京都駅一〇時〇九分発のぞみ四号で上京。小雨。車内の電光掲示板に《レイ・チャールズさん死亡。73歳》というニュースが流れる。「いとしのエリー」がヒットしたのは一九八九年だったか。
新横浜で下車、横浜線、東海道線と乗り継いで、午後二時頃に藤沢着。「聖智文庫」へ直行する。北へ出て徒歩五、六分。
表の百円均一を漁っているとご主人の有馬さんに声をかけられる。再版だが和田芳恵『塵の中』(光風社、一九六四年)が百円とは。店内で藤田嗣治『地を泳ぐ』(書物展望社、一九四二年)の肉筆絵(猫)入りサイン本、関野準一郎制作銅版画蔵書票貼り込み、という珍本を見せてもらう。蔵書票には「一ツ家愛蔵書」(淀野隆三旧蔵)とあり淀野の肖像画が描かれている。「うちでいちばん高い本じゃないかなあ」と有馬さん。
その他、いずれも一癖ある書籍、書画肉筆などが次々に現れ、こちらは唸るばかり。吉田健一、村上龍、武田百合子などの原稿類に混じって洲之内徹の葉書が出てきた。宛先は「株式会社早稲田公論社」昭和40年3月20日の消印。「洲之内が原稿依頼を断ったときのものですよ」、なるほど《小生こゝ二・三年は全く小説を書きませんので、手持ちの原稿というものもありません》云々と書いてある(年譜によれば、たしかに一九六二年に「流氓」を『文学界』に発表して以来執筆はない。ただ、この葉書の翌年、『新潮』に「ある受賞作家」を発表)。「ヤスケン宛てです」と有馬さん(どうやら安原顕没後にどっと市場に出た原稿類のなかから落札されたようである)。これはなんとか欲しいものと思って交渉。譲っていただいた。
鎌倉へ。まだ蕭々と雨が降っている。有馬さんに古本屋地図を書いてもらったのだが、これではしかたがない。一軒だけ「游古洞」という女性店主の店をのぞく。鎌倉駅西口を出て線路沿いに大船方面へ徒歩三分、踏切を左へスグ。骨董や絵画も並べてあり、純文学が中心で値段もそこそこ。何かもらおうと思って迷ったが、結局、内田魯庵『紙魚繁昌記』(書物展望社、一九三三年普及三版)を。「ツンドク先生礼讃」というエッセイが目に止まったので。
その後、二階堂の知人宅へ。江藤淳、久米正雄、小山冨士夫らがかつて住み、今は高橋源一郎宅がごく近くにある。緑に囲まれた、坂の多い、道の狭い、石垣のある住宅地。江の電が昭和三十年に分譲したという。
2004年6月12日(土)晴
朝食をわいわいやっているうちに時間を過ごしてしまう。慌てて東京へ向かう。午後一時に青山ブックセンター(ABC)で南陀楼綾繁と待ち合わせているのだ。横須賀線で新橋、有楽町から千代田線で表参道下車。国連大学の手前で南陀楼に背後から声を掛けられる。たしか去年も同じようなことがあったっけ。ふしぎな男。
ABCはちょっと見には書店とは思えない。品揃えもヴィジュアル重視で洋書も取り揃え、眺めるだけで楽しい店。壁面では鴨居羊子の人形の写真展、ポスター展などが開催されていた。
つづいて南陀楼の案内で根津美術館のすぐ前にある古いビルの二階、「古書日月堂」へ。開店以来、マスコミに露出しつづけているが、たしかにそれだけの内容、ユニークさを備えている。雑誌掲載写真で想像するよりも書棚などの赤色はケバケバしくなく、どちらかというとオレンジ系で暖かな感じだ。品揃えも、まあはっきり言って、カンペキではないだろうか。趣味が貫かれている。最近、印刷関係の品物をまとめて仕入れたらしく、木製ケースに入った活字がたくさん積み重ねてあった。「本」とか「画」とかいくつか購入。
神保町へ。まずは「書肆アクセス」に立ち寄る。畠中さんにご挨拶。『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版、二〇〇四年)が平積み。ここが初売りだ。と、そのとき、お客さんが一冊手にとってレジへ持参。南陀楼は隅のほうでうろうろ。畠中さんが後で「サインしてあげればよかったのに」、「いや、そういうの嫌いな人もいるかと思って・・・」、そんなことないでしょ。
『中国貴州苗族 染織探訪18年 布に踊る人の手』(西日本新聞社、二〇〇四年)を畠中さんよりいただく。苗族の染織のさまざまな技法の工程が写真で示されている。とにかく豊かな自然、すばらしいデザイン感覚。日本の民芸意匠もこのあたりにルーツの一端があるのだろう。
五月に『sumus』の池田文痴庵の連載について問い合わせのお電話をいただいた広瀬さんという方に声を掛けられる。これは奇遇、広瀬さんは林の大学時代の友人(下宿の隣室に住んでいた男)と某有名広告代理店で同僚だった。南陀楼を紹介する、広瀬さんは内田誠のことを調べておられるとか。
アクセスを出て東京堂書店ふくろう店の坪内祐三コーナーをのぞく。なんと坪内さんが店長さんと立ち話中。恐る恐る近寄ると、「林さんの本もここにあるよ」とさりげなく棚の上段を示してくれる。そして南陀楼を店長に紹介。凄腕店長の佐野さんは即決で『ナンダロウアヤシゲな日々』の「サイン本30冊注文します」と注文書にハンコを押してくれる。これでなきゃ。また坪内さんが「月の輪の目録、30冊置いたら、その日のうちに15冊売れたよ」と少々自慢げに。あの白っぽい表紙は新刊書店ではけっこう目立つのだ。その他の本もなるほどと思わせられるものばかり。やっぱり坪内コーナーは渋かった。
喫茶店「ぶらじる」で一休み。珈琲は名前に恥じないがケーキはいまひとつ。
午後四時少し前、いよいよ古書会館へ乗り込む(?)。sumus「小出版社の冒険」展会場は二階になる。中野書店さんとまず挨拶。西秋さん、その他の地下室展の出品店の人たちとも顔合わせ。さっそく展示作業にかかる。松本、藤城さん(EDIスタッフ)、生田、荻原、皆川さん(『彷書月刊』の夷蔵)順次やってくる。午後七時半、いちおう展示および物販の準備は終了。松本は歯の調子が悪いということで帰宅。生田、荻原、南陀楼、林の四人で「こりゃうめぇ」という名前と反対の店でカンパイ。新聞書評の苦労話、古書店の在り方について話がはずむ。
谷中墓地の真ん中にある内澤アトリエへたどりついたのが午後十一時半ごろ。内澤さん仕事中。東京堂書店に依頼されたサイン本の話題。零時過ぎ夫妻は帰宅。林はここに泊まる。
2004年6月13日(日)雨のち晴
早朝、大雨。千駄木の駅のあたりでモーニングセット。前回諦めた洋菓子店イナムラ・ショウゾウはいまだに朝から長蛇の列。鶯谷からお茶ノ水へ。sumus「小出版社の冒険」展、会場の写真を撮る。
地下の古書展をのぞく。ゆったりと並べてあって見やすい。高額商品が目立ったが、かえってじっくり探す楽しみがあるというもの。とりあえず、かげろう文庫の洋書コーナーで下記のものを入手。
SALOME A TRAGEDY IN ONE ACT , OSCAR WILDE , JOHN LANE, THE BODLEY
HEAD , 1908 、500円
これは正方形に近いB6程度の本。ビアズレーの表紙画。
WILLIAM CAXTON, THE FIRST ENGLISH PRINTER: A BIOGRAPHY , CHARLES
KNIGHT , CHARLES KNIGHT AND CO. , 1844 、3,000円
英語活字による最初の書物を印刷したカクストンの伝記。1474年にブリュージュで『トロイ物語』を刊行し、1476年にはロンドンのウエストミンスター寺院内に英国初の印刷所を設けた。モリスのケルムスコット版の文字はカクストンの復興と言ってよいだろう。(abebooks.com
で調べてみると、『CAXTON』は20ドル少々、『SALOME』の方は12ドル程度で、どちらもまあこんなものか、調べは行き届いている)
午後一時を過ぎると人が増えてきて、生田、岡崎、南陀楼が現れ、古書現世向井氏と立石書店の岡島氏、ゴゴシマ屋の石丸女史(新しい『おに吉』をすこし多めにもらう、今度の号も楽しいね)らとあいさつ。西村氏、吉田氏、濱田氏、神戸から大島さんなども来てくれて心強い。三時には階段のところまで人が行列を作っている。椅子を並べて、『彷書月刊』編集長・田村治芳さんの仕切りでお客様を前の方までずっと詰めてもらってなんとか形ができる。田村さんの動きがきびきびしていて驚かされる。芝居の公演なんかをずっとやってきて場数を踏んでおられるそうだ。
坪内さんと月の輪さんも並んで前列に座っているし、知った顔も少なくないが、五十人近くの聴衆が熱心に聞いてくださったのは有難いこと。司会が田村さん。トークするのは松本、南陀楼、岡崎、荻原、生田、林。『ARE』『sumus』の発端から自己紹介、小出版社の展示物紹介、理想の古本屋などについてそれぞれの意見を語る。まずは順調に前半終了。
月の輪夫人が見えたので挨拶する。今回の目録の表紙、本の絵の部分が薄かったかどうかが話題になる。本紙校正(実際に表紙に使う上質紙に印刷した校正刷)はなく、青焼き校正だったので、仕上がったときにはちょっと薄いような気がした。奥さんも同意見だが、月の輪さんは、今の方が絶対いいと主張する。気に入ってもらえれば言うことはありません。
十分ほど休憩の後、フリ市開始。振り手は田村さん。最近は業者間でもあまり振り市は行われなくなっているそうだ。入札の方が時間と手間が省けて合理的だということなのかもしれない。京都の青空古本まつりでは毎回公開オークションが行われていて、フリの楽しさは知っているつもり。盛り上がりは振り手の口上しだい。田村さん、さすがの名調子。本を取り扱う手つきも手品師のようだ。(なお現在発売中の『本とコンピュータ』夏号に「振り市」の様子が上手に紹介されています。p149)
岡崎が自分の持参した本を自分で紹介した以外は田村さんが見事にさばき、買い手がつかなかったのは二点だけ。麦書房の雑誌『本』の揃いはけっこう白熱した。明らかに安いという本でも会場にいる人たちの興味の範囲外ならまったく声が出ない。当たり前だが、それがはっきり分かった。松本出品の細川書店本のセットなど、5,000円はあまりに安いので林も手を挙げた。すると荻原が5,500円と横からきたので、0.5秒考えて譲ることにした。
