聞きかじり ウラジオ&ロシア2009年聞きかじり2010

ウラジオストクで国産自動車の生産開始

09年12月29日夕方、NHK。ロシア政府が国内の自動車産業を立て直すため、ウラジオストクに誘致した自国のメーカー「ソラーズ」の組立工場が完成し、29日、生産が始まった。700人の従業員が来年から、4輪駆動車など最大1万5000台を生産する計画。
 計画を主導してきたプーチン首相も訪れた。首相は工場内で試乗したあと、従業員に「海外の誰かのために仕事をするのではなく、自国の製造業を発展させることが非常に重要だ」と述べ、日本の中古車に対抗して、国産車を生産し普及させることの意義を強調した。
 ウラジオストクでは、日本の中古車が国産の新車よりも性能がよくて快適だとして人気があり、90%のシェアを占めている。中古車の輸入に関しては、政府が今年初め関税を大幅に引き上げ、市民や自動車関連の業者がこれに反対し、たびたび抗議デモを繰り返していた。
 これに関連した9月12日NHK放送の内容はこちら
09年12月30日北國新聞の記事では、社名は「ソレルス」とあり、工場の操業について次のように記してある。
 生産目標は2010年に1万5000台、12年には4万台を目指す。部品は国外から輸送し、まずは韓国・双竜自動車の乗用車の生産を行い、来年半ばからはイタリア大手フィアットのキャンピングカーや乗用車などの生産を予定。日本のいすゞ自動車のトラック生産も検討中。
 同社は前身のセベルスタアフトから08年に改称。グループ企業はロシア中部などでバスやトラックなどの生産を行っている。

シベリア原油、ナホトカ近郊の港からアジア輸出開始

09年12月29日朝、NHKTV。ロシアにとって悲願のこの国家プロジェクトは、東シベリアからおよそ4800キロの区間をパイプラインと鉄道で結んで原油を運ぶもので、日本や中国などアジア太平洋地域への輸出が目的。計画の決定から5年を要し、日本円で総額1兆円以上が投じられた。
 原油の輸出拠点が完成したナホトカ(ウラジオストクから約100km東に位置する)近郊の港では28日、輸出開始を祝う式典が開かれた。式典でプーチン首相は「この戦略的なプロジェクトによってロシアはアジア太平洋という新たな市場に進出できる。すばらしい新年の贈り物だ」と述べて意義を強調した。
 ロシアとしてはヨーロッパに限られていた原油の輸出先を日本などアジアにも向けることで、供給先を多角化するねらい。港からは当面、年間1500万トンの原油が輸出される計画だが、それに見合う原油を確保するためには東シベリアで新規の油田を開発することが不可欠で、ロシア政府は、この地域での日本との技術協力の進展に期待を寄せている。

北朝鮮労働者12人が集団亡命−国連支援、ロシアから韓国へ

09年12月24日、北国新聞など。ロシア極東アムール州に出稼ぎ労働などで滞在していた北朝鮮の男性計12人が今年9月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の支援で韓国に亡命していたことが23日分かった。同州ではさらに北朝鮮男性4人が韓国への亡命を申請中で、UNHCRや韓国政府などが手続きを進めているという。ロシア治安当局者などが共同通信に明らかにした。同当局者によると、北朝鮮労働者の集団亡命が起きたのは初めて。
 関係者によると、12人は北朝鮮からの脱出住民(脱北者)のほか、1990年代から2000年代にかけロシアに入国し、アムール州最大の林業会社「ティンダレス」で勤務していた労働者ら。いずれもロシアのビザ期限が切れた不法残留者で、07年から今年にかけてUNHCRモスクワ事務所に手紙や電話で韓国への亡命を申請、UNHCRの面接調査などを経て、同州からモスクワ経由で韓国に亡命した。
 北朝鮮と国境を接するロシア極東では、旧ソ連時代から北朝鮮との政府間の協定に基づいて派遣された多数の北朝鮮労働者が森林伐採や建築作業に従事してきた。ロシア連邦移民局は今後、亡命の動きが活発化する可能性があるとして警戒を強めている。
   過去に北朝鮮の男性が韓国に亡命した例は、ウラジオストクで06年から08年にかけ、韓国総領事館に毎年1人ずつ、04年に米国、韓国の両総領事館に各1人。日本総領事館はロシア極東にはウラジオストクなど3都市にあるが、これまでに北朝鮮住民からの亡命申請はないという。

ロシア、バチカンと外交樹立

09年12月4日夜NHKTV。3日、メドべージェフ大統領がバチカンを訪れて、ローマ法王のベネディクト16世と初めて会談を行い、外交関係を正式に樹立することで合意した。これまでバチカンとモスクワにそれぞれの「代表部」を置くにとどまってきたが、いずれも正式な大使館に格上げされることになる。
 ロシアは、中国やベトナムとともに、バチカンが正式な外交関係を持たない数少ない国の一つで、バチカンとロシアが外交関係を樹立するのは1917年のロシア革命以来初めて。これまで外交関係の樹立に長い時間がかかった背景には、バチカンを中心とするカトリック教会とロシア正教会の対立があった。両国の関係が正常化することで、11世紀にキリスト教会が東の正教会と西のカトリック教会に分裂して以来、1000年近くにわたって続いてきた対立が和解に向かうかどうか注目される。

【日本国内】 シベリア抑留者を救済する法案、今国会提出断念

09年12月4日夕方NHKTV。戦後ソビエト軍に拘束され、シベリアなどで強制労働をさせられた60万人とも言われる「シベリア抑留者」に対しては、ほかの戦地で捕虜になった人と違って、その後、大変な苦難を伴った強制労働の賃金が支払われていない。このため、救済策として、抑留された期間に応じて「特別給付金」を支払うことなどを柱とした「戦後強制抑留者問題に関する特別措置法案」がまとまっていた。与野党各党はその法案を今国会で成立させる方針で合意していたにも関わらず、結局今国会には提出されなかった。
 これを受けて、元抑留者たちでつくる団体「全国抑留者補償協議会」が、法案の作成に携わった国会議員らとともに、4日、記者会見。平塚光雄会長は「これまで苦労を重ねてようやくここまでの内容の法案が出てきた。努力してくれた人たちには感謝したい。必ず法案は出来ると思っている」と話し、なるべく早い時期の法案の成立を求めました。また、団体のほかのメンバーからは「われわれには時間がない」とか「苦労を重ねてここまで来た」「延期されたのは残念だ」という意見が相次いだ。来年の通常国会での法案の成立を目指すことになった。

シベリア抑留者の遺骨故郷へ DNA鑑定で特定、来月遺族へ返還  11月下旬のNHKニュースで、抑留者の遺骨が厚生労働省のDNA鑑定で特定され、遺族のもとに帰ってくるというのがあった。画面では長女の新潟市の高橋満智子さんが父親の帰郷を待ちながら、悲劇を風化させないように語り継いでいきたい旨の話をしていた。
ロシアから抑留の資料取り寄せへ  10月31日のNHKニュース。ロシアに保管されている資料というのは、シベリアに抑留されていた日本人の名前や生まれた年、収容所の記録などが記載された、およそ70万枚のカード。厚生労働省はDVDにコピーして日本に取り寄せることでロシア政府と合意した。早ければ09年12月から順次日本に届く予定。
 終戦後、シベリアに抑留され亡くなった53,000人のうち、21,000人は埋葬された場所も分からないという。

列車脱線 テロの疑い→爆弾テロで捜査へ

09年11月28日NHKTV。モスクワからサンクトペテルブルクへ向かっていた急行列車が脱線して、これまでに25人が死亡、96人がけがをしている。脱線したのは13両編成の急行列車「ネフスキー・エキスプレス」で、モスクワを発車してからおよそ2時間後の27日夜、日本時間の28日未明。北西部トベリ州のノブゴロド州との境界に近い森林地帯を走行中に、後ろの3両が脱線した。
 ロシア非常事態省によると、現場の線路脇では直径1メートルほどの穴が見つかったほか、列車の乗客は、脱線の直前に爆発のような音を聞いたと話している。このためロシア最高検察庁は、爆発物を使ったテロの疑いがあるとして捜査に乗り出した。
 「ネフスキー・エキスプレス」は、8年前に運行を開始し、最高時速およそ200キロ、モスクワとサンクトペテルブルクの間をおよそ4時間半で結ぶロシア最速の列車。ビジネスマンのほか、観光客の利用も多く、今回の列車にはおよそ660人の乗客が乗っていた。
 この路線は、おととし07年8月にもテロで線路が爆破されて一部の車両が脱線し、大勢のけが人が出た。関与したのは、チェチェンの共和国の分離独立を求める過激派とされる。

