


ここでは、自分が今まで影響を受けてきた
音楽の紹介と共にちょっとしたエピソードやコラムなどを添え、
‘日記’のようなものとして書いていきたいと思います。

◆ブルーハーツ / チェルノブイリ
〜ルコ的森林論〜
緑はいい。木・林・森は、空と同じくらい美しく自分には映るものだ。それだけでもう、木は自分にとって生きてゆく上で不可欠な存在だ。他に理由は要らない。
自分が木々を不可欠なもの・なくてはならないものだと思うのは、森林の持つ果てしない魅力‘公益的価値’(景観として欠かせない価値であったり、防風防雨に役立ったり、水・空気の浄化作用であったりという、金には換えられない貴重さのこと)を多分見出しているからだろう。もちろん森林の持つもうひとつの‘経済的価値’(木を切って売ったり加工したりといった、主に林業に携わる人が見出す価値)のために木々を金に換えることも最低限止むを得ないことであろう。この2点から軽く考えてみると、この両者(価値)のバランスを心掛けさえすれば森林を絶やすことは理論上ありえないはずだ。
けれども。実際には森林は驚くべき速さで減少の一途をたどっている。一体なぜだろうか?みなさんももうお気付きだろうが、‘第3の価値’と信じられ森林減少の最もでかい因子となっているものの所為だ。そう。人間の「欲」に他ならない。人間の行動を決定づけ、ものごとの持つ本当の価値を目の前のダイヤで惑わせている。誤解している人が多いが、「欲」は価値ではない。だから‘第3の価値’などというのはフェイクである。さらに言わせてもらえば、土地はその人のものだとしても、木はオマエだけのものではない。ゴルフ場を作るから・・テーマパークを作るから・・だから切る。だったら同じだけの木々を同じくらい育ててから切れと声を枯らして言いたい。ゴルフ場なんかより、背丈の何倍あるんだろと思わせるような木々をオレは迷わず選ぶ。・・・と、最近はこのように思ってくれる人が増えたらしい。だから環境破壊の天敵である「豊かさ」「欲」は、息をとりあえずは静めている。
ところが。森林の減少は勢いを失わない。一体どこで歯車が狂っているのだろう?だって、森林の公益的・環境的価値も認められ、欲による無駄な伐採も減り、誰もが木々の価値の重さに気付いているはずなんだ。こんなオレでさえ気付いているんだから。じゃぁ!なぜ事態が少しも改善しないのだろうか!?
答えはカンタンだ。「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きているんだ!!」分かりやすく言えば、オレたちの意見は所詮、机上の空論に過ぎないということだ。現場で経済的利益のためにやむなく木を切る人々がいる。現場で「欲」に駆られ伐採を進める業者や地主がいる。そして一方で、公益的利益のために木を植える人々が・・・・・・・・・・・・・・・・・・。いないのだ。何のことかこれでお分かりだろう。(さらに、公益的利益を享受するためには、木々が育つのを待たねばならないために時間がかかる。つまり公益的価値は、目の前のダイヤではなく眠った財宝と言える。果たして我々はどちらを選ぶだろうか?言うまでもなく、ダイヤをみんなが貪っている。それらが相俟った)故に今まさに、ノンストップ森林減少(現象)を目の当たりにしているというわけだ。そうオレは思う。長々とつまらん話をして、結局オレが何を言いたいかと言うと、ゴチャゴチャ言う前に苗のひとつでも植えに行けよということだ。これが言いたかった。もちろん、当のオレに対してもそうであることは言うまでもない。だから。だからオレは、自分の家を持ったら、絶対に植えることをここに誓う。親父や、おじいちゃんがそうしてたように。
これは余談だが、国民一人一人がたった1本の木を植えただけでもものすごい効果があるというのは、考え杉だろうか?
〜10/10
◆ハイロウズ / 21世紀音頭
「オレたちを応援しないでください」彼等は言う。「オレたちはただ勝手に自分たちだけで楽しんでいるだけだから」
何かを楽しむためには、まず自分以外の、周りの人々がそれを楽しいと感じるようにしなければならない。自分たちだけ楽しんで、他の人のことを考えなければ、それは自分本位の迷惑行為に成り下がってしまう(かもしれない)からである。だからみんなが楽しめるようにと、周りに目を向けて事を起こすことこそ、真の楽しみ方に相違ない。そして周りが楽しければ、自分も自ずと楽しく感じるようになるのではないか。・・そう、思っていた。
・・本当にそうなのか?周りが楽しいから、自分が楽しくなるのだろうか?つまらないと感じることをやっても、周りのやつらが喜べば自分も喜べるのか?周りの人たちの感じ方によって自分の行動を制限して、他の人のために楽しさを削ってゆかねばならないのだろうか?行動を起こす前に、周りの出方や感じ方を前もって考えてから、それから行動しなければならないのか?それが、本当の楽しみ方なのだろうか?違う!!
自分だ。何を言おうと、まず「自分が楽しく」なるようにみんな歩みを進めているんだよ。ただそれだけ、それだけだけど、それはとても大切なことだと思う。他人のことを無視しろと言ってるわけでは決してない。自分が「楽しい」って感じることに、周りの目なんて関係ないって言ってるんだ。だって、「楽しい」と感じるのは、他ならぬ自分なんだから!・・それを、彼等は教えてくれたんだ。
「オレたちを応援しないでください」彼等は言う。「オレたちはただ勝手に自分たちだけで楽しんでいるだけだから。
・・・でも、それでみんなが少しでも楽しんでくれれば、、、うれしいです」
〜9/23

