19世紀の舞踏会を知る

19世紀おもにヨーロッパで誕生したダンスのことをヴィンテージダンスといいます。
ヴィンテージダンスは、海を越えアメリカへ渡り独自の発展をとげ、新しいスタイルで
再度ヨーロッパにもたらされ、それぞれ交流を続けやがて明治時代の日本にも紹介されるのです。
ここでは、主に19世紀の舞踏会で踊られた代表的なダンスをご紹介します。

対舞踏*カップルダンス*

ワルツ・・・起源は、ドイツ、オーストリア、フランスなど諸説ありますが、1800年には姿を見せ始め、
1814年の有名なウィーン会議の頃すでに浸透していました。
この回転舞踏は、19世紀を通して舞踏の頂点に君臨し、全世界に広まりました。
現在、日本ではウィンナワルツと呼ばれる舞踏が、多少当時の面影を残しています。

ポルカ・・・1844年を前後に突如としてヨーロッパ中にブームが沸き起こり、ワルツと双璧を成すほどに
成長した新作舞踏。 その熱狂は凄まじくあらゆるダンスにポルカが取り入れられ、有名なところでは3拍子の
マズルカにまで及んでしまいます。 もとは、ボヘミア(現在チェコ)地方のダンス。

ギャロップ・・・ワルツについで、1803年頃には知られるようになった速度の速い踊り。
1820年以降、斬新でファッショナブルな舞踏として人気を博し、舞踏会の最後のダンスとして大変盛り上がりを
みせました。踊り方は、できるだけはっきりとアクセントを付け、つま先でさっと滑って行く感じで。

マズルカ・・・ポーランド発祥のダンス。1818年〜1820年イギリスにマズルカの記録がありますが、
この頃はまだマイナーで新奇なものとされ、1829年頃から人気が定着してきます。
この舞踏は、他の対舞踏と違いダンサーのインスピレーションによる美的価値観と想像力が必要と
されるものです。故にしかるべき練習が必要です。

ショティッシュ・・・スコットランド舞踏がモチーフの1850年以降広まった新作舞踏とされていますが、
当時のニューヨークの舞踏教師によると「起源は不明だが、実はポルカと同じくらい古い年代の舞踏でドイツの農民舞踏ではないか」という説も。1786年にドイツでショッティーゼという記述も見られます。基本動作は簡単ですが、
きれいに踊ると上品で美しく見えることから、1850年頃から上流階級のサロンのみならず万人に愛されました。

群舞踏*セットダンス*

カドリーユ・・・19世紀初頭からこの舞踏は存在しましたが、ステップが難しくステージで
ダンサーが披露するような「見せる舞踏」から、簡単なステップに変化し「楽しむ舞踏」へ。
1841年頃から大変な人気を博し、ヴィクトリア女王がバッキンガム宮殿で催す国家レベルの舞踏会の幕開きに
踊るほどの舞踏に成長しました。舞踏は4組または2組の群舞で、関連する5〜6曲で構成されたもの。

コントラダンス・・・18世紀末から男性、女性の列が向かい合って踊る、偶数拍子のダンスです。
1863年頃にはカドリーユに人気を奪われ、上流階級からは時代遅れとされましたが、
地方へ行けばまだまだ人気でした。英国生まれで、フランス革命で亡命した人々などを経由しヨーロッパ
大陸へと伝えられました。

コティヨン・・・1715年頃から4組のスクェアダンスとしてパリを発信源に世界中に広まった舞踏です。
主にパーティゲームとして発展し、1820年代後半には人気が加速、1914年までは舞踏会のクライマックスを
構成していました。


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