これでどうにか催し物は終了、盛況で肩の荷を降ろした。帰り際、扶桑書房さんがあいさつしてくれた。いつもとても魅力的な目録をもらっているが、めったに買わないので恐縮する。
せっかくだからみんなで一杯ということになり、どこにしようか、古書会館の玄関先で迷っていると、坪内さんが「この人数なら三省堂の地下だろう」というので、その「BEER膳放心亭」へ繰り込む。
最初のメンバーだけ挙げると、坪内さん、月の輪さん、佐久間さん、間村俊一さん、松井氏(平凡社)、鈴木氏(光文社)、内堀さんに、生田は婚約者同伴(今秋挙式予定)、松本、岡崎、南陀楼、内澤さん、林。さらに参加者は増えたが、そのころにはビールがけっこう廻っていたので、失念。このビアホールはなかなかいい。坪内さん、さりげなく仕切る。
月の輪さんによれば、目録掲載の石川利光日記はまだ売れていないそうだ。また最近亡くなった田村義也氏の蔵書の一部を買ったそうで、それを目玉に年内に目録作るとのこと。晶文社から出るという日記の方はまだまったく手をつけていない。「これから書きます」。
坪内夫妻は京都の三月書房へ出かけた。そのとき宍戸さん(父)に声をかけられて、というか、佐久間さんの袖を引っ張って「あれ、坪内さん?」と聞いたそうだ。じゃあお茶でもということで、近くの喫茶店「大吉」でしばらく三人で話し込んだという。宍戸さんはかなりの読書家、雑誌もすべて目を通しているので坪内さんと話が合った様子だ。
石神井書林内堀さんは荻原と箸の持ち方が同じなので、われわれは同族なんだよとすごく嬉しそう。そこへ坪内さんがやってきて、江藤淳もそんな箸の持ち方だったというと、内堀さんが大学時代に講演に来たけど、知ってれば箸の持ち方について質問すればよかったな(笑)などと。阪神を応援していて民族の団結とはこういうものだと実感したらしく、箸の持ち方でも同族的親近感を感じるのだとか。
また、活字の号数と級数とポイント数の違いについて、その道の専門家、松本御大から講義を受けて、その後もずっと活字の版面の話に熱中。内堀さんもさすがに物事に対するこだわりは人一倍である。
午後八時半から、今度は古書会館の八階で地下室展の打ち上げをやるというので、大半の人々は移動。これがまた、ちょっとしたおしゃれなサロンになっていて、古書目録などを並べた書棚、樹木を植えたテラスもある。
西秋書店の西秋学さんと話し込む。今回の地下室展目録の目玉商品、買い手がついたということで晴れ晴れした顔をしていた。やはり話題は月の輪目録に集中。石川利光日記など一括、めったに古書会館の市に姿を見せない月の輪さんが、たまたまやってきてその一山を買って今度の目録ができた。月の輪さんはその日は飲み会があって神田に来たついでに市場をのぞいたんだと言っていたが、これは天才的なカンですよねと二人で感心しているところに、森井書店さんがやってきて「あれはぼくが出品したものだ」と言うではないか。原稿などとともに一纏めで扱ったそうだ。いろいろ事情があったらしいが、ともかくも資料は流転する。
十時半にパーティは終わり。十一時ごろには片付けも終了してお開き。今夜は中野書店さん宅に泊めてもらうことに。中野宅は西荻の北口徒歩数分、書庫「古本倶楽部」と遊空間「がざびい」を併設する巨大(でもないが目立つ)ビルディング。ここでも話し込んで午前二時就寝。
2004年6月14日(月)晴
中野さんと出勤。途中にあるゴゴシマ屋さんまだ開店していなかった。15,000点の目録は大変でしょう?と質問したら、管理はすべて中野夫人が行っているという。「そうじゃないとできませんよ」。中野さんは本を集める。目録の発行、発送については夫人が取り仕切る。カンペキだ。中野さんとは同い年ぐらいというここともあって話が噛み合う。洞察力もかなりのもの。二代目だからキャリアも長い。ハンサムで長身、さわやかなスポーツマンタイプというのも古本屋らしくない。(ちょっとほめすぎ)
南陀楼と十時半に展示会場で待ち合わせていた。日本古書通信社の八木福次郎さんにスムース文庫のお礼に出かける予定。ところが、南陀楼くん、ほとんど声が出ない状態になっている。昨日、しゃべりすぎたのが直接の原因だとしても、疲れが溜まっていたんだろう。
それでもかすれ声で「ちょっといいですか」と、開店初日の「ボヘミアンズ・ギルド」(夏目書房の支店)をのぞく。モダンな椅子などを配してお洒落な店造り。夢二関係、短冊、肉筆などが充実していた。展覧会図録や写真集なども拾えるかんじである。荷物になるのでそういうものは避けて、迷っていると、冷茶をいただいたテーブルの上に角川昭和文学全集のシオリ(?)の文豪アルバム各種、B6判16頁、が250円で置いてある。横光、川端、井伏の三冊を購入。(これは拾い物だった。川端アルバムには淀野隆三が「若き日の川端さん――湯ケ島の想い出」を執筆しているし、井伏アルバムには小沼丹が「井伏さんの将棋」を執筆し、井伏と上林暁との対局写真が大きく見開きで掲載されていた)
となりの「かげろう文庫」へも。昨日買った洋書を出品していた店。復刻・世界の絵本館(オズボーン・コレクション)『ORBIS
SENSUALIUM PICUTUS』(ほるぷ出版、一九七九年)500円をゲット。これは平凡社ライブラリーからコメニウス『世界図絵』(井ノ口淳三訳、一九九五年)として翻訳刊行されている。その挿絵は1631年の初版の復刻版から採られているが、オズボーン・コレクションの方は英訳12版(1777年)なのでまったく図柄が異なっているのが面白い。例えば、巻頭「入門」の挿絵。初版の老人(先生)と子供は野原の真ん中に立っているが、英訳12版の方は先生がぎっしり本の詰め込まれた書棚を背にして椅子に座っているのだ。150年足らずのうちに「知識」が「書物」に偏重しているようすがはっきり分かる。
コメニウスを買ったとたん、急に自然の呼び声を聞いた(!)。地下室展のポスターや目録のデザインをしたという店番の女性の方にお願いして店の奥のトイレを借りる。額縁などがびっしり詰め込まれた小部屋、なかなかに居心地がよかった。
日本文芸社ビル八階の日本古書通信社へ。まずは樽見博さんにあいさつ。八木さんにお礼を述べて、三人で喫茶店「さぼうる」へ移動。八木さんは古くからの友人と待ち合わせをしているとおっしゃっていたが、それは小林静生さんだった。山岳関係書を専門とした小林書店主であり、『東京古書組合五十年史』(東京都古書籍商業協同組合、一九七四年)の編者でもいらっしゃる。すでに引退されているそうだ。ビールをふるまってくださる。そろそろ百年史の準備にかからなければならないが、いまの状況じゃ中心になってやろうという者がいないという嘆き。「中野書店の息子が優秀なんで、あいつにやれよと言ったが、断られた」とか。
その後、南陀楼と別れて神田をひとまわりした後、地下室展会場にもどって、もう一度ゆっくり眺めてまわる。西秋さんより昨日は売上げ数一位だったという話を聞く。お買い得な本を面出しで並べ、こまめに本を補充した結果だそうだ。何事も努力ですなあ。
昨日初日の人出はかなりの数だったらしい。これまで日曜日に古書展を古書会館でやった例がなかったが、予想以上の盛況で、しかも馴染みの顔ぶれというのではなく、入場者のほとんどが女性を含む若年層だったということだ。具体的には、昨秋第一回の地下室展のカフェでは三日間で450杯の飲物が出た(本を買うと飲物チケットをもらえる)が、今回は昨日だけで350杯だったという。(最終的には650杯)
sumus「小出版社の冒険」展の受付に座る濱野さんと雑談。iMacが壊れて、OSX搭載のeMacを買ったそうだが、使いにくくて困っている。OS9との互換性もいまひとつで苦闘中らしい。これが買い換えに踏み切れないネックなのだ。
元ダイヤモンド社の長井さん見える。着流しが板に付いている。文庫大全パート2が停滞していることについて、まだやりたいような口振り(おそらく無理でしょうね)。長井さんは「雑学ノート」の生みの親。岡崎の『古本雑学ノート』も手がけている。パリ本の展示(生田出品)に玉村豊男『パリ雑学ノート』が入っていないことを少々残念そうにされ、植草甚一に「ニューヨーク雑学ノート」の執筆を頼んでいたこと、序文三枚もらったところで植草さんが亡くなったことなどを回想してくださった。
『サンパン』誌上で結城信一や清宮質文などについて書かれている矢部登さん来場。初めてお会いする。松本さんが市川の方へ引っ込んで会う機会が少なくなって残念とのこと。昨日は元気そうでしたと報告しておく。
蒼穹舎の大田通貴さん来場。大田さんが編集した写真集、深瀬昌久『hysteric Twelve』(ヒステリックグラマー、二〇〇四年)をいただく。地下室展のカフェで紅茶を飲みながら雑談。深瀬昌久氏はここ何年も意識混濁状態のまま生きのびているそうだ。酔っぱらって階段から落ち、打ち所が悪かったらしい。『カメラ毎日』などで森山大道らとともに盛んに活躍していた写真家。その森山大道の全作品集にも協力していて、最近の森山ブームぶりを肴にひとしきり盛り上がる。森山さんの体力は半端じゃない、そうだ。今回の展示では書肆季節社に興味があったそうで、マイナー作家に対する精通ぶりには驚かされるばかり。ただ大田氏も連日のように朝まで飲んでいるらしい。階段には気をつけてください。
通りかかった田中栞さんから『貸本文化』(貸本文化研究会)20号をいただく。
午後五時を過ぎたので、中野氏、西秋氏などにあいさつして会場を辞去。神楽坂へ。間村俊一さんの仕事場「山猫軒」。間村装幀本と骨董的小物、古書がきちんと整頓されている。ピッシリというのではなく使いやすいかんじの雑然さを忘れていない。二件ほど仕事を済ませるのを、こちらは壁のものや本を眺めながら待つ。ジャン・コクトオの書簡が額入りで飾ってあるのが印象的。仕事をしているときの間村さん、とくに編集者に指示を出す威厳と思いやりのバランスがカッコイイ。
