旅客飛行艇の時代
アメリカ Benoist XIV 1914年
この飛行艇が、民間航空の始まり?
1914年1月1日に始められ、最後は、1914年5月5日でした。 1日2便で、週6日運行しました。1回の飛行は、22分間でした。
詳しくは、ここ→http://www.airminded.net/benoist14/benoist14.html
この飛行機のレプリカは、サンクトペテルスブルグ、フロリダ St.Petersburg博物館で、ブノア・パビリオン で陳列してあります。


第一次世界大戦 1914年から1918年
この間 民間旅客飛行艇に変化は有りません
しかし この間に作られた軍用機が この後余剰品として 民間に放出され 飛行艇による旅客飛行が盛んになります
ドイツ Dornier RS 1918年
Dornierがまだ、Zeppelinにいたころの作品。 左側の写真は、1915年のRs
I で、右側が Rs IV で、下が Rs III
です。
上から機体、エンジン(4発)、艇体と分かれていますが、大変な巨人機であったことがわかります。 いずれも試作で終わったようです。
Rs III は全金属製であったそうな


フランス Donnet-Denhaut DD-9 1919
マルセイユとアルジェの間の最初のリンクは1919年1月26日に、フランス軍用のDonnet-Denhaut
DD-9 飛行艇によって達成されます。
この飛行艇は、第1次大戦で活躍した飛行艇ですが、戦後余剰品として大量に放出されました。
Miramasを離れ、コルシカの海岸沿いのアヤッチオで燃料の供給で止まり、そしてサルディーニャの海岸沿いをとおり、アルジェまでの11時間のフライト。
商業飛行にいたっていません。


アメリカ Curtiss NC-4 1919年
1919年5月8〜31日。、アルバートクッシングReadの指揮下で、アメリカ海軍飛行艇
NC-4 は、53時間58分で、ニューファンドランド、アゾーレス諸島、リスボン、ポルトガルと他の中間の停止を通して、ロッカウェー(N.Y.)からプリマス(イングランド)への最初の太西洋横断(7,284km)をします。
但し、商業飛行ではありませんが!
このNC型機は、たいへんな大型機です、右下の写真で機首上の点は人間です。

ニューファンドランドのTrepassay湾で、最初の大西洋横断飛行のために離陸地点を離れる、海軍飛行艇NC-1とNC-3(最前面で)。
この3機のうちで、うまくヨーロッパに着いた唯一の飛行艇
NC-4 は、見えていません。
見えている海軍船は、ナビゲーションの提供するためにルートに沿って配置された艦隊のうちの1隻でした。
もっと詳しく→ http://www.pilotfriend.com/century-of-flight/Aviation%20history/daredevils/Atlantic.htm
ボーイングB-1 1919
ボーイングB-1は最初の商業的な水上機でした。 シアトル
ー ビクトリア 間を郵便飛行で、1919年から28年まで飛びました。
→http://www.boeing.com/history/boeing/b1.html

右の絵は、1924年製のカナダのボーイング204で、このB−1に客席をもうけたもの。
カプローニ 三葉機1919
おそらく、最初の大型飛行艇は、6人のパイロットと機関士をプラスして、100人の乗客を運ぶカプローニ 3葉機でしょう。
この飛行艇は、8台のエンジンで長さ66フィートでしたが、1回目のフライトで湖に墜落しました。 そして、機体は廃棄されました。
当時としては、大変な大型機だったと思われます。 この機体は、けっこう有名なんですね。世紀の駄作として
http://www.space.net.au/~dpwyrm/detritus/caproni.html http://www.airbornegrafix.com/HistoricAircraft/ToFly/CaproniCA60.htm http://www.airwar.ru/enc/cw1/ca60.html
カプローニの創始者はこちら→http://www.allstar.fiu.edu/AERO/caproni.htm 下の人がそうです→http://www.ctie.monash.edu.au/hargrave/ferrario.html

