スオミ・ピアノ・スクール研究会

坂井先生の思い出


昨年の坂井先生とのお別れは大変悲しい出来事でした。先生は、最後まで音楽への情熱を持ち続けられました。昨年4月まで(ご病状が悪化するぎりぎりまで)、毎年2回は日本にいらしてセミナーやレッスンをしていただき、そのたびに私たちを原点に戻し、何が大切なのかということを考えさせて下さいました。多くの方が、先生との出会いによって与えられたものの大きさを感じていらっしゃるのではないでしょうか。数名の方にそれぞれの胸の中にある坂井先生の思い出を寄せていただきました。


♪ T.H

振り返ってみると、私のこれまでの音楽シーンは、ほとんど坂井先生とご一緒だったのではないかと思うくらい、先生との思い出が次から次へと浮かんでまいります。先生とのお別れが現実のものだということがまだ受け入れ難いというのが今の心境ですので、初めて先生とお会いした頃のことに絞って書いてみることにしました。
それは1985年の初春の頃だったように思います。千葉のカワイで、高校の先輩でもあるピアニストの渡辺健二さんによるコンサートが午前中に、公開レッスンが午後に行われ、その公開レッスンの受講生が坂井先生の生徒さんでした。
午前中のコンサートが終了し、健二さんにご挨拶をした際に、昼食のお誘いをいただき、カワイの方も勧めて下さるので、同行させていただきました。そのお食事に坂井先生もご一緒されたのです。(健二さんにとってもその時が坂井先生と初対面というわけです。)
実は私の方は、もっと前から坂井先生のことはヤマハの講座等で、よくお見掛けしてはいました。いつも最前列に座られ、一際目立つ美しい銀髪の後ろ姿を目にする度、ベテランになられても常にお勉強を続けてらっしゃるんだなあと、密かに尊敬の念を抱いていました。
ある日、"ラーニング トゥ プレイ"のふたりの著者が来日し、千葉のヤマハで講座が行われました。その時、ふたりの小さな生徒さんがその曲集の中からソロや連弾で何曲も演奏しました。どの曲を弾いても音楽的にも技術的にも完璧な演奏に、著者の方たちもびっくりしていた程です。このような素晴しい生徒さんたちを指導されている先生は一体どんな方かしらと思っていたら、講座が終った時、かの銀髪の先生が著者の方たちとお話をされていました。「ああ、この先生ならなるほどね。」と、ひとり納得した覚えがあるのです。
そのお食事の時に、坂井先生は毎年春に行う発表会(先生は発表会という言葉は好きではないとおっしゃっていました。)では、室内楽の有志の方たちの協演で、子供たちがピアノ協奏曲を演奏するということをお話されました。私が是非伺いたいと申し上げると、後日カワイの方を通して御案内下さいました。
それが1985年4月21日(日)、旧千葉グランドホテルでの「ピアノのつどい」です。朝10時からほぼ丸一日通して行われる大がかりなものでしたので、途中からでも充分だろうと、遅れて会場にはいった私は、すぐ耳にした小さな生徒さんの表情豊かな演奏にびっくり。その後も次々と登場する生徒さんが皆、自分の心で音楽的な演奏をしているのです。どれもひとりひとりの気持ちが伝わってくる素晴しい演奏で、それまでの子供の演奏の認識を覆されたという、ショックに近い程の感動を覚えました。
さらにその日のゲストは中田喜直氏、真理ヨシコ氏、平吉毅州氏…と、豪華な顔ぶれにも驚かされました。会場で使用された二台のグランドピアノの一台は、坂井先生の細幅鍵盤のピアノを運び込んだもので、やはり細幅鍵盤を推奨されている中田氏より、会終了後に紹介があり、自由に触らせていただきました。また、当時はまだ、ほとんど出回っていない調節できる補助ペダルの存在もそこで初めて知り、帰ってからさっそく注文したものです。
何から何まで驚嘆することばかりで、今思えば私にとっての新しい1ページが開かれたと言えるような一日でした。

