◆林哲夫展―風の景色 9月12日〜9月20日 新潟絵屋 出品予定作品一覧
●明日から水曜日まで新潟へ出張します。その間お休みです。
●『モダン心斎橋コレクション』(橋爪節也編、国書刊行会、二〇〇五年)が届く。『モダン道頓堀探検』(創元社)につづいて橋爪さんの大阪ミナミへの耽溺ぶりが存分に発揮された一冊。『モダン道頓堀探検』が軽妙に町の相貌を解き明かしてくれるとすれば、『モダン心斎橋コレクション』は全ページがフルカラー、モダニズムのヴィジュアルを全面に押し出して、文句なく見て楽しめる図集となっている。いみじくもあとがきで宣言されているように、この一冊は心斎橋という《街の標本箱》そのものだ。
『モダン心斎橋コレクション』橋爪節也編 国書刊行会
とにかく毎ページ奇抜な発見のあるおもちゃ箱のようなムックだが、まず第一に大丸関連のグラフィックに眼が惹きつけられた。昭和初めに発行されていた広報誌『だいまる』のじつに洗練されたイラストレーション(MORIWAKIというサインがある、掲載されているのは昭和二〜三年刊)。例えば、この時期まで山名文夫も大阪にいた。山六郎(後にヘチマコロンの広告で知られる)とともにプラトン社で仕事をしていたのだが、『だいまる』表紙画などは、ある意味、山名文夫がプラトン社の解散(昭和三年)とともに資生堂へ移り、そこで成し遂げるアートワークに少なからぬ影響を与えたのではないかとさえ思える。また昭和八年に全館完成した大丸のアメリカン・ゴシック建築(ヴォーリズ建築事務所)とそごうのモダニズム建築との対比も見物である。
喫茶店関連では、画家・真島豪のやっていた「ノア・ノア」という移動カフエの資料が貴重このうえないし、丹平薬局のソ−ダファウンテンに関するチラシ、マッチ、店内写真も参考になる。丹平薬局は西の資生堂だったようだ。他にも「森永キャンデーストアー」「明治製菓売店」「不二家洋菓舗」なども喫茶店として繁盛していたことがよく分かる。
書店、出版関係では、古書目録『古本屋』で知られる「荒木伊兵衛書店」、木村旦水の「だるまや書店」、三好米吉の「柳屋」、金尾文淵堂、駸々堂、丸山鳳林堂、ショップガイド社の雑誌『ショップガイド』(創刊一九三八年)、『心斎橋新聞』、鍋井克之らの高級美術雑誌『セレクト』、在阪デザイナーたちの研究誌『プレスアルト』(創刊一九三七年)、ファッション雑誌『粋』(流行の粋社、創刊一九三六年)、『松竹座ニュース』などなど。
まだまだ他にも様々な店が取り上げられている。ぜひ実物を手にしてモダン大阪の豊饒を味わっていただきたい。巻末には「大阪行進曲」をはじめとする歌謡曲の数々、貴志康一作曲・指揮でベルリンフィルが演奏した「市場」(「日本スケッチ」より、一九三八年)の音源までも収めたCDが付録されている。これで2100円は絶対お買い得だ。
●『紙魚の手帳』34号届く。田中栞さんの「書肆ユリイカ本蒐集記」が圧巻だ。六年前に初めて書肆ユリイカ本に出会ったそうで、それ以後の蒐集歴が淡々と綴られているのだが、深みにはまる様子があまりに生々しい。記事中に明記されている女史の購入した書名と値段のごく一部を掲げてみる。
福田正次郎『ETUDE』(一九五〇年)25,000
原口統三『死人覚え書』(一九四八年)12,000 ジャケットなし
原口統三『二十歳のエチュード』(一九四八年)5,000 第一刷
原口統三『二十歳のエチュード』(前田出版社、一九四七年)12,000 第二版
清岡卓行『氷つた焔』(一九五九年)45,000 佐藤春夫宛献呈署名入
飯島耕一『ミクロコスモス』(一九五七年)70,000
吉岡実『僧侶』(一九五八年)94,000 東博宛献呈署名入
安部公房『飢えた皮膚』(一九五二年)89,250
小島信夫『凧』(一九五五年)21,000
『二十歳のエチュード』関連本だけで二十三冊集めたというのだから、いや、すごい肩入れだ(五百円でビビッているウンチクとは大違い)。もちろん、高額なものをタダまたはタダ同然で入手した幸運にも度々恵まれていることは言うまでもなく、直接、本誌を読んでヨダレを垂らしていただきたいと思う。『紙魚の手帳』は書肆アクセスその他で扱っている。また、既報のように10月1日から31日まで「ブックカフェ火星の庭」で「書肆ユリイカの本」展が開催される。お近くの方はぜひ。
