


参考 ⇒ この当時別のサイトに書いていた一言日記
■ B’z / いつかのメリークリスマス
クリスマスは、心なしかいつもよりも多くの笑顔が街にあふれている気がする・・。だから、好きだ。まぁ、ふだんの日と何かが変わるとか、そういったことは何にもないけどね。そんな変わらぬ毎日だからこそ、いつまでも続いて欲しいと願っている。絶えることのない、笑顔を。
さて。今年(今世紀)最後の日記だから・・ってわけでもないんだけど、今までのありがとうと、これからのよろしくを込めて、高校で仲良かった同級生が残した言葉をここに。
自分が今、こうしてここにいられるのは、又在るのは、生まれてから今まで生きてきた中で接してきた全ての人(よい人もわるい人も)がいたからなので、その人たち全てに「ありがとう」と言いたい。
メリークリスマスっよいお年を♪
〜12.24

■ ザ・イエローモンキー / JAM
ひっさしぶりだなぁ〜日記に手ぇつけんの。最近クイズばっか更新してっからな・・(汗)まぁたまにゃいいかにゃ、1つのもんに熱中するっちゅーのもね。
人は何かに打ちこむから、「続けててよかった」と思うのだろうか。それとも、「続けててよかった」と思うために、人は何かに打ちこむのだろうか。それは分からない。しかし・・これだけははっきりしている。・・たまにある、ということ。何かに打ち込んでよかったと思う瞬間が。その世界に足を踏み込んで、今まで歩き続けてよかったと思う瞬間が。たまに...あるということ。勉強でも、スポーツでも、ゲームでも・・なんでも同じ。そしてどれも同じだけの価値がある。それは何物にも変え難いもの。『誇りのカケラ』と言うに相応しい。
では、ただ辞めるな!続けてろ!と言えばいいのか?違う。オレは、ひとえに「継続は力なり」と言いたいわけではない。もちろん続けることは大切だ。しかし、あきらめることもまた・・・大切なんだ。自分の打ちこめるものに出会うためならば・・。オレは高校1年のとき、毎日の部活がつらくて、そこを辞めた。そしてバイトを始めたのだが・・辞めたことでオレは自己嫌悪の毎日を過ごしていた(まぁ、部活は違うのに入り直したが)。バイトは夜遅くまでなので、毎日授業中は居眠りで、成績も悪かった・・。でも、そんなオレだったけど・・バイトは楽しかった。最高だった。新入りなのでビラ配りや掃除等、こき使われたけどね・・この仕事が、働いてる奴らが・・全てが好きだった。そこは半年続けて、成績の悪化を親に怒られ辞めなければならなくなったんだけど・・ははは。オレの最後の仕事が終わった後、みんなは笑顔で「おつかれっ」とか言ってくれた。みんなに気づかれないよう、オレは泣いた。・・そしてその時『誇りのカケラ』を拾ったんだ。あの『家族』、今でも元気にやってっかなぁ・・またいつか会いたいなぁ。
ああ、あと・・そーだった。この『家族』って言葉を教えてくれた人との出会いもまた、『誇りのカケラ』だったな。司令、いつまでも愛してるよ。
『家族』と過ごす瞬間を大切に。『誇りのカケラ』を拾いながら、明日へと。・・『カケラ』たちは、いつか自分の誇りになるからさ。
ははは〜何か今日は昔のこといっぱい思い出しちったな・・。まっ、新世紀に入る前の締めってことで。よし♪来たれ21世紀!
〜12.18