神楽坂の取っつきの路次を東へ入った「もー吉」。岡崎、南陀楼夫妻、鈴木氏、八尾氏、奥成氏が次々に来店。『ナンダロウアヤシゲナ日々』のジャケットが凝りに凝っているという点に話題が集中。ジャケットの表が四色で裏が二色、しかも折ってあって、穴まで開いている。間村さんが「穴、開けるんは二工程かかるんやでえ」、ということはごく普通のジャケットが四度か五度のところを、これには倍の九度の手間がかかっている。パラパラ漫画までついていて「昔はぼくもよく教科書に書いたもんや」と岡崎。もちろん林も描いた。
南陀楼はまだ、まったく声が出ない状態で、終始筆談。一時間ほどで夫妻とも引き揚げる。致し方なし。その後は『週刊新潮』の八尾さんの独壇場で、大阪こなもん(粉物=お好み焼き、たこ焼き、うどん等を指す)文化についてウンチクを傾ける。電話とメールの違い、大阪のお笑い。若い日の間村さんがページレイアウトの手伝いをしていた『花王名人劇場』の冊子合本が登場して、座はさらに盛り上がる。一九八〇年前後、漫才ブームのピークの頃の記事が満載。岡崎が興奮ぎみに彼らの持ちネタを模写して爆笑を誘う。じつに芸達者。「これ持って飲屋を廻ったろうかな。お客さん、誰のマネしましょか? いうてね(笑)」
平凡社の松井氏、遅れて登場。こんなことここでバラしていいのかどうか、「sumus」同人が平凡社ライブラリーに新しく入れるラインナップを選んで解説を書くという突拍子もない企画を提案される。拒否する理由はまったくないので即座に快諾。文庫大全パート2のこともあるし、昨今の出版企画はいつどうなっても不思議ではないが、ともかくも実現することを祈りつつ、前祝いのカンパイをした。[2004年6月18日記]
■東京ぼちぼち日記 林哲夫
11月18日(火)晴れ
京都駅一〇時〇九分発のぞみ四号で上京。車中、百万遍で買った『Le
Petit Prince』(Collection folio junior, Gallimard,1989)を読む。「孤独」が身にしみる。品川駅に停車する新幹線は初めてだった。
東京駅から松本八郎さんに電話。指示に従って京葉線に乗り換える。八重洲南口から動く歩道で一本道にしても、品川まで戻るかと思うほど南下、さらに下降し、ようやく京葉線ホームに到着。武蔵野線のターミナルにもなっていてビックリ。東京ディズニーランドなどを横目に新浦安に着き、有隣堂書店で松本さんと再会。バスで松本宅の近くまで。野鳥公園を通り抜け、二十数年前に方角占いで決めたというお宅にうかがう。
リビング(兼ダイニング)・スペースが広く取られている。そのため、早稲田の事務所などに置いていた書籍を二階に移したところ、一階の天井がたわんでしまったそうだ。あわてて柱を立てて補強した。その白木の角柱がリビングの中程、テーブルの脇に、真新しい家族のように居座っている。ちょっと珍しい光景。二階の書棚は、郵パックの段ボール箱を利用して最も効率的に本が配置されている。段ボール箱がユニットになってずらりと納められており、「加能作次郎」「小沢信男」「版画莊文庫」などと著者別、テーマ別にラベルが貼り付けてある。まだ未整理だという奥の部屋も、キチンと本が積み上げられて、または箱に詰め込まれ、どこが未整理なのか、さっぱり分からない。
いくつかの段ボールを開けて中の本を見せてもらった。版画莊文庫をこんなにまとめて見たのは初めて。表紙の色や紙質も一冊一冊かなり違う。輸入洋紙ではないかという。一通り見終わって、さて、本を元通り詰め直す段になったが、どうしてもうまく入らない。パズルのようにきっちり嵌め込んだものだから容易に再現できないのだ。「これは予想外だったなあ」と松本さん苦笑。夜になって、南陀楼綾繁氏(以下モクローくん)が来宅、『サンパン』次号の小沢信男さん聞き書きのゲラ持参。ページ合わせなどの相談。モクローくんに仕事場の地図(『地域雑誌「谷中・根津・千駄木」』十月号の「ちず」)と鍵をもらう。今回はそこに泊まらせてもらう予定なのだ。十時頃まで雑談してモクローくん帰宅、小生は松本家泊。
11月19日(水)曇り
午前十時にタクシーで南行徳駅まで。東西線茅場町で乗り換え日比谷線六本木へ。芋洗い坂の途中、ストライプハウス・ビルにTOKYO
RANDOM WALKという和洋書を置く店があり、表でバーゲンをやっている。ペーパーバックの棚を覗いたが、何も無し。ギャラリー柳井へ。「林哲夫水彩画展」、ほぼ準備は整っていた。予め送っておいた荷物から衣類などを取り出し、今度は銀座へ向かう。八丁目、吉井画廊の「生誕百年記念 冬青小林勇展」を見る。小林勇はいうまでもなく丁稚から岩波書店の会長になった人物。一時、岩波を争議で離れ、鉄塔書院を経営していた時期もある。なかなかいい絵だ。四十代半ばから始めたらしいが、おそらく画家の道を選んでいても一家を成したであろう。何より衒(てら)いがない。
丸ノ内線で池袋へ出る。西武百貨店の中を通って表に出て、昼食を摂ろうかとぶらついてみる。さぬきうどんの店が何軒もあるのにビックリ(さぬき人としてはさすがに入れないでしょう)。結局ファミレスで玄米ごはん定食。イルムス館のリブロを覗き、バシュラール『空間の詩学』(岩村行雄訳、ちくま学芸文庫、二〇〇二年)を買い、キャフェ・キャビンでグレープフルーツ・ジュースを飲みながら繙く。表紙は間村俊一さんのコラージュだ。
その間村さんと、光文社文庫編集者のSさんと、リブロの光文社文庫棚の前で待ち合わせていた。午後二時少し前にそこへ行って、しばらくキョロキョロしていると、見知らぬ女性に声を掛けられた。やはり光文社文庫の人だという。なんでもSさんが突然倒れたらしく、ケイタイも繋がらず、どこに居るのか分からないというのだ。仰天する。間村さんも現れるが、どうしたんでしょう、どうしましょうか、などとあたふたしているところへ、Sさん本人が「どうもどうも」と登場した。何やら、昨夜は遅くまで飲んでおり、今朝はある作家のところへ出かけて原稿ができておらず、別の人に打ち合わせの電話を入れたとき、声の調子が普通ではないと言われた。その後、西武まで来たとき、きゅうにふわふわと雲を踏んでいるような足取りで、気分が悪くなり、ちょっと休息を取っていたのだそうだ。本人いわく「ぜんぜん大丈夫ですよ」。電話をもらった人から急病説が飛び出し、周辺の人たちが慌てたという顛末のようであった。
実は、そこから三人で電車に乗って大西巨人さん宅へお邪魔する手筈であった。急病騒ぎのせいで(おかげで)、大事をとってタクシーを使うことになり、さいたま市の大西さん宅へ直行。高速道路利用、三十分あまり、高速料金別で七千円ほどだった。大西家はまだ畑地が点在する住宅街にあった。ごく普通の築三十年というような二階家である。応接間に通された。全集ばかりがずらりと並んだ本棚で二方の壁が埋め尽くされている。中野重治、大岡昇平、岡本かのこ、武士道全集などもある。ちくま文庫版『神聖喜劇』の表紙画に使用された平野甲賀氏の文字の原画(版画?)が額縁に入っているのが目立っている。
やはり『神聖喜劇』の話になり、さまざまな興味深い逸話が次々に出たが、ほとんど覚えていない。いくつか印象に残る部分だけを記しておく。『神聖喜劇』が光文社から出た経緯というのは、まず、松本清張が『新日本文学』連載中の同作をいち早く評価したという事実があり、光文社の編集者が出版したいと言って訪ねてきた。向こうから作品を一切改変しないという条件を出した(カッパ・ノベルスはひどく変えることで知られていた)。それが、ある年(五年ほど連載していたというから、一九六〇年頃だろうか?)の一月頃で、春先か夏までには完成させるつもりだった。ところが、実際にカッパ・ノベルスで第一部が出版されたのは一九六八年になった(これは未完に終わる)。その間には生活が窮乏して光文社へ原稿料の前借りに出向いたこともあった。「俺は金を借りに来たんじゃないぞ、俺の印税をもらいに来たんだ!」と怒鳴ったところ、会社中がシーンとなったそうだ。原稿が遅いのは才能がないせいだなどと批評家に揶揄された。結局、光文社から決定版の五巻本が完結するのは一九八〇年だから、書きも書いたり、出しも出したり、作品のみならず出版経緯も含めて、昭和文学の異色傑作と呼ぶにふさわしい。
帰りも飯田橋までタクシーで。ここでSさんはさすがに帰宅。間村さんの行きつけの居酒屋もー吉へ二人で入る。いろいろ雑談していると、な、なんと、間村さんは阪神が優勝した日、甲子園にいた(!)というではないか。神宮でのヤクルト戦の頃、チケットを関西の友人が都合してくれた。当然、そのときには、いくらなんでも優勝は決まっているだろうと思っていた。ところが、引き分け、負け、名古屋でも負け続け、ついに甲子園まで優勝を持ち越した。目の前で優勝の胴上げを見たというのだからラッキーな人だ。その夜はむろん道頓堀に繰り出して、道頓堀川に飛び込むファンをずぼらやの窓から眺めていたそうだ。阪神ファンとしてはこれ以上ない至福の一日であったろう。だが、間村さん、東京に戻って強烈なしっぺ返しを受ける。その話はさすがにここには書けないが、「阪神が優勝するいうのはこういうことなんやなあ」と本人も納得するような悲惨な体験だったらしい。
そこに新潮社の八尾さん、モクローくんも参加して、さらに盛り上がった後、モクローくんと小生は一足先に失礼する。日暮里まで。モクロー夫人の内澤さんの仕事場へ。谷中の日本美術院に隣接した木造アパートである。学生時代を思い出した。
11月21日(金)晴れ
