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昨日から2日間、 親元をはなれて三宅に遊びに来た、中萩のわんぱく教え子3人組。 朝5時、島に到着。 仮眠しようって言ってるのに、寝ないで朝からワイワイ。 仕方ないので8時すぎから休日の小学校へ。 校内を案内して体育館でバスケ&サッカー。 一遊びしてから、今度は三七山で2時間火山ウォーキング。 汗をかいた後は、ココナッツガーデンでお昼を食べ 溶岩に埋まった阿古小学校を見学。 その足で長太郎池に向かい、磯遊び&シュノーケリング。 さらに温泉に入り、海に沈む夕日を素っ裸でながめる4人。 あじさいの里の盆踊りを見に行き、屋台の焼きそば&ポテトをたいらげ 阿古名物の獅子にみんな頭をかまれ「いってぇ〜」幸せを分けてもらう3人。 帰りがけに七島展望台に上り、満天の星空&ナイトドライブ。 そんで今日は朝からイガヤで飛び込み! 3人のうれしそうな声や笑顔にこっちまで楽しくなって 「飛行機だと早く出なきゃいけないから船がいい〜(それまで遊んでいたい)」だって。 うれしいよな。 海帆、流星、朝陽、ありがとう。 来てくれてよかった。 子育ての苦労の何百分の一か体験できたし(笑) やっぱり、『出会いは一瞬 出会えば一生』だよな!
お前が目の前にいるならいい 素敵な今宵を分け合えりゃ また逢えるまでは この時を 忘れないでいて
どうしようもないことって、あるんだな。 オレはバカだ。 どんなにうつむいても、あやまっても、空を仰いでも、切なくて。 あいつに会って、人を愛するってことを知った。 自分以外のだれかのために、何かをするってこと。 ちょっと遅かったみたいだけど。 心はずっとそばにいたいとか 来世では一緒になりたいとか くだらないって思われるかもしんないけど、 本気で思うなんて。あーあ。 ホントバカだな。
泣かないで・・・何もかも心せつなく いかないで・・・太陽の下 口づけを交わす夏のまぼろし 抱きしめて・・・もう一度だけ俺を見つめてほしい
昨日は島の祭りだった。 三宅島の神着地区では、毎年『牛頭天王祭』という祭りがある。 去年は震災のためなかったので、昨日がオレにとっては、三宅での初めて祭りだったんだ。 外から来た人間だし、喪中だからって最初は遠慮してたけど・・・ 関係なかった。 超楽しくて、もう最高だった。 祭りはいい。 今日は全身ボロボロで、立てないし立ったら座れないけど。 まるで生まれたての子ヤギで、初めて羽田を担いだときを思い出す。 今考えると、担ぎ方が羽田と似ていて分かりやすかったのも、 自分が引っ越してきたのが神着地区だったのも、 運命みたいなものだったのかもしれない。 毎年行こうって、決めた。 島の先輩が言ってた。 「天王さま(祭り)とかわいい嫁さんのために生きていると言っても過言ではない」 かっこいい。 自分たちのふるさとがあるって。 そして守るべきものがあるって。 オレにも、持てるだろうか。 夏休みは萩中に担ぎに行く。 そう言えば親父も、浅草生まれのお祭り男だった。 海の向こうに届くくらい声張り上げて担いで盛り上げっから、 もうしばらく笑って見ててくれ。
まだ肌寒く吹きすさぶ風の中で、 夜 はっきり見えたりぼんやり見えたりする月と星が、 最近なんだかきれいだ。 別れの季節。 1年間ともに過ごした友達や先輩たちが、船に乗って島を離れてゆく。 紙テープがなびく中、涙を流す人、笑顔で手を振る人。 それぞれが作った思い出や、人とのつながりが、言葉や涙となるのだろう。 明日から2年目が始まる。 『さよならだけが人生だ!』 なんて、大好きな先輩は言うけれど、 よい出会いと別れができるようにがんばりたい。
光り輝く月の下 今日もホントにいい日でした とわに輝く星空の下 新しい旅に出ると決めました
人は一生のうちに、「その人のそばにいたい」「いてほしい」と思える人と、 どのくらい出会うのだろう。 友達、親友、家族、好きな人、子どもたち・・・。 無数とも言える宇宙の星の中のたった一つ 地球という星で 60億の中のたった一人に 何千年も流れてきた過去でも まだ見えぬ未来でもなく 「いま」というときに そんな人と出会うって 一体どんな確率なんだ? だからその思いを できるだけ大切にしたい 立場とか 他の人から見てとか関係なく 『自分の物差しではかって良いと思ったことは、最高なんだ。』と信じて。
(words by 藤田和日郎)
ひとつひとつ生命あるもの 鳥も花も大地も人も全て めぐり巡る連鎖の果てで 境界線のない 幸せを わかちあう日まで
『WALKING TOUR』っていうflashアニメを見て、涙が出た。 3月11日。 あの日から1年。 時間って、本当にあっという間に過ぎていく 震災当日は学校に泊まったり、その後も計画停電に悩まされたりしたが、 そんなことは、被災地の人たちに比べたら屁でもない。 今日はテレビで特集番組とかいっぱいやってて それ見ながら改めて考えてみると 被災地に向けて、自分は何をすることができたんだろう。 そりゃ多少の寄付とかはしたけれど 被災地に行ってボランティアやるとか もっといろいろな支援ができたんじゃないだろうか オレはと言うと 家族とか そのときもってた子どもたちを大切にして 毎日を自分なりに生きてきたことくらい。 逆に、震災や親父のことやいろんなことがあったこの1年で 自分が学んだことのほうが多かった。 家族や仲間との絆とか。 福島から来た「さら」っていう子を受け持って、 三宅島で1ヶ月いっしょに過ごした。 被災地から来たとは思えないくらい明るく屈託のない子で よくおんぶしたり鬼ごっこしたりして遊んだっけ。 何度か手紙をやり取りするたびに元気な返事が返ってきた。 今、どうしているだろう? 何か、やりたい。
