おりおりの言葉
おりおり、ちょっと気になる言葉を、忘れないように取り出してみました。
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おりおりの言葉
〇 アメリカ人は勝利にかけてはエキスパートであるが、敗北にかけてはまだアマチュアーである
E・ウォルシュ、朝日・天声人語・002/2/26
冬季オリンピック競技ソルトレーク大会を評しての天声人語氏の引用文である。米国がこれほど多くのメダルを獲得した冬季五輪は他にないという。星条旗の下になにが何でも勝たんかなといったアメリカの姿勢がうかがわれる。
審判の判定をめぐる多くのトラブルが発生した大会であった。審判のアメリカびいきといった評もしばしば聞かれた。韓国のテレビは、アメリカのアメリカによるアメリカのための五輪、と総括した。本当のところはどうなのか、私にはわからない。
翻って、日本はどうだったんだろう。1988年のカルガリー大会以来の不振だったと言う。銀一個・銅一個であった。それはそれで別に大騒ぎして責任のなすりあいをするほどのことでもないと私は思う。
それより、今回の表題の言葉を次のように書き換えてみたらどうだろう。「日本人は敗北にかけてはエキスパートであるが、勝利にかけてはまだアマチュアーである」と。散る花を愛で、曇る月に惹かれ、敗れた大将を惜しむ。そして、負けるが勝ちとまで言う。負けて去る者への美学である。一方、勝って戸惑う日本人を多く見る。感涙にむせぶ日本人を多く見る。うれしいのだが、それを素直に表現できない日本人を多く見る。多くの若い日本人は違うといわれても、やはり、勝利に対するコメントを堂々と披瀝するような、自分をほめるような若者は少ないように思う。
有森裕子は言った。「自分をほめてあげたい」と。当時新鮮に響いた言葉であるが、気恥ずかしさも感じた言葉である。 2002/2/26
〇 有る程の菊抛げ入れよ棺の中
夏目漱石
漱石の明治四十三年十一月十五日の日記に「床の中で楠緒子(友人・大塚保治の夫人楠緒のこと)さんの為に手向けの句を作る」とあって、上記の俳句が書いてある。
最近、親しい友が、尊敬する先輩が、相次いで亡くなった。掛け替えのないものを失った寂しさはどうしようもない。天を仰いで、地に臥して、地団駄踏んで悔しがってもどうしようもない。有る程の菊をただ投げ入れることしか出来ない。
〇 生かされて生きているよりは、生きてみてみたい
中さん・ハンセン病元患者
国がハンセン病の患者さんに対する隔離政策の誤りを認めてからもう一年にもなる。 そこで、NHKではテレビ番組“クローズアップ現代”で「隔離の傷あと」と題して、その後の患者さんの社会への適応状況を中心に取り上げた。
元患者さんたちの平均年齢はもう70歳を超えてしまっていた。社会からの隔離がやっと解けて自由の身になったとは言っても、もう70歳を超えてしまっていては、社会へ出ていこうにも出て行けない状態である。そんな中で、中さんは“生かされて生きるよりは、(自分一人の力で)生きてみたい”と療養所を出る決意をしたのである。差別・偏見の過去とそのことを思い出させる過去のアルバムまで捨てて、たった一人で社会に出る決意をしたのである。
中さんは、奪われた人生は二度と取り返せない、と言う。私に残されたものは、皆さんと一緒に、残った人生を暮らすことだけですよ、とも言う。
国が隔離政策に誤りを認めてから約一年、660余名の元患者さんのうち社会に帰っていった人は13名にすぎない。親の墓参を希望しても、家族に「帰ってきてくれるな」と、いまだに社会の方から隔離されているというのである。
中さんは言う“世の中のすべての人の理解を得るためには、命がいくつあっても足りない」と。辛くて、重い言葉である。また、強い、本当に強い人の言葉だある。
ふるさとは遠きにありて思ふもの / そして悲しく歌ふもの------これは室生犀星の詩の一節。自分の意思で故郷を捨てた人の郷愁である。故郷に捨てられたハンセン病元患者さんの叫びのすさまじさを理解できる人間に私たちはならなければいけない。
参考 2001年6月11日:熊本地裁が国に18億円の支払いを命じる判決を下す。
6月15日:元患者に補償金を支給する補償措置法が成立する。
7月19日:全国初の和解が熊本地裁で成立。
10月16日:東日本訴訟の和解成立。
12月4日:瀬戸内訴訟の和解成立。
〇 韋駄天台風
2002/10/3 民放のニュースキャスター
猛烈な勢いで、関東、東北、北海道地方を縦断した台風21号は、4人の死亡者と1人の行方不明者を出し、14都道県で61人の負傷者を出した。この台風が東北地方を過ぎるころには時速70キロにも達していた。この猛スピードを形容してのことだろう、キャスター氏は「韋駄天台風」は各地に被害をもたらし、北海道で暴風域は無くなり温帯低気圧になった、といった趣旨のことを話していた。
この報道がちょっと気になった。韋駄天は「バラモン教の神で、シヴァ神の子とされる。仏教に入って仏法の守護神となり、増頂天の八将軍の一。特に伽藍を護る神とされる。また、小児の病魔を除く神とも言う。捷疾鬼が仏舎利を奪って逃げ去った時、これを追って取り戻したと言う俗伝から、よく走る神として知られる。」と広辞苑にある。
各地に莫大な被害を及ぼし、猛烈なスピードで日本を駆け抜けた台風の、スピードだけを指して「韋駄天」と言ったような気がする。
しかし、韋駄天走りとは、リレー競争などで最下位のほうから、猛烈な勢いで、次々に競争相手を追い抜き、味方に勝利をもたらす英雄を形容する言葉だと思う。走る姿は洗練されていないが、とにかく使命感と執念で、そこのけそこのけとばかり、相手をごぼう抜きして走り抜 ける姿を形容した言葉だと思う。少なくとも、相手に害を加え、すき放題悪を働いて走り去る者を形容する言葉ではなかろう。
台風21号を私なら「天邪鬼台風」と呼ぶ。
〇 イタリアサッカーを破滅させた男、あの男には2度とペルージャの土は踏ませない
ガウチ(イタリアサッカーチーム、ペルージャの会長)
ワールドカップでベスト16を争ったイタリアと韓国戦での話である。韓国勝利の決勝ゴールを決めたペルージャで活躍中の韓国の安貞桓選手に対する、ガウチ会長の言葉である。
イタリアのサッカー熱が尋常でないことは分かるような気がするが、それにしても幼稚な言葉である。朝日新聞の天声人語氏は「欧州に広がる排外主義の動きと無縁ではないと思えてくる」「イタリアでは4日、欧州連合(EU)以外からの外国人居住者への指紋押捺を義務づける移民対策法案が下院を通過」「オーストリアでは、ドイツ語ができない外国人の排除を狙った外国人統合法案を閣議決定」と、欧州の排外主義的な最近の動向に危惧の念を述べている。
この点に関して、島国日本人は決して大きなことは言えないだろう。過去において排外的などす黒い国策を経験済みなのだから。
イタリアさんよ、第二次世界大戦の時の「枢軸国」なる主張を忘れましたか?日本・ドイツ・イタリアだけが世界の枢軸であったあの時のことを。過度な愛国心、過度なナショナリズムは国を滅ぼす。笑い話のような幼稚な言葉であるが、恐い言葉である。 2002/6/21
○ イチローのことば
イチロー・大リーガー(朝日新聞・魁新聞記事より)
・2004/7/21 一試合4盗塁のイチローは語る「僕のスピードだったら、相手にスキがないと盗塁は難しい。ただ、それさえあれば、いくら盗塁を重ねても(次の盗塁も)できる」
・2004/7/23 2試合連続4安打を記録したイチローは言う「(結果とプロセス)両方とも大事です。結果を出せないと、この世界では生きていけない。プロセスは野球選手としてではなく、人間を作るために必要です」「フィールドでのプレー以上に、ファンにアピールするものはない」
・2004/7/29 マリナーズ、敵地での14連敗について「負けるには理由がある。たまたま勝つことはあっても、たまたま負けることはない」
・2004/7/31 一試合5安打を記録した時のことば「結果は特別、でも、そこ(打撃の状態)で感じているものは特別ではない」
・2004/7/31 「絶好調の定義にもよるが、すごくいい状態がどういうものかよく分からない。おそらくそういう感覚とは、相手の意図が(事前に)透けて見えたりすることとは思う。でも今はそうではないですね」
・2004/7/31 ボールが止まって見えるのでは、との問いに答えて「止まっていないものが止まって見えるのは明らかに特別でしょう。僕には(ボールが)常に、それもやたらと動いて見えるよ。
・2004/8/1 連続試合安打が21で途切れたイチローは「特別にどうと言うことはありません、別にディマジオの記録(大リーグ記録の56試合連続安打)が目前だったわけではない」
