文書院、二〇〇五年)が届いた(例によってはま田氏の「はま」は『新字源』4236、浜の俗字であるが、表記できないので「濱」をもって代用する)。以前、デイリー・スムースでも紹介した氏の私家版『脇役本』は刊行直後より評判が高く、すぐに売り切れたそうだ。それを惜しむ声がこの右文書院版を生み出したと考えてもいいだろう。あちこち開いて読み始めると面白すぎる。

 念のためと思い、私家版も取り出して新版と比較してみた。まず、目次に並ぶ脇役の配役が若干異なっている。千秋実、花沢徳衛、小松方正、伊丹十三らはなぜか省かれており、草野大悟、若水ヤエ子、天本英世らが加わっている。新版には書影が多数入り、口絵の肖像写真も見やすくなっているが、驚いたのは、重複する脇役についても文章は全てリライトされていることだ。このあたりにも濱田氏のただならぬこだわりを感じる。

 むろん内容は前著に対する感想批評などを踏まえて間違いなく進化している。例えば、浪花千栄子の本名。これは彼女が出演していたオロナイン軟膏のCMで「なんこうきくのと申します」というふうに使われていた。「なんこうきくの」ってあんまりにもできすぎ。誰に聞いても「ウソにきまっとる」と言われ、ウソだったら誇大広告なのに・・・と子供心に釈然としなかった記憶がある。私家版『脇役本』には次のように書かれていた。

《浪花の本名は「南高キクノ」(軟膏効くの)という。その縁からキャラクターに採用されたわけだが、新橋にある電通ミュージアムで、当時のCMフィルムを見たことがある。浪花の母親、松山容子の長女、土田早苗の次女というファミリー設定で好感のもてる作品だった。》(p51)

 そうそう、娘たち、たしかに松山容子と土田早苗でした。ここに出てくる「南高キクノ」、新著では《本名を「南口菊野」という。なんこうきくの。軟膏効くの。》と訂正されているのだ。そうか(!)、ナンコウなんて名前はちょっと眉唾だったけれど、南口(みなみぐち)ならば一般的な名前といっていいだろう。しかもナンコウキクノと読んだって間違いじゃない。例えば、19日に取り上げた『文字は踊る』のなかに《大阪府の泉北郡は、「いづきた」、泉南郡は、「いづなみ」と読むのが正しい。しかし、だれでも、「せんぼく」「せんなん」といつてゐる》(p212)とある。都合の良いことに浪花千栄子は南河内の生まれ。ああ、やっと少年時代以来のもやもやが晴れた。このようにさまざまに驚かされたり、感心させられたり、考えさせられたりする『脇役本』、おすすめの一冊だ。

『pen』8月1日号をナベツマが買ってきた。特集は「オフィスの最先端」、まあこれはどっちゃでもいい。目を引いたのは「いまNYで、もっとも刺激的な芸術/アウトサイダー・アートを探せ!」という記事である。先年、日本でも紹介されたヘンリー・ダーガーを中心に世界の山下清くんたちに注目が集まっているらしい。しかしそれらの作品図版を眺めているとアウトサイダーかどうかということはほとんど関係ないように思えてくる。だいたいアウトサイダーという呼び名は何なんだ? 記事によれば(p103)、デュビュッフェが1945年に素人絵画を賞賛して「アール・ブリュット」(art brut 自然のままの芸術、野蛮な芸術)と呼んだそうだが、それが英訳されて「アウトサイダー・アート」になった・・・でどうして brut が outsider になるのか? 直訳なら「raw art」だろうに。釈然としない。いずれにせよ、小説も書いたというダーガーの作品にはかなり惹きつけられるものがある。

テレビ録画で「きっと忘れない」(アレック・ケシシアン、1994、With Honors)を見た。ハーバード大に住み着いていたホームレス(ジョー・ペシ)がある学生の卒論の草稿を拾ったことからその学生(ブレンダン・フレイザー、「ハムナトプラ」の若き冒険家)と親しくなり、下宿(一軒家を五人でシェアーしているが、一人は行方不明)で仲間たちとホ−ムレスの最後を看取るまでの交流を描く。ハーバードの学生生活がうかがえて興味深い。クラシックな図書館も登場、書棚が白塗りになっていた。死の床の男に聞かせるため四人の学生が交互にホイットマンの『草の葉』を朗読するのが少々クサイけども・・・(ちなみに映画の中の本は真っ赤な表紙だったが、架蔵本は緑なり)。で、その男の死因が、今話題のアスベスト! 造船所で働いていたときにアスベストの細かい繊維を吸い込んだため二十年経って不治の病となったという設定だ。原題「With Honors」は卒論の「最優秀賞」という意味と「礼をもって」ホームレス(一筋縄ではいかない男、ジョー・ペシですからなにしろ)を扱うというダブルミーニングか。

LEAVES OF GRASS, WHITMAN, DAVID McKAY, 1900


2005年7月24日(日)冷蔵庫四台並ぶ暑さかな

旧式の白い冷蔵庫が大小四台、電気店の前に放置されている。廃棄を待つのみか。

昨日、生田に遇った後、アスタルテ書房へ。パニョル『ファニー』(永戸俊雄訳、白水社、一九四一年五版)など買う。この時期の白水社はけっこう趣味のいい装幀で気に入っている。装幀者名は記されていないのが残念。この『ファニー』は戦後一九四八年にも荻須高徳の水彩画による表紙で雄鶏社から刊行されている(拙著『古本スケッチ帳』p139参照)。

『ファニー』白水社、一九四一年

さらに湯川書房に寄った。以前ここ(1/8、1/25)でも話題にした車谷長吉ラブレターがいよいよ近日刊行の運びとなったようだ。案内葉書に次のような文面が刷られている。

《 車谷長吉恋文絵 御案内 
 本書は、車谷長吉が過ぎし日に、想うひとに連綿と送りつづけた恋文である絵ハガキ九十五通を、原寸大のまま収録したもので、限定百部を上木刊行します。体裁は判型十六×二〇cm、小千谷縮とモロッコ皮による継表紙。和紙装差込箱、著者署名入り。 頒価 三九、〇〇〇円(税込)
七月三十日開頒 おハガキでお申込みいただければ幸甚です。》

