daily sumus TOP 【ナベツマ・ジャンク】 ◆トルコ紀行1
2006年2月20日(月)高笑い壁を背に聴く余寒かな
※モーツアルト生誕二百五十年とか。先月二十七日が誕生日だったようだ。ということは水瓶座か、将軍さまと同じだ。モーツアルトといってもCDは持っていない・・・かとおもったら、カラヤンの「レクイエム」と♪バーカバーカエヘンムシがあったのでかなり久しぶりに聴いてみる。唸る。
※『中村屋のボース』(中島岳志、白水社、二〇〇五年五刷・・・良く売れている!)読了。ボースについては相馬黒光の回想だけしか知らなかったので、とても面白く読んだ。山下泰文の快進撃とシンガポール陥落にイギリス軍のなかのインド兵の反乱があったのか、なるほど。また、ナイルレストランのナイルさんが出てきてびっくり。一九〇五年、ケララに生まれ、一九二八年に来日、京都帝国大学土木工学科に学んだ、ボースらとともにインド独立運動を展開し、戦後は銀座にインドカレーの専門店ナイルレストランを開業した。ムルギランチ、しばらく食べてないなあ。ボースといいナイルといい、独立運動は空振りに近い結果だったが、彼らの伝えたカレー(中村屋はカリー)は明らかに日本人を変えたのではないだろうか。
※『小学単句仮名遣』(文彫堂、一八八四年)の版面。明治十七年なり。

※『逍遙』71号、昨日届いたのでさっそくメール注文。向井くんのブログを読むと、山本氏が電話で注文してきたとある。どうもウンチクは電話が苦手で、よほど欲しいものでもファックスがいいところ。メールができて助かる。折り返し向井氏から在庫ありの返事が来ていたが、『早稲田古本屋日録』の装幀、とても評判がいいとあったので一安心。発売日が待ち遠しい。『気まぐれ古書店紀行』に負けるな!(勝ち負けじゃないですね、どっちもよろしく)。
※『福島図書館研究所通信』5号の抜き刷り(抜きプリントアウト?)が菅野俊之さんより送られてくる。中央公論美術出版の栗本和夫の著書『一図書館の由来記』(中央公論美術出版、一九八〇年)から信濃の森のなかの栗本図書館を紹介しながら、ご自分のポチ文庫について書いておられる。福島県関係文芸資料を集めておられるが、今後はとくに詩集や詩誌を中心に蒐集を続けられるとのこと。氏の『サンパン』連載でそのコレクションの一端がうかがえる。ここに掲載されている書棚のなんと整然としていることか! しかも愛機はライカM3だとか!(あまり関係ないか)
※一昨日、町中にちょっと買い物に出たついでに尚学堂を覗いた。均一本を盛り上げてあったが、期待ほどではなかった。それでも和本などを五冊ほど買った。
・平家物語上篇 袖珍文庫5 三教書院 一九一〇年三版
・商用作文三百題巻之下 飯田平作編 中島精一 一八七九年
・小学単句仮名遣 文彫堂 一八八四年
・小学指教図〓全 文部省
・ROYAL PRINCE READERS BOOK3, MARUZEN&CO. THOMAS
NELSON &SON, 1904

『ロイヤル・プリンス・リーダーズ』はネルソン商会と丸善の共同発行になっている。扉に丸善の名前が刷り込んである。日本語の奥付はなく、後見返しにゴム印(?)で奥付情報を捺印している。カラーさし絵がなかなかいいが、よく見ると、一枚切り取られていた。
※【ナベツマ・ジャンク】本日更新!
