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2006年4月2日(日)
※吉田健一、辻静雄、佐野繁次郎、渡辺一夫らのコレクターである西村氏宅を訪問することを約していた。三田線で春日から志村坂上まで。ホームで西村氏と合流、自宅まで案内してもらう。出口のまん前にトッパンの工場がある。一日中眠らない(操業を停止しない)印刷工場の町。ただ最近は急速に宅地化しているそうだ。たしかに都心へも三十分程度だから便利。西村氏の職場は大手町で、神保町がもうひとつの仕事場なのでとくに好都合とのこと。
トッパンの工場
ということで、西村氏の書斎でたっぷりコレクションを拝見したが、それを書いているときりがないので省略する。とにかく、その執念というか、足まめなことには感嘆する以外にない。もちろん足まめだけでもダメ、勘も鋭くなければならないし、古本屋さんとうまくつき合うこともコレクションを充実させる秘訣のようだ。おそれいりました。

佐野繁次郎の装幀原画。丹羽文雄『美しき嘘』(中央公論社、一九六一年)。広告に文字を使う場合はこの原稿の文字をそのまま使ってほしいという注意書きが右端に記入されている。
2006年4月1日(土)残酷な四月よ夜は朝となる
※後楽園にホテルを取ったのは、作品社の小野松二に関連する場所を歩きたいと思ったからだ。今日は午前中をその時間に当てる。小野が長らく勤めていた文京区役所(シビックセンター)の横を通り、東富坂を上がったあたりから元町(現・本郷二丁目)の住宅地へ入る。文京区内でもっとも大きい木だというクスノキが目当て。ここが作品社のオーナーだった駒沢文一旧宅だと西秋氏が教えてくれた。かなりの大木だ。幹まわり8.5メートルと標識に書いてある。

このクスノキの横をまっすぐ外堀通りの方へ向かうと、旧・元町小学校(今は田中千代服飾専門学校)の横の通りに出る。そこから富士見坂の方へ回り込み、露地をちょっと入ると、小野邸があった。むろん、あらかじめ地図上で場所は確認しており、家は昔のままだと、ご遺族の方にうかがっていたのだが、ビルや新築の住宅に囲まれて残る木造二階建ての住居を目の当たりにしたときには感動的した。小野が「やあ」と言いながら出てきそうな感じである。今回は時間がないが、いずれ早いうちに遺族の方たちの思い出話を聞いておきたいと思う。
続いて、作品社があった神田須田町へ。秋葉原駅の方から歩く。万世橋を渡り、広瀬中佐の銅像があったあたり(コンビニのあるビル)から交差点を渡ると、旧・通新石町。フルーツパーラー万惣(巨大ビルになっている)の斜向かいだということで、大体の見当をつける。とくに何かある訳ではない。ビルディングが立ち並ぶだけ。
銀座線で京橋まで。ギャラリー池田美術の谷川晃一展を見る。3日からだが、もう並んでいると、一昨日、池田さんが言っていたので。ゲルニカを自由に模写した木炭ドローイングである。
次に、一時、作品社があった木挽町二ノ四竹田ビルをめざす。現在は銀座三丁目の昭和通りを渡った東側になる。一般書を売っている奥村書店があるあたりのようだ。つい奥村書店の棚に見入ってしまい二冊購入、1300円也。
・文藝別冊 [総特集]澁澤龍彦 ユートピアふたたび 河出書房新社 二〇〇二年 装幀=岩瀬聡
・谷中人物叢話 金四郎三代記 浅尾丁策 芸術新聞社 一九八六年 装丁=吉田佳広
※画廊には一時前に到着。昨日はほとんど来客がなかったということでホッとする。それでもわざわざ来てくださった方には失礼しました。右文書院の三武社長夫妻、マリンチェさん来場。向井氏の知人のカップルの方、じっくりと見てくださる。吉田健一蒐集家の西村氏、さらに中野書店さん。そこへ向井氏と岡島氏が登場。たしか昨年の書肆啓祐堂での「読む人展」のときもこのメンバーが一堂に会した。もちろん示し合わせたわけではない。古本時間とでも呼ぶべきものが業界には流れているらしい。
元ダイヤモンド社の長井さん。中国通なので、岸本氏と中国話で盛り上がる。岸本氏の友人で中国が専門の旅行コーディネータの方も加わって、なかなかに奥深い中国を知ることができた。
