四月二十五日(木)くもり
京都駅午前十時三十四分発のひかり一一四号に乗車。東上の途につく。車中では団鬼六の『蛇のみちは―団鬼六自伝』(幻冬舎アウトロー文庫、一九九七年)を読みふける。前日、近所のブックオフで買ったもの、百円。同じシリーズの『真剣師小池重明』がめっぽう面白く書けていたので期待したが、自伝としてはやや物足りないにしても、とにかく読ませる。彼のエロ映画プロダクションで働いていた「たこ八郎」のくだりにはとくに興味を覚えた。かつて私が銀座四丁目の銀座通りに面した玉屋の一階にある画廊で個展をしていたとき、おそらく一九八一年だろうが、たこ八郎が正々堂々と(まさにそんな感じだった)入ってきて、帽子を取って深々とお辞儀をし、「すみましぇん、この画廊はどこにあるんでしょうか、教えてくだしゃい」と尋ねたときの情景がまざまざと思い返された。
東京駅午後一時十八分着。ホームで生田誠氏が待っていてくれる。東京滞在中は氏のアパートに泊めてもらう手筈になっていた。新聞記者の生田氏は、この日、夜勤当番で、午後五時から新聞社に詰めていなければならないので、先にアパートまで案内してくれるという。東京駅から成田エクスプレスに乗って、錦糸町で総武線に乗り換え、小岩で下車。歩いて五、六分のところに氏が一人で住んでいるアパート、シャトー・デ・サンティールがある。1Kだから広くはないが、とにかく、二人が枕を並べることはできる。昨年来、氏の興味は絵葉書に集中しており、およそ一年間に二万五千枚の絵葉書を集めたという話である(正確に数えたわけではないそうで、実際はもっとあるかもしれない)。部屋に五本ある本棚のほとんどの部分が絵葉書のファイルまたは絵葉書の詰まった特製のプラスチック容器で埋まっている。荷物を置くひまもあろうものか、さっそく絵葉書を取り出して次々と見せてくれる。日本絵葉書会なる友好団体まで立ち上げてしまったそのパワーは止まるところを知らないようだった。むろんこちらも予めそのことは分かっていたので驚倒するほどではないものの、ここまでとは思っていなかった。だから、にぎやかしにと、京都から手土産として何枚かの古絵葉書を持参したのだった。中の一枚は使用済みの小林かいちである。「へえ、使ってるのもあるんですね」などと言いながら、本棚から一冊のファイルを引き抜くと、そこにはビアズリーばりの小林かいちシリーズ絵葉書がずらり揃っているのであった。一枚一万円でも不思議ではないくらいの品物だという。持参したのは一九八七年に年賀状代わりに石川古本店から林に宛てられたもので、かいちについてはまったく知らなかったのだが、ちょっとステキだと思ってずっと取っておいたのだ。使用済みは「まあ、二千円というところですか」なのだそうだ。うーん、まいった。
小岩からふたたび都心に戻り、出社する生田氏と東京駅で別れて、銀座へ出る。銀座汲美という画廊でやっている平井勝正さんの水彩画の個展を覗く。初個展とは思えない質の高さに感心する。続いて、並木通り五丁目の画廊「空想・ガレリア」へ。一九九九年六月にここで個展「書物の肖像」をやらせてもらった。久しぶりで主の肥後静江さんにお会いする。ガレリアはエレベーターのない六階、石の階段を上る途中、四階あたりに休憩用の小さな丸椅子が置いてあるということでも知られている。いよいよ、七月からこの由緒ある坂口ビルも取り壊しにかかるそうだ。肥後さん、画廊をその後どうするかは、まだ決めていないとのこと。洲之内徹の現代画廊に勤めて以来、「もう、ずいぶん長くやってきたから……疲れちゃった」とおっしゃっていた。
日比谷線で六本木へ。明後日から個展を開くギャラリー柳井へ向かう。六本木駅を出てアマンドの角を芋洗い坂を降りきると、かつてはうっそうと樹木を茂らせた大きな屋敷とスウェーデン・センターが目に入ってきたのだが、今は森ビルがその一帯を買い占めて高層ビル群を建設中で、すでにほぼ全容が現れている。工事現場の前を通り過ぎてすぐのギャラリー柳井に到着。会場はちょうど絵の飾り付けを終わったところだった。まずまず、悪くない。閉店後、五月にちょうど四十歳になる柳井氏と二人で近くの「手羽からもんも」で軽く前祝い。大江戸線の麻布十番駅から両国まで乗り、数百メートル歩いて総武線に。小岩へ戻る。午後十時前だったが、車両は立っている乗客でギュウ詰めなのに驚く。
四月二十六日(金)くもり
朝から冷え込んだ。九時過ぎに生田氏と一緒に出発。お茶の水駅で下車。ホームが狭い。そこに人が溢れていて、神田川へ転落しそう。駅前でタクシーを拾い、一ツ橋の日本教育会館へ。神田の古書会館が工事中なので、このビルの六階を借りて毎週末に古書市が開かれている。今日は「ぐろりあ会」というグループ。午前十時会場の十分前、すでに五十人以上の人たちが並んで待っている。ほとんど中年から老年の男性。色気のないことはなはだしい。部屋はさほど広くはないが、品物はけっこう安くていいものがあるようだった。ざっと廻って、アルカディア書房の出品から何冊か購入。ウォルター・スコットの小説『THE
