リマ市-02 (中華街・国立考古学人類学歴史学博物館) 2017年11月

リマ市-02 (中華街・国立考古学人類学歴史学博物館) 2017年11月
南米最大級の中華街・チャイナタウンと国立考古学人類学歴史学博物館を紹介します。
中華街(利馬唐人街) : China Town カポン通り :Calle Capon(2017年11月6日)
大統領府や大聖堂が在るマジョール広場からそれほど遠くない場所にリマの中華街・チャイナタウンがあります。メインストリートは歩行者専用になっていて「Calle
Capon(カポン通り)」の名で知られています。大きな中国風の門があり、通りには焼き豚やアヒルの丸焼き、肉まん屋やシューマイを売る店が並んでいます。黒人奴隷の代用として1849年に清から労働力として中国人がペルーに入り25年で約10万人の中国人が労働者として移民し、鉱山など過酷な労働条件の元で働かされたそうです。リマの中華街は南米で最大級となっています。中国成立以前に移住された方が多いのか中華街というよりは利馬唐人街と呼ばれている事が多いようです。銀行などもありますがどこもしっかりと漢字も併記されているのが如何にもチャイナタウンですね。

(写真:中華門:中華坊と書かれています)

(写真:カポン通り-01)

(写真:カポン通り-02)

(写真:カポン通り-03)

(写真:カポン通り-04)

(写真:カポン通り-05)

(写真:カポン通り-06)

(写真:カポン通り-07)

(写真:カポン通り-08)

(写真:カポン通り-09)

(写真:カポン通り-10)

(写真:カポン通り-11)

(写真:カポン通り-12)

(写真:カポン通り-13)

(写真:カポン通り-14)

(写真:カポン通り-15)
中華街の周辺 (2017年11月6日)
門の額、こちら側には「天下為公」とあります。この門の外に隣接して市場があります。(向こうに見える二階建ての建物)その為にこの一帯は人通りが多く、平日の午前中ですが道路は人で溢れています。

(写真:中華門から外側を望む・額には「天下為公」の文字)

(写真:周辺の様子-01)

(写真:周辺の様子-02)

(写真:周辺の様子-03)

(写真:周辺の様子-04)

(写真:周辺の様子-05)
中国風の軽食を売る店が多く在りますがペルー風になっています。

(写真:軽食店)
庶民的なペルー風の中国料理店はチファと呼ばれています。中華の中国読み「チュンファ」から来ているのでしょうか。

(写真:庶民的中国料理店-01)

(写真:庶民的中国料理店-02)

(写真:庶民的中国料理店-03)
中国人の経営の中に「新垣」という店がありました。

(写真:新垣)
中には何となく怪しいフュージョンの店があります。

(写真:何となく怪しいフュージョンの店)
一軒のお店に入ってみました。普通に想像していたような料理が出て来ました。

(写真:中国料理店内部-01)

(写真:中国料理店内部-02)

(写真:料理-01)

(写真:料理-02)

(写真:料理-03)

(写真:料理-04)
中華門から市場の前を通りマジョール広場方面へ (2017年11月6日)
中華門から市場の前を通りマジョール広場方面へ歩いて行きます。大体15分くらいの距離ですが雰囲気が変化するのが面白いですね、マジョール広場方向から中華街にも勿論歩いて行きすが中華街からの方が分かり易いのでお勧めですね。

(写真:市場の前-01)
この辺りには金物店が並んでいます。

(写真:市場の前-02)

(写真:市場の前-03)

(写真:市場の前-04)
道路を渡り市場と中国門の方を見ます。

(写真:中国門と市場を望む)
道を渡り進みますと雰囲気が変わり、渾然とした感じから普通の街になりました。

(写真:マジョール広場方面へ-01)

(写真:マジョール広場方面へ-02)

(写真:マジョール広場方面へ-03)

