2004年11月30日(火)アイラーの冷えた闇夜にねじり込む
『たまや』2号、間村俊一さんより届く。一年以上間が空いたが、さすがの人脈、1970年代高踏文芸誌の残光といったものを感じさせる。巻頭、種村季弘氏の最後期の原稿がとてもいい。「名無しの酒」と題して、銀座の小さな画廊でのひとときを描いている。じつは種村氏のいう画廊で、ウンチクも個展をさせてもらったことがある。古いビルの六階で階段だけなのだ。たしか途中に休憩用の椅子が用意されているということを種村氏は余所でも書いておられて、そのコピーが椅子の横に貼ってあった。洲之内徹ゆかりの女性が経営されていたこの画廊も、ビルの建て替えとともに、休業となってしまった。それにしても創刊号では多田智満子さん、2号では種村氏と、巻頭作家が発行間際に去っていく雑誌というのは、ちょっと珍しいかもしれない。書肆アクセスで入手できるはず。
つげ義春教徒のドウカティ深澤氏より『軟骨珍聞』129号。点燈舎(ドウカティ深澤氏経営)より未発表つげ義春写真集刊行の予定があるそうだ。亀鳴屋の新刊、伊藤人誉『人誉幻談 幻の猫』も興味が引かれるなあ。良さそうな本だ。
『書肆啓祐堂誌〈黄金の馬車〉LE CARROSSE D'ORE』9号届く。杉本光生氏が「一つの想いで」と題して、古山高麗雄の想い出と蔵書整理の話を綴られている。書斎での古山高麗雄の写真がとてもいい。乱雑な秩序といったものを感じる。
吉田勝栄氏がデイリー・スムースを読んで清田昌弘『石塚友二伝』(沖積舎、二〇〇一年)を送ってくださった。深謝です。巻頭、石塚の故郷は新潟県北蒲原郡笹岡だと書いてある。これは洲之内徹の愛した出湯のすぐ近くである。『sumus』5号でレポートしたようにウンチクは先年、大倉宏氏の案内で出湯の「石水亭」を訪問した。既知の土地の出身だというだけで身近に感じられるのは不思議だ。
i東さんより小冊子の注文あり。お友達が「cafe
de poche」という読書サイトを開いておられるとか。そして、そのお友達は、先日、百万遍の初日に進々堂で山本と馬鹿話をしていたとき、近くにおられたとか。あんまり変なこと言えませんな、こりゃ。
M岡さんより「大坂町鑑」届く。宝暦六年(1756)刊のポケット大阪案内を複刻したもの。巻頭の地図、むちゃくちゃ単純だが、「せんば」がどういう地域を指すか、というのが一目瞭然だ。上部中央に大阪城、左が北になり、天満、天神さんが描かれている。

2004年11月29日(月)実南天アミかぶせられ浮かぬ色
セドローくん連載「早稲田古本劇場」開始の『WiLL』(ワック・マガジンズ)創刊号、笑いました。『本の雑誌』にまつわる目録誤植ネタ。ホントのホントなんだろうね(毎回の念押し。ビデオ撮っといてよ、防犯ビデオでいいから。いっぺん現場を見てみたいよ)。もちろん、作り話でもおもしろければけっこうですが。しかし、サイテーな雑誌ですな。
M岡さんよりメールあり。《昨日から「大阪新古書会館落成記念古書フェア」が開催され、先着60名までに「大坂町鑑」なるものが粗品で配布されました。二日間ご苦労なことに朝早く出かけまして、初日は45番、今日は31番で、2冊もらいましたので、おすそ分けさせていただきます。初日はやはり山本さんが来ておられました。今日から東京とか、お忙しいことで》。有り難うございます。ほんとは出かけたかったのだが、どうしても仕上げなければならない仕事があり、断念(なのに小冊子ばかり作って!)。山本は岡崎宅で『彷書月刊』新年号のための文庫対談を収録するために出かけた模様である。
ナベツマへ、ナベ道同志からのフアンレター。《林さまこんばんわ! 日々ナベ道に邁進のご様子、ご主人様の日記拝見して固唾を呑んで見守っております。》
ナベツマからの返事。《もしeBay登録されるなら、ダンスク鍋は高くても50ドルどまりで落とせると思いますよ(加えて船便費用が20〜30ドル必要)。ライバルが現れなかったら、状態そこそこ良くて20ドルしません。ほとんどのeBayライバルは日本人です! 時々プッツンしそうになります!》
例のナベツマ海外進出を阻んで、最後に1ドル加えて鍋をかっさらっていったのも日本人なら、その後ナベツマが入札した鍋を次々と落札したのもすべて日本人だそうだ。eBayでは日本人が闊歩しているようである。
さらに、さきほどカエさんより、爆笑のナベ便りが届く。《ル・クルーゼの鍋ですが、我家では25年前に姑がフランスから買って来て以来、愛用サセラレテいますが(ポトフもおでんもトンポーローもコレ)、手首に注意して使用しないと腱鞘炎・関節炎に泣きます。別名「嫁殺しの鍋」。阪神大震災では鍋落下地点の床が大破してその威力を誇示し、「天は鍋の下に人をつくらず」という家訓もうまれました》。ご無事で何よりでした。



2004年11月28日(日)満員も前二輌となる嵐山線(ランザンセン)
先日、京都の国立博物館で「守屋コレクション寄贈50周年記念 古写経――聖なる文字の世界」展を見てきた。一字一字丹念に書かれた文字は、中国、韓国、日本、それぞれ変遷はあるものの、五世紀ごろからずっと同じ精神に貫かれている。宗教の強靱さというのか頑迷さというのか。なかで印象に残ったのは、写経の失敗した紙を継ぎ足して、裏をメモに使っている「天平年間写経生日記」、「写経料紙充帳」だ。これを解読している人はきっと楽しいだろうね。
守屋コレクションの守屋孝蔵は戦前に京都で活躍した弁護士。古美術の蒐集家としても知られ、中国の古鏡のコレクションも京博他に寄贈されているが、一括寄贈された古写経は国宝・重文を含む268件という数にのぼり、我が国屈指の蒐集だとのこと。ためしに反町茂雄『一古書肆の思い出』(平凡社ライブラリー)の索引を引いてみると、やはり何度か登場している。2巻の173ページに、反町弘文荘が初めて大口の仏書を仕入れて目録を作っていたときに(昭和12年初)、早々と長い手紙が届いた逸話が出ている。
《守屋さんの名声は、もとよりよく承知しておりましたが、当時は弘文荘(また一誠堂)の上華客ではありません。これを機会にお近付きになる事は、営業上の得策。直ちに選ばれた六、七点を取り出して調査しましたが、流石に雋英なコレクターのお眼は高く、第一級品、又はそれらしきものばかり。一々眼の届くかぎりの売価を書き入れて、返事を出す。十二分に利益を見込んだ売価でしたが、守屋さんはその全部を買われ、総額は千五百円を超過しました》とある。このとき反町が仕入れた総額は五千円(目録掲載点数は百八十点)だから、有り難い客だったろう。注文に長い手紙を書くというのが、コレクターの執念を感じさせる。
また、『古本年鑑 1935年版』を読み進んでいると「鹿田静七氏は語る」という座談会の要約が載っていたなかにこうあった。《反町さんは進みすぎてゐる、必ず成功するとは思はれない。日本に於ける最上の目録を出し、第一号にのせたものは第二号にのせないと云つてゐるが、商売としてはどうか。何も貴重品ばかりを扱うのが和本屋ではない》(出典は『香書会月報』16号)。鹿田松雲堂は関西第一の古典籍商だった。ここでいうのは四代目静七。新主人になったばかりで鼻息が荒い。
さら冊子を作り続けてしまう。問い合わせをいただいたので、切手200円分を送って下さった方に、折り返しお送りすることにしました。2冊以上ご希望の方は1冊目200円プラス1冊ごとに100円分で計算してください。図柄は一点ものですのであしからず(ご希望はうかがいますが)。メールいただければ、住所をお教えします。sumus_co@yahoo.co.jp



2004年11月27日(土)刈り込んで首筋寒き庭木だち
『保昌正夫一巻選集』(河出書房新社、二〇〇四年)を読む。単なる「まんじゅう本」ではなく、こういう市販される形で選集が刊行されたことは不肖の弟子(らしきもの、武蔵野美大時代に文学の授業を取っていただけです)として喜びに堪えない。編集者の藤田三男氏に深謝したい。
まず、最近、気になっていた石塚友二について書かれた「横門の人びと――横光利一と石塚友二」を読む。おおよその著作と略歴を知る。大正末、東京堂の住み込み店員だった。横光の弟子となる。東京堂出版部にいた岩本和三郎が創めた書物展望社に勤め、雑誌『文体』の編集に携わる。昭和十年から沙羅書店を経営する。そして何と、嘱託として、甲鳥書林の「昭和俳句叢書」の企画にあたったそうだ。庄野誠一とも親しかったのだろう。昭和十七年、小説「松風」で池谷信三郎賞を受賞。日本文学報国会に勤める。戦後は鎌倉文庫に就職。昭和六十一年没。八十歳。著書を少し集めてみたい。