 「もうちょっと安うできたらよかったんやけどね」と湯川さん。注文は、京都市中京区河原町三条上ル恵比須町534-40 湯川書房、まで。

『ΣΤΟΙΧΕΙΟΝ』18号、田村治芳さんより届く(発行=なないろ文庫ふしぎ堂 文京区白山2-26-16-601)。ストイケイオンはギリシャ語で「日時計の指時柱、はじまり、最初のもの、最初の発声、自然科学における最初の要素、知識の要素」などの意味があるようだ。ここではプラトンの「テアイトトス」(テアイテトス)からの引用が目次に示されている。田村さんの青春時代の回想あり。他に木村威夫、博多なほ子、アガタ・ステッキー、稲川実代子、吉田明弘、星谷章、高橋貞雄。

氣刊ナンザツ7』カエさんより届く。表紙にカエさんの俳句「手のひらに葡萄一房、いいえ、子猫」などが刷り込まれている。遠藤哲夫さんのエッセイ「鳥獣戯食」は熊を獲る猟師が猟に不適な狩猟犬を食う話など。おもしろかった。ただし熊を獲るのは肉を食うためじゃないような気もする。もっと多様な目的をもつ経済行為では?


中島健蔵『アンドレ・ジイド』表現社、一九四九年 装幀=青山二郎


2005年7月23日(土)日盛や声かけられて本かくす

七夕の『1928』『1929』の行方について、ダメもと Webcat で検索してみた。すると、なんと四冊とも日本近代文学館に入ったようだ。これは有り難い。とくに『1928』の創刊号、第二号は貴重である。

京極通の眼鏡店で五年ぶりに新しいメガネを注文した。そのあとスマートでランチ。尚学堂の前でしゃがんでいると、「林さん!」という声が。振り向くと生田誠がやってくる。お子たちを連れて帰省しているそうだ。ちょうどいいのでスムース文庫についてなど打ち合わせ。


【ナベツマ通信・ナベコレ、はまり道】

 元々ナベツマはナベツマではなかった。当たり前じゃん! そもそも「ホーロー鍋が欲しいな」と思ったのは、ジャム作りに金属鍋では具合が悪いので、それで大きめのホーロー鍋が1ヶ欲しいと思ったのがきっかけだった(読者の方々におかれてはよくご理解いただけているものと考えます)。

 で、今回のイチゴジャムづくり、千円鍋のキャサリン・ホルムをお試し使用してみることに。

 感想は・・・・、つかえねーぞ、この鍋!! クツクツと弱火で使ったにも関わらず、鍋底の一部分にうっすら焦げができてしまった。そういう意味では、FINEL鍋のお仲間。我家のFINEL鍋 from CANADAは、パスタをゆでると、きまってどっかにひっつくのだ。う〜ん、まだ行ったことはないが、北欧においての料理文化について憂慮してしまう(ストックホルムとコペンハーゲンにトランジットしたことはあるが)。キャサリンホルム社はノルウェイ、FINELはフィンランド、ダンスクがデンマークなのだ。ちなみに北欧勢のなかでは、使用するならダンスクが一番出来がいいように思う。

 以前、村上春樹んちで、FINEL鍋(我家と同じ赤ストックポット)が、台所の生ゴミ入れとして使われていることを知り、大いに憤慨したものだが、今は、「なるほど、しゃーないわな」と妙に納得がいく。


**イチゴジャムが結構映えるオリーブキャサリン鍋。仕上げはグランマルニエ。ナベツマが作る手作りジャムは絶品との噂も・・!? 


2005年7月22日(金)表札の空蝉透けてしずかなり

空蝉(うつせみ)すなわち蝉の抜け殻。

永井龍男の「青梅雨」が『en-taxi』10号で鼎談の俎に乗っていたけど、最後の二行が要らないというような話が出ていて、昔『青梅雨』(新潮文庫)で読んだはずだが、タイトル以外にはまったく印象に残っていないので、講談社文芸文庫版を取り出して再読してみた。二行がどうこうでなく、つまらない作品だ(車谷長吉もそう言っていたようだが)。永井龍男にはもっと他にいいものがあるはず。ちなみに「青梅雨(あおつゆ)」は夏の季題で新緑の梅雨ということ。青は今ふつうにいうところの緑である。このタイトル、いつも「おうめあめ」と読みそうになる。学生時代に青梅街道のわりと近くに住んでいたせいか。

村中秀雄さんより『火曜日』83号。一筆箋にこうあった。《お元気ですか。私はクーラーががまんなりません。外出には首マキが欠かせません。》

阪神ファンのある方より暑中見舞いをいただいた。《たまに敗けると、なんだか珍しいものでも見たような気になるというのは、ゼータクな夏を過ごしております。》・・・むふふふ。でも、死のロードが待ってますからね、これからが正念場ですよ。

中谷宇吉郎を研究しておられるTさんより『立春の卵』(書林新甲鳥、一九五〇年)にはさまれていた「書林乃友1」というシオリのコピーをいただいた。甲鳥書林については拙著『古本デッサン帳』(青弓社、二〇〇一年、初出は『sumus』4号)にあらましのことを書いた。甲鳥書林という版元に注意を喚起したという多少の功績(甲鳥という名前の由来をつきとめた)はあったかもしれないが、調査としてはまったく不十分なものであった。とくに、経営者だった中市弘・矢倉年という義兄弟の出身地伊賀上野における活動についてほとんど触れられなかったのは残念だ。

 甲鳥書林は戦時における出版社統合によって名前を消してしまい、戦後は、ごくおおざっぱに言えば、中市と矢倉は別れて出版社を経営することになる。中市は変遷あって甲鳥書林を再興するが、かつてのようなめざましい活動はなかったようだ。矢倉が起こしたのが「書林新甲鳥」である。参考までに矢倉のマニフェスト《出版書林「新甲鳥」草創に際して》を引用しておく(旧漢字は改めた。《昭和二十年》は五が脱字)。

《謹啓 一九五〇年の初頭に当たりまして広く読書子各位の御機嫌お伺ひ申し上げます。扨この度小生年来の希望の出版界に再帰いたしまして新に書林『新甲鳥』を経営いたすことになりました。起想いたしますと京都下鴨に地名に因んで甲鳥書林を起し、東京神田の鎌倉河岸と共に出版営業いたしましたのは既に十有余年の昔でありました。その間絶えざる書物への敬虔と愛情とを以てより良心的なものの出版を念願しつゞけ、幸に各位の御愛顧を辱うした次第でございます。
 終戦後暫く業界を離れてゐましたが、敗戦後の世態の不統一と困窮とを思ふにつけて出版事業の使命の重大さを今更に痛感いたし、斯業への帰心止みがたいものを覚えました。然して最近には又雑誌単行本の発刊の数の夥しきに驚きますと共に経済界の沈滞に伴ふ出版不況、売行不振の声も漸く巷に高きを聞くのであります。既に飽和状態に達しており、且又営利事業としては経営困難なるこの出版界に敢て私を還しましたものは、この止みがたい書物への愛情と口巾たい言分でありますが、進歩的な民主化への媒介者としてありたいといふ心境であります。(下略)昭和二十
年三月一日》