読経の声で目覚める。隣は日本美術院だが、反対側はお寺、そして墓地。日蓮宗の僧侶養成所のような施設も近くにあるらしい。遠くでウ〜ウ〜ウ〜とユニゾンで緩やかに唸っているので、なんとなくアンビエントな感じでもある。昨日の個展初日はあいにくの雨だったが、今日は快晴、気温も高い。千代田線根津駅までゆっくり歩くと、お寺、お寺、墓地、墓地、お寺、墓地、墓地という景色。
日比谷乗換の六本木下車。青山ブックセンターへ入る。『植草甚一コラージュ日記1』(平凡社、二〇〇三年)を買う。安直な本だと思いながら読み出すと、あっという間にウエクサな日常に引き込まれてしまう。一三八頁にインタビューが再録されているが、昭和六年頃、植草が早稲田鶴巻町で喫茶店「ミスチグリ」を経営していたというくだりで、コーヒーが「十円」、とあるのは「十銭」の間違いだ。『喫茶店の時代』の著者としては見過ごせない。もうひとつ、一二〇頁に出ている京都の洋書がある古本屋「キク屋」はキクオ書店のことだろう。それにしても、銀行口座の残高まで記録してある、いいのかなあなどと、七十年代に思いを廻らせる。まだカードなんて普及してなかったから、暗証番号を盗まれたりすることもなかったんだよなあ。
夕方、六時過ぎに画廊を出る。日暮里駅前の又一順(ユーイージュン)という中華料理店へ。モクローくんが呼びかけてくれた会に参加。モクロー夫妻、古書現世の向井氏(柔道の練習中に足を怪我したというのに来てくれた)、徳川夢声の濱田氏(晶文社から本が出るそうです)、浅川書房の柳瀬氏(初対面だが将棋の本を出しているので将棋界の話で盛り上がる)、荻原魚雷氏(『借家と古本』好評です!)、紀伊国屋書店出版部の大井さん、矢内さん(季刊雑誌『アイ・フィール 読書風景』では立て続けに「sumus」メンバーがお世話になっている)、三省堂書店神田店の佐伯さん、池袋リブロの荒木さん、そして大衆食研究家の遠藤さん、そして月の輪さん、と内堀さんが少し遅れて参加。風邪をこじらせたという小沢信男さんと奥さんが無理をして来て下さり(早退された)、最後に売れっ子の岡崎武志氏が顔を見せてくれる。
月の輪さん、まだ目録を書いているそうだ。小生が表紙の装画と文字のレイアウトを渡したのは四月末だった。こちらは力作を期待しつつじっと待つしかないが、「林さん、背の3を4にしなくちゃいけなくなりました」と言われてアッと思った。たしかに2003と年号が入っているのだ。でも、あわてて4に直したら、次は5になったりして……。内堀さんとは、来年のタイガースはどうなんでしょうね、岡田監督、ちょっと暗くないですか、などというオーナー会議。内澤さんは雑誌『部落解放』(解放出版社)に世界屠畜紀行のイラストルポを連載していて、韓国の食犬事情を取材した記事を肴に遠藤さんと盛り上がっている。犬の脂はラードやヘットのように固まらないのでヘルシーなんだそうだ。
三省堂の佐伯さんは(かなりの美人店員さんです)向井くんを仲立ちに月の輪さん、内堀さんに、三省堂で古書フェアーをやってもらえるよう交渉している。「新刊と古書を同じ売り場で売りたいんです」とのこと。いいぞ、いいぞ、と思う。新刊書店は古本屋になれ、というのが小生の十年来の主張(どこにも発表はしてませんけど)。こういう新刊書店の発想は歓迎すべき。ただし石神井書林の本はフェアー向きじゃないし、月の輪さんは目録と苦闘の最中、二方とも乗り気ではなかった。さてこの企画どうなることやら、成り行きが楽しみである。[註・このフェアーは、その後、岡崎武志氏を中心とした古書企画に変更になったらしい。それもまたとっても楽しみだ]
十時頃に解散、かと思われたが、岡崎氏が歌いたくなったと言うと内堀さんが歌いましょうと夫唱婦随(?)、十二人で向かいのビッグエコーへ乱入することになる。実は、小生、オンチである。声も悪い。カラオケボックスはむろん初体験。興味津々で皆の後ろについて行く。結局、部屋の都合で六人ずつに分かれ、われわれは、遠藤、モクロー、セドロー(向井氏)、柳瀬、魚雷、荒木グループとなった。まず口火を切ったのがモクローくん、これが高田渡の「生活の柄」である。いや、失礼ながら、これで肩の荷が降りました。遠藤氏の「チャンチキおけさ」も良かったし、柳瀬氏の大滝詠一などもなかなかのものだったが、魚雷くんの「赤色エレジー」はハマッてました。小生は「学生街の喫茶店」を受けねらいで。頑なに歌わなかった荒木さんに「同時代に聞いてらしたんですか」と尋ねられて、そうですと答えつつ、わが年齢を再認識する。セドローくんの徳永英明でシメ(体格からは想像しにくい美声におどろく)。
一方、岡崎組の方は大変だったらしい。岡崎・内堀が七〇年代フォークを熱唱してマイクを離さない状態。そこに濱田研吾氏の鶴田浩二が乱調の美を添えて妖しくも強烈な展開だったとか。なかで、やはり頑なに歌わなかった月の輪さん、「アナキストは歌わないんだ」と妙な理屈をこねたとか(内澤談)。
11月24日(月)曇り
午前十時、モクローくんと一緒に小沢信男さん宅へ。泊まっている部屋から徒歩五分。『サンパン』の聞き書きの最終チェック。書斎へ通され、しばし雑談。まだ風邪が治らないそうで、これまで早食いの健啖家だったのが、一転してヴェジタリアンに変身、よく噛んでゆっくり食べるようにしておられるとのこと。書棚には『新日本文学』の複刻版、花田清輝全集、東京関係の書物などが目についた。鬼海弘雄写真集『PERSONA』(草思社、二〇〇三年)を開きながら浅草の人たちについて。これはかなり凄い写真集である。よくぞ出した。小沢さんによれば、さすがの草思社も迷っていたらしい。間村さんの装丁なのだが、間村さんの話では、一度、編集者が断ったのを、社長の決断で刊行に踏み切ったとか。辞去するときに、先年、桑原武夫賞を受賞された『裸の大将一代記 山下清の見た夢』(筑摩書房、二〇〇〇年)をいただく。
東京土産にイナムラ・シュウゾウの洋菓子を買えという妻の指令によって、谷中墓地、寛永寺近くの店まで、モクローくんに案内してもらう。スカイ・ザ・バスハウス(公衆浴場を改造したコンテンポラリー・アートギャラリー)の向かいの路次を入り、突き当たって左へ、曲がろうとして、ギョッとした。数十人、おそらく四十人くらいの人が列をなしている。ガードマンまで立っているではないか。とうていだめだ、時間がない。妻は『BRUTUS』の東京スウィーツ特集で見つけたというが、モクローくんによれば、最近テレビでも紹介されたらしい。それ以前を知っている内澤さんによれば、並ぶどころか、近所のおばさんたちが店の前のベンチでバリバリお菓子をほおばっていたという。マスコミの力を再認識。あきらめて、根津駅から六本木へ出勤する。モクローくんは新御茶ノ水まで同道。古書会館での即売会。
個展会場で西村氏と久し振りに会う。朝イチで古書会館に駆けつけたが、これといった収穫なしとのこと。それでも、佐野繁次郎の珍しい装幀本を一冊掘り出していた。また、ネットでカナダの古書店から購入したという漱石の『夢十夜』の翻訳書(西東書林、一九三四年)を見せてくれる。やはり佐野の装幀本で、藍染めの木綿装。吉田健一本はほぼ集めてしまったので、佐野と渡辺一夫の装幀本を今もっとも熱心に蒐集しているそうだ。リストももらったが、その情熱には兜を脱ぐ。
夕方、少し早めに画廊を出る。トーキョー・ランダム・ウォークを覗く。30%OFFのシェルフにT&Hのマルセル・デュシャン書簡集があった。おお、と思って計算してみると、値引き後でも六千三百円余りになる。舌打ちをして、店内をざっと廻る。悪くない品揃えだが、今買うほどのものもないなと、引き返そうとしたときにDVD棚の『マルメロの陽光』(IMAGICA、2002)が目に付いた。劇場で観て以来、ビデオが欲しいと思っていたので、購入。
モクローくんと待ち合わせをしている千代田線西日暮里まで。しのばず通沿いの古書ほうろうに案内してくれる。店はけっこう広いが、そんなに本を詰め込んでおらず、余裕の棚作り。広く浅く、しかしなかなか趣味がいい。値付けもおだやか。欲を言えば五百円均一(本棚の最下段)にもう少し釣り本(客を釣る本のこと)をいれておいてくれたらな、というところ。このところ洋書づいているので、ハンニバルの原作ペーパーバック『HANNIBAL』(Bantam
Books)三〇〇円をしばらく握って物色を続ける。すると、杉本秀太郎『回り道』(みすず書房、一九八一年)を発見。杉本さんの本はできるだけ買っておこうと思っているので、ハンニバルを棚に戻し(映画も悪くはなかったけれど、みょうにハレーションを起こしたような映像だった)、こちらを買うことにする。湯川書房の話が出ているのもうれしい。まったりとした名文、けっこう短気そうなところもいい。
内澤さんが合流したところで近所の鳥ぎんで焼き鳥と釜飯。いつも無口だという主人が「日本でもテロが起きると言ってマスコミが騒ぎ立てるのはいかんねえ」と話しかけてくる。画廊でもその話でもちきりだった。日本の国内線はまったくチェックが甘いので、羽田あたりでハイジャックして東海村にでも突っ込めば、もっとも効果が上がるだろう、などという物騒な話が出た、という話をしていたのだった。食後、店の外でモクローくんが「あのおじさんが喋るの、初めて聞いたよ」。
二人と別れて部屋に帰る。谷中の夜道はけっこう明るい。空気はやや湿っている。突き出た卒塔婆や墓石がギザギザと連なっているコンクリート塀に沿って歩く。いろんな人たちが眠っているんだなあと思う。バシュラールは書いている、家は「われわれの最初の宇宙である。それはまぎれもなくコスモスなのだ」。墓が最後の家ならば、谷中は死者たちのコスモスに違いない。明日、京都へ戻るのが、少し惜しいような気持ちになっているのに気づいた。
[2003年11月28日記]
■百万遍百円均一掘り出し話 林
哲夫
2003年10月30日 晴れ 暖か
京都、青空古本まつり初日。十時少し前、百万遍知恩寺へ着いた。門前の古書店前には平台が並び、人々が歩道を埋めている。すでに前哨戦が始まっているようだが、境内のブルーシートはまだ開かれていない。雨や夜露をしのぐために本棚や均一台にかけめぐらせてある。初日には古本供養のための巨大数珠繰りというものが行われているため、開店が少し遅れるのだ。