■ BEATLES / Hello Goodbye
・薬;傷口につけたり飲んだりすることで、病気を治してくれる...よいもの。服用しすぎると後遺症や、人体への悪影響を及ぼす...害のあるもの。
・コンピュータ;人類の頭脳とは比べ物にならないくらいの能力を備えている。技術の発達、便利さとは切っても切り離せない...ありがたいもの。人間の頭脳や視力の低下の1番の要因である...わるいもの。
●よいもの。世間一般に、「よい」と思われているもの。役に立つもの。ありがたいもの。『プラス』であるもの・・・。この世にあるそれらは同時に、『マイナス』の側面を必ず持っている。
よいものを・・幸福を追求しつづける人間の行為は果てがない。その「欲」によって、今日ここまでの発達を人類は成し遂げた。薬やコンピュータの発明はもとより、ありとあらゆる『便利』なものがこの世界に蔓延っている・・。けれども、善と悪とは表裏一体となりあらゆる‘物’に備わっているのだ。・・身の回りにある『よい』ものたち。それらがいつ、『わるい』顔に変わるか・・。それは分からない。でもいつだって変わる可能性は秘められている。それは忘れないほうがいい。
●わるいもの。「わるい」と思われがちのもの。いやなもの。害のあるもの。『マイナス』であるもの・・・。この世にあるそれらだって同時に、『プラス』の側面を必ず持っている。マイナスのものからプラスの面を見つけることこそ、われわれの発展にとって不可欠のことだったに違いない。なぜならプラスを生むのはマイナスだから。マイナスに出会わなければ、もっとプラスを作ろうとは誰も思わないからである。例えば、嵐や寒さなど自然のダメージを受けてきた人類がそれを克服するために服を着たり、家を建てたりという術を学んできたように・・。今まで人類が便利さを享受できたのも様々なマイナスの影響があったからだ。それは忘れないほうがいい。
そう。この世には絶対なんてない。『よい』『わるい』という絶対的な基準はつけられない。どんなものにも。その‘物’をどんなにみんなが『よい』と思ったって『わるい』と思われていることだってあるのだ。人間の便利さの追求。人類の発達。それは言いかえれば、地球上のあらゆる‘物’の持つ『プラス』の矛先をわれらに向けさせたということに他ならない。‘物’の持つもうひとつの面、『マイナス』は今、別の方向に矛先を向けている。・・人間の発明は、人間を便利にする。だから『わるい』ことだ。技術の発達、人間の進歩は私たちを便利で幸せにする。だから『わるい』ことだ・・そう思っている動植物たちは、一体人類の何倍いるだろう。・・オレはそれを絶対忘れない。
〜12.1

■ GRAY / 軌跡の果て
10日ほど前に、「晴れの日禁止令」という条約を友達と交わした。浪人してるとはいえ、その日やることが終わったらついつい遊びに出かけてしまう。自分の場合、その行き先は大体地元のゲーセンなのだ。しかしそんなことを続けていては、受からない受験が全く受からなくなってしまう!ってなことで、そのゲーセンによく来るやつに『来たら常に100円』を没収されるという、カネのない自分にはまことにつらい取り決めをしてしまったのだ。(因みにそれまでのゲーセンの出席率90%・・・オレ、ホントに浪人生か?)そんな半分お遊びだか何だか分からないことが功を奏したのか、あれからゲーセンに行ったのはたったの1度だ。すげー。いつもは「やるぞ!」と言った日から2日目で挫折するのに。案外真面目にやっていないときほど、うまくいったりもするんだな。ははは・・でもその分パソコンいじってて勉強時間は変わっていない管理人でした(縛)
〜11.30

■ LUNA SEA / STAY
ルナシーが解散するらしい。昔はカラオケでよく熱唱してたなぁ・・。今日はそれを振り返りつつ、書こっかな。さて。
トップを変えていたら、間違えてカウンターを消してしまったわけだが・・・。今振り返ると、まぁなくてもあんまり困らないし、寧ろないほうがよかったのかもしれない。‘キリ番’や‘来訪者チェック’というのはカウンターの持つメリットだが、それ以上に‘人気度を測る’という機能が自分にとってはデメリットにしかならないと思ったからだ。だってこのサイトは管理人が気ままにやってるもんだし・・そんな人気度なんかで一喜一憂してる自分を少し醜く感じていた。現にカウンターがない今のほうが、すっきりして見栄えがいいしね。・・・ってことで、しばらくカウンター無しで・・そのうちつけたとしても、分からないほど隅っこの方になってるでしょう。
このサイトは、いわば桃源郷なのだ。‘時’や‘カウンター’が、この世界を刻むことはない。夢をのせた‘音’だけが、この世界を刻み得るのである。
〜11.25