●大阪のMさんより古本メール。《ツイン21の古書展にいってきました。佐野装『理想の良人』丹羽文雄、渡邊装『フランス料理を築いた人びと』の2冊です。/これだけでは寂しいので天牛堺書店へ。『ボートの三人』長谷川四郎初版帯署名1200円は少し高いかも。/天神橋の天牛書店。何も買えずにあきらめて帰ろうとして表の均一の下段を覗きますと、『ゴッホの手紙』小林秀雄昭和27年初版。ここまでなら別にどうと言うことはないのですが、なんと献呈署名入りなのです。百円。嬉しい。/文庫堂に注文した『中野重治詩集』ナウカ社版カバー欠ヤッパリ売切れでした。4500円ですものネ。もしかして山本さんが?》・・・お盛んですね。
●TV録画で「エド・ウッド」(ティム・バートン、1994)を見る。ハリウッドに実在したエド・ウッド監督の伝記に基づいて描かれている。監督役のジョニー・ディップとかつてのドラキュラ・スターで薬中になっている老ベラ・ルゴシ(マーティン・ランドー)の掛け合いがなかなかよろしい。オーソン・ウエルズの出演(合成かと思えば、そっくりさんだとか)も悪くない。パルプ・フィクションの世界を映像化したような脇役たちを含め一九五〇年代のハリウッド映画界の絵解きになっている。ウッド監督(あの淀川長治でさえその名前を知らなかった!)は五十代で酒に溺れて死んでしまうのだが、没後にマニアックなファン層ができているそうだ。芸の世界では、どんなヘボでもその道に長く携わっていれば、報われるときもある。長生きも芸のうち。
●青山二郎装幀の『花筐』(青磁社、一九四五年再版)。カバーがあっさりした二色刷りで表紙がド派手な三色刷りというヘソマガリの意匠。タテ15センチ余りの文庫サイズである。
カバーと表紙
2005年9月9日(金)ホルマリン臭き辞書引く夜学生
●昨夕、ディナー前に寺町通の藤井文政堂、吉村大観堂をのぞいた。藤井さんの百均でいろいろ雑多な本を購入。なかでは、アーノルド・ベックリンについてのドイツ語の本が拾いもの。『ARNOLD
BOECKLIN ZEI AUFSAETZE』(HEINRICH ALFRED SCHMID, BERLIN W, F. FINTHENE
&CO, 1899)、美術雑誌『PAN』に一八九七年と九八年に発表された「アーノルド・ベックリン伝 ARNOLD BOECKLIN
LEBEN」と「ベックリンの素描について UBER BOECKLINS SKIZZEN」(BOECKLIN の O に‥)、そして素描の図版八点が収められている。ドイツ語を読むのは骨が折れすぎるので、積読になることうけあいだが、ぜいたくな文字組を眺めているだけでうれしくなる。

見開き(255mm×345mm)
●今日の午後は、スムース文庫『1914年
ヒコーキ野郎のフランス便り』の編集製作を担当した扉野と解説者の築添正生さん(絵葉書の所有者)とともに、ここに収録した絵葉書の主な書き手であるバロン滋野のお孫さんに当たられる永野さんご夫妻をお迎えして、徳正寺で歓談した。バロン滋野こと滋野清武の最初の夫人との間に生まれた娘さんが永野夫人の母上である。二番目の夫人はフランス女性で二人の息子さんが居られたが、今月四日に弟さんが亡くなられたばかりだという。
滋野家は長野県の小諸地方で、かなり古くから(おそくとも平安時代には)その地域で官に供給するための馬を育てていた一族で、真田、望月といった氏族の本家だともいう(滋野を隠す必要から氏を変えたとも)。小諸から千曲川沿いに西に五キロほどのところに滋野という村があり、そこの古寺に四百年以上を経た滋野一族の墓石がある。その後、山口県の萩に移り、清武の父清彦の代には東京へ出て近衛師団に勤めた。明治天皇とは親しく酒を酌み交わす間柄だった(明治天皇はそうとうな酒豪だったそうだ)。また永野夫人の母上(清武の娘)は小堀杏奴(森鴎外の娘)と幼友達で、晩年まで交流があったそうだ。鴎外夫人は躾に厳しい女性で、杏奴の友達付き合いにも干渉したらしいが、清武の娘は学友のなかで唯一人、鴎外宅を訪問することを許されていたという。
父の男爵位を清武は若くして受け継いだ。陸軍幼年学校に入るも、性に合わず、山田耕筰の勧めで上野の音楽学校へ移る。フランスへ行ったときにバロンの爵位のためにたいへん利益を被った。飛行学校やフランスの航空隊でも優遇されたという。もちろん実際に運動神経がすぐれており、飛行技術には卓越したものがあったらしいが。ただ、清彦(清彦は直系でなく養子とのこと)も清武も爵位にこだわりはなく、事跡の顕彰も断った。そのためかえって彼らの生前の活動を示す資料がほとんど残されていないそうだ。今回、公になった清武の多数の直筆ハガキはそういう意味で、たいへん貴重なものだと喜んでいただいた。