Levy-LePen 飛行艇 1919
SNETA 航空は、ベルギーのコンゴ周辺で2名の乗客を運ぶレヴィ飛行艇(ルノー V12、280馬力 機体はフランス)を使ってスタートしました..。
第1区の Leopoldville と Gombe の580 km が March 3, 1921, 第2区の Gombe と Lisala (610 km) が July 1st, 1921, に運行された。
この線は、「 Airline king Albert 」(LARA)の名称を受けました。 後にSABENA航空になります。
そして、 June 7, 1922 に停止されるまでに、80回の飛行で 125.000 km を飛び 95 人の乗客と2tonの郵便を運びました。
ここに有ります→http://lubum2.free.fr/sabena/page1.htm この飛行艇の垂直尾翼は なんともフランス的です

これとは別に、フランス スペインでは Bordeaux Biarritz Bilbao San Sebastian 間で、カジノ客相手の輸送が、1920年有ったようです。
フランスの南西部で会社STASOは、フランスの3番目の航空会社でした。それが、1年の間存在しました。
40Hタイプファルマン F、テリエT-3 と LevyLePen飛行艇 はフランスとスペインの間でビジネスマンを輸送するはずでした。そのサービスは助成金を支給されました。その航空業務の後継者CFBは多くの地元の投資家によって後退してしまいました。
→http://www.europeanairlines.no/doc/cfb_010104.htm
このレヴィ飛行艇もまた、大戦後の余剰機種でした。
ここにも有ります→http://www.worldwar1.com/dbc/gl40.htm ここも→http://www.aire.org/histaer/aviones/levy-lepen.htm http://www.aire.org/histaer/rutas/bayonne.htm
カーティスF-5 1919
Aeromarine航空は、ニューヨークと フロリダ-ハバナの間を カーティス(F-5L)ベースとしたAeromarine AM-75を就航させました 。 AM-75 は135km/hの最高速度と540kmの航続距離を持っていました。 禁酒法の時代(1920年から13年間)に 裕福なアメリカ人を カリブ海の「湿った」島へ連れて行くための 「Highball
Express 」として、広く知れわたっていた。
詳しい様子は http://www.timetableimages.com/ttimages/aerombio.htm に有ります。
でも、あまり長くは続かなかったようです。 やはり政府の補助がないと成り立たなかった様です
この飛行艇 イギリスのFelixstoweが カーチスのライセンスで開発したものを 米軍が F−5Lとして採用した飛行艇で AM-75は民間用に艇体がキャビンになっています。
エンジンは、2台の カーチスLiberty


3人の乗組員 ― 頭上の開いたコックピットのパイロットと整備士/副操縦士
― と、前後2つのコンパートメントで11人の乗客のために豪華な設備を特徴としていました。

Dornier GS・I 1919年
上のRsから、1年後 Dornier は今度は Gs を1機試作しています。 乗員2+乗客6 で、エンジンは、 2* Maybach Mb IVa となっています。Specは、Length 15.30 m, height 4.70 m, span 21.00 m, wing area 80.0 m2 Empty 3115 kg, load 1200 kg, flying weight 4315 kg Max. speed 170 km/h, service ceiling 4250 m, range 600 km となっています。


イタリー Il P.R.B. 1 1920年
1919年、大西洋を横断しようと計画された飛行艇。 1920年に完成してウエハー(アンツィオ)、およびBraccianoの湖でのテストで成功しました。多数の他の外国の代表団(フランス人、ベルギー人など)訪れた、しかし、不運にも、それらは命令と設立に続きませんでした、それは失敗しました。 と、ありました。
PRBは、30メートルのhaul、と7000 kgsの重量と、各々4つのフィアットA.12 300cv のエンジン。 艇体の底面が平らです。


フランス Leo H6 1920年
この飛行艇は、試作に終わったようです。

Aeromarine Model 85 1921年
エアロマリン社は、1921年にはカーチスHS2LをベースとしたModel 85 を飛ばしました。 Converted USN Curtiss HS2L bi-wing flying boat with 1 pusher Liberty engine, 6 passengers, 2 crew (pilot and mechanic), open center cockpit and open/enclosed front passenger compartments.