 この他「書林乃友1」には吉井勇(甲鳥書林の名付け親)、中山義秀、山本嘉次郎、中谷宇吉郎が励ましの言葉を寄せており、刊行書目としては『立春の卵』、武者小路実篤『幸田露伴』、吉田絃二郎『句集 行く雁』、橋本奚隹二『句集 松囃子』、高浜虚子『昔薊』が挙げられている。

昨日のコナンドラムの答えは「a book」。cover(表紙と蓋)、back(背と背中)、leaves(紙葉と葉っぱ)・・・それは「本」です。模範解答、三桑カエさん訳。

  覆いがあるけど、入れ物じゃない
  背中はあるけど、頭はないよ
  丸型じゃない葉っぱがいっぱい
  足が無くても立てるんだー
  音もたてずに話しちゃうー
  はーい、僕の名前はbookちゃん!


中村光夫『二葉亭四迷論』進路社、一九四七年 装幀=青山二郎


2005年7月21日(木)あんころがまむしに敵う京の夏

あんころ餅を土用の入りに食べる風習が京の街にはあるという。なにか呪術的な意味があるのかもしれない。あるいは単に聖バレンタイン・デーみたいな販促戦術か(?)。

屋島のブックオフで買った英語の絵本『One More Makes Four』(JONATHAN CAPE,1978年、文章は Robert Gernhardt、イラストが Almut Gernhardt、ドイツ語からの英訳が E.W.Taylor)。イラストが気に入ったのだが、詩のような文章もおもしろい。中にひとつ conundrum(だじゃれを含むなぞなぞ)があったので引用してみる。翻訳してしまうと問題にならない。わりと簡単な英語なので名探偵コナンドラムになって謎を解いてみてくれたまえ! さてこれは何でしょう?

 It has a cover,
 but isn't a pot.
 It has a back,
 but a head it has not.
 It has many leaves,
 but none are round,
 It stands without feet,
 it speaks without sound.

 答えは明日。


立野信之『いのちの構図』実業之日本社、一九四八年 装幀=青山二郎


2005年7月20日(水)赤蜻蛉ジリジリ灼けるデビュの日

内田先生(内田樹の研究室)がまた「パブリック・ドメイン」について怪気炎をあげていると思ったら、朝日新聞(7/16)に「著作権は何を守るのか」という保護期間延長に関する記事が出ていた(留守中の新聞をようやく読み終わる)。現在の著者の死後50年を20年延ばして70年にしようという意見があるのだ。「著作権」というのは、以前ちょっと触れたように、正確に言えば「著作者の権利」であって、著作物に権利が存在するわけではなく、基本的には著者に属する権利を指すのである。ということは著者がいなくなって、一定の時間が経てば、その権利は失われて当然であろう。ところが、近年では「知的財産権」(知的所有権よりも知的財産権の方が現在ではより一般的な名称で「知財」とつづめる、先日のシンポジウムで知った。パテントとコピーライトを合体させた権利)という概念が主流になってきており、これはひょっとして「財産」と言うのだから、土地などと同じように代々相続したり自由に売買するというようなことが念頭に置かれているのかもしれない。ビートルズの版権はマイケル・ジャクソンが持っているとか・・・みたいに。

 まあ、それは考え方次第なので、ウンチクは50年は永すぎると思うし、内田先生の意見にも基本的には賛成ではあるが、保護主義者を否定するつもりもない。ただ、上記記事のなかで日本文芸家協会知的所有権委員長である三田誠広さんの意見として《「例えばサンテグジュペリ(1944年没)は欧米では権利が続いているが、日本では勝手に翻訳が出せる。野蛮な国と見られているだろう」》が引用されているけれども、《野蛮な国と見られている》という言い草はどんなものだろう(ほんとうにこの表現通りに三田氏が発言したとしてだが)。野蛮って、そういう問題じゃないでしょう。単に欧米に追従するというのではなく70年であるべき必然的な理由を述べて欲しかった。ちなみにアメリカが70年保護するのは1978年以降の作品である。今は懐かしい響き「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がかしましかった時代である。

青山二郎本シリーズ再開。

 高見順『日曜と月曜』実業之日本社、一九四六年

「日本の古本屋」に『1929』が二冊出品されているとMさんが教えてくれた。驚くような値段だ。これからすれば、ヤフオクでの頑張りも無駄ではなかった。もしあのとき入手できていなければ・・・・立ち直れないでしょ!(アッと書名が分かってしまったですね) ちなみに、極秘情報によると、七夕に出品されていた四冊の『1928』『1929』が、ほぼ上記と同じ(むろん巻号は別)くらいの値段である大手書店によって落札されたらしい。ああ、困った困った、まさか『サンパン』の連載のせいじゃないだろうね・・・


2005年7月19日(火)白抜きの背文字にしみる蝉時雨

ミカンは相変わらず足許がふらついている。また、首をブルブルっと振ったときにバランスを失って倒れ込んでしまう。思い切って、セカンド・オピニオンということで、別の動物病院で診察を受けてみた。そこは規模もやや大きく人気病院なので数時間待ちは当たり前、一日つぶれるのを覚悟しなければならない。ところが、午前九時過ぎに受け付けに行ったところ四匹待ちだった。これはラッキー(後で聞くところによると院長先生不在日だったとか。若手獣医師は少なくとも四人はいた)、一時間ていどの待ち時間だった。

 上述したような症状は運動失調といい、通常、小脳の病気や、前庭(耳の奧の脳に近い部位の一部)の障害によって起こるそうだ。前庭の炎症ならば、ステロイド剤が効果があるようだが(いきつけの獣医さんにもらっている)、それで完全に治るということでもないらしい。また脳が原因なら、MRI検査しなければならないが、その際に全身麻酔の必要があり(犬にとっては命がけ)、また仮に脳腫瘍などが見つかったとしても簡単に手術するというわけにもいかないらしい。けっこうやっかいな病気である。

