第一章 ″プロローグ″
「胸の陰の方は大丈夫だったんですが、直腸のポリープは切った方がいいですね」主治医の相沢医師は、病室から出て行こうとして扉を開けたが、扉を閉めずに、迷い気味に振り返って、そう言った。
父は、「あんまり切りたくないんですが」と、相沢医師の顔色を伺うように、遠慮がちに言った。
父はこれまで、手術らしい手術というものをしたことがなく、そんな人の誰しもが持つ恐怖心を持ったようである。
相沢医師は一寸考えるような仕草をしたが、「将来、癌化する恐れもありますし、切っといた方がいいでしょう」とそれに答えた。
父は癌という言葉に怯えたのか、観念したようであった。
相沢医師の余り深刻な感じがしない話し方からか、母はそれほど心配してないように見えた。
母の冨美子は、レントゲン撮影の結果、父の持病である肺侵潤による胸の陰が、大丈夫だと言われた響きの良さに、重きを置いているようだった。
ただ私には、直腸のポリープ≠ニいう嫌な響きを聞いたためかもしれないが、相沢医師の目に、一瞬だが、父、芳雄に対する哀れみのようなものが浮かんだように思えた。
相沢医師が扉を閉めた後、父は、「切らんとだめか・・・」と力無く呟いた。
今まで私の中では、強い父≠ニしか意識していなかったので、始めて見たそんな父がかわいそうになった。
父にしてみれば、検査入院が三・四日で終わり、『島田さん、大丈夫です。どこも、大して悪いところはなかったですよ』と言ってもらえるものと期待していただけに、ショックがそのまま顔に出ていた。
父が、切らんとだめか、と呟いた後、病室には蝉の声だけが響いていた。
父が六十七歳の誕生日を迎えた昭和四十九年夏のことである。
私は煙草を吸うために病室を出たが、相沢医師が一瞬浮かべた、あの表情を見てからは、水に浮かんだ油絵具を手で掻いて、透明な水面を出そうとしても、油絵具が、またすぐに水面を覆ってしまう、そんな、もどかしさにも似た気持ちをどうすることもできなかった。
父もきっと同じ気持ちなのだろうと考えると、私は胸が苦しくなってきた。
私は家に帰ると、風邪や腹痛などの単純な病気ではないのでは、と思った誰もがするように、《家庭の医学書》を本棚から引っ張り出して一生懸命読み始めた。
妻が夕食を用意する手を止めて、「どうしたの」と聞いていたが、私はそれには答えず、貪るようにその本を読んでいた。
家庭の医学書というものは、素人が読むために書かれているのだが、症状から判断すると、大半が重大な病気にも当て嵌まってしまうために、大抵の人は怖くなってしまうことが多いようだ。
私も以前、重病なのではないかと心配になり、近所のかかりつけの医者に相談したところ、「ぜんぜん違うよ、もう、今度から、そんなもんは読まんときなさい」と窘められたことがある。
しかし、父の場合は、医者も、切った方がいいと言っていたわけだし、簡単なものでないことだけは確かであり、どの角度から読んでみても、私には直腸癌以外には考えることが出来なかった。
ただ、それと同時に、直腸癌の治癒率は非常に高く、再発もしにくいという解説に安心してしまい、今度は逆に、家庭の医学書が、私に誤った安心感を植え付けてしまった。
『手術をすれば治る』という安心感が私の中でどんどん増幅していき、私はかなり気持ちが楽になった。
二十七歳の私にとって、死はまだ無縁のところにあり、癌が明日のない病≠セという恐怖心も、私の中からは、ほとんど消えてしまっていた。