◆林哲夫展―風の景色 9月12日〜9月20日 新潟絵屋 出品作品・展示会場

daily sumus TOP  9月21日〜30日  9月1日〜10日


2005年9月20日
(火)穴堀って独り相撲か月桂樹

鉢植えの月桂樹が人の背丈ほどにもなったので地に放すことにした。ところがプラスティックの鉢を、底の穴から伸び出したリゾーム[]がしっかりと抱え込んで、取り外すのに一苦労。また、植えると決めた場所に瓦礫が多く、穴を掘るのに一苦労、大汗をかいた。昼間から一風呂浴びる。

]rhizome =tige souterraine de diverses plantes、植物の地下茎。ドゥールーズとガダリが『ミル・プラトー』(1980)で「木は系譜であるが、リゾームは同盟であり、ひたすら同盟的である」などと言い出してから流行したことば。リゾームという考え方はインターネット的な時代を先取りしていたようでもある。

『大和通信』67号が中尾さんより。近刊予告の欄に、川崎彰彦氏が『海浪』(花田書房)に長期連載した「ぼくの早稲田時代」が右文書院から年内もしくは来春ころ出版のはこびとなったとある。『海浪』は休刊してしまったが、「ぼくの早稲田時代」は楽しみな読み物のひとつだった(拙著『喫茶店の時代』でも引用している)。鈴木地蔵氏やセドローくんの本といい、右文書院さん、なかなかやるじゃない、というかんじだ。

『フィロビブロン 書物への愛』(リチャード・ド・ベリー著、古田暁訳、講談社学術文庫、一九八九年)読了。ド・ベリーは一二八七年生まれ、オックスフォード大学を出て英国のリチャード三世に仕え、外交官などの要職を歴任した人物。一三四四年に没している。相当な愛書家だったことはこの本によって証明されているが、ド・ベリーの蔵書は1500冊ほどだったそうだ。

 1500冊といっても今日のような本ではない。たとえば《幾つかの荘園に少なからぬ筆写生、写字生、校正者、製本工、写本彩飾師、そして書物に関して一般的な仕事のできる人を常時住まわせた》(p83〜84)というようなレベルでの1500冊である。

 この本でいちばん面白かったのは、オックスフォードの学生たちがいかに書物を大切にしないか、ということを実例を挙げて非難しているくだりである。ざっと箇条書きにしてみると、
  書物の留め金を閲覧後にはしっかりと閉じない(当時の本には留め金が付いてた)
  寒中に鼻水を書物の上に垂らす
  書物にはさんだわらしべをそのままにしておく(スリップやポストイットの代わりが「わらしべ」だった!)
  書物を開いたまま果物やチーズを食べこぼしてしまう
  書物を開いたまま議論して紙葉の上にツバキを飛ばす
  書物の上でうたたねをして紙葉をクシャクシャにする
  すみれ・ばら・さくらそう・四つ葉などを書物に挟む
  汗ばんだ手で頁をめくる
  肉の厚い指先で行をなぞる
  書物を放り投げ、開いたまま一月も放りっぱなしにしておく
  テキストの余白にところかまわず書き込みをする
  便箋代わりに遊び紙を切り取って使う
 というようなことで、いつの時代も変わらないと言えば、変わらない。ちなみに、ド・ベリーの没後、1500冊の蔵書はアッという間に散佚した。どうやら書籍蒐集のためにかなりな借金をしており、穴埋めのために売り払われてしまったようだ。愛書家の末路として手本にしたい(?)。

『みのる 亮英 孑孑漫画』三日目。


 ほんとに妾はがる[二文字傍点]丈です。弱いからでせう。弱いから新らしがり、また新らしくなり得ないのでせう。キユラソーを吸ひながらも、阿波の鳴戸に涙がこぼれます。

 漫画はともかく、文章の方は、流行のヘアスタイルでカフェー(洋食店)の席を占め洋酒を飲む若い女性を揶揄している。《阿波の鳴戸》、正しくは人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」のことで、元禄時代の初演。幼い娘が一人で父母を捜す旅をしていて、大阪のどんどろ大師で母に巡り会うが、母は理由あって名乗れない、という涙涙のものがたり。ウンチクはその昔、TVでやっていたのを何度も見た記憶がある(むろん人形浄瑠璃ではなく、舞台公演)。