 血液検査、尿検査の結果にはとくに異常はなかった。心臓をはじめ内臓は丈夫である。結局、過激な運動は控えるようにと言われただけで引き揚げることになる。

 少ないといっても押すな押すなの繁盛で病気の犬猫が押し掛けていたが、アトピーのハスキーや老衰のレトリバーは可哀相だった。老レトリバーは体が大きいので紙おむつをして特別な台車のようなものに載せられていた。動物たちも人間と同じく老と病で苦しんでいるわけである。生・老・病・死を仏教では四苦とするが(四苦八苦の四苦です)、老・病は要するに「生」にともなう苦しみであろう。死によってしか逃れることはできないようだ。

留守中見ていなかったブログをチェックする。備忘録に平野岑一『文字は踊る』(大阪毎日新聞社・東京日日新聞社)の話題があった。昭和六年版をたまたま架蔵しているが、表紙はこういうものです。

 平野岑一『文字は踊る』

古書方方が久々に日録「ぶらりひょこたん」を更新している。《バイト先が倒産しました。 古本頑張るかなぁ。》とある。がんばってや〜。


2005年7月18日(月)夏解けて老犬鼻で語り合う

留守中に届いていた書物などを記しておく。まずは橋爪節也氏の編著書『モダン道頓堀探検』(創元社、二〇〇五年)。これは産経新聞大阪版に連載された後、数年をかけて大幅な加筆が行われ、今月ようやく日の目をみたという労作である。『sumus』3号でインタビューさせていただいた橋爪節也さんは「学芸員」というよりも「学芸人」というかんじのおもろい大阪のおっちゃん。モダン大阪教教祖こと橋爪伸也さんのお兄さんだ。このふたりが育った家庭ってどんなんだろう?(橋爪兄は小学校時代にはお城コレクターだったと弟さんからうかがった。昔から和モノ趣味だったのね)

 まあ、とにかく橋爪さんの好みで統一された道頓堀がパノラマ状に展開して愉快このうえなし。執筆者は橋爪兄を含め八氏、それぞれにウンチクを傾けてモダン道頓堀のさまざまな側面を解き明かしてくれる。駆使された図版も見飽きないものばかり。巻頭カラー口絵に雑誌『道頓堀』(道頓堀発行所、大正八年創刊)がズラリと並ぶ、思わずヨダレが・・・。

 個人的には「キャバレ・ヅ・パノン」(旗の酒場)について考察された橋爪氏の文章がたいへん参考になる。拙著『喫茶店の時代』(編集工房ノア、二〇〇二年)でもある程度触れているが、さらにさらに深い調査を行っておられる。脱帽あるのみ。とにかく戦前モダニズム時代の大阪道頓堀が脈打っている一冊、座右の書になりそうだ。ひとつだけ注文を付ければ、索引が欲しかった!([書評]のメルマガ 222号拙稿参照

 橋爪節也氏編著『モダン道頓堀探検』 装釘=濱崎実幸

大阪つながりでもう一冊。O先生より藤沢桓夫『大阪五人娘』(三島書房、一九四六年)をいただく。戦前の大阪を活写した藤沢のモダン小説だ(デビュー当時の新感覚派的作風とはまったく違うけれど、同じ精神が流れているとみた)。最近、この三島文庫がジリジリと高値になっているのだ。有り難し。

 藤沢桓夫『大阪五人娘』三島文庫 装幀=恩地孝四郎

装幀=恩地孝四郎ときたら、『紙魚の手帳』33号である。大貫伸樹「恩地孝四郎の装丁」が始まった。大貫伸樹の続装丁探索でその探求ふりがうかがえる。田中栞「戦時下の書皮事情」もいつもながら熱心な探求である。東方社の雑誌『FRONT』の包み紙には驚いた! 平野武利「網目スクリーンの発明」も印刷の基本知識として押さえておきたいところ。1880年代に開発されたようで、日米の研究者がまったく別に、しかしほぼ同時に実用化したらしい。

『APIED』7号、テーマ=「チャップリン自伝」。大野裕之、寺田操、中川六平、他。アピエ社 京都市北区上賀茂今井河原町5-6。ワンテーマでずっと続いている。今号は装幀がちょっと変わっていいかんじ(装画=山下陽子)。

『ガーネット』46号は今日届いた(空とぶキリン社 kiichi51@pearl.ocn.ne.jp)。阿瀧康さんの日録「冬から春へ」を読む。京都の三条ブをのぞいたことが書かれていた。他に、一箱古本市に参加できなかったこと、神保町での書店員に対する感想など。阿瀧さんの俳句近作より。
  階段下に靴跡あまた卒業す
  遅き日の友古タイヤ担ぎ来て
  自転車を玄関内へ啄木忌


【ナベツマ通信・ターコイズ再び!】

 eBay4連勝の3つめは、ルクルーゼのターコイズココット20cm。あこがれだった、蓋の取手が四角いタイプなのだ。

 さて、今度こそはと、EMS国際速達郵便で送ってもらおうとその分送料を支払ったナベツマ。セラーは女性だったし、今度は大丈夫そう。PayPalの支払い時に、EMSのバーコード番号を知らせて欲しいと伝言しておいたら、ちゃんとメールで知らせて来た。

 さて、現地アメリカの地方郵便局から荷出しされた鍋を、日々ネット追跡した結果を以下に記載する。

●Acceptance, June 29,2005, 1:09pm, WICHITA, KS 67276
●Enroute, June 30,2005, 9:03pm,AMF OHARE, IL 60666
●International Dispatch, June 30,2005, 9:05pm,Chicago AMC
●Arrived Abroad, July 03,2005, 12:41am,JAPAN
●Into Foreign Customs, July 04, 2005, 9:00am, JAPAN
●Out of Foreign Customs, July 04, 2005, 4:30pm, JAPAN
●At Foreign Delivery Unit, July 05,2005, 1:26am, JAPAN
●Delivered Abroad, July 05,2005, 10:38am,JAPAN

 カンサス州のウィチタを6月29日に出発した荷物は、7月5日に京都の我家に届けられた。そうすると、正味6日間で到着か(?)ということになるが、実際には出発日も到着日も現地時間なので、日本時間でいうところの6月30日に発って7月5日に到着。つまり5日間が正解。

 上の表を見ていて気になるのは、日本に到着してから税関の通過にまる2日もかかっている点である(ちなみに今まで、税関で関税をかけられた経験はない)。通関待ちの荷物がどっさりあるんだろうねえ。

 さて、日本の郵便局のホームページにも「小包追跡」という追跡サービスがある。同様に、アメリカ郵政省USPS(UNITED STATES POSTAL SERVICE)のHP、トップページにてトラッキング番号を打ち込めば、今どこに自分宛の荷物があるのか一発で分かるシステムになっている。世の中ほんと便利になったもんだ。
 http://www.usps.com/welcome.htm

 

◎トラッキング番号は、荷札の左上部にあるバーコード下の英数字。
◎今回も大きめの段ボール箱&充分な梱包で鍋は安着

 

◎鍋底と蓋裏に、直径20cmを表す表示「C」。まったくの未使用、完品!!! きゃあ、うつくしい!!