・2004/8/2 月間50安打達成3度目の快挙ホームランで達成して「それ(今期2度目の月間50本安打)を知っていて打ったらカッコウいいけど、知らないで打った。だから別に格好よくないよ」
・2004/8/4 連続した6打席で6安打、止まらぬ安打製造機、イチローのことば「負けているチーム状況だからとモチベーションが下がる選手がいるが、それはどうか。そういう選手は状況に言い訳を求めて逃げている。こういうときこそ、しっかりしなければならない」
・2004/8/5 イチロー首位打者、止まらぬ勢い。一試合5安打をわずか5日後に再現させたことについて「まあ2回くらいやらせてくださいよ。100年に一度の地震も、100年目とその次の年に来ることもある」
・2004/8/11 マリナーズの主砲であり、イチローのチームメートであるマルティネスの引退に対する感慨「彼は若手の手本だった。何かを示すための手段は行動。そういうスタイルが好きで尊敬していた。彼の最後のシーズンで、チームがこう(成績がアメリカンリーグ最下位)なってしまったのは寂しいです」
・2004/8/13 新人からの4年間での大リーグ最多安打記録を破る841安打。49試合を残して75年の歴史をあっさり書き換えたイチローの言葉「(周りに)驚かれているならまだまだ。驚かれないようになりたい」「日本にいたときから僕と記録は切り離せない関係にあった。大変結構なこととは思うが、それは見ている人が楽しめるものであって、僕にとっては-----。この記録だって3かたてばみんな忘れる。一時的に盛り上げられたらそれはそれでありがたいことですが-----」
・2004/8/26 イチローは大リーグ史上初の新人から4年連続年間200安打に後一本と迫っての心境を語る。目標到達を直前に、それを意識することはないということを次のように表現した「もしそう思わない(意識しない)ようにしているのだったら、(実際は)そう思ってしまっていると言うこと。思わないようにしている、思っていない、のどっちでもありませんよ」
・2004/9/11 イチローが試みた2回2死二塁でのバントに米メディアの一部から「セオリーに反している。なぜ?」との声が出たのに、イチローは次のように答えた「それは彼らのセオリー。僕はそういうのを壊してなんぼ」
・2004/9/22 4季の合計安打が900に届いた時点でのイチローの弁「こういうもの(900安打)は、それそのものに目標があると出来ない。小さいことをまずクリアしていかないと、そこには行き着かないから」
・2004/10/3 シスラーの257安打を破り、新記録を達成して、記者の、周囲に期待されて苦しかったのではとの質問に答えて「やっている間にプレッシャーから解き放たれるのは不可能。背負ってプレーするしかない。でも、ドキドキ、ワクワクといったプレッシャーが僕にとってはたまらない。それがない選手ではつまらない」
・2005/9/13 5年連続で200本安打を狙うイチローが、大リーグ1年目でMVPを受賞したときの言葉「僕はどの部分も人より(飛び抜けて)秀でているわけではない。だからどの部分も欠けてはいけない選手」
〇 お前の両親は、息子孝行だ。
冗談好きな友
「親孝行したい頃には親はなし」とよく母に言われたものである。全くその通りで、長い間苦労をかけて、大学を出て就職した途端に母は42歳で他界してしまった。父親と同居するために現在の家を建て始めたとき父は64歳で他界してしまった。苦労ばかりかけて、何の孝行もしなかったとつくづく思う。
その私が、62歳になった今、ぼけた親を抱えた冗談好きの悪友に「お前の両親は息子孝行だったなあ」としみじみ言われる始末である。寂しさの奥で、なるほどと感心してしまう。不謹慎に思われるかもしれないが、痴呆の家内の母を引き取ってみて、実感として分かる言葉なのである。
翻って、さて、私は息子孝行になれるだろうかと考えてしまう。ぼけてはいけないとしきりに自分に呼びかけている。
「お前の親は、息子孝行だ」とは、冗談でなく、恐い言葉である。
〇 親は市中引き回しのうえ、打ち首にすればいいんだよ
鴻池祥筆=防災担当相・特区担当相・政府青少年育成推進本部副本部長
標記のとんでもない言葉は、12歳の中学生が4歳の幼稚園児をビルから突き落として死なせた事件をめぐり、青少年育成推進本部副部長の肩書きを持つ鴻池氏の記者会見での発言である。
加害者が12歳の少年ゆえに世の親たちが、学校の先生が、教育関係者が、いや、すべての良識ある日本人が悩んでいるのだ。
この政治家として余りに悲しい発言を、そのまま以下に掲載する。朝日新聞から。
(少年犯罪は)まず親の責任。マスコミの報道の仕方にも問題がある。嘆き悲しんだいる両親ばかり映し、犯罪者の親を映していない。引きずり出すべきだ。14歳未満の子は犯罪者として扱われないんだから。保護のもとにある。親、担任、校長先生、全部前に出てくるべきだ。
信賞必罰というか、勧善懲悪の思想があまりにも戦後教育に欠落している。節度とかそういうものが。その表れだ。戦後教育を受けた人がパパやママになっている。そういう人が校長、教頭、担任になっている。そういう人が政治家、財界人、役人になっている。これは大変ですよ。
こういった(事件を)きっかけに、こんなことをしたらえらいことになると自覚させるため、犯罪を犯した子供の親は全部引きずり出すべきだ。
森山法相は「少年法改正は3年前にしたから必要なし。世界と比べてこの程度」という発言だった。勧善懲悪、罰則を強化しないとびりびりこない。お天道様、ご先祖に、両親に申し訳ないという教育をみな受けていない。厳しい罰則をつくるべきだ。親は市中引き回しのうえ、打ち首にすればいいんですよ。道徳心のある心を育てようと。
沖縄も、長崎も、数年前の神戸も。親を市中引き回しにするくらいじゃないと。そうすれば親も子供も今後、気をつける。道徳の規範がない日本国民になってしまったから仕様がない。それは縛らないと。親に自覚を持たせないと。 2003/7/12
○ 過去はたからもの。孤独もたからもの。
岸恵子 2005/3/16雑誌「いきいき」の朝日新聞広告
小学生の頃、コタツに入り込み、大人と一緒にラジオで聞いた「君の名は」の映画版主人公、氏家真知子役の岸恵子さんの言葉。言葉に寄せる本人の言葉もそのままに紹介しよう。
「日本人をほとんど見かけることのなかったパリで結婚したのが24歳のとき。何もかもがまぶしかったパリ。その中でフランス語に挑戦し、子育て、やがて離婚。世間では「苦労」とみなされることを私はエネルギー源として、今に至っていると思います。夫であったイヴ・シャンピがよく言ってました。
『耐えられない疲れというものは、もう一つのより強い疲れによって癒される。疲れ(ストレス)は休暇によって癒されない』
ひどい難事にめげそうになると、もっと大きな苦しみが押し寄せてきて、それまでの悩みを『なーんだ、あれしきのこと!』と笑ってくず箱に捨てることが出来ます。人生って気持ちが作って行くものではないでしょうか」
〇 「恐怖」は心の安全装置だ
楳図(うめず)かずお・漫画家
楳図さんは自らの作品で、子供たちに恐怖体験を与えようと、幽霊だとか魔物だとか、得体の知れない恐い絵を書き続けている。そして、「恐怖は感情の一番大事な部分である」と言う。そういう彼の心の奥には、昭和のあの悲惨な戦争体験があるようである。
戦争への恐怖は、明らかに心の安全装置である。
学校教育、社会教育、家庭教育の中で、もっともっと恐怖を子供たちに教えなければいけないのではないか。危険を避け、危険に近寄らせないことが「安全教育」と思い込んで子供の教育にあたっているような気がする。危険・恐怖を教えられていない子供は、大変に危険な立場にいることになる。なにが危険なのか見当がつかないのだから。
恐怖の感情の中には、「畏怖」の感情も入るであろう。畏怖が入るとすれば、「畏敬」の念も入ることになるであろう。人間は、もっともっと、神を自然を恐れ、そして畏れなくてはならない。崇高なもの、偉大なものに対する畏れ、敬いの心が自然を護り、人間を護ることになるのだと思う。その意味でまさに、恐れは心の安全装置なのである。
恐怖から目をそらすような教育だけは絶対に避けるべきだ。恐怖に目を凝らしてこそ見えてくるものがいかに多いかに気づくべきである。
○ 緊張することをあきらめた。やってきたこと以外はできないから
鹿島丈博・世界体操選手権であん馬と鉄棒の2冠
2003/8/24、米カリフォルニア州、アナハイムでの体操選手権で、23歳の鹿島選手が、前評判も何もなしに軽やかに2個の金メダルを手にした。そして、上記のような言葉を口にした。
「無心」を心に誓い、日ごろの力を最大限出そうとして、結果、失敗に終わった多くのスポーツ選手を知っている。手のひらに人文字を書き、それを飲み込んで、相手を意識せずに勝つことを狙って失敗した多くの選手を知っている。