こころざしを はたして いつの日にか 帰らん 山はあおき ふるさと 水は清き ふるさと
夢を追っていたい。 いくつ叶えられるか分からないけれど、 止まることがあっても 前線に身を置いていたい。 ジョブズが言ってた。 「明日死ぬとしたら、今日一日は自分のやりたい一日だろうか?」って。 『自分のもってる子たちといっしょに、一日一日を全力でぶつかること。』 たとえ明日死ぬとしても、これが、オレのやりたい一日だ。 年が明けてから、ゆっくり自分と向き合う時間がもてなくて。 いや、ゆっくり向き合って後ろ向きになるのがこわかったのかもしれない。 やりたいことにはいまいち熱くなりきれなくて。 今、やっと少しずつ、ゆっくり自分に向かってる。 年が明けたらいつも、今年やりたい目標を日記に書くんだけど、 今年はなぜか、全然そんなこともできないでいたなぁ。 よし、思い描いてみよう。今年のひそかな夢を・・・。 ・アイランドリーグで4位以上になること ・日野先生とギターセッションすること(あ、ドラムもね・・・) ・授業やクラスをアツく!メリハリをつけること よかった、どうやら、年が明けてきたようだ。 少しずつでいいから、進もう。がんばろー!
ハレルヤ ラ ミゼラブル Do you wanna show me how low & low? SAY ハレルヤ!
14年間使い続けたサイフを捨てた。 高校に入って初めてバイトして買ったサイフ。 昨日までずっと使ってきた。 「もともと何色だったの!?」って言われるくらいボロボロで、もう見れたもんじゃない。 別に深い理由はないけれど・・・なんとなく大切なものの一つだった。 一つのものや一つの思い出を、ずっと大切にしていくこと それはそれでありだけど、 それで前に進んでいないようじゃ、ダメなんだってことに、気付いた。 ずっと好きだった人がいて・・・ 今でも大切で 他の子といるときも、その人のことを考えてしまうときがある 結婚しても 子どもが生まれても その人の影を なんとなく追っていて でも、親父の四十九日をやるため上京する船の中で、 ある人に言われたことがある。 「30にもなったし、付き合ったらすぐ結婚とか、本当に付き合っていけるのかとか、 そうやって考えちゃってどうしても最近本気で向き合えない」 そうオレがつぶやくと、その人がこう言った。 「なんでその人と永遠にいっしょって考えるんだい?付き合ったらゴールじゃない。 結婚しなくたってその人に会うことで自分がまた一歩ステップアップすることだってある。 そうやって出会いを重ねる中で、その人が本当に、この先4〜50年いっしょになるパートナーとしていいかどうか 自分で確かめるために、悪い言い方だけどその人と付き合えばいいんじゃない? むずかしく考える必要ないよ。」 衝撃だった。 そういえば、何かの本に書いてあった。 女性は恋を「上書き保存」する。 男性は恋を「名前を付けて保存」する。だから、過去や他の人と比べてよいものを探してしまうって。 でも、違うのかもしれない。 今までに出会った人たちや、その人たちの考え方が、今の自分を形づくってる。 そう思えばいい。 そして、上書きされてく自分のとなりで、いっしょに上書きしていく相手とそばにいたい。 あいつにまた胸張って会えるように。
目に浮かぶのは Better Days とびきり素敵な恋などしたと思う 帰らぬ想い出 Time goes by
三宅島のレディースランで、3位だった。 まったく練習してない体で走ってるときは正直苦しかったけど、 子どもたちや仲間と楽しめたからよかった。 もうすぐ三宅での1年間が終わる。 いまは、人生のどのあたりだろう。 どのへんまで走って、歩いて、時にはもどったりして、進んできただろう。 うれしいことや悲しいことや いろんなことがある毎日で それぞれが愛しくてかけがえがない。
忘れたい昔のこと ゆずれない初恋のこと 分からないあの出来事 しょうもない昨日のこと さけびたいでかい声で つかみたい力づくで 遊びたい一晩中 眠りたいきみの横で
『二十四の瞳』を最近読んでいる。 大石先生はオレとは違う先生だけど、 オレはオレで、子どもたちに元気をあげられてたかなぁ。 ある日の放課後、子どもたちと残って、6年生を送る会の作業をしていると、 みづほ、響、香蓮、未来たちがオレのところに来て、ふいに言った。 「ねえ先生、来年も先生がいいなー。」 「高遠も行きたいしね!」 正面切ってみんなの目を見られなかった。 うれしくて泣きそうで。 12人の大切な教え子たちへ。 一年間、ホントに島の雰囲気のような のんびりとして明るく温かいエネルギーをくれてありがとう。 来年度どうなるか分からんけど これからもアツくいくからねー!