TALISMAN(護符)』 (ハーパー兄弟社、一八七八年)五〇〇円、『婦人画報』現代日本令嬢号(東京社、一九三四年一月号)二〇〇円、高木卓『血と血』(八雲書店、一九四八年)一〇〇〇円など。『血と血』は装幀が蒐集対象の「岡村不二」なので思い切って買った。一時間ほど物色ののち、絵葉書に血眼の生田氏は紙ものの多いRBワンダーへ。お供のこちらは、敗戦直後の漫画雑誌『VAN』(イヴニングスター社、一九四六年五月号)一〇〇〇円を発見。これは前から欲しかった一冊。横山隆一の黄色い表紙が鮮か。表紙をめくると、乳房もあらわな女性の写真が大きく載っている。キャプションが「裸の政治」……どうみてもただの「裸」だが。奥付を見ると、発行所住所は銀座六の三、交旬社ビルである。このビルも取り壊わされてしまう。同じく敗戦直後の『日米会話手帳』(科学教材社、一九四五年)二〇〇円。当時ベストセラーになった本当に小さな手帳。科学教材社とは誠文堂新光社の傍系会社で、実体は誠文堂新光社の小川菊松が出張先の房州で玉音放送を聞いた帰りの列車で思いついた企画である。ねらいは的中、三百六十万部を売りつくしたという(小川菊松『出版興亡五十年』誠文堂新光社、一九五三年)。『日米会話手帳』巻末の凡例を読むと、すべての人々の要求に応じる語句を盛り込むことはできないので「各人が必要とする語句を書き入れるための空白を設けた」と人を食った言い訳が書いてある。「一夜で和文の原稿を作」(『出版興亡五十年』)ったのだから、単なる推敲不足による「メモ」スペースであろう。なんともしたたか。ところで、『VAN』の記事のなかに、三越の店員が、いったいアメリカ人は何を買って行くのか、という質問に答えて、「日本語を勉強する本があれば随分売れますね。日本語は三週間で覚えられるとか、日本語独習書といふやうなもの」と言っているのは面白い。占領する方もされる方も、まずは言葉の理解から、だろうか。
そこを出て近くのセルフサービスのコヒーショップで一休みしていると、帝塚山学院大学の山田俊幸さんがひょっこり入ってくる。絵葉書会のメンバーであり、『一寸』という美術資料系の同人雑誌の同人であり、関西でやはり生田氏の提唱で美術系の古書好きたちが不定期で開いている「見せっこ会」の参加者でもある。小生もその末席を汚しているが、山田先生の精力的な資料蒐集には脱帽するほかない(そんな人ばかりである)。今日もぐろりあ会には一寸の同人たちが集合しているとのことだった。
生田氏と都営三田線の神保町駅で別れて五反田へ向かう。三田で京浜急行に乗り換え、うっかり泉岳寺で乗り換えるのを気づかず、青物横丁まで行ってしまって引き返す。地下鉄五反田駅を出て数分歩き、南部古書会館で開催中の古書市「本の散歩展」をのぞく。一階が二百円ていどの均一本ばかり。『図書券三〇年のあゆみ』(日本図書普及株式会社、一九九〇年)をピックアップ。図書券が五百円券と百円券なのは六百円以上の商品券は課税対象になるからだそうだ。もっと買いたいのをぐっとこらえて階段を上る。今日は二階で時間を使うと決めていた。ちょうど月の輪書林高橋夫妻がレジのところに並んでいたので挨拶する。「えっー、林さん! どうして?」と、二人はとてもびっくりした様子。昨年、京都で会って以来のことだ。「明日から個展なんですよ」と説明して、まずは会場をゆっくり見て回る。すぐに『みづゑ』一九四一年四月号(春鳥会)を発見、五〇〇円。松本竣介の論文「生きてゐる画家」が掲載されている号で、専門店の目録なら四〜五〇〇〇円は付いているだろう。続いて『婦人の生活』第一冊(生活社、一九四〇年)、佐野繁次郎関連資料のひとつ。カバーがないのが残念だが、初めて出会ったのでとりあえず購入。柳宗悦訳『ブレークの言葉』(叢文閣、一九二一年)裸本、五〇〇円。その他、『女学世界』(博文館)、『文芸市場』(文芸市場社)、『文学時代』(新潮社)、『ホリゾント』(ホリゾント社)、『ディスク』(グラモヒル社)、『風雪』(風雪社)、第三次『文学生活』(新文化社)、『面白半分』創刊号(面白半分)など雑誌を買いあさる。いずれも状態がやや悪いので数百円から千円まで。けっこう満足して、ふと見上げると、すぐ隣りで、なないろ文庫ふしぎ堂の田村七痴庵さんがピンクのフェルト帽を被って本の補充をしていた。あわてて挨拶する。田村さんは古書の情報雑誌『彷書月刊』のイメージ・キャラクターでもある(創刊二〇〇号記念号の表紙にはこの帽子を被ってお辞儀している田村さんが印刷されている)。
仕事中の月の輪さんを無理に誘って田村さんと三人で近所のカフェへ。田村さんはさっきまで坪内祐三さんと昼飯を食べながらビールを飲んでいたと言いいながら、さらにビールを二杯お代わりする。月の輪さんは、今朝、市場(古書業者の交換会)で戦争中に徴用された学徒たちが書いた日記のひと山が欲しくて、必ず落札しそうな値段一六九九九九〇円の札を入れようか、どうしようか、かなり迷ったあげく、結局、断念したという話。「今日はなぜだか、自制がきいたんですよね」。そのときに書いたという札を見せてくれる。最低から最高額まで五段階の値段が記されていた。「支払いはひと月後でいいから、恐いんやな、数字書くだけで自分のもんになるから」と田村さん。もしすぐに買い手がなければ、借金地獄に落ち込むというわけだ。月の輪さんのメモはどの値段も末尾が「九九九〇」になっている。「それをヒゲっていうんや。人によってヒゲが決まってて、ぼくは七七七、なないろの七。数字見ただけでも誰が札を入れたかだいたい分かる。ヒゲを付けん人ももちろんいるけど」。なるほど、なるほど。