光文社文庫の鈴木氏。「今どき、吉田健一が売れるんですね」という話。そこへちょうど岡崎氏が来合わせる。落語家を目指していたこともあるという岸本氏と岡崎氏が東京の落語談義。落語を寄席で聞いてるってのはカッコイイもんだ。ウンチクはテレビで見たていど(昔は落語の放映が多かった)。
岡崎氏と一緒に神保町へ向かう。体調を崩された山口昌男さんが、車椅子で古書展に来られた話、岡崎氏の落語家顔負けの所作に感嘆する。七時から三省堂地下の放心亭で『早稲田古本屋日録』の何度目かの出版祝いをやる予定。その前にちょっと古書モールに寄りましょか、ということに。十分ほど間があった。
・大学のお姐ちやん 笠原良三 東宝 封切一九五九年 [シナリオ]1000円
・庭 巻一 白庭社 一九三三年六月一日 題字=菅虎雄 800円
・純愛 バルザック 淀野隆三訳 河出文庫 一九五六年 カバー装幀=後藤市三 500円

放心亭では松本八郎翁としばらくぶりにお会いする。白いものが多くなってカッコイイ爺になりつつある。岡崎、向井、岡島、柳瀬、西秋、荻原各氏に、畠中さん、右文書院の三武社長と青柳さん。遅れて生田夫妻も来る。ここの料理はなかなかだ。
二次会は和民へ。ここの料理は○○○。海月書林さん途中から参加。海月さんとは三年前に京都の下鴨で会って以来かな。にぎやかに、結局は〇時に解散。その後の向井氏らの展開は向井氏がブログに書いているので参照のほどを。こちらはホテルまでタクシーで帰る。さすが連日で疲れた。
2006年3月31日(金)ふらふらとふらてのとまり木三月尽
※みょうに早く目覚めた。今日は画廊へは行かず、世田谷文学館の花森安治展を見るつもり。身繕いをして少し早めに出る。丸の内線(後楽園の駅は高架になっている)まで歩いて、ぐるりと新宿へ。大手町まではラッシュにもまれた。銀座を過ぎればガラガラ。新宿駅の人混みに辟易する。混雑しているだけでなく、歩く速度が異様に速い。ようやっとのことで京王線乗り場までたどりつき、各駅停車で芦花公園まで。駅そばのパン屋で軽く朝食。
花森安治展はそれなりに見所が多く、楽しめた。とくに花森による『暮しの手帖』の広告版下には舌を巻いた。写植文字を一字一字手張りしかも位置を微妙にずらして、くねくねと、ちょうど書道のようなぐあいに字形に合わせて配置してあったのには驚いた。むろん、昔のデザイナーはこんなこと朝飯前にやっていたのかもしれない。ただ、自分自身がやると思うと、とうていあんな根気も執着もセンスもないことを痛感するだけだろう。アドビ・イラストレーターでも、もちろん同じようなことはもっとカンタンにできる時代ではあるが、そういう問題じゃない。
杉山平一『ミラボー橋』(審美社、一九五二年)も花森の装幀だったことを初めて気づく。装幀本を天井近くまでズラリと壁に並べていたのは、見場は良かったが、近くでじっくり眺められないのは残念だった。展示スペースの問題でもあろう。できれば、もっと広い会場で、戦前の翼賛的な仕事なども十分に取り込んで回顧して欲しいと思う。
午後一時、神田の東京堂書店でつばめ氏と落ち合う。つばめ氏が書評のメルマガに淀野隆三のことを書いたところ、長男の淀野隆さんから連絡があって、一度、会いましょうという話になったのだ。少し遅れて淀野さん来られ、伯剌西爾でコーヒーを飲みながらいろいろな回想を聞かせていただく。淀野さんが父上の闘病日記を発表された『方向』第二号(方向の会、一九七〇年十二月二十日)をいただく。たいへんな力作である。出来れば、今後も会合をもって淀野隆三について記録しておきたいということを確認して解散。ちなみにこの『方向』の表3には右文書院の広告が出ていた。
その後、書肆アクセスへ。畠中さんから、岡崎氏、南陀楼氏に続いて、ウンチクにも「林哲夫が選ぶ書肆アクセスの本」フェアーをやってもらいたいという依頼を受けていたのだ。願ってもないことで、勇んで書棚に取り付いたのであるが、その奧の深いこと深いこと、とうてい数時間ではどうしようもないことが分かった。しかしまあ、それでもなんとか絵にはなりますぞい、ということで、四十冊ほど選び出す。これを京都に送ってもらい、もどってから、もう少し絞り込むつもり。フェアーは6月中の予定である。