なにやらアレコレ気ぜわしいのだが、こういうときほど、よけいな無駄事をしたくなる。ふと思い立って、文庫サイズの本を作ってみた。内容は、すでに発表したウンチクのエッセイ。まずは「古本屋を怒らせる方法」(『coto』)と「さらば、父たち」(『サンパン』保昌追悼号)の二種類。まあこれは本というか、本文8頁なので小冊子もいいところ。要するにA4裏表にパソコンで面付けし、刷りだす。その一枚を二度折りして一帖とするのである。ホッチキス中綴じ、きわめて安直。表紙は包紙や手提袋などを使う。やりだすと楽しくて30冊ちかくもつくってしまう。あ〜あ。



2004年11月26日(金)金(かな)くずに熱の残れり焚火あと
久しぶりに恐ろしい夢を見た。学校の校庭で子供たちの運動会か何かに参加している(最近、町内の役員をしているせいで学校にでかけることが多いためか)。どうも郷里の小学校のようだ。実家は始業のチャイムが鳴り出してからでも間に合うくらい目と鼻の先にある。子供の相手をしていると、誰かが「お前の家が小火(ボヤ)だよ」と言うのだ。ボヤか、ボヤなら大丈夫だろうと思って、あわてずに帰った。すると、どうしたことか、家がなくなって更地になっている(焼け跡もない)。ああ、すべて燃えてしまったんだ! と嘆くわけだが、ここで面白いのは、◯◯さんから預かっている貴重書が全部灰になった、どうしよう、買い集められるものは買わなけりゃ、でも他にないような稀覯書はどうしたらいいんだ〜、人に預ける◯◯さんにも責任があるぞ、などとくどくど言い訳を考えているのだ。更地にへたり込んで。・・・・いやな夢だった。
さて、今度はナベツマが見た夢。《ナベツマが道を歩いていると、突然道の真ん中に「鍋」と「子犬」が現れたそうな。それは、以前からどうしても欲しかった「Finelの白い鍋」とナベツマ好みの「Mix(雑種)の子犬」。「きゃあステキ!」「きゃあカワイイ!」うううーっ、とナベツマは悩んだ! 「ああっ神さま、どうすればいいんでしょう!?」ハムレットorソフィの選択のように苦しんだ・・・・そして・・・ナベツマは、鍋のなかに子犬を入れてお家に帰ったとさ、めでたしめでたし》、そんなアホな。
『古本年鑑 1935年版』より《古本目録に関する調査 昭和9年中に、古典社宛寄贈された古本目録を資料として、一年分の目録掲載冊数と売価の総計と、一冊当りの最高売価とを統計にとつて下の如き表を得た//月別目録発行数を示せば下の如し。
1月15/2月16/3月15/4月12/5月13/6月16/7月19/8月3/9月16/10月18/11月16/12月7(下略)》、ちなみに最新の寄贈古書目録を調べてみると、『彷書月刊』12月号では16冊、『日本古書通信』11月15日号では20冊掲載されている。さほど変わらない。
オヨヨ書林より注文品の歌声喫茶の歌詞集届く。下はその一冊、新宿「カチューシャ」のもの。昭和34年。「灯」とともに代表的な歌声喫茶のひとつ。

2004年11月25日(木)丸きものかざして行く子よ椎の実か
恵文社冬の大古本市(12月21日〜1月3日)が近づいて来た。昨日、案内を兼ねたシオリが届いた。「smus」も出品しますので、よろしくお願いします。昨年よりは少し多めに出せるかと。ぼちぼち用意を始めます。すむーす堂としては年に一度の即売会なのでお祭り値段にしようかとも。ご来場お待ちしています(といっても会場にはおりません、販売はすべて恵文社さんにお任せします)。去年の様子からすると、初日が勝負のようですね(!)
カフェーパウリスタ(日東珈琲株式会社)の長谷川氏より来信。明治44年6月24日付大阪朝日新聞に「箕面公園停車場前カフェーパウリスタ」の開業広告(6月25日開業)が掲載されていることを箕面市総務部の大西久美子女史が発見された、という知らせあり。これは、ちょっと大変なことですよ。安藤更生の『銀座』他(詳しくは拙著『喫茶店の時代』127頁参照)はパウリスタ第一号店の開業を明治44年年末頃としているから、半年近くも早く関西で開業していたことになる。しかも《本店東京、支店大阪、名古屋、横浜》と記されているというのだから困る(?)。
また先日紹介した『カフェー考現学』の巻末解説文で、永井良和氏は大阪の川口居留地にあった「カフェー・キサラギ」の開業時期を明治44年2月とした熊谷奉文の『大阪社交界戦前史』を紹介し、通説だった明治43年に疑問を呈している。銀座に「カフェー・プランタン」が開業したのが明治44年4月だから(詳しくは拙著『喫茶店の時代』89頁以下参照)、いずれにしてもやはり大阪の方が若干早かったのである。ただし確証はない。元大阪毎日記者熊谷の記述を信じれば、ということだ。
それからもうひとつ、同封されていたエッセイ「日本社交ダンス事始め 宮沢賢治のタンゴ」に長谷川氏は、賢治は浅草オペラが大好きだった、「風の又三郎」の又三郎を迎えに来る父親の名前を「高田」としているが、それはタンゴ・ダンサーだった高田正夫から付けられたに違いないなく、おそらく賢治がダンサー志望だったからではないかと書いておられる。おもしろい。
『pen』の「美しいブックデザイン」特集号、ナベツマが買ってくる。44ページを使った「美しいブックデザイン」だが、やはり舌足らずに終わっている。「美しい」は難物だ。それより「ムナーリのブックデザイン」というようなくくり方のほうがウンチクはよかったと思う。
恵文社冬の大古本市シオリ
2004年11月24日(水)蜘蛛の巣に銀杏かかりて主おらず
平原綾香の「ジュピター」という歌が流行っているのは知っていたが、うかつにも、ホルストの組曲「惑星」のなかのジュピターだとは、まったく思いいたらなかった。ナベツマにバカにされて、久しぶりに「惑星」を聴き直してみたら、たしかに、木星のサビの部分と全く同じである。でも、この曲、ずいぶん長い間、「兼高かおる世界の旅」(TBS、1959〜1990)のテーマだったので、そちらのなつかしさがこみあげてきた。
グスターヴ・ホルスト(1874〜1934)はイングランドのチェルトナム生まれ。インド思想に惹かれ占星術をモチーフとして「惑星
The Planets」を作曲したそうだ。例えば「木星 Jupiter」には「喜悦をもたらす者 THE BRINGER OF
JOLLITY」という副題が付いている。作曲者本人と遺族の意志で、編曲や楽器編成の変更、抜粋しての演奏がいっさい禁止されている、とあるサイトに書かれていたが、平原綾香はいいのかな?
『彷書月刊』12月号届く。「生誕百年正岡容」、巻頭対談・小沢昭一×加藤武がサイコー! 笑える! 司会は坪内さん。これはぜひとも録音で聞いてみたいねえ。扉野良人も寄稿している。すむーす堂の目録も載ってます。よろしく。
『彷書月刊』12月号、装幀=奧定泰之
『古本年鑑 1935年版』より、《古本界年譜 昭和10年5月15日 新刊書籍の買切制度を主張する東京出版共同販売所(本部大阪)の創立総会あり。(大阪取次業登美屋支配人不退栄一、及び厚生閣大明堂等の出版屋が中心。)》、この件に関しては「新本取引市場と新本取引相場」という欄が別に設けられている。《従来の図書販売制度(委託と取次)に対する改革案として新刊書(及旧刊書)の買切制度をモツトオとする取引市場が開かれ、古本屋に対して多くの問題を投げかけている》。戦前にもこういう動きがあったことを知る。
2004年11月23日(火)朝寒は犬をも丸く寝子にする
『BOOKISH』8号が出来上がった。特集「画家のポルトレ」。寄稿者それぞれ、思い入れたっぷりな文章は、余技とされがちな画家の文筆について、あたらめて目を開かせてくれるものである。『sumus』から松本、山本、扉野、ウンチクが参加、南陀楼は連載中。小沢信男さんが亀山巌の『神の貌』(名古屋豆本、一九八六年)を《近代日本が生んだ粒選りの傑作短編です。どの文学史にもそうとは書かれていないぜ、と言ったって、それは文学史が間がぬけているだけのことです》と断定しているが、こうでなくちゃいけない。今号の寄稿者はみんなそういうくっきりとした自己流の評価を持っているようだ。また、児童向けの雑誌『きりん』(1948〜1970、尾崎書房〜日本童詩研究会〜理論社)を編集していた浮田要三氏へのインタビューは貴重な内容。具体美術を中心とした、モダンアートが一世を風靡した時代(実存主義の時代)があった。その鼻息の荒さを浮田氏の発言から感じ取ることができる。その他、連載も含め、今号はとくに、手頃な書評雑誌として、軌道に乗ったような印象を受けた。
『BOOKISH』8号 700円
22日付の朝日新聞に「ドラえもんの声交代へ」という囲み記事があった。ドラえもんこと大山のぶ代さんは68歳、以下、のび太69歳、しずか66歳、ジャイアン70歳、スネ夫69歳・・・これには愕然としたなあ。声も年とともに変わるはずだが、案外と、アニメキャラたちは年齢を感じさせない。ところで、「ドラえもん」の子供たちの構成、樋口一葉の「たけくらべ」に似ていると思わないかな? 前から気になっていた。