禅道場にまで出かけて、洒洒落落(シャシャラクラク)・無執着(ムシュウジャク)・一切放下(イッサイホウゲ)・大我即無我(タイガソクムガ)と執着心をなくして本来の自分を取り戻そうと努力してまで試合に臨んで、やはりそのことに失敗した多くのスポーツ選手を知っている。-----無心になることの難しさである。
鹿島選手は、表記の言葉を言ったとおりに実行した。自然に無の境地に入り、これまでやってきた最善を淡々とこなして栄冠を勝ち得た。恐るべき傑物である。
やってきたことしかできないのだからという理由で、緊張から解放されることのできる神経や如何。近代自我に終生悩まされて、大我即無我と叫び続けながらも、自我の世界にがんじがらめにされて苦しみとおした夏目漱石が、彼の存在を知ったらさぞ驚くことであろうなあ。
それとも、今の若い人たちは自由自在の境地を得るのに何の苦労もない人間に進化したのだろうか。いや、いや、九分九厘勝ちを掌中にしながら、9回に自己を見失って崩れ去る多くの球児を見て知っている。-----鹿島君の大きさに乾杯。
〇 グーグド来い・ドードド行こう
秋田方言・擬音語、擬態語
故郷の訛りが懐かしくて、上野駅までそれを聞きに行った啄木の耳に入ってきた言葉はどんな言葉だっただろうか。我が子と孫に故郷の土産をいっぱいに持って上京した老夫婦のこんな姿を思い浮かべる。両手に土産の風呂敷包みを持ち、切符は口にくわえて出札口に急ぐ二人。先にたった夫が、もたつく妻に叫ぶ「グーグド来い」と。今度は、妻の後ろに回り、背中を押すように「ドードドいご」と叫ぶ。
どちらも迫力のある言葉である。「グーグド」と早くくることを催促した場合、紐か縄かで相手を強力に引っ張りながら急かせているような気がする。「ドードド」と言った場合には、後ろから押すように追い立てているような気がする。
更にこの言葉に迫力を感じるのは、この言葉は擬態の域に留まらず、擬音の言葉にもなっていることである。目的に向かう途中で、一人二人を跳ね飛ばして、夢中で突き進んでいる姿が目に浮かぶ。また、ドドドドと言う足音か、風をきる音かが聞こえてくるようである。
標準語になってほしい言葉である。母親が子供の手を引いて、「グーグド行きましょうね」。妻が肥満の夫の背を押しながら、「ドードド行かなきゃ電車に遅れるでしょ、あなた頑張って」。これを使えば日本中に活気が満ちてくるような気がする。
〇 謙遜ボラ
不明
ほめられることは嬉しいことで、謙遜しながらも心地よくなってしまう。私のように単純な者は、ほめてくださる人はみんないい人で、二心なく本気でほめてくれていると信じ込んでしまう。その人を前に、ほめられた事実をおおらかに否定しながらはにかんでいる、この至福のときよ。
最近、年をとってボラっ気が薄れてしまったのか、他人の気休めとか、同情とか、お世辞とかを黙って聞いているおおらかさがなくなってしまって、つい、無口に不機嫌になって、時にはむきになって「お世辞はよしてくれ」などといってしまう。人間が悪くなってしまったと反省しきりである。
〇 この程度の約束を守らないことは、大したことではない
小泉潤一郎首相(2003/1/23・衆院予算委員会)
小泉首相が民主党の菅代表に、首相の三つの公約=国債発行額の30兆円枠、ペイオフの解禁、8月15日の靖国神社参拝、について、公約違反ではないかと聞かれて発した一言である。
「改革に反対するなら自民党をつぶす」「族議員の抵抗にはひるまない」と勇ましく改革を謳い続けている首相を、ほんの少し、藁にも縋るような気持ちで、現状打破を期待して信頼していた。 これで雲散霧消である。
人間のつく嘘に二つの面がある。人のためにつく嘘と、自分のためにつく嘘である。
人のためにつく嘘には、思いやりがあり、優しさがある。医者が患者の精神状態を判断して、病名を偽る行為。家族が肉親の病状を偽って、生きる力を回復させようとする行為。真実をいえない苦しさに耐えて、嘘を守り通すことの辛さがそこにはある。これが思いやりであり、優しさである。
自分のためにつく嘘は方便である。自己の言い逃れである。私は若い頃、長いこと日記をつけていたが、今では見る気がしない。どんなことを書き付けても、最後は自分を肯定して終わっていたからである。「私は悪いことをした、でも、それは友を救うためであった」式の鼻持ちならぬものであった。
小泉首相の公約は自分が生き延びるための方便であった。嘘であった。一つ一つの公約を簡単に踏みにじるものが「もっと大きなこと」のためには仕方の無い嘘だったとする論法は、まさに自分のためだけにする嘘である。一つ一つの公約を守れない者がどうしてもっと大きなことができるのだ。これもまた空しい嘘に違いない。
〇 これがまあ つひの栖か 雪五尺
小林一茶
この句には、雪国で生まれ、都会に出て、うだつが上がらないまま老齢を迎え、Uターンを余儀なくされた人の姿がある。この風景は、心にずしりと重く、哀しく、限りなく懐かしい。「これがまあ」と現実を軽く受け止める知恵のすごさよ。北国に骨を埋める決心をした者の心に、この原風景は荒涼と、また、どこまでも優しい。
○ サダム・フセインは歴史の落伍者になった
作家、西木正明 2003/12/18魁「時評」
サダム・フセインは憔悴しきった、ただのおじさんであった。2002/10/17日、国民投票で100%の賛成を得て、轟然と剣をかざしてテレビに登場したあの独裁者の面影はどこにも無かった。
多くの熱狂的な支持者の犠牲の上に命脈を保っていた彼は、息子の死にも「息子たちに殉教の機会を与えてくれた神に感謝する」と豪語して、その後の殉教者的な捨て身のテロ活動をあおっていた。
その彼が、民家の「擬装した穴」の中に一人で隠れ、「米軍に捕まる前に自害しようといつも持っていた」(カタールにいるフセイン氏の元通訳の証言)拳銃を自分の傍らに置いたまま、のそのそ穴から這い出てきたという。何たる無様。
西木氏は言う「すべてを失っても名前だけは残すというのが、権力者の矜持である。だから名を惜しむ。歴史上の悪名は、彼らがもっとも忌み嫌うところである。その点に関しては独裁者とて例外ではない。なのに、かくてサダム・フセインは歴史の落伍者になった。」
オオム真理教の麻原 彰晃が床下の隠れ穴から発見されたときのことを思い出す。独裁者の絶大な力と、自らを守ろうとする猜疑心。相反するようであるが、不思議と彼らはこの二つを持ち合わせている。大手消費者金融「武富士」の前会長、武井保雄の電話盗聴事件を思い出す。「関係者の動向を探る」ことが動機の一つだと言う。
猜疑心と、自己保身欲で、つい死にそびれてしまった哀れなこれらの人々を、一笑に付すのさえかたはらいたい。
そういえば、「生き恥をかくより死ぬがまし」という成語があったなあ。
〇 自衛隊が敵基地攻撃力を持つ必要性について、検討に値する
石破防衛庁長官 2003/3/27
憲法第九条をもつ国の一人として、警察予備隊ができたときにまず吃驚した。それが保安隊に改組されたときにまた驚いた。さらに自衛隊となって、さらに驚かされた。戦争を放棄して軍隊をもたない国の陸・海・空軍の結成に、単純な頭が従いていけないで苦労した。
政府は「専守防衛」なる日本語を無理矢理生み出し、軍隊をもたない国の軍隊を国民に理解することを迫った。武力行使を禁じた日本国憲法下における自衛隊存在の意義 についての苦肉の説明文言である。
牽強付会、日本語を自在に操って、時を稼ぎ、解釈を国民に定着させてきた。
そしてまたまた突然に、攻撃能力を持つことを検討すると言う。いや、検討するとは言わなかった。検討に値するといった。
日本語の曖昧さを駆使して、とんでもない発言を簡単にやってのける。そして、後は時を稼ぐ。どうしようもないぐらい嫌いなやり方である。許すまじ。
○ 地震の爪あと、瓦礫の山など雪に埋もれて、何事もなかったように一面銀世界の風景となっております
村山さん(新潟県十日町、家内の小学・中学の同級生)
新潟県中越地震の被災者で、家内が小・中学校のときの同級生からの寒中見舞いのはがきの一節である。
昨年の10月23日発生したあの地震の報道には、家内は少なからず動揺した。中学校卒業と同時に別れた友の嫁ぎ先が、無残な被害を 被った十日町だったからである。別れて以来、年賀状だけでお互いの消息を確かめあってきただけの友の安否が突然不気味に大きな不安となって押し寄せてきたのであろう。
一週間も経ってからであろう、車庫の中で生活している彼女に連絡が取れたのは。更に一週間も経って、やっと宅急便が届くようになった。何をどうしていいか分からなかったので、とりあえず、粽(季節でないが、日持ちがするし、いつでも取り出して食べられるから)、きな粉、漬物、缶詰など 、家内が考えついたこまごまとしたものを送った。
