おわりに

私は何とか父を生還させようと努力したが、それが叶えられることはなかった。

父は、実験台になることを恐れ、以前から、大学病院に入院することを極端に嫌っていた。

しかし、松下病院におりながら、私がそこを大学病院に変えてしまったようなもので、どうしても複雑な気持ちが残ってしまう。

父の場合は、どんな治療であっても効果が出なかったのかも知れず、私の努力が、却って、父を苦しめる結果になってしまったとも考えられる。

ただ、父が正月を迎えることは難しいだろうと言われていたにも拘わらず、半年近くも延命したということは、色んな免疫治療薬が、父の体に何らかの作用をしたのかもしれない。

実際、それから三十年以上経った今日では、免疫療法の研究もかなり進み、癌治療の一つの道として確固たる地位を築いている。

 

私が父に試みた治療法の中で、ムンプスワクチンが最高だと思う私の気持ちは、今でも変わっていない。

多くの医者の中には、自身やその家族が癌になった時、患者に投与している抗癌剤を使用したくないと思っている人が多いとも聞く。

そんな中にあって、ムンプスワクチンを研究している先生方は、自分の身体が怪しいと思われた時には、迷わず、このワクチンを注射されていたと聞いており、如何にこのワクチンに信頼を寄せられていたかが伺える。

 

それでは、もし、癌を告知された時、私なら一体どうするだろうかと考えてみた。

手術をすれば100パーセント治り、且つ、その手術をしても機能障害にならないというのなら、私はやはり手術を優先させるだろう。

また、レーザーで焼き切るだけでいいというのなら、当然それを優先するだろう。

しかし、手遅れの癌を患ってしまったとすれば、抗癌剤やコバルトは絶対に使いたくないと思っている。

そして、これが一番だと私が選択した治療をして欲しいと願うだろう。

 

私は手術をしなければならない場合でも、その前後にはムンプスワクチンを使わせて欲しいと思っていたのだが、ムンプスワクチンの製造ができなくなってしまった。

なぜ製造できなくなったかと言えば、武田薬品の風疹、北里研究所のはしか、そして、阪大微生物病研究所のおたふく風邪という三種類の混合ワクチンを子供へ接種したところ、無菌性髄膜炎の発症が多発したからであるが、おたふく風邪のワクチンの単独接種が問題になったということを、私は聞いたことがないので、三種混合にしなければいいように思うし、何よりも、おたふく風邪のワクチンを必要としている人が大勢いるということを忘れてはならないのではないだろうか。 

 

医師が癌患者への治療法として、免疫療法を選択する場合のほとんどは、手術ができない人とか、手の施しようがない末期癌の人に限られていると言ってもいいだろう。

私は、もし、免疫療法が癌の初期の段階で使用されるならば、かなりの成果が期待できると思っている。

しかし、私自身でさえも手術で完全に癌が取れるのなら、やはり手術を第一に選択しようと考えているわけであり、手術を止めてまで免疫療法を選択するということは考えづらく、免疫療法が真の意味で本流になることは今後もないのかもしれない。

 

私見ではあるが、丸山ワクチンやその他の免疫治療薬も、癌の予防薬として使ったデーターが取れるとすれば、きっと素晴らしい数字が出るに違いないと思っている。

私は十年以上前に、丸山ワクチンをそのように使わせてもらえないかと、東京医科大学付属病院へ電話したことがある。

その時に電話に出た先生は、「面白い考えですね」と言い、「もし、そのように使おうとお考えでしたら、よくご存知のお医者さんに頼み、癌の疑いありと書いてもらって下さい」と言った。

私は、すぐにそうしようかとも思ったが、癌の疑いあり、ということになってしまうと、生命保険や癌保険などで、ややこしいことになってしまうかもしれず、諦めざるを得なかった。

私は、現代医学は癌の発見や治療という分野では進歩しているのに、何故、予防という分野にもっと力を入れてくれないのか不思議に思う。

 

私は父が入院中は勿論のこと、亡くなってしまった後でも、暫くは、化学療法一辺倒で、免疫療法に理解を示してもらえなかった中川医師をあまり良く思っていなかったかもしれない。