『古本年鑑 1935年版』より、《古本界年譜 昭和9年 9月26日 夏目漱石遺愛品売立が東京美術クラブで。「虞美人草」の草稿2千8百円で引荷》……5000倍として現在の1千4百万円になる。《10月9日 大菩薩峠の挿画をふくむ「石井鶴三挿画集」の発行をめぐり作者中里介山と画家石井鶴三との著作権侵害事件は、検事局の仲介にて示談成立する》、《昭和10年 2月26日 秀英舎、日清印刷、合併して大日本印刷株式会社となり創立総会あり》。
2004年11月22日(月)弧を描くすすきの重さもつれ合う
今日、偶々『忘れられない本』のなかに真鍋博が書肆ユリイカ刊『ロートレアモン全集』について書いているのを見つけた。長谷川郁夫『われ発見せり』(書肆山田、一九九二年)にも少しだけ触れられていてるが(p223)、興味深いのでダイジェストしてみる。
駿河台下のタケミヤ画廊で真鍋は個展を開いた。画廊の奧が画材店になっており、店主が新進の美術家に無料で会場を提供していた。人選は滝口修造に任されていたが、滝口に認められても、月に三人だからチャンスはなかなか巡ってこなかった。やっと個展が開けたのは昭和31年2月、真鍋23歳だった。そのころ東京堂などごく一部の書店に書肆ユリイカの本が並んでいた。ミショオやプレヴェールの詩集は判型が奇抜で実にしゃれていた。稲垣足穂全集を見たときは手の中に宇宙を見た思いがした。どんな人かと思い、発行者伊達得夫に案内状を出しておいた。画廊にやってきた伊達は《あんなハイセンスの本をつくる人にしては、伊達さんはサンダルばきで、しかもクツシタは片足ずつ色ちがいだった》。個展が終わって事務所を訪ねると、喫茶店ラドリオで吉岡実ら若い詩人たちに紹介された。『ユリイカ』の表紙や詩集の装丁をするようになってからは足繁く通うようになった。事務所へ上がる階段は十三段あった。《ロートレアモン全集を出すと言いだした時、ぼくは「マルドロオルの歌」の口絵をかってでて、しかもエッチングで入れることにした。たしか五百部だった。》それを見た山川方夫が訪ねて来て、処女出版『日々の死』(平凡出版、一九五四年)を「マルドロオルの歌」のイメージで装丁してほしいと依頼した。山川が事故で死んだとき、装丁が暗すぎたと悔やみ、寺山修司になぐさめられた。昭和36年に伊達が死去し、《伊達さんを失って、ぼくの絵は変わった。悪の化身を描くのはやめにした。大事な人が亡くなりすぎる――ぼくは急に真昼と未来を明るく描きはじめた。》《色にぎやかな未来を描きながら、ぼくはいまもこの本を机から一番近いところに置いてある。》
『忘れられない本』朝日新聞社、昭和54、装幀=多田進
2004年11月21日(日)少子化の講演帰りの犬子草
少年を明るく育てる集会に出る(強制参加)。警察署長の話。同署管内で今年、留置場に入った少年は14人。内、中学生が6人だという(昨年は1人)。同じくひったくりなどの街頭犯罪が1日平均8.6件発生し、うち5.3件は少年が犯人だそうだ。ちなみにオートバイ盗難の95%以上が少年犯(尾崎豊の世界!)。西京区では、20才未満の少年は、おそらく3万余人だろうが、そんなに多い数字でもなさそうな口振りだった。続いて京都府のこども未来室長の話。京都は、合計特殊出生率(一人の女性が一生に生む子供の数)が都道府県の中で下から二番目。三番目は奈良。最低は? ご存じ、東京都である。
急激な円高だそうである。それに合わせたかどうかは別として、ナベツマは海外にまで触手を伸ばして鍋を買っていた。数日前に紹介したフィンランドFINEL社の中古鍋は、現在ただ今、カナダ・バンクーバーの港を出て、ドンブラコ、ドンブラコと、はるばる日本に向かっているらしいし、他にもデンマーク在住の出品者のオークションにも入札しているという。ま、これらはいずれも日本のヤフオク経由でのお話。ところが、昨夜ナベツマは、突如、海外に向けて暴走し始めた。
「あら、イーベイに登録できちゃったわ!」
と階下から声がした。「イーベイってなんだベイ?」と思って、ウンチクが降りてみた頃には、すでに1960年代頃のル・クルーゼ鍋に入札が済んでいた。「eBay」とはアメリカ最大のオークションサイトである。獲物は、終了まであと6時間になっているにもかかわらず、誰も入札していなかった状態のいいル・クルーゼ。スタート価格より5ドル多めに入れたらしい。ところが、さて、今朝起きてみたら、早朝の終了間際に1ドルプラスされ、鍋はスルリと人手に渡ってしまっていた。
「102円で負けた〜、エ〜ン」という愚痴メールに対してベテランの知人より激励の返事があった。いわく《締め切り前の5分間を寝て過ごすようではいけませんね。オークションは気合いの入った人が獲物を攫ってゆくのです。次回はご健闘ください》。ほどほどでけっこうです。
*マンレイ石原氏にお礼。氏には海外でのオークション歴も豊富でナベツマに落札後の支払いなどについての親切丁寧なアドバイスをいただいた。すみません、海外デビューまだおあずけです。
ジャム『夜の歌』三好達治訳、人文書院、昭51、装幀=津高和一
2004年11月20日(土)菊鉢の四十幾つがうねり咲く
先日、うどん屋で、となりに座った業界人らしい(古本じゃないよ、〜ちゃん、呼ばわりする業界らしい)男三人が、「・・・さんはアメリを入れた人だよ、アメリで一躍有名になったんだぜ」などとうわさ話をしていた。「アメリ」はジャン=ピエール・ジュネ監督の映画(原題は「アメリ・プーランの驚くべき運命」)。主演オドレイ・トトゥ(Audrey
Tautou)。うわさの配給会社はアルバトロス・フィルムだ。感心したのは、ふつうのサラリーマンが三人うどん屋に入れば、「うどん定食」、「俺も」、「俺も」ということになりがちだが、さすが業界人、「ざるうどん」「湯葉うどん」「牛丼セット」とそれぞれ三人が勝手な品物を注文したこと。おばちゃんが「ちょ、ちょっとまってな」とあわてて確認したのが可笑しかった。
で、そのオドレイ・トトゥ主演の「ミッシェル」(パスカル・バイイ、2001)を録画で見ていると、はじめの方にみんなで写真を撮るシーンがあった。実は、「人は集合写真を撮るとき、いかなる合図をするのか?」というのがウンチク永年のテーマのひとつ。少し前だが、日本では「1たす1は?」30%、「はい、チーズ」26%、「はい、ポーズ」14%、などが主流であるらしい(コニカ調べ、1996年)。中国では「チェズ(茄子)」、韓国では「キムチ」、トルコでは「パテテス(じゃがいも)」など食物の名を言わせる例が多い。口が横に広がれば何でもいいわけだ。
アメリは、じゃないミッシェルは「ポワール(梨)」と呼びかけていたように聞こえた。また、カメラマンがみんなに向かって言うのはごく当たり前の「オギャルデ(注目)」だった。戦前の日本ではどうだったのか? あまりそういう例を知らない。一つ見つけたのは、内田百間の『随筆新緑』(小山書店、一九三七年)の「記念撮影」に、写真屋が《「只今」と云つたかと思ふと》とか「今こそ」「この機会」などという声を出したことが記録されている。乞う御教示。
『京都古書組合総合目録』17号。いろんな品物が出品されていて楽しめる目録。一点選ぶなら、伊藤若冲のうちわ絵「伏見人形」40万円が欲しい。『近世畸人伝』正続10冊(寛政2年)が57,750円、茶屋の挿絵に惹かれる。高村光太郎の肉筆荷札がなんと38,000円、いい字だ(光太郎の字はあまり好きではないが、これなら欲しい)。朔太郎の短冊「古の日には鉛筆もて/おばしまにさへ記せし名なり 朔」20万円、字は下手だが目立つ。生方敏郎の短冊は、らしい。「東京よいとこ巡査がひるね/泥棒するなら此所がよい 敏郎」25,000円。
『臨川書店日本古書目録』84号。奈良絵本から始まる目録のお手本。500円で定着してしまった可哀想な生島遼一本、ここでは『水中花』(岩波書店、一九七二年)2600、『鴨川日日』(岩波書店、一九八一年)2900、『芍薬の歌』(岩波書店、一九八四年)3100円という値段。これが正当であろう。注文はしないけど。
『古本年鑑 1933年版』より、《全国同人雑誌総目録/右目録を編纂中につき、材料をお寄せ下さるやう御願ひいたします。(略)古典社編輯部》、これもなかなかの着眼。ちなみにこの版の「和本漢籍時価表」で『近世畸人伝』10冊を見ると、2円50銭になっている。仮に物価を5千倍とすれば、現在よりもかなり安かったようだ。
ナベツマ、ついにeBayに登録してしまった(詳しくは後日)。どこまで行くのだ、おお〜い、聞こえてるか〜。
2004年11月19日(金)冬近く登校の子ら列乱る
岡崎より《ぼくが「古本者」と使っている、とは初めて知りました。ただし、最近、どこかで、古いテキストの引用で、この古本者を使っている文章を読んだような気がします。ぼくのオリジナルとは言えないようです。ニュアンスの違いはありそうですが。》ということですので、「古本者」初出発見に懸賞を掛けましょう(!)、ご一報を。賞品はやっぱ古本かなあ(?)
