呼和浩特通信(フフホトつうしん)
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<SARS日記>

SARSは中国語で「非典型肺炎」(ふぇいでぃえんしんふぇいえん)
略して「非典」(ふぇいでぃえん)と言います。

呼和浩特でSARSが話題に登り始めたのは、4月中旬辺りからでした。
それが、周囲の状況があっという間に変わってきて、食堂の閉鎖、授業休講、
そしてついには一時帰国にまで追い込まれることになりました。
こんなことは、もう二度と体験することはないでしょう。

2003年5月5号(一)
朝、韓国人と一緒に空港へ。見送りなどチケットを持っていない人は建物に入れない。飛行機に乗る人も、建物に入るとすぐアンケートを書かされ、サーモで体温測定。でもその他の面倒はない。空港の職員は全員白ずくめの服を着てマスク着用。ゴーグルをしている人も。
待ち時間に韓国人と話。先日帰国した韓国人が乗った飛行機からSARS感染者が出たという話は聞いていたが、それがこの呼和浩特−北京だったとのこと。今は行方が知れないということで、きっと韓国のどこかで隔離されているのだろう。乗客は90%くらい乗っていた。全員がマスクを着用していて、誰も何も言ってないけど咳払いはご法度、というような雰囲気が漂っていた。
北京空港も呼和浩特と同じく、チケットのない人は建物に入れず、入るときもサーモで体温測定。12:30くらいに呼和浩特に残っているOさんに電話し、空港や飛行機の状況を説明。12:45に搭乗手続き開始。客が少ないせいで、30分足らずで終わってしまう。
フライト予定が14:45なので14:15に搭乗口に行くと、他の乗客はすでに全員揃っていて、私が最後の1人ということだった。乗客はたったの10人。14:30前に飛び立ってしまった。機内でスチュワーデスに話を聞くと、日本−成田間の便は最近ずっとこんな感じで、また中国に限らず海外自体へ出るのを控えている傾向がある、ということだった。
18:35成田着。あまりに人が少ないため、飛行機が停まってから5分で入国手続きが終わり、15分で建物から出られた。その間、注意書きの紙を1枚もらっただけで、厳しいチェックやサーモなどはなかった。

2003年5月4号(天)
朝、航空券売り場から電話があり、明日乗る予定の呼和浩特−北京の便が欠航になったとのこと。あわてて学校に車を手配してもらい、チケット売り場に行って別の便に振り替えてもらう。
戻ってきてから、明日同じ便で北京に行く韓国人と相談し、朝6時に出発することにし、B先生に話をして車の手配をお願いする。

2003年5月2号(五)
昼食後、IさんUさんOさん(みんな日本人)と話。日本語の先生をしているIさんは、学外に自由に出入りができるということ。
15時前に、UさんとDが学校が手配した車に乗って学外へ。理由は「銀行に行く」。外で勝手に動かれるのを防ぐというのもあるが、それ以前にそれくらいしないと外に出られなくなっているということの裏返しでもある。Kさんは外出しようとしたが、しばらくして戻ってきた。やはり出られなかったみたい。
夕方、帰国日朝に車を手配してもらえるようB老師に頼む。

2003年5月1号(四)
11時にOさんと郵便局に行き荷物を送ろうとするが、案の定東門を出る時に止められた。Oさんは顔パスで出入りできていたらしいが、それもすでに無理になっていた。わざわざ国際教育学院(留学生寮)に電話して確認までした。
12時に院長のW先生に「午後外出したい」と言うと、すぐ門に電話をしてくれた。しかし14:30に外出する時に、門番に電話のことを言っても「聞いてない」。あまりのいい加減さに腹が立ち、また帰国する時に外に出してもらえるか心配になる。たまたま門の外にW先生がいたので、なんとか外に出られた。まず家に行って最後の荷物整理。次にAさんの家に行って家の鍵を預ける。
帰ってくる時は知り合いの門番1人しかおらず、簡単に入れた。次に外出するのは帰国の時だ。