2005年9月8日(木)投ずれば身を粉にするや蕎麦の花
●出品作を梱包して新潟へ向けて発送。あとは新潟絵屋の大倉宏さんに任せるのみ。その足で区役所まで期日前投票に出かける。日曜日は新潟なので。いいかげんに、不在理由に○をつけ、住所氏名を記入させるのはやめてもらいたい。投票のハガキを持参してるのだから、それで十分だろう。紙の無駄だし、記入のために混雑する。
●東京の知人が美術展や映画のチラシをまとめて送ってくれた。たいへん熱心に、ではないにせよ、それなりの熱心さでチラシを集めている。もう三十年になるから枚数だけはかなりのものになると思う(数えたことはないけど)。美術が七割、映画・演劇その他が三割。そのうち気が向けば、個人的に気に入っているチラシを紹介してみよう。
最近の映画のチラシはオシャレなものが多くてびっくりする。あんまりオシャレすぎて何が何だか分からないものもある。パウル・クレーの線画を使った「私の頭の中の消しゴム」なんかその典型。しかも監督名(イ・ジェハン)が書かれていない(主演はチョン・ウソンとソン・イェジン)。同じくアート系、奈良美智を使った「日本国憲法」チラシにはイラストの力を感じる。第九条は大事です。他には「ライフ・イズ・ミラクル」(クストリッツア)、「ジャマイカ楽園の真実」(S. ブラック)、「アワーミュージック」(ゴダール)などはなかなかよろしい。ただし、チラシがいいから映画がいいとは限らないのが辛いところ。例えば「月の出をまって」(ゴッドミロー、1987)のチラシはとてもシックな色調で好きだった。ところが、G・スタインとアリス・B・トクラスを描いた内容はたいくつを映画にしたようなしろもの。ガックリ。

●塩山氏より『AMENITY』23号(拡声器騒音を考える会)が送られてくる。公共放送などの騒音問題を一貫して扱っている雑誌。古本チェーン店での「いらっしゃいませ」連呼もやり玉に挙げられている(産経新聞記事の転載)。ほんとに無意味な挨拶だ。そっとしといてほしい。グレグ・プリングル「隙間に注意してください」は英国の地下鉄で放送される「Mind
the Gap」(スキマ注意)と日本の電車などで流れる「電車とホームの間が広く空いておりますので、足元にご注意ください」というアナウンスとの比較を論じている。
「Mind the Gap」と言われて、英国人は間違いなく「ホームと電車の隙間に注意せよ」という意味に受け取るが、英語が母国語でない人々には意味が通じにくいかもしれないという。Keep
Out(立入禁止)などと同じである。それに対して「電車とホームの間が広く空いておりますので、足元にご注意ください」はまだるっこしいけれど、《よくあいまいな言語だと言われるが、日本語には実は注意や放送の言葉使いについては明確さを得られるように厳密な要求がある》(正保富三訳、《言葉使い》はママ)という。この論点はとても面白い。
●結婚記念日(実は5日だが)の記念にフランス料理店ビストロ・スポンタネでナベツマと夕食。前菜としてサーモン(レモンとオリーブオイルのドレッシン和え、あさつきなどの香味野菜添え)、ナベツマは魚類がダメなので、サーモンを牛肉の薫製に換えてもらう。次ぎにフォアグラのステーキ(黒米のリゾット添え)、そしてアンデス芋の冷製スープ(コンソメのゼリー片入り)、コム・ポワッソン(魚)が土佐のめいちの蒸し焼きトマト・ソース添え(ナベツマは鴨肉のコンフィに変更)、そしてヴィヤンド(肉)が鴨肉のコンフィ(青胡椒とエシャロットのソース、ズッキーニ、なたまめ、さやいんげん、アスパラ添え)、ナベツマは犢のソテー。デザート盛り合わせ(マンゴーババロア、ワインゼリー、パイナップルの焼き菓子、西瓜のシャーベット、ピオーネ一粒)そしてエスプレッソ(飲み物はやや月並み、なかではエスプレッソがおすすめ)。しめて一人3,800円のメニューである。
以前も書いたが、自家製らしい野菜がいい。その他の素材にもそれぞれこだわりがうかがえ、扱いも繊細だし、アイデアも盛られている。サービスもアット・ホーム。難点は店が狭いのでテーブルがすこし窮屈なことだろうか。かかっている絵も少々趣味がよろしくない。だれでもどこかに多少の欠点はある。とにかく肝心の料理には今日も大満足だった。