山本氏、X氏、K先生、稲生さんらが参道の石畳の中央あたりで固まって談笑している。軽く挨拶。湯川さんがやってくる。事務所を移すため、近々、新しく入居予定の部屋の内装をするという。X氏と打ち合わせてすぐに立ち去る。扉野、近代夫妻が現れる。近代さんは目つきがいつもと違う。ハンターの鋭さをたたえ、何かみょうにやる気満々。扉野くんはいつものように何だかうれしそう。
そうこうしているうちに、シートがバタバタと捲られ、いよいよ開店時間となる。ほとんどの人たちは百円均一のテントへと群がっていく。ふたつのテントが連なっているのだが、とりつくシマもないありさま。こちらは、まったくがっついてない(ガッツがない)ので、それ以外のテントをぶらぶら、写真を撮って歩く。ずっとこの青空古本まつりのポスターをデザインさせてもらっているので、来年のために撮りだめしておくのだ。境内に大きなかりんの樹があるのに気づく。そこからふと振り返ると、百円均一のレジに漱石全集を十冊余りもかかえたおじさんが一番乗り。よくやるなあと思いながら、ぶつぶつ、数吟。
漱石を買い占めて見るかりんかな
百円の漱石重しかりんかな
唐梨の黄金見上げつ朱色積む 重たくもあり重たくもなし
名物の臨川書店が出店していないので、それでも今年は落ち着いている。人出も少し少な目だろうか。三十分もすれば、ひとまず飢餓感を満たした客たちは百円均一から離れ、テントの周辺にも隙間ができる。こちらもようやく腰を上げ、ぼちぼち見て回る。初日の百円均一で必ず会う吉積さんに当然のように出会ってあいさつ。すでにかなり抱えている。
こちらは落ち穂拾いの後の籾拾いの心境。まずは青山二郎の装幀本を一冊発見。さらに渡辺一夫装幀の『ボードレール全集第三巻人工楽園』(河出書房、一九四八年)も見つける。これは状態も良く、小生にとっては収穫だ。岩波書店の昭和十二年版出版総目録、背が割れているが、いいじゃないですか。おや、フランス装の瀟洒な詩集がある。グラシンがボロボロだが、本体はキレイ。奥付をのぞくと第一藝文社となっているので、あわててゲット。新書判の「星の王子さま」『Le Petit Prince』(Collection folio junior,
Gallimard,1989、ガリマール初版は一九四六年、新書初版が一九七九年だそうだ)もついでに買っておく。こういう絵入りの本が作れたらいいなあといつも思う。
百円均一はそのぐらい。他では、石川古本店に二〇〇円均一の台が出ており、画集やデザイン・建築関係の雑誌が放出されていた。そこから『BEN NICHOLSON』(RIZZORI NEWYORK,1991)と『ペーテル・ブリューゲル版画展』図録(京都国立近代美術館、一九七二年)を拾う。ベン・ニコルソンの画集は欲しかったもの。初期作品がたいへん興味深い。
正午少し前、中央参道の床几(自由に休息できるようにいくつか並べられている)にもどってみると、山本氏がやってくる。扉野くんが「すごいもの」を買ったという。ちょうど山崎書店さんが通りかかって、「目の前で見ましたよ、扉野さん、いい買い物したね、函はなかったけど版画だけでも値打ちものですよ」と声をかけてくる。詳しく聞くと、ある店の五百円均一台に『月下の一群』(第一書房、堀口大學訳、一九二五年)が紛れ込んでいたらしい。それを扉野くんは目ざとく見つけ、なんと五百円を三百円に値切った(!)というのである。
そこへちょうど、うわさの扉野くんがやって来た。『月下の一群』の話を向けると、ニヤニヤと笑っているだけである。そして『プルウスト研究』(1〜3、作品社、一九三四年)を差し出した。小生が作品社の本を集めているのを知っていて、探しておいてくれたのだ。三冊一五〇〇円は安い。これを受け取って思い出し、さっきの百円均一で見つけた第一藝文社の詩集を山本氏に渡す。第一藝文社は天野忠や北川冬彦、杉山平一の本を戦前から戦後にかけて出版している京都の小出版社だ。センスのいい造本が目立つが、今のところ出版人の中塚道祐については近江の出身であるらしいという他、あまり多くのことは分かっていない。山本氏はそれを調べようとしているのである。午後から仕事があるという扉野くんは、心なしか胸を張って、悠々と引き揚げていった。
「じゃあ、ごはんでも食べましょうか」と山本氏と相談していると、K先生のグループがやって来て、いっしょに行きましょうということになる。南門を出て東へすぐの中華料理店でランチを食べる。K先生たちはミステリー派なので、あまり共通点はないのだが、扉野くんが『sumus』で『ぷろふいる』という探偵雑誌について特集したときに紹介され、それ以後、即売会では必ず顔を合わせる。自然とあいさつするようになったのである。とにかくK先生と稲生さんは安い本が好きだ。それも珍妙な珍本ばかりを掘り出しては喜んでいる。まあ、この点に関してはわれわれと大いに共通していると言えるわけである。
平台はじっと睨んでいると必ず何かが現れる、そういう稲生説が飛び出したり、K先生は学生の前でヴィルトゥオーソ(virtuoso、超絶技巧)の説明をするのに「宮川左近ショーの三味線だよ」という例えを出して、誰も宮川左近を知らなかったといって憤慨したり、その他、いろいろ楽しい面白い話をうかがっているうちにランチがすみ、コーヒーでもということで、引き続きその中華料理店でコーヒーを注文した。十二時五十分。K先生、「やや、一時から授業があるんだ」と言いながら、あわててコーヒーを飲み干し、「柵を越えて行けば、だいじょうぶ、文学部はすぐそこだから」と、古本満載のビニール袋とカバンを抱えて出ていった。稲生さんが声をかける。「道路、気をつけてくださいよ!」。先生が見えなくなった後で、稲生氏が「先生、古本を両手に持って、るんるんで横断してて、車に跳ねられた前科があるんですよ、どこもケガはなかったらしいですけど」と註釈してくれた。うらやましいような古本病である。
ところで、『月下の一群』は重版だと山本氏から聞いたので、後日、メールで扉野くんに確かめてみた。重版というと『新編月下の一群』だろうか。すると面白い返事が返ってきた。
《新編でなく、最初のもので大正15年4月の第二刷、和製紙650部です。この一冊は頭が真っ白になりました。背はちょっと革がはがれています。しかし二百円。喜びのあまり山本さんに見せたのに「ええやん」と一言そっけなくて困りました》
ちなみに「日本の古本屋」で『月下の一群』の値段を調べてみると、一冊ヒットした初版本は三十万円、二刷は二件あり一万円と四万円、昭和三年の新編は三万円で出ていた。それにしても、二百円とは・・・何をかいわんや。
月下にも一群眠る均一台
[2003年11月8日記]
■贋作・泣き笑い古本日記 〜OMMの巻〜 春日井ひとし
昨年に続いて2回目となった大阪マーチャンダイズマートビル(OMM)での古本市。今回は近畿ブロック連合古書まつりと銘打たれている。やっぱり会場広い。どこの店からどう見てゆけばいいのか、といつもながら迷ってしまう、今だド素人の私である。
手近なところからいくつかの台を見て歩き、行き当たったのが星空書房。ここは2月の八尾西武の古本市でだったか、自店目録をもらった覚えがある。値引きした白っぽい本が多い。「『野上弥生子日記』を読む」上下2冊を見つける。3月刊行で、いずれ買わねばと思ってた本。定価計4,800円が3,000円に。同業者らしい人が他のお客に「どうしてかと思うような安い本がある」と話しているのが耳に入る。この店のことを言ってるのか、どうか。それでも探す目にいっそう熱が入ってしまう。中公文庫の「まむしの周六」(三好徹)があるが、ちとくたびれて紙焼けしてるのでパス。まだこれからどんな本とめぐりあえるかわからないので慎重になってしまう。『群像』特別編集の「大江健三郎」300円。ノーベル賞受賞半年後に出たMOOK。大江氏の受賞を聞いたときは我が事のように喜んだけれど、その後の報道にはやはり我がツムジは曲がり、この雑誌も本屋で手に取った記憶はあるような、ないような。60年代後半から70年代末までは、大江氏の新刊書がでるとそれこそ同時代的に読んだが、80年代の短編集の時代は買い揃えてもほとんど読まず、やがて古本屋で手に入るのを待つようになり……。ところがその後の汐の引くようなマスコミ・世間に又も反発、「宙返り」と「取り替え子」は買って読みましたよ。そんなことで大半の小説は揃っているのに、「燃え上がる緑の木」3部作第3部の「大いなる日」(受賞半年後に刊)がないままに。ところがこれが今回この後100円で手に入る。3冊セットで安いのはよく見かけるのだが、臨川書店は3冊並べておいてバラで売ってくれるのだからありがたい。――と、これは後の話。結局星空書店では2点。ご主人、3300円の消費税を100円にしてくれる(今回、税を取らなかったのは赤尾照文堂の奥さん。うれしい)。幸先が良い。
次に見つけたのが「日本文壇史」文庫版のバラ売り。手控えを出して伊藤整著の第18巻までは持っていることを確認。瀬沼茂樹が引き継いだ19巻から24巻に総索引がある。1冊400円、総索引だけが500円。この岡山・文藝堂の台にはきれいな文庫本が多くあるが元の所蔵者の印やら購入日の記入があるのも多いので残念だったが、買ったものには索引巻に印がうっすら残っているだけ。これで「日本文壇史」元版・新装版・文庫版と取り混ぜてながら全巻揃いました。
さてこれだけ買ったところで、1時半もまわり、昼食休憩。
2時過ぎより第2回目の攻(購)書。背中のリュックが少々痛いが、まだ両手はあいている。
