◆イラク写真展◆

<団地デモ>

団地デモ1
団地デモ2 団地デモ3
東京・北区の豊島5丁目団地内の夕暮れデモ(2003年12月28日)

<イラク写真展>

写真展ポスター

 私は今回、広河隆一さんの写真をお借りして写真展を開きました。広河さんのホームページはこちらですが、写真の貸し出しには、市民組織による「写真展事務局」があります。写真展を考えておられる方は、事務局にご相談下さい。ここのホームページで写真のサンプルもご覧になれます。
 また、広河さんが先頭になって、今、世界の真実を伝える写真雑誌『DAYS JAPAN』の発行しました。こちらもぜひご購読とご支援をお願いします。

イラク写真展/感想ノートから


 平和な日本がまた戦争への道を歩まないように頑張って下さい。北区にもこんなこわい基地(自衛隊十条基地)があるなんて始めて知りました。身近なことでも知らない事が多すぎます。一般の人々にこの現実を教える為にも、このような機会を多く開催して下さい。(40代、男性)

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子どもたちを戦場に送りたくありません
日本にもいつ爆撃がおちるか わかりません
こわいです。(20代、幼児を連れた母親)

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 何時も戦争は女性と子どもを犠牲にしているのがわかっているのに、日本は何故、自衛隊を派遣し憲法9条があるのにみづからおろかな戦争に突入するのでしょうか。さきの大東亜戦争をもう忘れてしまったのでしょうか?あの戦争で多くの悲しみと悲しい体験、そして大切な命をこのイラクの戦いに血をながすのは誰のためなのか、何の為なのか。私達は戦争の反対と9条をしっかり守らなければなりませんね!

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 子どもの頃は戦争は何故起こるのかわからないけど、おそろしいものだとだけ思っていましたが、今、戦争がどうやっておこされるのかを知ると、とてもくだらないと思います。こんなことで多くの人が殺されて。  日本をちゃんとした国にしなくてはいけないと思いました。でも日本も、不況や教育のことなど大変で… 

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 劣化ウランのこととクラスター爆弾のことを知ることができました。この問題をより広くアピールする必要があると感じました。

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 私は戦争の経験はないが、戦争の被害は多く見ました。なぜ戦争が必要なのか、世の中、平和の声をあげる人が多数いるが、平和ってなんなのだろうか、70歳のなった今でもわかりません。ただ戦争は反対です。
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 今のこの時もこのやうな戦争ヒガイ者が。同じ人間の手で……。ぜったい許してはならない。太平洋戦争のまだ生々しいヒガイ、加ガイが消えぬのに、自民、公明のヤカラの手でイランに派兵とは、アヽ、なんたること。
 だが、なげいてばかりで居られぬ。怒りの声を、広げよう。
 写真展、キカク、実現、本当に御苦労様です。アリガトウ。

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 こんなすごいイラクの情報を細かく見せていたヾき、なんて悲惨な戦いをするのかと、アメリカに対して日本ははっきりと自衛隊の出動を断るべきです。
 関東大震災で生き残り、大東亜戦争の時は御影(神戸市東灘区)の時にB29(5月)でした。毎晩のごとく空襲を受け、燈心(とうしん)油を(小皿)入れ、こよりに火をつけて明るくしたのですが、よく生きてきたと思います。
 戦争は二度と“死”に直面してますから、絶対反対です。従兄を原爆で亡くし、他の従兄たちも戦死しました。
写真展には子供達や遠いイラクの地や世界平和を願います。

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 眼の大きなパッチリした子どもたちに、このむごい仕うちをする大人のみにくさ。フセインが倒れたあとのイラクは幸せなのだろうか?
一日も早く子供たちに笑顔があらわれるように祈るだけ。日本の憲法を守ろう!

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 アメリカはひどすぎる。人間のすることだろうか。日本もアメリカを後押しして。とてもイラクの子供に、日本の子供に、顔向けできない。

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 国民の半数以上がイラク派兵反対といわれていますが、みんなが怒り、声をあげる行動に参加しないのをいいことに、自公政権はアメリカいうなりの国会強行採決をやって恥じるところがありません。
 国民はもっと怒りましょう!他人ごとのように傍観せず、イラク国民の犠牲を自分の痛みとして、憲法9条違反のイラク派兵撤退を実現させましょう!

イラク戦争基礎知識

●イラク戦争とは

 2003年3月20日、米英軍がイラクの首都バグダッドなどへの空爆を始め、イラク戦争が始まった。  攻撃前、ブッシュ米大統領は、イラクのフセイン大統領が核兵器などの大量破壊兵器をかくしもっていると指摘。しかし、決定的な証拠はなく、仏独の反対で国連安保理の決議もえられないまま、米英軍は攻撃に ふみきった。
 4月9日にバグダットが、同14日にはフセイン大統領の出身地ティクリートが陥落し、フセイン体制は完全に崩壊した。12月13日には、消息不明だったフセイン元大統領もティクリートで拘束されたが、大量破壊兵器はまだ見つかっていない。今年1月には、米イラク調査グループ(ISA)責任者だったデビット・ケイ氏が「大量破壊兵器は存在しない」と明言し、イラク戦争の「大義」は根底から揺らいでいる。
 イラクは現在、米英軍の占領下にあり、36カ国が参加している。米英軍による武装勢力掃討作戦で、空爆や家屋破壊・侵入など人権侵害が相次ぎ、誤爆など直接、間接に死亡したイラク市民は1万人以上にのぼる。また1万5千人のイラク人が米軍に拘束されているという。占領に不満をもつイラク人によるゲリラ攻撃が多発している。
 米軍が使った「劣化ウラン弾」により、イラク全土に放射能汚染がひろがり、小児がんや先天性異常が激増している。

