


かなり不定期(縛)
◆ AEROSMITH / FALLEN ANGELS
もうすぐ試験だ。そーいや、試験の前に日記を書くのは初めてかもしれない。何だか不安なんだけど..そのくせ、周りには「絶対受かってやるゼ」なんて強気になっちゃうんだよなぁ・・。全くオレってやつは外と内が正反対じゃねーか。
ここにきても1つ、大学へ行く理由を考えるよーになった。就職のためとか、世間体とか、いろんな理由があるかもしれない・・。でも1つはっきり理由としてオレが持ってるのは、『自分を見つめなおす』こと。不透明なオレを少しでももっと知る。まぁ、この理由自体不透明だって言われちゃおしまいやけどな・・でも、受かっても落ちたとしても・・
オレは生きるぜ。精一杯楽しく。強がって。
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◆ BEATLES / YELLOW SUBMARINE
好きなゲームで66連勝した。前まで45くらい、記録を大幅に更新したので、たいしたことじゃないけど、嬉しい。この「なんでもない」ことに意地を張ったりするのって、大切だと思う。小学校の時の給食の時間、『誰が早く食べ終わるか』競争したときのよーに・・そう、ホントにどーでもいいのに、そのどーでもいいことに熱くなっちゃうんだよね・・。おかしいかな?でもさ。誰だって1度は、給食の早食いを競ったことがあるんじゃない?男ならさ。男は負けず嫌いなんだよ。ゲームに限らず、何でもないこと(普通の人が「どーでもいいじゃん」って思うよーなこと)に変に熱くなっちまう・・オレはそんなやつらが好きだったりするんだけどな!
〜2.15
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◆ VAN HALEN / DREAMS
何でお前、ゲームになんてハマってんの?何でお前、今になってまだゲームやり続けてんの?別にゲームで食っていけるわけじゃないだろ?そこまでお前上手くないだろ?別にそこまで楽しいわけじゃないだろ?なんで勉強おろそかにしてまで、なんで授業サボってまで、ゲームやりこむんだよ?なんで朝から晩まで、ゲーム機の前に座って・・ゲームやっていられるんだよ?・・・。
誇り。それはたまに、理由を無くす。
誇り。それは裸の‘オレ’自身を生み出す。
誇り。それはゲームと合わさって、目に見えるあらゆるハンデを無くす。
誇り。そして誇りは、ただ「誇り」と「誇り」との戦いへと、誘う。
・・戦いが終わったあと、オレの‘誇り’は相変わらず守られたままである。なぜならオレが誇りを失うとき、そのときはつまり、ゲームから離れることを意味するからだ。しかし誇りはただ勝負に「勝ったから」守られるのでは決してない。「負けても」守られる。自分が持ちつづける限り、誇りは失われはしない。絶対に、変わることはない。
ゲームの魅力は、どうにもならない外見上のハンデを越えて、そのゲームの中でのルールのみを守ればあとは対等・・ここにある。そして、対等・・そこからの勝負を決めるのって、一体何?・・そう。少なくともオレにとっては、誇りでしかありえない。誇り同士のぶつかりあいほど、輝いているものはない。誇りをぶつけてゆくときほど、「ゲームをやっててよかった」と思う時はない。
これを読んで下さってるみなさん。あなたにとっての「生きがい」とはどんなものですか?料理、サッカー・・どんなものでもいい。何でもいい。どんな小さなものでもいい。何か、どーしても「せずにはいられない」もの・・。打ちこめるもの。その中に、あなたの‘誇り’はある。この文章の「ゲーム」を、あなたにとっての「生きがい」と入れ替えて、も1度・・「別に○○○で食っていけるわけじゃないだろ?」だから、やっちゃいけないのか?自分が生きがいを持てたものの1つが、それなんだ。「そこまでお前上手くないだろ?」オレがやる○○○は、いつでも最高だと思っている。自信を持っている。持てなくなったら...誇りが欠けてゆくから・・。「別にそこまで楽しいわけじゃないだろ?なんで勉強おろそかにしてまで、なんで授業サボってまで、○○○やりこむんだよ?」誇りと誇りのぶつかり合いほど、ワクワクするものはない。そして、他のものを代償にしてまで何かに打ちこむ時ほど‘生きがい’を感じられる時も・・ない!