(写真:マジョール広場方面へ-04
国立考古学人類学歴史学博物館の前 (2017年11月6日)
1822年4月の開館以来およそ200年、ペルーを代表する博物館として多くの市民や観光客を迎え入れています。建物はいわゆるコロリアル風、古代から現代に至るまで展示は多く興味ある方には必見でしょう。余り興味が無い人でも楽しめます。
博物館の前は公園になっています。手入れが良く花が綺麗です。

(写真:博物館前-01)
芸術的な大きな胸像があります。

(写真:博物館前-02)
博物館の周辺は住宅街になっています。

(写真:博物館前-03)
雨が降らないので屋根が平らになっています。公園横の住宅がですが、博物館と同じ黄色になっています。

(写真:博物館前-04)

(写真:博物館外観-01)

(写真:博物館外観-02)
国立考古学人類学歴史学博物館・アンデス文明 (2017年11月6日)
博物館の中に入りますとコロニアル風の建物になっていて、余り博物館らしくはありません。中庭の中央にはアンデス文化当時の人の顔があります。博物館の半分はインカ時代までのアンデス文明の展示になっています。アンデス文明は紀元前2500年くらいから16世紀スペインによる破壊まで続いた文明で文字を持たなかったと言われています。近年キープと呼ばれている紐の組み合わせが文字の代用となっていたという説もあります。分からない事が多く破壊されてしまった文明だけに興味が湧きます。

(写真:入口付近)

(写真:博物館中庭-01)

(写真:博物館中庭-02)

(写真:回廊)
回廊にも色々な展示物があります。

(写真:回廊での展示-01)

(写真:回廊での展示-02)

(写真:回廊での展示-03)

(写真:回廊での展示-04)

(写真:展示室-01)

(写真:展示室-02)

(写真:展示室-03)

(写真:展示室-04)

(写真:展示-01)
パラカス期(BC800年~BC300年)の織物は繊細かつ色彩が豊か。また表現力も素晴らしく、見ていて飽きないと言われています。古い時代のものとは思えないですね。

(写真:展示-02)

(写真:展示-03)

(写真:展示-04)

(写真:展示-05)

(写真:展示-06)

(写真:展示-07)

(写真:展示-08)
ジオラマもあり当時の様子を再現しています。

(写真:墓の再現)

(写真:王の再現)

(写真:マチュピチュ)
国立考古学人類学歴史学博物館・歴史時代 (2017年11月6日)
16世紀にスペインが侵略してから以降は文字による記録が残っています。スペインはメキシコ市とここリマ市をラテンアメリカの拠点とし副王領として統治していました。

(写真:スペイン統治時代のジオラマ-01)

(写真:スペイン統治時代のジオラマ-02)

(写真:スペイン統治時代の馬車)

(写真:スペイン統治時代の絵画-01)

(写真:スペイン統治時代の絵画-02)
副王領時代の人口統計がありました。ペルー全体で120万人でその内の60%近くをインディオが占め、混血を併せると8割を占めます。興味深いのは黒人で奴隷と自由民がほぼ同数居ます、これは知りませんでした。

(写真:副王領統治時代の人口統計)
長い戦いの末、1824年に独立を果たしました。最初はアルゼンチンから来たサンマルティンが来て、その後ベネズエラ出身のシモン・ボリーバルが戦いを続けて独立を勝ち取りました。

(写真:独立そして共和国へ-01)

(写真:独立そして共和国へ-02)

(写真:当時の部屋の再現-01)

(写真:当時の部屋の再現-02)
ジオラマが良いですね。

(写真:当時の部屋の再現-03)

(写真:当時の部屋の再現-04)
歴史的なグアヤキルでのサンマルティンとシモンボリーバルの会見の像

(写真:歴史的なグアヤキルでのサンマルティンとシモンボリーバルの会見)
子供達が学習に来ていました。

(写真:学習する子供達)
随分と綺麗な展示室と思って見ましたらお土産屋さんでした。

(写真:土産物店-01)

(写真:土産物店-02)
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