『彷書月刊』二〇〇号(二〇〇二年五月)の案内欄に高輪の書肆啓祐堂で西脇順三郎展が開かれているとあったので、南部古書会館を出てJR五反田駅から品川駅まで足を伸ばしてみる。以前から一度覗いてみたいと思っていた古本屋さんだ。最寄りは品川駅とだけ覚えていた。駅前から住所表示を頼りに高輪プリンスホテル、衆議院議員宿舎を横目にやっとの思いでたどりつく。後で地図を見たら、都営浅草線高輪台駅の方がよほど近かった。ビルの一階、ウナギの寝床みたいな細長い店だが、書斎的な心地よい空間になっている。奥の四畳半ほどが展示スペース。開催中の西脇順三郎展は、水彩、デッサン、水墨、エッチング、自筆葉書、関連著作などかなり質の高い展示。酒井氏コレクションが中心だとか。書店の方をゆっくり見る。文学書を中心にした趣味のいい棚作りだ。柱に戸田勝久さんの書店の絵。『古くさいぞ私は』の署名本が三五〇〇円で出ている。欲しかったが、結局は、五反田でかなり買ってしまっていたので、須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』(文藝春秋、一九九二年三刷)五百円、でお茶を濁すことに。レジで精算して出ようとすると、署名を求められ、ご主人がその名前を見て、「スムースの林さんですか?」。お茶飲みねえ、ビール飲みねえ、ということになって、こちらも、後は小岩へ帰るだけだったので、つい長居してしまう。『sumus』も同人の松本八郎氏が持参したものが並べられていた。
ご主人の杉本光生さんは電機会社、運送会社を経て停年退職後、二年半ほど前に、この店を始められたそうで、まだ棚の九割はご自分の蔵書だという。そう聞けば、まったく荒れた感じがないのもうなずける。啓祐堂でも『LE
CARROSSE D'OR(黄金の馬車)』という瀟洒な雑誌を発行しており、出来たばかりの第四号をいただく。杉本さんは、「そうだ、編集長を呼びましょう!」と、岩田和彦氏を携帯で呼び出す。仕事が入っていてすぐには来られないとのこと。その間、西脇の作品に囲まれて、椅子を占領、缶ビールを飲みながら、次々に出入りする人々と適当に応対。画廊めぐりは年季が入っているのだ。コレクターの酒井実通男氏をはじめ、日本の現代詩を翻訳しているという米国人テイラー・ミニヨンさん、詩人、銀座の画廊主、大学教授などなど、高輪らしい(?)客層。岩田氏より電話があって、近くの居酒屋に来ているというので、常連のお客さんに案内してもらう。岩田氏はディスプレーの仕事が本業。昨年、大阪へ出張したついでに、京都へ来て、湯川書房でいっしょに話し込んだ仲。お笑い、落語、ジャズが好きで、『笑息筋』(東京コメディ倶楽部)というミニコミにエッセイを連載している。プリンスホテルのメリディアンへ移って十時頃まで。
四月二十七日(土)くもり
十時半、画廊着。初日だけに来客が絶えない(売れ行きもまずまずで、一安心、初日が勝負なんですね)。ダイヤモンド社の長井弘勝さん見える。岡崎武志『文庫本雑学ノート』(ダイヤモンド社、一九九八年)の担当編集者。私も『ニッポン文庫大全』(ダイヤモンド社、一九九七年)のときにお世話になり、さらに『ニッポン文庫大全2』(正式タイトルはまだ知らない)にも執筆させていただいた。ただし、これは遅れに遅れている。まだ、もう少しかかるらしい。長井さん、画廊に置いていた拙著『喫茶店の時代』(編集工房ノア、二〇〇二年)を手にとって、「マネしましたね、ふふふ」と笑う。さすが、お見通し。本文の組み方は『文庫本雑学ノート』をそのまま参考にさせてもらったのである。「まあ、こっちにもタネ本があるんですがね、ふふふ」。
芳名帳を見ると、古書店グラフィティの池谷伊佐夫さんが来られていたことが分かる。以前一度お会いしたことがあるのだが、他の人との対応に手一杯で、気づかなかった。
『sumus』9号でインタビューをお願いした稲村徹元さん見える。書痴として知られる斎藤昌三に学生時代より親炙し、戦後、国会図書館開設以来、司書として四十二年間勤められた方である。これまでもいろいろご意見をいただいており、相当な方だとは感じ入っていたが、インタビューの内容を読むと、じつに深く広い書物に対する知識と経験をお持ちである。お会いしたご本人はいたって実直なご様子、いっそうのファンになった次第である。
山本陽一さん来廊。『sumus』に拙文「甲鳥書林周辺」を発表したところ、堀辰雄の引用文中に古印の誤読があることを教えてくださった。以来繁く文通。篆刻、書を良くされるのみならず、木山捷平をこよなく愛し、現在は神奈川近代文学館の資料調査などに協力されているとのこと。ちょうど「夏目漱石展―21世紀のことば」が今日から開催されており、チケットもいただき、丁寧な地図まで書いて下さったのだが、個展の会期中にはどうにも動きがとれない。残念至極。
近代ナリコ(こだい・なりこ)さん来場。驚いたことに宇野亜喜良さんが同道。近代さんは『モダンジュース』という素敵なミニコミを発行している、やはり素敵な女性、『sumus』同人扉野良人君の奥さんでもある。京都在住なのだが、弟さんの結婚式でこちらへ来ていたとのこと。大江戸線の麻布十番で降りて、道に迷ってしまい、六本木五丁目にスタジオのある宇野亜喜良さんに電話して尋ねたところ、すぐ近くだったので、宇野さんが連れてきてくれたそうだ。彼女たちが『モダンジュース別冊・宇野亜喜良の世界』によってミニコミ界のドギモを抜いたのは記憶に新しいところ。私自身はむろん宇野さんとは初対面(作品はずっと気になっていたが)。白の綿シャツにブルージーンズのいでたちが身についているのは、意外のようで、納得の自然体。言葉つきも控えめな「すてきなおじさま」(近代ナリコ)。じっくり絵を見てくださって、地塗りなどについて質問あり。そこへ岡崎武志氏来廊。ここへ来る前に寄った古書展で宇野さんの本を見つけ、買おうかどうしようか、迷って買わなかったそうで、「買うてたら、サインしてもらえたのになあ」と後でこぼすことしきり。
