ウラジオストク旅行2006

7月13日〜16日、7年半ぶりにウラジオストクを訪れました。
日本センター設立10周年記念ツアー27名の一人として参加し、3泊4日の旅行でした。
クルージング、市内観光、日本同好会との交流パーティなどを楽しみました。

写真(軍事基地の町・交流等) ツアー日程 一昔前とは違うこと 相変わらずで・・

展望台からプーシキン通りへ

展望台から金角湾の海の方向を望む。角のように曲がっている形が、イスタンブールの湾と形が似ている事から同名が付けられた ロシア語の文字を作った2聖人、キリルとメフォヂィ像。862,3年頃布教のために聖書をギリシャ語から翻訳して文字も作った。当地まで来たわけではない。 極東で最初に日本語が教えられた元東洋学院(1899年開校)。獅子の石像は中国語をメインとしたので中国から贈られた。現在ここは極東工科大学 「桜の園」で有名なチェーホフが、1890年サハリン旅行の帰路に立ち寄って宿泊した家。相当な金持ちの家だったろう プーシキン像。彼は格調高いロシア語を愛する人々の崇敬の的

街にはいろんなものが

柔道が広められた武道の家。上方に楽団用のスペースもあって、かつてダンス大会も開かれたという 旧日本総領事館。今は裁判所関係の建物 プーシキン通でひょっこり見つけた古い木造の一戸建て 「カジノ」という看板も出ている観光船が、潜水艦博物館前に停泊。一昔前にはこんな船なかった 沿海州のドラマ劇場で、専属の劇団がある。バレエ公演もここで。隣には芸術大学

軍事基地の町

船から街を見ると、艦船が何隻も 潜水艦博物館 2次大戦の戦没者名が刻まれて 要塞博物館前にて
12時の大砲の音は大きい
要塞博物館

交流等

極東大学の一棟。日本センターはこの3階にある。(戸田さん撮影) センターで日本語を学んだ人たちで作る日本同好会との交流(松本さん撮影) ゲストに招かれたハバロフスク市在住の田中さん。自ら考案した楽器を演奏し、大いに盛り上がる(松本さん撮影) シベリア鉄道モスクワ行き列車の始発駅。モスクワまでは1週間もかかる(松本さん撮影) 与謝野晶子がシベリア鉄道でパリに向かった時に詠んだ詩碑。日本センターのすぐそば。(石垣さん撮影)
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ツアーの日程と私が見たもの

在京ウラジオ会企画のこのツアー、日本センター初代所長の鈴木修さんが中心となって、
元ウラジオストク日本人会のメンバーとその友人達が参加しました。

13日(木)
15:55
新潟空港を出発あいにくの雨。空港へは東京から新幹線の人がほとんど。金沢から5人が高速バスと車で。
機内に空席は無く、ウラジオストク経由で他地域へ向かう人も多いようだ。カムチャッカへ山登りに行く日本人一行も。
13日
19:30
ウラジオストク空港到着夏時間で+2時間の時差があるので明るい。パスポート検査のあとに査証審査、それから荷物検査と続く。運の悪いことに、並んだ行列がなかなか進まない。この窓口で誰か問題があったようだ。
やっと外の空気を吸うと、ロシア到着を実感する。貸切バス(韓国の亜細亜自動車製)が到着し、降り立ったのは日本センターのオリガ嬢。再び空港に来るまでの4日間、彼女のお世話になる。バスの通路にも荷物を並べて、ホテルまでの1時間弱、おしゃべりと緑いっぱいの風景を楽しむ。写真は参加者が帰路の車窓から撮ったもの。