『創世ホール通信』118号。柴野拓美氏の近況書簡が公表されており、そのなかに2007年の「世界SF大会」が横浜で開催されることに正式決定したとある。
Uさんより「承前」の葉書。《日誌拝見しました。山本さん、スゴイですね、肘は痛めたことはありませんが、肩の具合を若干私もおかしくしたことがあります(笑)》・・いずこも同じフルホンモノかな。山本日記、書影入れました。
12月11日、南陀楼が神戸(ギャラリー・創造空間アートランダム)で幻堂百年祭に出演する。詳しくは幻堂サイトにて。村上知彦氏×南陀楼綾繁というのはヒジョーに興味ある取り組みだが、う〜ん、どうやらその日は都合が悪い。夏の海文堂書店でのフェアーといい、今回といい、タイミングが合わなくて、残念。
読者N氏よりナベツマにメールあり。《鍋収集のお話、デイリーにて面白く拝見してます。ふと見れば、当家の鍋もハート型のものでした。(結婚祝いにもらったもの)多分これがル・クルーゼなんでしょうか。料理が得意と推察しますが、4つも5つも鍋を買って、お使いになるのでしょうか。ローテーションを組んだりして。この質問は古本者に「買った本は全部読むんですか」と尋ねるような愚問でしたらお許しください》・・・そのようですな。
『古本年鑑 1933年版』より。《古本界年譜/昭和7年1月 巌松堂新古両部の小店員が10時間を12時間制とせるため待遇改善の要求をして罷業》、《昭和7年12月25日 日本雑誌協会、古本新本兼業者の雑誌販売を禁止する決議をなす。/12月25日 東京古書籍商組合主唱で全国古書籍商組合連盟結成され、日本雑誌協会の決議粉砕の全国協議会開催さる。》
久しぶりに立派な検印紙を入手した。明治のベストセラー政治小説。東海散士『佳人之奇遇 巻四』(博文堂、明治十九年)、SSのペン署名の上に「東海散士之印」。割印は「ロン(手ヘンに侖)印」。印紙の模様もどうやら石版刷りのようである。本文は木版刷り、石版画挿絵3点貼込。和綴本。
2004年11月18日(木)テープ跡 飴色に染みたる冷ややかさ
赤貧山本の 古本泣き笑い日記 の新作テキストを本日アップしました。肘を骨折するほど買ってます。お楽しみください。
詩人のUさんより、「古本者」という用語は《岡崎さんがどこかで使われていた筈です、岡崎さんの多分オリジナルだったのではないでしょうか》との葉書が届く。コピーライト岡崎でした。
『古本年鑑 1933年版』より。《懸賞募集 古本屋酷評記 貴下の土地か、又はよく知つてゐる古本屋を、遠慮なくコキ下してください。ただ、悪罵のための悪罵は絶対におことわりします。古本屋を反省させて、彼等に、読書家との親密の情を起すことの必要を悟らしめ、よつて、明るい古本業を発達させるに資するやうなものを御投稿下さい。//当選 一篇五円(何篇でも採る)//原稿送り先 沼津市日吉町 古典社編輯部》、この企画、今でも使える。
今日のナベツマ・ニュース。ル・クルーゼの1980年代の琺瑯鍋をゲット! どうやら「鍋道」では、20年前の製造品あたりから「ヴィンテージ」という名称が使われるらしい。参考までに言えば、古美術の世界で「古陶」などと「古」が付くのは鎌倉以前。ふつう京都で老舗というのは室町以前の創業をさす。ま、その(きわめて新しい)ヴィンテージ鍋を、ヤフオクで終了間際に何人かと競り合ったそうだ。連戦連敗ナベウララの時代は、終了間際、怒濤のアゲでビビってしまったのが敗因だったと反省し、今回は「フン!」とばかりに鼻息荒く、競って粘って飛ばしたらしい。よかったね、勝てて。鍋通の間で、人気のチョコレートブラウンの18cmココット。なんともいえないかわいさがある。
ル・クルーゼのブラウン・ココット(ナベツマ撮影)
2004年11月17日(水)綴じ糸のほつれも寒しみだれぐさ ※みだれぐさ=すすき
スムース文庫版下発送する。やれやれ肩の荷が降りた。あとは誤植などの不備がないことを祈るのみ。
『一寸』20号届いていたのを開く。創刊五年になるそうだ。早いもの。パリに辻邦生の居住を示す記念プレートがあるとは知らなかった。《日本人の作家クニオ・ツジは1980年から1999年までこの建物に滞在した》と記されている(もちフランス語で)。ヴェルレーヌが没した建物の隣だそうだ。
パリといえば、翻訳家のH君から《10月末にパリに行っておりました。今回は旅行の日本語アシスタントとして渡仏しました。例のパリ・ブックオフを確認。とてもショックです。チェーン店化の波はフランスにまでやってきてしまったのでしょうか! 》というメールが来た。日本ブームだそうですからね。le
oudon (ル・うどん、男性定冠詞!)とか、有名レストランで出しているらしい。
街の草でなぜ真鍋博を買わなかったかと少々悔やんでいるが、『散文詩集 星の肖像』の他に『古本年鑑』(古典社)の昭和8年版(創刊号)と10年版を入手したのでためらったのである。これはたいへん面白い年鑑。『sumus』の挟み込み付録にこの年鑑のチラシを複刻したので、実物が欲しかった。例えば、昭和10年版は「昭和9箇年間
発売禁止書目」という欄が48ページにわたって設けられている(8年版には古典社刊『明治大正発売禁止書目』の広告が巻末にあるだけ)。雑誌のタイトルも含まれるのでこれは貴重な記録だ。プロレタリアとかマルクス主義とかそういうタイトルはすべて発禁のようだ。池田文痴庵の『ラブレター雑考』もあったゾ。要するに、これらの本は高くなりますよ、ということなんだろうか、このリストの意味するところは。他にもおもしろい記事が満載、おいおい引用していこう。
UBCでお世話になった西秋書店の若主人が神田古本まつりの様子を知らせてくれた。なかなかの盛況だったようだ。《やはり神田古本まつり、人出が半端じゃなかったです。(略)曜日によって客層がはっきり違うのもおもしろいです。金曜は特選会場(古書会館)と全体の初日という事もあって、いわゆるその筋(ヤクザじゃないです。古本者)の方が非常に多い。土曜はその筋と一般の方のうまい具合のブレンド。日曜は完全一般の方(神保町や古書が初めて)が主流。月・火は在勤系。水(祝)は土曜と似た感じでした。もちろん、山本さんのように毎日来ている方は何人もいました。》・・・ほんと面白い。「古本者」いいねえ。
2004年11月16日(火)枇杷の香はわずかにひらく枇杷の花
『サンパン』次号の校正紙、昨日届いていたのを、ちょこっと訂正して投函。松本のメモに《内一名の執筆者が大幅に遅れているのに託け》とある。《内一名》って誰だろうなあ?
『ちょうちょぼっこ図書目録』1号届く。この形、想像してなかったので、してやられた感じ。値段のない目録というのも、そそられます。
小野先生より、第一書房の雑誌『パンテオン』の広告(『近代劇全集』月報所載、一九二九年)を、面白いからと、パソコンで印刷した葉書届く。長谷川巳之吉の口上にいわく《特殊な雑誌ですから誰れでも面白いといふものではありません。読んで面白くなかつたら読まずに雑誌をひつくりかへしてゐるだけで結構です。さうして居るうちにはいつか不知不知の間に教養を高めてくれる雑誌である事は保証します》。このキン肉マンのような自信に脱帽。
西村氏より淀野隆三献呈署名入り『純愛』(バルザック、三笠文庫、一九五一年)届く。関根秀雄様恵存。なかなかの達筆である。感謝です。
扉野良人来宅。遅れに遅れたスムース文庫『ヒコーキ野郎のフランス便り』の版下持参。さっそく絵葉書の指定をし、表紙のレイアウトを済ませる。ようやくこれで入稿できる手はずになった。お疲れさま。
2004年11月15日(月)朝寒に旧書の背割れなぞりたる
朝、郵便受けをのぞくとオヨヨ書林の古書目録『OYOYOSHORIN catalog3』旅行本特集が届いていた。朝っぱらから目録に没頭してしまう。第2号(西沢爽の旧蔵書他)は2002年7月に出ているから二年以上の間隔だが、今回もスマートにまとまっている。『モダン
TOKIO 円舞曲』(春陽堂、一九三一年)は以前からなんとか・・・と思っているが、しかし84,000円だ・・・。パリ本も充実、田中小実昌のコレクションもいい眺め。植草編集『ワンダーランド』の1,2,4,6号4冊15,750円というのもある。
アカ抜けた表紙!