その後、あろうことか、被災地の彼女のところから、コシヒカリ、海産物、漬物等のお返しが届いた。吃驚してしまった。律儀な人たちである。恐縮・恐惶。
村山さんは、「何事もなかったように」と言っておられるが、雪の下にある「何事」がいかに大変なもので、また悲しいものであるか痛いほど分かるような気がする。
〇 しっかり抱いて、そっと降ろして、歩かせる
2002/01 小泉首相(予算委員会)
本当は誰の言葉か知らない。小泉首相が国会答弁の中でこの言葉を使ったので、びっくりして私の心に定着してしまった。言い得て妙である。子育ては、猫っ可愛がりではいけないし、放任主義でもいけないし----、その間の微妙な親子の関係を実に見事に言い得ている。
〇 死ぬ気で頑張れば、死ぬぞ!
伊那かっぺい
最近では「死ぬ気で頑張る」人間にお目にかかることがなくなった。家の親父なども、人間死ぬ気で頑張ればできないことはない、頑張れ、と私に言ったものだ。息子を長いこと見ておれば、死ぬ気で頑張るほど粘着力があるかどうか分かりそうなものだが、長いこと戦地で暮らして、さっぱり息子の素質を知ら なかった父は、自分の慰めのごとく、標記の言葉をよく口にしていた。 その親父は、最後まで「人間頑張ればできないことはない」と言う信念を抱きながら、まだまだ頑張ると言いながら63歳で死んでしまった。
○ しぶとさを攻撃に使えばもっと強くなる
大相撲、元大関、高砂親方
2003/11/22日のNHK大相撲放送解説で高砂親方の口から飛び出した言葉である。
「しぶとい」という形容詞は困難、劣勢にもめげずに粘り強くがんばる姿を形容する言葉だと思っていた。「しぶとさ」はそういう粘り強い姿を名詞化した言葉であろう。どうもこの言葉の陰に、表に立たない地味なイメージが付きまとう、実力ではかなわない相手に粘りに粘って逆転する姿を連想してしまう。「忍(しのぶ)」という姿が目に浮かんでしまう。
「しぶとい」という言葉の消極的なと言うか、受動的に耐え忍ぶイメージと、能動的に積極的に相手を攻め立てるイメージの「攻撃」と言う言葉の語感が一緒になって、一瞬聞く者の耳をそばだたせる言葉になっている。
〇 祝福すべき無神論者への攻撃・イスラムに対する十字軍のすさまじい攻撃開始
オサマ・ビンラディン 2001/12/28
カタールの衛星テレビ局アルジャジーラは、行方がわからなくなっているオサマ・ビンラディンが、11月下旬から12月初旬頃にかけて録画したと見られるビデオテープを放映した。その中で、ビンラディンは9月11日の同時多発テロを「祝福すべき無神論者への攻撃」と言い、それに対する米軍の攻撃を「イスラムに対する十字軍のすさまじい攻撃開始」と表現している。
米軍を十字軍になぞらえたところに妙に頷けるものがあるのはどうしてだろうか。
十字軍とは、もともとキリスト教徒の異教徒(イスラム教徒)に対する聖地回復の「聖戦」(ジハード)を 意味する。
ローマ帝国が東西に分裂したのが395年。コンスタンティノープル(現在のイスタンブル)を首都とする東ローマ帝国がセルジューク=トルコ(イスラム教徒)に聖地を巡礼するキリスト教徒が圧迫され、広大な東ローマ帝国のうち小アジアからシリアまで奪われたことにより、西ローマ帝国(西欧キリスト教国)に救援を求めたことによる、聖地回復の戦いが十字軍の遠征と言うことになる。第七次にもわたる遠征は、その目的からして大いに変節してしまったわけだが、その評価はいろいろである。名目上は神を戴いた聖戦であったが、統括の主体も無い、非組織的な大軍事行動であったことは後世の歴史家が一様に指摘するところである。
ウサマ・ビンラディンはイスラム教徒のジハードだという。そして、敵アメリカを十字軍と言う。時代を十世紀も飛び越えての復讐のジハードだと言うのである。
アメリカは単にテロ集団の撲滅と言っているのだが。
○ 死を自覚して生にこだわる
長渕剛・音楽家
表記の言葉は、NHK「私はあきらめない」と言う番組の最終回(2004/3/10)のゲストの長渕さんが番組のなかで話した言葉である。
自分の音楽活動に絶望して、死を何度も何度も考えた彼の言葉として重みがある。その彼が、生に迷い、死に惹かれるようにして、ガンジス川河畔の都市「ベナレス」に旅行したそうである。
死から目をそらさずに死をしっかり見つめようと、ベナレス河畔のおびただしい火葬を見続けたそうである。そのときの人間が発する光は360ワットに過ぎなかったそうである。どんな人生を送ってきても、人間は自らを燃やして最後に360ワットの明かりを残して消滅すると彼は語る。
そこから振り返って、彼は生の価値を悟り、生に激しくこだわって仕事に打ち込もうとしたそうである。体を作り、生きることにこだわった歌を歌い、生を確認し続けようとしたようである。
○ 15歳で入門してからずっと、常に優勝するつもりで土俵に上がっているので、ここにきても緊張しない
北勝力(前頭筆頭・2004年夏場所12日目・11−1)
○ 明日からはのびのび自分らしく。10番が勝ち越しだと思って
千代大海(東大関・2004夏場所12日目・8−4)
北勝力の言葉や良し。大相撲に入門した以上、常に優勝を目指して戦っていてあたり前である。少しばかり強くなれば、「優勝は意識しない」と言うのが力士の決まり文句のようになっているのが不思議でならない。
千代大海は強い力士で、大関になる前からやがて横綱と言われていた。優勝したこともあるが、次の場所好成績を挙げれば、間違いなく横綱だと言われたその場所では、いつも散々な成績に終わってしまう。どうしたことだろう。
千代大海が横綱をかけた場所では、きまって「優勝は意識しないで平常心で臨む」という。それが勝負にこだわりコチコチに固まった状態で、きまって不成績に終わってしまう。どうしたことだろう。
表記の千代大海の言葉に彼のこれまでの結果がよく表れている。横綱を目指す大関が、12日目、8勝4敗で、「明日からはのびのび自分らしく」などと情けない言葉を吐いている。北勝力を見習って欲しい。力士はいつでも勝つつもりで土俵に上がらなくては、お客様にも申し訳ないじゃないか。とてもとてもプロとはいえない言葉である。大関がいつも8勝の勝ち越しだけを狙っていて、勝ち越せば後は儲けものといった態度では情けない。
北勝力よ、後3日、絶対勝つつもりでがんばって欲しい。優勝を期待している。
2004/5/21
〇 人生はかけ算だ どんなにチャンスがあっても 君が「ゼロ」なら意味がない
326(ナカムラミツル)・イラストレーター
ロマンチックな言葉である。君がゼロ以外の数字であれば、かけ算式にどんどんふくらんでいく。ところが、私なんぞは己のことしか考えていない。君のゼロに影響されてゼロになるようなことはまず無い。もちろん、かけて増えるようなチャンスもまた無い。
○ 人類は戦争に終止符を打たなければならない。そうでなければ戦争が人類に終止符を打つことになるだろう
ジョンF.ケネディー(『ケネディー語録』しなの出版)
ベトナム・アフガニスタン・イラク・イスラエル・パレスチナ-------、終止符を打たなければならない戦争が世界中に散在している。
力で平和を説いても、その実現は不可能に近いということをわれわれは上記各地の戦争でいやというほど教えられたと思うのだが、それでも、平和の招来のために手っ取り早く力に頼ってしまう。
圧倒的な力に反抗する手段はゲリラ(guerrilla)的に繰り返すテロル(Terror)しかない。平和ボケしている先進国といわれる国々にテロルを防ぐ手立てがない。狂信的なテロルを絶対に許すことが出来ないと、世界中の力を結集しても、やはり、力でテロルを撲滅して、平和を勝ち取ることは不可能である。
戦争に終止符を打つための知恵を今こそ人類が発揮しなければならない。パレスチナとイスラエルのような力とテロルの応酬は両者が滅亡するまで続くことであろう。
〇 ずだり止まれ・ずだり転んだ
秋田方言・擬態語
「ずだり」は止まる様子、転ぶ様子を形容するときに便利な擬態語である。自動車が壁に激突して止まるように、何の予告もなく、止まる前のきしみ音もなく、突如として止まるような状態を形容している。その急激な止まり方を一気に形容すると、「ずだり」になってしまう。よい擬態語は、擬音語を兼ねる。一瞬の迫力ある崩壊の様子を見事なまでに言い表している。「ずだり」の迫力を説明するために、これだけの量の日本語を要する。NHKの相撲放送で是非この言葉を使ってほしい。さしたる必然性もなく、武蔵丸が土俵の中央でごろりと倒れてしまった。アナウンサーは、すかさず叫ぶ。「武蔵丸、ずだり転んだ」。これ以上の形容はいらない。相当な重量の者が、理不尽にも急に崩れ落ちた。地響きを立てて。
〇 散る桜 残る桜も 散る桜
浜田幸一・元衆議院議員?