2003年4月30号(三)
朝、大荷物を持って大学へ。案の定門でひっかかるが、たまたまZ先生が通りかかって事情を話してくれたので簡単に通れた。
「外から寮に戻ってきた学生は必ず身体検査を受けなければならない」ということで、再び病院へ。
補講後、11:30までKさんOさんと話。こちらで日本語学校を経営しているHさんも帰国らしい(でも学校の関係で2週間後には戻ってくるとのこと)。あと「今、大量の日本人が北京から帰っているだろうから、飛行機も危ないだろう」。でも呼和浩特からは北京以外を経由するのは非現実的なのでしょうがない。
15時、日本語を勉強している友人5人と会う。みんな就職が決まっていて、7月には呼和浩特を去る。でもそれまでに私が戻って来れるとは思えないので、もう会えないかも知れない。何枚か写真を撮り、住所、メールアドレスの交換。
16時にチケットを買いに行こうとすると、留学生も外に出られなくなっていた。寮に戻ると、たまたま門番の1人が寮に来ていて、事情を話すと簡単に外に出してもらえた。「19時に交代してしまうので、それまでに戻ってくるように」と言われた。
チケット売り場で、5/5の便を確保。待っている間に、明日帰国と言う韓国人に会う。
その後家に戻って荷物整理し、18時に大学に戻ってくる。

2003年4月29号(二)
11:30すぎにOさんから電話。学内に入るのがさらに厳しくなっているらしい。さらにSさんは出る時に「もう来るな」みたいに言われたらしい。
午後、帰国準備をするが、18時くらいに事務室のB先生から「学外に住んでいる留学生は、明日から必ず寮に住むように」と言われ、急遽引っ越し準備に切り替える。この件についてOさんに電話すると「北京で帰国勧告が出された。呼和浩特も間もなく出されるだろう」との情報をいただく。
21時前、再びOさんから電話。「明日から、8時から10時まで『補講以上本授業以下』みたいな形式で授業を再開するらしい。あと外に住んでいた学生が続々帰って来ている」という話。

2003年4月28号(一)
1時間目の休みに、KさんとYさんが事務室に行って再入国ビザの手続き。
3時間目の前に「明日から休講になる」というお知らせ。「留学生の授業は本科に合わせる」と聞いていたが、本科はまだ通常どおり授業をしているということなので意外。どちらにしても「ついにここまで来たか」という感じ。「本科生は実家に帰りたくても勝手に帰れないが、留学生は外国人なので扱いは違う」らしい。
Z老師が「本屋に行ったがすべて閉まっていた」と言っていた。いよいよ食堂以外にも影響が出始めたのか。

2003年4月27号(天)
12時前に風呂に行く。昼前なのでもともとガラガラなのに加え、今回はSARS騒ぎのせいでいつも以上に客が少ない。いつもはベッドに寝ている人もいるのに、今日はさすがにいなかった。
17時前に家から電話。「帰国した方がいいのでは」と言われた。今までまわりの話を聞いて、そのたびに心が帰国に傾いたり様子見に傾いたりしていた一方で家からは「様子を見るしかない」と言われていた。でも今回こうはっきり言われたので「そろそろ潮時か」と、無念だが帰国を決意。
南門近くの食堂街の様子を見に行く。食堂はほとんどシャッターを下ろしている。上がっている店もあったが、営業しているのかどうかわからない。食堂以外の店はほとんど開いていた。
寮で5人くらいの日本人と夕食をとりつつ話をする。Yさんは5月1日に帰国でほぼ決定。Kさんは明日パスポートを持ってきて再入国ビザの申請をすることのこと。あとOさんによると「東門の並びのファーストフード、それにモンゴル食料品の店も閉まっていた」とのこと。

2003年4月26号(六)
昼過ぎに学校に行く途中、ちょっと寄り道。新烏蘭飯店(大学の北側にあるレストラン・ホテル)近くの食堂は5〜6割が閉まっている。開いている店も客はまばら。
学食で、服務員に「最近人はよく来るか」と聞いてみると「まだ感染者が見つかっていないので、多い」との答え。外の食堂がどんどん閉まっていることを考えれば当然の答えか。