2005年7月17日(日)中元や返事せかるる文の束

本日、郷里より帰宅。親たちが老いていくというのは腹立たしいものだ。年寄るごとに短気になり、わがままになり、嘘つきになる・・・・そして、ふと気づけば、わが身もまた徐々にそうなっている。

愚痴はこのくらいで、例によっての古本掘り出し報告、といきたいところだが、そう度々おどろくような稀覯本が転がっているいるはずもない。ただ、三月に『スタイン抄』(椎の木社、一九三三年)を買った昭古堂で、内田忠『1と2』(椎の木社、一九三三年)を見つけた。おそらく前にもあったのだろう。そんなに安くはなかったが、知って素通りするわけにはいかない。新興俳句連作といったおもむきの短詩集である。内田忠は荻原井泉水の雑誌『層雲』の同人から自由詩へ転向したのだという。

    蝶の貝
  また別な蝶がとんできたページ
  しづかな竹の葉になつてその雨を待つてゐる
  青空よ青空には人がゐない
  朝霞の舟くる声してより舟人の見え
  永い日くれてからの水の水底
  裸の居る岩かどへ水平線
  暑い日ねてゐる幼い手のをきどころ
  草ふかい物干竿のある朝の雨となつてゐる

 内田忠『1と2』

 他には百田宗治『自選詩集 閲歴』(目黒書店、一九四六年)とか『四季』復刊1号(潮流社、一九六七年十二月)などを市価の半値程度で入手。耕治人『詩人千家元麿』(弥生書房、一九五七年)帯付き800円、角川文庫版『西東三鬼句集』(一九六五年)グラシン・帯付き200円もうれしかった。ついでに古書店すむーす堂の仕入れもしてきたのでご覧あれ。


2005年7月9日(土)向日葵の種よりいでて猫渡る

 昨夜遅く知人より電話あり。永島慎二さん宅を弔問したとのこと。公表しなかったのは遺書に従ったそうで、亡くなった書斎に用意されていたという。香典等も一切辞退されているそうだ。紙ヒコーキや鉄道模型、パイプ、将棋の盤駒など、永島さんが愛した品々に囲まれた最後だったらしい。今年の初め頃からふたたび体調が悪くなり、それでも入院は好まなかったという。覚悟するところがあったのかも知れない。

 『i feel 読書風景』夏号届く。特集・言葉たちの誘惑、辞書・事典を読む愉しみ。巻頭、柳瀬尚紀×桐谷エリザベスの対談が面白い。大槻ケンヂ、なかなかうまい。かなり昔、ある関西ローカルのテレビ番組で、一般家庭を突然訪問して「おたくにある一番難しい本を見せてください」と頼む企画があった。あるおばあちゃんが、そう言われて『広辞苑』(たしか初版あたりの感じだった)を持ち出してきた。すると、タレントが「じゃあ、いちばんスケベな本を見せてください」とたたみかけた。おばあちゃんは、一旦引っ込んだが、やっぱり『広辞苑』を持って現れた。「なんでですか?」と問うタレントに「ここ見てみいや」といって卑語が載っている頁を開いたのだった。おばあちゃんのトンチが忘れられない。そうそう、内堀さんの「予感の本棚―戦前の紀伊國屋書店」連載開始。

 明日から一週間ほどお休みします。早めの夏休みです。

 今日の青山二郎は、小林秀雄『私小説論』作品社、一九三五年。函の寸法が、タテ170mm、ヨコ130mmという変型。本文の組版も独特のもの[青山二郎の装幀]。模様はやはり陶磁器からの借用を思わせる。

 小林秀雄『私小説論』


2005年7月8日(金)鞭鳴らす女来にけり紫蘇の花

 しばらくぶりに外でナベツマと昼メシを食う。四条仏光寺下る「味禅」で蕎麦。蕎麦粥が逸品なり。食後、久々の古本屋廻り。地下鉄で市役所前下車。尚学堂で和本など漁る。明治十四年発行の『修身書七』奥付に似顔絵入り検印紙を発見。「版」「権」「免」「許」「金港堂証」「原亮三郎」「大日本東京日本橋区」「本町三丁目十七番地」などと記されている。原亮三郎(一八四八〜一九一九)は金港堂の創業者。明治八年に横浜で開業し翌年日本橋へ移転。教科書出版で成功した。一時は教科書シェアの六割を占めたと言われる。文芸方面では二葉亭四迷『浮雲』などを出版している(鈴木徹造『出版人物事典』出版ニュース社、一九九六年より)。

 金港堂原亮三郎の肖像付検印紙

 いつもならアスタルテ書房へ行くところだが、今日はキクオの方へ路を取り、京阪書房の均一台にかじりつく。ここで宮嶋新三郎『現代文芸思潮概説』(三省堂、一九三一年)を入手、200円。湯川書房を覗くも照明は入っているのに不在、戻るのを待たずに南下する。寺町通り三密堂の百円均一台で思わぬ拾いものがあった。『四青社第一回展覧会・図録』(四青社、一九二三年)と『第二回艸園会洋画展覧会出品目録』(一九二七年)。四青社の表紙画は辻愛造(一八九五〜一九六四)、当時は国画創作協会に出品していたようで、見ての通り、劉生ばりのデッサンだ。巻末の広告には「大阪市南区楽天地南横・森田オッサン堂」「大阪市南区南海通・波屋書房」などが並ぶ。艸園会の方も辻愛造が関係している。吉原治良も加わっているはずなのだが、この目録に吉原の名前はない。会場が心斎橋筋丹平ハウス階上となっており、丹平薬局の広告もある。これは嬉しい。