映画の撮影でもしたようです。 右は遊覧飛行の発着場で。
ドイツ Dornier DoJ Wal 1922年
1922年(大正11年)6月4日に、井上長一氏が大阪府堺市大浜海岸に日本航空輸送研究所を開設し、大阪−徳島間及び大阪−高松間に不定期の水上機による航空輸送を開始しました。
自主設計の川西K7型やK8A/B型に加えて、ドルニエ・ワール飛行艇も加わり飛行場は活況を呈し、 この日本航空輸送研究所は堺及び大阪から四国・九州方面や南紀白浜方面に定期航空便を飛ばし、郵便物や新鮮な魚介類を航空便により空輸したり、大阪湾遊覧飛行を企画実行したりしました。 日本航空輸送研究所は大浜に堺水上飛行学校を開設し、
1936(昭和11)年10月 に大型飛行艇「きりん」号を飛ばしたりしましたが、国策により大日本航空株式会社設立とともに、日本航空輸送研究所は1939年(昭和14年)10月31日に業務を閉じることとなりました。


ドルニェエ ワール 飛行艇
日本で使われたワールは、イタリアCMASAで生産されたものを、川崎航空機で組み立てられた。
下のSpecは軍用のもの。
当時のドイツは 第1次大戦に破れ 自国内で航空機の生産が禁止されており
設計のみを行い イタリアなどに会社を作りそこで 生産していました
Wingspan : 23.20 m Length : 18.20 m Weight : 8000 kg Max. speed : 220 km/h
Ceiling : 3600 m Range : 2200 km Crew : 5 Payload : 200kg
ドイツ Dornier Delphin II, 1923年
Gs I は搭乗人数にくらべ、機体が大きすぎるので、今度はコンパクトにまとめています。 写真左は機名が
Cs になっています。 右側は Delphin I と変わりました。
下の写真は、1920年の初飛行の時のものです、5機の試作期間を終えて、6機めが完成したのが1923年、商用にはその機体で、1925年に
Bodensee Aerolloyd で開始されました。
以後2機が作られています。 Gsと同じ乗員2+乗客6
となっています。 写真の液面はみな鏡のように波がありません、だからこんな形の発想もでてくるんでしょうね。

Cs Delphin
I

イギリス スーパー マリン シーイーグル 1923
上と比べて、こちらは海洋国イギリスの発想、ボートに翼とエンジンが乗っている。
スーパーマリン 社は複葉機構成の3台の水陸両用の飛行艇を設計・建設しました。 各々は
360馬力 (268kW) ロールス ロイス イーグルIXエンジンで動かされて、2人のクルーによって動いて、6人の乗客のためにキャビンを持っていました。
英国の海兵隊員のAir Navigation Companyが、サウサンプトンとチャネル諸島の間で パッセンジャーサービスを設立するために造られて、最初は1923年6月の初めに飛ばされました。
1923年9月25日に開始されるサウサンプトン-ガーンジールートは飛行艇での最初の英国の予定のパッセンジャー航空業務でした、そして、3機の
シーイー グル のうちの1つは1928年後半までこのルートで存続しました。 ここにあります→http://www.imperial-airways.com/Supermarine_sea_eagle.html
このサービスは 1928年10月 に Short Calcutta, G-EBVH に引き継がれます

1924年夏に、国境のチャネル諸島沖でポンツーン搭載のターミナルは、イギリスとフランスの両方の旗を翻しています

フランス Liore' & Olivier Hー13 1924年
先のLeO H-6 に対して、まとまった数が生産登録されています。Aeronavaleで50機?が、マルセイユ−チュニス−Bone(1293km)ラインで使われています。
Air Unionでは13機使用されました。 2発のイスパノスイザV8 150hp で、6人乗り(乗客は4人?)のキャビンを持っています。 操縦席は、客席の後ろにあります。
1922年から25年までに16機、 Les avions LATECOEREで調達されています。 フランス海外路線で使用されたものと思われます。
イタリアの海岸に接せずに、マルセイユ、アンティーブ、ニースから、地中海のアヤッチオ(コルシカ)を通って、チュニスおよびアルジェに達するように意図されて、C.G.E.A.のLioreのH- 13は1923年に運行されます。 下右は、ポート・アルジェ
にて。

下の写真でも解るとおり、操縦席は主翼より後ろにあります。上翼中央の突起は燃料タンク?

