チェチェンイツアはユカタン半島最大の遺跡です。
この遺跡も6〜7世紀に隆盛を誇った後 歴史の舞台からいったん姿を消します。
10世紀になって再び栄えカステージョをはじめとする多くの建造物を残しました。
チェチェンとは「井戸のほとり」イツアは「水の魔術師」という意味です。
「犠牲の泉」 とよばれるセノテが近くにあります。
チェチェン・イツアではアステカの血の匂いがしました。
底辺55.30m 高さ30mです。 エジプトのピラミッドを見てきた目で見れば
際立って高い建造物とは云えないでしょうが、印象深いのはその容姿の端正さでしょうか。
神殿の階段が急勾配で降りる時怖いです。みんな手を突いてそろそろ降りていました。
9層で高さ30m 4面に頂上に達する91段の階段があります。
9層は階段で左右に分かれていて
9×2=18 マヤ・ハアプ暦1年の月を表しています。。
階段の総数91×4=364
これに頂上の1段を加えて365日
1年の日数を表すということです。
北の階段の欄干部分には蛇の彫刻が施されております。
毎年春分の日と秋分の日の午後陽光によって、スルスルと
光の蛇が天下ってくるように見えるように設計されています。
私は春分の日より5日ほど早く訪れましたが、午後まで待てなく
もう二度と訪れない遺跡だから何でも全て見て回ろうと周りの
遺跡めぐりで忙しく見ることはできませんでした。
春分の日 秋分の日といえば エジプトのアブシンベル神殿を旅した時
ラムセス二世に朝の太陽が光輝くように設計されていました。
紀元前数千年の技術に驚いたことを思い出しました。
チャックモールの横に赤い目をしたジャガーの像がありました。
このチャックモールに人の心臓を捧げました。
赤い目のジャガーは写真に撮ることができませんでしたが、
赤い翡翠の目は必見です。順番待ちして並んだかいがあります。
エジプトのピラミッドは外から頂上にはとても登れませんが、
このエルカステイジョには外からも中からも頂上に
登ることができ満足しました。







メインゲートを入ると まず見えてくるのが「ジャガーの神殿」です。
その隣が競技場です。競技場は全長168mもあり、これはメソアメリカでも最大級の
大きさです。
メソアメリカでは球技は単なるスポーツではなく
五穀豊穣を祈る大切な宗教儀式でした。



競技場の両サイドの高い壁にリングがつけられています。球技は戦士が手を使わず
足と腕でゴムのボールを打ち合いリングにボールを入れるゲームです。
スポーツというより神聖な宗教儀式だったのです。
勝利(または敗者)の戦士は神への生贄として、斬首されたそうです。
写真の中の人がいる所の壁には 切り取られた戦士の首から鮮血が飛び散り、
それが蛇に姿を変えて大地に沁み込む。その大地から植物が芽生えようとしている
レリーフが描かれています。
トルテカの信仰では 太陽の化身である鷹は正午を過ぎると次第に元気を失い西に沈む。
そしてジャガーとなって地底を這って回る。そのジャガーに活力を与えると、
太陽は再び鷹となって天空を飛翔する。
そのためには生きた人間の心臓を生贄として神に捧げなければならない。
こんな恐ろしい迷信を天体を精密に観測する神官は信じていたのでしょうか?
この競技場の中で手を叩くとその音が壁に跳ね返って思いのほか大反響になります。
これは球技の迫力をよりいっそう高めるために そういう設計になっているのであってマヤ人の
石造技術がいかに高度であったかを示しています。
昔も今も庶民生活は平和を願って繰り広げられます。
これは立派な宮殿に住み支配階級の神官たちも同じだったはずです。
社会的な約束事を守りさえすれば、切った張ったの暴力世界から生み出される
「生贄」とは無縁の生活の場を願ったはずにちがいありません。
なのに 恐ろしく野蛮な行為がなされていた.
勿論人の命にまさるものはないのです。
こういった古代文明の常識を現在の尺度で考えてはいけません。
彼らは太陽が回り続け、この世が滅びないためには
常に生贄が必要だと考えていたのでしょう。