実は、誰の言葉であるか分からない。テレビをぼんやり見ていたら、浜田氏が出てきて上記の言葉を得意げにしゃべったのを、聞いただけである。気になる言葉だったので記憶からなかなか離れない。
この言葉とこれを話した本人とに抱く私の感情が重ね合わされたせいだろうか、どうも好きになれない言葉である。風流のかけらも感じられない。
日だまりで、犬が欠伸をして、猫がくしゃみをしていて、それを眺める人間さまも、ついうとうとしてしまう天下泰平の春の昼。風もないのに、桜がはらはらと散り急ぐ。こんな春をあと何回迎えることが出来るだろうかと考えてしまったりする。ふっと過ぎる不安。これとて、睡魔が消し去ってくれる。桜がなかりせば、などと大胆な仮説を立てながらも桜をこよなく愛している人もいる。
それに比べ、この標記の言葉の味気なさよ。これは、桜の彫り物を背中に背負った人が、義理と人情の世界に抱く「無情」である。けっして「無常」ではない。
散る桜は、わざわざ散ると断るまでもない、まして、残る桜を強調して、これまた散ると言わなくてもいい。久しぶりで浪花節を聞いたような気がしたものである。
桜は日本人に愛されながら、ハラ・ハラ・ハラ・ハラ、なぜか静心なく、散り続けるのである。
[標記の言葉が良寛の句であることを、半藤一利氏の「昭和史」を読んでいて知らされた。この言葉の浪花節的響きを云々した自分を恥ずかしく思う。ということで、今一度この言葉を復唱してみるが、やはり私にはどうしても好きになれない。半藤氏は言う、当時の(終戦間際の)特攻隊員がしきりに口にした、と。今日生き延びても、あすその身は保証されません、と。-----やはり私は決して使用したくない言葉である]
〇 津軽の雪 / こな雪・つぶ雪・わた雪・みづ雪・かた雪・ざらめ雪・こほり雪(東奥年鑑より)
太宰治・「津軽」
東奥年鑑の中から太宰が見つけた津軽の雪である。私は、40年ほど前に、小説「津軽」の冒頭にこの文言を見つけ、なるほどと感心したものであった。自分ではこのように適切に雪を表現できないが、雪国育ちの者にはなるほどと素直に了解できる雪の表現ばかりであった。その後、新沼謙治の歌謡曲にそっくりそのまま出てきて驚いたものであった。
秋田県の県北では、雪が下から降ってくると言う。地吹雪のすごさを見事に表現していると思う。北津軽にはもっとすごい形容があることであろう。
退職後は寒い日には外に出なくなってしまった。いけないことだ。今日は吹雪である、よし、家の前の雪かきをするぞ。
〇 テレビも携帯もない幸運な時代。時間はゆっくりと流れていた
柳田邦男・2003/2/16・朝日新聞
べつに、誰が言ってもいい言葉である。この時代、柳田さんは、「島崎藤村、中原中也、三好達治の好きな詩をノートにせっせと写した」とも言っている。
今からほんの50年から60年前のことである。あの頃、何もなくても、豊かであったような気がする。
満足にノートもなかった人々は、気に入った詩を、文章を、がむしゃらに暗記していた。忘れないで心に残っているのは、あの頃詰め込んだものばかりである。
豊かな時代になって、枕もとまで所狭しと並べた本の中身はさっぱり頭の中に入ってこない。
〇 遠い遠い里の道
桜井哲夫(本名・長峰利造)元ハンセン病患者の詩の題名
あきらめていた故郷・青森県鶴田町へ60年ぶりに帰った、元ハンセン病患者がその喜びを「遠い遠い里の道」と言う詩にした。13歳で発病して群馬県にある施設に強制隔離されていた彼が、理不尽な差別に屈することなく生き抜いて、なんとか故郷にたどり着き、両親の霊前に額ずき、旧友と再会を喜び合い、親戚縁者と暖かい交流をすることが出来た。本当に遠い遠い故郷への道であった。詩人でもある桜井さんは言う、「遠い遠い、というのは、時間じゃなくて、命の長さじゃないのかな。キラキラ光っている」と。キラキラ光っているのは里の道か、命の長さか。私は思う、語り尽くせぬ苦労の奥に命がキラキラ光っているのだと。また、桜井さんは言う。「本当にうれしい時って、哀しいんだよね」と。里の道は、どこまでもキラキラ光っていて、大きな悲しみの中に、昔のままに存在していた。
○ 20年かけて銀だったので、もう20年かけて金をねらいます
アテネオリンピック、アーチェリー銀メダリスト・山本博
山本博さんは現在41歳である。21歳のとき、オリンピック、アーチェリー種目で銅メダルを取っている。20年営々と努力を重ねてきて41歳で銀メダルを取った人の言葉である。ゆとりがあって、爽やかで、人を和ませる言葉である。
山本さんの20年後は61歳である。本気で金を取りに行ったら、これまた痛快な話であろう。
〇 ニッポン人には日本が足りない
AC公共広告機構
これは公共広告機構のキャッチコピーである。
その広告の中で、山形県銀山温泉の若女将として活躍しておられる、カリフォルニア生まれのジニーさんは言う。
「日本の習慣に慣れるのは大変でした。でもなるほどと思うこともたくさんありました」 「近所を歩いていると、どちらまで?と尋ねられます。最初は変な感じがしたけれど、そうやって声をかけてもらうことで、まわりに早く溶け込めました。いまでは私の方から“どちらまで?”と挨拶をしています」------と。
まず日本人が、日本を知ること。それが国際交流の第一歩です。広告のサブタイトルにある。-----まったくその通りだと思う。 2003/6/18
〇 人間には本音と建前があるが、犬には本音しかない
塩屋賢一(日本最初の盲導犬の調教者)
ありきたりなこの言葉も、塩屋賢一さんが話せば、千金の価値が生じる。盲導犬を躾けて、教え込んだことを忠実に行動させるところまでは何とか育てることができるそうである。然し、犬がとっさの判断で、命令に背き飼い主を救うと言った判断は尋常一様では指導できることではない。なぜならば、犬には本音しかないからである。教え込まれたことに背くことは出来ない。これを打ち破ったのは「愛」であった。ひたすら犬を愛し、信じて育てたところ、犬は主人のとっさの危機に身を呈して立ちはだかるようになったと言うのである。
建前の意味は、振売りや大道商人が、物を売るときの口上だと、広辞苑にある。犬には建前など通じない。無償の愛しか通じない。
〇 ねかぱかじい
秋田方言・擬態語