【夕刊ナベツマ】日テレ「女王の教室」最終回視聴率25.3%

 日本テレビが17日に放送した連続ドラマ「女王の教室」の最終回の視聴率が25.3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を獲得した。同ドラマでは初の20%超えで、今クールのドラマの中では、今のところ最高の数字を記録。

 ドラマは女優、天海祐希(38)演じる小学校の“鬼教師”に立ち向かう児童を描く。内容の過激さにスポンサーの降板が取りざたされるなど、話題になるドラマだった。

 視聴率は初回14.4%から最終3話でジワジワと上がり、最終回では、一気に5.6ポイントも上昇した。(夕刊フジ)



2005年9月19日(月)曼珠沙華ひと入わびし刈早稲田

新潟は明日まで。お近くの方は駆け込みでご覧下さい。この次は地元、京都パラダイス(山崎書店)で装幀展を行う予定である。自作装幀本を並べるだけでは芸がないので、ウンチクお気に入りの装幀本コレクションの一部も展示しようと思っている。あれこれ展示の構想を練る(というほどでもないが)。

okatakeの日記(9/19)に天神橋三丁目で肩にオウムを載せた男が一輪車に乗ってカートを押していたという目撃談が出ていた。たしかにすごい。で、肩にオウムで思い出したのが先日紹介した『ニコニコ通信』(アセテート)。217頁に《ふと気がつくとシルクハットのタカのおじさんがいて、――タカのおじさんは昔し、肩に鳥のタカを乗せてよくやって来ていた》とある。国分寺にもタカおじさんがいたわけだ。これはつげ義春の鳥男(?)だったかを連想させる逸話ではないか。

 まったく関係ないけど、南森町の駅を天神橋筋のところへ出ると、必ずリヤカーを停めているボヘミアンのおじさんがいた(リヤカーに家財道具が積み込まれていたようだ)。そのおじさんの連れている犬が利口そうなのでよく覚えている。もうひとつ、驚いたで、思い出したが、ウンチク家の最寄り路線、阪急嵐山線でときどき見かけたのが、六十台ぐらいの男性の下妻物語、いわゆるロリータ・ファッションに厚化粧(柄本明のオカマを連想されよ)だ。真っ昼間にこれはぎょっとする。何年か前に二度ほど見かけたが、最近は知らない。京都の繁華街にはジュリーと呼ばれる名物ボヘミアンがいたにせよ、観光シーズンはずれの嵐山線は郊外の平凡な生活路線である。かなりなギャップだった。

『みのる 亮英 孑孑漫画』二日目。


「若し、若し何番へ、」
若い男の声もある、若い女の声もある、喜びも哀しみも、皆んな自分に縁は遠い、何んにも考へず、何んにも思ひ出さず、はりつめた少女の力で、敏捷に迅速に時をけづつて、はやく早く。全く機械的だ。

 《全く機械的だ》という批評から九十年以上経っている。この漫画はどう見ても人間的だけれども、当時はこれでも十二分に機械的に思えたのであろう。「モダンタイムス」の時代。ちなみに、ナベツマの母は若いころ交換手だったそうだ(もちろん戦後のこと)。