◆MR.CHILDREN / マシンガンをぶっ放せ
〜ルコ的環境論 プロローグ〜
はじめは、はっきりイヤだと言う。思いっきり拒絶する。抵抗する。ちゃんとした理由があるから。正しい、負けないはずの理由があるから。
2回目は不満そうな顔をする。後で陰口を叩く。自分のほうが正しいと分かっている。でもはじめての時ほどの剣幕も力ももうない。
3回目は黙っている。もうほとんど何も言わない。いつまでも正しいはずの理由は、薄れてゆく。
そして いつしか自分もそれをやっている。当然のことのように受け入れて。そして忘れ去られた理由は、心の奥で泣いている。
建前と便利さに押しつぶされ果てて。もう口に出して言うことはできない。自分もそれをやっているのだから。
だから。多分みんなも同じ・・。
そしてそんなオレたちを見たあの子。きっと今ものすごくイヤがっているのだろう。
でも・・。そのうち・・・。
あーあ・・・。なにやってんだろオレ。
それでも世界は止まらない。人間も。絶対に。
違う。
「だから。多分みんなも同じ・・理由を心の奥底に持っているはずである!!」
まだなんとかなるかもしれない。今はまだ、若輩者のオレには全てをどうすればいいかは分からないけど・・。
できることから、些細なことからはじめてゆこう。みんなの心の奥に眠る芽に、少しでもいいから水をあげよう。
人間が人間であることをやめないうちに。地球という花が、枯れないうちに。
〜9/10

◆ブルーハーツ / TRAIN−TRAIN
夢を求めて飛び立った鳥に、言いそびれたことがある。
どんな兵でも、心の奥に不安や寂しさは残るもんだ。それは自らの翼で羽ばたいている者ならば誰でも同じ。
いままでの居心地のよい場所・・家族や友達という絆を一時絶って、自分自身だけを頼りに進んでゆくってことだから。
そうカンタンにはいかないだろうし、困難も多いだろう。
でも。
でも、いままでだっていろんな絆はあったにせよ、結局歩いてきたのは‘自分の力’なんじゃない?
だってほら、「飛ぼう」って決めたのは、他ならぬ‘あなた自身’でしょう?
もう既に、それは自分の力で飛んでいるってことさ。
強い、、、強い‘自分’が眠っているんだ。
だから・・
だから、もし飛び続けるのが不安になったら
ゆっくり目を閉じて・・
「行こう」って決めた時の自分を、もう一度思い出してみて
そんな強い自分を、とりあえずでいい、信じてみて
不安は決して消えないけれど、
きっと・・
きっと、少し、ホッとするよ。
& Happy 21's Birthday.
〜8/6