涎と青っ洟で汚れた襟元に、更に納豆と味噌汁をこぼし、それがまだ乾かない状態を「ねかぱかじい」と言う。「ねか」も「ぱか」も生渇きの粘着性のある状態を表現している。もう一つ付け加えれば、湿性の光沢がある状態と言える。「じい」は状態をあらわしている。「ねかぱかじい」と聞くだけで、傍に寄るのも嫌になってしまう。こんな顔をして、飴玉でもしゃぶりながら子供が寄ってきたらどうしようと思う。この語感を思い出しただけで鳥肌が立ってしまう。擬態語は理屈なしに日本中の人に理解してもらえると思うが、いかがなものであろうか。
〇 鉢植えの松は土を食う
我が家にやってきた庭師
長い冬の間に、家の中に取り込んだ鉢植えの植物をこれまでに、多く死なせてしまった。毎年、鉢だけが貯まっていく。長い冬を何とか乗り切った鉢の土を見ると、全く光沢を失っている。葉を落とした植物は、休眠しているように見えるが、土中で春を待ち焦がれながら力を矯めているのだ。この言葉を使ったぶっきらぼうな庭師とよく調和する言葉である。ダイナミックな言葉である。
〇 人が思うような成功を追いかける必要は全く無い
イチロー 米大リーグ・マリナーズ選手
イチロー選手が、日米野球に出場するために日本に帰ったおりに、大リーグを希望した巨人の松井秀喜選手に贈った言葉である。
マリナーズの選手としてアメリカに渡ったイチロー選手は、日本で活躍していた頃以上の活躍をしている。なんともすごい選手である。
他人は偉大な選手・イチローに自分の夢を託して、ああもなってほしい、こうもなってほしいと望む。
イチロー選手は自分にできることを淡々とこなしていく。自分にできるプレーの最高到達地点を目指して黙々と頑張っている。彼は決して己を失はない。しかし、その活躍がまた、我々の 勝手に描く望みを満足させてくれるのである。-------そのイチロー選手が言う、「人が思うような成功を追う必要はない」と、自分の夢を追い続けなさいと。偉大なるプレーヤー松井選手も右顧左眄することなく自分の道を進んでほしい。そうすれば、アメリカでも あなたの才能はきっと花開くと確信している。そして結果として、多くの人々に自信と勇気を与えてくれることになるだろうと。
○ 人が死をおそれる理由のひとつには、自分のすべてがその日からまったく消滅する感覚に耐えられぬということもあるらしい
遠藤周作(「生き上手 死に上手」文春文庫)
表題の文に続いて氏は次のように書き続ける。
私もむかし大病で入院していたときこの消滅感に悩み、自分が死んだ翌日も「空が青く、街が昨日とおなじように生活の営みをつづけている」と思うと言いようのない辛さをおぼえたが・・・
私も子供の頃から、この死の消滅感と言うやつにどんなに悩まされたことか。この世から自分が消滅してしまうことが怖くて怖くて眠れない夜も何日もあったことだった。自分が生きて存在したんだと言うことがすべて消滅してしまい、消滅してしまった寂しさすら感じられない絶対の無の中に自分が消え去ることへの恐怖。
そんな個々の生涯の消滅の上に人類の歴史が絶えることなく続いていくなんて許せないことに思えたのだった。まして、自分が消滅した次の日に、いつもと変わらぬ一日があるなんて!
しかし、よく考えてみれば、世界中の人が私の死を悲しんでくれて、喪に服してくれたとしても、私の与り知らぬことなのである。浅ましいことに、死への恐怖などと言いながら、まことにおこがましいことを考えているのである。
浅ましいことだが、自分の死を自分が観察できて、葬儀の参列者に、ありがとうと言えたらいいのになどと考えたりしている。恥じ入るばかりである。あいつは参列して泣いてくれたが、あいつは来もしないで口笛吹きながら自分の仕事に余念がなかったといった、人間界がそのまま見えたりして・・・そのことにまた一喜一憂したりしている自分を発見したりしている。本当に浅ましく、魂魄がこの世にとどまったままの自分を発見して大いに恥じ入っている。
消滅が人間にとっていかに大切なことかということにこのごろ気が付き出しているのだが、・・・それでもまだ、「消滅」が怖くて、納得がいかなくて・・・。
○ 古いものをどしどし捨てて新しいものに飛びつく国から来た
井上ひさし
表記の言葉は、NHKハイビジョンスペシャル(3月8日)、井上ひさしのボローニャ日記・自治反骨の町、と言う番組の中での井上ひさしさんが発した言葉である。
イタリアのボローニャは、世界で最初に大学が誕生した町である。世界最初の大学の誕生のきっかけは好奇心だったと言う。ものをもっと知りたい青年たちが集まって「知りたい組合」なるものを結成して、学長も学部長も、事務長もすべて自分たちの中からで選び、すべてを学生で運営したのである。しかも、すべてボランティアで。ボローニャ市も大学同様、報酬なしで市民のために運営されていたと言う。
また、ボローニャは第二次世界大戦後、共産党が圧勝して、革新市制になったわけであるが、イタリア政府からの圧力に対して「中央政府からの独立」をやってのけた。中央からの予算は要らないから余計な干渉をするなということなのだ。
自分たちのかたくなな態度を維持して、一時は経済的にどん底であったが、戦後復興の中で、大学と市民が協力して機械工業を中心に住みよい街づくりに成功し、今ではイタリアで最も住みたい町No.1になっている。
古の文化をかたくなに守りながら、進取の精神にあふれたボローニヤを訪れて、井上久さんは表題のごとき言葉を自己紹介の言葉としたのである。
なにもボローニャに限ったことではない、イタリアのどこへ行っても中世の町並みが整然と残っており、そのひとつ前の古代の姿もあちこちに整然と息づいている。それが現代社会と見事に溶け合って統一されている。遺跡を住処に普通に暮らしている人もいる。
日本では、歴史的建造物とか、歴史的文物に指定されると、とたんにそれにまつわる人々を排除してしまう。或いは、明治村とか、武家屋敷とか、民家の集落とか、あちこちから貴重な文物を寄せ集めてきて、人々から隔離してしまう。これでいいのだろうか。
そして、人間の住む生活圏からは古いものはどんどんなくなっていく。建築会社の宣伝の下に、日本の町並みは、北欧風になったり、米国風になったり、住宅公社風になったり、日々に新しい町並みに変化して、古いものは廃れていく。
古いものはどしどし捨てて新しいものに飛びつく国から来たと自らを紹介している井上さんのウイットに一瞬どきりとする。
〇 Boys be ambitious, like this old man.