2003年4月25号(五)
領事部のお知らせで、山西省の危険度が23日付で「充分注意して下さい」から「渡航の是非を検討して下さい」に引き上げられた。内モンゴルは引き続き「充分注意して下さい」。でも「これは危険度が上がってないのではなく、ただ情報が入らないだけ」。
Oさんから「いよいよ薬の臨床試験が始まったらしい」という情報を聞く。でも「まだダメでもともと、良くなればもうけもん」程度のレベルらしい。Kさんは休み時間中にあちこちに電話をかけている。いよいよ帰国の方向に傾いているみたい。「授業があるうちは帰らない」と言っていたYさんも、日本から電話を何本ももらい帰国することに決めたということ。あと、南門近くの食堂街も全部シャッターを下ろしたらしい。「已消毒(消毒済み)」の張り紙をしている店もあったが、遠のく客足を止めることはできなかったみたい。
Sさんが日本大使館領事部の「所属の学校の状況を教えて下さい」というメールを受けて、内大の日本人のまとめ役を買って出てくれた。
昼、学外に買い出し。その帰り、東門を通る時に学生証に加えて健康診断の結果まで提示を求められた。「今持ってない。大学の中にある」というと「次回以降携帯するように」と言われた。

2003年4月24号(四)
朝、Kさんが「来週帰国するかもしれない」とのこと。
昼休み、韓国人が「帰国することにした」。他の韓国人に聞いてみると「大部分の韓国人が帰国を考えている」。
夜、家から「『内モンゴル医学院付属医院で、病院に来た患者7人を、金がないという理由で追い返した』というニュースがあった」と電話。その患者にはすでにSARSで死亡した家族がいるらしい。聞いた瞬間血の気が引いた。電話を切ってから地図を見てみると、駅の南西、電視台の真西。大学から自転車に乗って20分前後の距離。家とは正反対の方向だけど、はっきり言って怖い。でも今は飛行機も電車もうかつに乗ることはできないし、様子を見るしかない。

2003年4月23号(三)
午前中、帰国組日本人4人のうち2人が旅行会社に行く。入り口スーパー(大学の外に通り抜けできるスーパー)の道路側が閉鎖されていて通り抜けできないようになっていた。帰り道、Oさん「呼和浩特は南に比べて菌が蔓延する条件(湿気、温度)は悪いのに、中国でも特に汚い都市で衛生状態が非常に悪いので大問題になっている」。
寮の入り口に「寮の関係者以外立ち入り禁止」の張り紙。寮の掲示板には「これからしばらくの間寮費を1ドル安くするから、寮に戻って来い」というお達し。「外に住むよりも寮の方が安全」と言っているようだがあまり変わらない気がする。
昼食をとりつつOさんと話。Oさんは「授業が休講になるまではいる。休講になったら、危険な場所にいる意味がなくなるので帰国する」とのこと。Sさんは「患者が突然増えた訳ではなく、今まで隠れていたのが出てきただけ。それほど深刻ではないのではないか」と話す。Sさんはここよりもさらに過酷な環境で生活していた経験があるので、説得力はある。とりあえず、もう少し様子を見ることにする。ただ、これが吉と出るか凶と出るかは誰にもわからない。
15時から健康診断。留学生以外にも団体で受けに来ている人たちがいた。体温測定、レントゲン撮影、採血。終了後寮に戻ろうとすると、東門を通る時にマスクをした守衛に学生証の提示を求められる。外部の人に対する大学への入場規制がどんどん厳しくなっている。

2003年4月22号(二)
朝「内モンゴル全体の感染者30人、死者6人、疑いのある人48人」という情報。Kさんの会社も休みになったらしい。最近寮がよく消毒されているが、これについてOさん「消毒液は相当強い酸性みたいなので要注意。しかも散布するときに霧状になっていないのであまり意味がない」。他に「呼和浩特市内で、今後公共の場所でのイベント活動などが禁止になった」「内モンゴルは乾燥していて、さらに最近寒くてこれだから、これから更にひどくなる」。
11時に日本語学校に電話。「すでに休みに入っている。5/20まで休み」とのこと。
掲示板に「明日健康診断」のお知らせが張り出される。
東門の北側にある清真で食事をしようとするが休業。入り口スーパー隣の金星レストランは営業していたがガラガラ。ここに限らず、最近どの食堂も例外なくこういう状態。遠からず潰れる店も出てくるだろう。
Kaさんが20cmくらいの大きさの大根を買ってきたので値段を聞くと「6元」。大根をよく買っているらしいけど、これは異常に高いらしい。
大学南門近くの食堂街のうち、すでに2〜3軒がシャッターを下ろしていた。通りも、いつもは帰宅の学生で溢れ返っている時間のはずなのに閑散としている。
帰宅後Aさんから電話。「近く、寮住まいの学生は外出が禁止され、また大学への出入りも禁止される」という噂を聞いたらしい。次にOさんから「Ku君、Ka君、Kuさん、M君が帰国。文化商城も閉鎖」という情報。Sさんは日本大使館にメールで問い合わせをしているらしい。あと「大学の出入りが禁止になると、学食以外からの食料の調達がやっかいになる」。気持ちが急激に帰国に傾く。