しかし、中川医師の実直で責任感の強い人間性や、現代医学の信奉者であるということから考えても、当時の医学界における免疫療法の評価の低さや、父の癌の進行状況から考えてみても、私達兄弟の意見を聞くということが、信念を曲げるということになってしまい、医者として容認できることではなかったのだろう。

それ故、中川医師の態度も医者として当然の姿であり、私達の意見を、かなりの部分で取り入れてくださったことを考えると、年を重ねるにつれ、私は中川医師に心から感謝する気持ちを抱くようになった。

 

PSK(クレスチン)・おたふく風邪のワクチン・インターフェロンなど、すべての面で助けて頂いた田口鉄男先生に、私達夫婦が子供のように育てていたチャウ君(チャウチャウ犬)の子供をもらって頂いた。

先生も犬を飼おうかと思ってられた時だったようで、ちょうど良かった。

先生は、チャウチャウ犬のことを、よくご存知で、中国では食用であることも教えて下さったが、「このことだけは、絶対、口外せんとこな」と夫婦で誓い合った。

田口先生のところへもらって頂いたチャウ君の子供はチャオ≠ニ命名された。

チャオ君の生活ぶりはというと、大変なものだった。

成犬になってからは、先生や奥様が大切にされている庭木の間を、大きな身体で分け入るように走りまくるので、先生の奥様が、「木を滅茶苦茶にするんですよ」と笑顔で楽しそうにお話されるので、喜んで頂いているのか、ご迷惑をおかけしているのか分からなかった。

しかし、食事の時には、先生のそばにべったり寄り添って、美味しそうなものを、先生から箸渡しでもらっていることをお聞きすると、やはり喜んで頂いていると思っていいのかもしれなかった。

ただ、チャオ君も、父親のチャウ君に似てよく脱走していたらしい。

 

田口先生は大阪大学を退官され、名誉教授になられた後も、日本の癌学界の重鎮であり、今も世界中を飛び回っておられるだけでなく、癌関連の専門誌を何冊も執筆されるなど、忙しい日々を送っておられる。

 

奥野良臣先生はムンプスや風疹などの生ワクチンを日本で最初に開発され、日本のジェンナー≠ニ世界にあだ名される世界的なウィルス研究者になられ、第一回小島三郎博士記念文化賞を始め、科学技術庁長官賞や大阪文化賞も受賞された。

そのかたわらで、庭に色んな花を育てるという趣味もお持ちで、時折お尋ねした時にも、野良仕事そのままの恰好をして出てこられることもある。

また、最近では、平成十四年の七月と九月に医学研究者向けの専門誌臨床と微生物≠ノも執筆されている。

 

山西弘一先生は奥野先生の麻疹部門を引き継ぎ、大阪大学医学部細菌学講座教授になられ、その優しい性格と誰にでも分け隔てなくお接しになる人柄から人望を集め、大阪大学医学部の学部長にもなられた。

それ以外にも、日本ウィルス学会の理事長もしておられた。

 

浅田照夫先生は、生のムンプスワクチンを使って、C型慢性肝障害やそれにともなう肝癌の治療の道を探っておられたが、阪大でワクチンが製造できなくなってしまったために、その研究は断念された。

浅田先生はおたふく風邪のワクチンを癌細胞の攻撃に利用するといったことを考えられたように、医学界で異彩を放っており、現在は唾液腺を中心にした研究をされている。

例えば、唾液腺と糖尿病との関係、唾液腺と動脈硬化との関係、また体位と消化機能との関係といったようなもので、その研究はしばしば専門誌などでも取り上げられている。

 

父の部下だった土江さんは、松下産業機器株式会社の初代社長に就任された。

しかし、数年間、社長を務めて引退された後、父と同じ病で他界されてしまった。

 

秘書の淡路さんは、土江さんより早く脳腫瘍で他界されてしまった。

 

私達に色々とアドバイスをしてくれた叔父も、数年前、やはり癌を患って他界してしまった。

叔父は、入院してから、わずか数日間で亡くなってしまったのだが、癌ということが分かってからも、治療というものを一切せずに、その前日まで、叔母と一緒に郷里の石川県へ行ったり、近隣の寺院などを毎日のように散策したりして、時間を惜しむかのように動き回っていた。