●クラスター爆弾とは

たくさんの子爆弾を内蔵した爆弾のこと。航空機から投下すると、小型爆弾や地雷などが目標上空で散布される。通常爆弾より1発当たりの殺傷力は劣るが、広範囲に分散した目標を一度に破壊できる。散布された不発弾が地雷化して一般人に被害をおよぼし、復興のさまたげともなっている

◇クラスター爆弾については次のホームページをご参照下さい。
地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)

●劣化ウラン弾とは

核兵器をつくるために天然ウランを濃縮する過程で生まれる残りかすが「劣化ウラン」で、それを使った爆弾。鉛の1.7倍も比重が重く固い性質に目をつけたアメリカの軍事産業が、戦車の装甲や弾丸に使った。貫通力が大きく、戦車等への攻撃に使われる。飛び散るチリは強い放射能をもち、人体や環境に重大な影響をもたらす。
アメリカは1991年の湾岸戦争で300〜800トンの劣化ウラン弾を使ったといわれ、放射能は広島に落とされた原爆の1万4000〜3万6000倍にもあたる。今度のイラク戦争ではその倍以上使い、イラク全土が汚染されたとみられている。

◇劣化ウラン弾について詳しくは下記のホームページをご覧下さい。
STOP!劣化ウラン弾キャンペーン
森住卓ホームページ
◇漫画の好きな方は、講談社マガジンKCDX『汚れた弾丸〜劣化ウラン弾に苦しむイラクの人々〜/アフガニスタンで起こったこと』(540円)をお読み下さい。

●イラク略年表

紀元前8000年ごろ、北メソポタミアで原始的な農村が生まれる。
紀元前3500年ごろ、南メソポタミアにシュメール人が多くの都市国家を建設。
その後、セム族やヒッタイトなどが侵攻をくり返すが、しだいにいくつもの都市を合わせた統一国家が形成される。
0961年、イラク中部にマズヤド朝成立(~1150年)
1587年、トルコ帝国、イラクを占領。
1638年、トルコ帝国、バグダッドを奪い、イラクを併合。
1683年、トルコ帝国最盛期。イラク全土を併合。
その後、イラクはトルコ帝国の衰退とともに、英・仏・独などの植民地戦争にまきこまれる。
1920年、第1次世界大戦の終結で、イラクは英・仏の委任統治に。
1932年、イギリスの委任統治から独立し、イラク共和国となる。
1963年、2月、バース党がクーデター。
1979年、サダム・フセインが大統領に就任。
1980年、イラン、イラク戦争始まる。
1990年、8月、イラク軍、石油をめぐりクウェートに侵攻。首都を制圧し「暫定自由政府」樹立。 1991年、1月、米軍を中心とする多国籍軍がイラク、クウェート領内に空爆開始、湾岸戦争に突入(「砂漠の嵐作戦」)。
 2月、フセイン大統領がクウェート撤退を宣言。多国籍軍がクウェート市に突入し、首都を開放。湾岸戦争が停戦。
2003年、3月、米英軍が首都バグダッドなどへ空爆を開始。イラク戦争始まる。
 4月、米英軍バグダッド制圧。イラクは米英軍の占領下におかれ、イラク人によるゲリラ攻撃が多発。
 12月、日本が占領下のサマワ(イラク南部)に自衛隊派兵を決定。
2004年、:::::

陸上自衛隊十条基地


基地眺望
十条基地の全景ー基地南方、「北とぴあ」から眺望

●自衛隊十条基地とは

 十条地区(十条基地)と赤羽地区(赤羽基地)を含めた「陸上自衛隊十条駐屯地」というのが正式名称。
 十条地区は、区民のねばり強い解放運動で、一部地域が返還されたが、そのほとんどが「補給統制本部」として強化されている。陸海空3軍のあらゆる装備(軍艦やミサイルから衣服まで)の補給・調達をコントロールするハイテク中枢基地。地下にはコンピューター基地があり、3千人の自衛隊員が勤務している。
 一方、赤羽地区は縮小・廃止され、現在、約半分が北区に返還されて「赤羽自然観察公園」になり、残る半分も北区が取得する計画です。
 1999年5月、周辺事態法とともにアメリカと「日米物品役務相互提供協定」(ACSA)が結ばれ、十条基地と米軍との直結体制も想定されている。
 今年1月、政府は自衛隊のイラク派兵にあたり、自衛隊と現地駐留の米軍との間で、車両部品や燃料などの相互提供ができるように、この協定の適用を決めた。

●十条基地所在地

<所在地=東京都北区十条台1丁目>

十条基地所在地

●十条基地全体図

十条基地全体図

●十条基地写真

正面ゲート
正面ゲートから出勤する自衛隊員ら(北部中央、社会保険事務所のそば)ーこの写真のみ平和委員会提供(2003年12月24日朝撮影)

グラウンド側から
南側から見たアンテナ塔と本部ビル。手前がグラウンド(2004年1月11日岩井撮影。以下同じ)

アンテナ
100メートルの塔のてっぺんのパラボラアンテナ

西側から
西側からみたところ

需品整備所
同じく西側から。需品整備所、木工所の看板が見える

北側から
北側からアンテナ塔の方向を見る

東側から
東側から見たアンテナ塔

赤煉瓦
赤煉瓦造り建築物。旧十条基地を解体する際に、考古学上貴重な建造物として保存されている。基地内では区民が自由に入れる唯一の場所で、中には「十条駐屯地の赤煉瓦造建築物」と称するミニ展示がある。

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