2005年9月7日(水)暴風の名残は暑し鉢もどす
●そごう心斎橋店が今日、再生オープンした。開店記念に「心斎橋物語展」(〜21日)を開催している。書店は丸善が入った。今年初めには「モダニズム心斎橋展」(大阪市立近代美術館心斎橋展示室=旧・出光美術館)も開かれた。雑誌『大阪人』2月号はその図録を兼ねた「モダニズム心斎橋」特集。そして橋爪節也編著『モダン道頓堀探検』(創元社)につづいて『大阪人』10月号の特集も「モダン・ガールの時代」と、大阪モダニズムはおおいに盛り上がっているようだ。『sumus』3号(二〇〇〇年五月発行)はこれらに先駆けた関西モダニズム特集だった。そのとき橋爪節也氏にインタビューしたのだが、すでに心斎橋の本を出すという企画を暖めておられた。五年たってようやく実現したわけである。
先日のカロさんでの「チェコのマッチラベル展」トークショー後の飲み会で、蘊蓄がナベツマ・ファンから話かけられたそうな。「ぼくの知ってる買物ブログのなかではベスト2ですよ!」とか。これはうれしいお話です。男性の方も読んでくれてるんだ! で、「もうひとつは何なん?」と尋ねても、「えっ、もう忘れてしもーた」と蘊蓄。すんません、そのお話をされた方、これを読まれましたら「そのブログアドレス」をお知らせくださいませませ。【註】
ということでナベツマです。
なんと、この7月&8月にナベツマは鍋を1ヶもゲットしなかった。理由は簡単、6月に買いすぎちゃった! 4ヶもゲットしてしまった。このペースで年末
まで飛ばしたら、林家は傾くかも・・・、もち鍋の重さで。
で、この週末に久々のヤフオクで落としましたよー、珍しいグレーのグラデーションのソースパンを。eBayでも一度くらいしか見かけたことのない非常に珍しいお色。内側のベージュの色とのコンビネーションがす・て・き!
ところで珍しい色といえば、同時刻に別のヤフオクにて、ピンクのル・クルーゼ鍋がその夜のメーンイベントを迎えていた。鍋類のオークション終了時間
は、夜9時頃から11時が佳境である。夕方ちらりとこのピンク鍋を眺めた際には、すでに3万円を越えていた。思わずふーっとため息。ところが、これが終了間際にとうとう5万円を越えたんだよねー。
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m19496995
すっごい! たかが鍋に5万円だぜ!! お金さえあったらなー・・・。マジ? いや、あっても5万円は許せない! ふん、あたしはあたしの鍋道をいくのだ!
ノマノマいぇい!!!

**直径18cm、容量1.5L、重量2.1kg、残念ながら、蓋の縁に1.6cm位のチップ(欠け)がある。
【註】つらつら記憶をたどってみるに、雑誌『relax』元編集長岡本氏夫妻が購入した品物などを写真入りで紹介するブログ
mo' fablog! だと思う(by
ウンチク)。もし違ってたらメールください、前田くん。
2005年9月6日(火)鉢物をみな取り込んで知風草
●徳島の小西さんより「創世ホール通信」128号と紀田順一郎氏の講演会「幻想書林に分け入って」のチラシが送られてくる。徳島という地の不利(?)を活かして、思う存分な企画を実現させている行動力と人脈に脱帽である。紀田氏講演会は10月30日(日)午後二時半より、徳島県板野郡北島町立図書館・創世ホールにて。《戦後間もない少年時代に、書店で「宝石」創刊号を購入した思い出にはじまり、学生時代のミステリ研や「密室」同人活動、亡き大伴昌司など同人の回想などを織り交ぜながら、《世界幻想文学大系》企画の苦労話、創作の苦心談といったことを語り、最期に六〇年の総括と今後の展望を行いたいと思います》。
●YK氏より村沢夏風『昭和俳句文学アルバム7 石塚友二の世界』(梅里書房、一九九〇年)が届く。氏のおかげで石塚本がかなり集まった。いつもながら感謝です。それにしても「昭和俳句文学アルバム」とはすごい企画だ。全33巻とある(梅里書房は健在だが、国会図書館の蔵書検索では五巻ほど欠けている)。アルバムというのは、当たり前だが、文章からだけ得る情報とはまったく次元の違う情報が得られるから、すこぶる面白い。あの作家がこんな風貌をしていたのかという驚きとか、なるほどという納得とか。最近は版元の主人や編集者の顔を探すのが楽しみだ。