※「冴返る」は一旦ゆるんだ寒さがぶり返すこと。
※海文堂書店で岡崎氏のサイン会が開かれた日。事情があって遠出しないようにしているので、申し訳ないけれども、盛況を祈るのみ。タイミングを見計らったように『気まぐれ古書店紀行』(工作舎、二〇〇六年)が届く。石丸澄子さんの装幀がなんとも奇抜。ジャケットがオビでオビがジャケットのよう。オビの巾が137mmで四色刷り光沢コーティング、ジャケットがコートなしの単色刷り。広いオビの端とオビに隠されたジャケットに岡崎作の四コマ漫画。さらにはサイン用のスペース指定までしてあるのが、名物イラストサイン男の真骨頂だ。
扉を共紙(ともがみ、本文紙と同じもの)にして、目次頁までずっと地にアミをかけたのがグッドアイデア。扉は紙質を変えるのがふつうで、それは別丁扉(べっちょうとびら)と呼ぶが、コスト削減から最近は本文と共紙にする例が増えている。ただ、こういうちょっとした工夫でシックに仕上がる。アミの掛け方(濃度)もなかなかどうしてイキなものだ(これはいずれパクろう!)。
本文中に手書き「書き込み」が印刷してあるのもとても新鮮でいい感じ。古本によくある「書き込み」(古文書などでは「書き入れ」と呼ぶ)を逆手に取ったわけである。岡崎氏の本にはイラスト入りが多いので、まったく違和感はないし、補注のようなものも、こうやって挿入するとじつに楽しい。
そして地図のシンプルな分かりやすさ。きっとこれは岡崎氏の脳内を反映しているのじゃないだろうか。一見、単純すぎてたよりないようだけれども、実用に耐えるもっとも大事なところだけ抜き出してある。この明快さは、あれだけ毎日、古書の海を泳ぎながら、そして浴びるように買いながら、けっして波に流されるということがない、その羅針盤の確かさに通じるところがあると思う。氏の地下書庫に入れてもらったときにもそう思ったが、それは決して定規で引いたような几帳面さではなく、サインペン手書きの味わいが滲む、晴明といっていいようなシンプルさである。
本文中には『sumus』に関する記述も少なくなく、ちょっとしたクロニクルにもなっているが、アッという間のようで、いろいろなことをやってきた。ゆっくり読み直して反芻してみたい。それにしても本文最後の一行には深くうなずいた。《古本買いはいつもそうだが、荷物が重いと心が軽い》。古本ごころが疼く、本年いきなりのホームラン!

※「島成園と浪華の女性画家展」(なんば・高島屋)を見ておきたいと思いながら、遠出できないという事情で、見逃してしまった。ただ、チケットを何人かの知人に送ったところ、出掛けてくれた人が感想の葉書を寄越した。《島成園の絵、見てきました。すごいですね、こんな絵かきいたの!と云う思いです。文学のにおいもしますね。大正時代はまだまだ知らないことがありそうですね。昔の大阪も。そして日本画のことも。でも画壇よりこの女性たちのエネルギッシュ!》
※大阪といえば、梅田の紀伊国屋書店で、ふるほん文庫やさんが絶版・品切れ文庫1万冊フェアーを、昨日から、開催しているそうだ。情報通のTさんが電話してきてくれた。中公文庫の『眼の引越』がありましたよ、と教えてくれた。一応持っているが、安ければ何冊でも欲しいところ。今月一杯は梅田で、来月は本町店でやるらしい。
※向井氏の『早稲田古本屋日録』の見本が届く。見本といっても、よほどの大間違いがない限り、これは店頭に並ぶものと同じ。表紙まわり(ジャケット、表紙、扉、帯)が揃って仕上がった情態を目にするのは、デザイナー本人といえども、このときが初めて。いつもかなりドキドキものなのだ。いや、どうしてなかなかよろしい。自画自賛。帯の尻尾がどうなることかと思ったが、まずは無難に行っている。
別冊栞がまたいい。まったくタイプの異なる文章家五人が向井くんを胴上げしている(あ、この五人じゃ上がらないか!?)。浅生ハルミンさんの、もうひとりの向井くんが向井くんのなかに住んでいるという表現は、比喩でもあり、かつ、二人分の体重があるというシャレにもなっていて傑作だなあ。おそらくこの栞があるかないかで、古書価が大分違ってくるよ、きっと(ちょっと気が早すぎ?)。すばらしい猫の写真を提供してくださった蟲文庫さん、本当にありがとうございました(お礼は右文書院から出るそうです)。ちなみに帯の尻尾は小生がトルコで撮った猫のものです。

