◆林哲夫展―風の景色(終了しました)出品作品・展示会場
●塩山氏より『記録』10月号届く。毎月ありがとうございます。巻頭で鎌田慧氏が吠えている。今回の選挙でのトヨタ自動車の露骨な自民支持を評して小泉はトヨタのペット「トヨペット」になったとダジャレで諷している。野党トップも改憲論者だし、あきらめるな、と言われてもねえ・・・
●クロネコヤマトのメール便を発送するために最寄りの事務所まで持ち込む。最近、後払いのカードが磁気からコード読みとり方式に変わった。カードそのものが薄くなって財布に入れておける。郵便局が完全民営化されると、宅配便も「信書」を扱えるようになるのだろうか。
●ついでに近くの古本市場をのぞく。文庫をざっと見て以下のものを購入。
・悲しき戦記 伊藤桂一 講談社文庫 昭和五十五年六月六日九刷 j. 佐野ぬい
・続悲しき戦記 伊藤桂一 講談社文庫 昭和五十二年十月十五日一刷 j.
佐野ぬい
・雑学明治珍聞録 西沢爽 文春文庫 一九八七年十一月十日一刷 j. 玉井ヒロテル
・大いなる助走 筒井康隆 文春文庫 一九九五年一月三十日八刷 j. 著者
・釈尊の生涯 中村元 平凡社ライブラリー 二〇〇三年九月十日一刷 装幀=中垣信夫
合計715円。伊藤桂一氏には大衆文学研究賞をもらったときに授賞式でお会いした。いかにも老作家という雰囲気の物静かな方だった。一九六二年に「螢の河」で直木賞を受賞されている。同年刊行の『螢の河』(文藝春秋新社)の古書価はそうとうなもの。中村元『釈尊の生涯』はジャケットの折り返し(表2側)にある著者紹介が訂正されているのが珍しい。名前と生年の部分に貼り紙をしてある。普通なら刷り直しだろう。
●『孑孑漫画』十一日目。とりあえず、これでおしまい。服部亮英の絵柄は夢二調ながら、もっとザックリとした味があって好きだ。

根津通り並ぶよみせのカンテラの
かげにかくれて浮世絵を見る
カンテラは絵の手前右下に見えているランプのこと。オランダ語で提灯または灯台の意味。「女商人」と文字が左上に入っているが、古本屋である。夜店というのはかつてはどこでも見られた。京都では、梶井基次郎の「檸檬」に活写されているように、寺町通に夜店があった。また先日(9/27)紹介した『銀座百点』の一〇八号、木山捷平が「銀座の思い出」と題して銀座の夜店について書いている(p60〜61)。
「銀座の散歩は資生堂側をあるくのが通人なんだ。君のように夜店側ばかり歩きたがるのは、ヤボテンというんだ」
こう私にお説教してくれたのは、中国生れの黄瀛だつた。
その黄瀛と私がある時、夜店側の或る喫茶店でお茶をのんで表に出ると、
「キ、キ、君、前を行くあの男は誰か知つているか」とどもりながら黄が私にきいた。黄は日本語をつかうとよくどもつた。支那語をつかう時もどもつていたらしいが、これは私には断言できない。
私が知らないと答えると、
「あれが竹久夢二だよ」と教えてくれた。
後姿だから顔までは見えなかつたが、夢二はそんなに上等な洋服を着ていなかつた。頭には古ぼけた茶色の中折をかぶつていた。
夢二は昭和九年に死んでいるので、それ以前の出来事だということになる。夢二は中折帽を被っていた・・・先日(9/28)の統計からすれば、木山と黄も何か被っていたはずだが。なお、黄瀛(こうえい)は今年の七月三十日に重慶で亡くなった。九十八歳。
2005年9月29日(木)白い影すすきの揺れるもどり道
●蟲文庫という倉敷の古本屋さんの「蟲日記」を昨日知った。「デレク・ジャーマンの庭」訪問記など、なかなかのサイトである。写真がクリアでとてもいい。
●『大阪人』11月号届く。ウンチクも大阪本を紹介するコーナーに書かせてもらった(p81)。特集は「探検!発見!動物園」。天王寺動物園には「センイチ」という若虎がいるそうだ。タイガースが二〇〇三年に優勝した年に多摩動物園で生まれて天王寺へトレードされてきたという。ということで、阪神優勝めでたい。岡田阪神はまだまだ成長するような気がする。ジャイアンツは、例えば、森とか王とか、監督として実績を残す人たちを放出して、指導者に向いていない人間でムリヤリ勝とうというのだから破綻するのは当たり前。二軍も木戸監督で阪神が優勝した。星野が旧弊を一掃して岡田チルドレンたちがのびのび育つ、阪神全盛期に突入か。今年生まれた虎はJFK?