そういう意味で集合写真はとくに気になる。なかでも「一人おいて」と書かれていると、その人物が誰なのか、とても知りたくなる。例えば、この本の中では、石塚が池谷信三郎賞を受賞したとき(昭和十八年二月)のパーティだとされている写真。これは新潮文学アルバムの『横光利一』にも掲載されており、そこでは石塚友二『松風』出版記念会という説明がある。おそらく後者が正しいだろう。清田昌弘『石塚友二伝』には昭和十八年の《秋には『松風』の出版記念会が開かれた》(p176)とある。前者で「一人おいて」とされている人物は二人、そのうちの一人は着物姿の女性A。もう一人いる女性Bは無視されている。後者で「一人おいて」はAさんだけ(Aさんは永井龍男と川端康成に挟まれている)。Bさんと学生服を着ている端っこの男性が無視。この男性は前者の説明から田中午次郎(俳人)と判明し、前者の「一人おいて」男性は後者のキャプションから鷲尾洋三(文藝春秋編集者)だと分かる。
結局、この記念写真に写っているのは、『文学界』と『文藝春秋』の関係者、小林秀雄、河上徹太郎、横光利一、三好達治、川端康成、永井龍男、鷲尾洋三、石塚の友人として、山本健吉(石橋貞吉)、石川桂郎、田中午次郎、『松風』版元の小山書店から小山久二郎、加納正吉、そして女性二人と石塚友二、これが全員である。女性二人(AさんとBさん)だけ名前が分からない。Bさんはお嬢さんぽい派手な柄の着物、Aさんはホステス風の大きな縦縞の黒っぽい着物である。会場も不明。出雲橋「はせ川」だったら言うことなしだが・・・。
●青山二郎装幀の『文学界』(文藝春秋社、一九四一年二月一日発行)。
『文学界』昭和十六年二月号 文藝春秋社 装幀=青山二郎
2005年9月5日(月)刻まれた古書の思いか草の色
●杉並、中野あたりの水害はかなり深刻なようだ。本は水に濡れたらそれまで、数ある古書店は大丈夫だろうか。被害の少なからんことを。と祈りつつも、人事ではなく、近づきつつある台風を懼れる。みょうに静かな嵐の前である(午後九時二十三分)。
●台風で無法地帯となったニューオーリンズがTVニュースで繰り返し報道されるので、見るともなく見ていると、店舗あらしに対する警告として次のような文言を貼り出した家があった。
You loot
We shoot
「おまえらぶんどる/おれらぶっぱなす」かな・・・さすがニューオーリンズ(?)。行方不明と伝えられたファッツ・ドミノは無事だった。
●中尾氏より富士正晴の上京に関する質問の手紙が来る。《島木健作のお兄さんのやっていた「ラドリオ」の表記は、「喫茶店」でいいのでしょうか。酒房でいいのでしょうか。(あるいはどちらでもいいのでしょうか)》とのこと。押入にしまっていた喫茶店資料の段ボール箱を開けて確認する。開店は昭和二十四年、島木健作の兄・島崎八郎(拙著『喫茶店の時代』では島木八郎となっている。訂正します)の自宅だった。現在も喫茶店として営業を続けている。ウンチクは神田へ行くとここでランチを食べることにしている。戦後すぐのブリコラージュな雰囲気を濃厚に残している店だ。
二三の雑誌を当たると、ある紹介記事に開店当時からの看板の写真が掲載されていた。そこには「COFFEE
& WINE」と彫り込まれている。してみると、喫茶でも酒房でもどちらでもいいようにも思えるが、COFFEE が先に来ていることを重視して、独断的に「喫茶店」と決定する。だいたいが、戦前の喫茶店はビールや洋酒を出すのが当たり前だった。その流れを汲むのだろう。戦後、喫茶と酒房がはっきり分かれたのは税制改変によると思われる。
●『未来』9月号。向井氏の連載は「西北書房」の巻。都の西北・・・だから西北とは。締めの一文がニクイ、《本というものは触れた人の思いを身に刻むからである》。刻まれた思いだらけです。
●西村氏より渡辺一夫装幀本『校内校外』(市原豊太、白水社、一九五三年)と『美術手帖』一九六〇年六月号(美術出版社)届く。有り難く頂戴する。後者には佐野繁次郎のアトリエ訪問記が写真入りで掲載されている。また、七月に開かれた「コクトー展」の珍しい形のチラシ(レコード盤を模した円形でひと隅だけ角がある、ティアー・ドロップ形)が同封されていた。堀口大学の旧蔵書も出品されたらしい。これは近々、神戸の大丸・もとまちへ巡回するので(9/14〜26)ぜひ見たいと思う。
市原豊太『校内校外』白水社 装幀=渡辺一夫
