林 哲夫「遅日小品展」3月30日〜4月5日
岸本画廊(東京都中央区銀座6-12-15 西山ビル3階 電話03-3571-5122)
daily
sumus TOP 【ナベツマ・ジャンク】 ◆トルコ紀行1
2006年3月28日(火)遅き日を匙をならべて過ごしけり
※明日より上京、3日に帰洛の予定。よってデイリー・スムース更新はしばらくお休みです。
※『彷書月刊』4月号。特集・古書展覧会。井上書店さんの「京都三大古本まつり」が巻頭。「本のバザール」「モダン・古書展」「地下室の古書展」「露店の古書展」「古書展がいっぱい」そして昭和三十二年の『古書月報』に掲載された座談会などが続く。『白木古書会陳列目録』(一九三五年)の図版に参加店主の似顔絵(宮尾しげお作)があり、そのなかに十字屋店主も見いだされる。1月28日にネット上から引用した写真と較べてみるのも面白い。
宮尾しげお画
※今日のデイリー・スムース・トップページの壁紙は「番地入東京市全図」(金松堂、大正四年九月一日)の一部。神田、御茶ノ水辺。これを今の地図と較べると面白い。「陸軍砲兵工厰・砲兵会議」とあるのが今の後楽園と東京ドームだ。明治十一年の「東京全図」(地理局地誌課)では「砲兵本厰」、江戸切絵図では「水戸殿」である。また、移転することが決まった築地の中央卸売市場は「海軍大学校」〜「海軍省」、元は松平越中守、松平安芸守などの土地だった。陸軍士官学校(陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地)は尾張殿、赤坂離宮は紀伊殿、日比谷公園(練兵場)、国会議事堂あたりも親藩譜代の大名屋敷のようである。
ただ、昔の地図を眺めてみても、靖国神社(招魂社)だけはどうもそういう空き地の発想で位置が決められたのではないようだ。元は旗本の屋敷が軒を並べている番町という地域である。
坪内祐三『靖国』(新潮社、一九九九年)はこの点もじつに精密に追求している(「大村益次郎はなぜその場所を選んだのか」)。初めは上野も候補地だったようだが、大村益次郎の意見で現在地に決定した。大村は、ひとつには江戸全体が見渡せる高台に江戸征服者の象徴物を建設した、もうひとつは、軍事的な東京防衛という観点から皇居の裏手、番町の高台を戦略拠点に選び道路・街区の整備を行ったというのである。明治の初めごろには、元の旗本たちは離散して屋敷は荒れ果て畑にされていた、江戸切絵図で見るよりもよほど建設は容易だったようである。
そういう意味では、靖国は積極的な帝都改造思想によって位置取りが決定した珍しい例かもしれない(よく知らないけど)。ということで帝都へ出発します。
2006年3月27日(月)父と子の言霊触れて麗らかや
※先日の「たまや」の会、熊田司氏との雑談で、氏の父上は橋間石(はし・かんせき、間は門に月)の弟子であり、俳誌『白燕』の編集をやっておられたという話が出た。何冊もの句集を出しておられるという。別にもの欲しそうにした覚えはないが、有り難くも、本日、『行住坐臥』坂本巽句集(白燕発行所、一九八七年)および熊田氏の詩集『うた
1972-1975』(熊田司、一九七五年)が届いた。詩集はもちろん句集も熊田氏の渋い装幀。息子が父の句集を装幀するというのは、なんともうらやましいような気がする。
師というも蠅のごとしや芹なずな
三月の音する木の橋渡りけり
鳥に声かけられて草をむしるかな
そうそう、熊田氏は加藤一雄の最後の教え子だったそうだ。これには驚いた。『京都画壇周辺』の編集も手伝ったということである。また生島遼一の授業も聴いたそうで、これも意外だった。他にもまだ仰天した話があるのだが、それはちょっとここには書けない。
※ナベツマと、ミカンを連れて河原散歩、うららかな昼だった。その後、久世橋のブックオフへ。図録がまとめて入っていた。500円と300円。最近、古書店でも図録類は安いので特にどうということはないが、クレーを見たばかりだったので、クレーの図録はうれしかった。このクレー展は大丸ミュージアム京都でも開催されているようだから見ているはず。シーレ展は二度ほど見たが(西武美術館と文化村)、これは逃している。バルチュスは京都だけの展示のときのもの、むろん見た。
・パウル・クレー展 中日新聞社 一九九五年 制作=印象社
・エゴン・シーレとウィーン世紀末 東京新聞 一九八六年 デザイン=浅井潔
・バルチュス展 朝日新聞社 一九八六年 制作=美術出版デザインセンター

ナベツマもミステリーの文庫本を買った。ところが、帰宅して「ギャ!」と叫んでいた。まったく同じ本が棚の奧に潜んでいたのだ。
※淀野隆三のご子息隆さんよりメールをいただく。先日のつばめさんの記事から河上氏にコンタクトがあり、こちらへ連絡が入った。川端康成夫妻と親しくしておられたそうである。淀野隆三の闘病記も執筆されたことがあるとか。父上についての記録を残されるようにすすめる。
今日のさし絵
015 唐詩及唐詩人 小杉放庵 青磁社 1947 / 出典記載なし