●カフェ「APIED」より「遠い国のうたと音楽」という催し(10月29日)の案内来る。ブズーキと歌のコンサート。京都大原三千院近くです。詳しくは直接問い合わせを。
●『孑孑漫画』十日目。

金縁眼鏡が一番眼につきます。
横文字の本が其次に眼につきます。
然し眠つてるのかもしれません。
どうもこの漫画にコメントしている人物(複数)は新しい女性たちを皮肉な眼で見ているようだ。カフエのソファーで洋書に読みふける女性。「BLUE
STOCKING」(青鞜)と書かれている。ただ当時のジャーナリズムの「新しい女」に対する反応は厳しく《「和製ノラ養成所」と呼ばれた青鞜社への社会の攻撃は激しくなるばかりだった》(森まゆみ『明治快女伝』文春文庫、二〇〇〇年、p53)とのことだ。ここにもその一端が現れている。ちなみにノラを演じた松井須磨子こと小林正子も『青鞜』の発起人たちと同世代、明治十九年生まれだった。
なお「BLUE STOCKING」だが、正しくは「Bluestockings」で、十八世紀半のロンドン、年金暮らしで退屈していたモンタギュー夫人(E.R.Montagu)のもとに集まったアッパーミドル・クラスの女性達を中心とした文学「クラブ」である(こういう集まりは「ソワレ」とおフランス語で呼ばれる)。名前の由来は、夫人のソワレに毎回参加していた
Benjamin Stillingfleet という男性の安物の青靴下からという。ベンジャミンはイヴニングの正装に欠かせない黒いシルクの靴下が買えないほど貧乏だった。またモンタギュー夫人のクラブにはサミュエル・ジョンソン、ジェイムズ・ボズウェル、ホーレス・ウォルポールら錚々たる作家たちも男性メンバーとして参加していた。下図は架蔵のホーレス・ウォルポール『オトラント城綺譚』(THE
WORLD'S CLASSICS, OXFORD UNIVERSITY PRESS, 1982)。平井呈一訳で読める。最近では『西洋伝奇物語
ゴシック名訳集成 』(学研M文庫、二〇〇四年)に収録。
もうひとつついでに、ブルーストッキングスから百年後、十九世中頃には「ブルーマリズム」という女性解放・男女同権運動がアメリカで起こった。禁酒とフェミニズム運動を推進していたアミーリア・ブルーマーがパンタロンと短いスカートを組み合わせた服装(ごく最近、ちょこっと日本でも流行りました)を雑誌『リリー』に紹介して大評判となった(考案したのはリビー・スミス)。そういう恰好をしている女性達を「ブルーマーズ」と呼んだ(『『パンチ』素描集』松村昌家編、岩波文庫、一九九九年七刷、p186)。もちろん、あの女学生の「ブルーマー」の語源である!