梁山泊は恒例の色帯で千円、二千円の均一。このピンクと緑の帯が鮮やかなので、古い本もきれいに見える。その台の一角を回ったコーナーでは2冊500円の均一。ここに「小島政二郎全集」が2冊、端本で出てる。「眼中の人」と「食いしん坊」の巻。前者の正編は角川文庫で持っているが、ずっと後年に書いて物議をかもした、というか、話題になった「その二」が併収。後者は林哲夫さんだったか、今手に入らないのが残念と書いていたシリーズの、「あまカラ」連載の第一から第三をおさめる。レモンイエローの箱の色こそだいぶ褪せているが、月報もついていて全巻の構成がわかる。志賀直哉の推薦文も挿まれ、おまけに「謹呈 甘辛社」と書いた短冊入り。欲ばると「一枚看板」などを収録した「短篇集一」もほしかった。
さてさて本日の白眉といっていいか、たまたま見つけた二冊の本が読んでみて関連本であると知った、偶然のなせるわざがこの後起こる。まずは臨川の台、先に記した大江の本のほかに丸岡明「ひともと公孫樹」を見つける。〈公孫樹〉をイチョウと読むことは知っているが、ここでもそれでよいのか、何せ内容をまったく知らないのに、題だけ知っていて気になってた作品。それが目の前に。帯に〈春夫の恋と詩と老年を描く〉とあるので、佐藤春夫の実名小説とわかる。この本、帯に少しの破れはあるものの箱を巻くパラフィン紙もそのままの、昭和42年初版の美本。箱が黄土色ッポイ紙貼りだからだろうか、背焼け・色あせがまったく見られない。これで300円とは驚きの値段。
つづいて回ったのが赤尾照文堂。こちらで見つけたのが野口冨士男「しあわせ」。野口については『sumus』同人諸氏の文章や、EDI叢書「岡田三郎 三篇」の竹松良明氏の解説でその評伝小説を教えられ、「流星抄」やら「誄歌」などを読んだばかり。『しあわせ』収録の「妖狐年表」はその一つのはず。ただし誰を扱った作なのかは覚えてない。内容を確かめる以前に、クリーム色の地に富本憲吉描く花瓶を配した箱が美しく見ほれる。それが定価の半額の千円で。
「ひともと公孫樹」と「妖狐年表」、この二作、後者が前者の解説とも注釈ともなっているのに気づいたのは、翌日になってからという、うかつさ。その夜は『しあわせ』巻頭の「横顔」だけ読んで寝て、朝から「妖狐年表」を読むべくパラパラとやっていると「ひともと公孫樹(いちょう)」の文字。オオッと驚いて、さてどちらを先に読むべきか一瞬迷ったが、手にしている縁、まずは「妖狐年表」から取りかかる。正解でした。最初はどこへ連れて行かれるのかわからぬ筆の運び、それがしだいに〈私〉の友人で戦死した男の未亡人と、佐藤春夫の仲のことへと向かっているのがわかってくる。「ひともと公孫樹」や佐藤の「日照雨(そばえ)」を読んでいなくても理解できる、いやその背景を説明してくれる文章である(さらに、チョロっとだけだが小島政二郎「眼中の人」が出てくる暗合もあるし、去年暮れの大丸古書市で「夏の花」掲載の『三田文学』を手に入れた原民喜は、登場人物の一人である)。ところで「妖狐年表」を終いまで読まず、〈『ひともと公孫樹』も、ようやく結末に近づく〉というあたりで、いったん本を閉じた。「ひともと公孫樹」を読む前に〈結末〉まで知ってしまうと、楽しみが無くなるかも知れないと恐れたからである。
このインターバルの間に「日本近代文学大事典」で『三田文学』を引くと、「ひともと公孫樹」では杉山由紀江という仮名、「妖狐年表」でも〈E・S女〉としている女主人公が、編集担当の末松英子と明記しているのとぴったり符合する。おまけに庄野誠一執筆のこの項、〈末松英子は能楽書林から酣燈社に移籍〉のあと、段落を変えて春夫の〈恋愛事件〉が起こり「日照雨」と「ひともと公孫樹」に描かれている、と書いている。どちらかの作を読めば(あらすじを知るだけでも)、この末松という編集者が恋愛相手だとわかる仕掛けになっている、という工夫も発見。
さてそんな準備をした上で「ひともと公孫樹」を読んでみると、面白い。その幾割かの功は「妖狐年表」で背景知識を得たことにも負っているだろうが。けれど「妖狐年表」に限らず野口のこの手の小説、会話が少なく引用の多い、時に考証に流れ過ぎる傾向があるのに対し、「ひともと公孫樹」の方はより小説的である(ただし野口には、小栗風葉を調べる主人公の老残にも主題が向かう「誄歌」のような傑作小説もある)。
閑話休題、小説の感想がすっかり長くなってしまった。OMM古書市に話を戻そう。
よく見かける物だが近代文学館の複刻本、安く状態のいいのを数冊。さらに高井有一の『少年たちの戦場』200円と、『夜明けの土地』300円を別々の店で。どちらも文庫で持っているが、まだ読んでない。昭和45年の5月と8月に相次いで刊行されている。
会場内には「古本音頭」が時々流れる。古本屋さんが作詞作曲したのだろう、歌っているのはプロの歌手に頼んだのか、確かめはしなかったけど。好みは人によりけりだが、僕は悪くはないと思って耳に入れていた。会場内の適度な賑わいになるし。
浪速書林・梶原正昭さんにも久しぶりにお目にかかった。病気でもされたのか、だいぶ痩せて年がいかれたという印象だが、それは当方だって同じこと。お店には学生時代から立ち寄っていたが、親しくなったのは天牛新一郎翁の話を聞く「なにわ塾」(これについては、いずれ折があれば詳しく)で、同じ講座生として出席して以来のことだから、17年も前になる。こっちだってまだ髪ふさふさの35歳、若さを残していたんだ。
いつの間にか両手に袋をぶら下げているが、なお会場を去りがたく、百円均一台があると足が向かい、目が皿になる。井伏鱒二の「荻窪風土記」の箱入、箱巻きパラフィン、帯つき初版があるではないか。以前に読んではいるが、文庫でも持っていない。昔読んだころの関心とは違った目で再読できるかもしれない。即買いだが、しかしこんな本が百円とはねぇと思いつつ、さらに重みの加わった袋を手に、4時過ぎ会場を去るのだった。
全部で20冊、税込みで1万円をちょいと越えた程度で、シアワセな気分でした。(2003年7月13日記)
■東京講演旅行 ちょっと飲みすぎ日記 林
哲夫
2003年7月22日(火)くもり
午前9時、京都の自宅を出て東京へ向かう。途中、静岡あたりで雨。東京はくもり。水道橋で降りてホテルへ。東京ドームの東側、坂を少し上ったところにあるウインベル本郷。午後1時30分ごろチェックイン。カードで宿泊料を前払い。宅急便で送っておいた荷物を確認後、ホテルを出て本郷三丁目まで歩く。本郷三丁目交差点手前、ビルの二階から行列ができており、らせん階段に人が歩道まで鈴なり。なんでかなあ〜と思ったら、ランチ400円というベトナム料理店。ライス食べ放題。ただし2時から。これほんとのデフレ・スパイラル?
大江戸線に乗り、ぐるっと回って麻布十番まで。25分ぐらいだろうか。ギャラリー柳井へ。主人の柳井氏がまだ戻ってないので、すぐとなり、六本木アークヒルズのとっかかりにあるTSUTAYAブックショップをのぞいて時間をつぶす。チャペック関連の古書展示がちょっと目に付いた(26日から印刷博物館でチェコの装丁デザイン展が開かれるのでそれにシンクロしているのだろうか)。アート・写真・建築関係など、洋書・海外雑誌も含めて充実しているようでヒマつぶしにはもってこい。本の並べ方も本屋らしくなくていいのやら悪いのやら。ベネトンが出している「COLORS」という雑誌がいかにもベネトンらしくて欲しくなるが買わない(あとで調べてみるとネットで買うより安いようだった)。スターバックスが隅っこにある。みんな何か飲みながら立ち読みじゃなくて坐り読みをしている。こんな時代が来るとは想像もしなかった。
柳井では「薫香の器」の展覧会。香を焚くためのさまざまな器(古美術品である)を展示販売している。かつては暑中に涼をとるため香を焚いた。柳井氏と今後の個展などについて打ち合わせ。11月20日〜30日、水彩画の展覧会やりましょう、ということになる。4月に上海のオークションに行ったという話。香港、台湾からも大勢の業者が集まったが、あのSARS騒ぎの真最中にもかかわらず、マスクをしていたのは柳井氏たち日本人だけだったそうだ。「かえって変な目で見られましたよ」とか。
大江戸線に戻って(とにかく深い駅である)、牛込神楽坂まで。これも一本で、およそ30分。神楽坂は、道の両側に夜店の屋台がずらりと並び、提灯をつるしてなんとも賑やか。装幀家間村俊一さんの事務所「山猫軒」を訪ねるのが目的だが、ケイタイを持っていないので、サークルKの公衆電話から道順を尋ねる(公衆電話がめっきり少なくなって困りものだ)。神楽坂は色街だけに(かどうか)、少し入ると、迷路のような路次が続く。電話で確認していても、一本間違えて、ぐるぐる回ってしまった。
玄関を入ると、目の前に美しく錆びた扇風機。工場ででも使っていたような手回しの鉄製ファン。金属彫刻を連想させるような形態である。三角の土地に建つビルなので間取りも三角形。中央の大テーブルの上には間村装幀本が積み上げられている。壁にめぐらされた書棚にも同じく真新しい本がぎっしり。仕事机の周辺は下絵や原稿で埋まっている。しかし乱雑という気配はなく、どちらかと言えば、静謐な感じである。
間村さんとは、岡崎武志氏の紹介で、昨年、初めて知り合った(そのへんのことは本サイトsumus別冊のページに掲載の「東京紛書日記抄4」を参照のこと)。その頃ちょうど光文社文庫に入ることになった大西巨人『神聖喜劇』(全五巻)の装幀を間村さんが手がけたときに、林の絵を装画として使ってくださった。それ以来のお付き合い。今年も同じく大西巨人『三位一体の神話』(上下)および『迷宮』が同文庫から刊行されたが、これらの表紙も拙作が飾った。間村さんの手際はさすがで、渋すぎるかと思う拙作がうまく生かされ、作品内容とも呼応しているような感じになっている。