松本八郎さん見える。本業はグラフィックデザイナーだが、数年前より、近代日本文学のマイナー作家を発掘して「EDI叢書」という名のもとに続々と刊行している伝説的人物。その造本へのこだわりは尋常ではない。近頃、『サンパン』という文学マニア雑誌を再開させたばかりで、小生も同人に加えてもらっている。
坂崎重盛さん見える。快著『蒐集する猿』(同朋舎、二〇〇〇年)に続いて『東京本遊覧記』(晶文社、二〇〇二年)を上梓されたばかり。ステッキ、ひょうたん、宝船、砂目石版画、影絵などに偏執的興味を抱く。本業は散歩、じゃなくて書籍編集。つづいて西村義孝氏。吉田健一本の蒐集家。いわゆるメル友の初対面。メールで届くその購書パワーには圧倒され気味である。古書目録に吉田健一の名前を見つけると、注文葉書まとめ出しをやるという。同じ本の注文はがきをいっぺんに何枚も投函するのである。最高三十枚書いたそうで、さらにどうしても欲しい本の場合には、どうしてその本が欲しいのかという理由をワープロで打ち出し、それを手書きで清書して古書店主宛てに送るのだそうである。嘆願書攻撃だ。ふつう重複注文は抽選になるのだが、そこまでやると、優先的に回してくれる可能性が高いともいう。つづいて河上進氏。雑誌『本とコンピュータ』編集長。氏の八面六臂的活躍はここでは書ききれない。9号より『sumus』同人にもなった。とにかくえらく勉強家で引き出しもたくさん持っているので心強い。ただし、忙しすぎるのが玉にキズ。やはり『sumus』同人の荻原魚雷氏来る。毎日新聞社学芸部書評係の仕事をしている。明日の日曜書評欄出る拙著『古本スケッチ帳』(青弓社、二〇〇二年)の紹介記事のコピーを持参してくれる。カバー・デザインが良い本ということで取り上げたい旨、上京前に電話取材があったのだ。持つべきものは同人と思ったのだが、荻原氏はまったく関知していなかった。新入社員の女子が選んでくれたのだそうだ(素直にうれしい)。
閉廊の少し前に生田氏、『彷書月刊』の発行人鈴木恵里子さん、編集員の皆川秀氏が駆け込んで来る。これで総勢十一人、柳井氏と一昨日飲んだ「手羽からもんも」へ繰り込むことに。画廊から数十メートルの距離だが、私が店の名前を間違えて、先行した人たちを余計に歩かせてしまった。何故か、このとき、店の名前が覚えられなかったのだ、面目ない。予め適当な人数で予約してあったので、多少詰め込み気味に、なんとか全員で細長く卓を囲むことができた。「手羽から」という鶏手羽にやや甘いタレをからめて焼き、胡麻をまぶしたもの、および「もんも焼き」という、きしめんのような麺を円盤状にしてお好み焼きのように軽く焼いたものがこの店のスペシャリティだ。考えてみれば(考えるまでもなく)店の名前はここからきている、簡単じゃないか。何はともあれ、松本氏の音頭でカンパイ。プハーッと一息ついたときに、生田氏がおもむろにミューズ石鹸の長細いブリキ缶を取り出した。昼間、絵葉書仲間の交換会で安く仕入れたそうで、缶の中には、剥がしたマッチラベルがぎっしり詰まっていた。「みなさん、お好きなものをどうぞ、座興に提供します」とは気が利いている。あまりにたくさんあるので、こちらは適当に喫茶店のラベルを数枚もらって順に廻して行く。
これだけメンツが揃えば、成り行きとして、『彷書月刊』の編集会議の様相を呈してくる。岡崎、河上、近代の各氏は連載記事をもっているし、松本、坂崎の両氏と林も寄稿している。こんな特集がいい、こんなのはどうだ、といった、無責任アイデアが飛び交う。つい、林が「表紙よくないよ、なんとかしたら」と日頃感じていたことを口走る。実質的に編集の中心である皆川氏は一瞬けげんそうに、「え、良くないですか?」。酒の勢いもあって、あれこれ気にいらないところをあげつらう。「そうですか? 良くなったっていう意見もあるんですけど……」とやや小声で反論。近代さんが『モダンジュース』の白い表紙が書店で目立つのだと言い、文字の専門家である松本さんは『彷書月刊』初期の題字はすばらしいと言う。皆川氏は最近の表紙は「書店では受けがいいんですよ」と持ちこたえる。「それじゃ、ここにいる人で、今の表紙がいいと思う人、いますか?」と林がテーブルを見回して挙手をうながす。しかし、実際これは調子に乗りすぎた。誰も手を挙げる者はいなかったにせよ、悪ノリである。「う〜ん、そうですかね」と困惑の皆川氏。見かねた坂崎さんが「人の意見なんか聞かなくていいんだよ、思った通りやれば」と助け船を出す。たしかにその通り。アンケートや人気投票で雑誌の編集方針を決めるなんてのは下の下だ、と常々思っているので、こちらは一言もない。編集会議はその辺りで打ち止め、岡崎氏が九月にパリとベルギーへ古本を求めて旅に出るという話題へ転換し、森本レオのマンションに入り浸っているミュージシャンこと荻原氏がワイドショーの裏話などを披露してくれた。