ホテル到着10人はホテル・プリモーリエ、17人はホテル・アクフェス西洋に分かれて宿泊。前者は中心街近くだが、後者は車で30分離れた所で大きな市場のそば。私達金沢組は後者に。
フロントでパスポートを預ける。宿泊客を内務省の出先機関に届けなければならないのだ。
14日(金)
9:00〜14:00
クルージング貸切の船が出るこの波止場は、大きな客船用ではなく対岸の地域を往復するフェリー乗り場(今は運行を中止したとのこと)。ロシア人の日本センター職員や関係者も同行して、船は金角湾を出てアムール湾へ。海から眺める街もいいものだ。レーダーをいっぱいつけた艦船のすぐ横を通って、島全体が軍事基地のルースキー島へ。島の入り江を抜けて金角湾へ戻る。
 鈴木さんが地図を広げて現在の位置などを説明してくれる。はじめは上方の甲板で風に吹かれて景色を楽しんだ面々も、やがて船室へ降りてきて歓談。昼食はお酒中心の食事となる。気の利く日本センターのロシア人男性職員が、紙の皿にサラミやピクルス、パンを盛ってくれる。日本から持参したつまみも出る。
14日
16:00〜
セミナー又は市内見学 樹木医の5名は、ツアーの目的の一つである日本センターでのセミナーへ。かつて商社マンとしてウラジオ滞在した神尾さんは、退職後は樹木医の道へ進み、同業の仲間4人を誘って参加。「ウラジオストク西本願寺跡記念公園の整備」などをテーマにしたセミナーを開くことになる。
他は現代ホテル(韓国系)をバスの発着地点として自由に市内見学。駅近くにあるレストラン「ノスタルギア」でロシア料理を堪能したり、現代ホテル12階のバーなどで楽しむ。私は知人の家に招待されて昼食。お土産にピロシキをたくさんもらってメンバーにおすそ分け。
15日(土)
9:00〜
市内見学
(展望台・プーシキン通)
上の写真参照
バスで展望台へ。天候に恵まれ金角湾がよく見渡せる。この高台には主に極東工科大学の施設(講堂や図書館、学生寮)が建っている。最近、ロシア語の文字を作った「キリルとメフォヂの像」がお目見え。学長も発起人として名を連ねている。
近くで観光客相手に若い男性が露店を出していた。
ケーブルカーで下に降りて、プーシキン通から1906年に建てられた建物(武道の家とも言う)までを散策。
15日
午前
市内見学
(潜水艦博物館周辺)
バスで潜水艦博物館まで移動してしばらく見物。2次大戦で実際に使われたC56型。この2次大戦のメモリアル前にも新婚夫婦一行が飾りつけた車で来ており、写真を撮ったりしている。かと思うと、民族衣装の若い女性二人が観光客相手にモデル業をしており、中国人観光客が一緒に写真を撮っていた。
周辺には小さい礼拝堂、ニコライ門がお目見え。高い木々が多く、かささぎも鳴いている。一人で大通りの向かい側まで足を延ばし、ドラマ劇場や芸術大学前を歩いた。通りに戻ると自転車の一青年と出くわした。ここでは自転車は子供のおもちゃであって、大人は乗らない。黒髪で顔つきも日本人のように見えたので声をかけると、韓国人の旅行者。本屋はどこかと尋ねるので教える。
15日
昼時
市内見学
(要塞博物館・水族館・海岸通など)
バスで海辺の小高い丘にある要塞博物館へ。砲台が何台も飾られており、回転する砲台の席に自由に座って写真も撮れる。中国人観光客や物流関係の日本人一行も見学している。博物館内の資料を見ると、街も山も要塞だらけだったことが分かる。渤海時代の資料もある。
正午を告げる大砲はここから撃たれる。90年代は市内によく響くように別の場所で行っていたが、見せるにはここはかっこうの場所というわけだ。博物館の屋根に上ったりしてその時を待つ。耳を劈く音を聞いた後、丘を降りて水族館、魚市場、海岸通などを経てレストランで昼食。そして自由行動となる。