間村さんもやはり古書好きである。石神井書林の目録から平井功編集の『游牧記』四冊(游牧印書局、一九二九)を買うほどのレベルである。このときも貴重書用の書棚を開けていくつか拝見させてもらった。『日夏耿之介定本詩集』三巻(第一書房、一九二五〜二六)、多数挿入された長谷川潔の版画は良く知られている。実見するのは初めて。版画の用紙が酸性紙だったためかどうか、各葉とも多かれ少なかれ変色しているのは残念だが、第一書房らしい贅沢な本だ。谷崎潤一郎の『春琴抄』黒漆版(創元社、一九三三、朱漆版もあるとか)も珍品。また北園克衛『詩集 空気の箱』(VOUクラブ、一九六六)など数冊、これは安価に入手したとのことだが、なんともいい味である。
午後七時頃、近くの渡津海という小料理屋へ移動。間村さんが発行人になって五月に創刊した雑誌『たまや』の話など。本文が活版二色刷という凝った造り。東京でももうここだけしか営業していないという内外文字印刷に依頼したら、初め、断られたそうだ。物好きなデザイナーが二色刷などという面倒なことをもちかけてきた、そういう誤解があったようだが、なんとか説得して実現(ただし、製本間際になって、レイアウトが気に入らないからと刷り直したそうだから、あながち杞憂でもなかった)。小生は特に活版を礼賛する癖は持ち合わせない(日頃手にする古本はほとんど活版だもの)。それでも『たまや』を見ていると、やっぱり活版は一味違うと思わざるを得ない。
光文社文庫編集部のS氏到着。同文庫から出る『江戸川乱歩全集』(三十巻)のカバー校正をし(むろん間村さんの凝りに凝った装幀、四色+箔押し+エンボス+特色)、印刷所へ回ってからここへ来たとのこと。最近届いた古書目録を何冊か持参している。Sさんは古書マニアというわけではなく、仕事上必要な古書をネットで購入したりする程度だそうだが、そうすると自然と目録が送られてくるようになる。
さらに四月から平凡社に移った編集者M氏が二冊分の仕事の入ったカバンを抱えて登場。仕事の途中で抜けてきたとのこと。若いがなかなかセンスのある編集者。滝口修造ファンで、昔、滝口の悪口を書いたフランス文学翻訳家某の家まで行き、大きな石に「天国の滝口より」とかなんとか書いて、塀の外から邸内に投げ込んだという悪戯ぶりには笑わされた(良い子はマネをしないようにね)。東京生まれながら、京都が長く、祇園の裏表にも通じており、こちらも聞きかじりの半可通を披露して盛り上がる。人気グルメ漫画原作者がお茶屋遊びをしたあげく、その代金を踏み倒した話はいつも受けるのだ(お茶屋はイチゲンさんを受け付けない。必ず紹介者が必要なので、結局、代金は紹介者が立て替えたままになっているとか)。M氏、モランディの本も作っているのだそうだ。いいじゃないですか、モランディ。楽しみだ。
トモちゃん(間村夫人)がやはり仕事途中で抜けてきて参加。S氏が料理を習っていたという話から氏の少年時代の話に。その話題が一段落して、河岸をかえようということになり、神楽坂の通りへ出る。毘沙門天の前で、間村さんは二人の編集者に風鈴付きのホウズキの鉢を買う。この賑わいはホウズキ市だったようだ。阿波踊りのポスターも貼ってある。間村さん「みんな人真似ばっかりや」とチクリ。高円寺の阿波踊りが始まったのは昭和三十一年らしいが、小生が阿佐ヶ谷に住んでいた一九七八年頃でもさほどな人気ではなかったような気もする。知らないうちに各地でやるようになっている。
神楽坂通から少し路次を入った狭い店に五人で入る。韓国系の店らしくマッコリなどを飲みながらポテサラなどをつまむ。すでにビールと日本酒でけっこう出来上がってるが、誰も乱れないのがすごい。トモちゃんだけはコックリ、コックリひと眠り。DTPの書体が使えないという不満が出る。そのへんからだんだんと、書物はすべてデータ化され現行のような形は早晩なくなるという話へ。とくに林がこれを説く。間村さん「林さんが、そんなこと言うとは思わんかった」と心外な様子。
もちろん、本という形がなくなってしまうとは思わないが(テレビが普及しても新聞はなくならなかった、なくなると予言した人もいたのだ)、しかし、新しい端末というか紙と同レベルの受像媒体が一般化すれば、読むための読書はすべてそちらへ移行してしまうのではないだろうか。粘土板や樹皮は革(パーチメントやベラム)によって、革は紙の普及によってほぼ絶滅した。電子ペーパー、ELディスプレイ等々、新しい受像媒体は今盛んに研究されている。詳しくは分からないものの、プラスチックに電気を通すことができるようになったのだから、かなり可能性は広がったのではないだろうか。例えば「マイノリティ・レポート」というスピルバーグの映画にその近未来の姿が予見されていたように(原作はP・K・ディック)。もちろん、本は読むためのものじゃありません、これは小生の基本的スタンス、よってオブジェとしての本はなくならない。
零時を回って、二本抱えているM氏に間村さん「もう帰った方がええんちゃう」ということで一人脱落(?)。眠り込んだトモちゃんを横に三人はまだまだぐだぐだ。ポテサラ何皿お代わりしたことか(おいしいのだ)。ようやく一時半にもなって、さすがに疲れたので、ぼちぼち腰を上げることに。おそらく放っておけば朝までこのままだったかも。S氏は池袋とか。間村夫妻は市川だったか、タクシーで(けっこうかかります)、小生も東京ドームの横まで同乗させてもらう。楽しかったけど、よく飲むなあ〜。
7月23日(水)くもり、小雨
妻からの電話で起こされる。午前八時四〇分。電話を切ってまたダウン。一〇時前に何とか起きあがる。『黄金の馬車』(啓祐堂)を編集している岩田和彦氏より電話あり。明日、会うことに。今日の予定は早稲田とおに吉(荻窪・西荻・吉祥寺)をざっと流そうということだが、ちょっとだるすぎな感じ。とにかく早稲田へ行こうと定める。何はともあれ本郷三丁目から丸ノ内線に乗ったが、結局、大手町で東西線に乗り換えなければならず、みょうに遠回り。早稲田駅で降りて、学生街らしい雰囲気を楽しみながらも、足取りはやや重く、高田馬場方面へ向かって早稲田通りをふらふら歩く。傘をさすべきかどうか迷うような曖昧な雨模様。
古書現世へ。若主人向井透史氏は同店目録『逍遥』や『サンパン』(EDI)に「店番日記」を執筆、おもしろくもおかしい古書をめぐる人々を軽妙な筆致で描く。そっと店内を覗くと、どうみても父上としか思えないご主人が帳場に坐っている。メールのやり取りはあるが、まだ対面したことがないので、どんな風貌かは分からない。南陀楼綾繁氏の『モクローくん通信』にはセドローとして内澤旬子さん筆の似顔イラストが載っているが……。とにかく棚をチェックする。割安感のある値付けだ。松本八郎さんの出版社EDIの刊行書はすべて揃っている。『sumus』も置いてくれている。『季刊 is 特集―仮面』(第四号、ポーラ文化研究所、一九七九)、『古美術 特集・大仏建立』(第二一号、三彩社、一九六八)を各百円。海野弘『酒場の文化史』(サントリー博物館文庫、一九八三)五百円を選び出した頃、ガッチリした体格の、髪毛の逆立った兄ちゃんが帳場に座った。
おお、彼が若旦那セドローに違いない(内澤さんのイラスト、似てます)。頃合いを見てそっと三冊差し出した。気づいてないよ〜(当たり前)、ふふふ。お金を払ってから、「スムースの林です」と名乗る。「え、あ、どうも」と、ちょっと複雑な表情を見せた。そして「お茶に行きましょう」と立って、「ちょっと出てくるよ」と奥に一声掛けてから早稲田通り沿い北側にあるシェ・ヌーという喫茶店へ(後で聞くと、どうも若旦那は知り合いが来るとお茶を飲んでばかりのようだ)。とてもいい雰囲気の喫茶店。軽いジャズが心地よい。コーヒーもおいしい。そこで、しゃべる、しゃべる、およそ二時間。共通の知人のあることないこと、果ては早稲田古書街の歴史まで講義してもらった。
この長話ですっかりおに吉を流す元気が失せてしまい、神楽坂へもどることに。正午をまたいで二時間しゃべりっぱなしで、食事も摂っていない。予め妻より味見指令を受けていたフランス人経営のギャレット屋へ入る。ギャレットはそば粉などで作るクレープで、ハムやチーズをのせて食べる。サラダ、スープ、コーヒー又はシードルのランチが1600円。ギャレットはまずまずだったが、サラダもスープも、はてはシードルまでもまずい。今、流行っている店はどこでも野菜がおいしい、これ常識。やれやれ、一旦、ホテルへ戻り、午後五時頃まで休息。
三田線水道橋から一駅、神保町へ。ほんの小雨。出版学会主催の講演会「精興社の活版技術」を聴くため。その前に書肆アクセスを覗く。畠中さんがいちばん奥のカーテンの後ろで忙しそうにしていたので、声もかけずに出る(いつもお世話になってます)。次いで新しくなった東京堂書店に入る。以前の方が良かったという声を何人かから聞いていた。ちょっとスッキリしすぎて味も素っ気もないという感じではあるが、内田鋼一の作品集『Uchida Kouichi』(Paramita
Museum)が並べてあるので、許してしまう。内田は一九六九年生まれの陶芸家、新しい感性を持っている。
三省堂の手前の路次を抜けて靖国通りへ出たところ、「はやしさん!」と声をかけられた。ぎょっとして振り返ると河上進氏が歩いてくる。講演会の会場で会うことにはなっていたが、なんでまた、こんなところで。無論いっしょに電機大学七号館へ向かう。すると少し先を歩いている人影に河上氏が「臼田さん」と声をかけた。現代装幀に関する著書を出されている臼田捷治さんである。小生は初対面。『古本デッサン帳』(青弓社、二〇〇一)を読んでくださったとのこと、恐縮する。松本八郎さんを「ハッちゃん」と呼んでいた。
「精興社の活版技術」は明星大学教授でグラフィック・デザイナーの森啓氏による講演。氏は青梅市教育委員会から委嘱されて、一九九五年に操業を中止した精興社の活版印刷に関する調査報告書をまとめた。調査の経緯が述べられた後に、具体的な工程を再現したフィルムの上映となる。精興社は大正二年に東京活版所として創業、震災前後から岩波書店の仕事を手がけるようになって成長した。映像で見る限り、トップクラスの活版印刷所であり、その技術の高さもさることながら、製版・印刷にかける手間ヒマは並大抵なものではない。まったくもって名人芸の世界である。