●青山二郎装幀の『文学界』第二巻第二号(文学界社、一九四八年二月一日発行)。創刊は昭和八年、版元は、文化公論社→文圃堂書店→文學界社→文藝春秋新社→文藝春秋と替わり、現在も発行されている。第二巻とあるのは戦後の復刊から数える。この号には小説「俘虜記」(一〇〇枚)が掲載されており、その明晰な文章につられ、つい読んでしまう。《いよいよこの退路が遮断され、周囲で僚友が次々に死んで行くのを見るにつれ、不思議な変化が私の中で起つた。私は突然私の生還の可能性を信じた。九分九厘確実な死は突然推しのけられ、一脈の空想的な可能性を描いて、それを追求する気になった》、そして主人公は一人の仲間とフィリピン島脱出計画を立てる。《帆船が得られなかつた場合、我々は再び山に籠り、草の根でも食べて休戦を待つのである。子供の時読んだ「ロビンソン・クルーソー」の細目を語り合ひ、土民に竹から火を起す方法を学んでおいた》、彼らはこの空想的な計画を少しも疑わなかったという。実際、休戦を待ってではなかったかもしれないが、何人もの日本兵が戦後長くジャングルで暮らしたわけだから、決して空想的な計画ではなかったことになる。
『文学界』第二巻第二号 文学界社 装幀=青山二郎
2005年9月4日(日)積読の中ほどから抜く秋扇
●新潟へ送る作品の最終チェック。デジカメで写真を撮って出品予定作品一覧をアップする。油絵を撮るのはライティングがむずかしい。少々光っていたり、ボケているのはご容赦。絵をクリックすると大きい画像が出てきます。もちろん全点販売します。価格についてはお問い合わせ下さい。sumus_co@yahoo.co.jp
●「女王の教室」(日テレ)の録画を見る。ナベツマのイチオシ番組。昨日は、進路に関して親子の思いのすれ違いを克服する一話。そもそものアイデアもいいし、基本的に脚本(遊川和彦)が良くできている。「ドラゴン桜」(TBS)もそうだが、ホンネで教育を語るのがトレンドなのか。主演の天海祐希のストイックな黒い衣装が効果的。子役の中心は志田未来、やや過剰な演技だが、全体からすれば、あれでいいだろう。子役のなかで目立つのは目力のある福田麻由子。彼女と天海は「ラストプレゼント」(日テレ)で離れて暮らす母子を演じていた。そのとき母の天海は末期ガンに侵されていた。「女王の教室」も昨日の回を見ると、なにやら女王先生は不治の病で死期が近い・・・のか(?)。
●青山二郎装幀の『批評』第五巻第十一号・通巻五十号(批評発行所、編集兼発行人=吉田健一、一九四三年十一月一日発行。創刊は一九三九年八月号〜廃刊は一九四九年九月号)。36ページの薄冊。平野仁啓、山本健吉、西村孝次、堀田善衛が執筆している。山本健吉は後記も書いている。《薄くても何でも雑誌が出して行けるうちは未だしもである。それすら頼み難い時が遠からず来るかもしれぬ》、《さういふ時が来るかどうか私は知らぬ。来ても驚かないだけである。何故なら「批評」は残るからである。雑誌の整理統合といふやうなこととは別に、「批評」は残るのである。否、さういつた時代になれば、我国の文学の伝統の燈を絶やさぬ為にも、残らなければならないのだ》・・・・なかなかステキな覚悟である。
『批評』第五巻第十一号 批評発行所 装幀=青山二郎
2005年9月3日(土)草の市犬耳伸しても雑書なり
●大丸梅田店で開催中(〜11日)の「レオノール・フィニ展」を見た。予想していたよりもずっと良かった。ナルシストであることとともに、その暗い幻想性が鴨居玲を思わせた。京都までとって返して、四条大丸で「出光コレクションによるルオー展」(〜13日)も見る。こちらもたいして期待しなかったが、初期の貧乏っぽいキリストなど数点の作品が良かった。戦後、無意味に絵の具を盛り上げている時代はまったくダメ。
●本日の一句で「犬耳」はドッグ・イヤー(斜めに折り返されたページの角)のつもり。梅田のかっぱ横丁が均一ワゴンを出す日(毎月最初の金土日)だったのでのぞいてみたが、たいした発見はなかった。それでも何冊か買い、帰宅後、犬耳を伸ばしつつネットで値段を調べてみたりして楽しんだ。むろんサエない結果だった。なお季題「草市」はお盆の品物を売る市だそうだが、ここでは古本の雑書市を指すものとする。
なかで収穫と言えそうな一冊は佐野繁次郎装幀の舟橋聖一『美しすぎる花』(毎日新聞社、一九四九年)。ただし表紙と扉にデカい蔵書印が捺してある。なんてことをするんだ!