 29日になって、現場から起爆装置の一部が見つかり、捜査当局は爆弾テロによるものと断定。また、死者は26人となった。
2日、ロシア南部チェチェン共和国周辺を拠点とするイスラム武装勢力が犯行声明を出した。
4日のNHKTVによると、3日にプーチン首相がテレビを通じた国民との対話の中で「こうした悲劇を防ぐ取り組みを強化するとともに、テロに手を染めた者は厳しい裁きにかけることが必要だ」と述べた。一方、捜査当局は、現場周辺で目撃された不審な4人の男女が事件に関わったという見方を強め、全員のモンタージュ写真を作るなどして情報の提供を呼びかけている。

サハ共和国で貨物機墜落

09年11月2日朝 NHKTV。1日午前、東シベリアのサハ共和国で、内務省に所属する大型貨物機が離陸直後に墜落、炎上し、乗組員など11人全員が死亡した。
 地方都市・ミールヌイの空港を大型貨物機・イリューシン76型機が燃料などを降ろしたあと、次の目的地イルクーツクに向かって離陸した直後に墜落して炎上した。ロシア非常事態省などによると、機体は20〜30メートルほど上昇し、空港から3キロほど離れたところに墜落したという。予定のコースから大きく外れており、検察当局が現場からフライトレコーダーを回収するなどして事故の原因を調べることにしている。
 今回事故を起こしたイリューシン76型機をめぐっては、過去にもロシア国内外で相次いで事故が報告され、機体の老朽化や整備の不良など安全性に対する懸念が指摘されていた。

天然ガス輸送 日本企業が交渉開始

09年10月30日朝、NHKTV。ロシア政府が極東で進める天然ガスのパイプラインの建設をめぐって、日本企業は、将来、北朝鮮に延びる可能性があるとして参入を控えていたが、ロシア政府が北朝鮮を経由しないと保証したことから具体的な交渉を始めたことがわかった。
 この計画は、サハリン沖で採れる天然ガスを、ウラジオストク近郊まで全長2000キロのパイプラインで輸送するもので、液化して日本などに輸出するほか、将来的には、パイプラインを北朝鮮を経由して韓国にも延ばす可能性が検討されていた。
 日本企業は計画への参入の機会をうかがっていたが、日本政府の経済制裁を受けている北朝鮮にパイプラインが延びることに難色を示していた。ところが、ロシアのエネルギー省が「ガスの輸出は海上輸送を検討する」として、事実上パイプラインを北朝鮮に延ばさないことを保証する内容の書面を日本政府あてに送ったことが明らかになった。これを受けて、日本側の公的融資のめどがたち、日本の商社を中心とするグループが、今月に30万トン規模のパイプを売り込む提案をロシア側に示して、具体的な交渉を始めたという。
 この計画は、ロシア政府が国家プロジェクトと位置づけて、日本企業の参入や投資を求めてきた経緯があり、交渉がまとまれば日本側にとっても600億円を超える大型の案件となる見通し。

首相、ウラジオのインフラ整備状況視察

09年10月13日朝NHKTV。12日、プーチン首相が中国訪問を前にウラジオストクに立ち寄り、2012年ロシアで初めて開かれるAPEC・アジア太平洋経済協力会議に向けて、世界最大級の橋の建設などインフラ整備を着実に進めるよう指示した。
 橋は塔から斜めに張ったワイヤーで橋げたをつる「斜張橋」という形式で、日本の技術も取り入れられ、完成すれば2つの塔の間がおよそ1100メートルと世界最長になる。ロシア政府は、ウラジオストクをアジア太平洋地域への窓口と位置づけ、巨大な橋をアジアへ向かう象徴とみている
。  プーチン首相は、会場予定地のルースキー島や、島につながる橋の建設現場を視察し、厳しい経済状況のなかでも、APEC開催に向けてのインフラ整備を最優先のプロジェクトとして着実に進めるよう指示した。そのうえで「APECの成功はアジアの国々との交流を拡大しロシアの国際的な立場を強化することになる」と述べた。その発言は、APECを機に、ロシアがアジア太平洋地域での影響力を強めていこうという姿勢を示したもの。

第6回ウラジオストク・ビエンナーレ開催

 9月25日(金)から29日(火)まで、国際ビジュアル・アート・フェスティバル「ウラジオストク・ビエンナーレ」がウラジオストク市行政府主催で開催された。第1回は1998年4月、以後2年に一度、市制記念行事に合わせて7月頃に開催されていたが、今回は変更されて9月になった。日本からの参加代表団は34名の芸術家や文化関係者。
 イベントの詳細は、代表団をまとめた日本・ウラジオストク協会のNEWSのページに有る。また、在ウラジオストク日本国総領事館の、領事・安全情報の「お知らせ」ページにも詳しい。

日本企業、モスクワでアンテナショップ

09年9月25日朝NHKTV。24日、モスクワのショッピングセンターに日本の中小企業25社が参加したアンテナショップが初めて開設された。これは、ジェトロ(日本貿易振興機構)が呼びかけて、日本伝統の技を生かした商品を売り込もうというもの。
店内には、和紙作りの間仕切りや植物から取れるエコ素材を使ったドレスなど、職人の伝統の技や最新の技術を生かしたインテリアや生活雑貨など60点余りが展示・販売。訪れたロシア人は、ふだん見慣れない商品に足を止め、「食器などのシンプルな作りがとても新鮮」とか「今は中国製があふれているので質の高い日本の商品はきっと売れると思う」などと話していた。
 日本の中小企業の間では、少子高齢化で国内の市場は拡大が見込めないとして、海外に販路を広げるためにもこうしたアンテナショップを通じて現地の消費者の反応を探りたいという声が増えている。

切断した中古車を輸入販売

09年9月17日NHKTV。国内の自動車産業を守るとして、政府は中古車の関税を引き上げたため、日本の中古車を扱ってきたロシア極東の輸入業者は、かつてない苦境に陥り、生き残り策を模索している。
 港で最近見かけるのが、車体が二つに切断された日本の中古車。自動車のままでなく自動車部品として輸入することで、関税は10分の1程度になる。部品として輸入することは、業者にとってかなり都合の良い方法なのだろう。日本で一旦切断された車体はロシアで溶接、再び日本の中古車として販売される。車として甦らせることを前提に、大切なエンジンや動力伝達の部品は傷つけずに持ち込まれている。
 この輸入方法を思いついた中古車輸入業者のアレクセイ・ガンジュクさん。会社は経済危機と関税の引き上げのダブルパンチで、売上が5分の1に減少した。「私だって藁にもすがる思いで切断して輸入しているんです。安全性を心配する客には、溶接の現場を見せるようにして、車体のすべての部分をちゃんと溶接するのだと説明しています」「今の状態ではこうでもしないと利益はありません」
 もともと日本車の人気が高いロシア極東。中古車をそのまま購入した場合の半値以下という格安価格で購入できるとあって、口コミで客も増えてきた。ある客は「関税をすべて払っていたらとても買えない。切断してでも性能がいい日本車がほしかった」と言う。
 輸入業者は、いずれは政府が関税を元の状態に戻してくれることを期待している。

ロシア自動車メーカー、極東にはじめて進出

09年9月12日NHKTV。ロシアの自動車メーカーが政府の支援を受けて極東に初めて進出し、今年の末にもウラジオストクの工場で生産をスタートさせる見通しになった。
 極東は、日本の中古車が自動車市場の90%を占めているが、経済危機の影響で国内の自動車産業が低迷していることから、ロシア政府は関税を引き上げなどして輸入を規制し、国内メーカーの保護に乗り出している。こうしたなか、国内大手の自動車メーカーで、乗用車からトラックまで幅広い車種を製造している「ソラーズ」が、政府から150億円の財政支援を受けて極東に初めて進出することになったもので、「ソラーズ極東」のボイツォフ社長は、11日、NHKの取材に対し、すでにウラジオストクで工場の建設を進めていることを明らかにした。そのうえで、「国家的なプロジェクトが進められている極東に、大型車両などの生産拠点を作ることは合理的だ」と述べ、政府が開発を進める極東での需要を当て込んで、ことし末にもトラックやバスなど大型車の生産を始めるという見通しを示した。
 今回の極東での国内メーカーの生産開始は、プーチン首相の強い意向を受けたもので、ロシア政府は、今後も政府系金融機関を通じた財政支援で、国内の自動車産業の育成を図る方針。