 左『四青社第一回展覧会・図録』タテ19cm、右『第二回艸園会洋画展覧会出品目録』の裏表紙丹平薬局の広告。

 梁山泊を期待せずにのぞく。欲しい詩集いくつもあるが、眺めるだけ。そんなに高いわけではない。しかし・・・。そのうち懐のあったかいときに(いつだ?)存分に買ってみたいもの。帰途に就く。電車の中で『en-taxi』10号を読む。福田和也氏の洲之内徹特集はさっぱり分からん。福富太郎とは切り離すべし(ちなみに同席している大竹伸朗氏とは武蔵美で同級生だったことがある)。ただ、石水亭での座談の中で康さんという人がいちばんまっとうな意見を吐いていた。《絵をどうにかしてもってきたっていいし、女を騙しても構わない。でも、いつも自分より弱いんだよ、相手が。本当に洲之内徹さんは、自分に自信があったのか、と思うね。本質的に弱いんじゃないか》・・・まさしくその通り。付録の文庫本、洲之内徹『複刻 棗の木の下/砂』ももうひとつ。「編集後記」で(I)さんが《この読めば読むほど不可解なところの残る作品》と形容しているのは当たっている。洲之内徹は「弱さ」から始めなければ何も見えてこない。

 帰宅すると岸田國士『鞭を鳴らす女』(作品社、一九三五年、函欠)が届いていた。いい本だ。(今日は青山本お休み)


【ナベツマ通信/後日談「たったの千円」】

 朝からせっせと鍋の保管場所を整理していたナベツマ。パズルのようにダンボール箱をあっちこっちに移動させ、空きスペースを作ってご満悦。(まだまだ入りそう・・うふっ!)

 さて、前回のオリーブ・キャサリンちゃんの後日談。安く落札できたキャサリンホルム鍋。じゃあ、今回は追跡調査が可能なEMS/国際速達郵便で送ってもらおうと、その分送料を支払ったナベツマ。だが、鍋のあまりの安さから、EMS分支払ったら、通常の航空便で来るんじゃないかと危惧していたところ、やっぱりただの航空便で到着。

 ここはぐっと押さえて(ネコババよ、これは!)、笑顔でサンキュ!とeBayの出品者評価を行った。そうすると以下のような入札者評価が返された。

 Fast payment and smooth international transaction! Thank you! Highly recommend

 超イチオシだってさ! ははは、5ドル分のゴマスリ、サンキュ!!!(蘊蓄!「ゴマスリ」って何って言うの??)

 ちなみに、オークションの評価はヤフオクとeBayでは少々異なる。ヤフオクでは、「非常に良い/良い/どちらでもない/悪い/非常に悪い」と5段階あったが、eBayでは「良い/普通/悪い」の3段階である。ヤフオクの評価だが、「5段階あった」と書いたのは、ごく最近その5段階が3段階に識別される表になった。eBayを意識してのことに違いない、か?


ウンチク・コーナー 『プログレッシブ和英中辞典』によれば「胡麻をする」は「flatter;《米》apple polish
  彼はしじゅう上役にごまをすっている
  He's always buttering upapple-polishing]the boss.

2005年7月7日(木)洒涙雨「酔いざめ日記」読み飽かず

 洒涙雨、牛車雨はともに七夕に降る雨のこと。朝、玄関先の草取り。日中、雷雨が激しかった。急に頼まれた装幀用の装画を水彩で描く。サンパン次号の原稿をほぼ仕上げる。メルマガの書評用に木山捷平『酔いざめ日記』(講談社、一九七五年)を取り出してあれこれ拾い読む。松本へ桜井書店の本を送った礼として保昌正夫先生の著書がまとめて送られてくる。カエさんより宮城県立美術館発行の小冊子『美術館散歩II 洲之内コレクション』いただく。謝謝。

 今日の青山本はニーチェ『如是説法ツァラトゥストラー』(登張竹風訳、山本書店、一九三五年)。登張訳『如是経序品』(星文館書店、一九二一年、装幀=岸田劉生)を改訳して巻頭に置いている。解題には《当時の星文館主前田慶次君は、目下仙台市に星文館を開いて活躍してゐます》、また、《今年の春のことです。二高在職当時の教へ子山本武夫君が、拙宅訪問の序でに、談たまたまニーチェに及び、あの訳稿を至急出版したいが如何、と思ひも寄らぬ膝詰談判です。ニーチェの講義を聴いてくれた人が書肆となつて昔の師匠の本を出版したいと請願むのです》とある。山本書店は『立原道造全集』(三巻、一九四一〜三年)などを出しているが、昭和九年頃にスタートした版元のようである。宗教関係が多い。

 『如是説法ツァラトゥストラー』


2005年7月6日(水)今はもう車窓の人か星の降る

 永島慎二さんが亡くなられていたことが発表された。体調を崩され、西荻に引っ越されたというお便りをいただいてから、ずっと気にかかってはいたのだが・・・。ウンチクは将棋の関係で親しくさせていただいた時期があった。永島さん手作りの将棋駒をいただいて家宝にしている。その頃はすでに悠々自適の暮らしぶりだった。ウンチクは「黄色い涙」のシリーズを『COM』でずっと読んでいて、そのロマンチシズムに多少辟易しながらも絵柄や構図法には強く引きつけられていた。ときおり読み返すと三十年以上前の真夏の暑さが甦ってくる。そのずっと後に古書で入手した『若者たち』のコミックスを、阪神淡路大震災の直後、いつもカバンにしのばせて持ち歩いたものだ。どうしてそのとき『若者たち』ともう一冊『陶淵明集』(岩波文庫、一九三六年版)を選んだのかは忘れてしまったが、とても大きな慰撫をそれらの書物から受けたことは間違いない。ご冥福をお祈りします。

 永島さんの本はまとめて郷里に置いてある。一冊だけ見つけた。巻末、いかにもうれしそうに鉄道模型のセットを眺めている永島さんの写真が載っている。

 永島慎二『阿佐ヶ谷界隈怪人ぐらいだあ』旺文社文庫、一九八四年

 今日の青山本は丸岡明『石榴の芽』。この図はたしか万暦赤絵あたりにあったと思う。内容を拾い読みしていると、犬の屠殺屋の描写がある「やくざな犬の物語」という小説が収められている。内澤さん用にコピーすべし。なかなかいい小説集である。丸岡明、現在、新刊ではほとんど出ていないようだ。岩波書店『戦後短篇小説選』、小学館『昭和文学全集』に入っているていど。惜しい。