2005年9月28日(水)背の革のかすれながめて夜もすがら
●鴎外訳『フアウスト』と青山二郎装幀本『戦争まで』とをSさんよりいただく。前者は文庫サイズだが背革になっていて、またその革がいい具合にくたびれている。特装版だろうか、以前もっていた(地震で手放した)のは単なるハードカバーだったような気がする。いずれにせよ、大感謝です。
・縮刷フアウスト 森林太郎 冨山房 大正十五年九月十八日第十五版 大正六年十一月十一日初版
・戦争まで 中村光夫 実業之日本社 昭和十七年七月二十三日 装幀=青山二郎
『戦争まで』表紙。印刷ではなくいちおう継ぎ表紙になっている。函アリ。
●コトコさんより「コーヒー祭」(場所=Trade mark Kyoto、10月1日、2日)の案内が届く。猪田彰郎氏と中川ワニ氏の珈琲対談(10月1日 19:00〜 要予約)。10月1日がコーヒーの日だとは知らなかった。
●『孑孑漫画』九日目。

お爺さん逆上せ性と見える。此寒さに帽子も被らず何を眺めてるんでせう。何、帽子は明治、大正のもの、江戸趣味ぢやないと仰しやるんですか?何ぞい、俳句でも浮びましたか。
帽子の全盛時代は昭和初年から戦後しばらくの間だった。明治から大正にかけては英国製の山高帽がもてはやされた。続いて昭和初期にはソフトが大流行し、男性の外出時の冠帽率は95%もあったそうだ(『続ビゴー日本素描集』清水勲編、岩波文庫、一九九二年、p118)。たしかにビゴーの漫画は日本男子の帽子好きを見事に記録してくれている。
『明治事物起原』(石井研堂、ちくま学芸文庫、一九九七年)によれば、維新前に帽子を被っていたのは外国へ漂流して戻ってきた漁夫たちだった。明治四年に軍服軍帽が制定され、明治五、六年ごろに「シヤツポ」や「キヤツプ」が一般にも大流行した。輸入数も急増し、国内生産も始まる。麦藁帽は明治十一年ごろから大森で製造され始め、三十年代にはパナマ帽やブラジル帽などさまざまな夏帽子が流行ったそうである。
2005年9月27日(火)あるべきがいずこにもなき長き夜
●『銀座百点』を十冊ほどN氏より格安に分けてもらう。銀座百店会のサイトに表紙ギャラリーあり。
・銀座百点 百二号 銀座百店会 一九六三年六月一日 表紙=佐野繁次郎

・銀座百点 百五号 銀座百店会 一九六三年九月一日 表紙=佐野繁次郎
・銀座百点 百六号 銀座百店会 一九六三年十月一日 表紙=佐野繁次郎
・銀座百点 百七号 銀座百店会 一九六三年十一月一日 表紙=佐野繁次郎
・銀座百点 百八号 銀座百店会 一九六三年十二月一日 表紙=佐野繁次郎
・銀座百点 百十一号 銀座百店会 一九六四年三月一日 表紙=佐野繁次郎
・銀座百点 百二十一号 銀座百店会 一九六四年十二月一日 表紙=佐野繁次郎
・銀座百点 百三十号 銀座百店会 一九六五年九月一日 表紙=佐野繁次郎
・銀座百点 百三十九号 銀座百店会 一九六六年六月一日 表紙=佐野繁次郎
・銀座百点 百四十二号 銀座百店会 一九六六年九月一日 表紙=佐野繁次郎
●さらに横光利一『時計』の少し傷んだものを入手。函背が汚れ、金属板を留めている糸が切れている。状態が良いと1〜2万円くらいはしているので、これなら上々だろう。この金属板が何なのか、素人には判定できない。アルミという説明が多いが、ジュラルミン(創元社社主・矢部良策の回想に出てくる)とかジンク板という説もある。

・時計 横光利一 創元社 一九三四年十二月十五日 装幀=佐野繁次郎
●『BOOKISH』の次号(10号)が杉山平一特集になるらしい。中尾さんより原稿依頼あり。杉山さんには一度だけお会いしたことがあるという程度だが、小野松二に関して手紙でお尋ねしたときには丁寧なご返事をいただいた。以前にも書いたと思うが、織田作之助、立原道造、中原中也らと親しくつき合った方だ。単に語り部というだけではなく、その作品を再評価する意味でも、杉山平一特集には大いに期待したい。