ロシア軍 極東にミサイル配備

09年8月27日朝NHKTV。ロシア軍は、弾道ミサイルの発射を強行した北朝鮮と隣接するロシア極東に最新の地対空ミサイルを配備したことを明らかにし、北朝鮮が対話路線に転じている中でも現実のミサイルの脅威は消えていないとして、万全の態勢で臨む方針を示した。
 これは、ロシア軍のマカロフ参謀総長が訪問先のモンゴルで26日明らかにしたもの。この中でマカロフ参謀総長は、北朝鮮が一連の弾道ミサイルの発射などを強行したことについて、「ロシアとの国境にきわめて近かったことを憂慮している」と述べたうえで、ロシア極東に「Sー400」と呼ばれるミサイルシステムを配備したことを明らかにした。「Sー400」は、射程400キロともいわれる最新の地対空ミサイルシステムで、ロシア極東に配備されるのは初めて。配備の目的についてマカロフ参謀総長は、北朝鮮が発射に失敗した際、ロシア領内へのミサイルの破片などの落下を防ぐためだとしている。

航空産業再生に力注ぐ

09年8月20日朝NHKTV。モスクワ郊外で開かれた国際航空ショーで、ロシアが日本や中国に先んじて開発したばかりの新型の小型旅客機が披露された。プーチン首相も足を運んで売り込みに力を入れ、ソビエト崩壊後低迷してきた航空産業を再生させる意気込みを示した。
 この航空ショーで披露されたのは、100人乗りの小型旅客機「スホイ・スーパージェット」で、ソビエト崩壊後、ロシアが初めて開発したもの。乗客に評判の悪かった、ソビエト時代の航空機のイメージを変えることを目指している。ロシア製とはいっても、中身は欧米の技術を大胆に取り入れている。エンジンは、フランスと共同で燃費のよいものを開発し、液晶画面の計器盤など部品全体の70%は欧米のものを採用
。  小型旅客機は今後20年間で、地方都市を結ぶ航空網の発達によって5000機ともいわれる需要が見込まれ、日本や中国も開発を進めて販売競争が始まっている。ロシアのメーカーは、日本で開発中の旅客機に比べて30%近く安い価格に設定し、低価格を武器に年内に150機の受注を目指している。プーチン首相は「航空機市場の競争に勝ち抜き、顧客の航空会社を見つけ出すことを確信している」と話している。

ウラジオで島根県の文化紹介イベント

09年7月、島根県のHP等。ウラジオストク市創設記念日(7月2日)行事に合わせて、7月3、4日「ウラジオストク SHIMANE days」が開催された。
 メインパフォーマンスは安来節保存会(4代目家元渡部お糸さんほか)6名による島根の伝統芸能の披露。中央広場で行われた市の記念行事での公演、青年劇場などでのステージ公演と学校訪問があった。中でも「どじょう掬い」が喝采を浴びた。
 書道の講義・実技指導は、ウラジオストク国立経済サービス大学で行われた(持田勉氏による)。同時に島根県内高校生書道展も開催。
 展示は、アルセーニエフ博物館にて7月末まで開催。作品は、島根風景写真(松江市の岡本良治氏ほか)、子供の絵画(安来市、西ノ島町の子供)、パッチワーク(隠岐の濱根令子氏)。
 島根県は1991年にロシア沿海地方と「友好交流に関する覚書」を締結。当地方の中心であるウラジオストク市との文化、経済交流を進めている。2006年からは毎年、伝統芸能の公演を行っている。

日本・ロシア共同で初の石油開発

09年7月27日朝NHKTV。イルクーツクから北に1000km離れた針葉樹林帯には、莫大な量の原油が眠っていると見られている。日本とロシアのエネルギー分野での象徴となる、シベリアで日本が投資しての大規模な油田開発が始まっている。
 日ロが初めて行う共同石油開発。日本側から参加しているJOGMEC(独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構)の河野理事長が今月初めて現場を視察した。現場では14人のロシア人作業員が24時間、交替で作業をしている。巨大なドリルを使ってこれまで600メートル近くまで掘削した。作業は今後数ヶ月かけて地下2km以上にある原油の堆積層にまで掘り進める計画。しかし原油が出てくるかどうかは実際に掘って見なければ分からない。
 日本側は総事業費100億円のうちの半分を投じるほか、ロシア側のパートナーとなっている石油会社に作業を効率化する方法を指導して技術協力を行っている。このプロジェクトは両国政府の肝いりで実現にこぎつけた。新たにアジア市場に天然資源を輸出したいロシアと中東に9割を依存する原油の調達先を多角化したい日本、双方の思惑が一致した。ロシア側はシベリア産の石油をアジア地域に運ぶため、既に4700kmに及ぶ長大なパイプラインの建設を着々と進めている。今年12月には日本海沿岸からタンカーで石油を積み出すターミナルを完成させる見通し。
 採算の取れる油井を掘り当てるのは極めて低い確率だが、現場では何としても原油を採掘させようと双方が一層の協力を進めていくことを確認した。「地下のことはすべて分かっている訳ではないので、まだ確たることは言えないが、冷静に、しかし熱烈に期待したい」との弁。

サハリンでウォッカの夜間販売禁止

 09年7月中旬の朝、NHKTV。ロシアでは結婚式などのパーティーに欠かせないウォッカ。アルコール度数が40度を超すものの、乾杯を繰り返すのがロシア風の飲み方。「ウォッカは独特な味わいでとてもおいしい」「やっぱりハイになって楽しく遊ぶために飲むんだ」と人気。
 ところが、サハリン州ではウォッカの販売を今年の5月から一部規制することになった。理由は犯罪の防止。殺人や殺人未遂の実に60%が酒に酔った加害者によるもの。特に夜間の犯罪が目立つため、州当局はウォッカなど強い酒の販売を深夜0時から朝7時まで禁止することにした。当局は、この法律で犯罪や違法行為の数が少なくなると期待している。
 深夜に限っての販売規制、住民にとっては昼間に買い置きしておけば問題なさそうですが、地元でのアンケートでは実に70%が反対した。住民の頭をよぎったのは20年余り前のこと。当時のゴルバチョフ書記長は、社会の秩序を守るとして酒の販売を規制する「節酒法」を施行。ウォッカが手に入りにくくなり多くの人が長い行列で待たされた。品質の悪い密造酒で死者が出たこともあり、人々は規制に懐疑的だ。「この法案はアルコールの密造を招くだけだよ」「誕生日の夜にウォッカが飲みたくなったらどこで買えばいいんだ」と人々の声。  規制が始まってから2ヶ月経ったが、夜間、街頭で酒を飲む人の姿は以前と変わらない。24時間営業の店の中には、頼まれればウォッカを売る店もあるという。ある女店員によると「襟元をたたいて怒ったり、売ってくれと頼んだりしてきます。お客さんに説明しても聞き入れてくれないんです」とのこと。限定的ながらも始まったウォッカの規制販売。しかし、ウォッカに対する人々の思いまでは規制できないようだ。

ロシアと北朝鮮の鉄道事業進まず

 09年6月19日朝、NHKTV。ロシアが、シベリア鉄道との連結を目指して去年から始めた北朝鮮の鉄道を改修する事業が、北朝鮮側の協力が得られないため、半年以上たった今もほとんど進んでおらず、ロシア側は工事の再開を北朝鮮側に求めている。
 この事業は、ロシア極東のハサンと、北朝鮮北部の港湾都市ラジン(羅津)の間に敷かれた長さ55キロの老朽化した鉄道を改修して、北朝鮮の鉄道とシベリア鉄道を連結させようというもの。両国首脳肝いりのプロジェクトとして、2001年にキム・ジョンイル総書記と当時のプーチン大統領との間で合意され、去年10月には両国の政府高官などが出席して工事の開始を記念する式典が開かれた。
 工事は、ことし秋に完了することを予定していましたが、ロシア鉄道の関係者はNHKの取材に対し、「式典の終了後、工事は行われていない」と述べて、北朝鮮政府の許可が下りず、作業がほとんど進んでいないことを明らかにした。ロシア側は、このままでは工期が大幅に遅れるとして、先月、ピョンヤンに担当者を派遣し、工事の再開を許可するよう求めたが、この席で、北朝鮮側は新たな計画を示し、双方の間で再び交渉することになったということだ。この理由について、北朝鮮側との交流にかかわるロシア極東の朝鮮半島問題の専門家は、「北朝鮮では後継者など国内の問題が山積するなか、プロジェクトを進めるという指示が来ていないようだ」と分析している。

振り込め詐欺の手口は、警察官への賄賂

 09年6月10日朝、NHKTV。沿海地方では、景気が悪くなった昨年秋以降、振り込め詐欺の被害が急増している。届出のあった150件のほとんどが警察官への賄賂を要求するものだった。
 昨年12月、ウラジオストクで1人暮らしの年金生活者が被害にあった。警察官の知人を名乗る男から電話があった。大学生の孫が交通事故を起こして相手に怪我をさせたが、5万ルーブル(約15万円)の賄賂を銀行口座に振り込めば警察は立件を見送ると言い、早くしないと逮捕されるとせかした。月7千円ほどの年金受給のおばあさんは、これまで一生懸命貯めた5万ルーブルを振り込んでしまった。「あの時は孫のことしか頭になく、まさかだまされたとは思いもしませんでした。こんなことになって深く傷つきました」と彼女。
 今年に入って刑務所から振り込め詐欺を働いた男が摘発された。看守に賄賂を渡して電話を入手し、警察官になりすまして電話をかけていた。
 このような詐欺の背景には、広く蔓延した賄賂社会がある。昨年ロシアで行われた世論調査では、当局に賄賂を贈ったことがあると答えた人は3分の1にのぼり、賄賂は悪いと思わないと答える人が半数以上だった。