昼前に大阪の北浜まで出る。大阪証券取引所から東へ歩き、北浜1丁目2-3、豊島ビル3階。由緒正しい階段を上り、アトリエ箱庭へ。田中栞コレクションによる「書肆ユリイカの本」展示。ご主人の幸田さん、とらんぷ堂さん、もうひとりのスタッフの方が徹夜で展示を完成させたというだけあって、壁面にずらりと並ぶ60点以上のユリイカ本は、スバラシイ景色(一部は展示ケースの中)。決して豪華というのではない。非常につつましやかだが、伊達得夫の本造りに対する人一倍のこだわりが一点一点から感じ取れる。判型、文字のレイアウト、ケイ一本や色面の位置、挿絵の選択、どれをとっても伊達ならではの感覚だ。同時代の多くの書物とそんなにかけ離れた体裁でもないのだけれど、まったくユニーク、伊達得夫の世界を構築していると言えよう。ちょっと残念なのはビニ本になってしまっていること。おそらく田中さんご本人が来阪されて説明されるときには封が切られるのではないかと思う。詳しくはアトリエ箱庭(電話06-6203-5877)まで。そうそう、伊達の葉書(岡崎清一郎宛)も展示されていた。立原道造ばりのかわいい文字(?)である。雑誌『ユリイカ』創刊号には立原の筆跡を再現しているくらいだから、お手本にしていたのかもしれない。
で、雑談していると、「奥さんのナベの話がおもしろかったです」とスタッフの方に切り出され、デイリー・スムースを読んでくださっていることに恐縮。その方もダンスクや海外の切手などをネットオークションで蒐集しておられるそうだ。お名前をうかがわなかったので、失礼ながら、業務連絡です、うちのナベツマがダンスクについてお尋ねしたいことがあるそうです、メールくださいませんか? sumus_co@yahoo.co.jp
そこから久しぶりに武庫川の街の草まで足を伸ばす。ユリイカ本の感激を伝えると、ユリイカ版の真鍋博の漫画集『寝台と十字架』(一九五八年)を出してきた。またじつに洒落た造作だ。それなりの値段らしいので、買って買えないこともないが、買う勇気が出なかった。その代わり、たまたま目に止まった木原孝一『散文詩集
星の肖像』(昭森社、一九五四年、装幀=北園克衛)をゲット。けっこういいでしょ。伊達が昭森社の社屋に転げ込んだのが、この一九五四年(昭和29)だから、かなり濃厚に書肆ユリイカ本と共通する雰囲気を持っている。こっちはお手頃の値段でした。
木原孝一『散文詩集 星の肖像』表紙、カバー
帰宅すると、ナベツマはフィンランドのFINEL(フィネル)のホーロー鍋(ストック・ポット)を落札していた。フィンランドのデザイナー、アンティ・ヌルメスニエミ(ANTTI NURMESNIEMI 1927-2003)の作品だそう。ゴキゲンなのでよしとする。
2004年11月14日(日)洗濯機
句手帳カクハン 吹雪とす ※ズボンのポケットに入れたまま
スムース文庫の表紙をレイアウトする。遅れに遅れた『ヒコーキ野郎のフランス便り』なんとか今度は本当に目途が立ったので。『ふるほんやたいへいき』の索引も再チェック。いくつか誤りを訂正する。あと少しだ。しかし今月中の発行は難しくなった。
バロン滋野からの絵葉書(1914年11月3日付)
内澤旬子さんの仕事日記にモクロー誕生秘話が(!)、学名はカワススだった。
『sumus』が西宮北口でも手に入るようになりました。アンティーク、本、音楽、衣料など扱っておられる
Manon
マノンさんに配本いたしました。詳しくはサイトをご覧下さい。お近くの方は是非のぞいてみてください。11月18日からフィンランドのカーテン、クロス、ボタンなどを放出とか。このところ、ナベツマが、ナベから入って北欧デザインに惹かれだしたのも奇遇なり。
2004年11月13日(土)散り残る銀杏「イン・ザ・ムード」に観念す
このところ毎週末、町内会の手伝い。今日は、中学校のグラウンドで開かれた「ふれあいプラザ」に午前八時からかりだされる。ようするにフリーマーケット会場で焼きそばの売店をやるわけだ。中学生のブラスバンドやスウィング・ガールズの演奏もあった。定番の「イン・ザ・ムード」と「シング・シング・シング」(演奏できてるだけ立派)。あんまりにも忙しくて、会場を回るヒマさえなかったが、かろうじて閉会間際に駆け足でチェック。文庫10円均一、単行本20円均一なれども買う物なし、サビシィ〜。
絵画市場はバブル以来の賑わいを見せている。先週、ニューヨークのクリスティーズで、ゴーガンが$39,200,000($=\105として、約41億円)、モディリアーニが$31,300,000(約33億円)のともに作家過去最高落札額を記録し、またサザビーズの現代美術セールスでは、マーク・ロスコの「No.
6 (Yellow, White, Blue over Yellow on Gray)」が$17,368,000(約18億円)とやはり自己最高落札額を記録した。わが奈良美智までも最高価格を更新した。複数出品者による現代美術セールスでは1989年以来最高の売上だったという。どうやら、これらはチャイナ・マネーの力が大きいらしい。今シーズン、クリスティーズにおける売上の37%が中国の顧客だというから驚きだ。そりゃ、原潜ぐらいチラつかせたくなるよね。
先月からトイレ本(トイレで読む本)だった中村真一郎『頼山陽とその時代 上』(中公文庫、一九七六年)を読了。好著だ。頼春水・山陽父子の叙述もいいが、山陽の息子・鴨ガイ(崖の山のない字)の行状が興味深い。また鴨ガイの先輩で昌平校の舎長をしていた斎藤竹堂のくだりにも教えられた。竹堂はアレキサンドル大王やアリストテレス、マルコ・ポーロからナポレオンまでをもモチーフとして漢詩を作っているし、政治力学の観点から日本の歴史を洞察しているきわめて希有な儒者である。天保時代(1830-44)頃の話だから、ニッポンの夜明けは近いぞ、というかんじだろうか。

2004年11月12日(金)桜葉の色づきかねて泥に浮く
『日本古書通信』904号届く。「最近の古書即売会 収穫と希望」というアンケート形式の小特集あり。12人回答。南陀楼およびウンチク、そしてデイリー・スムース常連の堅田の先生も寄稿。女性が一人もいないのは寂しい(ああ、やっぱりオヤジイの世界か)。内容を読んでみると、自分のことしか考えない(誰とは言わないけど)熱中型と、一応マトモナ感覚をもつ傍観型に大別できるようだ。それにしても、ウンチクが、錚々たる先生方を差し置いて、ドンジリになんか結論めいたことを書いているのは笑止(けっして原稿がいちばん遅かったからではないよ)。
「早稲田古本村通信」49号、八子さんの文章に《「BOOKISH」最新号をやっと出稿することが出来た。書店の店頭に並ぶのは、月末くらいになると思う。本当にいつもいつも遅れてすみません。》とある。特集はすでにここでも書いたように「画家のポルトレ」だ。画家と言えば、創元社のホームページで高橋輝次さんが「古書往来」という連載をやっておられるが、最近更新されたエッセイで岡田三郎助のことを取り上げておられる。広いアトリエが雑多な品物で埋まっていたそうだ。絵柄からは想像できない。
生田誠編著『2005 日本絵葉書カタログ』(里文出版、二〇〇四年)届く。性格そのままで、たいへん分かりやすい。使いやすいカタログになっている。値段の目安が星印で表されているのが、露骨で、参考になる。絵葉書にどういうジャンルがあるのか、どこで買えるのか、蒐集アドバイス、絵葉書年表まで完備している。『日本切手カタログ』(日本郵便切手商協同組合)というお手本があるにしても、なかなかここまで編集するのは容易ではなかったろう。これで絵葉書の古書価がまた上がりそうだ。
生田誠編著『2005 日本絵葉書カタログ』里文出版、2004
『漂着物探験 風と潮のローマンス』(みずのわ出版、二〇〇四年)出来上がる。漂着物探験家の石井さんという人が凄い。どうしてもオウムガイが拾いたいと取り憑かれたようになったときには、《薄暗い朝六時ごろから浜辺を歩き始め、午後二時ごろまで二十キロ近い海岸を歩くことが度々でした》、そしてついに「生きている化石」と遭遇したときには、「拾った拾った」と寒風に向かって叫び続けたそうだ。山口県という土地柄、東アジアの漂流物がすべて吸い込まれてくるらしい。みごとに雑多な品物がコレクションされている。写真多数あり、ぜひ現物でご覧下さい。神戸海文堂書店と書肆アクセス、模索舎には必ずあると思います。
石井忠[語り]+城戸洋[著]『漂着物探験 風と潮のローマンス』みずのわ出版、2004
2004年11月11日(木)来簡の思ひ滲まず秋時雨
Uさんより《世情はどうにも落ち着きませんが、山本さんほどまでには行かなくとも、そこに古本屋、古書展がある限り、出陣するのが古本者(モノ)でありましょう》との葉書。「古本者」か、うん、これはいい表現だ。厄介者とか、あぶれ者とか、者には「者のあはれ」がある。