私は要塞博物館を出てすぐに別行動をとり、教え子の家で昼食。ボルシチ、ロシア風餃子のペリメニなどを御馳走になる。両親と小さい子供二人の家庭が住むそのアパートは、平均的間取りである2DK。料理が並べられた広めのリビング兼両親の寝室には余計なものが無くよく片付いている。「見習わなくちゃ」とは同行の日本人主婦の弁。
15日
午後
市内見学
(駅)
15:30にホテル・ベルサイユ前集合。バスでシベリア鉄道のターミナル駅と、陸橋で線路を渡った海の駅と呼ばれる旅客埠頭へ。
鉄道駅の建物は正面が記念写真向きのきれいな建物だ。 1週間かけてモスクワへ行くロシア号の乗客も、ハバロフスクへ出かける人も、各駅停車でダーチャへ出かける人たちも、皆利用する。場外と区切られていて狭い改札口を通って行く日本とは違い、自由にプラットホームまで行けて開放的だ。
金閣湾は、軍港・漁港・貿易港でもあるので、うまく住み分けている。この海の駅には、豪華客船飛鳥や新潟からのフェリーも着く。両替所はもちろん、みやげ物屋や電気屋などの店が多い。市内で探すのが困難な公衆トイレがここにはあって、有料である。料金はバス代と同じ7ルーブル(約32円)。
いざ出ようとすると夕立。鈴木さんの助言で傘を持ってきた人に入れてもらってバスへ。傘といえば、ウラジオでは折りたたみ傘ばかりで、ジャンプ傘は見たことがないなあ。
15日
17:00〜20:00
日本センターで交歓会
上の写真参照
お土産にチョコレート菓子を買いたいという希望者が多いので、バスは大きな菓子工場直営店前で停車。鉄の扉を開けるとチョコレートの香りいっぱい。種類が多すぎて、鈴木さんのアドバイスがなかったら困るところ。大人向けの味だとお薦めの、焚き火という意味の「カスチョール」(量り売り)や、箱入りの「小鳥のミルク」を買う。
日本センターでは、所長、職員、日本文化同好会のメンバーなどとの交歓会。ケータリングの料理に加え、日本酒もテーブルに載って、総勢70人ほどが賑やかに。元ハバロフスク日本センター所長の誘いで参加した田中さん、歌も演奏もトークも交歓会の花形で、お開き後も歌とダンスの中心。5月に10周年記念式があり、その際に作成した記念カレンダーがツアー参加者にも贈呈された。現代に「ウラジオストクを愛した日本人たち」の代表が載っている。
16日
(日)朝
二番川市場 ホテル・アクフェス西洋の隣にある市場で見物や買い物。食料・衣料・日用雑貨・ペットが売られている。日本との違いが目に付くのは食料品。ボルシチに使うビートやベリー類、菩提樹の蜂蜜など。私の目に留まったのは得たいのしれない瓶詰め。ロシア語の堪能な三宅さんが通訳してくれるには、花粉とのこと。いろんな色の粒で、匂いも味も薬のよう。体調がよくなるというオバサンの言葉に、物好きにも買ってしまった。(右の写真)150ルーブル。ホテルに戻って荷物を整理し、チェックアウト。
16日
14:50
ウラジオ空港出発 空港ターミナルの売店で最後の買い物というか、残ったルーブルを使い切った。以前と違って多額でなければルーブルを持ち出しても構わないそうだが、次回の当てがないので、滋養にいいと有名なバリザムを買った。オリガさんが最後の最後まで見送ってくれた。感謝。
16日
14:20
新潟空港到着
新潟ウラジオ会との親睦会
テレビ新潟の稲田さんたちが迎えてくれ、バスは駅前の料理屋へ。ウラジオが外国人に開放される92年の前年91年から早々と交流員を送ったほど交流に積極的な新潟。報道関係、県庁と市役所の職員、高校の先生など20名弱が参加。ツアー参加者も希望者20名弱が参加。おいしい新潟のお酒に男性陣は楽しさも倍増した様子。
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一昔前とは違うこと