■ FFYより / ロックのテーマ
例えば「勉強は勉強」「遊びは遊び」「ネットは単に交流の場」・・・というよーに割り切って暮らしている人が、オレは意外と好きだったりする。まぁそれは、自分がめっちゃ悩める日々を送っているよーで、ぢつはな〜んも考えてなかったりするせいかもしれないが・・。仮に考えていたとしても外にはほとんど出さないし、すぐに『どーでもい〜や』という気になってしまう(^^;)・・そう、言うならば、‘適当’!! ((((ノ゚
゚)ノ 人生には、意外と『あきらめ』というものが肝心なのかもしれない(となりの山田くんより抜粋)。
な〜んて思う時もあったりして。だから、そのときそのとき自分の身に怒ったことをいちいち気にせず、気楽に、むしろ楽しんで生きてる人はすごいと思う(オレもそうするようにしてるのだが、たまにゃぁ悩むさ)。つまり、毎度毎度「不幸だ〜」「これは災難だ〜」などと嘆くことへの疑問だ。だってそもそも、不幸不幸って、何を基準に言ってるんだい?・・・・。そう、‘誰か’だよ、自分以外の。前にも書いたけど、自分は自分なんだから他の誰かを基準にしたって始まらないだろ?って考えてくと、「不幸だ〜」なんて嘆くこともなくなるわけだ。まぁ極論だけどね。人間から感情を取り除くのは不可能だから、全く何にも感じるな!と言っても無理だろう。しかし努力によって、それに少しでも近づけることはできると思うんだ。
好きな植松伸夫というクリエイターが残した言葉を添えて、今日は終えることにする。「そういえばここ数年自分を不幸だと思ったことはない。偶然にもこの数年間が幸せの絶頂期だったのかもしれないけど、僕だって人並みの感受性は持ち合わせているつもりなので、その時々につらいこと悲しいこと腹立たしいことは数知れずありますよ。おじさんにだって悩み事のいくつかはありますとも。でも数を数えていくとそんな嫌な経験に負けないくらいの幸せも経験しているのですね。いや僕だけでなくきっとみんなそうだと思うんですよ。金はないけど子供はかわいい。会社を首になったけど暇ができた。離婚したけど新しい恋ができる。テストで悪い点を取ったけどサッカーは楽しい・・・我々の身の上に降り掛かってくるのは単なる経験なわけです。その事実自体には幸せも不幸せもない。ただ起こるだけです。それを目の前にして我々が意味付けをしてるのだと思います。その意味付けがそれぞれの人にとっての真実となっていくのではないでしょうか。事実は一つしかありませんが、真実というものは人間の数だけあるのだと思います。常に悪い方へとしか解釈しない人にとっては真実は不幸なものにしか成り得ない。いつまでも辛かったことを思い返していてはその‘辛さ’はなくなりはしない。‘辛さ’の方が離れたくともそれにしがみついているのは我々の方なのですから。ときには思いきって‘辛さ’と縁を切り『さぁ、どうにでもしてくれ』と開き直ってみることも幸せになるための手段の一つなのかもしれません」
〜11.22

■ 風の谷のナウシカより / はるかな地へ
[はじめに :いつもここに日記を書くときは、自分のことを記しつつも読んでくれる人が読みやすく、受け取りやすいよう(話題も)考えて書いてるつもり(一応公の場なので)ですが(ホントかよ・・汗)、今回は全て自分の主観・経験のみから記しているので語弊・異論などあるかもしれません。しかし、敢えてこの場に残すことで、少しでも‘自分’について「考え」てほしいと思ったので書きます。何より、残すことが自分のためであると今回ほど思ったことはないです。余談だけど、「考える」という行為が人間にとって不可欠であり、最も人間らしい行為であるというオイラの意見は正しかったと今実感しています んでは]
『自分はなぜ生まれてきたのだろう 』
この1週間の間が、生まれてから一番悩んだ時間だったと思う。今まで何となく胸の内でもやもやしてたことが、一気に外に押し出てきたようで、とても苦しんだ。1週間まるまる予備校をサボり、けだるい毎日を過ごす。サボったことで自己嫌悪に陥り、その都度「自分は何をやってるのだろう」と問う。そこから始まった。
「自分は、何をするために生まれてきたのだろう。」
「自分は、なぜ生まれてきたのだろう。なぜ、今、この世界のここに・・。」
「今まで自分は、一体何をしてきたのだろう。」
「これから自分は、何をすればよいのだろう。」
・・次々とわき上がってくる疑問に答えを出せないまま、過ぎてゆく毎日。なんとか答えを見出そうと、自分が生まれてから今まで出会い経験してきた様々なもの、思いつくもの全てに考えを巡らせてみた。でも、分からなかった。
そんな自分の内で何かがうっすらと、でも確実に変革を遂げたのは、なんとなく思い立って「風の谷のナウシカ」を再び見た時だった。物語の中で、ナウシカが『なぜ私は王家の一族に生まれてきたのだろう・・』と悩む場面がある。・・・・そう、今のオレと同じだった。誰もが悩むことだった。のかもしれない。
物語の中では、その疑問には答えてくれてない。見た時はそう思っていた。解決しない苛立ちを少しでも発散しようと、日記に向かう。そうして昔に書いたページを読み返すと、初めてナウシカを見た時の感想がつづってあった。そこにはこうある。
『今という時を 精一杯 』
・・もしかしたら、全ての答えはこの言葉に詰まっているのかもしれない。自分はなぜ生まれてきたのか。それは多分・・・いや、絶対分からない。運命だ、としか、きっと言えないだろう。今この世界に生まれ、この時、この自分を生きていること。その運命を悔やんだって仕方がないんだ。だから・・。だからさ、自分の今できること、今しかできないことを一生懸命やろう。過去でも未来でもない、今を、精一杯生きよう。自分は自分以外の何者にもなれない。でも、誰もこの自分にはなれない。自分だけがこの自分を生きることができるのだから・・。そう思えたんだ。・・そしてナウシカはその自分の運命を受け入れ、‘今’を精一杯生きた。
日記の続きに、こう加えておく。
『これからもオレは、自分が‘自分’であることを誇って生きてゆく。今という時を精一杯。そう。オレは今を飛ぶんだ 』
〜11.18