さっそく杉山さんの本や作品が掲載されている『文学雑誌』を何冊か引っ張り出したのだけれども、あるべき場所にない(!)というのが一冊あり、ここでもない、そこでもないと書箱を開け散らかした。結局、一番最初に開いた箱(三島書房関係の)を念のためにもう一度探すと見つかった。底の方に隠れていた。まあ、そんなもんです。
2005年9月26日(月)筆洗に蛾の乾き居て水張らず
●田中栞女史より、平凡社ライブラリーから近々再刊される伊達得夫『詩人たち』の八頁カラー口絵に女史蔵書肆ユリイカ本の書影を入れることになったという報せあり。『詩人たち』の再刊では平凡社ライブラリーならではのそういったオマケが楽しみだ。また火星の庭のサイトでは田中女史による「書肆ユリイカの本」という連載が開始された。雑誌『ユリイカ』の表紙が見モノ(扶桑書房の目録に揃24万円で出ていた、女史はもっとずっと安価に購入されたようだ)。現在の『ユリイカ』との関係もよく分かる。
●『萬巻』17号届く。天神さんの古本まつりが6日から始まる(〜11日)。今回は出かけたい。
●「生誕100年
今竹七郎大百科展」が西宮市大谷記念美術館で8日から始まる(〜11月27日)。これはぜひ見たいと思っている。戦前は神戸大丸意匠部、高島屋宣伝部、戦後は今竹スタジオを設立して亀倉雄策らと日宣美の創立にも参画したいわゆる「デザイナー」の先駆けの一人であろう。ちょうど『昭和のモダニズム今竹七郎の世界』(今竹、一九八九年)という作品集を持っているので取り出して久しぶりに開いてみた。するとその中に三枚ほどのコピー記事が挟んである。今竹が自身の足跡を回顧した「昭和のはじめから戦後まで」というエッセイだった(『日本デザイン小史』ダヴィッド社、一九七〇年、掲載)。ざっと読んでみると、思わぬ発見があった。先日の「モダニズム心斎橋展」に出ていた『だいまる』のイラストに記されていたサインは「MORIWAKI」だったが、それに該当する人物についての言及があったのだ。《大阪大丸の森脇高行、三越の持田卓二もその名をよく知られた。森脇は東京美術学校出身、持田は院展の日本画出身であった》。今「森脇高行」でぐぐってみたが、ヒットはゼロ。大きな手がかりになった。
今竹七郎大百科展チラシ
●『孑孑漫画』八日目。

画家『今日は何だか沈んでる様だね』
何日ものほんのりとした薔薇色が少いと心に思ひながら……『サ、唄つて上げやう一所にまた唄はふじやないか……神に願をララかけましよか』
「休憩時間」と題されている。ストーブが背後にあるの冬のアトリエ風景。一緒に唄おうと誘っている《神に願をララかけましよか》は大正三年に島村抱月と相馬御風が作詩をして中山晋平が曲を書き、松井須磨子が歌って大ヒットした「カチューシャの唄」。
カチューシャかわいやわかれのつらさ
せめて淡雪とけぬ間と神に願いを(ララ)かけましょか
抱月は須磨子とダブル不倫をして坪内逍遙の文芸協会を飛び出し芸術座を旗揚げしたのが大正二年。「カチューシャの唄」は翌年三月にトルストイの『復活』を上演したときに劇中歌として作られたが、それが大ヒットしたのを見て、日活が完成したばかりの向島撮影所で映画版を作った。十月に封切られ、当時はまだ映画女優がおらず、歌舞伎役者の中村芝鷺助が立花音二郎としてカチューシャの役を演じた。おぼっちゃんが夏の休暇中に手伝いの娘に手を出して妊娠させ、娘は転落の一途をたどる。後年、青年は世に出て娼婦となりはてた女に再会する・・・。劇中でカチューシャが付けていた髪留が「カチューシャどめ」としてこれまた大流行した。『孑孑漫画』は大正三年十月刊行なので流行のさなかに描かれた絵だということになる。
2005年9月25日(日)朝寒に弱音吐く日もなくはなし