もう一人の大先輩Uさんより《「百萬遍」は如何でしたか。山本大兄に会いましたが。回を重ねる毎に各即売会は先細りの態ですね。余談ですが(自慢できるかどうか)臼井書房で用いた装画・カットが(肉筆のよしです)一〇〇〇余枚入りました。一枚一枚楽しんでいます》とのこと。す、すごい。何年か前に臼井家から書簡や写真がかなりの数出たと聞いたから、その一部だろうか。
川口正さんの「関西・業界トピックス」届く。《【「書肆ユリイカの本」展】---田中栞コレクションから■と き:11月15日(月)〜12月11日(土)■会場:大阪<アトリエ箱庭>〒541-0041大阪市中央区北浜1-2-3豊島ビル301 電話06-6203-5877◆参加費:無料○昭和20〜30年代、数々の美しい詩書を生み出した出版社、書肆ユリイカ。原口統三『二十歳のエチュード』 福田正次郎『Etudes』 『中村真一郎詩集』清岡卓行『氷つた焔』 吉岡実『僧侶』 稲垣足穂全集』等々、伊達得夫が主宰した書肆ユリイカの出版物を、造本装丁の視点から展示する。》、また田中女史の『古本屋の女房』の紹介文中に《*「あとがき」で触れているが、数多くのプロ校正者の手を経て誕生した本だが<それでも誤植は絶対残っている……>と著者のいう<誤植>みっけ!》とある。どこだろう。
扉野メール、《校正一通り終了しました。岩村透のハガキ三通の解読はかなりの難度で○○○○だらけで文章にならず。今晩は滋野年譜つくって送信します》。
昨日からずっと装幀原画の水彩を描くが、うまく行かない(内澤さん状態)。煮詰まってます。
ナベツマはさらに加速中。ル・クルーゼからダンスクやアラビアまで、アンティーク鍋について猛勉強。クーザンスとル・クルーゼの違いを知って愕然(!)。
2004年11月10日(水)柿紅葉一夕限りの漆皿
内澤旬子さんの仕事日記が始まっていたことをセドロー日記で知る。《小学校のときは風呂敷で修学旅行にでかけたのが、高校では黒いゴミ袋で通学。同じ「変」でも、後者には明らかにパンクの影響あり。ゴミ袋にP.I.L.のバッジつけてたし。一体どっちがクリエイティブなのか。難しいぞ。》・・・栴檀は双葉より芳し。
扉野より泣きのメール。スムース文庫の版下がまだ仕上がらないのだ。《パソコン画面と変体かなを見比べて、コーヒー飲みすぎて昨晩は限界がきて寝たら、目をつむるとミミズみたいな変体かなが暗闇にひしめいていました。校正がもうすこし、というところです。》・・・無理しないように、無理してくれ〜。
『彷書月刊』田村さんより電話。荻原魚雷『借家と古本』の残部確認。申し訳なくも、保存用しかありません。書肆アクセスさんでもついに売り切れたようで、再版かとも思うのですが・・・新刊優先になります。また、1月号の特集「はじまりの本」に原稿依頼あり。巻頭は、久々、岡崎×山本の文庫対談だ。乞うご期待。
『周遊六万粁』より「ABC書籍会社」、《米国の教科書界を二分してその一を保つものに、亜米利加書籍会社がある。十月二十四日同社を参観し、ソーマス支配人から営業上の話を聞かせて貰った。/著者関係。版権は著者の独占だから、発行者の権利は契約で保護する。例へば、著者が契約に背いて、当社既刊書の類書を出せば、当社分の印税を免除する、などの類。/法規関係。州により相異し、或いは全く自由であり、或いはうるさい規程で縛られてゐる。布哇(ハワイ)、比律賓(フイリツピン)が特に面倒である。但し定価などの制限はどこにもない。(略)/営業所は紐育のレキシントン通に位し、十六階の摩天閣である。その発送室では、倉庫に専用のエレヴェイタを通じ、五万の原版を備へた宛名印刷機(エリオツト)を動かしてゐた。/工場は郊外にあり、経営の合理化で名高い。例へば、物を上下する労力と費用との無駄を省くため、工場全体を平家建にし、物を積むにも背丈より高くはしない、といふやうな風に。》
2004年11月9日(火)壊れ函
糊付けしつつ 思う秋
松本より来信。最近、田宮虎彦の文明社を調べ始めたとある。雑誌『文明』(1946〜48、21冊)がなかなか入手できずにイライラしているらしい。日本近代文学館に揃いが所蔵されてますよ。多分、電車賃の方が安くつくのでは。
西村義孝氏より新蒐集の佐野繁次郎本コピー届く。野村胡堂『新編銭形平次』と林芙美子『一人の生涯その他』。佐野繁次郎の装幀にアップする。
みはる書房と鳩書房の合同目録届く。例によってシブイ本が並んでいる。庄野誠一『肥った紳士』(砂子屋書房、一九三八年)が15,000円だ。
村嶋帰之著作選集第一巻『カフェー考現学』(柏書房、二〇〇四年、『カフェー考現学』『歓楽の王宮』『大阪カフェー弾圧史』を収める)読む。とにかく面白い。『喫茶店の時代』の著者としては、ああ、これは使えたなあ、という資料がざっくざっく。とくに大阪・神戸はとても詳しい。原著は昭和四〜六年刊行なので、モダニズム文体の影響が明らか。それがまた歯切れがいい。村嶋帰之(むらしまよりゆき、1891-1965)は大阪毎日新聞記者を経て、関西学院、早稲田で教鞭を執った。モデルノロジストのご多分にもれず、何でも蒐集するコレクターだったらしく、来簡はもとより、カフェーチラシやマッチも大量に保存されているもようである。それらが図録として刊行されれば、さぞ壮観だろう。このシリーズは「大正・昭和の風俗批評と社会探訪」に絞って五巻刊行が予定されているが、ぜひ何かの形で図集をお願いしたい。
村嶋帰之著作選集第一巻『カフェー考現学』柏書房、2004
2004年11月8日(月)団栗を蹴散らし母の手に弁当 ※朝の情景
山本より、百万遍へは毎日通い、結局、100冊近く買ったというメール。珍しいものも手に入ったらしい。近々、sumus_livresに「e-古本泣き笑い日記」をアップする予定、お楽しみに。
田中栞さんより『古本屋の女房』(平凡社、二〇〇四年)届く。表紙がとても渋くていい。装丁は大貫さん。この田中さん自身の手になるイラストからはじつにさまざまな「古本」タイトルが読みとれる(もちろん実在しない書名。三冊だけ本物がある)。今後、古本の本を出そうとする者はこのカバー、見返しをじっくり眺めてパクるにもってこい(「古本と盆栽」なんて、いい響き)。「あとがき」がまた異例だ。ご本人が校正者だからということもあり、七重八重の校正チェックが入ったらしい。OEDなみの念の入れ方。どうせなら、誤植を見つけた人に懸賞金でも提供すれば、と思わせるほど。しかし何と言っても本書の白眉は「女房が離婚を考えるとき」でしょう。ご主人のやっておられた古書店・黄麦堂が閉店し、ネット販売オンリーに移行する、その過程での不動産明け渡しトラブルの顛末を、古書を解剖するような、的確な表現で描いている。はらはらしながら最後まで本を手放せなかった。ちょっとご主人が可哀想な、しかし自業自得で、そこがなおさら身につまされ(人ごとでなく)、できれば何か美点を描いてあげておいたらなお良かったかなあ、と同情申し上げたしだい。快著。sumus
library入り。
田中栞『古本屋の女房』平凡社、2004
山崎さんにもらった古書店シールをアップする。けっこうな枚数になりました。
『周遊六万粁』よりロンドンの本屋巡り、《第一に訪ねたのは、世界的出版業者ロングマン、マクミランの二社であつた。前者は無愛想で、社内参観も謝絶したが、後者は迚も親切、社内をすつかり見せた上に、支配人が営業上の秘密事項までも、打明けて聞かしてくれた。/次に訪ねたのが教育品供給協会である。(略)倫敦には本会の他、スミスといつて、国内に千二百余の連鎖店(チェインストア)を有する教育品の大問屋もある。/最後に、我が「中等教科書協会」に相当する「出版協会の教科書部」を訪ね、幹事のグリーンハム氏と会談したが、その事務所もその仕事も、案外つまらないものであつた》。どうやら著者の渡辺氏は教科書関係者のようだ。
2004年11月7日(日)短日にコッツウォルズの長き影 ※英国より絵葉書もらいて
『周遊六万粁』ライプチヒの続き。《ラ市には、出版社よりも取次者に却つて大きな店がある。ケーラー・ウンド・フォルマー会社(従業者約二千)やウェルレル会社などは。その雄なるものである。(略)/ウェルレルは書籍商会館の向角にある大店で、取次を業としてゐる。即ち店舗、倉庫を持たない発行者のためには、商品の保管、配給、販売などを、小売店のためには、商品の蒐集や送金の分配などをそれぞれ代行し、双方から重宝がられている。(略)/又叢書王レクラム社の倉庫には、幾億冊かの書冊が蔵してあるが、多くは刷本で保管し、必要に応じて表紙を付けるやうにしてある。古本王のフォック社では、国毎に室を別にして書物を整理してあるなど、流石に書都らしいところがある。》
岡崎武志のイヴェント情報、アップリンク・ファクトリー(詳細はサイトにて確認されたし)。ここに石田瑞穂氏が岡崎の書庫を訪れた印象記を執筆している。そこに出てくる《某老書評家がブック・ドラフト(愛書家たちがもっとも恐れている本の雪崩現象)で骨折したことがあって、物書きと本というとどうしてもそんな硬派な関係に陥りがちですが》の「ブック・ドラフト」が気になって調べてみた。これはどうも英語には存在しない表現のようだ。「バックドラフト