クラーク博士
「少年よ大志を抱け」という言葉は、それこそ自分が少年時代に何回も聞いた言葉である。小学校の先生から聞いた。親父から聞いた。卒業式で校長の祝辞にあった。PTA会長の挨拶にもあったような気がする。何回も聞きながら、大した大志も抱くことが出来ずに晩年を迎えてしまった自分が恥ずかしい。しかし、表題の後段、Like this old man.については、誰も語らなかった。
本当にこんな言葉をクラーク博士が、帰国を見送った学生達に馬上から別れの挨拶として贈ったのだろうか。疑問は残るが、日本人の大方に定着してしまっている言葉に文句をつける気持ちはない。
面白いのは、後段の言葉である。「お前達よ、この俺が、老いてもまだ野望に燃えているように、もっと元気を出して進みたまえ」ではいかがなものであろうか。私は、NHKの「日本人の質問」で、この後段の言葉を知って驚いた者の一人である。
「大志」は、大きなこころざしであり、遠大な望みだそうである。ところで「野望」は主君などに背こうとする望み、身の程を超えた大きな望みだそうである(広辞苑)。Ambitiousはむしろ、野望の意味であろう。かなり現実的な出世欲があり、金銭欲があり、だからまた言葉に迫力もあるが、誰もそんなふうには教えてくれなかった。
さて、望みも野心も消え果た淡白な様子で、教え子にこの言葉を贈っている先生はいませんか。この言葉はどうしたって、ぎらぎら野望に燃えて相手に訴えるのでなければいけません。
〇 道のりは長かったが、残念ながら、滑走路は短い
扇千景国土交通相
成田空港で二本目の滑走路となる暫定滑走路が2002年4月18日オープンするのに先立ち、17日に記念式典が行はれ、その時の交通相の談話の一節が上記の言葉である。空港反対派の用地買収のめどが立たず、本来計画の2500メートルの滑走路を断念、サッカーのワールドカップ開催に間に合わせて、2180メートルと言う暫定的な滑走路を完成させたのである。成田空港開港から25年経つ。国際空港としては短く、ジャンボ機の離発着はできないそうである。おまけに、この滑走路への誘導路は基地闘争の激しさを反映して「へ」の字に大きく曲がっている。交通相の言葉に苦難の過去がよく表れているのだが、空港反対派農家の道のりの長さは、扇大臣の言葉ではとてもとても表すことが出来ないくらい長く苦しいものであったし、いや、これからも続くということを忘れてはいけない。
〇 身に付けた様式や型を乗り越えたところに、真の個性的な芸が存在する
野村万作・狂言師
室町時代に創り出された伝統演劇・狂言を現代に引継ぎ、未来に残していくことは大変なことだと思う。修行の中心は、伝統芸の様式を修得することに主眼がおかれて、型にはめ込まれることだそうである。この厳しい修行過程がないと、単なる笑劇になってしまうと万作さんは言う。
しかし、「三十歳ぐらいまでは、教わった通りを演じないと怒った父であったが、いつのころからか、『私と同じことを演(や)っても私以上にはなれないぞ』と発言するようになった」とも万作さんは言う。
万作さんの表題の言葉は、現実を写すこと(写実)の難しさを見事に表現した言葉であると思う。五百年前の芸を生き生きと今に伝えるには、様式や型の継承を超越したところの個性が必要になってくる。歴史に埋没しないで生き続ける芸の継承者の味わい深い言葉である。
西野春雄(法政大学教授)さんは言う「能は仮面劇であるのにに対し、狂言は直面(ひためん)劇といわれることが多い。---------中略----------狂言は当時の現代劇であり、その表現は現実的・写実的で、素顔の役者の表情の妙に負うところが大きかった」と。
○ みんな死ぬのは安心できる
松村達雄・俳優(90歳)2004/1/18(朝日新聞)
「年を取っていいのはね、あんまり苦しまんで死ねるのだそうだよ。本当かどうか知りませんがね。それにしても、みんな死ぬっていうのは安心できるね」と松村さんは言う。
この思いは実によく分かる。こんな言葉をさらっと言えるなんてうらやましい限りである。 みんな死ぬから安心できるなどと言う考えは、死の恐怖からの脱出にとって何の役にもたたないことを人はみなよく知っているが、絶対無の死の世界を考えることに疲れ果てると、安易な公平論というか、ムニャムニャとお題目のように「みんな死ぬからまあいいか」と自分をごまかして寝てしまう。
〇 無登録とは知っていたが、農家から要望があった。(販売業者)
〇 悪いとは知っていたが、効き目があるので------。(購入農家)
無登録農薬販売業者・購入農家 2002/8
上の言葉は、発がん性が指摘されたり、劇物に指定されたりしている、無登録農薬を今年発見されるまで何年もの間扱い続けた業者と農家の理屈である。狂牛病事件、雪印事件、日本ハム事件と食の安全に疑問を投げかける事件が相次いで発生し、消費者は神経質になっているとき、全く無神経な者達による腹立たしい事件が出来(しゅったい)したものである。
まるで、幼稚な子供の理屈と同じではないか。まだ社会性が身に付かず、地球は自分を中心に回っているとしか考えられない人間の言葉である。社会性が無いのであれば、保護者の下に生活しておれば何とか許せるが、この者達は、社会の中で責任のある生活を営んでいるのである。困ったものだ。
何で遅刻した。→だって汽車に遅れてしまったもの。(しかたがないだろう) 何で汽車に遅れた。→遅く起きてしまったんだ。(しかたないだろう) 早く起きるようにしなさい→そんなプライベートなことまで先生に言われたくないな。 いいから早く授業に出なさい。
この徒労に終わった生徒との会話をつい思い出してしまう。
〇 野球って自分の人生の中で小さいと思った
石井一久・米大リーグ、ドジャースの投手
上記は、2002/9/8、前頭部に打球を受けて、頭の骨にひびが入り、その衝撃で砕けた鼻骨の小片を取り除く手術を受け、13日に退院して、自宅で療養中に記者会見に応じたときの石井選手の言葉。「日陰と日なたの境に自分がいて、(来た打球の)半分以上は見えなかった。」と彼は言う。さもありなん。彼ほどの投手であれば何とか避けることが出来たのではないかと思ったのであるが、バックネットの影がグランドの半分を隠す状態の中で草野球をしたことがある自分にはよく分かる状態であった。
「野球でここまでなるのかとショッキングだったけれど、恐怖心は無い。」といい、一日もはやく復帰して、「早くて今年、遅くてもキャンプからは間に合わせたい」と野球に意気込む彼の言葉として、表記の言葉を意外だと受け取った人は多かったことであろう。
入院して、生死の境をさまよって、ふと気がついた時に、自分はベットの上にいた。助かったとほっとすると同時に、頭を過(よ)ぎった言葉であろう。 同じ状況の中で漱石は、生きて仰ぐ空の高さよ 赤蜻蛉 と言う句を読んだ。同じ心境を野球選手の言葉を借りれば、表記のようになると思う。
いい言葉だと思った。この言葉をインタビューの中で正直に話し、続けて「命は大事にしないといけない」と結んだ彼の言葉には、悟りといえば大げさだろうか、大きな飛躍といえばどうだろうか、そんなものを感じた。
この言葉は決して野球への情熱が薄れたことを表現する言葉ではない。その証拠として、恐怖心は無い、一日もはやく復帰したいと言っている。
自分の野球人生を、もう一つ高みからみつめる自分を発見したことは、これからの彼の野球にとって大きな収穫であったと思う。大投手になるような予感がする。投球が一本調子になり、試合の中で微調整する余裕をなくして悪戦苦闘していた彼の姿を今まで何度か見てきた。おそらく、これからの彼は、そんな切羽詰った場面でも冷静に自分を取り戻すことができるようになることであろう。
〇 雪印乳業
2002/02 ・会社名
雪印乳業の子会社・雪印食品は狂牛病(牛海綿状脳症・BSE)騒動で国が国産肉の買取を指示したことをいいことに、在庫の輸入牛まで国産肉に偽装して国に売り渡そうと画策。この偽装牛肉事件を調べていくうちに、国産牛の産地を以前から偽っていたことまで発覚。2000年6月の集団食中毒事件の反省はどうだったのか、言うまでもないことだが、消費者を馬鹿にした自社の利益しか考えない商売を続けていたわけである。ラベルを偽り、消費者に商品に対する信頼を失はしめたことは大きな罪である。
この会社の未来は無いと見た。雪印の製品に何かしら清潔なイメージを抱き、何十年も善良な消費者をやってきたのだが、そんな会社があったっけと思い出すためにここに書き留めておこう。
〇 雪に鍛えて、冬を楽しく
秋田県