がんばれよ 負けるなよ 歯を食いしばって僕等は生きてる 振り向くな 前を向け 小さな命を 僕等燃やしてる
この度は父、協のために遠くからお越し頂き、 また生前から皆様に格別のご厚誼、ご厚情を賜り、本当にありがとうございました。 自分も、いろんな人に支えられてるんだって、改めて親父のおかげで感じることができました。 時は止まらない。だから自分も、吸収しつつ、前へ! これからも『宮沢協(教)』の一員として、がんばります!!
ああ。 そう言えばそうだった。 あけみおばさんが亡くなった日の夜、 なんとなくついてたテレビでやってたトトロで、 さつきが母親に手紙を書いてるのを見て、 「いま このときの思いを文字にしたい」と思ったんだ。 おやじが死んだ。 さっき、電話越しにそう言われた。 信じられない。 遺体を見てもいないし。 聞いたのは、電話越しのトーンの低い家族の声だけ。 いますぐ帰りたいのに、明日の夜にならなきゃ、実家に帰れない。 ずっと飲んだくれで。 なぐるからこわいし 車の中までタバコくさくて、酒くさくていやだった。 でも、ふと気付いたら 教師を目指してて いま考えると 親父の背中を見てたのかなあ。 教員になってから、親父の勤めてた千代田区の小学校や筑波付属小は 教員のエベレストなんだってことを知って 実はすごい人だったんだな、って知った。 いっしょに飲むようになったのもこのころか。 「東京で起こることは5年後に地方で起こる。 最先端(東京)でぶつからないでどこでぶつかるんだよ」 そう言われて東京に決めた。 いきなり死んだとか言われてもよくわかんねーよ。 いつも年末年始は実家なんだけど 今年は島で年越しだったんだ。 だから、クリスマスに帰った。 親父が粋にシャンペンなんか買ってくるから、 グラスに注いでお母んと3人で乾杯した。 そのとき、親父はふと、「三宅島に行きたい」なんて口にした。 オレは、「何もない島だから来てもつまんないよ。」 すると、「食っていけるだけの生活ができればいい」 そこで新しいことを始めたいんだって。 塾長として何億もかせいでる人が、そんなこと口にするなんて。 オレと似た考えだなあ。 おやじはオレに聞いた。 「どうして島に行ったんだ?」 オレは「環境を変えるのがいいんだ。同じところにいても成長しないと思うから。」 するとおやじは、 「そんなこと教えたつもり一切無いのに もうそんな考え方もってるんだな。」 なんだか、うれしそうにそうつぶやいてた。 オレは、三宅島にまだいるから。 のんびりやってるから。 夢の中でもいいから、会いに来なよ。 来たら泊まるとこはあるからね。
〜過去の分〜
2000.5〜7 .8〜10 .11〜122001.1〜2 .3〜6 .7〜10.11〜2002.1 .2〜5 .6〜10.11〜12 2003.1〜3 .4〜5.6〜7 .8〜9 .10〜2004.1 .2〜5.6〜8 .9〜10 .11〜2005.1 .2〜3 .4〜7 .8〜2006.1 .2〜6.7〜8 .9〜12 2007.1〜3 .4〜7.8〜12 2008.1〜3 4〜2009.4 5〜2010.2 2010.3〜11 2010.12〜2011.4 2011.5〜2011.12
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