2005年9月18日(日)コクトオの星見てひそかに月を待つ

『みのる 亮英 孑孑漫画』(山田実、服部亮英、講談社、一九一四年)はじまりはじまり。「孑孑」の読みはケツケツまたはゲツゲツとか。意味は、小さいさま。山田実のあだ名だと前書きで「あるをとこ」が書いている。他に岡田三郎助の「才気ある君達」という序文もある。山田実は明治二十一年茨城県生まれ、東京美術学校時代から漫画家として活躍し、岡本一平の引きで朝日新聞社に入社するも、大正十四年に三十五歳で夭逝している(清水勲『図説漫画の歴史』河出書房新社、一九九九年)。服部亮英は明治三十年三重県生まれ、大正三年に東京美術学校卒業、やはり朝日新聞社に大正五年から十二年まで勤めていた。昭和二年に渡欧、北京美術学校校長を務めたこともある。昭和三十年没(いのは画廊HPより)。ここでは服部の夢二や純一に似たイラストを取り上げる。説明文は《渚の人や、島田君と云ふ人や、在田君や、上野落葉君や、僕やが集つて書きちらしたものです》(あるをとこ)とのこと。

 扉

 服部亮英の自画像


【ナベツマ・ジャンク】

 今週はTVドラマが最終回を迎えたケースが多かった。なかでも「ドラゴン桜」は「女王の教室」以上に盛り上がったように思えた。それは・・やはり・・東大に合格するか否か!というテーマが、カトリーナ小泉のようにメリハリが利いていたおかげか??(合格発表の掲示板前の時間が長くてドキドキしてしまったわん。)

 というこって、「ドラゴン桜」です。アエラの先週号の巻頭を飾り、知り合いのN氏によると「三省堂でドラゴン桜を筆頭に東大関連本のフェアが行われていた」とのこと。主役の元暴走族の弁護士、桜木先生の役である阿部寛がなぜあんな熊五郎のようなヒゲをたくわえていたかということも原作の漫画を見れば一目瞭然。漫画の主人公に限りなく近づけるためだった訳。

 アエラのほうは、ドラゴン桜のノウハウと題して、あくまでも東大合格のための受験方法論やビジネスにその教育論をいかに生かすか、なんていうことに絞られていたが(ちょいとちんけ)、最終回のドラマのほうは、結局は「自分といかに向き合い生きて行くか」という人生論を解いていたように思えた。とても真摯でまともだ。

 双方の学園ドラマには高校と小学校という違いはあったものの、結構共通点が多かったことに最終回を見終えたあとに気づかされた。桜木先生もマヤ先生も非常に強い意志が顔面に現れていた。いわゆる目力がある。それは決して子どもたちから顔を背けない、逃げださない、ということに共通していた。こういう大人がいなくなったんだろうね。だから目立つ。あと面白かったのは、ドラゴン桜も女王の教室にも後継者がちゃんと育っていた点。道なき道を行くフロンティアの後に、道はでき続くのである。

 加えて、ある意味「女王の教室」はドラゴン桜よりもっと辛口だったかもしれない。子どもたちが目覚める「自立の分岐点」である12歳という年頃において、マヤ先生が放った言葉は「自分の人生に責任を持ちなさい」「将来の夢ばかり見ていないで今やらなきゃいけないことをやりなさい」→「つまり勉強しろ!」。親の庇護から離れ自立に向かっていく子どもたちを救うのは、自分の人生まったなし!の18歳より6年早い「目覚め」かもしれない。

**マヤ先生役の天海祐希、女王の教室の続編を断ったという噂が・・。事務所が、彼女のイメージがこれ以上悪くなるのを恐れたらしいとも。でも一体誰が マヤ役をやれるってか?? ヤンクミかあ??



2005年9月17日(土)秋の空町中でいちばんモボの声

朝から大阪へ。大丸うめだ店で「デ・キリコ展」をまず見る。一九七〇年代の自作コピーのような作品がメインでつまらない。戦前のものは簡単なスケッチていど(自画像一点あり)。まったく物足りない。憮然として心斎橋へ。大丸心斎橋店の「パリ・モダン」展。大味だ。個々の作品には見るものもあるが、全体がつかめない。大丸はその建物自体がゴシックもどきのアール・デコなのだから、もっとそこをうまく活かして展示すれば面白いと思うのだが(例えば、階段スペースに展示するとか)、そこまでの創意工夫と熱意はないようだ。