※「本のメルマガ」240号、荻原魚雷氏と柳瀬徹氏、そして向井氏もちょこっと飛び入り、による「実録・がっちり買わなかったでショウ」がとても面白い。魚雷氏のあの静かな存在感がどのあたりから出てくるのか、少し分かったような気がする。流行作家をA級八段に喩えるあたり、将棋好きにはたまらんね。
そして、「書評のメルマガ」251号は、ちくま文庫復刊フェアをめぐる特集。山本善行氏らが寄稿している。そのなかで、復刊よりも新刊を、という提言があって、こういう本を出して欲しいという例が挙がっている。これがツボを心得た納得の選択なのだ。読み巧者だといつも思う。例えば、関口良雄『昔日の客』・・・そういう手があったか(!)、これが出たら絶対に買う。吉田勝栄氏も復刊より新刊をと本音を述べているが、みんな骨の髄まで古本者だからね、復刊には食指が動かなくても当たり前か。月曜社の小林浩氏が文庫は売り切っておしまいではなく、品切れを作らないようにせよ、と述べているのは正論と思う。少なくともそういうかたくなな姿勢が文庫には必要だと思う。復刊ではなく、粒よりの新刊と増刷をということだ。
※「[書評]のメルマガ」250号は年頭恒例の「この版元がエライ!」。総勢27人が26社を推薦している。重複した一社は筑摩書房。ただし、松本八郎翁は、筑摩の大川渉著『文士風狂録−青山光二が語る昭和の作家たち』を取り上げておきながら、《それにしても、マイナー作家集団「青年藝術派」については、殆ど触れられていないのが、何とも残念! だから、この版元並びに編集部および著者は、あまりエラクないのかも……》などと大どんでん返しを食らわしている。しかし、ほんとにこの企画はおもしろい!
※『日本古書通信』919号。樽見博氏のコラム「土井虎賀寿の本」はいかにも樽見氏らしい。洲之内徹の『気まぐれ美術館』で土井のことを知って興味を持ち、土井の著作を集めているという内容。古書店徘徊時間を岡崎氏と競っているというほどの御仁なればこその着目か。内田巌の文献といい、不思議な人だ。この間もらった電話によると、春頃、京都に来るらしい。
洲之内徹と言えば、この『日本古書通信』に載っている森井書店の目録に小説「流氓」の原稿が出ている。12/6に出ていると書いたのと同じものだ。138枚、682,500円、売れないか・・・。『閑々堂特選美術書目録』67号には洲之内が執筆している『加藤丈作画集』(本間美術館、一九八〇年)3,000円が。ふう。
※『春秋』一月号、「音楽という経験」特集。人智学の高橋巌氏がコルトレーンの「至上の愛」について《特にB面、メンバーそれぞれのすてきなアドリブのあとで奏される讃歌のすごさには、胸をうたれた》と書いている。ウンチクはあの讃歌が嫌いで、このアルバムをむちゃくちゃにしているような気がしたけれど・・・。
特集のなかでは細見和之さんの「金時鐘さんと「クレメンタインの歌」」がとても良かった。詩人の金時鐘(キム・シジョン)さんは韓国済州島で終戦を迎えたときには皇国少年だった、日本語が得意で、朝鮮文字はあまり書けなかったという。その金さんの憶えている歌が父親の歌っていた朝鮮語の「クレメンタインの歌」だった。それを訳すと以下のような歌詞になる。(金時鐘『「在日」のはざまで』平凡社ライブラリー、二〇〇一年、より)
広い海辺に苫屋ひとつ
漁師の父と年端もいかぬ娘がいた。
おお愛よ、愛よ、わがいとしのクレメンタインよ。
老いた父ひとりにしておまえは本当に去ったのか。
それは風の強い朝のことだった。
母を捜すのだといって渚へでたが。
おまえはとうとう帰ってはこない。
おお愛よ、愛よ、わがいとしのクレメンタインよ、
老いた父ひとりにしておまえは本当に去ったのか。
細見氏の論点は、ここで歌われている去って行った「娘」とは金時鐘の父(三・一独立運動で放校されて満州を放浪したという)であり、そしてまた金時鐘氏自身ではないか、そういうことなのだ。ただ、「クレメンタインの歌」は映画「荒野の決闘」(ジョン・フォード、1946)主題歌として世界的に有名になったわけで、金氏の父がどうやってその曲を知ったのか判らないともいう。原曲は一八八〇頃にアメリカで作られたそうだ。