2006年3月26日(日)松手入ツリーの電飾色あせり
※日曜の朝は「がっちりマンデー」を見る。今日はロングセラー商品について。チロルチョコがなぜコンビニでは20円なのか? 10円サイズだとバーコードが張れないないからだそうである。ゴキブリホイホイの発売直前の名称は「ゴキブラー」だった。ホイホイとれるようにという社長の一言で変更になった、など。
ところで、最近、よく耳にする単語に「がっつり」がある。ググッてみると210万件以上ヒットするということは、もうふつうに使われていると考えていいようだ。《しっかり。たっぷり。思いきり。ガッツリ。〔北海道出身のラジオ
DJ やまだひさし が地元の方言を用いたことから広まったとする説がある〕》(goo辞書)。
※このあいだ「厚冊」という単語をあたりまえのように使ったら、編集者の人に「どういう意味ですか?」と質問されてしまった。そのときもグーグルを引用して説得したけれど、「専門用語ですね」と言われた。たしかに国語辞書には載っていない。
※ヴィンテージ楽器を例外にするというややこしい騒動があったが、その「ヴィンテージ」、ナベツマも鍋についてときどき使っている。たしかに、分かったようで、なんだかよく分からない言葉ではある。葡萄の収穫が良かった年、ひいては良質のワイン、またはワインが瓶詰めされた年、これが普通の意味だと思っていたのだが、日本語では、骨董品まがいのものに使われる例の方が多いように思う。
ワイン用語から「ある品物の最初期のもの」「古さ」、形容的には「古典的な」「時代遅れな」「最良の」「特徴的な」などの意味で用いられるようになったらしい。直接の語源は中世英語、フランス語で、元をたどれば、ラテン語の「vindemia」、vinum
(葡萄)+demere(ちぎる)だそうだ。
今日のさし絵 014 ゲオルゲ・グロッス 柳瀬正夢 鉄塔書院 1929 / グロッス

2006年3月25日(土)空を掻くつかむものなし花だより
※東京へ行くまでに徳正寺での茶会記を仕上げておこうと、ここ数日奮闘している。調べれば調べるほど、すごいお寺である。鶴見俊輔さんのお話もたいへん面白いものだったし、どうまとめ上げるか。紙数が心配だ。
藤森照信設計・徳正寺「矩庵」
※『彷書月刊』5月号が岡崎武志特集ということで、田村さんから電話あり。原稿なら書けませんと断ろうかと思ったら、「原稿の依頼じゃないんです、伝言板にスムース文庫「詩集風来坊」の宣伝を載せませんか、三千円いただきますけど」というもの。もちろんよろこんで協力させていただきます。まだ三十部くらいはなんとか残っていますよ! 早いもの勝ち!
今日のさし絵
013 ゲオルゲ・グロッス 柳瀬正夢 鉄塔書院 1929 / グロッス

2006年3月24日(金)桃色の爪の生えぎわ風さむし
※昼のワイドショーでカテキンは「勝て菌」から名付けられた! といっていたのでちょっと驚いた。ネットで調べてみると、ポリフェノールの一種で《インド産のマメ科植物カテキューの水抽出物に多量に含まれる。発見者のエーゼルベックが茶成分の「カテキュー」から供出したものということで「カテキン」と名づけた》(ウィキペディア)というのが本当らしい。
ただ、外来語だとばかり思っていたところ、じつは日本語や漢語だった、という言葉は案外と多い。スバル(昴)とかエンジ(臙脂)とか、ヘーベー(平米)とか、音だけ耳にしていると日本語とは思えない、というか、少年ウンチクはどれも外国語だと思ってました。逆にカーキ色というのは日本語だとばかり思っていると、英語にもなっているが、元はヒンディ語「泥色の」だそうだ。英陸軍の軍服の色でもあり、get
into khaki と言えば「陸軍に入る」の意味。日本陸軍もカーキ色の軍服だった。要するに保護色だろう。小栗風葉が『青春』(春陽堂、一九〇六年)で「カアキー色の軍帽」と使っているのが早いようだ。
なおナベツマは「近鉄」を「ちかてつ」と思い込んでいた(関係ないか?)。
今日のさし絵
012 ゲオルゲ・グロッス 柳瀬正夢 鉄塔書院 1929 / グロッス