カステラ銀装で窯出しカステラを買い、新しくなったそごう心斎橋店へ。初めてなので十四階まで見物がてらエスカレーターを利用。ずーっと列ができていて、そのままキョロキョロしながら順押しで登って行く。丸善は昔の看板と瓦屋根のディスプレイで目を引いた。同じくプレ・モダンの店舗再現フロアーもある。「心斎橋物語展」は大阪市立近代美術館心斎橋展示室で開催された「モダン心斎橋展」と重なるところもあるが、より観客参加型の展示になっており、キャプションもひねりが効いて、さまざまな工夫がうかがえる。『モダン心斎橋コレクション』(橋爪節也編、国書刊行会、二〇〇五年)が図録代わりになっているわけだが、現物の展示をじっくり見て行くのはいいものだ。著者の一人である毛利真人氏が蓄音機で戦前のレコードを掛けながら解説実演しているのが楽しく(二村定一の“俺が町中でいちばんモボだと言われた男〜”、後にエノケンが流行らせた、など)、つい聞き入ってしまった。そしてやはり雑誌『だいまる』には目が釘付け。判型は大小さまざま。とにかく保存がいい。これほど状態がいいのはかなり珍しいそうだ(肥田晧三氏所蔵とか、さすがである)。

長堀通の地下を通って出光ナガホリビル十三階にある大阪市立近代美術館心斎橋展示室へ。「旅する“エキゾチシズム”」展。入ったところで橋爪節也学芸人にバッタリ遭遇。そごうへ出かけるところだったので、手短に立ち話。画家と旅行をテーマにした展示はそれなりに楽しめる内容である。池田遙邨の水彩画(大正初期の中之島風景)とデッサン(まだ四階建ての阪神百貨店を阪急百貨店の六階から描いたデッサンなど)だとか、高岡徳太郎(高島屋のバラの包装紙をデザインした)のパリの街を俯瞰した絵などが良かった。国枝金三が一点出ていたが、もっと沢山見てみたい作家。また御船綱手(みふね・つなて)という日本画家も初めて知った。竹内栖鳳を思わせるようなテクニシャンだ。

 会場で高橋輝次さんと待ち合わせ、長堀通地下のカフェでしばらく雑談。創元社のHPでの連載「古書往来」を本にしたいという話。創元社では出してくれそうもないので版元を探しているとか。自社サイトで連載したものを自社から出さないというのもおかしな話だが、現実問題として、いろいろ厳しいようである。「古書往来」は氏の古書好き・編集者好きが如実に感じられる渋い連載。

古本の話をしたのでたまらず古本屋へ行きたくなる。帰途、かっぱ横丁へ。文庫を中心にざっと見て回り、たどりつく先は梁山泊の百円均一。野坂昭如『エロ事師たち』(新潮文庫、一九七一年四刷、ジャケット=宇野亜喜良)、佐木隆三『ジャンケンポン協定』(講談社文庫、一九七六年、ジャケット=長尾みのる)、JOSEF EBERLE『AMORES』(ARTEMIS VERLAGS, 1961、ZURICH, ラテン語の詩集)を各100円。そして石川桂郎『剃刀日記』(角川文庫、一九五五年)を500円で。これには横光利一の「序」と石塚友二の解説が付いている。悪くない収穫だった。

ヨーゼフ・エーベルレ『愛/新詩集』アルテミス

 ヨーゼフ・エーベルレ(JOSEF EBERLE)は詩人だが、戦後はドイツの有力新聞紙『シュツットガルター・ツァイトゥング』の編集者として活躍した。一九〇一年九月にローテンブルグで生まれ、一九八六年九月にスイスで亡くなっている。