この言葉を言い出したのは、秋田県であったか、県教育委員会であったか、あるいは文部省であったか、すっかり忘れてしまったが、県の広報に出ていたような気がする。10年ほど前のことになるが、私が勤務していた高等学校で特別活動実施のキャッチフレーズにこの言葉を勝手に使わせてもらったことがあった。雪に立ち向かう姿勢に共感するものがある。南国の方で、雪が嫌なら大きな扇風機で飛ばせばいいなどと考えている人にこの言葉は永遠に分からなことであろう。
〇 欲を出さずに、欲を持っていきたい
大関・千代大海(2003/5/5)
大相撲夏本場所を前にして、千代大海がNHKのインタビューに答えたときの言葉である。先場所、名古屋場所で横綱朝青竜を破って優勝を飾った千代大海には、今場所も好成績を上げれば、横綱に昇進と言う期待がかかっている。そこで、上記のような彼の言葉が飛び出したのである。
意味が分かるようでよく分からない、なかなか味のある言葉のようで、本当のところはやはり分からない。
横綱になろうとする欲を、外には出さずに、しかし、そういう欲を内にしっかり持って頑張ろうとする彼の決意か。
横綱になろうとする欲なんか持たずに、しかし、戦う意欲はしっかり持って頑張ろうという彼の決意か。
私は、千代大海の言葉の真意は後者であると思うことにした。まず、欲を捨て心を無にして頑張ると決意を述べ、しかし、一番一番の相撲への飽くなき闘争心は失わずに頑張るぞという決意であると解釈することにしたのである。
彼の言葉の、前段の「欲」は地位とか名誉欲であり、後段の「欲」は相撲にかける意欲とか、純粋な闘争心であろう。------このように勝手に解釈して、千代大海を応援しよう。
〇 欲望を追い求めてばかりいると死を忘れてしまう
ヒンズー教の僧・元青年実業家
ガンジス川河畔の都市「ベナレス」には、ヒンズー教徒が解脱を求めてやって来る。ヒンズーでは、人間界は苦しいものである、死ねば死ぬ度に人間界に生まれ変わり、苦しむことになる。もし、この地「ベナレス」で死ぬことが叶えば、人間界を解脱して天国に行けるという。だから、ガンジス河畔のこの地を目指して、死に瀕した信者がやって来て恍惚と死を待つ。死んだ者を縁者が担いでやってくる。そしてこの地で火葬されて、灰はインダス川に流され、魂は天国に行く。ベナレスでは、火葬の火が絶えることが無い。朝から夜まで炎々と、煙煙と-----。火葬の煙に年中むせぶベナレスはまさに聖地である。元青年実業家はこの地で出家して、ガンジスを真っ赤に染めてベナレスの町の背後に沈む夕日の中で「欲望を追い求めてばかりいると死を忘れてしまう」と懺悔する。彼は、死を忘れた生は無いといいたいのだろう。
キリスト教徒のイギリス人に「火葬場が町のために存在するのではない、町が火葬場のために存在するのだ」と言わしめるこの地は、まさに人間の帰するところである。
〇 予定愁訴
高校生A子の担任
A子の担任、Bさんは、A子の不行跡に悩まされていた。体の調子が悪いと言っては、学校を早退し、あちこちで不良行為を働き、非行を重ね、警察に補導されては、職員会議にかかり何度も訓戒・停学の処分を受けていた。担任はその度に必死にA子を弁護するが、どこ吹く風とA子は勝手気ままな行動を取っていた。職員会議の席上で、B担任は諸諸の彼女の非行の原因を「不定愁訴」として弁解にこれ努めていた。あるとき、何回も言い慣れた単語であったが、Bさんは、彼女は「予定愁訴」であると弁解し、満座の教員の笑いを誘ってしまった。彼女は慌てて「不定愁訴」と訂正したが、これがまた笑いを誘った。
体調が悪いと早退した彼女が、校門を勢いよく走り去る姿を何人もの教師に目撃されていた。母?からの風邪のため欠席するとの連絡があったはずの彼女は、市街地徘徊で警察の補導を受けていた。その他、具体的な例を挙げればきりが無い。
A子に「予定愁訴」はよく似合う。B担任はもしかして日ごろあれは予定されたことだ、計画的な彼女の行動だと思っていたのかもしれない。ポロリと本音が出たのだろう。
A子は何とか無事に卒業した。卒業式の日にA子とBさんが抱き合って喜んでいた姿が今も記憶に残っている。
広辞苑に「不定愁訴」について、「明白な気質的疾患が見られないのに、さまざまな自覚症状を訴える状態」とある。もちろん、「予定愁訴」などといった言葉があるはずがない。
○ 読んでみたいが、ついてゆけない気もするし------
-------芥川賞2作品に「ボンヤリした不安」
やく みつる(漫画家)
2004/1/17、朝日新聞、漫画戯評の言葉。
1月15日、芥川賞に史上最年少となる綿矢りささん(19歳)の「蹴りたい背中」と、金原ひとみさんの「蛇にピアス」が選ばれた。
1月17日の漫画戯評にやくみつるさんの作品が出た。書店に並ぶ上記2作品を眺めて考え込む中年のおじさんの絵と、表題の言葉であった。
芥川が自殺直前に残した「ボンヤリした不安」という言葉を、現代のおじさんになぞらえて実にタイミングよく使った言葉である。
「ボンヤリした不安」ほど始末に終えないものはない。対象がはじめからぼやけているのだから、芥川にして解決できなかった難題であるということだけは分かる。芥川の友人の菊池寛は言う。「死因については我々にもハッキリしたことは分からない。分からないのではなく結局、世人を首肯させるに足るような具体的な原因はないと言うのが、本当だろう。結局、芥川自身が言っているように主な原因は『ボンヤリした不安』であろう。」と。
芥川の「ボンヤリした不安』なる言葉は、彼の自殺以来、生きることへのぼんやりとした不安、いかに生きるかということを真剣に考えて、考えることによって泥濘にはまり込むような、漠然とした、しかし物事の本質に迫る、青春期の純粋な懊悩を意味する言葉になったようである。
この言葉でやくさんは見事におじさんたちを風刺した。芥川賞に選ばれたこの若い二人の作家の世界に入り込めるだろうか、従いて行けないんではないだろうかと考え込むおじさんたちの悲哀。-----私もそれが怖くてまだ読んでいない。
〇 老後→解放期
朝日新聞に出た宝島社の一面広告
1月3日の紙面に、「呼び名を変えれば、日本も変わる(かも)」と題した面白い試みがあった。義務教育をサバイバル基礎コースと呼び名を変えてみていた。文科省でゆとりだ、個性だ、総合学習だと大騒ぎしていても、生徒とその保護者にとって 、義務教育はまさにサバイバル基礎コースである。その他いくつか面白かったものを以下に抜き出してみる。
ひきこもり→天才予備軍、これは、 隠(こも)るという後ろ向きの姿勢を積極的に評価したのがいい。
浮浪者→路上哲学者、これ は、無気力に内に籠もる彼らに仕事への意欲を与えるかもしれないような表現でなかなかいい。
転職→進職、これは、人員整理で首になった人の強がりのようで嫌である。戦中の日本軍 が「転進」なる言葉で「敗戦」を 形容したあの悪夢を思い出させる。
粛々と→適当に・前向きに善処する→無視する、これは、いい得ている妙である。
老後→解放期、これも肯定的な表現でいいとは思うが、そうもいかないのが我等の老後である。緊縛期ではどうだろうか。確かに、老後を諸諸のことから解放されて自分の趣味に生きるのはいいことだ。しかし考えてみると、思考からの解放は呆け である。呆けては人間の尊厳も、わずかに残るプライドもあったものではない。
老後の自分を自分の目で見ると、おそらく解放期になるであろう、しかし、他人の目からみると、社会の網の目から緊縛されているように見える。わずかばかりの年金に縛られている。多くの介護施設に縛られている。ゲートボールに縛られている。わずかばかりの財産に群がる親類縁故、果ては、我が子にまで縛られている。 2003/1/5
〇 老人力・人生のピークは死の直前である
赤瀬川原平・むのたけじ
赤瀬川原平さんは「老人力がついてきたな」と言うと、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい、という。むのたけじさんは、死ぬ直前まで進化を続け、いい仕事をするぞと意気込む。すばらしいことだと感心する。
妙に老けてしまう人がいる。「俺も歳だ、おてやわらかに」と自ら身を引く人がいる。遠慮を美徳とばかりに、でしゃばらずに上品に老人をしている人を見かける。
頻尿が気になる、物忘れが気になる、時に、今までつまずいたことの無かった小石につまずく、息子と晩酌をしていても、十時を過ぎると眠くて付き合えなくなる、力仕事は全くだめになり、仲間の死にも感動が薄らいでくる、-----そんなこんなで、自信喪失に陥り、それでもしつこく残っている自尊心が傷つかないように、表舞台を避けようとする。これでいいのかな?
恥なんて、己の卑怯さを恥じ入ること以外にどんなものがあるだろう。歳をとり次第に失敗は確かに多くなったが、こんなものは恥でもなんでもない。人並みに物事が出来ないことは、苦にはなるが恥ではない。
せっかくつきだした老人力をひたすら隠し、人生のピークを壮年時代に設定して、過去を懐かしんでいる。侘しいことである。