私は、叔父が、自分の家族のために少しでも治療をすればいいのにと思い、父の死後に引っ越した三田の叔父の家まで行って、説得を試みた。

しかし、叔父は、七〇歳を越えて、数少ない友人も既に亡くなってしまっているか、寝たきりになってしまっているので、「何のために生き続けんとあかんのや。生きてても面白うないんや」と言っていた。

 

読者の中で、不幸にも癌になってしまった方や家族に癌患者が折られる方は、後悔しないためにも、できる限り多くの本を読み、選択肢を多く持った上で、医者とも、とことん話し合い、納得できる治療を受けられることが大切なのではないだろうか。

私が三十年以上前に知り得た治療法は、確かに玉石混淆だったかもしれないが、その中でも温熱療法やインターフェロンなど、現在でも研究されているものも数多くあり、その一つ一つが素晴らしい可能性を秘めていると思われる。

ただ、父が亡くなって三十年近く経った今でも、決め手となる治療法が確立されておらない現状を見るにつけ、癌の恐ろしさを再確認させられるとともに、癌の特効薬が出現してくれればと願う。

私は、癌の特効薬というものは、理詰めで考えて見つかるものではなく、今日にでも、突然出現するといったようなものであるように思えてならない。

まだ結核が、不治の病だといわれていた頃、軒下に干してあるトウモロコシを食べた人の中に、たまに病気が治った人がいた。

ところが、トウモロコシをいくら調べても何の答えも出なかった。

それどころか、食べても治らない人の方が多かった。

後日、分かったことだが、トウモロコシが効いたのではなく、それにはえるカビが結核に効いたのである。

つまり、そのカビこそがペニシリンの成分だったというわけである。

 

当然、世界中で、日々様々な治療法が研究されているわけで、私は、いつの日か、必ず、人類が癌を制圧できる日が来ると信じてやまない。

    了

 

 

 

 

 

最近脚光を浴びている治療法の一例

 

《ミサイル療法》

免疫療法の中には、抗体療法というものが古くからある。

癌が発生すると色々な抗体ができるが、その抗体が癌細胞を殺すかどうかについては明確になっておらず、もし殺すとしても、その力は非常に弱いものであると思われる。

そこで、癌に対してだけ、特異的に作用する抗体が創れないかと色々研究されてきた。

その結果、癌のある特異的抗原に対してだけ反応する抗体(モノクローナル抗体)を技術的に創ることができるようになった。

このように、癌だけを集中的に攻撃することからミサイル療法と呼ばれている。

しかし、モノクローナル抗体が癌に有効に作用するかどうかについては難しい問題もあり、今までのところ、ある種の癌では成果が上がっているが、すべての癌でうまくいくというところまでには至っていない。

これらのモノクローナル抗体に抗癌剤や毒素を結合させて、癌細胞をミサイル攻撃する方法も研究されている。

 

《遺伝子治療》

細胞の中には細胞核というものがあり、その核の中に染色体がある。

染色体をほぐしていくと、鎖のようなひも状のもの(高分子DNAという)になる。

このひも状のDNAは遺伝子が繋がり合ってできている。

癌はいくつかの遺伝子の異常が蓄積して、無秩序に細胞が増殖するといった疾患である。

今日では、いくつもの遺伝子の異常が発見されているので、この病的な遺伝子を正常に戻すための努力がなされている。

半数以上の癌では、P53という癌抑制遺伝子に異常が見つかっている。

この遺伝子は細胞が分裂する周期を止めたり、アポトーシス(自然死)させたりする働きがあると考えられている。 

そこで、正常なP53遺伝子を入れたベクターという無毒化したウィルスを癌細胞に感染させ、その際に、正常なP53遺伝子を放出させて、遺伝子の異常を補修させる。

これが遺伝子治療の代表的なものの一つである。

その他にも、様々な遺伝子治療の戦略が考えられ、臨床試験中である。

 

《粒子線治療》

放射線治療が進歩したものとして、粒子線治療というものがある。

それは、電子より重い粒子(重粒子)である中性子・陽子・重イオン(炭素・へリュウム・アルゴン・ケイ素など)を使って、大型加速器から出てくる重粒子線や陽子線を、癌病巣にだけ照射するといったものである。

放射線は身体を突き抜けて、癌とは関係のない正常な臓器をも傷つけてしまうが、重粒子線や陽子線の場合は、癌の部位で止めてしまえるので、徹底して癌細胞を叩くことができるという画期的なものである。


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