2005年9月16日(金)まこもの背十六歳の日もありき

月の輪さんより。《二冊目『月の輪書林それから』晶文社。10月初旬には、店頭に並ぶ予定です。目録、林さんに装幀していただいた13号の書影(白黒)も出ます。撮影は坂本真典さん》・・・とのこと、楽しみが増えました。

Nさんよりチラシいろいろいただく。「印刷解体 Vol.2 Program」(9月30日〜10月17日)のハガキがカッコイイ。活版刷だ。「文選・植字ライブ」ってちょっとすごくない? その他、活版刷名刺受注などのそそられる企画が組まれている。詳しくは上記サイトにて。「日本の童謡」(神奈川近代文学館、10月1日〜11月13日)、「こどもパラダイス」(弥生美術館・竹久夢二美術館、10月1日〜12月25日)などのチラシもなかなか。

印刷解体 Vol.2 Program」

『日本古書通信』914号。大阪の古本屋特集。加藤京文堂・加藤哲也「柳屋・三好米吉と芥川」が目に止まる(ブンブン堂のグレちゃん!)。三好米吉は有名人に短冊や色紙をバンバン依頼して『柳屋』の目録で売りさばいた。大正時代から昭和初期のこと。芥川からの断りの手紙をたまたま加藤氏が入手、所蔵しており、米吉の子息がそれを買い取ったという話。そこには《字も句も上手ではありませんから書きません。もうこのようなことはなさらないように、折角ですから二枚の短冊は差し上げます。お代は無用です云々》(引用はママ)としたためられていたという。芥川っていい人みたい。

 また、紅野敏郎氏が日本近代文学館の紀要『日本近代文学館年誌―資料探索』が創刊したことを書いておられる。HPにはまだ告知されていないようだ。B5判200頁超、1000円とのこと。曾根博義「厚生閣(書店)とモダニズム文学出版」、文学者の戦中日記、などの記事がおもしろそう。

大貫伸樹氏よりメールあり。《◆9月17日(土)朝8時13分頃から10分ほどNHKラジオ第一放送に出演することになりました。/読書の秋に因んだ話で、古い本の装丁や製本、手作り本、オブジェとしての本などなど、収録は、4時間もありました。どんな話に仕上がるのかは私もわかりません。/車の中やバックミュージック以外に、ラジオを聴く週間が無くなってきてしまいましたが、時間と興味がありましたらぜひお聞きください。/ブログにも美人アナウンサーの収録の様子を掲載しておりますので、ごらん下さい。アクセスはhttp://blog.melma.com/00140644/です。◆なお、9月29日に拙書第2弾となる『製本探索』が印刷学会出版部から文庫本上製本172頁、定価1800円+税で発売が決まりました。



2005年9月15日(木)わが宿に添い寝する犬夜寒かな

留守中に届いていた郵便物など。

 アンダーグラウンド・ブックカフェのチラシ。萌え〜ぎ色がよく目立つ。オリジナル風呂敷第二弾は太田蛍一・・・すごい。

古本共和国』20号。表紙はピエロに扮した永島慎二さんの自画像。巻頭の一頁エッセイ「私と早稲田古書店街」が小栗康平、喜多條忠、花田紀凱、保坂和志、堀切直人とゴーカ(向井くん! 堀切氏のエッセイで『サンパン』の漢字が間違ってます。これは誤植大賞ヘンなツクリ賞もの)。特集は「早稲田青空古本祭」。『古本共和国』の総目次もある。三号から永島さんの表紙なのか。

pen』9月15日号。総力特集・全マップ付き「あなたの知らないソウルへの旅!」。特集担当のO氏より。はっきり言って、植草甚一の東京の特集がズッコケていたので、期待はしなかったが、これはソウルへ旅してみたくなる内容になっている。とにかく食い物がやはり旨そう。とくに綴じ込み付録はそのまま使えそうだ(冷麺の写真がいいねえ)。書店は「ブックハウス」というヘイリ芸術村のモダンな店が紹介されている。古本屋の紹介がないのは少々残念。O氏、頑張ってますね。