Backdraft」という映画のタイトルに引っかけただけらしい。draft は「引く、抜く、注ぐ、立案する、飲み込む、etc.」(名詞も同じつづり)。だから「ブック・ドラフト」が《本の雪崩現象》ということになるはずはない。けれど、映画の内容からのみ連想すれば、扉を開くと本がドドーッとあふれてくる感じか。以前、一人暮らしの老作家が風呂場に入ったとき、戸の外の本が崩れて閉じこめられたという話を書いていたが、笑い事ではない。本に幽閉されて餓死・・・これぞ本望(!)。モクローがいちばん危ないな。
昨日、昼食のあとナベツマは新風館へ行き、3Fの GEORGE'S
KYOTO(ジョージズ京都)で Ty
NANT というナチュラル・ミネラル・ウォーターを買って帰った。みょうに手に馴染む形だ。

2004年11月6日(土)百均を終の棲かか風寒し
『周遊六万粁』ライプチヒの続き。《次に独逸最大の教科書肆トイブナを見た。同社は社員約二百人、工員約五百人、印刷機五十台、紙折機十五台、製本日産約一万冊といふ規模である。以下はその支配人の談話/編集校正。全部著者がする。但し挿絵の世話だけは発行者がする。/著者印税。売上金額の一割見当。但し検印や印紙の貼用などはしない。/新版宣伝。各書から一、二頁宛を集めて見本帖を作り、目的学校の全教師に送る。(略)/取次販売。割引は一率に二割五分、注文は、取次は尠く、小売店又は学校直接が多い。支払は一箇月、貸倒などはない。運賃は契約次第だが、普通は買人持。/返品。絶対にない。それは見込註文をしないし、又余つても次期に売れるからである。》
四条のジュンク堂書店のぞく。『神田神保町古本屋散歩』(毎日新聞社、二〇〇四年)を買う。岡崎、南陀楼はもちろん、八木さん、河内さん、内澤さん、ハルミンさん、『sumus』ゆかりの人たちが登場している。10円コンビのイラスト・ページが美しい。その後、詩歌のコーナーをぶらり。中尾さんが紹介していた北沢恒彦・山田稔『酒はなめるように飲め/酒はいかに飲まれたか』(編集グループ〈SURE〉、二〇〇四年)が積んであったので買う。文庫サイズがかわいい。北沢の文章をまず読む。理屈っぽいところを挟むかたちで、上手に回想を綴ってあり、感心する。一種の名文だ。次に山田文。ともに中井寛吉という教師について書いており、北沢のエッセイに対する注釈のような形になっている。北沢恒彦の弟が秦恒平、息子が黒川創だという。おすすめの一冊、じゃない二冊(一組)。
北沢恒彦・山田稔『酒はなめるように飲め/酒はいかに飲まれたか』編集グループ〈SURE〉、2004
昼食は例によって味禅へ(四条烏丸下る)。新蕎麦。ざる大。麺がほのかに緑がかっている。うつくしい。
山崎書店まで足を伸ばし(地下鉄で東山まで)、集めてくれていた古書店シールをもらう。総がかりで次の古書目録の入力作業を行っていた。今日はまっすぐ帰宅。
M岡さんより、ド・ヴィニィ『紅い封蝋』(松下和則訳、筑摩書房、一九四九年)届く。西川正身宛の献呈署名入り。状態がとてもいい。sumus_livres「渡辺一夫の装幀」にアップしよう。深謝です。
阿瀧康さんより『ガーネット』44号(空とぶキリン社)も届いている。日録に古本の話が書いてあるのがうれしい。最近は俳書を買う話が目立つ。ウンチクもチラリと登場。おお、しかも、西村晋一の名前が出ているではないか! 吉村太一を追跡した文章のなかに、澁澤秀雄邸で昭和二十年五月十日に催された句会に、久保田万太郎、徳川夢声らとともに西村も参加しているのだ。いや、今回の日録は関口良雄も現れ、読み応えありでした。阿瀧さんの近作、「病葉に固き水栓埋もれたる」「マネキンの足投げ出せる薄暑かな」「秋桜や人なき昇降機の上下」
2004年11月5日(金)日向ほこり除(よ)けて古瓶置いてみる
詩人で古書通のUさんより、渡辺良助『周遊六万粁』(東京開成館、一九三七年)届く。《「彩の国古本まつり」で入手したもの、ご参考になれば幸いです》、ありがとうございます。著者渡辺氏が漫遊に出発したのは己巳(昭和四年)七月、朝鮮半島からロシアを経てヨーロッパを見、米国に渡って同年月末に帰国している。渡辺氏は書店関係者のようだが、略歴が付されていない。簡単な検索では出てこないし、著作もこの本だけのようである。書物に関するところだけ、ちょっと引用してみよう。卸しの割引率が高いが、これは買い取りということだろうか。
《ライプチヒは書物の都である。出版業者約二百、書店千余、大印刷所二百以上もあり。世界を相手に営業してゐる。》《書籍商会館(ブッフ
ハンドラー ハウス)。筆者は大正九年秋東京書籍商組合の会で、糶市利益金処分案審議の際、「その全額を書籍商会館建設資金に積立てよ」と主張したことがあつた。当時その模範にしたのがこの会館であつたから、感慨も一入深かつた。/案内は事務長のフーデマン氏がしてくれた。建物の中には図書館、出版博物館、会議室などがある。又組合書目の発行、世界書籍商信用録の編纂などもやつてゐる。後者の東京部には、丸善外八店が出てゐた。左記は独逸の出版業に関するフ氏の談話の眼目。/新刊拡め方。組合書目の配布、新聞紹介欄、雑誌広告などに依る、陳列窓広告は尠い。/同業取引。割引は、学術書二五〜三〇%、小説三三〜四〇%、美術書及び雑書五〇%ぐらゐ。特別割引は行商又は特売の時だけ。代金支払は、大抵一〜四箇月の延取引。》
渡辺良助『周遊六万粁』東京開成館、一九三七年
南陀楼綾繁より栗原澪子『黄金の砂の舞い―嵯峨さんに聞く―』(七月堂、一九九九年)のコピー届く。『モダン日本』時代の回想が参考になる。佐野繁次郎への言及もあり、感謝感謝。ところが、編集長問題は解決しない。《「モダン日本」の編集長は菅忠雄で編集が大草実、西村晋一の二人。西村晋一は「文春」が有島邸にあった頃、早稲田の学生のまま社員になり、のちに「オール読物」の編集長を、短期間勤めたこともあるが、昭和八年、「東宝」に移る、という経歴の人》。もう少し後ろに《西村晋一は「モダン日本」の編集長になるし》ともあった。『オール読物』の創刊は昭和六年四月。いずれにせよ、西村編集長の時期を確定するには現物に当たるしかない。『オール読物』マイクロ資料は国会図書館他にある。文春発行の『モダン日本』の方は、欠号ありながらも、日本近代文学館が12冊所蔵、これは昭和七年二月からモダン日本社発行となる。
また《嵯峨 「モダン日本」の創刊号にね、「或る有閑マダムの一日」って組写真を僕ら載っけてるのよ》とあり、《「或る有閑マダムの一日」は「モダン日本」創刊号のトップを飾る数ページだったことが目次で分るには分ったが、丁度その組写真ページだけが何者かに切りとられていた。》(栗原澪子)と続くのだが、先日購入した『モダン日本』創刊号の目次には「或る有閑マダムの一日」という項目は存在しない。これは面妖。ま、いずれにせよ松本の追跡(早稲田古本村通信)を楽しみに待とう。
マン・レイ石原さんの日録にウンチクの姿が登場(!)、いつもながら写真がステキだ。石原さんのデュシャンに対する思い入れの深い感想を参考にさせていただく。
ヤフオクで落札した古瓶が届く。これはいいかんじ。描ける。インク・ボトルであろう。口の辺りに青色がこびりついている。イギリスでは小さなフリー・マーケットなどで、10ペンスとか、せいぜい50ペンスぐらいでよく売っていた(1980年のことですが)。
高さ105mm
2004年11月4日(木)くせ表紙
古鍵五本のすきま風
古書現世より『逍遙』63号。店番日記快調。ほんとに、ネタ、作ってない?
『紙魚の手帳』29号。大貫伸樹氏の「近代挿絵家たちの署名5」は『定本小波世界お伽噺』(明治32〜41)と『風俗画報』(明治22〜大正5)から拾っている。いろんな画家がいたんだなあ。田中栞さんの「伊達得夫と『二十歳のエチュード』の出版」も実物を入手しての執筆だけに有無を言わさないものがある。
中尾さんより『大和通信』(海坊主社 〒639-1007 大和郡山市南郡山町695-2)61号。中尾文に扉野良人の祖母秋野不矩さんのこと、その息子さんたちのことが少しだけ触れられている。北沢恒彦『家の別れ』を読んで《〈この家の兄弟(妹)特有の(略)ゆっくり、おっとりした口調で〉という記載に、思わず、アハハハ》だったと。北沢恒彦・山田稔『酒はなめるように飲め/酒はいかに飲まれたか』(編集グループ〈SURE〉、二〇〇四年)の紹介。ちょっとオシャレな表紙である。
ヤフオクで落札した古鍵が届く。思ったより良くない。ただ、左端の小さい鍵、サビを落としたら、けっこういい味が出た(右)。

2004年11月3日(水)吐く息も路蹴る音もほの白し
小野先生より《松尾邦之助の『フランス放浪記』(1947,鱒書房)はご存知でしょうか.面白い本です》というメール。フランスにおける俳句趣味についての記事があるそうだ。
《最後にルネ・モオブランの句で私の記憶に残るものを二つ書綴って見よう.
思想が来てペンを握った.もう思想はいない.
昨日は金髪女と,今日は黒髪女と,だがいつも孤独だ.
或日,ジャン・コクトオは「座興だがね」と云ひ乍ら私に次の様なハイカイを書いて渡した.