2003年4月21号(一)
Sさんのお子さんの学校が、5月12日まで休講。「大根が効く」といううわさがあるらしく、元々8角くらいだったのが、最高10元近くまで高騰しているらしい(1元=15円前後。1元=10角)。「内モンゴル全体の感染者25人、うち呼和浩特15人」という情報を聞く。
昼食後の時間帯、いつもはけっこうな人が歩いているのに今日は車すらほとんど通っておらず。雨で暗いのも手伝って廃墟のように見えて不気味。郵便局にも客がまったくおらず、職員全員がマスクをつけていた。
夕方、正式にHSK延期の通知が張り出される。「でも、次の7月までに状況が好転している可能性は低い」という意見もあった。
17時くらいにBとB老師がモンゴル人を連れて車に乗り込むのを目撃。後でOさんと「あれはSARSの疑いがあるんじゃないか」と話す。
夕食後寮に戻ると、漢方薬を飲まされそうになる。「まずいし、信用できないので飲まない」と答えると「味と命どっちが大事なんだ」と言われる。自分で考えもせずに「これさえ飲めば平気」と信じ込んでいる。現地人は民間信仰や根拠のない情報でも鵜呑みにしてしまう。
帰宅後Mさんから電話。内モンゴル病院の知り合いから「すでに30人以上が死んでいる」と聞いたらしい。朝聞いた情報と数字が全然違う。みんなウソを言っているとは思ってないけど、その出所がわからないのでどれも信用できない。

2003年4月19号(六)
夕方、Oさんから電話。「師範大と農大で感染者が出た」という噂がたっているらしい。あと「5月のHSK(中国語の国家試験)が中止になりそうだ」という情報も。

2003年4月17号(四)
21時前、Wさんから「巴盟(週末から旅行予定だった場所)がSARSの重点なんとか地域に指定されたらしく、旅行中止」という電話。

2003年4月15号(二)
Ku君から「国際教育学院(留学生寮のこと)からも感染者が出たという噂がある」という話を聞く(モンゴル人留学生の大量帰国はこれも関係があるっぽい)。「昨日のミーティングはそれを受けてのこと」という話も。これに対し学校側は「重い風邪の症状の人を病院に搬送しただけで、SARSとは関係ない」と説明。あまりにタイミングが良すぎて、学校の説明はちょっと信じがたい。
日本語学校でUさんから「外食は避けるように」とアドバイスをいただく。Oさんからは「食べ物と一緒に菌が入ってきても器官ではなく胃に行くので問題ない」と聞いていたが、せっかく心配して言ってくれているので素直に聞く。

2003年4月14号(一)
15時からミーティング。SARSの呼和浩特での現状、症状と予防策などについて内モンゴル大学病院の先生から話。
予防策として「換気をする」「手洗い」「体を鍛える」「大根1本、ミカンの皮半分、生姜3かけ、長ネギ(白い部分)2本、香菜、温かいスープをとる」。でもOさん(日本で薬剤師をしていた)曰く「換気すると、かえって菌が入ってくる可能性がある」「菌が手についた状態で食べ物を食べても器官でなく胃に入るので関係ない」「食べ物は、どれも風邪を引いたときのもの」。だいたい菌の正体すらわかっていないのに、なんで「予防できる食べ物」なのか。病院の先生がこんなこと言ってるのだからお粗末にもほどがある。
Oさん「こういう訳の分からない予防策をとった連中が安心して外をうろついて菌を持ってくるのが一番怖い」。


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