さらに河上氏はなんと東京大学でミニコミ論の講義を始めたと白状する。たしかに打ってつけの人材だが、意表をつかれた。生田氏は『sumus』で次に予定しているスクラップ・ブック特集が邪道だと言い出す。「本についての雑誌なんですから、一点ものはダメですよ。スクラップ・ブックは個人的なものでしょう、この世に一点しかないんじゃ、面白味がないじゃないですか」。一理はある。しかし、もうインタビューも河上・扉野コンビが済ましてあるので変更するわけにはいかない、「そうかなあ、スクラップ・ブックいいじゃないですか」とやんわり反論しておく。すると河上氏、「じつはこういうものを用意してきたんですが……」と言いながら企画書を取り出し、同人に配る。なになに、「実用書を超えた実用本たち」とな、面白いじゃないか。同人たちも、さすが、という顔をしている。各同人が実用書について何を書くのかまで割り振ってある、このへんがリアル編集長だ。林はと見ると、「作家が書いた囲碁・将棋指南書」とのこと、うーん、囲碁はどうかなあ、などと思う。こんな調子で十時ごろまで賑やかに過ごして、支払いは税とも三二〇〇〇円。小岩へ帰って、生田氏は明日四時起きだというので即就寝。
四月二十八日(日)晴れ
午前四時十五分、目覚まし時計が鳴り響く。生田氏は四時四十九分小岩駅始発の電車に乗るべく出発。新聞記者は大変だ、というわけではなく、原宿、東郷神社の骨董市へ駆けつけるのだった。こちらは八時半まで寝て、東急文化村ザ・ミュージアムの「タンタンの冒険」展へ。妻がタンタンのファンで、ポスターを買ってこいという命令を受けていたし、昨日ちょうど岡崎氏にチケットをもらったこともある。十時開場の十分前に到着。行列ができているのでギョッとした。ざっと百人以上はいる。ほとんど女性。そんなに人気があるとは知らなかった。諦めようかな、と思いつつ、最後尾に近づくと、係員の青年が「どちらへ?」と尋ねるので、タンタンの入口を教えてもらう。行列を横目に建物の中へ進んで、ガラス扉のところまで来ると、待っているのは子どもを連れた一家族だけ。やれやれ。行列の女性たちは、パリのオペラ座のダンサーたちを描いた映画「エトワール」(ニルス・タヴェルニエ監督)目当てだった。十時開店、急いで入場、さっと展示を見る。原画はさすが見事。手塚治虫もかなり強く影響を受けているようだ。ところが、ポスターも図録も用意していない。ポスターは駅張り用のみとのこと、残念。会場案内のタンタン・マップ新聞(一〇〇円)と絵葉書をまとめて購入。グッズはタンタン・ショップでも買える。
十一時前に画廊着。昨日、高見夫人が差し入れてくれた弁松の赤飯弁当を食べる。冷えていてもおいしい。画廊の女の子に「毎日新聞」を頼んだが、コンビニには朝日と日経しかなかったし、地下鉄の売店は休みだったといって、手ぶらで帰ってくる。身長一七五センチのスラリとした女の子、画廊週三日のほかにモデルのバイトもやっているそうだ。広末凉子をマイルドにしたような顔立ちで、よくぞここまで育ったというくらい手足が長い。その日は、黒のタートルネックのサマーセーターに深紅のプリーツ・スカートだった。「赤は兵隊、黒は僧侶……」などとつぶやいてみるが、反応なし。来客きわめて少なし。ひょっこり越川倫明氏、もうすぐ三歳のお子さんをベビーバギーに乗せてやってくる。上野の西洋美術館で学芸員を長く勤めたのち、駒場の東大で教えていると聞いていたが、今年から東京芸大の芸術学科に転職したのだそうだ。「東大はエリートばかりで肌に合いません」などという彼も開成―東大コース。大昔、彼が学生だったころ、アテネ・フランセでフランス語を習っていたときに知り合った。ヨーロッパ放浪から帰ったときに彼の下宿に泊めてもらったのと、京都に一度遊びに来たくらいで、その後は、個展のときにたまに会い、賀状のやりとりをするていど。顔を見るのは十年ぶりぐらいだ。お互いに「変わりませんね!」。奇遇にも生田氏と同級生だという話、東大が芸大を吸収しようとしたが、平山先生を担ぎ出して阻止した話など。西野嘉章氏と親しいそうで、『装釘考』(玄風社、二〇〇〇年)をもらったという。西野氏にはお会いしたことはないが、『装釘考』には私の名前もちらっと出てくるのだ。世の中は狭い。
今晩は河上氏宅にお邪魔する約束になっていた。あまりに来客がないので、一時間ほど早く切り上げて、最寄り駅である西日暮里へ。駅から電話して、迎えを待つ間に、改札口前の売店で「毎日新聞」を購入。当たり前だが、ちゃんと掲載されている。河上氏のマンションは駅から五分とかからない。開成学園高校に隣接している。学園祭のときには模擬店にいい本が売りに出るんだそうだ。マンションの玄関には備え付けの郵便受けとは別に、床に河上家手製の郵便ボックスがデーンと置いてある。予想通り、部屋の中は天井まで書物で埋まっており、わずかな隙間で奥さんの内澤旬子さんにあいさつするヒマもあろうものか、チェコの本がどんどん出てくる。どれもこれも楽しい図案のものばかり(文字はさっぱり読めないから、そこに感心するしかない)。さらに大枚三十万円をはたいて、奥さんに内緒で(といってもメルマガでは堂々と公表してたけど)購入した江戸川乱歩『貼雑年譜』(二分冊、東京創元社、二〇〇一年、乱歩手製のスクラップブックの完全複製版)を見せてくれる。これ以上できない、というくらい凝りに凝って原本の再現に務めた傑作。