銀の仄光,醜婦の足オオ消防隊! 》
うむむむ・・・新興俳句として十分通るな、これは。
昨夕、万博公園から大阪中之島に移転した国立国際美術館のオープニングに出かけた。たまたま招待してくれる人がいたので。「マルセル・デュシャンと20世紀美術」11月3日〜12月19日。地下鉄肥後橋から5分と足場はとてもいい(大阪市立科学館に隣接)。近々、京阪電車が淀屋橋から中之島まで延長するそうだし、真新しいビル林立の中之島に少々面食らってしまった。
とにかく、ものすごい数の招待客だった。数千人(?)、はっきり言って、今後、この美術館にこれ以上の人間が詰め込まれることは決してない、だろうと思われるほどだった。この美術館は地下三階建て(堀り?)になっており、地表には巨大な金属棒によるウサギの耳が飛び出ているだけだ。このコンセプト自体は悪くない。しかし、具体的な構造にはまったく感心できなかった。もし昨夜、大地震が起こっていれば・・・考えたくない。
デュシャンの展示は、まあ、こんなものだろう。あんまりまじめに彼の作品に取り合っていては本質を外れる。駄洒落の連続。彼が熱中したチェスや賭博と同じような、単なる暇つぶし、バラ色・それが人生(ローズ・セラヴィ)であろう。初期の油彩画がいちばん見応えがあった。細部はややいいかげんだが、画肌は合理的でしっかりしている。他には、のぞき穴(図録の翻訳に従うと「与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス」、このタイトルにもいろいろなニュアンスがこめられているようだ、たいして深いものではないが、デュシャンは何故かガス水道完備にこだわっている)。本物は移送できないので、プロジェクター使用で再現した。こっちの方が皮肉っぽくていいかもしれない。壁の穴を順番に覗いていく人たちを見ながら、その後ろに並んでいる自分がコッケイに思えて苦笑した。おそらくデュシャンもニンマリだ。
国際の常設展示は、以前からそうだが、ほんとに困りものである。わずかに日本の作家についてだけがまずまず(国際なのにね)。なかでは河原温のデイト・ペインティング「MAY
20,1980」(たぶんこのタイトル[=絵柄]だった、帰り際にもらった同館の所蔵作品図録には掲載されていない。版権の問題?)はスバラシイの一言。単に、ウンチクの好みだけの話だが、画家として、この作品を目標にしたいものである。
ショップもいまひとつ。せめて東京都現代美術館ていどの空間は必要だろう。美術館は絵を売れないんだから、ショップで日銭を稼ぐのだ(でもコレクションの内、ピカソやセザンヌやパスキンは売り払ってもいいんじゃない。場違い。他館とのバーターでもいい。いろいろ事情があるんだろうけど、本気で考えるべき)。レストランもなんだかな〜というかんじ(営業はしていなかったが)。資料閲覧室も狭い。他館の催しチラシの置き場がまたせせこましい、チラシは大事だよ。トイレ通路の狭さにも難あり。要するに、美術館とは何か? ということを本気で考えた結果こうなりました、という気概がまったく感じられない。
独立行政法人というと体よく聞こえるが、複数企業からのおこづかいで運営するということらしい。それ自体をとがめるつもりは毛頭ないにせよ、パトロンたちに媚びるのはどうか。彼らは入場者数にこだわる。だから来年はゴッホ展だってさ。ゴッホかあ〜(ため息)。そういう安直な発想でいいのか。人を呼ぶだけなら、展望ルームとドッキングしている森美術館を見習うべし(これ、caloさんの意見)。
マン・レイ石原さんの姿が見えたのでご挨拶。遅れて来場のcaloさんにフランクフルトの裏話などうかがう。食事がマズかったそうだ(恵文社の堀部氏の日記参照)。大型書店続々開店の秘密などもたいへん参考になりました(ここでは書けません)。さて、セレモニーのなかで、唯一、来てよかったと思ったのは、デュシャンの娘さんがデュシャンに似ているという事実を発見したこと(しかし、後に連れ子だったことが判明、ウンチクの眼識もあてにならない!)。デュシャンは1954年に63歳で再婚している(最初の結婚はごく短期間だった)。カンパイの後、フロアーを埋め尽くした招待客はピラニアのように寿司とサンドイッチを食い尽くし、ビールを飲み尽くしていた(量がすくなかった)。図録をもらってそそくさと退散。
2004年11月2日(火)中年のサックス「ふるさと」枯野あり
向井氏より『未来』11月号。五十嵐書店の巻。プロジェクトX文体もまたよし。四十年前に学生だった客が定年で蔵書整理に訪れるという、スパンの長い商売なのだ、古本屋は。
『ちくま』11月号。八木尚子「たかがワイン、されどワイン」は『ワインの文化史』(ガリエ、筑摩書房、二〇〇四年)の紹介。ワイン大国フランスの深刻な危機感が窺われる。そうそう、先日、フランス・ワインのCFがテレビ流れたね。でも、いまひとつピンとこなかった。ワインがフランスの国民的飲み物となったのは19世紀に入ってから。案外、歴史は浅い。
青空の百円均一で『絶頂期帝政ローマの日常生活』という本を買ったが、食事のところにワインが出てくる。当時、ローマではワインにハチミツを入れて飲んでいた。または水で割ったり、雪を入れたり、逆に暖めて飲んだり(ワインのお燗)したそうだ。葡萄の皮と実を分けないで搾っていたので、渋味が強かったのだろうというのは、他の本に書いてあった。
J.CARCOPINO, LA VIE QUOTIDIENNE A ROME A L'APOGEE
DE L'IMPIRE, LIBRAIRIE HACHETTE,1956
南陀楼から《大草実はのちの、「詩学」の編集長・嵯峨信之で、彼については、栗原澪子『黄金の砂の舞い 嵯峨さんに聞く』(七月堂)という本があります》という情報メール。そうか、どこかで聞いた名前だと思ったら嵯峨さんでしたか。お会いしたことはないが、『詩学』(詩学社)の表紙画を描いたりしたことがあるので、多少の縁はある。当時『詩学』の編集をしていた篠原さんが、嵯峨さんは将棋も好きだと言っていたが、元文春の編集者なら納得がいく(菊池寛の将棋好きは有名)。感謝!
2004年11月1日(月)苛だちを隠せぬ黄色秋桜
今月のトップの背景はフーコー『言説の秩序』 MICHEL FOUCAULT,
L'ORDRE DU DISCOURS, GALLIMARD,1971。《メンデルは本当のことを言った。しかし彼は彼の時代の生物学的な言葉の「真実のなかに」いなかった》、これがいわゆるバカの壁というやつですな。
『モダン日本』創刊号(文藝春秋社、一九三〇年一〇月一日発行、月刊)届く。前に西村晋一が編集長に抜擢されたという高井貞二の回想を引用したが(10/26)、奥付を見ると、どうも高井の記憶違いのようである。発行兼編輯人は鈴木氏亨(しきやう)だ。鈴木氏亨は通叢書に『酒通』(四六書院、一九三〇年)を執筆し、後に『菊池寛伝』(実業之日本社、一九三七年)などを著している。「編輯日記」に登場する編集員は大草実、西村晋一、菅忠雄である。回想記を鵜呑みにする危険を再認識。
ちょうどタイミング良く、松本から高井文コピーの礼状。《『モダン日本』といえば牧野信一実弟英二。早大生編集長のもとに英二はいた、ということに……(?)》とあるが、編集長は間違いです、少なくとも創刊号では。牧野英二もまだ加わっていないようだ(牧野信一は短文を寄稿している)。全体にアメリカかぶれ(というかパクリ)の、週刊誌的な記事の羅列で、もうひとつパンチがない。中で竹中郁の「背中こそ神秘だ…」が面白い。《大胆は人間が造つた一番美しい見得ではないか。人工の表情以上の人工的表情へ、背中を利用したまへ。生き生きと。(中略)背中こそ今日の問題だ。》、要するに、背中を出した洋服を着なさいと女性に勧めているのである。
石神井さんのメモ、《禁煙をしました。今年の2/11から。8ケ月と2週間ほどになります》、おお殊勝な心がけ、そういえば、荷物を開いたときに煙草の香りがしなかった(拙著『古本スケッチ帳』参照)。《思えばオープン戦、ペナントレース、日本シリーズと長きに渡って禁煙続行中であります》・・・やっぱりそこへ来ますか。ガンガれタイガース!
M岡さんより、青空の報告が届いていた。初日に来られていたそうだ。《青山二郎装の『アンドレ・ジイド全集第6巻』S9年建設社は函もカバーもきれいで500円は嬉しい買物でした。また、坪内祐三さんの言われる通り、生島遼一は大体500円で、今日は3冊買えました。(これが一番高い買物)読むのが楽しみです》、ジイド全集はウンチクの目にも止まりましたが、500円でしたっけ? よく見るんだった、残念だなあ(いちおう一冊は持ってます)。生島本も……やられました。
古書店「蝸牛」のエクスリブリス(林作)
妻のヤフオク・ナベあさりの日々につられて、ウンチクも入札なぞやってみた。100円スタートの泡立器(半ばアンティークだが、そんなにいいものではない)を発見。これはモチーフになるぞと入札し観察を続けた。欲しがるやつなど居はすまいと思った通り、ずっと100円、しめしめだ。あれ?、終了まで10分を切ったところで、まんまとさらわれた。ウッキッキー! けっこう悔しい。
ええい、今度はそれじゃあ、英国製の古鍵だ。商品映像を拡大して、かなり錆がきているのを確認、ぜったいこれなら手に入るという確信を得たところで1000円の品を二件入札。タイムアップが深夜だったので神頼みで就寝。しかし、今朝起きてきてみると、落ちたのは一件だけだった。世の中、ウンチク以外にもあんなものを買いたい奴がいるのか、クッソー!
ちなみに山本は、1円からスタートの雑誌『ユリイカ』立原道造特集号(背割れ)に挑んで、激しい競り合いを制した結果、70円で落札したそうだ。さすが赤貧レベルは違う。
しかし、安い物をオークションで買うと、送料と振込料で結構イラつくことになる。今回の「鍵」などは、送料は郵便の定形外で百数十円だが、振込が銀行指定のみだったりすると、300〜500円は必要になる。サイテー。わが家では、こういうときにはナベツマの出番である。彼女は、以前から色々と調査し尽くし、新生銀行とソニー銀行に口座を持っている(残高はない)。しかも郵貯インターネットホームサービスにまで加入しているのだ(知らないうちに!)。
新生銀行は、月に5回までは他行への振込はタダだそう(1000万円以上の残高があれば、新生銀行は月に50回?まで手数料無料)。新生銀行同士だといつも無料。これイーバンクも同じ。ヤフオクで一般的なジャパンネットバンクは、タダではないが、同行同士の振込は52円。ネット銀行は、振り込んだと同時にPCの画面に反映されすぐに確認でき安心。郵貯インターネットホームサービスだと電信振替となり、相手が振替口座でも、ぱるる口座でも、一回130円、これも即PC画面に振替が反映される。ネットを使う良さは、夜中だろうが土日だろうが振込OKなところ。ヤフオクでは、落札した物は早く見てみたいものだから、やはりネット振込は便利。落札して2日後には手元に届いているということも珍しくない。これを可能にしているのは、宅配便など物流だけでなく、お金の流れの変化によるところも大のようだ。
終日、蔵書票作り。久しぶりの木版画なので手順などまごつくことしばしば。上図および下図は20年ほども前に作ったもの。