官民代表団、ウラジオストク訪問

ロシア政府、極東とシベリアの開発に2兆円規模の予算を組み、日本からも投資と技術協力に期待。
   09年6月5日朝NHKTV。代表団は、極東やシベリアで計画されている石油や天然ガスなど大規模な資源開発プロジェクトへ日本企業が参加する機会を探るための視察が目的で、経済産業省と大手の商社や機械メーカーなど、およそ30社からなる。
 一行がまず視察したのはAPECの会場となる沖合いの島に架けられる長さ2kmの橋の工事現場。橋は、ロシアではこれまでに建設されたことのない工法で、日本企業が設計の手助けをした。セメントなどの資材を大量に売り込むチャンスが見込まれている。
 ロシアのエネルギー開発が、日本にいつ、どれだけ恩恵をもたらすのかを見極めることも今回の視察の大きな狙いだ。ウラジオストク市から100km東のナホトカ近郊では、建設中の石油ターミナルを視察。東シベリアの油田地帯からパイプラインで運ばれて、ここから海外に輸出される。
 ロシア側からエネルギー分野の開発計画について説明を受けた。この中でロシア政府系のガス会社「ガスプロム」は、2015年までにウラジオストク近郊に液化天然ガスの生産施設を建設し、サハリンからパイプラインをのばす計画の詳細を代表団に示して日本企業の参加に期待を表明。ロシア政府は、金融危機の影響を受けるなかでも極東とシベリアの開発に日本円で2兆円規模の予算を組んで集中的に進めており、各国の企業が参入の機会をうかがっている。
 参加者の一人は、「ロシアの、極東の経済発展に対する意気込みは本当のものだと感じた」と話した。

日産、ロシアで現地生産

 09年6月3日朝NHKTV。2日、サンクトペテルブルク近郊でトヨタ自動車に続いて、日産の組み立て工場が完成した。式典には日産のゴーン社長やプーチン首相が出席。プーチン首相は、金融危機の中で日産がロシアでの生産に踏み切ったことについて、「こうした協力は、どんな難しい問題も解決できる条件を作り出す」と述べて歓迎。ゴーン社長は「ロシアはヨーロッパ1の潜在力がある」と述べて、潜在的な市場の大きさに期待を示した。
その工場では高級セダンや四輪駆動車を年間で最大5万台、生産の予定。ロシアでは、自動車ローンの金利が大幅に上がるなどしたことで買い控えの動きが広がり、ことしの販売台数は去年に比べて60%近く落ち込むとの見通しも出ているが、今後、原油価格が持ち直し、ロシア市場が回復することを見越して、先手を打って足場を築くねらいがある。08年7月記の「自動車メーカーのロシア進出ラッシュ」はこちら

シベリア抑留の劇 現地で上演

 09年06月01日朝NHKTV。第2次大戦後、約60万人に上る日本人の兵士などが強制労働に従事させられた「シベリア抑留」を題材にした演劇が、ロシア人の手で初めて現地で上演された。
 上演されたのは、シベリアの町、ミヌシンスクの劇場で5月31日まで3日間。舞台では、スターリン独裁体制によって極寒のシベリアに連行された日本人の兵士たちが森林伐採などの労働を強いられる姿がロシア人の俳優によって演じられた。絶望して収容所を逃げ出したり、倒れた木の下敷きになったりして仲間が次々と命を落としていく過酷な生活の一方、やがて現地の人たちとの間に心の触れ合いも生まれ、抑留者への非人間的な扱いに疑問を示すソビエト兵の役も登場。そして、5年間の日々を生き抜き、日本への帰国が決まるシーンが演じられると、会場からは大きな拍手がわき起こっていた。劇を見た人たちは「こんな歴史があったとは知りませんでした」「ロシア全土で上演すべきです」などと話していた。
 劇団では抑留者の1割が命を落としたとされるシベリア抑留の暗い歴史をロシアの若い世代にも知ってもらうことができたと受け止めており、将来は日本での公演の実現も目指したいとしている。

秋田産りんご、ウラジオの市場に

 09年3月10日北國新聞。農産物の海外市場開拓の特集が組まれ、その一例が秋田県横田市のリンゴ農家(14人で構成する増田出荷会)が「ふじ」を輸出した例だ。2005年から海外の食品フェアに参加し、タイ、シンガポール、台湾、香港に売り込んできたが、ロシアは今季が初めて。08年12月に「ハニーアップル」の商品名でウラジオに1トン輸出。価格は日本円で1個500円程と、中国産や米国、ポーランド産の4倍もする。品質勝負で高所得者層を狙ったもの。

石油天然ガス開発計画「サハリン2」

2月18日、生産施設完成式典
 09年2月18日NHK、北陸中日新聞など。  日本時間の18日午後2時前から、極東のサハリン島北東部の沖合で進められている石油天然ガス開発計画「サハリン2」で、日本などに向けて輸出される液化天然ガス(LNG)の生産施設の完成式典が、サハリン島南部プリゴロドノエで行われた。式典にはメドベージェフ大統領や麻生総理大臣をはじめ、事業主体のサハリン・エナジー社に出資している日本の大手商社や英国、オランダの企業代表者らが出席。
 麻生総理大臣は「ロシアがアジア太平洋地域における建設的なパートナーとなる歴史が始まる。」「領土問題の最終的な解決に向けて交渉を前進させることで、この地域における真のパートナーにふさわしい日ロ関係が構築されることを強く願っています」とあいさつ。
 また、メドベージェフ大統領は「サハリン2の稼働は、世界最大のガス生産国ロシアの新たな可能性を開くもので、これによって世界に向けたロシアの立場は強化されることになる」と述べた。
 ロシアでLNGの生産が行われるのは今回が初めて。ガス・油田から約800キロのパイプラインで不凍港プリゴロドノエまで運び、タンカーで輸出する。年間960万トンの生産能力を持つ。ここから輸出されるLNGの60%が日本(東京電力・中部電力・東邦ガスなど9社)に供給される見通しで、日本の輸入量の約8%が賄える。「調達先の多様化」「運搬費の節約」ができると各社は歓迎するが、政治的なリクスも高く警戒感もあるという。(右の地図は北陸中日新聞より)
4月6日、初めて日本に到着
 4月6日NHK。6日午前、6万7000トンのLNGを積み込んだタンカーが、千葉県袖ヶ浦市にあるLNG基地に到着。東京ガスと東京電力が都市ガスや火力発電所の燃料として使用する。東京電力袖ヶ浦火力発電所の宮本忠所長は「中東や東南アジアに偏っていたLNGの調達先の多様化を進めることができ、日本のエネルギーの安全保障の向上に役立つと思う」と話していた。
サハリン2をめぐるこれまでの主な動き
(2月18日北陸中日新聞による)
1991年旧ソ連が国際入札
94年4月三井物産と三菱商事、ロイヤル・ダッチ・シェルなどが「サハリン・エナジー」社を設立
94年6月サハリン社がロシア政府と生産物分与契約を締結
99年7月原油生産を開始
2001年6月サハリン社が鉱区開発案をロシア政府に提出
04年1月石油・ガスのパイプライン本格着工
05年7月開発地にあるクジラ繁殖地を避けるため、パイプラインの経路変更を発表
06年9月環境対策を理由に工事を一時中断
07年4月ロシア政府企業のガスプロムがサハリンエナジー社の株式50%超を取得、経営に参画
08年11月パイプラインが完成
09年2月LNG工場が完成