例えば、二重貼り込み、すなわち台紙に貼った記事の上に重ねて貼り付けてある紙片などは、同じように別に印刷して貼ってあるのだが、裏に何も印刷あるいは筆記されていなくとも、白紙の状態をカラーで再現しているのだ(時代がかって黄ばんでいたりする)、なんとも驚くべき執念、よくぞ出版にこぎつけた、と感嘆するほかない書物である。他に見せてもらったなかでは、虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)宛ての植草甚一葉書ひと袋が印象に残っている。例の縁飾りを色マーカーで手書きしたものなどもあり、興味は尽きなかった。たしか最近、どこかの古書目録にも虫明宛ての葉書などが出ていたようなので、遺族がまとめて処分したのだろうか。惜しいことである。虫明は重要な作家のひとりと思われるのだが。なお亜呂無は本名。拝見の時間が済んで、河上氏が手ずから揚げた牛肉の唐揚げ(むろんそれ以外は旬子さんの料理)などの夕食をごちそうになってから、拙著『喫茶店の時代』の註についてインタビューを受ける。河上氏も本文より註や参考文献リストにより深い興味を抱く種類の人間らしい。ほとんどその場の思いつきで応えてしまう。けっこういい加減な男なのである。「書評のメルマガ」に発表されるらしいが、有り難いと同時に、申し訳ない気もする。とにかく河上氏の書斎は本が間仕切りであり壁であり、床であり、テーブルである、そんな状態なのだ。「これだけ本があれば、このなかから喫茶店の記述だけ集めて、あと二、三冊の続編が書けるよ」と冗談めかして本気で驚いたくらい。旬子さんが童話を執筆している雑誌『おおきなポケット』(福音館)一月号をいただく。十一時に辞去して小岩へ戻る。
12月18日(水) 京都駅9時50分発ひかり148号で東京へ向かう。サラリーマンでほぼ満席。半数以上の人は雑誌か新聞か何かを読んでいる。こちらも、今日の車中本は金子光晴の『詩人』(旺文社文庫、1975)だと決めて鞄に入れてきたが、つい自分の本『喫茶店の時代』を取り出して読み始めると、けっこう面白い。思わず、新横浜まで没入してしまった。けれど、あ〜あ、誤植2箇所発見。弁当を食べ終わった頃、東京駅着。有楽町で降りて、松屋へ。地下食料品コーナーで、家内に頼まれた土産、テオブロマのチョコレートとキャンティのクッキーなど買う。これで、帰り際に慌てずにすむ。
17時ちょうどに市ヶ谷駅改札口で南陀楼綾繁氏と待ち合わせているのだが、まだかなり時間があるので、銀座の画廊にちょっと立ち寄ってから、四谷の蒼穹舎へ向かう。丸ノ内線一本、四谷三丁目下車、新宿方面へ数分歩いて路次入るスグ。高層ビルの陰の古めかしい、味のある建物の二階で、大田通貴さんが、写真のギャラリーを営むかたわら、写真関係の古書を販売している(四谷4の10メイプル花上2F、電話3358-3974)。こぢんまりしたスペースをうまく使っている。壁面の裾にずっと古書の棚を低くめぐらせて、上部は展示面にしてある。中居裕恭氏の個展をやっていた。故郷八戸の町をずっと撮っている作家だそうだ。写真集では森山大道を核としてすき間なく集めているという感じ。目配りがいい。値段もキチンと付けてある。写真関係以外では、マンガ(つげ忠男が目に付いた)、サブカル系の雑誌など少しある。いま、日本文学の全集モノがメチャ安いという話題で盛り上がる。欲しいには欲しいが全集はとにかく置き場所に困る。大田氏の自宅には純文学系の書物が堆積しており、崩壊寸前らしい。そっちもここに並べたら、と水を向けてみるが、売り物にはしないそうだ。売るのは写真集だけで十分です、とのこと。いろいろ目移りしたが、結局、写真集ではなく、草森紳一を一冊購入。
17時05分、市ヶ谷駅改札で南陀楼氏と合流。内澤旬子さん、少し遅れて到着。なんでも大宮の先まで雛人形の取材だったそうだ。雑誌の仕事は季節が前倒しになってしまう。彼女の気分は春満開(?)。JR中央線に乗り、国立へ向かう。南陀楼氏は、私がお土産がわりに送っておいた神戸の『一栄堂書店古書目録』を持参している。いたく気に入ったようすで、興奮気味にその内容について内澤さんに語る。こどもが念願の玩具を手にして舞い上がっている、それを母親がかるく受け流している、そんな二人のやりとりなのであった。(2003年の年頭に、南陀楼氏は『モクローくん通信』なるフリーペーパーを創刊した。これがメチャメチャ面白い。そこで『一栄堂書店古書目録』は名誉ある第一回「今月の目録大賞」に選ばれている。興味ある方は
<kawakami@honco.net>までどうぞ)。
今日の目的は岡崎武志氏の新居を訪問すること。私は泊めてもらうことになっている。国立駅から三人でタクシーに乗り、国分寺高校正門前下車。それにしても国立の北側はすっかり変わった。といっても私が知っているのは三十年近く前の様子である。その頃は畑しかなかったような……。タクシーの運転手が「正門前ですね」と何度も念を押す。そう言われても、初めて来たんだから分からない、正門前と言うように指示されたんだから正門前だと答えるしかない。しかし、本当に正門の真ん前、だった。お洒落な建て売り住宅。玄関前庭はまだ完成しておらず、青いビニールシートがかけてある(土壌改良中だということが後で判明)。この家を買うのに二十年のローンに突入したとか、私には想像もできない一大決心だ。筆一本のフリーライターとしては、よく今どきの銀行がお金を貸してくれたものだと、そっちの方が不思議だったが、過去五年の収入実績から、借り入れすることができたのだという。よほど頑張っている証拠。頭が下がる(でもあまり無理しないように)。