 櫻井毅『出版の意気地 櫻井均と櫻井書店の昭和』(西田書店、二〇〇五年)がスムース文庫08『加能作次郎 三冊の遺著』を出した関係で著者より届く。櫻井毅氏はご子息で経済学者、武蔵大学名誉教授。ご遺族ならではの資料を駆使して櫻井均の生涯を描き、これまでの謬説を正している。とにかく出版に情熱を燃やし続けた生涯だったようだ。戦時中の企業整備にあたっても、出版関係百九十五社の中でただ一社、個人企業の出版社として残留した。その執念には驚かされる。また激しい情熱のためか、著者と意気投合したりケンカしたりすることが少なからずあったらしい。太宰治が約束していた原稿を他社に回すから諒承してくれという筆書きの手紙が掲載されていてとても太宰らしくて面白い。《先日或る先輩からの紹介で義理からどうしても断ることが出来ず》などというくだり、《義理》の文字がみょうに太く大きく書いてある。編集の面から言えば、多少不満もなくはないが(年譜と索引は付録すべきだった、できれば出版目録も。占領軍に提出された櫻井自筆のものは収録されている)、櫻井書店という重要な出版社についてまとまった証言が残されたことを何より喜びたい。

 櫻井毅『出版の意気地 櫻井均と櫻井書店の昭和』西田書店 装幀=中島かほる



2005年9月14日(水)紫菊(かきのもと)いずくにありや青き犬

新潟での日記をアップしました。展示の様子はこちらでどうぞ、出品作品・展示会場

風々を出て新潟駅へ。今日の俳句の「かきのもと」というのは食用菊で新潟独特のものだそうだが、京都の知人(新潟出身)のために土産として持ち帰る。ただ、まだ少し早いようで、八百屋で尋ねても出ていなかった。新潟駅ビルのスーパーにあったので少々ひねていたが一袋求めた。そのときにビル二階の改札口の前で見つけたのがこの「忠犬タマ公」。ご主人さまを雪の中から二度も助けた名犬だそうだ。


 ちょっと時間があったので駅前の古本小屋というチェーン店に入る。大人の本が主力のようだ。文庫の背を追っていると、とつじょ、ぐぐぐっと自然の呼び声が来た。あわてて向いのセブン・イレブンでトイレを借りる。用をすませて何も買わずに出るとき「ありがとうございました」と声をかけられるのはヘンな感じ。エアポートバスで空港へ。ここで昼食を済ます。すると、またもや便意が(朝食の後にもちゃんと用足しをしているのだ)。山菜料理の痕跡が流れ行くのを見送りながら、繊維質が便通にいいというのは本当だなあと感心することしきり。フンギリよく大阪空港へ出発。無事帰宅。



2005年9月13日(火)秋の日に焙られている石の貌

午前中、新潟市美術館を見る。常設展示のみ。ちょっと総花的な展示だった。そんななかでは新潟出身の阿部展也の秀作がいくつか並んでいるのが目についた。ロビーに置いてある全国の美術展などのチラシをもらう。新潟にしては三十度以上の気温で汗が出るほど。

 つづいて古書店めぐり。まず営所通りの学生書房へ。昔ながらの古本屋の雰囲気そのまま。なぜかわざわざここで臼井喜之助『京都味覚散歩』(白川書院、一九六三年五版)100円を買う。次いですぐ近くの文求堂書店へ。ところが、均一の台は出ているのにカーテンが閉まっている。立ち読みしていた紳士に尋ねると「お昼休みでしょう、一時頃には開いてますよ」とのことで、先に古町モール街の「ブ」へ廻る。う〜む、さすがに新潟から買って帰るほどのものはない。