「何でお前、○○○になんてハマってんの?何でお前、今になってまだ○○○やり続けてんの?」
そう、誇りだ・・。理由などとうに忘れた!
[ 尾田栄一郎
/ ワンピース より ]
誇りとは、証。生きている・・自分が‘生きている’ことをしっかりと刻んだ『証』。
〜2.7
◆ ザ・イエローモンキー / Brilliant World
年明けてから全然書いてなくてすんません。自分を見つめるゆとりがなかった・・・のか?単にサボってただけだったり・・・さて。今年のセンターの国語、1問目に載ってた文章がすごく印象に残ったので、それについて今日は書こうと思う。
あなたは、自分が書いた日記を読み返すことがありますか?きっと、「読み返したくなんかない!ただ自分の嫌な思い出がぶり返すだけ」って人もいることでしょう。けれども、ネット上に日記を載せて公開してるような方たち(オレも含めて)は、きっとそうは思ってないのでは?よく以前に自分が書いた日記を読み返すんじゃ?
...なぜこんなことを聞いたかと言うと、その文章は「日記と人間との関係」について書かれていたからだ。日記とは、「JAMの瓶だ」とある人は言う。つまり、貯められ、消費されるもの。瓶のふたを開ける・・読み返すことによって、人は以前の自分からもっと成長しようと思い、努力する。足りなかった部分はまた日記に『反省』として書かれ、そこを埋めるようにまた明くる日、がんばる・・。つまり、日記は自己を伸ばしてくれる促進剤のような働きをしている。そして、新たな自分へと歩を進めたとき・・そのとき、以前までの自分は意味をなさなくなる(=日記が消費された!!ということ。瓶が空になった)。だからこれを書いただけでも、日記をつけることの必要性(だって、毎朝なんにもつけずにパンをほおばるより、JAMをつけて食べた方がおいしいし元気も栄養もつくっしょ?・・たとえそれが一時的や気分的なものでも、その‘気分’がよりよい自分を作るんじゃ?)が自ずと分かるだろう。
ただその文章で書かれていたのはこーゆーことだけではなく、日記が『出口のない迷路』となり常に完成された自分を追い求めつづける人(前者と違い、単なる『反省』ではなく自分が書いてきた日記を全て読み返しそこからありたい・・あるべき自己を模索してゆくパターン)のことが書かれていた。その人はその追求自体を楽しみ・・生きがいとしている。つまり分かりやすく言うと、JAMの瓶のふたを開け使っても使っても・・なくならないのだ。さしずめドラえもんの道具、またはうしとらの減らないおにぎり(マニアック)と言ったところ。さらに新たな自己補完材料ともなりうるのだ。これは前者の日記のあり方とはかなり違う。1度使い切ったら終わりである「JAM」とは違い、何度引っ張り出しても果てることのない「おにぎり」は常に自己を補う助けとなってくれるからである。
オレは、よく日記を読み返す。それは別に「自己補完」のためとか、そーゆー小ムズい理由ではない。ただ、以前の自分を見失いたくない。あのとき自分が持っていたかもしれない何かを、できるだけ覚えていたい。それだけだ。そして・・楽しい。以前の自分と向き合うことは、少なくともプレステ2よりは楽しい。それにオレはたまに、おにぎりの具に何かとても大切なものを見つけたよーな気がして・・ホント、おいしいおにぎりだなぁ、と思う。もしかしたら今のオレは、知らず知らずにこのおにぎりに栄養をもらっていたのかもしれない。
今回の文章を読んで、改めてそこに気付かせてもらった。ありがたい。センターは悪かったが、この文章に出会えたことはよかった。 おいしいよ、このおにぎり。約束する。
〜1.23
過去の分
BGM:イエモン/JAM