 丸岡明『石榴の芽』日本文学社、一九三九年


2005年7月5日(火)夏柳さくら重ねの書に似合う

 近代ナリコさんの『インテリア・オブ・ミー』(PARCO出版、二〇〇五年、造本=澤地真由美)が一昨日届いた。まっ白なジャケットの光沢PP、銀の箔押しイラスト(東山聡)に意表をつかれた。「そうきたか!」という感じ。表紙の真赤も効いている(さくら重ね?)。ナリコさんは『sumus』に同人以外で二度寄稿してもらった例外的な人物である(むろんそれら二篇のエッセイも収録)。ウンチクも『modern juice』「すてきなおじさま」特集でインタビューを受けているので、彼女のなんとも形容し難い魅力は十分に心得ているつもりだった。しかしその予断を裏切るほどに彼女は遠くへ歩き始めていたようだ。

 近代ナリコの魅力。あえて形容すれば、彼女はひじょうに高踏的であり、同時にきわめて通俗的である、論理的でいながら超感覚派だし、陰湿で明朗、清純で淫靡、シニカルで慈愛に満ちている、ようするに彼女自身がこだわり続ける「少女」そのものを感じさせる。時間の流れが違うのではないか、そんなふうに思ったりもするのだが、『インテリア・オブ・ミー』を通して誰もがまさにそのナリコのインテリア(内心)を堪能できるし、ほんとうの少女時代をうかがい知ることもできるだろう。

 はっきり言って、ですます体のエッセイは好みじゃない。しかしナリコさんを考えた場合、これしかないでしょう。この緩やかにサクサクと迫ってくる感じ、例えば、こうだ。

《古書価の地平に埋もれたようなものを、まわりの土地を掘りかえして収穫するかのような私の古本買いはしかし、自分だけがその価値をわかることのできる「私だけのお宝」さがし、というわけでもありません。古本は私にとって、それ自体が目的というよりは、ひとつの手段。もちろん、モノとしての楽しさもやはり大切ですけど。ともかく、あくまでもいまの自分、あるいはその行く末を探る手だてとして、私は古本に接しているつもりです。》

 名文である。実際、古本まつりの会場などで妖精のような存在感のなさを発揮しながら本を渉猟している彼女は、要するに、自分探しをしているわけだ、思春期の少女の憂鬱と期待を抱いて。だが、また、彼女はきわめてクールに「少女」でなくなった者がはじめて「少女」について考えると定義している。略歴に1970年、神奈川県生まれと明記するゆえんだろうか。

 バンバン売れて欲しい本だが、もし万一そうならなければ、東山聡の挿画とともに、間違いなくマニア本となる一冊であることを保証したい。付録『modern juice』extra issue と円形のシオリも大切にしよう。

 近代ナリコ『インテリア・オブ・ミー』PARCO出版

 内澤旬子さんより、DNP大日本印刷が発行した「印刷に恋して」の絵葉書セット届く。サンクスです! 彼女のユニークな屠畜論は一読の価値あり。

 田中栞さんより『日本書票協会通信』132号戴く。書票の世界の奥深さ巾広さに驚くばかり。「古本屋の女房」でありユリイカ本や書皮コレクターとして知られる田中女史は『書物愛 蔵書票の世界』(平凡社新書、二〇〇二年)の執筆者の一人でもある。

 本日はレディース・デイでした。

 そうそう『記録』7月号もいただいてました。ありがとうございます。今回、塩山氏の俎に乗るのは筑波昭『連続殺人鬼大久保清の犯罪』(新潮OH!文庫)。大久保が白い《マツダ・ロータリー・クーペ》に乗っていたとあるが、1971年に購入したのならこれはルーチェ・ロータリー・クーペか(後にファミリア・ロータリー・クーペも発売している)。昔ドラマを見たのだが、記憶にない。それならば、たしかに鮮烈なデザインだった。カロッツェリア・ベルトーネ(スタイリストはG・ジウジアーロ)の美しいボディをもっていた。


2005年7月4日(月)どしゃぶりの四つ橋かすむ抹茶オレ

 昨日の件についてある古書店さんよりご教示メールをいただいた。《確か山内義雄の旧蔵書は市場に出たような。2年くらい前でしたか。今の古書会館が立替中の時の、別の場所(千代田区中小企業センター)で。全部出たかはわかりませんが、黒っぽい本が山で結構たくさん出ていました。署名入りも多く含まれていたようです。もっといいのがあるはずだろうと先輩方は言ってましたが。確かに1冊でどうこうというものは無かった。》・・・とのこと。また「[書評]のメルマガ」 vol.91(2002.11.7発行)に南陀楼綾繁が室氏に同行した記録を残しているとも。

 本日は朝から大阪へ。中之島のグランキューブ大阪という会場で「教育現場における著作権問題を考える」(主宰=帝塚山大学/後援=日本著作権教育研究会)というシンポジウムにパネリストとして参加した。先日来、著作権についてデイリー・スムースでもちょいちょい触れていたのはこの催しのため。初めての経験でとてもおもしろかった。

 まずは会場に隣接するリーガロイヤルホテルで昼食会の後(シンポジウムの語源シュンポシオンというのは「饗宴」という意味ですからね)、会場で基調講演を聴き、その後でおもむろに壇上に並ぶ。学校の現場関係者二人、著者側として内田樹先生とウンチク、他に朝日新聞知的財産センターの田上氏と日本著作権教育研究会の松岡女史。まあ、各自十分間の持ち時間なので、しゃべれることは限られていた。ウンチクはマルセル・デュシャンの例のモナリザの話をしてお茶を濁す。内田先生の開明的かつカゲキな発言は「内田樹の研究室」で読める。このブログはいつも知的刺激に溢れている。

 基本的に教育現場での著作物の利用は自由である。今、問題になっているのはその二次使用である。とくに試験問題集。入試といえば誰でもお世話になったはずのあの赤本がつい最近訴えられた。無断使用はまかりならんと著者たちが団結して訴えた。どうやらこれは示談になるらしいが、外にも予備校が次々に訴えられているそうで、著作権についての認識はまだまだ甘いということらしい。