神への生贄になることは当初は大変名誉なことだったかもしれませんが‥‥
それでは神に一番近いはずの神官が自ら生贄になれば良いではないでしょうか?
政治に反対する人、生かしておいては脅威を感じる人を都合よく言葉巧みに騙し
人質に、そして生贄にしたのではないか?
こんなことを思うのは私だけでしょうか?
望遠鏡もない時代に螺旋状の天文台を造り 観測用の窓から太陽 月 星の運行を
長期にわたって肉眼で観察し1年が365.2420日であることを突き止めています。
現在の365.2422日に比べて誤差があまりにも少ないのに驚きます。
肉眼でこれほどまで正確に観測するのは 何世紀にもわたって腐朽不滅の忍耐力と
記録が必要だったと思います。
その無限の持続性の精緻な知識があり、ゼロの概念があり、
ククルカンを造る技術もあった神官たちに
人の心臓を捧げなければ太陽がのぼらない
太陽神は人間の心臓と生き血を必要とする
そんなばかげたこと分からないはずはない。
天体の運行を熟知し高度の天文学を編み出した果てに、神に捧げる『生贄』風習を生んだ。
なぜ生贄の血が天体の運行に必要と考えたのでしょうか?
生贄は本来は神聖な神事だったのでしょう。
その神事を政治的な統治手段としてシステム化し、
支配階級である神官たちが生贄を、恐怖による人民支配の手段としたのではないか。
人身御供はお粗末な政治の犠牲ではないでしょうか?
過去の歴史をひもとけば 何処の国のどの時代でも集団社会の中で
さまざまな犠牲によって成り立つことがよくあります。
文明社会の今日でもどこかで同じ事は行われてはいないでしょうか。
科学技術社会でもことは同じす。いみじくも60年前広島 長崎の原爆は哀れです。
いやいや戦争の犠牲者は、お粗末な政治の生贄ではないでしょうか?
生贄はまっぴらごめんです。
この写真のように見るからに怖いツォンパトリとと呼ばれる場所がありました。
球戯場の隣にあるこの台座は、生贄の骸骨を大衆にさらす場所だったといわれています。
隣に人間の心臓を掴んだ『鷹とジャガーの台座」と呼ばれる石の台座もありました。
いずれも生贄の儀式に使われたようです。

ユカタン半島は密林の湿潤地帯ではあるけれど
川は無く、乾燥した過酷な風土の中ではほとんど
唯一の水の供給源となっていたことでしょう。
石灰岩質の土壌なので 降った雨は全て地中に
沁み込み 地下に水の溜まる空洞ができ、地面が
陥没してできたのが セノテと呼ばれる泉です。
旱魃や疫病が流行すると人身御供として
若い女性が投下されました。同時にさまざまな
財宝の貢ぎ物も捧げ入れられました。
水底を調査した結果
21体の子供と100体ほどの犠牲者があったと聞き胸のつぶれる思いがしました。
祭壇跡が残り人の生死を分かつ独特の雰囲気を感じる泉でした。
私はナスカの地上絵を見てチリに向かう時 砂漠の中にオアシスがありました。
そこは緑の木が生えていて 素敵なレストランがありました。
そのすぐ近くの小さな博物館でインカの生贄になったミイラを見ました。
それは綺麗な着物に包まれ 神聖な生贄として捧げられた様子です。
眠るように手厚く葬られた姿でした。 少し安らかに感じましたが、
アステカ儀式では 人間は生きたまま切り裂かれ
その心臓を取り出すというすさまじいものです。
世界各地を旅したり 少しは本を読みましたが、
こんな陰惨な遺跡を見たのは初めてです。
この生贄を得るために 他の部族との絶え間ない抗争が続けられ
捕虜は殺害されたとのことです。
チェチェン・イツアの生贄は無残な死のなにものでもないと思います。
スペインの記録ではこの残酷な行為はコルテスが遠征のかなり近代まで
続けられていたとのことでまさに恐怖政治ではありませんか。
遺跡公園は広大できちんと整備されていましたが、黙して語らない古代の人々は
自分たちの生活様式や素晴らしい芸術技術品を残しながら、滅亡に関する最も重要な
記事は刻まず建造物の多くは崩壊した白っぽい石の建造物が死屍塁々とした感じです。
民族間抗争も 人間の数限りない争乱や、種々の文化の興亡もメキシコの遺跡は
何千年も黙々として見守ってきたのでしょう。
木陰で休みながらこれがひとつの文明の終わりということかと嘆息しました。
平和な世界で文明は永続性へと努力がなされなければならないことをひしひしと感じる
一日でした。 私の宿泊は町のホテルです。できる事ならもっと語学も勉強し、
近くの民家のコテージにでも泊まり 現地の人と語り合える旅がしたいです。
語学力も時間も金も無い急ぎのたびですから・・・・ここに来たことに感謝 感謝です。
中央広場に有名な建造物 三層の基盤からなる「戦士の神殿」があります。
ここは残念ながら登城禁止でした。
生贄の心臓をその上に捧げたというチャクモールがあります。
神殿のまわりを 戦士の浮き彫りの石柱群が囲み『千本柱の神殿』とも呼ばれています。
民族間の抗争もあったのでしょう。
沢山の捕虜が生贄にされました。