●『サンパン』第三期第十一号が出来上がった。曾根博義「金児杜鵑花・伊藤整・素人社」の素人社(素人社書屋とも)はなかなかいい本を出している。タイトルはよく古書目録などで目にするが、素人社に注意が向かなかった。今後気をつけよう。春日井ひとし「大阪の里見〓[トン]」は先日の色紙問題にもからんで興味深い。中尾務の余滴、今回は富士正晴と庄野潤三の『VIKING』脱退について。島良作「本と往く旅・フィレンツェ」はフィレンツェで製本を注文する話を中心として。『欧州芸術巡礼紀行』(十字館、一九二三年)のことなど。この本の原画を先日(9/17)、大阪市立近代美術館準備室で見たばかり。小沢信男さんの回想は『季刊現代芸術』(みすず書房、一九五八年創刊)、月刊『現代芸術』(勁草書房、一九六〇年創刊)の周辺。その他、店番日記、フリッツ・ルンプ、結城信一、辻征夫、ガリ版詩集、小野松二、そして「版画莊文庫」についての記事あり。こってりとした文学漬けの雑誌になっている。
750円(送料共)ご注文はsumus_co@yahoo.co.jp
ところが、『サンパン』の継続に関して少々問題が起こった。松本八郎より以下のようなメールが届いた。
《今月末には、再び仕事場の規模を縮小せざるを得なくなりました。/そのため、今迄『サンパン』の「組版」をしてくれておりましたMが、この9月24日をもってEDIを退職いたします/ただ今後、EDIで「組版」が出来ないということになりますと、その作業は「外注」せざるを得なくなり、また、その経済負担は言うに及ばず、その精度も、今迄以上には期待出来ません。さて、どうすればよいのかと、このところ考えておりますが、なかなか継続にあたっての、良き妙案が思い浮びません。》
この件に関して寄稿者全員に意見を聴くために三十日に会合が持たれるらしい。ウンチクは参加できないのでメールで意見を伝えることにした。
《サンパン継続についての意見ですが、雑誌というのはやはり中心になってやる人間が継続するという強い意志を持たなければならないと思います。その意志さえあれば、その後のことはどうとでもなるでしょう。サンパンの場合は松本様のご意向しだいということでよろしいのではないでしょうか。/金銭的な面は、単純に、製作コストから売上げを差し引いた額を寄稿者が頁割りで支払えばいいでしょう。スムースも最初はそのようにしていました。書いた人が書いた分だけ支払えばいちばん平等です。むろん表紙をはじめ共通ページは全員持ちです。》
●また『彷書月刊』もご存知のように十月号が出ずに十一月号との合併号ということになった。こちらは編集部の人たちがごっそり辞めたからだと聞いている(ごっそりというほど人がいたのかとも思いますが)。しかし田村編集長は意気軒昂のようだから大丈夫でしょう。坪内さんの『極私的東京名所案内』も楽しみにしているのでもうひとふんばりしてください。
●『孑孑漫画』七日目。

『私の国と云ふのは或水国の町です、もう私の町には富も財産も残少なになり、人々の頼るものはない、昔の美しさ花やかさの思出をたつた一の誇として頽廃の歌をうたひ乍ら死んでゆくのです、辛らいぢやありませんか、ねエ、あなた』チャブ屋の女は、其の夜興奮して語つた印象が私の頭に刻み付けられた。
「チャブ屋」というのは、正岡容の『明治東京風俗語事典』(ちくま学芸文庫、二〇〇一年、初版は有光書房一九五七年刊)に「ちゃぶちゃぶ」の項で《食事のこと。食堂をちゃぶやといったのが、のちに売女をおくチャブ屋に変った》と説明されている。あるいは喜多壮一郎監修『モダン流行語辞典』(実業之日本社、一九三三年)では《チャブ屋(チャブヤ) 開港場などで外人対手の淫売屋兼帯の小さな飲食店。横浜、神戸のチャブ屋は就中有名である。「南京チャブ」といふのは支那人の経営する飲食店で淫売屋ではない》とされている。絵の右肩に「支那料理の女」とあるので後者であろう。
2005年9月24日(土)帽子買うルネ・マグリットに秋の雲
●神戸へ。阪急花隈で降りて元町まで引き返す。ちんき堂をまずのぞく。いつもながらスカスカの棚だが、どのタイトルも欲しいような欲しくないような微妙なレベルなのでつい真剣に選んでしまう。
・無知の涙 永山則夫 角川文庫 一九七三年 j. 赤瀬川原平[j. =ジャケット、以下同]100円
・19階日本横丁 堀田善衛 集英社文庫 一九七七年 j. 朝倉摂 100円