 ロシア正教の聖堂建立・ニコライ門再建

 ロシア帝国時代の名所が復活。日本センター向かいのポクロフスキー公園には、革命前にあった聖堂を復活させようと、ソ連崩壊後に小さい聖堂が建てられ、その後も募金が続けられていました。今、大きな聖堂建築中。また、小さくて白い聖堂が潜水艦博物館後方に出現。ケーブルカー下の駅の傍にもモニュメントのような白くて小さいのが。
 写真は再建されたニコライ門。最後の皇帝ニコライ二世が皇太子の頃、諸国歴訪からの帰国時、1891年に歓迎のために建てられた門。潜水艦博物館のそばにあります。(写真の人は私ではありません)

通りから見える銀行のATM

 中心地には建物の中に入らなくても道路から利用できるATMがいくつも見え、驚きました。一昔前には考えられなかった光景です。
 90年代のある時期はものものしい警備でした。所によっては銃をもった警備員が、一人ずつ鉄の扉を開けて入れていました。両替したら、周りを警戒し、後ろも振り向きながら急いで帰宅したものでした。
 現在ウラジストクに滞在している人の話では、治安がとてもよくなったというわけではないので、建物の中にあるATMを利用しているということです。

 消えたキオスク通り・整備された海水浴場周辺

(戸田さん撮影)(松本さん撮影)
 小さいキオスク(商品がびっしり並んだ固定式箱型屋台とでも表現できようか)が、所狭しと両側に並んでいた通りが変わりました。賑やかでもごちゃごちゃした感じの否めなかったそれらキオスク群は姿を消し、花壇のあるゆったりした散歩道に変身。数軒の大き目で六角形のしゃれたキオクスがそれに替わりました。
 街からその通りを通って行くと、先は広場、そして海水浴場。海辺の道が整備されて街灯が並び、傍に観覧車もあって親子が楽しめる遊園地が出現。う〜ん、一昔前が嘘のよう。経済的にも余裕が出てきたようで。

 少し衛生的になった市場

 昔から大きな市場が、一番川市場、二番川市場と二つあります。一番川市場の建物が大きくきれいになり、売り場もきれいに陳列されています。以前はむき出しだった生鮮食料品が、ガラスケースの中に置かれたり、パック包装されています。
 以前は市場に虫がいたり、猫が堂々と歩いていたり、冷蔵が不十分で消費期限も切れたのが売られたりしていたっけ。
 この一番川市場、ソ連崩壊後、陸続きの中国人が衣類や日用品売りに進出してきました。周りの道端にもはみだして、ロシア人とひと悶着ありました。そこで、市のとった対策は、別の地域に中国市場を作ることでした。

 立体交差の道路ができ、高額の日本車が増えて

 日本車がほとんどのウラジオストクであることは同じですが、新車らしき車、高額な車が多くなりました。坂の多い町なのでランドクルーザー、四輪駆動車が人気です。市街は一戸建てはほんどなく立体駐車場も無いので、空き地と見れば駐車場になっています。以前によく見かけた、日本語が書かれたままの古い中古車は、私の目には入りませんでした。
 60、70万の人口となると交通渋滞もひどくなるというもの。ゴーゴリャ通の交差点は立体交差になって、別の町に来たようでした。

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相変わらずで・・・

 水は飲めません

 日本から水を持っていきましたが、ホテルの各階ロビーに飲用水が準備されていました。洗面所・シャワーの水の色は、見た目には茶色っぽくはありませんが、飲むというには程遠いものです。消毒薬のせいか水質のせいか、匂いがして、一晩蛇口から水がほんの少し洩れてでもいようものなら、翌朝その跡が濃い茶色になってしまいます。
 つい、そのまま飲める日本の水道を基準にして判断しがちですが、他の国々では水が出ることがありがたいというケースもあることを忘れないようにしようと思ったことでした。