まったく。

他に保育社カラーブックス『写真にみる西洋の本』(庄司浅水、一九八四年)も入手、300円。庄司さんの本には署名入りが多いというもっぱらの評判だが、たしかにこの本にもちゃんと署名捺印がありました(浅水迂人[浅])。庄司さんは、古書店で自分の本を見つけて、もし署名がなければ、店主に申し出て、その場で揮毫したという。つねに矢立(?)と印章・朱泥を携帯していたわけである。ある意味、著者たるもののこころがけなのかもしれない。
●長嶋康郎『ニコニコ通信』(アセテート、二〇〇五年)を面白く読了。《つげ義春『無能の人』のモデルのひとりと目されるという》(書肆アクセス半畳日記8/27)だけあって、なかなかである。驚いたのは、氏が教わった先生たち。《昔し、学校の担人がヴァグナーの権威でその小説を訳していた。(ペンネームを高木卓、最近岩波文庫になった)「ローエングリーンの一節を」と、一度授業の合間にまっ赤な顔してうなってみせたことがある》(p200)、《当時わが図画工作の先生は今、チョー売れっ子のあの安野光雅先生だった。安野先生の授業は、どの子に対してもへーっ、ほ〜っハーッ、とびっくりしてのってくれたのでガキ大将も根暗も楽しくすごしたのだった》(p212)。
そして極めつけが《大学一年の時の哲学の先生は土井虎賀寿(昔の漢字)と云う。》(p238)、土井先生は最初の授業で「この一年、私はデカルトの“コギト=エルゴ=スム”(我れ思う、ゆえに我あり)をやろうと思う」と宣言し、ところが、まったくデカルトの話は出てこないで、休講も多い。期末試験の範囲を伝えるときに土井先生は「私は一年コギト=エルゴ=スムの講議をするつもりでやって来た。しかし残念ながら全てを語ることは出きなかった。従って試験範囲は『コギト。』まで!!」(場内騒然)と言い放ったそうである。
土井虎賀寿については青山光二『われらが風狂の師』(新潮文庫、一九八七年、元版は新潮社、一九八一年、上下二冊)が抜群におもしろい。また洲之内徹『気まぐれ美術館』(新潮社、一九七八年)の「土井虎賀寿―素描と放浪と狂気と」も土井虎賀寿の姿を彷彿とさせる好エッセイと思う。で、長嶋氏は《ある時、こっそり女に会おうとして(私が)ある町へ行ったらそこで洲之内コレクション展というある画商の個展があった。二人で見ていると、「土井虎賀寿、ニコライ堂」と名うたれた小さなスケッチがあった》(p240)と土井先生の回想をイキに締めている。
2005年9月2日(金)蟋蟀の旧書の迷路にコロコロと
●マン・レイ石原さんの新著『マン・レイの謎、その時間と場所。』(銀紙書房、二〇〇五年)が届く。日録で製作の苦闘ぶりを読ませてもらっていたので、ひとしお感慨深いものがある。昨年来、国内で開催されたマン・レイの巡回展を追跡しながら各会場で思索を重ねた、その結晶がこの一冊にまとめられている。マン・レイ道楽、ここに極まれり、そういう感じであろうか。50部限定、5000円、マン・レイに興味のある人は是非入手されんことを。../manrayist/index.html
石原輝雄『マン・レイの謎、その時間と場所。』銀紙書房 造本=石原輝雄
●海文堂書店から『海会(カイエ)』26号届く。9月いっぱい、ビジュアル洋書ファアー開催中とか。福岡店長の「この本を売りたい!」は白土三平画業五十周年記念出版『決定版
カムイ外伝』全38巻(小学館)。今月末刊行開始。《不肖・福岡、すかさず当店での第一号の予約を入れました。パンフレットも、ご用意しております。一生モンの漫画です。ぜひ、ご予約、お買い上げください!!