・酔いどれの太陽 グラトコフ著 井田孝平訳 平凡社 一九三〇年 800円
表紙4に「永」のサインがある
●大丸もとまちの八階で「ジャン・コクトー展」を見る。これまで何度かコクトー展があったが、今回の内容はけっこう濃いように思う。とくに堀口大学文庫所蔵の大学宛て献呈本はとても念入りで洒脱なイラストが入っており垂涎ものだった。どれにも
A Nico(ニコへ)という献辞がある(コクトーは来日時に通訳をしてくれた大学を「ニコ」と呼んだそうだ)。大学は五日間、コクトーとともに帝国ホテルに泊まり込んだらしい。う〜ん、そうとうに親しくなった、かも。コクトーの絵画ではやはり戦前のスケッチのようなカリカチュアのようなデッサンがいちばん良かった。戦後の諸作はアウトサイダー・アート的すぎて芸術味が薄く偏執性が強い。
●山下陽子さんの個展へ移動。南京街はたいへんな人出で賑わっている。栄町通を歩いて広島銀行の南側裏通り二本目、栄町ビルディング一階、GRAIN
D'AILE に午後一時ちょっと過ぎに到着。古いビルを再生利用した渋いアンティーク・ショップである。たいへん趣味がいい。山下女史のオブジェを展示するのうってつけのスペース。飾ってあったイギリス製の古い山高帽子に釘付けになる。少し迷ったが、ルネ・マグリットが被っているような帽子の円い形がなんともいえず、衝動買いしてしまう。自分で被るのはとうてい無理(鉢が小さい)、おそらく絵のモチーフになるだろう。
●元町駅の西の端、モトコーの入口にある「淡水軒」でラーメンと水ギョーザ。神戸時代からのお気に入りの店。そして阪神電車で武庫川まで行き、街の草へ。例によって加納さんは店の前で古本の仕分けをしていた。文庫本が大量に並べてあり、紐でしばられつつあった。小一時間、物色して以下のものを購入、シメテ1600円也。
・星の王子さま サン=テグジュペリ 内藤濯訳 岩波少年文庫53 一九六七年二十三刷
・星の王子さま サン=テグジュペリ 内藤濯訳 岩波少年文庫53 一九七一年三十四刷
段ボール函入りの23刷
・蕪村書簡集 大谷篤蔵・藤田真一校注 岩波文庫 一九九九年二刷
・日々の泡 ボリス・ヴィアン 曾根元吉訳 新潮文庫 二〇〇二年四刷 j.
ベン・シャーン
・みすず 233号 瀧口修造追悼号 みすず書房 一九七九年十月十五日
・新日本文学全集第十巻井伏鱒二集 改造社 一九四二年 装幀=佐野繁次郎
『みすず』瀧口追悼号はうれしかった。最近、急激に売上げが落ち込んでいると加納さんのぼやき。まったく助けにならない客なので返答のしようがない。本は売れないもんですよ、だから面白いんじゃないかなあ。みんなが欲しがるものなんてどうせ決まり切った内容でしょう・・・と開き直ってみるしかないのか。
●帰宅すると『サンパン』最新号が届いていた。紹介は明日。少々くたびれました。
2005年9月23日(金)秋分は均一崩して駒を出す
●新潟から絵が戻ったので、売約のあったものを額装するためにナベツマと寺町通姉小路のヤマモトへ。いつも使っているシンプルな額にする。その後、斜向かいの桂月堂でロールケーキを買い(欧風菓子店だが雰囲気は和菓子屋。富岡鉄斎の直筆額がかかっていたのはさすが)、いつものスマート珈琲店二階で昼食。今日は正午前から満席でしばらく待った。電車も混んでいて、もう観光シーズンなのかといぶかる。
やっぱりいつもの尚学堂書店。200円均一台に『暮らしの手帖』が二十冊ほど積み上げられていた。他にも新しい目の本がぎっしりと平積みにしてあるので、ひと山づつ取り分けて吟味していると、不覚にも端の一角が崩れてしまい、床に本が散乱した。ああ、古本者にあるまじき失態(!)。慌てて元通りに積み直していて「おっ」と思う一冊を発見した。
・大阪府高等学校野球連盟三十年史 大阪府高等学校野球連盟 昭和三十年八月十五日