途中、つばめ氏が古書展で麦書房の『本』端本を拾って譲ってくれた。おおかたは所蔵しているのだが、最後の方の号が欠けている。ちょうどそのあたり。サンクスです。

柳瀬徹氏来店、日暮里で飲んで以来だ。仕事をかわったとのこと。谷川が名人挑戦者になりましたね、よかったね、という将棋的会話。石神井書林内堀さん来店、六時から飲み会の約束をしていた。古書通信の樽見博さん出前に来る。平凡社新書から『古本通』という本が出るそうだ。樽見さんそのままのタイトルじゃないですか。
六時ちょっと過ぎに内堀さんと八羽へ。月の輪さんが先に来て飲んでいる。三人で軽く乾杯したところへ、ガラッと戸を開けて右文書院の青柳さんが入ってくる。あら、おや、と挨拶。唐十郎+新宿梁山泊『風のほこり』(右文書院、二〇〇六年)の見本ができたそうで、そのお祝いらしい。堀切直人さんら十名ほどが続いて入店。内堀さんが急に立ち上がって堀切さんに挨拶する。ご一行様が奧の座敷に落ち着いたとき、内堀さんが「座敷がよかったんだけど、予約がはいってたんだよ、あの人たちだったのか」と月の輪さんに。月の輪さんは「おれはテーブルでいいよ、テーブルがいいよ」と問題にしていない様子。
堀切さんが少ししてからこちらのテーブルにやってきた。文章から想像していたよりもずっとコワモテの風貌。初めましてのご挨拶。「向井さんの本の装幀いいですね」と言われ恐縮する。青柳さんが『風のほこり』を三人にくれる。
坪内さん登場。レオン系のファッションで決めている。先月は15本の対談をこなしたそうだ。対談王なり。坪内さんの姿を見て堀切さんがまたやってくる。坪内さんが「スムースの林さん」と紹介してくれる。堀切さん「知ってますよ、スムースには三人、オッと思う書き手がいますね」などと持ち上げてくれる。堀切さんが座敷に戻った後で、三人て誰だという話になる。坪内さんは「扉野くんの文章は好きだよ、○○さんは俺はだめだ」あるいは「向井くんの早稲田はびっくりするぐらいいいね、でも○○はダメなんで安心するよ」などと忌憚のない意見を聞かせてくれる。ふむふむ。また中尾務さんの個人雑誌『CABIN』に載っていた杉本秀太郎のエッセイを絶賛した。「ここ一年、いや、五年間でベストだ、随筆の力を再認識させてくれた」と褒めちぎる。まったく同感である。
田村芳治さんが参加。坪内夫人と文春のHさんも来る。話題は村上春樹の生原稿問題に集中。ある評論家がある新聞紙上で古本屋を犯罪者呼ばわりしたことに坪内さんが激怒(といっても坪内さん一流の怒り方で、執拗なかんじに迫力あり)。田村さんに向かって『彷書月刊』で特集すべきだと迫る。田村さんも一流の大リーグボール3号のような受け答えで、すぐに同調しない。月の輪さんは「村上春樹の生原稿がだめなら、おれなんかどうするんだ。生資料でずっとやってきたんだもの。おれが悪いんだ、おれ、訴えられたら素直に捕まるよ、捕まえてくれ」などともう酔っ払ったようす。そこへたまたま顔を出したある古書店の若者が「ウチにも村上春樹ありますよ、でもこれからはおおぴらには売れないですね」などと言ったものだから、静かだった内堀さんが「それはだめだよ、今まで通りに堂々と扱っていいじゃないか、そうしないと古書業界はだめになるよ」とやや強い口調で。文春のHさんに坪内氏が「もしHさんが編集長だったら、村上春樹のあの原稿を載せました?」と問う。「ぼくが編集長なら、村上さん、これは載せない方がいいですよ、と断ったでしょうね」と。ウンチクはそもそも一座のなかでただ一人『文春』に載った村上春樹の文章を読んでいないので、ほうほうと聞いているだけ。例によって、生原稿には筆跡としての知的財産権が発生するかもしれない、などという愚論を吐いたていど。この話題だけで三時間近く盛り上がったからそうとうにホットだ。ところで、坪内夫人はジャーナリストだが、まったくスレてない。相変わらず美人だし。忙しくても顔を見せてくれる。