※右文書院の青柳さんより、川本三郎氏の『ぼくの早稲田時代』の書評記事(日経新聞、2月5日)コピーが届く。坪内さんも『本の雑誌』の日録に好意的な感想を書いてくれたそうだ。とくに早稲田関係者は読んでおいて損はない(損得の問題じゃないけど)。川本氏の《何よりもこの世代には「大学」に対する信頼感がある。デモの時に校旗を掲げ、校歌を歌っている》という指摘は鋭いと思った。
※『日本古書通信』919号。巻頭、松本翁の取り上げているのは小山書店(おやま・しょてん)の「新風土記叢書」、宇野浩二の『大阪』(一九三六年)である。翁はこのシリーズを全冊(既刊八篇)揃えておられるとか、さすが。『大阪』以外に、佐藤春夫『熊野路』、青野季吉『佐渡』、田畑修一郎『出雲・石見』、中村地平『日向』、伊藤永之介『秋田』、太宰治『津軽』、稲垣足穂『明石』が出たが、他にも徳田秋声『金沢』、中野重治『越前』などが予告されながら刊行を見なかった。
鈴木地蔵氏が「返品の行方」という記事を寄稿している。井伏鱒二の、ぞっき屋が出版社を殺す発言(『徴用中のこと』講談社、一九九六年)に納得できない様子で《いいがかりである。特価本専門取次は、中小出版社のいわば不良在庫の再流通に力を貸しているのが実情である。井伏は戦前のぞっき屋を蔑視していたのであり、ぞっき屋なる物騒な呼称は、今日では死語となったといってよろしかろう》と書いている。
ちょうどそんな記事を読んでいるとき、神田の某氏から電話があった。某書店に特価本として『古本デッサン帳』が「二十冊ほど出てますけどどうします?」という情報である。値段を聞くとン百円だ。版元から著者割引で買うよりもずっと安い。「買った! 買い占めといて!」と返事をする。この間、アスタルテさんが注文しただけじゃなかった。この分だと、まだまだごっそり倉庫に眠っているかもしれない(フーッ)。それにしても「特価本」なんてごまかしっぽい用語である。「殺ぐ」から発生したとされる「ゾッキ」こそリアリティがあるというものだ。
※「冬ソナ最終章」装幀のための参考資料を探しに近所の古本市場へ。いくつか拾うものがあった。もち105円均一。
・評伝林忠彦 岡井耀毅 朝日新聞社 二〇〇〇年 熊谷博人
・魔都上海 劉建輝 講談社 二〇〇〇年 山岸義明
・彫刻家の娘 ヤンソン 冨原真弓訳 講談社 一九九一年 ad.長友啓典 d.達川淳
『魔都上海』の冒頭に「上海する(Shanghai)」という動詞があることが書かれていた。谷譲次に「上海された男」(『新青年』一九二五年四月号)というタイトルの作品があるそうだ。今ならさしずめ、みんなに期待されながら結果を出せないことを「トリノする」と言うようなものだろうか(ちがう?)。念のため、いつもの「アメリカン・ヘリティッジ」を引いて見ると、以下のような動詞の意味が示されていた。
1. To kidnap (a man) for compulsory service aboard a ship,
especially after drugging him.
2. To induce or
compel (someone) to do something, especially by fraud or force:
We were shanghaied into buying worthless securities.
※『エプタメロン』が届く。背のところが4、5となっているのは「世界奇書異聞類聚」の第四巻と第五巻という意味らしい。村山知義らしい楽しい文字だ。
・エプタメロン上巻 ナバル女王 梅原北明訳 国際文献刊行会 一九二六年 村山知義
・エプタメロン下巻 ナバル女王 梅原北明訳 国際文献刊行会 一九二七年 村山知義

※【ナベツマ・ジャンク】が独立したページになりました。本日更新!
※NabeQuest(鍋探求)がブログになりました(ただいま突貫工事中)。こちらもよろしく!