損はさせません!!!》
●フランス国歌「ラ・マルセイエーズ
La Marseillaise」がフランスの小学校で必修に決まったそうだ。ところが、歌詞の内容が残虐だということで物議をかもしているらしい(朝日8/31)。たしかに、「君が代」と同様、「ラ・マルセイエーズ」が現代フランスの国歌たりうるかどうか、はなはだ怪しいところもあるように思う。
フランス革命直後の混乱期、反革命の貴族はプロシアに亡命し、王妃マリー・アントワネットの兄がオーストリア皇帝であったことなどから、これらの国々が圧力を強めていた。議会は一七九二年七月十四日に「祖国の危機!」を布告し志願兵を募る。《『市民よ武器を取れ!』至るところで新しい讃歌、ラ・マルセイエーズが歌われた。これはルゥジュ・ド・リールによってライン軍のために、ストラスブールで作られたものだが、マルセーユから徒歩でやって来た六百人の連盟軍によってパリに伝わったのであった》(アンドレ・モロワ『フランス史(下)』新潮文庫、一九五七年、p412)
「ラ・マルセイエーズ」は「ライン河の軍隊のための戦争の歌 Chant de
geurre pour l'armee du Rhin」が元々のタイトルだった。ストラスブール市長の依頼によってライン守備隊にいた詩人でヴァイオリニストのルゥジュ・ド・リール(
Rouget de Lisle )が一七九二年四月二十五日、一夜のうちに作詩・作曲したという。リフレインは下記のような歌詞だが、「Aux
armes, citoyens !(国民よ、武器をとれ!)」は街頭に貼ってあった議会派のポスターからその標語をそっくりいただいたとか。
Aux armes, citoyens ! 国民よ、武器をとれ!
Formez
vos bataillons ! 隊伍を組め!
Marchons, marchons
! 歩こう、歩こう!
Qu'un sang impur... 不純な血が
Abreuve nos sillons ! われらの田畑を潤さんことを!
(全文)
四月末に作られて、七月にはパリやフランス全土で流行していたというから、当時としては、かなりなスマッシュ・ヒットだったろう。おそらくその頃のフランスは、ロベスピエールあり、ダントンあり、マラーあり、ルイ十六世あり、現在のイラク以上に各派閥入り乱れてグチャグチャだった。外国の脅威に対して食糧も軍隊も十分ではなかった。だからこそかえって一致団結できたとも思われるが、結局、この乱世を勝ち抜けたのがナポレオン・ボナパルトということなのである。
ほとんど関係ないけど、バトル・ヒム(戦争讃歌)ですぐに思い出すのは、キューブリックの「フルメタル・ジャケット」(1987)のエンドタイトル(だったと思う)だ。「ミッキーマウス・マーチ」を合唱しながら兵士たちが行進する。まさにピッタリ軍靴のリズムに合っている。これがアメリカのほんとうの国歌かも・・・みんなで楽しいジャンボリー(ばか騒ぎ!)
●青山二郎装幀の『創元』第二輯。特集は富岡鉄斎の絵画・印譜。青山二郎「富岡鉄斎」、露伴「蝸牛庵句集」、草野心平「わが抒情詩」、小林秀雄「「罪と罰」について」、斎藤茂吉「辺土小吟」、幸田文「あとみよそわか」、日夏耿之介「露伴の学問」。第一輯の二年後に出ているわけだが、定価は百五十円になっている。この時期はインフレが酷かった。それは一九四九年に一ドル=360円の為替レートが確立されるまで続く(ドッヂ・ライン)。当時の本の奥付を見ると、しばしば値段が張り替えられているのはそのためである。
『創元』第二輯、創元社、一九四八年 装幀=青山二郎
2005年9月1日(木)なぎ倒し倒され過ぎる大厄日
●デイリー・スムースのトップ・ページの背景を油彩画にしてみた。新潟絵屋の個展に出品するものの一点。
というこって、ジャンクネタです。この夏のTVドラマ、みなさんは何をご覧になっていらっしゃるんでしょうか。あたしは、月曜日の「スローダンス」を皮切りに、「幸せになりたい」、「電車男(ビデオ録画して翌日に蘊蓄と見るのだ)」、「ドラゴン桜」、「女王の教室」と楽しんでいる。
なかでも、土曜日夜の日テレ「女王の教室」はしょっぱなからガンと喰らった内容だ。小学生が主人公なのだが、これでもか!というくらい、教師による子どもたちへの嫌がらせがテーマだ。こんな教室で学んだら、実に「生きる力(ニッセイの保険商品ではありません)」が身に付くこと請け合い。なのに、日テレには親からの苦情が殺到してスポンサーが完全に腰が引けてる模様・・情けない。大人がこういう時に必ず言う台詞は、子どもには刺激が強すぎる、とか、弱い立場の子どもを守ってやらなくては、云々。
もお、分かっちゃいないわねえ。子どもってそんなに弱くないし、なんでもっと信用してやらないん大人は??
さて、「女王の教室」を楽しんでるお仲間にセドローさんがいる。その理由は・・・、セドローさんちのテレビはナベツネの陰謀で日テレしか写らないんですって!(うそ!でも調子が悪くて3つのチャンネルしか写らないそう)
『創元』第一輯、創元社、一九四六年 装幀=青山二郎