一旦解散。坪内、月の輪、Hさん、ウンチクの四人は新宿まで。「林さんに教えたい、いい店があるんです」と坪内さん。降りたところは、新宿五丁目東の交差点、少し南へ地下一階(新宿三丁目駅の近く)。階段を下りていくと途中に金属的な箱のオブジェが展示してあった。かなりいい作品だったので、カウンターに座ったときに尋ねてみると、合田佐和子だという、なるほど、すばらしい。坪内さんがママに紹介してくれたが、驚いたことにデイリー・スムースを読んでおられるという(!)。世の中狭い。四人ともにかなり酔いがまわっている。とくに月の輪さんはほとんど座りながら寝ている状態。坪内さんに「聞きたいものあります? リクエストしてくださいよ」と言われ、とっさに「じゃあ、ジョン・レノン」と答えたが、ベルベット・アンダーグラウンドにしとけばよかったなあ、などと、まったくどうでもいい後悔をする。で、マスターが選んだジョン・レノンは初期のロックンロールだった(もちレコード盤)。ずっとバンドをやっているというだけあって選曲が渋い。口直しに「マザー」をかけてくれる優しさも。別の客のリッキー・リー・ジョーンズを挟んで、坪内さんがリクエストしたボブ・ディランの六十何歳かのボストンでのライブCDが流れる。これがまたシブイ。「ミスター・タンブリンマン」なんかまったく別の曲だった。でもディランはディラン。ちょうど、おなじく平均年齢六十を越えたローリング・ストーンズが来日していた。Hさんによれば、客の入りはあまり良くないそうだ。そんなこんなで〇時頃まで。タクシーに分乗して解散。ああ、こんなに長かった一日、あまり記憶にない。みなさんありがとう。
ふらてのマッチ
2006年3月30日(木)花あかりモキチの卓の長き夜
※十時すぎに画廊着。光文社から大きな花が届く。『酒肴酒』がよく売れているから・・・というか、担当の鈴木氏が気を遣ってくれたのだろう。感謝です。最初の来場者は『暮しの手帖』の高野さんと萩原さん。編集部に『sumus』のファンがいるそうだ。産経新聞の生田誠氏と美術担当の藤田さん。肥後さんと吉上さん。肥後さんお元気そうで何より。吉上さんのご主人は『ミカン ア・ラ・モード』全冊揃えてくださっているとか、絶句、感謝の他ない。内田巌の親戚(ということは魯庵の親戚)になられるそうで、『内田巌青春譜』(内田絢子、二〇〇四年)をいただく。大正十三年から十四年にかけて巌が妻になる静子へ送った手描きの絵葉書、それを集めてフルカラーで収録した貴重なうえに楽しい画集である。

国際美術館の島さん。『季刊銀花』の柴谷さん。次の号に依頼のあった原稿について打ち合わせ。岸本氏は中国茶に詳しいので、茶葉を出して柴谷女史とお茶談義。mixiで個展を知ったというゆうゆう草さん。晩鮭亭さん。つばめさんが淀野隆三関係の手紙を読み下し文のコピーを持参してくれた。石塚友二の書簡ももらう。深謝。フジタの年譜に執念を燃やす笹木さん。笹木さんの話はとても面白い。スムース文庫のヒコーキ野郎をお褒めいただく。フジタとバロン滋野のつながりがどうしても判らなかったのが、すっきりしたらしい。お役に立てて光栄です。大川渉さんと筑摩書房の青木さん。大川さんは『文士風狂録』の著者。この装幀に提供した原画の一点も展示している。青木さんはちくま文庫編集長から『ちくま』の編集長へと三月から移ったそうだ。蒼穹舎の大田さん。京都へ花見に出掛ける予定だとか。岩田さん、書肆啓祐堂『黄金の馬車』の編集にまたもどった。
閉廊時間の午後六時に間村さん来る。他にも寄るところがあるというので、後で合流することにして、岸本氏と岩田氏、長谷川氏(山形からわざわざ来てくれた若者)と並木通り八丁目のマルディグラへ。居酒屋フレンチといったかんじ。若い人で常に満員ということで、八時までしか予約が取れなかったそうだ。料理はすべて岸本氏にお任せだったが、頼んだワインはカリフォルニアとイタリアだった(どこがフレンチやねん、とつっこみたくなる)。途中から、間村さんとギャラリー池田美術の池田さんが参加して賑やかに。
