砂 村 便 り
清砂大橋から東砂方面を見る
 江戸時代の初期に開発された、江戸近郊の歴史のある土地なのですが、今ひとつ認知されていない状況を少しでも打破すべく、地域の案内サイトを立ち上げました。
 いずれは、深川方面から江戸市中までも案内に入れていきたいと思っています。
位置-地図
砂町は都心にこんなに近い
 左の地図中の赤い四角のあたりが「砂町」です。東京駅からわずか6kmしか離れていない”都心”です。隣の江戸川区との間を隔てているのは荒川(旧荒川放水路)です。

交通機関
地下鉄東京メトロ 東西線「南砂町」(日本橋駅から五つ目の駅)
都バス:錦糸町、亀戸、東陽町、葛西などから区域内のいろいろなバス停につながっています

「砂町」という名称

 個人的な感想として、「砂村」という名称にはまだ叙情を感じますが、「砂町」となると何かザラついた砂が舞う町のようで殺風景な印象がします。と言うわけで、このサイトのタイトルを「砂村便り」といたしました。
 土地の名称の由来は、江戸時代初期にこの土地を開拓した砂村一族の姓を取って「砂村(新田)」と称していました。
 明治維新後は砂村または砂村地区とされていましたが、大正10年に「砂町」と変わりました。開拓者の姓の”砂”と”村”を切り離してしまったわけですが、「村」から「町」に変わることが発展と進歩の象徴であったのかも知れません。現在とは価値観が少し異なるようです。
 永井荷風の「元八まん」という随筆の中に「砂村は今砂町と改称せられてゐるが、むかしの事を思へば『砂村町』とでも言って置けばよかったのである。」と書いてあるのを見つけたときは、同じ感慨を持つ人間は当時も居たのかとほっとしました。
 その時「砂村町」となっていれば、土地の印象が少し変わっていたような気もします。
 当時から町の地域が広かったためか、南砂町、北砂町、東砂町に分けられましたが、昭和42年ごろには、さらに「町」の字が取られて、「南砂」「北砂」「東砂」に変更されました。海岸線をさらに埋め立てた地区には「新砂」と言う地名も付けられました。
 今度は「町」が嫌われたようですが、「砂町」に改名したのと同じセンスのように感じます。
 いずれ詳しく「歴史」の中で考えて行きたいと思っています。


都心なのに、ちょっと寂しい「砂町」をご案内します