 ここで、問題。今年の入試問題に引用された回数の多い著者ランキング第一位は誰だ? 終了後の雑談で耳にしたところでは、昨年は養老孟司先生だったそうだ。今年、養老先生は二位に甘んじ、堂々一位に輝いたのは河合隼雄先生だそうである。内田樹先生もオリコン急上昇、じゃなかった、引用ランキング上位に食い込んだ人気著者とのこと。また、使用絶対ダメ(許諾してもらえない)のは谷川俊太郎、平山郁夫などの方々だとか。人生いろいろ、著者もいろいろ。

 青山本、『ジイド全集第六巻』(建設社、一九三四年)函、表紙は麻布、タイトル金箔押しというしっかりした作り。内容見本も資料的価値のあるもの。青山も装幀についての短文を寄せている。詳細は新開設の「青山二郎の装幀」参照。

 『ジイド全集第六巻』建設社


2005年7月3日(日)梅雨のひま鳥みな急ぐ空の路

 『本コ』終刊号を読んでいると、室謙二氏の文章に、父親の蔵書を整理するために取り壊しが決まった同潤会江戸川アパートに出かける話があった。すると坪内ミキ子(坪内逍遙の養子坪内士行の娘)さんや山内義雄の娘さんと出会う。やはり蔵書整理に来たのだったが、《結局残りは部屋に置いておくしかないわね、というのだった。こうやって我らの父親の本は、取り壊しのとき、紙クズとして処分された》・・・古本屋が来たのかどうかについては触れられていないので分からない。しかし、あの山内義雄の蔵書だ、雑本だって何か取り柄があるはずでは? とつい思ってしまう。

 この間の月の輪目録では受贈本が掲載されていたことで多少のトラブルがあったらしい。遺族たちはいろいろ心配するのだろうが、できれば古本屋に最期を看取らせてやってもらいたいものである。ウンチクの蔵書は、現時点では扉野良人に判断を任すつもりなので、万一の場合はよろしく。

 Mさんより古書メールあり《OMMに行ってきました。臨川は出ていません。昨年は山本さんに2回も臨川で会いましたのに。
  @『則天武后』林語堂・小沼丹訳、昭和34年初版、カバー、400円
  A『お噺の卵 武井武雄童話集』講談社文庫、500円
  B『胡堂百話』中公文庫、400円
 以上。Aはけやき書店が8,500円付けています。だからどうだということもありませんが、小沼丹を集めていますので。》

 いや、なかなかの収穫です。こちらは今回はパス。石神井目録から、デイリー・スムースでも触れた小野松二資料の二点のうち『園』第一輯(柴田書店、一九三〇年)を購入し、さらに、52,500円付いていた『小説・エッセイ』(朝日書房、一九三二年)の元雑誌『ヌウヴエル』第一輯(朝日書房、一九三二年)を別の目録で入手したため、ある意味、鼻血も出ない。

 だから、昨日届いた『苔花堂書店古書目録』もたいへん面白いが、注文の決断がつかない。庭園・植物関係ズラリは見物である。一平全集、ユウモア全集あたり、児童書、中国・アジア関係書、とくに戦前の旅行案内が最近気になっているので参考になった。

 今日の青山本は、上林暁『晩春日記』(桜井書店、一九四六年)。巻中「嶺光書房」という作品は昭和十九年頃の出版事情を知るうえでは大事な作品である。ああいう厳しい時代、思想的にも物質的にも最低最悪のなかで、出版に情熱を燃やしていた人々がいた。上林が書くと、暗いながら、独特の味がでる。このデザインは硯であろう。

 上林暁『晩春日記』


2005年7月2日(土)半夏生(はんげしょう)ギリシアの海を泳ぐ夢

 半夏生の今日は蛸の日だそうだ。タコの文化史を研究していたKさんが亡なってもう十五年を過ぎてしまった。明石でごちそうになったタコ料理が忘れられない。Kさん、今頃タコに生まれ変わってエーゲ海を気持ちよく泳いでいるかも・・・などと夢想する。

 松本八郎『加能作次郎 三冊の遺著 その出版社・出版人』には桜井書店の刊行リストも載っている。桜井本には木版刷の表紙が多く、青山二郎も知る限りでは『中橋公館』(舟橋聖一、一九四六年)と『晩春日記』(上林暁、一九四六年)を装幀している。下図は葡萄模様の角皿だろうか。なお、古本漫画との同時発行を予定していると書いたが、南陀楼綾繁によれば、二名の漫画家の原稿が極端に遅れているため、進行がストップしているとのことで、変更するかもしれない。詳しくは改めて。

 舟橋聖一『中橋公館』


【ナベツマ通信/たったの千円!】

 アメリカのオークションサイトeBayでは、スタート価格が「$9.99」という品が結構ある。日本でいうところの「999円」という感じか。

 ということで、その$9.99のナベオークション、だあれーも興味を持たなくって、とうとう最終日。状態もよさそうだし、一応鍋底の写真も送ってもらったし、で、終了間際に入札してみました。

 そして・・・、誰も・・・来なかった。落札!

 

**ノルウェイのキャサリンホルム社によるロータスシリーズのホーロー鍋。お色はオリーブグリーン。
直径27cm、4.5L、2.3kg{ナベ同志コトコさんの紺キャサリンちゃん(鍋の愛称)と同じシリーズ}


2005年7月1日(金)浮かぬ空書箱引き出し山開く

 ガケ書房よりP-BOOKの注文あり。増刷するついでに新作P-BOOK 05「カバン堂目録」(『古本共和国』17号初出)を作った。ただいまガケ書房で01〜05発売中(!)

 一昨日、松本翁より次回「スムース文庫」の版下届いた。『加能作次郎 三冊の遺著 その出版社・出版人』というタイトルである。内容はそのまま、加能作次郎の三冊の遺著を出版した、牧野書店・牧野武夫、桜井書店・桜井均、大理書房・田中末吉について追跡がなされている。また複刻「文士、加能作次郎君」(『大正新立志伝』より)を収めるという凝りようで、お買い得な一冊になるだろう。今のところ、古本漫画と同時発行を予定している。

 そのため、押入の桜井書店本を調べた。ついでに青山二郎の箱の虫干しを兼ねて、しばらく書影を紹介していこうと思う。まずは芝書店の河上徹太郎『自然と純粋』(一九三四年再版)。再版序が付いている。江戸小紋?の型紙を連想させるデザインだ。

 河上徹太郎『自然と純粋』