あの有名な太陽のピラミッド、月のピラミッドのある遺跡です。
紀元前2世紀〜紀元後7世紀にかけて栄え最盛期には
宗教的中心都市として12万人〜20万人もの人がいました

テオティワカン
月のピラミッド
ジャガーの神殿
ケッアルコアトルのピラミッド
謎また謎の沈黙
太陽のピラミッド
月のピラミッド
ジャガーノ神殿
ケツアルコアトルの
ピラミッド
謎また謎の沈黙
太陽のピラミッド

城塞〔修復されている)

ケツアルコアトル(羽毛の蛇) 彫像のレリーフで覆われている
美しい装飾 トラロック(雨の女神 目が輝き浮き彫りが鮮明

テオテイワカンの遺跡はその中央を南北に、4キロにわたって貫く「死者の道」に沿って
「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「城塞」といった巨大ピラミッドや
神殿群が無数に立ち並ぶ実に壮大なものです。
これほどの文明と巨大宗教都市を造りながら7世紀頃歴史から忽然と姿を消し、
再びこの忘れられた遺跡を発見したアステカ人はテオテイワカンと名付けましたが
謎また謎の沈黙の都市と云われるほど 多くの謎が未解決のままなのです。

エジプトの三大ピラミッドは凄く大きな石を四角錐に積み上げていますが
テオテイワカンのピラミッドはサッカラの階段ピラミッドに似ています。
私は砂嵐の中サッカラのピラミッドにも行きましたがサッカラには階段がありません。
ここは写真のように小さな石で造ってあり、きちんとした階段がありまあす。
祭祀を祀った頂上まで登れるようになっています 
標高2000mの高地にあるため息切れしそうになります。一休みしながら登りました。
頂上には神殿が建っていたそうです。私が登った時は凄い風です。
この凄い風力に耐える神殿とはどんな構造の神殿だったのでしょう?
頂上は平坦な四角形の広場の真ん中に白い小さな石があります。
これが陽光を集めた中心だそうです。登頂した人は
この白い石を手でさすって『太陽の神秘のパワーを頂く』のです。
日本人は合掌 拍手 二礼をしています。
クリスチャンは合掌して十字を切っていました。
皆が指で擦るので少しへこんでいました。

太陽のピラミッドに比べ規模はやや小さいのですが隆起した大地の場所に建てられて
いるので頂上の高さは同じくらいです。
祭儀に携わる神官の住居の神殿に近く、前に広場があり
大きな宗教儀礼は月のピラミッドを中心に行われていたらしいです。
月のピラミッドから死者の道を眺めました。広い! それはとても広いです。
左に見えるのが太陽のピラミッドです。
この4Km道の向こうにケツアルコアトルのピラミッドがあります。
好奇心の強い私は二つのピラミッドに登りました。苦しかったけれど
 頂上からの眺めは大パノランマで最高! テオテイワカン遺跡の壮大さに息を呑みました。
帽子が飛びそうなほどの風に爽快な心地よさを体験しました。

    今でもこんな鮮やかな色彩の絵が残るジャガーの神殿です。

月のピラミッドから死者の道を眺める               1150m  基盤の高さ45m

 遺跡への入り口はいくつかありますが 遺跡正面ゲートから入ると城塞があります。
 城塞は16hmもの面積をもつ大基盤の上に大広間とそれをぐるりと囲むように建てられた
 神殿群が乗っているようなエリアで、その一角にケッツアルコアトルのピラミッドがあります。
 壁面装飾の見事さではおそらくテオテイワカン遺跡の一番のハイライトといえるでしょう。

手前の台状のピラミッド、その奥に崩れかけた小山のような
ピラミッドがケツアルコアトルのピラミッドです。
写真では見えないが周りが城壁にかこまれています。
ほとんど崩れかけており登頂禁止になっていました。
ケツアルコアトル(羽毛の蛇)やトラロック(雨の女神)など見事なものです。

世界の古代文明はナイル川 チグリス・ユーフラテス川等々 大河の流域 湖などの恩恵を
受けて発達してきました。しかしメキシコには中小河川は存在せず ほとんど雨の降ら
ない劣悪な環境地域です。そのような悪条件の中で基本的には旧石器時代の技術をもって
都市文明が築かれたことは不思議です。
 
そして7世紀頃忽然とその文明はどこかに消え、13世紀にこの遺跡を発見したトルテカは
「これは人間が造ったものとは思われない」 ということで
テオテイワカンと名前をつけました。
神が住む場所 太陽と月が生まれた所)ということ。
そして そこにあったピラミッドを太陽のピラミッド 月のピラミッドと呼びました。
なぜかスペイン人が来た時は遺跡だったのです。
 
テオテイワカンは紀元前200年から紀元600年頃繁栄といわれています。
平和的なすべての政事を司る神官を頂点として、人々は農耕生活だったのでしょう。
BC200年といえば
私が西安を旅した時 秦の始皇帝が当時すでに使用していたという馬車の実物を見ました。
秦始皇帝陵近く兵馬俑から発掘されたその実物は鉄と亜鉛だったか?ニッケル? だったか?
その異質の金属が溶接されている。「BC200年にこの溶接技術があったことに驚く。」と
説明を聞いたことを思い出し、ここメキシコでは車輪文化は遅れていたのだなと思いました。
 
メゾアメリカでは車輪のない文明ですから、ピラミッドの建造にも庶民が駆り出され
牛馬も車のないまま 労働を強要されたことでしょう。
テオテイワカンでは球技場を見ませんでした。チャックモールも見なかったので 
「マヤ文明は戦争や生贄のない平和な社会であった」と思ったのですが、少々本を読んだだけでは
理解できないほど他の都市センターとの間の抗争だけでなく、王位継承をめぐってのドロドロとした
骨肉の争いもあったらしいです。

太陽のピラミッド

1辺220m

基盤の高さ65m