とくに高校野球に興味があるわけではないが、明星商業の優勝記念写真が三点ほど掲載されていたため小野松二関連資料として購入。明星商業に問い合わせても野球部の記録はあまり残っていないとのことだった(大正九年の予選優勝写真のみ『サンパン』第三期第八号に掲載)。見返しに旧蔵者のゴム印「浪華商業高等学校野球部」。
表紙=田村孝之介
他に
・山中人饒舌上巻 田能村竹田著 小竹散人評
これは小さな本(135×90mm)上下二冊だと神田では相当な値段が付いている。上巻に刊記はないが、明治十二年刊らしい。
・山陽詩鈔四 頼久太郎著 後藤機・他校 濱本伊三郎・平野藤七 明治十二年一月
国会図書館に『山陽詩鈔』は何種かあるが、この版そのものはないようだ。巻末に「大尾」とあるので全四冊かと思われる。
そこから久しぶりに三条の「ブ」へ回る。
・細江英公写真ガウディへの讃歌 PPS通信社 昭和六十一年
ガウディ写真展の図録、「勅使河原宏映画・武満徹音楽」という副題。たしかこの展覧会、大阪のナビオ美術館で見たような記憶がある。プランタン銀座と長野の東急百貨店を巡回している。300円。
●『孑孑漫画』六日目。

待つのは長いもの、まだいらつしやらないかしら? オー冷たい風! 新橋の舗石を吹いて来る冷たい風…………手が亀[ルビ=かぢか]みそうだ。
マフラー(ショール?)、指のない手袋、独特なヘアースタイル、大正初年の冬のファッション。背後の柱でプラットホームということがすぐ分かる。新橋駅といえば、この前の日曜日、行定勲監督「春の雪」の撮影シーンを特集していたTV番組(EZ!TV)で、新橋駅での別れのシーンを見たばかり。そのとき行定をカリスマ監督だと紹介していたが、ピンとこなかった。今、調べると、「GO」(2001)、「世界の中心で、愛を叫ぶ」(2004)などを撮ってる。「GO」は面白かった。
「亀む」を「かぢかむ」と当てているのは一般的なのだろうか。「亀手」とは「ひび、あかぎれ」のことだと『字源』(角川書店、一九六八年)に出ているが、『言海縮刷』(小林新兵衛、明治三十三年)には《かじかむ 凍エテ働カス。(手ナドニ)亀手》とある。
2005年9月22日(木)木端なれど賭けるものあり穴に入る
●昨日発行のメルマガ「早稲田古本村通信」80号に荻原魚雷が永島慎二さんの将棋駒について書いていた。『駒のささやき 将棋駒の魅力とその世界』(駒研出版会、1996年12月刊)の座談会を引用して《晩年の永島さんは将棋の駒を作っていた。》《なんでも1990年ごろから3年間で45組(!)の駒を彫ったという。/「これからも生きてさえいれば、再びあのような熱中の季節を迎えることがはたしてできるのか、どーか?」》《「好きな駒師をあげてください」といわれ、永島さんは「僕は木村だね。江戸駒と呼ばれるものがあるとしたら、木村をもって終わりとする、というような感覚でね。特に木村の彫り駒、晩年の駒が好きだ」とものすごくマニアックな受け答えをしている。//ちなみに永島さんが作った駒のひとつは森本レオさんが持っている。/私はたまに森本さんと将棋をさすのだが、永島さんの駒はまだ見せてもらったことがない。》と書いていた。
自慢するわけではないが(むろん自慢しているのだが)、永島作の駒を一組(第十七作)、ウンチクは家宝として所蔵している。永島さんからいただいた。そして永島さんがいちばん好きだという木村作の駒も一組もっている。これは恩師だったT先生の遺品としてT夫人より頂戴したもの。木村というのは木村義雄十四世名人[*]の弟である。
下図、左の玉将と歩兵が永島作、右が木村作。材質はともに黄楊(つげ)。これも原産地がどこどこと言い出したらキリがない。下段は王将と玉将の底面(五角形の底辺)。駒を彫った作者の名前とその書体名「長禄書」「清安書」が刻まれている。長禄は東京池之端の薬屋「宝丹」の主人安田長禄。奇抜な書風で有名だったらしい。縁起物として喜ばれたとか。清安はもっともポピュラーな駒書体で、源兵衛清安(げんべいきよやす)ともいうが、人物等については未詳である。