北方四島人道援助に支障

 09年2月6日NHK「おはようコラム」。日本の漁船がロシアの国境警備隊に拿捕された、その翌日、6年前から続けられてきた、ビザなし交流の一環として行われている日本から北方四島への人道援助事業に支障が出た。
 「ビザなし交流」は、「領土問題に関する日ロの立場を損なわない」という基本合意のもとで、元島民と四島のロシア住民が旅券やビザを持たずに相互訪問するもので、17年間も続けられてきた。ところが、今回、援助物資をもって四島に上陸しようとしたところ、ロシア側が合意に反して、出入国カードの提出を求めてきた。出入国カードの提出はロシア領を認めることになるとして、人道援助事業は中止になった。元島民は、この春から再開される予定の相互訪問が中止になり、故郷の土を踏むことが出来なくなるのではないかと懸念している。
(以下は4月19日、毎日新聞北海道版webによる)
「四島交流」について
 北方領土の住民との四島交流は次の四つの枠組みで行われている。
(1)91年にゴルバチョフ大統領が提案した旅券や査証を用いない「ビザなし交流」
(2)元島民らが元居住地を訪問する「自由訪問」
(3)墓地を訪れる「北方領土墓参」
(4)医療品の供与やロシア人患者の治療などの人道支援
「ビザなし交流」では過去17年間に1万5544人(日本人8853人、ロシア人6691人)が訪問。今回問題となった(4)は03年度から政府が千島歯舞諸島居住者連盟に委託する形で行われている。
「ビザなし交流の経緯」
91年 ゴルバチョフ大統領が来日し、ビザなし交流を提案
92年 ビザなし交流が4月から始まる
94年 北海道東方沖地震発生、四島も被害。ビザなし交流の対象に緊急人道支援追加
98年 対象を一般的な緊急人道支援に拡大
99年 元島民と家族の訪問手続きを簡素化した「自由訪問」始まる

漁船が拿捕(だほ)される

 09年1月27日午後8時ごろ、日本海の能登半島沖を航行していた鳥取県境港市の日吉水産に所属するカニかご漁船「第38吉(よし)丸」(安藤正史船長)がロシア極東沿海地方の国境警備当局に拿捕され、船長ら乗組員10人(全員日本人)がナホトカ港に連行された。 船越漁労長は、「排他的経済水域である200カイリ線を3マイル(約5キロ)ほどロシア側に超えたことに気づき、戻ろうとしたところ、臨検を受けた。日本側の水域での操業後、停泊中にロシア側に流されたのだ」と主張している。
 28日、在ウラジオストク総領事館がナホトカに職員を派遣、漁労長と面会し全員無事を確認。違法操業を主張するロシア側は、カニ約10トン保証金560万ルーブル(約1400万円)を請求、5日、日吉水産はこれに合意して送金。保証金の額は、裁判が行われて罰金刑が確定した場合の額に相当する。保証金を受け取ったロシア当局は、裁判の前に乗組員と船体の解放に同意した。7日全員が解放され、9日に約2週間ぶりに境港に帰った。
 06年、カニかご漁船「第31吉進丸」が北方領土付近でロシアの警備艇から銃撃を受け、拿捕、乗組員1人が死亡。07年にも北海道の刺し網船などがロシアに拿捕されたが、乗組員は全員無事だった。

ロシア正教会に新総主教

 09年1月28日朝NHKTV。ソビエト崩壊後、人々の心のよりどころとして信者を増やしているロシア正教会。そのトップである総主教が替わった。08年12月5日に死去したアレクセイ2世の後任として、ロシア西部の教区を管轄してきたキリル府主教(62歳)が就任することになった。
 1月27日、モスクワ中心部の救世主キリスト大聖堂で会議が開かれ、司祭や一般信者の代表700人による投票の結果、キリル府主教が過半数を獲得して総主教に選ばれた。ロシア正教の総主教が代わるのは19年ぶり、ソビエト崩壊後は初めて。キリル府主教は、対外関係の責任者として海外でロシア正教の教会建設などを積極的に進め、去年9月には東京で新たに建設された教会の完成式にも出席している。
 ロシア正教会は無神論を掲げた共産党政権のソビエト時代には聖職者が迫害されたり教会が破壊されたり厳しい弾圧を受けたが、ソビエト崩壊後は活動が公式に認められ、ロシア人の心のよりどころとして復活し、修道院の数も20年前の40倍に上っている。また強いロシアの復活を掲げるプーチン、メドベージェフ政権の下で、ロシアの精神的な復活という課題に取り組むとともに政権側との関係も強化しており、その総主教はロシアの精神的な統合の象徴として高い権威を持つ存在となっている。

 2月1日北陸中日新聞。第16代新総主教の即位式は、2月1日、救世主キリスト大聖堂で開かれた。新総主教が祭壇内に設けられた聖座に3回座り、高位聖職者らがそのたびに「アクシオス(ふさわしい)」とギリシャ語で唱え、即位を承諾した。その後、総主教だけに許された「永遠の命」を意味するマントをはおり、初めて新総主教としての姿を誇示した。
 国内外の聖職者や大統領、首相ら約4000人が参列した。大統領は挨拶で「ロシアの発展と国民のため、政府と正教会の協力が求められている」と述べた。新総主教は、まず選挙で敗れたクリメント府主教ら保守派のいる教会内での地盤固め、その後の最大の課題は11世紀に分裂したカトリック教会との関係改善となる。前総主教は、国内でのカトリック教会の布教を恐れていたとされる。新総主教は2007年にバチカンでローマ法王ベネディクト16世と面会するなど、和解推進派とされるが、即位前のロシア紙とのインタビューでは「(カトリック教会が布教を図るなら)関係は変わらない」と慎重な姿勢であり、その道のりは平坦ではない。

今、ロシア伝統文化に注目

 08年1月13日朝NHKTV。ウラジオストクでは、郊外に貴族の邸宅を再現した建物が注目されている。 外国人観光客を呼び込もうと建てられたホテル「パビリオ(名称の記憶が定かではありません)」で、伝統文化を振り返るのに市民が訪れて人気だ。貴族が着ていた伝統衣装が着られるなど、ロシア文化が体験出来る。寿司などの日本食も好きなほど日本通の若い夫婦も、そこを訪れて「やはり自分はロシア人だから・・・」「知らないのは恥ずかしい」と語っている。
 ソ連崩壊後、全国的なインフレに加えて、ウラジオストクでは電気・水道・燃料の供給不足でどん底の生活で余裕がなかった。プーチン政権になってから経済も安定して余裕が出、ロシア教会の建物も再建されるようになった。
 また、大学が運営するロシア文化センターの受講者も、7年前は5人だったのが、100人に増えている。ロシア文化の中心、モスクワのクレムリン観光も人気があるという。

自動車の輸入関税引上げ

 09年1月12日NHKTV。プーチン首相は、国内自動車メーカー保護のため、1月12日に外国製自動車の関税引上げを適用した。新車乗用車がこれまでの25%から30%に、トラックが10%から25%になった。トヨタなど外国メーカーがロシア国内で生産するものは対象にならない。
 ロシアでの日本車販売台数は、三菱自動車は08年3月までの1年間は10万台だったが、08年11月には前期同月の半分になった。日産では3月までの1年間は14万台だったが、10月以降は減少が激しい。

電子楽器「マトリョミン」

クリックで一部分拡大表示 au style magazineの08年10月号(携帯電話会社auの請求書に同封されてくる)。Pick up Unique! で取り上げられているのが、ロシア生まれの電子楽器テルミンの機能を、ロシアの代表的な人形の民芸品「マトリョーシカ」の中に収めた「マトリョミン」。
 2000年に、日本人で初めてロシアでテルミン演奏を学んだ竹内正実(たけうちまさみ)が考案し、2003年に同氏が代表を務めるマンダリンエレクトロンにて製造販売を始めた。考案のきっかけは、文章の一部を引用すると『ロシアから帰国後、演奏活動と並行して演奏法も教えていましたが、「自分には手に負えなさそう」と、興味はあるけど遠巻きにしている人たちを誘い込むには、何か違う切り口が必要だと感じていました。そんなときマトリョーシカとの合体をひらめいたのです。お人形を手のひらに載せて演奏するというちょっと間の抜けたおかしさは、テルミン演奏のイメージを親しみやすいものにしてくれると直感しました。』とのこと。そして、購入者が『名前をつけたり、旅のお伴になったり』して、『楽器の枠を超えて愛着、愛情をもって接してくださるのが幸せだ』とある。
 テルミンについてネットで調べてみた。世界で最初の電子楽器で、鍵盤などがなく、アンテナが2本備わっている。演奏は、手を近づけたり遠ざけたりして、アンテナの周りの電磁場に干渉し、その変化が楽器内部の発振器に作用するのだとある。1920年に物理学者でチェロ奏者でもあったテルミン(Theremin)によって発明された。
 ちなみに、マンダリンエレクトロン社のアドレスは、http://mandarinelectron.com/で、マトリョミンのデモ演奏のビデオも見られる。また、竹内氏はNHKラジオのロシア語講座応用編(06年10月から6ヶ月間)に出演して、テルミンで講座のテーマ曲も演奏しており、再放送が09年3月まで土曜日の夜にある。
(08年12月記)