※《気がつけば、街のチョコレート狂死曲に乗せられてウキウキする季節になっていました。銀座五番街のピエール・マルコリーニの前は長蛇の列、入店制限の有様でした。それに比べてあづま通りのデルレイは小さな店ですが、この季節とは思えない位閑散として(逆に入りにくい感じ)宝石のような一粒一粒の説明を受けながら楽しめました》
というお便りとともにデルレイのチョコをいただいた。深謝です。
※阿瀧さんより昨日紹介した詩集についてのメールあり。《奥付に「装丁 阿瀧康」とあります。もちろん素人なのですが、お礼もこめて一言。「imitation
pearl」は昨年の10月から製作を開始したのですが、表紙については daily sumus 昨年の10月5日にあった「文字力100冊」の18番、アドルノの書影にヒントをいただいたのです。講談社文庫の昔のカバー(漉目?のある、文字のみの青緑のもの)もあわせて参考に印刷所に問い合わせ、いったんは「STカバー・青緑」という紙を選んだのですが数日後、すでに生産中止という知らせがあり、今回のものに変わったのでした。結果としては、あまりアドルノには似ないことになりましたがスタートは
daily sumus に間違いありません。お礼申し上げます。》
なるほど、10/5のズーアカンプの新書判ですね。『imitation pearl』の表紙はシックないい色だと思いましたが、そういうこだわりがあったわけですか。小生も紙の品切れにはしばしば泣かされます。
※コイン精米所へ玄米を持ち込んで精米する。七分搗き。玄米のままでも十分おいしいのだが、田舎から送ってきたためか、わずかに籾殻が混じっていて口触りが悪いので、少し精米することにした。ついでに丸太町のブックオフをのぞく。
・アイデア 267号 誠文堂新光社 一九九八年三月一日
この『アイデア』は偶然にもオリンピックのポスター特集。長野オリンピックに合わせて発行されている。そこに掲載されている第一回冬季オリンピック(シャモニー・モンブラン)のポスターの一種がこれ。当時(一九二四年)のジャンプの絵である。なかなか素朴でいい。現在と比べると、衣装はもちろん、スキーもほぼ真っ直ぐ揃えているし、姿勢も腕の位置も違う。

※【ナベツマ・ジャンク】本日更新!
2006年2月13日(月)指先はいのちに触れて春の闇
※『波』二月号に堀江敏幸氏がポール・オースターの新刊『わがタイプライターの物語』(柴田元幸訳、新潮社、二〇〇六年)を紹介していた。オースターが長年愛用してきたタイプライターに愛情を抱き始め、《その不思議な愛情を共有し、タイプライターにひとつの人格を与えたのが画家のサム・メッサーで、彼はなんと、主人が不在とわかっている仕事場へ出向いて、タイプライターの肖像を描いたこともあるらしい》という。ちょっとそそられる本だ。
サム・メッサー Sam
Messer は一九五五年、ニューヨーク生まれ。クーパー・ユニオンを出てからイエール大学大学院へ進んだらしい。八十年代のネオ・エクスプレッショニズム(バスキア、クレメンテなどを連想すればいいだろう)の画風を今でもずっと保ち続けている。タイプライターの絵はさほど好きじゃないが、人物に面白い作品がある。
※阿瀧康『詩集
imitation pearl』(空とぶキリン社、二〇〇六年)が届く。阿瀧さんはいつも詩誌『ガーネット』を送ってくれるのだが、詩作品はさっぱりと飛ばして、古本者の日録と俳句しか読まないことにしている。しかし、この詩集をいただいて、お義理でも読まなくてはと読み始めると、なかなかどうしてとても繊細な、ときとして繊細過ぎる、粒よりの作品が並んでいるではないか。『ボートの名前』(詩学社、一九九八年)以来だとのことで、その詩集をもらって初めて阿瀧さんを知ったわけだから(突然送られてきた)、八年ほどのペンフレンドなのである。次はぜひ句集をお願いします。「a
chamber」より冒頭。
いまは午後四時四十分、息をひそめている
それは、本棚の本のささくれた皮の背のように
「近代」
的
だ。
「近代」は、君が曲がってきたその道の
曲がる手前までを言うんだそうだ。