 文求堂へ戻る。紳士の言葉通り開店していた。けっこういい本はあるのだが、適度な値段が付いていて手が出ない。セノオ楽譜が1000円と1500円でいろいろあったが、買わず(これは買っておくべきだったか)。『白樺』第九年九月号(白樺社、一九一八年九月一日)を800円で(ただし劉生表紙が四分一ほど破れ)。もう一冊は古木鉄太郎『紅いノート』(校倉書房、一九五九年)が1500円だったので、ためらわず購入。函の背が少し傷み、グラシンの背が破れているが、本文は美。まあそんなところで満足する。

 古木鉄太郎『紅いノート』校倉書房 装幀=三岸節子

 閉廊間際にSさんが来る。『新潟日報』に紹介記事を執筆してくれた詩人である。行きつけの山菜料理の店「妻有」へ誘われて、ご馳走になる。古い建物を使った渋い店。主人の関口氏が手ずから採集してきた材料を使用するとか。関口氏には『新潟の山菜料理・きのこ料理』(新潟日報社、二〇〇五年)という著書がある。そこで囲炉裏を囲み、高橋新吉の思い出話などをじっくり聞かせてもらう。また尾形亀之助らと同人雑誌仲間だった新潟のある詩人と親しくしておられ、亡くなった後にその蔵書を譲り受けたそうで、『色ガラスの街』も所蔵されているとか。驚くのみ。「山菜料理は通じが良くなるよ」と笑って居られたが、たしかに繊維質たっぷりというかんじだった。他に、鮎の塩焼と馬刺をおいしくいただく。風々まで送ってもらい(道が分からないので)、そこで別れた。



2005年9月12日(月)赤や青万代橋に月高し

十時前までぐっすり。トーストと目玉焼きの朝食。絵屋までふらぶら歩いて出勤。終日、会場に詰めていた。土曜日の『新潟日報』文化欄でかなり大きく紹介してくれていたので、その記事を見たらしい人などが次々と。東京からの知人も駆けつけてくれる。新幹線で片道二時間一万円少々かかる。有り難いことです。午後六時に終了。知人を駅まで送って風々に戻り、大倉さんと合流。「こなや」といううどん屋へ。ただし、洋食店のようでもあり、居酒屋のようでもある、モダンな作り。リゾットのコロッケとかピザなど。

 最後に、うどんということになって、大倉さんが、「ざるうどん」と「もりうどん」が150円も違うのは何故ですかと言い出す。ご主人は「したじ」(醤油)が違うんですよ、うちは「ざる」は生したじ(調整に手間がかかるそうだ)、「もり」は手早くできる煮たしたじを使っているから、風味が違う、「でも誰もわかんないですよ」(となぜか江戸弁)。で、大倉さんは両方頼んだ。ウンチクも味見をさせてもらう。たしかに「もり」の汁は少し甘めだろうか。さほど顕著な違いはなかった。

 ただし、蕎麦の「ざる」と「もり」にはもっと別のちゃんとした違いがある、またはあった。《「ざるそばは、他のそばよりも高級なメニューとして江戸時代に生まれました。値段の差はその名残です」と言うのは、全国麺類文化地域間交流推進協議会。当初のそばは現在のもりそばに当たるが、ゆでずに蒸したもので、菓子屋が売る安価な間食メニュー。一方、ざるそばは、麺打ち技術や高級食材の発達で江戸中期に生まれた、オシャレなゆでそばだ。「ざるの元祖が、深川洲崎の伊勢屋です。良質のそばを使い、従来の丼ではなく、竹ざるの器で高級感を出して評判になりました。やがて、当時は高級品だったみりんを汁に使う店やノリをのせる店も現れて、ざるそばにさまざまな付加価値がついたんです」(そば研究家・笠井俊弥氏) /後に従来のそばが、ざるやかけと区別して「もり」と呼ばれるようになり、「安いもり」と「高級オプション付きのざる」という区別が完成した。 「しかしいまは、両者の違いはノリだけという店が多い。効率化のほか、みりんやワサビが安価で手に入るようになって、もりにもざるにも使われ始めたからです」(そば業界関係者) /こうして、ざるの特別感が薄れ、価格差だけが残ったというわけだ。しかし、ざるの「付加価値」にこだわる店は、いまもある。日本橋「室町砂場」のざるは、もりと違い、そばの実の芯だけを使う白麺で100円増。「神田まつや」は、天城の本ワサビ付きで150円増。「本物のざる」は、いまも高級品だ。》(GENDAI NET