ロシア初の高速列車

 08年12月27日朝NHKTV。国営の「ロシア鉄道」が、最高時速250キロで在来線を走行する列車を公開した。列車名は、はやぶさという意味の「サプサン」。運行は2009年12月。モスクワとサンクトペテルブルク間を3時間45分で結ぶことになり、今の4時間半から45分短縮される。
 ドイツから80両を、約790億円で購入した。気温がマイナス40度でも車両内の温度は適温に保たれるシステムになっている。将来的には、専用の線路を敷設し、最高時速が300キロを超える超高速列車を走らせる方針とのこと。モスクワの東方の工業都市ニジニ・ノヴゴロドへも敷設の方針。
 「サプサン」が走行試験の前に公開された背景には、金融危機の影響で景気が冷え込んでいるなかでも、高速鉄道の整備を進める姿勢をアピールするねらいがあるとみられる。

外国人労働者を排斥

 08年12月20日過ぎのNHKTV。ロシアでの外国人労働者は1500万人とも言われる、旧ソ連、中でもタジキスタンなど中央アジアからの労働者が多い。雇用が悪化し、彼等が排斥されている。違法な労働取引は今まで見逃されていたが、取締りが強化された。プーチン首相は、来年2009年は外国人労働者を半分に減らすと言っている。
 今年85人の外国人労働者が殺された。「ロシアから出て行け」と暴力を振るわれるのだ。ロシアを去って中央アジアへ帰る人達がインタビューに答えるのは「ここは辛い」「二度と来ない」というものだった。

中古日本車の輸入規制

 08年12月7日朝のNHKテレビによると、大統領は、国内の自動車産業を保護するために、中古車の関税を2009年1月から25%から30%に引き上げて輸入規制を行い、これでも効果がなければ他の方法も考えているということだ。11月9日、ウラジオストクではクラクションを鳴らし、ロシア車を揺するなどして、輸入業者のみならずドライバーも抗議行動を行った。
 ウラジオストクでは、国産車より安くて性能の良い日本車の輸入で街の経済を支えてきた。街を走る自動車の8割が日本車だ。それまでは高級車が飛ぶように売れていたが、11月の輸入中古車の売上は10月の40%落ち込んだ。景気の落ち込みは自動車業界だけでなく極東地域全体に広まりつつあるようだ。
 [追記]
 12月21日午前にはウラジオストクの中央広場で500人が抗議行動を行ったが、これに対して武装治安部隊が出動した。けが人も出てNHKのロシア人を含め40人のジャーナリストが一時拘束された。今回の輸入車規制抗議の矛先は、これまでとは違って政府を直接非難し、大統領を名指しするものとなっている。
 

DVD教材「プーチンと柔道を学ぼう」

NHKテレビ(08年12月4日)等によると、10月6日、柔道家でもあるウラジーミル・プーチン首相が出演するDVD教材が公開された。プーチン氏の故郷サンクトペテルブルクで、56歳になる誕生日の前日のことだ。DVDでは、プーチン氏自ら黒帯を締めて背負い投げなどを披露、日本の山下泰裕氏と井上康生氏も模範演技を披露している。またDVDの冒頭では、柔道について「肉体の鍛錬だけでなく、自信と決断力、目的を果たす意志、忍耐、年長者への尊敬を大切にする」と説いているという。
 NHKテレビの12月4日朝「ワールドレポート」によると、プーチン氏は13歳で柔道を始めているが、柔道を子供達を始めロシアで広めたいのだという。早くもその教材を取り入れる公立学校が現われ、或る学校では全校レベルで柔道を取り入れている。柔道着姿の子供達の言葉からは、強いプーチンというイメージが定着していくように思える。
 ロシア柔道連盟は、柔道人口の倍増を予定している。英語版も計画されているというが、日本での発売は予定されていない。
 日刊スポーツ(web)によると、プーチン氏は約8年前に柔道家のシェスタコフ下院議員と柔道に関する共著を出版、今回のDVDも同議員らと共同制作した。同議員の話では、プーチン首相は公邸に柔道場をつくらせているが、公務のため毎日は練習できないという。 

太平洋艦隊の原潜事故で死傷者
(各新聞・TVで報道)08年11月16日記

 08年11月8日午後8時半、ウラジオストクに司令部のある太平洋艦隊の原子力潜水艦が試験航海中に事故を起こして、乗組員や作業員20人以上が死亡(うち軍人は6人)、21人が負傷。負傷者は救助船に収容された。原子炉は影響を受けず、放射能のレベルは正常で、原潜は駆逐艦などに伴走されて自力で極東地域の基地に向かった。
 事故は原潜の船首部分で起きた。原因は、火災が発生していないのに消火装置が誤作動して有毒ガスが放出したため。遺体の肺からは消化剤のフロンガスが検出されている。その時原潜は深く潜水していたので艦内の各区画が密閉されて脱出できなかったと見られている。 事故当時、この原潜には軍人81人と造船技術者や専門家らの計208人が乗っていた。軍事専門家の話によると、通常、原潜の乗組員には非常用の携帯用防毒マスク着用が義務付けられているというが。
 10日の報道では、事故の起きた場所は間宮海峡ともウラジオストク東方ウラジーミル湾とも。また、その原潜は今年夏にも消化装置の故障が起きていたという。
 13日、最高検察庁捜査委員会当局者は、水兵の1人が消火装置を誤作動させたことが判明したと述べた。過失致死容疑で水兵を取り調べている。
 事故が起きた原潜は、1991年に極東の造船所で建造が始まったアクラII級原潜「ネルパ」、軍の財政難のため凍結されていたが最近になって完成し、10月末から試験航海に出ていたのだ。インターネットで検索してみると、こんな記事もあった。『インド海軍が2009年夏から10年間6億5000万ドルで賃借する予定だったが、今回の事故で計画に変更が生じる可能性があるとの見方が広がっている。インドは中国の軍備増強に対抗して原潜の建造に取り組んでおり、ネルパから先端技術の取得を目指していたもよう。(タイムズ・オブ・インディア紙によるものだという)』
 思い出す悲惨な原潜事故といえば、2000年8月にバレンツ海で北方艦隊のクルスクが艦内の爆発で沈没し、乗組員118人が死亡した事故だ。

ハバロフスクのスーパーに日本の農産物コーナー常設

 08年10月7日付け日本農業新聞によると、極東のハバロフスク市のスーパーマーケットに日本の農産物販売の常設コーナーが設けられた。新潟県が定期航空路があるハバロクスク市に着目したものだ。常設コーナーは、市の中心部から車で20分のサンベリー・セーベルニー店に設けられ、名称は「新潟おもてなし館」という意味。
 ターゲットは人口60万の10%を占める富裕層。同スーパーの農産物はロシア産は少なく中国が大半を占め、オーストラリア(ミカン・オレンジ)、ニュージーランド(リンゴ)、米国(サクランボ)、イスラエル(アボガド)もある。日本産は数量は多くないが高価格・高品質という高級品の位置付け。JA新潟みらいが9月に出荷した桃は1キロ687ルーブル(1ルーブル4.5円=3091円)なのに対し、隣に並ぶ米国産は150ルーブル、中国産は62ルーブルという具合だ。その地域の平均月収は2万ルーブルほどだが、5,6万ルーブル以上の収入がある層に狙いをつけている。

『浦潮とよばれた街』展
新潟市美術館で2008年9月2日〜10月19日

展覧会のパンフ 1991年2月にウラジオストク市と姉妹都市になった新潟市で、新潟開港140周年を記念して展覧会が開かれた。浦潮斯徳(当時はウラジオストクを漢字でこう表記した)に在住した日本人の歴史資料を中心に、その地方の自然や人を描いた絵画や写真も展示された。関連して「浦潮日報と在留日本人の生活」と題した講演会が10月4日に、黒澤明監督の映画「デルス・ウザーラ」の上映が9月15日と10月13日に行われた。右の図は展覧会のパンフレットで、上半分のモノクロ写真は、地久節(皇后の誕生日)に浦潮本願寺に集う日本人。
 「ウラジオ」は浦潮のほかに浦塩や裏塩の表記も見られる。ロシア語では「ヴラジ・ヴォストク」であり、区切る箇所が異なる。東(ヴォストク)を支配せよという意味だが、日本人は「浦潮」と湾岸都市らしい情緒を感じさせる名で呼んだのだ。浦潮には多い時は約5000人が住み、日本人街が形成されていた。この展覧会には1920年頃の商店・企業の所在地を復元した地図も展示されていた。
 私は講演会に出かけた。講師は辺境文化研究の武田洋平星城大学教授。1917年12月9日に創刊された浦潮日報の記事を周辺事情を織り込んで解説し、当時の庶民の息遣いをも感じさせるものだった。創刊号はキクチ総領事や寺内正毅日露協会会長等の祝いの広告も入ったタブロイド版12ページ(次号から4ページ)。浦潮日報の主幹は和泉良之助、東京外語学院で二葉亭四迷からロシア語を学んだ人物。政治面では、日本のシベリア出兵には居留民の為にならないと反対の立場で執筆したが、後には日本司令部の広報紙の役割をすることになったという。紙面は広告も多く、総領事館での新年祝賀会や居留民のちょっとした事件が、時にはおもしろおかしく大げさとも思える表現で書かれたようだ。渡った日本人は、いわゆる唐行さん、鉄道工夫、商売人、それにスパイも。商売人は福井県の敦賀を結ぶ「敦浦(とんぽ)航路」で柳行李に商売の品を詰めてやってきたのだ。大正11年に多くは引き揚げたが、残った人々の為に昭和13年まで新聞は発行された。