長谷川氏が山形だということから、間村さんが、やはり山形出身の主人がやっている「もー吉」へ行こうという、予想された展開になり、タクシーに分乗して神楽坂へ。途中、靖国神社のそばを通った。大村益次郎はライトアップされ、大勢の花見客で賑わっていた。東京の桜はこの日、ほぼ満開に近かった。間村さんと池田さんはそもそももー吉で知り合ったそうだ。岸本氏も山形に仕事で長くいたそうで、そのとき酒場で長谷川氏の父上と知り合ったという。山形と酒場で盛り上がること盛り上がること。岸本氏は鎌倉なので早めに帰ったが、残りの者は店がはねてからも机を占領しつづけ、ご主人も加わって二時すぎまで。ようやく解散になったと思ったら、間村さんは新宿のナベさんの店へ行くというし、岩田・長谷川両君は新橋あたりで朝まで飲んだそうだし(後日談)、みんなよく体がもつねえ。池田さんの奥方が車で迎えに来てくれたのに便乗させてもらって、ホテルへ帰る。シャワーもそこそこにバタンキューだった。
2006年3月29日(水)前日から飲み過ぎ、たまにはいいか
※十時九分ののぞみ六号で京都駅を発つ。おおよそ満席。通路に立つひとも見える。子供多し。十二時三十分東京駅着。山手線で新橋駅まで、自然の呼び声によって、トイレに駆け込む。個室の方。水を流すシステムが手かざしに変わっていて驚く。電通通りの吉井画廊で「冬青小林勇展」をのぞく。昨年も三月に上京したので見ることができた。一九八一年歿なので、命日かと思ったら、三月二十七日の誕生日にちなむようだ。
吉井画廊を出るとパトカーが来て、警官がうろうろしている。どうやらデモ行進があるらしいと、思っていると、向こうから電通通りをこじんまりとした一団が。JALの労組のようだ。フライトアテンダントの女性たちを先頭に、はなはだおとなしい行進であった。中年サラリーマン二人が「何千万円も給料もらってて何の不満があるんだ」などと陰口をきいていた。
岸本画廊へ向かう、途中と言うか、七丁目三原通りの角から二軒目にある長谷川画廊を外から見学。居酒屋「はせ川」があった場所。ここを折れて六丁目へ。左手には銀緑館。洲之内徹の現代画廊のあった古いビル。取り壊されるらしいと聞いていたが、まだ健在であった。
岸本画廊の展示は終わっている。狭い画廊なので、ちょっと窮屈気味だが、ソファーから全部の作品を眺められるのはいい。



今日、たまたま上京しているという神戸のIさんと待ち合わせて絵を見てもらう。そのあと、竹橋の国立近代美術館へ。藤田嗣治展。昨日から始まったばかりだというのに、かなりの人出。そうとうなプロモーション活動をやっているようだ。パリへ渡った初期のキュービスムの作例一点。パリの郊外風景をグレー調に描いた二点(うち一点は近代美術館の所蔵作のなかでもいちばん好きなもの)と馬車を描いた小品、などを見られて良かった。戦争画は学生時代にアメリカから返却されたときに見ていたが、善し悪しは別にして、フジタらしいと言えば言える作品群ではある。
神田まで歩いて、時間をつぶす。というのは宿泊予定の東横イン(文京区役所前)が午後四時からのチェックインなのである。田村書店の店頭にも珍しく何もない。都営三田線で神保町から春日まで二駅、東横インに入ったのが四時半。しばし休息。足湯をする(プラスチック製のゴミ箱にお湯を半分くらい入れる)。気持ちいい。

午後六時前に画廊に戻る。岸本氏と前祝い。氏の行きつけの鮨屋、新橋鶴八へ。岸本氏は一昨年まである最大手の画廊に勤めていた。その頃には接待として銀座の有名鮨店をほとんど食べて回ったという。が、けっきょく身銭を切らないと、味は分からない・・・そうだ。そして、身銭を切るときは、ここ、新橋鶴八だとか。『神田鶴八鮨ばなし』(新潮文庫、二〇〇三年)の
師岡幸雄親方の下で16歳の頃より修行を積んだ石丸久尊氏が握る江戸前鮨の店。色川武大や山本夏彦が贔屓だったという。岸本氏も山本夏彦をよく見かけたそうだ。ご主人は和服姿で淡々と握る。煮物、焼き物もほどよくさっぱりと上がっている。

新橋鶴橋を出て銀座へ戻る岸本氏。「ジュースを飲みましょ、ジュース」と言いながら連れて行ってくれたのが、銀座六丁目「BAR保志」。生トマトのブラディメリー、スコッチのハイボールなど堪能する。初日の前日から、ちょっと飲み過ぎ。