発展型として H15 が有ります。
H15は、3発で10人乗りですが、オーダーは有りませんでした。
フランス Liore' & Olivier Hー190 1926年
さすがにフランス 洗練された美しい曲線を持っています。 これも操縦席は客室の後ろに有ります。 空冷Jupiter 420hpエンジン(たぶん単発)で、離陸重量3トンの 6人の乗客のキャビンと 巡航速度150km/hで750kmの航続距離を持ちます。 1926年に5機がAir-Unionに、C.G.E.AやAir-Union
Lines of Orient.などにも売れたようです。

LeO H190 LeO
H192 1929年



それぞれ発展型です。 H−194 H−198 H−199
だんだん形が 悪くなる
フランス Late 21 1926年
これも5機登録されていますが、よく解りません。
マルセーユとアルジェの間の開通は、水上機
Lat 21 のプロトタイプで行われました。 しかし、1mのうねりの中で、takeoff
出来なかったようです。
下の写真、左右で詳細形状が異なっていますが、左側がたぶんプロトタイプ。やはり操縦席は客席の後ろ。
Les avions LATECOERE に4機採用されています。

Late'coe`re は、航空会社をバックに持つので、その後も改良をつづけます、下はLate
23 。

フランス SPCA 1926
Air-UnionのOrientラインは、ベイルートとサイゴン線のために速いSPCAー63「流星」を注文しました。
それにしてもすごいです、地中海を横断出来る陸上機が出来るまでの間、フランスは、小型の飛行艇王国だったんですね!

Junkers F-13 - Finnair 1926
1926年 からフィンランド航空は、ユンカースF-13とユンカースJu-24フロート水上機を使い始めました。
下記は、フィンランド航空F-13のフロート水上機です。 赤い線の区間です。
1924年

アメリカ シコルスキーS-34 1926
PAA?は、1926年に彼らの新しいカリブ海のルートでテストのために 5機のシコルスキーS-34を使いました。
これらは、試験の後、パワー不足でメーカーに返されました。 写真はこれしか見あたらない。
このPAAのS34、探しても何処にも無く確認がとれない、1926年のPAAがうそっぽい。
two 200hp Wright J-4 、 crash-landed at sea and sank in Nov 1927
after experiencing motor trouble during a
test flight.
1927年11月に、試験飛行で エンジントラブルを起こして海上に不時着してクラッシュした。とありました やっぱりウソでした。

イタリア CANT10 1926年
イタリアでは、この年初めての民間航空 SISA
が、トリエステ ー トリノ 間で営業を開始して、CANT
10 を飛ばしました。
胴体先端の客室、エンジン下の風防の無い操縦席、など一連のフランス機と同じ設計。
この頃の旅客機は、みな操縦席はオープンエアでした。 ポスターの絵は 3発の
CANT 6 ですが、実際に使われたのは CANT10のようです。

上がCANT 6 で下が CANT 10


この他、 Aero Expresso Italiana が ドイツのDo15 Walを使って、運行を始めました。 このDo 15 はイタリアのCAMSAで作られました

CAMSAで生産された、イタリアでのWal
フランス CANT22 1928年
一方SISAの方は、CANT22を、1928年に就航させます。 生産機数は10機、クルー3名、乗客9名、高度3000m〜3400mで航続距離560〜600km、エンジンは Asso 200 da 250hp が両脇に、中央は Asso 500 (510hp) 1936年まで就航しました。

飛んでいるところの 写真が無いので!

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