♪ Y.K

思い起こしてみますと坂井先生と私の出逢いは、1991年私が大学を卒業し、ピアノ講師としてスタートして間もない頃だったと思います。
この年、先生の公開レッスン、そしてマニラへ移られる前の菜の花会最後のコンサートを聴かせていただきました。とても素晴しいコンサートで、こんなに素敵な先生が近くにいらしたことに驚き、強く引かれるものを感じたことを覚えています。
その後1993年にスオミ研究会が発足し、毎年、先生の講座や公開レッスン、又時には研究会でのご指導を受けられるようになりました。先生から伺うお話しはいつも新鮮で、講師として少し歩き出していた私でしたが、お話しを伺う度にいつもスタートに戻される思いでした。
いつでしたか、私自身色々忙しく疲れていて、やっとの思いで坂井先生の講座に伺ったことがありました。しかし先生のお話しを聞いているうちに、不思議と落ち着いてきて、そして最後には"元気"になっていたのです。お歳からすると私の祖母と同じ位でしたのに、逆にこちらが"元気パワー"をいただくことが何回もありました。とにかく考えがお若く前向きでいらして、不思議なパワーと魅力をお持ちの先生でした。私が独身の頃には、お会いする度に「あなたいくつになったの?」とこっそり聞かれて、「いい人見つかった?」といつも声をかけて下さいました。(時にお世話好きなおば様のごとく?!)いつも気にかけて下さりとても光栄でした。
先生とお会いできたこと・・・それは私の人生にとってとても貴重なことだったと、今改めて思います。スオミを通しての先生の教えをいつも忘れず、これからも勉強を続けていかなければならないと強く思っております。そうすることによって、いつも坂井先生が見守って下さり、心の中に生き続けて下さるように思います。先生のご冥福を心よりお祈りして・・・

♪ H.Y

ずいぶん年配の方だなと思いました。でも、お話しを聞くにつれ音楽に対する情熱、ピアノ指導におけるきめの細やかさに驚き、感動しました。子供に対する分かりやすい言葉で、粘り強く指導される姿に、自分もしっかりしなくてはと思い返すことが何度もありました。その後だんだん体力的にきつくなられたように見受けられても、先生の音楽に対する姿勢、精神は全く衰えず、子供を指導する姿に、自分の理想の姿をみつけた気がしました。

♪ Y.N

初めて坂井先生にお会いしたのは私が19歳の時でした。先生を目の前にし、とても緊張した私だったのですが、眼鏡の奥の瞳に深い優しさと温かさを感じたのを今でもよく覚えています。
あれから約10年、先生には音楽だけでなく、人間としての在り方や、人生も教えて頂きました。亡くなられた今も、ふと今年はいついらっしゃるのかと思ってしまうことがあります。そして、深い悲しみに変わります。
心より先生のご冥福をお祈り致します。

♪ S.N

私が坂井先生のことを初めて知ったのは、ほんの数年前のことです。主人の仕事で滞在していた米国から戻り、千葉に落ち着いてピアノに取り組めるようになった頃、ヤマハの企画での先生の講座を拝聴しました。その時は確かスオミのお話ではなく、フィリピンのお弟子さん達のコンサートをビデオで見せていただいたのと、戦争中から敗戦、そして上海からの引き揚げまでのお話でした。コンサートでのお弟子さん達の素晴らしいピアノもさることながら、こんなに素晴らしいご指導をなさる先生の激動の人生(それもとても静かな口調でお話になりました)にすっかり引き込まれ、スオミの研究会に入会させていただくきっかけとなりました。
その講座の最後に質問を受け付けて下さったので「レッスンで一番やってはいけないことは何ですか」と伺いましたら「こう弾きなさい、と指示してしまうことです」ときっぱりとお答えになりました。「これがなかなか難しいことで、私もついつい口に出してしまうのですけどね」と。このことがとても印象深く、「よく聞きなさい、よくお考えなさい」との先生のお声が今でも聞こえるようです。ほんの数年の間でしたので直接お会いしたことは数えるほどでしたが、その度に印象深いお話をお聞かせ下さってありがとうございました。心から先生のご冥福をお祈りします。