■ BMDX3rd より / Presto
最近、というかずっと気になっていることがある。それは。性善説と性悪説、どちらが正しいのかということである。確か倫理の時間かなんかで習った気がするのだが、『倫理=睡眠学習』だった(まぁ遠回しに言えば、ず〜っと寝てたってこと)ので、よく理解できてない。結論が出ているんだったら、とても知りたいところである。多分それは人間の持つ‘本能’と、‘理性’とに関わってくるのだろうが・・。でも、もし人が元来『悪』の心を持って生まれてきたなら、今日ここまでの発展はしてないだろうから、性悪説というのは少し無理がある気がする。ところが実際、争い(個人間にせよ国家間にせよ)は一時も絶えることはなく、またチャールズ・マンソンのような殺人鬼だって世にはいる。・・となると、また首を傾げてしまうことになるのだ。
目下のところオレとしては、「悪」を潜めた「善」の人間として生まれてきて、生後の環境ひとつによって悪にも善にもなり得る、というまとめに達している。もちろん結論・一般論は聞いていないが・・・とゆーか、聞きたくない。このまま「あーでもない」「こーでもない」「あーかもしれない」などと、ずっと考えていたい・・な〜んて気もする。この話題に限らず、こーゆー事って結構多いんじゃないかな。下手に結論を聞くより「ここでこういう流れからすると、こうなるんじゃ?」と考えを廻らせてみたり、また結論からいろいろ想像してみたりね。つまらない勉強も100倍楽しくなるかもよ。なんてね。まとめたところで、実はこれが今回一番言いたかったことなんだ。文頭を読んで『性善説・性悪説』という話題にとらわれないで、オレが何言いたいか自らの想像力を少しでも働かせてみた人。あなたは「考える」という『娯楽』を持って、人生を楽しくしてる人です。うらやまし〜
〜11.11

■ QUEEN / ’39
「人はきっと、何かを失うことで、何かを得るんだ」 とある人の言葉が、妙に胸に残った。というのも、オレが高校の時ふと思い立って学級日誌に載せた詩で言いたかった気持ちを、そのまま言ってくれてるようだったからだ。
オレたちはあの頃、子供の頃にはもう戻れない。あの頃に持っていた『何か』を失って、代わりに様々な知識、生きる術を得てみな大人になった。・・別に大人がいやだったわけじゃない。なりたかった。でも・・・。おかしいよな。あの頃当たり前に持ってたはずのものさえ、今となっては何だったかも覚えていないんだ。・・・いつか思い出すのかもしれない。思い出さないのかもしれない。どっちにしろ、もうあの頃には戻れないのは確かだ。このまま大人へとまっすぐ歩んでゆく。・・・でも。でもさ、もしかしたらその『何か』は、失ったわけじゃなくて他の何かに形を変えて、オレたちの中でエネルギーとなって、これからのオレたちを形作ってくれてるのかもしれない、って思った。分からない。分からないけど、何だかそんな気がする。だって、オレたちも子供だった頃があるんだから。
『オトナになる瞬間』
くたくたになりながら、友達と暗くなるまで外で遊んでいた、あの頃。
いつの頃からか、机に向かうことが多くなった。
いつの頃からか、お母さんに怒られる回数が減った。
いつの頃からか、誕生日が待ち遠しくなくなった。
いつの頃からか、サンタさんを信じなくなった。
いつの頃からか、髪形を気にし始めた。
好きな人ができた。
あの頃のあなたは、今も元気です。
あの頃のあなたの夢は、今も元気ですか?
今のあなたの中に、あの頃の自分はまだいますか?
〜11.10
BGM:B'z/いつかのメリークリスマス