校歌は日本語の歌(2006年2月のTV番組「謎を解け!まさかのミステリー」)

 街を行く幾人もが「バラが咲いた」を日本語で歌えるという、この不思議はどうしてなのか、という番組だった。浜口庫之助が作曲作詞したこの曲は、1960年代にマイク真木が歌ってヒットした。
 この歌が校歌となっているのは、サンクト・ペテルブルグ第83番中等学校。ソ連崩壊(1991年)後に日本語教育の特別課程が置かれたことに端を発する。日本語担当教師のカリーニナ・ヴァレンティーナ・アレクサンドロヴナ先生は副校長になって、この歌を校歌に定めたというのである。それで「バラの学校」と呼ばれている。
 なぜロシア語に訳さずに原語なのかというと、彼女が17歳の頃、恋人が日本語の通訳の仕事をしていて、彼が好きでよく歌っていた歌であり、彼女も覚えてしまったのだ。その彼は24歳で海難事故のため亡くなり、家庭をもったのは別の人とだった。
『バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが さびしかった僕の庭に バラが咲いた
たったひとつ咲いたバラ 小さなバラで さびしかった僕の庭が 明るくなった・・・』

 在サンクトペテルブルグ日本国総領事館のホームページ(広報文化のページ)を見ると、露日友好協会副会長でもあるカリーニナ女史は2005年6月、外務大臣表彰を受けている。

 私個人の推測ですが、歌詞が平易で曲も覚えやすいので日本語学習向き。加えてバラの花は、加藤登紀子が歌ったロシアの歌「百万本のバラ」でも分かるように深い心情を表現するのに使われ、ロシアでは誕生日や先生の日(教師を敬う記念日、何日だったか覚えていない)にもバラを贈ることからして、この歌が選ばれたのではなかろうか。私のウラジオストク滞在中には、学校に校歌があると聞いたことがなかったので、それは日本語・日本文化の教育校の象徴として特に定めたのではなかろうか。ソ連時代には政策として、国のどこかの学校で、全世界の国・地域の言語が教育されていたと聞いたことがある。ソ連崩壊後にも教育課程に特定の言語・文化を重点的に組み入れたとしても何の不思議もない。
 ちなみに、ウラジオストク市では第51番学校に日本語の課程があり、姉妹都市である新潟市から職員が教師として1991年9月から2004年まで派遣されていた。 

ロシア式しゃっくりの止め方

 2008年9月6日テレビ番組「世界一受けたい授業!」で、世界のおばあちゃんの知恵袋として紹介された中に、ロシアでのしゃっくりの止め方というのがあった。
1.ひじを伸ばしたまま後ろで手を組み
2.おまじないを唱え
3.手を後ろで組んだまま、テーブルの上に置いたコップの水を飲む。
というものだった。
説明によると、手を使わずにコップの水を飲もうと前かがみになることで呼吸が止まり、横隔膜も静止するからとのことであった。

シベリアが温暖化すると日本は・・・

 2008年7月30日NHK総合TV『ちょっと変だぞ日本の自然V世界の異変が連鎖!日本の異変に』というタイトルで、温暖化による異変の例としてシベリア、サハ共和国のヤクーツクに取材した例を挙げた。
●大量の雨が降って地表の温度が上昇し、それが永久凍土まで届いて融け始め、水が溜まって湖が出現した。甚だしくは住宅地にまで湖が迫って家が傾いていく。海洋研究開発機構で観測調査しているが、湖の面積はこの7年で3.5倍になった。
 また、こんな光景まで生み出した。夏なのに枯れ木が立ち並んでいる所が出てきたが、これは去年(2007年)から葉が枯れ始めたのだという。原因というのが、驚くなかれ、根が水浸しになったことなのだ。
●オホーツク海に流れ込む鉄分が減り、漁獲量の減少という形で、日本の食卓にまで影響を及ぼす可能性が指摘されている。
 もう少し詳しく見ていくと、ヤクーツクが温暖化する→流氷が減る→流氷によって運ばれる鉄分が運ばれない→鉄分を必要とするプランクトンが減少する→プランクトンを食べる魚が減少する (流氷の底の方から塩分が下方に流れて海底の鉄分をも流してプランクトンが親潮に乗って日本に南下するのを助けているという構図です)

自動車メーカーのロシア進出ラッシュ

●乗用車
 ロシアの自動車市場は急成長している。07年自動車販売台数は250万台余りと前年より35%の伸び、中でも外国車は人気が高くて59%を占める。外国車販売台数はこの3年で4倍に急増。このため韓国や欧米の自動車メーカーと並んで日本も現地生産に乗り出した。最も早かったのはアメリカのフォード。
 日本の一番乗りはトヨタ。05年春から総額約220億円を投じてサンクトペテルブルグに建設した工場では07年12月21日に「カムリ」の生産(車両組立)を始めた。09年には年5万台を目指す。将来、20〜30万台生産を見越して第2工場建設地も確保した敷地は約68万坪。従業員約600人。熟練労働者不足という問題も出てきているが、経験がなくても雇用して社内で教育しようとしている。
 続いて日産、226億6千万円を投資し、生産能力は最大5万台を計画。従業員はフル操業時に750人の見込み。
 スズキは伊藤忠商事と折半して140億円の投資。09年後半から生産を始める。日産もスズキも工場はサンクトペテクブルグで、SUV(スポーツタイプ多目的車)などの生産を始める予定。
 三菱も07年5月19日に、フランスのプジョー・シトロエングループと合併で乗用車組立工場建設を発表。モスクワ市の南西180キロのカルーガ州に建て、3年後の11年から操業予定。中型SUVに加え、プジョー、シトロエンの中型乗用車もつくり、生産能力は年間16万台。
●トラック
 いすゞは06年から、モスクワ市の東方約800キロのウリヤノフスク市の現地の会社で小型トラック「エルフ」を組み立て、いすゞブランドで販売してきた。08年8月には、設立した合弁会社がタタルスタン共和国エラブガに建設した新工場に、その生産機能を移す。生産能力は、年間2万5000台。また、タイいすゞからピックアップトラックの完成車を輸入して販売開始。
 日野は、三井物産と共同出資で販売会社「日野ロシア」を設立して、極東・シベリア・ウラル地域から販売を開始すると、08年5月に発表した。ウラジオストク市に支店を置き、将来はモスクワ方面への販売も視野。

日本企業の工場進出−建設機械の「コマツ」

 2008年7月22日、北國新聞やNHKのニュースなどによる。2月に100%出資の子会社「コマツロシア製造(有)」を設立し、7月21日に組立工場の起工式を行った。69億円を投じ、2年後の2010年に中型掘削機3000台、フォークリフト7000台の生産開始予定。場所はモスクワの北東280キロにあるヤロスラブリ。従業員数は約500人を見込んでいる。
 資源開発、道路などのインフラ整備、ビル建設ラッシュのために需要が増したからだ。来年の需要が32,000台、3年間で1.7倍になる見通し。現在800億円の売上を3年後には1300億円に延ばしたいとしている。 

島根県からウラジオへチャーター便

 2008年4月24日NHKラジオニュースによると、島根県の萩・石見空港から初めて、ウラジオ行きのチャーター便が飛ぶことになった。
 9月28日に140人を乗せて出発する。商談と観光が目的。商談では、中古車に加えて建築資材、食料を売り込みたいとのこと。

シベリア鉄道の物流

 2007年12月ある日の夕方、NHKラジオ第一放送で環日本海経済研究所の辻久子氏の話があった。
 シベリア鉄道は、ウラジオストクからモスクワまで9300km、旅客車ロシア号で1週間、貨物輸送には2週間かかる。電化、複線化され(アムール川鉄道のみ単線)、日本の新幹線より10cm広い152cmの広軌で、貨物輸送にぴったり。
 シベリア・ランドブリッジ(Siberia Land Bridge)は、1971年に開始された。それは日本からナホトカ港、シベリア鉄道を経てヨーロッパへ繋がる輸送ルート。80年代にはこのSLBで中東へ輸出され、90年代からは低迷してスエズ運河経由が主流となる。
 2000年以降ロシア経済が活気を帯び、日本・中国。韓国からの輸出が盛んになる。韓国は自動車や家電メーカーの現地生産が始まり、部品の輸送に鉄道を使っているが、日本は未だスエズ運河経由。そこで、ロシアは日本に鉄道の利用を願っている。また、機関車も老朽化し新幹線の技術を呼び込みたいところ。シベリア鉄道を利用すると、スエズ運河経由では22000km、40日以上を要するものが11000kmとなり日数が短縮(4割短縮の約25日)される。だが、問題点もある。割高な経費と通関手続きだ。
 例として挙げたのはトヨタ自動車。2007年12月にサンクト・ペテルブルグ郊外の工場で生産を開始。ゆくゆくは鉄道輸送に切替えたい意向。3回の試験輸送を行い、梱包(輸送中の部品の損傷)、通関のクリアなどを調査とのこと。