[*]坂田三吉と戦ったのが「関根はん」こと関根金次郎十三世名人、その弟子で後継者となった初代実力制名人。著書にめっぽう面白い『ある勝負師の生涯』(文春文庫、一九九〇年)などがある。なおその後の将棋名人(永世名人)は十五世が大山康晴(故人)、十六世が中原誠、十七世が谷川浩司。永世名人は名人位を五期獲得した棋士に与えられる(襲名は引退後)。羽生はまだ四期。現在の名人は森内俊之。
●『孑孑漫画』五日目。

プロペラの音雲に入る秋日和
山田猪三郎が日本で最初に飛行船を作り、大崎から目黒まで飛ばしたのが明治四十三年九月八日のこと、それが山田式一号飛行船。翌年二月七日には五人乗りの山田式二号飛行船で帝都一周をなしとげた。秋日和という季題からして最初の飛行時の様子だろう。山田は飛行船で広告することを考えた、アドバルーンの父でもある。
2005年9月21日(水)樋を越し往事をしのぶか竹の春
●隣家のブロック塀とわが家の東側の壁の隙間は数センチしかない。そこから細い竹が伸びていたのは知っていたが、いつの間にやら屋根を越えて、幹もけっこう太っていた。隣家の土地はかつてはわが家の旧家主のものだったそうだ。おそらく隣家が建つ前は竹が植わっていた場所だったのかもしれない。植物の生命力にはいつもながら驚かされる。
●戸田勝久さんより「山本六三銅版画展―銅版画挿絵と本の世界―」(9月19日〜10月3日、啓祐堂ギャラリー)の案内状届く。山本六三(一九四〇〜二〇〇一)は戸田さんの師匠だと書いてある。《古書店の棚からすっと取り出された城左門の詩集。/右手の細長く美しい指が、手漉き和紙の本文頁を繰りながら、/掌にある背、コーネル革装の美しい本を私に示された。/「本文用紙が和紙の本は、軽くて良いですね。」/師山本六三は、このようにいつもさりげなく/書物について語ってくれた。》
●昨日の『フィロビブロン』で初めて使われたと考えられる言葉に「パンフレット」と「コピー」があるそうだ。「パンフレット」は《私の欲しかったのは、紙幣[ルビ=リブラス]ではなく書物[ルビ=リブロス]であり、フロリン貨よりも写本を愛し、薄いパンフレートスのほうを乗馬[ルビ=パレフリデイス]よりも好んだ》(p76)というふうに使われている。訳注によれば、十二世紀の喜劇のタイトル「パンフィリウス」(すべてに愛されている人)から造語されたと推定されるそうだ。ダジャレだな。
「コピー」は《書写を目的とする寮外持出しを禁じる》(p149)と使われており、訳注に《コピアーレ(写しを作る)は、現在使われている「コピーする」という場合と同意義を有する例として印刷物に現れるのはこれが最初ではないとしても、それに近いと思われる。ラテン語の「コピア」、すなわち「豊富」から由来し、同じテキストを豊富にすることがコピアーレの行為とみなされたのであろう》とある。また第八章の《筆写生》(昨日引用した箇所)は「アンティクアリイ」で、古い作品のみを筆写したとのこと。新しい作品をも写す者を「リブラリイ」というらしく(スエトニウス『著名人伝』による)、写字生(スクリプトリイ)と同意語らしい。
とにかく印刷以前の本は手で書き写したわけだから、「コピー」といっても大変な労力が費やされたわけである。それにしては学生たちの本の扱いはぞんざいだったようだけど。
●『孑孑漫画』四日目。

ヨチヨチと引き出されたアクターは、今菅原伝授寺子屋の段を務めた。観客の拍手と共に、今や楽屋の褒美にありつけるのである。アセチリン瓦斯が激しく匂つた。
夜店(?)の猿回し。「菅原伝授手習鑑」寺子屋の段というは、菅原道真の恩を受けた者同士が配流の後に残された道真の子供を守ろうとする悲劇。弟子の源蔵は他人の子供の首を道真の子供の首として差し出すが、それを取りに来た松王丸は別人の首と知っていながら受け取る。じつは自分の子供の首だった。「オオ、ヒズ・ファーザー!」(「スターウォーズ帝国の逆襲」のラスト、ダース・ベーダーがルークの父だと判ったとき、観客がこうどよめいたそうだ。イギリスでロードショーを観た人がそう言っていた)。猿が演じているのは松王丸だろうか。