さっそく何はともあれ、岡崎氏自慢の地下書庫を拝見する。この地下空間があったからこそ、ここに決めたんだというだけのことはある。三つの部屋がコ―の字形(コの字じゃないよ、コ―ですよ。コと―がひっついた形)に連結している。転居から一月あまりだろうか、もうすでに書棚はほとんど埋め尽くされ、床の上にも積み上げられている(以前のアパートにこれだけ収まっていたと考えると、ちょっと恐い)。入ってすぐ右手正面の文庫専用本棚は圧巻、中公文庫がずら〜り。タイトルによっては、同じ本が四、五冊もあるのが岡崎流だ。(そうそう、sumus次号はまるごと中公文庫特集です!)。南陀楼氏は興奮しまくり。ざっと2万冊はあろうかというからすごい。ちょっとした古書店の雰囲気はできあがっている。すぐにも開店可能だ。古書店と違うのは、当たり前だが、商売抜き、岡崎氏の眼と手によって選ばれた本ばかり揃っているということ。純粋なのである。ただし、奥方から、地下室より上の階には本を置かないで、と厳命されているのだとか。う〜ん、この部屋がいずれ古本で埋まって立ち入れなくなるのも時間の問題だろうか。
ビールで乾杯、お寿司、奥方の手料理を楽しむ。人なつっこいお嬢さんヒナちゃん(小学一年生)が、遊びに下りて来る。岡崎邸は、上述のように正門前の角地に建っているので、毎朝、散歩犬が頻繁に往来するらしいが、ヒナちゃんはその犬たちの名前を飼い主さんたちにいちいち聞いて、すべて記憶しているんだとか。すでに正門前のカンバン娘(?)として近所中の評判を得ているらしい。原稿料の話、ベルギー旅行の話などさまざまに盛り上がって南陀楼夫妻は23時頃に帰宅。こちらは二階の客室で就寝。(岡崎氏、彷書月刊サイトの日記によれば、このあとこの穴蔵で井伏鱒二を夜明けまで読みふけっていたそうだ)。
12月19日(木) 岡崎氏に車で国立駅まで送ってもらう。立川まで買い物に行く奥方も同乗。いま、立川が新宿に次いで中央線乗降客第二の駅となっているらしい。やはり三十年近く前のぼんやりとした印象しかないので、まったくピンとこない。吉祥寺までJRで、井の頭線に乗り換えて駒場東大前へ。そうとう久しぶりで井の頭線に乗った。住宅街を七〜八分歩いて日本近代文学館を訪問。場所はあらかじめ同館のサイトで確認しておいたので易々と到着。東門から入る。初めてなので、受け付けカードに記入し、入館証をもらう。300円を払い、閲覧表とロッカーの鍵をもらう。ロッカーに荷物を入れ、必要品だけを用意された透明な手提げ袋に収めて入館する。検索カードの抽斗がズラリと並ぶ様子は荘厳な感じだ。少なくともこの部屋には入館者用コンピュータ端末は置かれていない。数人の先客がいたが、じつに静かな環境である。さっそく「文章世界」と「文章倶楽部」のマイクロフィルムを見ることにする。全部見たいのですが、と言って、受付のおばさんに、馬鹿じゃないのという顔をされる(被害妄想かも)が、「索引がありますから、これで必要なところを先に調べて請求してください」と、しごく当たり前のことを求められ、差し出された索引で必要な人名「小野松二」を探す。予想以上に数が多い。ていねいに拾ってある。編集は保昌正夫(文章倶楽部)と紅野敏郎(文章世界)。とにかく歌とか俳句はパスして、論文と随筆のような文章だけ閲覧することにする。15時ころまで不眠不休で、おおよそ目鼻だけつける。やっと、昼食おやつ兼用に同館内の食堂でライスカレーを食べて(おばさん二人の掛け合いがナイス)、池袋へ向かう。
西武百貨店イルムス館にある書店リブロへ。拙著『古本デッサン帳』(青弓社、2001)が、いまだに、面出しで飾られていて感動する。(ありがとうございます)。昨年、スムース・フェアーを企画してくれた荒木幸葉さんに面会する。おっとりして、書店員らしくない(?)、とてもいい感じの女性だった。5分ほど立ち話。そのとき「暮らしの手帖」コーナーがしつらえてあったあたりに、スムース・フェアーの本を並べたのだと説明してくれる。「東京人」神田神保町の歩き方・パート3(2002年10月号)を購入。関西では「東京人」の旧号を置いているところはほとんどない。買いそびれていた。地下鉄有楽町線で有楽町へ。国際フォーラムのいかにもバブリーな建物を地下から抜けて一階西側にあるベーグル・ベーグルで休憩。17時30分にそこを出て東京会館に向かう。阪神淡路大震災以降、毎年行われている神戸の「ルミナリエ」と同じような電飾(イルミネーション)が交差点に備え付けられていた(「ミレナリオ」とかいうまぎらわしい名前だそうだ)。