2006年3月23日(木)やまほどの反故縛り上げ彼岸かな
※『本』(講談社)3月号をパラパラめくっていると、福岡伸一氏(青山学院大教授)がロックフェラー研究所での野口英世の実像を紹介している記事が目についた。野口はロックフェラー研究所では《むしろヘビイ・ドリンカーおよびプレイボーイとして評判だった》などという同大学の広報誌に掲載された辛口記事を紹介し、当時の華々しい活躍が、じつのところ、野口が押し掛け助手となった著名な研究者サイモン・フレクスナーの権威によるものであり、野口の研究には今日的意味のあるものはほとんどない、というプレセットや渡辺淳一の評伝に触れた後、下のように書いている。
《このような再評価は日本では勢いを持つことなく、未だステレオタイプな偉人伝像が半ば神話化されている。これがとうとう大手を振って、お札の肖像画にまで祭り上げられるというのは考えてみればとても奇妙なことである》《ちなみに、肖像画のことをいうのであれば、樋口一葉も最もお札から遠く離れた人物であるといえる》p18
しかし、考えてみれば、ウンチクの若い頃にはお札の代名詞だった「聖徳太子」だって、その事跡を冷静に判断すれば、ある意味ロクなもんじゃないし、十七条の憲法も聖徳太子が創案したのかどうか定かではない(聖徳太子の存在自体を疑う説もある)。現行の紙幣で言えば、新渡戸稲造も夏目漱石も、むろん一葉も、結局は「挫折の人」なのではないだろうか。だから、野口英世が、その人生ゆえにお札に似つかわしくない、とは思わない。神話化という意味では聖徳太子と共通するかもしれないし、かえってお札に適した人物像ではないか。それにダメ男のお札があってもまったく問題ないような気もするし。
そもそもどうして紙幣に肖像画が必要なのか、そこのところがよく分からない。もう、贋札が作りにくい、というようなローテクの時代ではないだろう。
※新書ブームに関する番組をやっていたが、徳正寺で聞いた話では、朝日新聞社も新書を創刊するそうだ、知らなかった。晶文社を退社した中川六平さんも関わっているらしい。
今日のさし絵 011 小学生全集第二巻幼年童話集 文藝春秋社 1928/見返し=竹久夢二

2006年3月22日(水)腐りゆくなすすべなくも花会式
※雑誌『CABIN』8号が中尾務さんより届く。何はおいても杉本秀太郎「富士の裾野」を読む。富士正晴についての回想である。一読、う〜ん、と唸る。なかに大槻鉄男の死について触れたくだりがあって、その奇遇にぎょっとする。じつは、先日、大槻についてごく短い原稿の下書きをしたところだった。そこでは杉本が大槻と辞書のかかわりを語った「たんぽぽの種子」というエッセイを引用したりしたのだ。大槻は三省堂の『クラウン仏和辞典』(一九七八年)を中心になって編纂した人物で『VIKING』の同人でもあったが、一九七九年に急逝した。それがじつは病を苦にしての自殺だったことが「富士の裾野」であかされているのである。
この『クラウン仏和辞典』は、ウンチクなどにはしごく使い勝手がいい。その編者五名は以下の通り。大槻鉄男、佐々木康之、多田道太郎、西川長夫、山田稔。大槻が書いたと思われる「はしがき」にもたいへん熱がこもっている。辞書も著作の一種なのだと改めて認識し直したしだい。
今日のさし絵 010 小学生全集第二巻幼年童話集 文藝春秋社 1928/挿絵=河目悌二

2006年3月21日(火)かくり世は栗の虚(うろ)なる春の寺
※雑誌『クヴェレ
Quelle』54号(クヴェレの会)を江川英明氏よりいただく。ドイツ語学・ドイツ文学に関する論文などが掲載されている。江川氏の「大泉黒石の『血と霊』―表現主義の『スキュデリー嬢』―」たいへんおもしろく読む。とくにコスモポリタンだった黒石が、《前衛活動は日本回帰とプロレタリア芸術という両極に収束し、その意味では硬直化していった》なかで、日本の特殊性と限界を自覚し行く末を見通していた、としているにもかかわらず、《しかしこの黒石にしても十五年戦争時の超国家主義を乗り切ることは叶わなかった。一九三〇年代になると黒石の野放図な語り口は影を潜め》てしまうというところは印象深い。
じつは先日の「たまや」の会で少し酒がまわってきたころ、ある執筆者が、太平洋戦争緒戦勝利の報が、いかに国民のこころをときめかすものであったか、という話をしていた。「それはもう、オリンピックで勝ったとか、そういうもんとは較べものにならないよ。うれしかったなあ」「今でも、そのときに三好達治が新聞に発表した詩をそらんじることだってできるし、斎藤茂吉の歌にも感動したね」「高村光太郎だって本気で日本の勝利を喜んでいた」「あのときのうれしさといったらなかったね」というような話である。当時、少年だったその執筆者が驚喜するのは当然だとしても、茂吉にしても光太郎にしても、欧米の実力を知り抜いていたはずだ。その大人たちが、ころりと神国日本の勝利を諸手を挙げて賛美する、ああ、しょうがないではすまされないような気がする。
むろん、その人も言っていたが、本気で信じていたからこそ光太郎や茂吉は戦後に反省しているんだ、ということには違いないけれども、三好達治は反省したとも思えないし、反省したからどうこうという問題でもないだろう。
ある意味、神がかり的な起死回生で世界一になった日本の野球チーム、いい試合だったとは思うが、それ以上に、キューバの人たちの、心底落胆しながらも日本チームをたたえる言動(TVで伝えられ、ウンチクが見得た範囲内ではあるが)にキューバの強さの源を見たような気がするのも事実である。
今日のさし絵
009 真鍋博漫画集寝台と十字架 書肆ユリイカ 1958/表紙