♪ K.H

坂井先生のお名前を最初にうかがったのは、今から14年前、舘野泉さんのファンクラブの方からでした。早速テキストと講座のテープを購入してみましたが、テープのお声が良く聞き取れなかったこともあり、当時はまだ日々のレッスンと子育てに追われ、坂井先生の素晴らしさに気づかずにいました。
夫のマニラ赴任が決まったのはその後間もなくです。同じ頃、坂井先生がフィリピンへ渡られる事をお聞きして、驚きと同時に、異国の地で先生にお会いできる期待と喜びに胸が膨らみました。
マニラでは、先生とご子息夫妻と共に、家族ぐるみで気さくにあたたかく接して頂きました。娘は坂井先生のご指導のもとでピアノの手ほどきを受ける事が出来ましたし、舘野先生と身近に接する機会も頂いて、とても光栄な出来事でした。
間近で見せて頂いた先生のレッスンを今でも思い出します。先生は、いつも子供の柔軟な感性の世界にごく自然に寄り添いながら、娘と同じ目線で語りかけ、音楽の世界へと導いてくださいました。先生の奏でるピアノは素晴らしく、レッスンのなかでお弾きになった「ぞうさん」のあたたかく美しい音色に、涙がこぼれたこともありました。
また、異国の地で舘野先生とお近づきになれたのも坂井先生のおかげでした。舘野先生の公演に備えて会場を探す際には、拙い英会話力で何のお役にも立たない私に坂井先生はお声を掛けてくださり、一緒に市内を探し回りました。チケットの制作や当日にむけての話し合いなどの裏方の仕事、それも憧れの舘野先生のコンサートのお手伝いという、日本では経験出来ない素晴らしい時間も頂きました。
坂井先生のご葬儀が行われた「ユニオン・チャーチ 」は、舘野先生のコンサートを行った教会でした。坂井先生と一緒に聖堂の中で、ピアノの響きや客席となるお祈りのための椅子の数を確認した時の光景が甦ります。
帰国してからも、プライベートで何度もお泊まり頂きました。レッスンで学んだ事はもちろんのこと、波乱に満ちた人生や日本の社会情勢に対する憂いなど、音楽の分野以外にもいろんなお話を伺う事が出来ました。先生とご一緒させて頂いた時間のすべてが、私にとっては学びの場でした。

坂井先生、本当にありがとうございました。

レッスンを通じて、「子供達の音楽を感じる心を見守り、育てていきたい」という思いが伝わっているのかを、今自分に問いかけてみると、日々反省するばかりです。
ここで初心に戻り、私なりにピアノを弾く本当の喜びを伝えるレッスンに一歩でも近づけるよう、また私自身も人間的に成長していけるように、音楽と共に前進していきたいと、今また心を新たにしています。
坂井先生のご冥福を心からお祈りいたします。