書物ライター・校正者の田中栞さんも見えていたので、あいさつ。『sumus』別冊に執筆いただいたお礼を述べる。終了後、二次会には参加せず、河上夫妻(内澤さんは仕事のため少し遅れて参加していた)と食事をする。河上氏に出たばかりの『彷書月刊』八月号をもらう(氏は連載を持っているので融通がきく)。おお、すむーす堂の目録がドドーンと掲載されている。たしかに目立つようにと思って作った版下だったが、本当に目立っている。なぜか申し訳なく思う。さすがに今日は生ビール、中ジョッキ一杯だけでガマン。三人で一〇時半頃までしゃべりまくって(今日はよくしゃべった)、お茶の水駅前で別れる。
7月24日(木)くもり、のち晴れ
八時過ぎに起きる。洗面の後、今夕の講演会のために草稿を再確認する。これが目的で上京したのだった。大衆文学研究会の例会で『喫茶店の時代』(編集工房ノア、二〇〇二)に関連した内容の話をするのである。ほぼ逐語的なノートを作って、読み上げるだけでいいように準備をしてきた(よってテープ起こしをする必要はない)。実際声に出してざっと読んでみるが、だいたい良いようだ。さらに水道橋駅の方へ降りて、ニューヨーカーズというカフェでフォッカッチャとグレープフルーツ・ジュースを摂りながら最後のおさらい。
神保町へ出て、靖国通りの大店をウインドウ・ショッピング。田村書店の文字通りウインドウに北園克衛の本が飾ってある。たしか持っているな、と思いながら値段を見ると、帯付き二万円である。ずいぶん以前に五百円で買っているはずだ、ほくほく(どこに収蔵したのか、その後、探しても出てこないので、正確な書名を表示できない。要するにあまり大事にしていなかったということ。ネットで多摩美の「北園文庫」もチェックしてみたが、所蔵されていないようだった)。ため息をついたり、喜んだりしたあと、どこかにフランス語の安本はないかなあ、と歩いていて大島書店にぶつかった(神保町には詳しくないのです)。
外の均一台で “LADY HAWARDEN PHOTOGRAPHE VICTORIEN”LES DOSSIERS DU MUSEE D'ORSAY,
REUNION DES MUSEES NATIONAUX,1990 、百円。レイディ・ハワーデンは一八二二年にグラスゴーで生まれ、六五年にロンドンで没したアマチュア写真家。生前に二度写真展を開いただけで永く無名のままだった。ヴィクトリア朝初期の芝居がかった人物写真(モデルは家族)ばかりながら、ちょっと独特な彫りの深さをもっている。二度目の個展ではルイス・キャロルが彼女の作品を五点購入したそうだ。店内でラクロの“LES LIAISONS DANGEREUSES(危険な関係)”LE LIVRE
DE POCHE,1958、三百円、さらに、MERLEAU-PONTY“PHENOMENOLOGIE
DE LA PERCEPTION(知覚の現象学)”BIBLIOTHEQUE DES IDEES,LIBRAIRIE
GALLIMARD,1945、を千円で。狭いながら英・独・仏書をコンパクトにまとめている。『知覚の現象学』は七十七頁目までエッジがカットされており、前の持ち主はがんばってここまで読んだらしいことがうかがえる。五百数十頁ある本だ。むろん小生も読むつもりはない。
三田線で高輪台へ向かう。岩田氏との待ち合わせは午後一時半(啓祐堂の開店時間)。三田で乗り換えたはいいが、泉岳寺で乗り換えるのを忘れ、品川から引き返した。以前も五反田に行こうと思って、同じ間違いを犯した。それでもなんとか啓祐堂の開店と同時に入店。「北園克衛展」開催中。北園のカットを中心にレイアウトし、一坪ギャラリーにぴったりの企画である。奥成達氏宛て自筆書簡(入会の注意書き)が公開されていたが、詩は三十行以内、ゴシック体、傍点・傍線は使わぬこと、などなど、けっこう細かい禁止事項が連ねてある(もし自分がこういう返事をもらったら入会しないね)。金澤一志氏制作になるカタログもオシャレ。買い逃していた『SD』(鹿島出版会)二〇〇〇年八月号「本・20世紀ブックデザインの精鋭」購入。北園克衛が大きく取り上げられており、ずらっと並んだ『VOU』の表紙がキレイだ(古書価はかなりのもの)。容赦ない時間の潮に洗われながら北園はずっと北園であり続け、すこしもケレン味のなかったことが、はっきりと分かる。
岩田氏、ご主人の杉本光生さん、エノケンの脚本家として活躍された井崎博之氏と近くの喫茶店で雑談しばし。岩田氏は古書店を回ってから小生の講演を聴きに来てくれるというので、神保町まで同道する。井崎さんの『エノケンと呼ばれた男』(講談社文庫、一九九三)をどうぞと差し出される。謝謝。本はいつ貰ってもうれしい。ホテルへもどって休息。最後の最後のおさらい。
午後五時すぎに、草稿や資料の入ったカバンを両手に抱え、ホテルを出たところでタクシーをつかまえる。会場はシニアワーク東京という東京都の施設。飯田橋ホテルエドモントの隣りにあることはネットでも確認しておいた。現在は飯田橋三丁目になっているが、明治十一年内務省地理局作製の地図で見ると、「練兵場」であり、さらに遡って『江戸切絵図集』(ちくま学芸文庫、一九九七、原図は嘉永期の近江屋版)によれば、松平讃岐守の屋敷跡のようである。これは奇遇、小生の郷里は讃岐(香川県)なのだ。しかし運転手は場所が分からない。「ハローワークなら知ってるんですけどね」などと言いわけしながらぐるぐる回っているうちに、やっと見つける。
立派なガラス張り、見上げるばかりの高層ビル。玄関ロビーで五時三〇分に事務局の田辺さんと会い、大衆文学研究会の幹事長高橋氏他の各氏にあいさつ。六時少し前に五階会場に入る。六十人ほど座れそうな会議室である。すでに知った顔も何人かあり、とりあえず、カッコウだけはつきそう。少し遅れて六時三〇分ごろ講演開始。急いでしゃべらないことだけを心懸ける。あとは原稿に忠実に。多少脱線したが、まずは練習の甲斐があった(内容はそのうちどこかに発表するかもしれません)。九時少し前、質問タイムも含めて終了。やれやれ、慣れないことは疲れる。終了後、かわばたようこさんから声をかけられる。佐野繁次郎の本を作るので、佐野本この一冊というアンケートをお願いしますとのこと。快諾。若い人に佐野ファンが増えてきたのはいいことだ。
幹事長が二次会には「林さんも出席されます」などと締めたが、前もって確認がなかったので少々困る。というのは、この後に河上氏が「東京
sumus 会」をセッティングしてくれているからだ。結局、後かたづけの間、うろうろしていて、いろいろな偶然が重なり、研究会の二次会は失礼して、河上氏ご一行様の会場へ少し遅れて参加することになる。飯田橋西口の「おかわりや」(イタリアンな和食? 和風なイタリアン?)へ。参加者は松本八郎、藤城雅彦(EDIスタッフ)、荻原魚雷、岡崎武志、坂崎重盛(『蒐集する猿』ちくま文庫、二〇〇三)、生田誠、吉田勝栄(東京地裁)、間村俊一、八尾久男(新潮社)、佐藤健太(皓星社)、荒木葉子(池袋リブロ)、高橋徹(月の輪書林)、内堀弘(石神井書林)、高野結子(交通新聞社)、河上進、の各氏。遅れて古書現世の向井氏参加。総勢十七人で店の奥まで占領してしまう。
松本さんの音頭で乾杯。岡崎氏の新著、ちくま文庫から九月に出る『古本極楽ガイド』のジャケット校正刷りが出来ていて、見せてくれる。興居島屋の石丸澄子さんの影絵イラスト。岡崎氏らしき人物がバスタブに浸かって本を読んでいる。「風呂で本を読むのは山本さんじゃないの?」と茶々を入れると、「ぼくも読むんですよ」とのこと。その岡崎氏、内堀氏、間村氏、八尾氏、そして小生もみんな阪神タイガースのファンである。今年は景気がいいので意気が上がる。唯一ジャイアンツ・ファンの月の輪さんは(その他の人々は無関心派)、どうせ今年だけのことだからと軽く受け流す、余裕がにくい。八尾氏が岡崎氏に阪神・ヤクルト戦のチケットを渡す。約束だったそうで、岡崎氏興奮(結局、この試合は雨で流れた。詳細は彷書月刊サイトの岡崎日記参照)。間村さんはすでに書いたように内堀さんの顧客だが、初めての顔合わせで、お互い阪神フリークときては「六甲おろし」でも合唱しそうなほどの意気投合ぶりである。
吉田勝栄氏は文庫研究家としてめざましい仕事をしている。本業は裁判官だそうだ。現在は倒産の処理に関わっているという。その自己紹介を聞くなり、すかさず坂崎さんが「名刺、もらえますか」。全員苦笑。皓星社の佐藤氏とは初対面。少し前に神戸へ営業に行って、海文堂書店の店長福岡さんや烏本舗の川辺さんらとホッピー会で盛り上がったという。小生も五月に彼らと飲んだところだったので、だいたい様子は想像できた。ご苦労様。個人的に戦前の温泉文献を集めているとか、なかなか面白そう。月の輪さんに呼ばれて荒木さんと月の輪さんの間に坐る。リブロには昨年(二〇〇二)スムース・フェアーでお世話になった。「また何かできればいいですね」などと約束したが……(リブロはすっかり変わってしまったようである)。内堀〜高橋〜林と並んだのを向いの坂崎さんが「なんだか三兄弟みたいだね」と笑う。そういう坂崎〜生田〜岡崎の並びもかなり濃〜いものがあった。さしずめ三マニアか。
なごやかないい会だったので赤ワインがすすんだ。楽しい時は過ぎるのが速い。十一時前にお開き。解散間際に内堀さんから甲鳥書林のPR雑誌『甲鳥』をいただく。これは嬉しいお土産ができた。JR方面の人たちといっしょに歩き飯田橋駅でてんでに別れる。間村さんは、八尾氏、向井氏と神楽坂方面へ消えた。後日、向井氏からメールで報告があったところによれば、彼らは翌朝の四時まで飲んでいたそうだ。ほんとタフですねえ。
[おわり]