じつは大衆文学研究会による大衆文学研究賞の考証部門で『喫茶店の時代』が受賞した。今回の上京はその授賞式に参加することが目的だ。今夕、その授賞式が東京会館で行われる。堀端にある建物をエレベーターで会場の12階へ上がると、受付の前に立っていた編集工房ノアの涸沢さんとばったり。控え室へ案内される。評伝部門の受賞者高橋敏夫氏がおられて、名刺交換。高橋氏は早大文学部教授で、香川県生まれ(私と同じ)、武蔵野美大にも友人が多い(柏木博氏、村上龍氏などだそうだ)、などということからしばらく雑談。審査員の伊藤桂一氏、早乙女貢氏、清原康正氏なども来られる。少し遅れて、特別賞を受賞された古川薫氏が見える。古川氏は山口県の下関から来れたそうで、早乙女氏が「最近、巌流島はどうなってますか?」などと、さすがに大衆文学研究会だなあ、という話題が自然にでる。早乙女氏は和服姿でなかなかの恰幅だから、ぴったり決まっている。(そういえば、2003年はバカボンド宮本武蔵の年のようである)。鎌倉在住の高橋氏は同じく鎌倉の住人早乙女氏に向かって、「松本清張の『点と線』では鎌倉の方が都心より気温が3度高いという設定になっていますが、今では逆に都心の方が3度高いんです」というような話を展開する。やはり晩年鎌倉に住んでいた中山義秀、自宅の裏山に高層マンションが建ってしまい、それが原因で死期を早めたふしがある、そのビルももう老朽化してしまっている、などという話題も出る。こちらはその方面にまったく不案内なので、ただ黙って、借りてきた猫を決め込む外ない。尾崎秀樹(おざき・ほつき)の妹さん、娘さんが見えて、皆で挨拶をする。大衆文学研究会は尾崎秀樹亡き後も尾崎家を借りて活動しているそうだ。なお、大衆文学研究会については下記のサイトを参照。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shinori7/taisyu_001.htm
18時を回り、うながされて、関係者はそろそろと式場広間へ移動。かなり人数が集まっている。四十年続いている研究会だけあって、年配の方が多い。どうもこういうのは苦手だが、何事も経験経験と自分に言い聞かせる。壇上に立たされて、ひとわたり見回すと、一箇所だけ、必要以上に普段着な空気がわだかまっているところがあった。よく見ると、われらがスムース・メンバーたちではないか。岡崎氏、南陀楼氏、生田誠氏、そしてとびきりフツー着の荻原魚雷氏(松本八郎氏は風邪のためにダウン、よって不参加)。南陀楼氏が手を挙げて合図してくれたので、何だかホッと安心する。式は型通り進み、審査委員の早乙女氏から、というのは会長の石川弘義氏が体調不良で参加されていなかったからだが、審査経過報告、眉村卓氏の挨拶その他が終わり、賞状、副賞(五万円)、記念品(陶板)の授与(伊藤桂一氏による)、花束贈呈、受賞者の挨拶と進む。古川氏は直木賞作家でもあるベテランだ。さすがに板に付いたもの。高橋氏も無難にこなす。こちらは、まったくヒドイ、話しの内容がどうこう以前にマイクの使い方がなってなかった。ほんの1、2分だったが、しどろもどろ。反省しきり。
乾杯が終わって、ようやくリラックス。岡崎氏、南陀楼氏を涸沢さんに紹介する。生田氏はこのあと何か取材があるので早めに失礼しますなどと言い出したところへ携帯が鳴って、彼が取材するはずだった会議はもうとっくに終わってしまったということが判明する。珍しく動揺気味の生田氏だが、立ち直りも早いようだった。南陀楼氏はチェコ語の翻訳家につかまってへきえき顔。荻原氏が都立図書館でバイトしていたことが分かる(彼のバイト人生、奥が深い)。ビールからワインにグラスを変えたあたりで、落ちついてきたせいか、急に空腹を覚えた。ある人は「東京会館ではカレーを食べなきゃだめですよ」と言う。ある人は「それはやっぱりオムレツですよ」と言う。それでは、まずは一人前ずつ目の前で作ってくれるオムレツをもらって、一口食べたところで、「文藝春秋臨時増刊」の編集長高橋氏から声をかけられる。『誤植読本』(東京書籍、2000)も読んでくださっているらしく、「稲垣達郎先生のエッセイに私も登場します」などとおっしゃるが、さっぱり記憶がない(帰洛してから確認すると、たしかに出ておりました)。適当に相づちを打つ。最近号の「文藝春秋臨時増刊」はたしか有元利夫の絵を表紙に使っていたことを想い出し、そちらへ水を向けると、「そうなんです、物故作家の絵を表紙に使うのはタブーだとされているんですけれど、宮本輝さんを担当していたときにお世話になりまして、宮本先生がたいへん有元さんの絵を気に入っておられたんです」というような耳寄りな話を聞くことが出来た。
そのへんで、テーブルにもどって、まだチェコさんにからまれている南陀楼氏を横目に、もう一口、さめたオムレツを食べようとすると、今度は集英社の「座談会 昭和文学史」担当の高橋氏から声を掛けられる。なんだかとっても「高橋」日和だ。「私は純文学担当ですので、この授賞式には来たことがないんですが…」と切り出し、『喫茶店の時代』を誉めてくださる。「喫茶店は日本特有のモノですから、あなたは世界一喫茶店に詳しい人なんですよ」とか「索引を付けたのがとってもいいですね」とか、有り難いことである。さすが純文学担当だと思ったのは、「あちこち探してないから、注文して手に入れたんですけど、初版が手に入ってよかったなあ」という発言。実のところ、こちらとしては、誤植の多い初版は冷や汗たらたら、お恥ずかしいシダイなのである。
そろそろ引き揚げて間村俊一さんの忘年会に参加しませんか、という岡崎氏の提案で、出かけようとすると、拙著にサインを頼まれたり(いつ、どこで、だれが、なにを式の長々しいヤツ)、それでも愛想良く応対して、どうにかこうにか会場を脱出。ちらりと振り返ると、早乙女先生はお水系と思われる美女を従えておられました。その堂に入った姿は「文士」いまだ健在という雰囲気が濃厚でありました。