渤海の遺跡で金の装飾品

 2007年11月16日付けの北國新聞(ほっこくしんぶん、金沢に本社のある地方紙)によると、8,9世紀に栄えた渤海(ぼっかい)の遺跡をロシア科学アカデミー極東支部と共同で発掘調査している金沢学院大の教授らが、金メッキのかんざしや指輪などを初めて確認した。
 それらが出土したのは沿海州にある「クラスキノ城跡」で、当時は1400mの壁で囲まれた港町だった。唐の文化を取り入れ、唐の古銭などが出土しているという。古代石川の港(現在の金沢市畝田・寺中遺跡、そして中能登の福浦港)との航路も盛んで交流が深かった。
   この記事を読んで思い出すことがある。1995,6年頃、ウラジオストクでの日本語弁論大会でのこと。生徒の部門で或る男子が渤海の遺跡の話をした。門があって、願い事をしながらその門をくぐると叶えられるという話だった。

極東に初めての経済特区

 2007年11月6日のNHKニュースによると、ヴォストーチヌイ港などウラジオストク近郊の港湾施設が経済特区に指定されることになった。今後6年間で、2兆6000億円もの資金をつぎ込み、極東・東シベリアでの天然資源開発や物流ルートの活性化などを本格的に進める計画だという。
 ロシアで3番目、極東で貨物取扱量最大の商業港であるヴォストーチヌィ港は、1970年代に日ソ経済協力事業として建設された。次いで、ナホトカ港、ウラジオストク港が大きい。
 ロシアはブリックス(BRICs。ブラジル・ロシア・インド・中国)と呼ばれる新興大国の一つに挙げられ、経済発展が目覚しい。政治・経済・文化などあらゆる分野でヨーロッパ側が中心となっている中で、より強い国を目指して、経済的に極東アジア側に目を向けたということだろう。
 参考までに、ロシアとの貿易についての諸事情は、社団法人ロシアNIS貿易会(rotobo)に詳しい。

2012年APECの開催地となる

 2007年9月、オーストラリアのシドニーで開かれたAPEC(Asia-Pacific Economic Cooperation)で、2012年のロシア開催が決まり、都市はウラジオストク市となりました。日本では1995年に大阪で開催されましたが、この2市を比べてみるだけでも現状を見る限り施設や都市機能など随分の差です。今後5年間、ロシア政府の肝いりで巨額を投じて整備されていくのでしょう。またまた変貌を遂げて「アジアの窓」「アジアの玄関口」としての役割を担うことでしょう。
 北陸中日新聞の「A.ポルトフのウラジオ通信」にこれに関する情報はないかとインターネットで検索してみると、8月14日付「・・会場建設多難・・汚職対策もカギ」というタイトルで書いてありました。会場として整備計画されるルースキー島の模型写真も載っています。彼は情報通で現実を直視した記事を書きます。大学で教鞭も取るポルトフ先生は、パーティでは即興詩人にもなる親しみのある人柄です。

発展し始めたウラジオストク(2007年6月24日NHKテレビ番組を見て)

NHKの海外ネットワークという番組で「経済発展するウラジオストク」と題して放送されました。そこで見た街の様子は、まさに建設ラッシュ。人々には、欲しい物が手に入る環境になったことで、顔に笑みがこぼれていました。安い中国製品は一切置かない、エスカレーターつきの百貨店は2年前にオープン。日本製の中古車が圧倒的なシェアを占めていたところへ、新車の購入が増えているといいます。平均月収は6万円になり6年前の5倍とのこと。
 新車を買った或る若夫婦の例が紹介されていました。現在14万円の収入で結婚当時の5年前の3倍、公営住宅の家賃は14,000円だから、余裕がある。
 ヨーロッパ側のロシア、つまりモスクワやサンクトペテルブルグ周辺がオイルマネーで余裕ができたので、政府の目は極東に向いたのだと説明していました。
 停電や物不足といった生活は、もやは過去のものになったのでしょう。94,5年頃、唯一の百貨店グムは品数が少なく、市場の中国製品が花盛りでした。当時月収5,000円の時代を見てきた私の意識も変えられつつあります。経済より軍事に偏っていた町は、確実に変わりつつあるのです。 

或るシベリア抑留の物語(遥かなる約束−50年の時を越えた運命の愛−)

 「遥かなる約束」は、奇跡の夫婦愛スペシャルとして2006年11月25日(土)フジテレビ系列局で21時から2時間あまり放送された実話に基づいたドラマ。 日本とロシア、国境を越えた、1人の男性と2人の女性の壮絶な愛の実話。
物語のあらすじ。
 第2次世界大戦時、会社員蜂谷弥三郎は朝鮮の平城に赴任した。肺を患い入院していたときに知り合った看護士の久子と結婚。彼女との間に長女久美子を儲けた。終戦直後、弥三郎はスパイを助けたという身に覚えのない容疑でソ連軍に強制連行される。必ず戻るという弥三郎の最後の言葉を信じて、久子は鳥取県で52年待ち続けた。
極寒の地シベリア地方のマガダンの収容所で生き延びた弥三郎は理髪師になって働き、生きるためにロシア国籍を取得する。先に引き上げていた妻に別れの手紙を書いた。しかし、手紙は届かず、久子は再婚の話も断り夫を待ち続ける。一方、スパイ容疑のため終戦後も帰国できず、妻に別れを告げた弥三郎は、同じような境遇で心の痛みを共有できる看護士のクラウディア(通称クラヴァ)と再婚。彼女と37年間共に過ごした。1991年のソ連崩壊後、クラヴァは愛する弥三郎に約束した「あなたを故郷に帰す」ため、ハバロフスクの日本総領事館に出かけ、離婚と引き換えに帰国許可を取った。
1997年、弥三郎は52年ぶりに鳥取に帰って、待ち続けた久子と暮らす。
配役
蜂谷弥三郎:阿部寛
蜂谷久子:黒木瞳
クラウディア・レオニードヴナ・ノイビコワ:エレナ・ステイコ

蜂谷弥三郎さんは「クラウディア最後の手紙」(2003年4月メディアファクトリー出版)を著している。2006年現在、弥三郎さんは88歳、久子さん89歳。鳥取市気高町在住。クラウディアさんは85歳。弥三郎さんは帰国後もクラウディアさんと手紙のやり取りをつづけ、2003年にはクラウディアさんの来日が実現したという。
この話は、2004年2月、『奇跡体験!アンビリバボー』でも放送されたらしい。

ネコヤナギの日曜日

 NHKニュースでこの言葉を知りました。 2007年4月1日はキリスト教の祭日で(宗派によって聖枝祭とかシュロの主日など呼び名が違うとか)、復活祭の1週間前。イエス・キリストがガリラヤからロバに乗ってエルサレムに入った時、人々が「木の枝」を敷いて歓迎したという日なのだそうです。その木の枝が、地域や国によって違うが、ロシアでは「ネコヤナギ」で、その日も「ネコヤナギの日曜日」と呼ぶのだそうです。厳しい冬を過ごしたロシアの人々が待ちわびる春を一番に知らせるネコヤナギは、私にはその祭日にふさわしいように思えます。
 ちなみに、八木谷涼子氏のくりホン キリスト教教派の森によると、「木の枝」は聖書のヨハネ伝には具体的に「なつめやしの枝」とあるが、日本ではナツメヤシは生育しないので代わりにシュロやソテツになり、南欧諸国ではオリーブなのだそうです。ネコヤナギは北欧でも使い、北海道のロシア正教会でも使われるが、明治時代に東京のニコライ堂でほころびかけたサクラの枝が使われたことがあるそうな。
 とにかく、何であれ心に希望を抱かせるような木の枝をもって祝うものなんだと、草木が芽吹く時期に、一人勝手に納得。

追記:私には、ネコヤナギとロシアのおばあさんとは切り放せないイメージになって残っています。郊外から折ってきたネコヤナギの枝を、素晴らしいプレゼントだと言わんばかりに私にくれたおばあさん、何にも包まず束ねたままのネコヤナギをウラジオストクの街角で売っていたおばあさん。地味だけどぬくもりを感じるネコヤナギとおばあさん!

トップページに戻る