 たそがれる絵屋 出品作品・展示会場



2005年9月11日(日)朝顔が迎えてくれる草の家

十時過ぎに家を出て、阪急電車で南茨木まで、そこでモノレールに乗り換えて大阪空港へ(モノレール運賃420円に驚く)。ネットで超割バーゲンチケットを予約してあったので(新潟まで往復22,500円)、カウンターで発券してもらい、軽く昼食などして待つ。定刻の少し前に手荷物チェック・ゲートへ入ったところ、「ちょっと待ってください」と止められてカバンを調べられる。飛行機などは滅多に乗らないので、ペンケースに小さなカッターとハサミを入れたままにしていた。没収される(新潟空港で受け取る)。

 天気は悪くはなかったが、うす曇りだったので窓外は雲ばかり。琵琶湖が一瞬、白っぽく光って見えたのが印象的だった。新潟空港まで正味55分。後ろの座席に大阪のおばちゃん二人組。ずっとしゃべりっぱなしでうるさいことハナハダしい。新潟が近付いて、美しい田園風景が真下に見えたときなど、「ああ! たんぼや、たんぼや、こんなたんぼあるん初めて見たわ」「新潟はやっぱりお米やで、コシヒカリやな」「お酒もおしいしいしな」などときわめてモンキリ型にはしゃいでいた。海岸沿いの空港へ東から阿賀野川をかすめて着陸するのが、いい感じ。ほとんど着陸のショックがなかった。上手なパイロットだった。

 新潟絵屋を運営する大倉宏さんが迎えに来てくれていた。まず買い物をするため市街へ。ついでに画廊Fullmoonをのぞく。こちらも町屋を改造したとても粋な空間だ。そこから絵屋へ。絵屋は道路拡張計画の筋道に当たっており、いずれ移転を余儀なくされるようだが、大家さんは当分移転に同意しそうもないそうである。だが、周辺の家屋はすでに撤去されており、以前(五年前)に個展をやらせてもらったときとはまったく風景が変わっていた。

 旧繁華街とは思えないのんびりした絵屋の周辺

 二人で展示を始める。絵の方は大倉さんに任せて、本を並べたり、表に張り出す個展のポスターの文字を書いたりする。作家が筆と墨で書くきまりになっていると言われ、苦闘する。何枚も失敗、結局はパッとしない。六時頃までかかって展示終了。その様子は出品予作品・展示会場でご覧下さい。

 次に大倉氏の車でB&B風々(フウフウ)へチェックインというか挨拶に行く。朝食付きで一泊2,900円也。店主の杉本氏は報道カメラマンで、中東あたりを駆け巡り、開戦前後のイラクも訪れているという話だが、いたって穏やかな人物とお見受けした。そこから日和山から日本海の夕日を眺め、砂丘館(旧日本銀行新潟支店長役宅)を見学。ここは今年、新潟市が買い取り、七月から大倉さんが管理を任されて展示などの催しを差配している。昭和八年竣工の住宅として貴重な建物であろう。土蔵がギャラリーになっている。

 町屋を改装した「しののめ」という居酒屋にて二人で乾杯。大倉さんはウーロン茶。十全茄子という小茄子の浅漬けがなかなか新鮮だった。その後、JAZZ FLASH という昔ながらのジャズ喫茶へ。ちょうどテレビで選挙報道をやっていて、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズをバックに自民党圧勝の絵が流れていた(むろんテレビから音は出ていない)。風々まで送ってもらう。風呂をザバッと浴び、ベッドへ入ればイチコロで眠りに落ちた。