※石川桂郎の『俳人風狂列伝』に名前がちょいちょい出てきて気になっていたので、安住敦『暦日抄』(牧羊社、一九六五年)を注文してみたのが今日届いた。俳人。東京生(一九〇七〜一九八八)。立教中学卒。逓信官吏養成所修。『貧しき饗宴』、『古暦』、『市井暦日』、『午前午後』など。久保田万太郎の弟子で『春燈』を編集・経営していた。「てんと蟲一兵われの死なざりし」「しぐるるや駅に西口東口」(句集『古暦』一九五四年、所収)などは印象深い作品だが、『暦日抄』には取るものがあまりない。なかではこれか、「夏帽や反吐がでるほどへりくだり」。
・暦日抄 安住敦 牧羊社 一九六五年 題簽=桑田雅一
2006年2月12日(日)すべらかや「愛撫」の後の猫の影
『梶井基次郎小説全集』作品社、一九三六年 題字=川端康成
※『月刊百科』二月号に八木福次郎さんが『書痴斎藤昌三と書物展望社』(平凡社、二〇〇六年)の宣伝を兼ねて「斎藤昌三の真骨頂――「面談は十分以内に」」を寄稿している。なかに、斎藤が関東大震災に遭遇し、創業したばかりの会社「正鵠商会」と創刊したばかりの雑誌「いもづる」を同時に失ったときのことを《長い間人一倍、下らぬものを蒐めたり、陋屋に積み場もなくなつた際、自然は一ト思ひに整理して呉れたのだ。一切は空、なまじつか執着せぬことだし、柄にもない事業も断念することだ》と書いていることについて
《物を集めることに人一倍執着心の強かったはずの翁にしては、実に諦めよく、悟りきった心境を書いている。これは後になって書いたもので、強がりと見るべきか、本音だったのか、斎藤さんにはこんな一面があったことは事実だろう》p6-7
と述べているけれど、もちろん本音だったにちがいない。七十二年後に同じような大震災に遭遇した者の一人として、斎藤の心境にはまったく同感できる。人は、自然のとてつもないエネルギーの前では、蒐集のむなしさを身に沁みて感じるものなのだ・・・しばらくしたら忘れるけどね。
※【ナベツマ・ジャンク】が独立したページになりました。美大お受験その3アップ!
2006年2月11日(土)紀元節「交尾」読む午(ひる)ややおそし
※「冬ソナ最終章」なるゲラが届く。世事にうといウンチクと言えども、このドラマの粗筋ぐらいは知っているが、なるほど、兄妹ではないという事実を知りながらも別れてしまったチュンサンとユジン、二人のその後はこうなるのか(!)、ということで、これを装幀せよとの依頼があったわけだけれど、う〜ん、困りました。どうしたものか。1500部以上売れそうな本は装幀したことがないのだ・・・、あ、セドローくんの本は売れるかも。
※昨日ラジオから伊福部昭追悼で「ゴジラ」のテーマ曲が流れた。抜粋だったが、映像なしで耳にすると、かなりいい曲だ。全体の音作りはやや戦前の匂いがするものの、それがかえって新鮮に聞こえる。CDが欲しくなった。
※Mさんより天神さん報告メールあり。《百円均一もなかなかです。初日とあって棚を取り囲んで立錐の余地無し。それでも拾ってきました。
「泣菫全集1,6巻」創元社函
「テレーズ・デケイルゥ」細川書店痛み
「慵斎雑記 」佐藤春夫千歳書房S18年再函欠カバー破れ
「花房助兵衛」司馬遼太郎桃源社S37年初版裸本
「文学界」S22年12月号等
司馬遼太郎は珍しい気がしたので。百円に集中すると他では買えなくなります。大阪古書会館に移動。こちらはゆったり見ることが出来ます。「林哲夫作品集」第263番すみません半額で買ってしまいました。いずれご署名をお願いしたく》・・・よろこんで(百円じゃなくてよかった!)。
※天神さん、うらやましい。昨日のペーパーバックでも眺めてなぐさめよう。
MAIN
STREET, SINCLAIR LEWIS, SIGNET CLASSIC, 1980, il.R.CRAWFORD
※そう言えば、松村信人氏より『凶會日』2号(凶會日の会、大阪市北区天満1-7-23-601 松村方)届いていた。松村氏の「私的七十年代(二)」がやはりとても面白い。繊細で、マジメで、理屈っぽくて、とびきり戦闘的(今どきの若者がキレると言うけれど、松村世代のキレ方は尋常じゃない)、団塊のどうしようもなさが見事に描かれている(ご本人はそのつもりはないと思うが)。
装冊子=倉本修