♪ A.I

坂井百合子先生は私の人生の中で一番の出来事と申し上げても過言ではないほどの大きな出逢いでした。そのきっかけとなったのが、16年前のカワイピアノコンサートでした。渡辺健二先生が岡山の三木記念ホールにて演奏され、その後の懇親会で坂井先生のことを話されました。渡辺先生のお話をたよりに、1ヵ月後の坂井先生のレッスンに、いきなり6人の生徒さんを連れて会場へ出向きました。先生のレッスンは私がこれまで教わったことのない素晴しいものでした。その時の光景は今でも鮮やかに記憶しています。「今日から出発」と思い直して、坂井先生に教えて頂きました。
坂井先生は、人間として、女性として多様に変化する20代、30代、40代の私を見ていてくださいました。3つの時代を通して、色々なことを先生から教えて頂くことが出来ました。ピアノを通じての出逢いでしたが、人間の生き方まで言い尽くせないほどたくさんのことを学ばせて頂きました。今では私の心の財産となっております。「もう、会うことが出来ない。」と思うと悲しくてなりません。ピアノのレッスンをしていたり、飾ってある先生のお写真に目を向けたり、年2回お泊り頂くための先生専用の物を見たりしては、涙する日がもう4ヶ月経ちました。悲しむだけでなく、先生から教えて頂いた色々なことを、これからのピアノの指導に、そして私の人生に生かして行きたいと思っています。
坂井先生が亡くなられる少し前、お電話で息苦しそうにか細いお声で、"かならず本物のピアニストの生の音を聴きなさい"と・・・最後のお言葉を頂きました。
いつどんな時でも音楽を愛し続けられた坂井先生。16年前、渡辺先生が言われていた"坂井先生のように子供に上手にピアノを教える先生は、日本中探してもいないでしょう。世界だとどうかなあ。たぶんいないでしょうねえ。" その通りの本物で偉大なピアノの先生でした。

♪ M.K

2、3年ほど前ですが、坂井先生にお渡しするものがあり、逗留されていた船橋まで出かけたことがありました。急で休日だったこともあり、「申し訳ないわね。ご主人様によろしくね。」と先生は私の家族にまで気を使われたのです。こちらこそ足のご不自由だった先生に駅まで出向いていただいて申し訳ないという思いだったのですが。誰にでも分け隔てなく気配りをされる方、真摯に向き合われる方という印象をますます強くいたしました。
一昨年の秋から先生の生い立ちを拝聴し、会報に少しずつ掲載していくことになりました。これまでにも昼食会などの折に、断片的に先生の人生をお聴きする機会はありましたが、先生の音楽への深い愛情と情熱がどこから来るのかを知りたいと思い、とても興味深くお聴きしました。淡々と、時にはユーモアを交えて話されるその内容は、とても波乱に富んだものでした。包み込むような優しさと上品さの中に、一本凛と筋が通っているのは、そんな人生を乗り越えて来られた先生の強さから来るものなのだと、ひとり納得したものです。
先生の生い立ちのお話はまだまだ終っていません。音楽についても人生についてもお聴きしたいことがたくさんありました。二度と先生のお声を聞くことができないのはとても悲しいことです。私たちに多くのものを残して先生は逝ってしまわれました。心からのご冥福をお祈りいたします。

※次は先生の公開レッスン等を受けられた生徒さん方です。

♪ M

想い出されるのは、人柄を思わせるオチャメな笑顔。小さな体からは、想像もつかないほどのエネルギー。人一倍の豊かな経験。お会いする度、何かをいただいてきました。この広い世界、たくさんの人達との出会いの中で、"この人"に会えたことの喜びと幸せを、今味わっています。私の中で、いただいてきたものを成長させていけるよう、これからも大切にしていきたいと思っています。(母)

レッスンしていただいた時の、先生の力強い声と優しい手を忘れません。(姉)

幼い頃から多くのレッスンを見ていただきました。表現の仕方を例え話で説明してもらったりして、とても分かりやすかったです。ありがとうございました。(妹)

♪ M.K    「天国へ行ったさかい先生へ」

わたしは、さかい先生に、三回レッスンを見ていただき、いろいろなことを教えてもらいました。
わたしが一番心に残っているレッスンは、一回目のレッスンです。さい初に見ていただいた時は、わたしはようち園のときでした。その時に、
「音をよく聞きなさい。あなたの耳が一番の先生よ。ほかに先生がいても、あなたが出した音は、自分ではんだんするのよ。」
と言われました。そのことは、ピアノをえんそうするうえでとても大切なことだと思いました。
もう、さかい先生には、会えないけれど、わたしの心の中では、先生に教えていただいたことは、いつまでもわすれません。
さかい先生ありがとうございました。