◆GLAY / カーテンコール
”自分も何かを与える存在になりたい。”今まで本当に様々な人と出会い、いろんなものを与えられもらってきた自分がこれから、将来の方向性を決めるのあたってまず考えたことと言えば、このことだった。教師になりたかったのは教える(与える)という立場にあるからではない。まして教師だけが何かを教えたり与えたりできるのだと思っているわけでもない。ただ単に‘学校’という場所が、今まで多くの出会いをもたらし、勉強だけでなく生き方そのものを与えられ考えさせられてきた自分にとってのかけがえのない場所のひとつだからだ。一言で言ってしまえば、学校が好きなのだ。いつまでも居たい。動機にもならないような動機だが、何かを決めるきっかけというものは自分のそんな過去の経験やささいな出来事から生まれるものであり、強弱大小は関係ない。大切なのは、その過去に縛られることなく、そうやって見出された可能性へ向かって今を精一杯生きることなのだ________という持論(これも過去の‘出会いの跡’を自分なりにまとめたものだが)に立ち、教育学部で今の学生生活を送っている。
人に何かを教えたり啓蒙できるほど人間ができているわけでもない。ただ漠然と‘与える’と言っているだけでなく、では一体自分とはどのような存在であるのか?今一度ゆっくり”自分”というものと向き合ってみなければならない。この4年間の大学生活で自らに課したテーマだ。はっきりとした答えは出ないかもしれない。しかしきっと何か得るものがあるはずだ。豊かで実りの多いキャンパスライフを送れるかどうか、、そんなことは分からないが、これからも一生付き合ってゆく‘自分’を少しでも考え、知ろうとすることによってきっとこのキャンパスライフでの意義と成り得るはずだ。そして自分を見つめ直すためには、1つだけでなく様々な周囲の環境やあり方を・・・引いては自分とのつながりを多角的に見てみることがまた肝要である。だから自分は、住み慣れた地元を離れてこの長野という新天地で暮らすことを選んだ。地元で(悪く言えば)ぬるま湯につかっていたのと違い、‘自分’というモノが濃く、どんな場面でも表される。そんな中で今まで見えてこなかった何かをうっすらとでも掴み取ることができればいい。そして願わくば、夢を培っていつかはばたいてゆくであろう子供たちにもそんな‘生きる楽しさ’を自分がそうされたように与えたい、、いや、それを彼ら自身で考えるようになるきっかけのようなものをあげることができたら、、、子供たちと共に、自分の夢も元気に巣立ってゆくに違いない。
〜7/19

◆ブルーハーツ / 情熱の薔薇
「なんだかんだ言っても 学校が好きだから」
自分には特にこれといった夢はない。それは、今まで魅力的な職業に出会わなかったからとかそういった理由ではない。寧ろ逆である。自分を魅きつけるような職・・・引いては大人・・・に出会いすぎて、そのどれもがいつしか自分にとっての「夢」となっていた..そう言ってしまっても過言ではないだろう。どの「夢」も、自分にとってはあこがれである。だから、「夢」に大小の価値を与えることもなかなかできない。これといって夢を持てないということ・・「夢」を決められないということの1つの所以なのかもしれない。
ところで大学という所は、社会的に様々なこじつけがあるにせよ結局は‘自ら学ぶために入る’学校である。そこで何を学ぶかと言えば、無論自分が学びたいとするところの分野であり学問である。そして知りたい、学びたいものがあるからこそ大学に行こうとする筈だ。(勿論、大学に入ってからそれを見つけるというのも1つの尊重すべき可能性だが)これは飽くまでも極論であって、単に「よい職につくため」という人もいるのでは?と言われるかもしれないが、たとえそのための大学であったとしても本当に興味がなければそこで学び続けてゆくことはできないのではないだろうか。興味が少しでもあるから学べるし、楽しんでキャンパスライフを送れるのだと自分は思っている。さらに、そうやって「〜のため」と‘ため’を重ねてゆくということは、その期間がもぬけの殻になる危険性を孕んでいるということだ。なぜなら「〜のため」と思うに至った(‘ため’からもう一歩奥へ突っ込んだ時の)自分自身の動機や意志が等閑になったまま進んでしまう可能性が高いからだ。しかし裏を返せば、このような理由で大学へ入った者たちもみな、重箱の最下段に隠れた動機=「夢」を敷いているのだと言える!・・だから大学に入るときにはみな夢の欠片を持つはずだし、それを松明にして、みな暗き道にあり歩を進めてるはずである。また先程‘夢の欠片’という表現を使ったが、つまりは好きなこと、やりたいことを言う。その夢の欠片とは、1つでなくてはならない。いや正確には、1つに搾らざるを得ない、大学に入る時点で。言い換えれば、それが大学で学ぶということだ。なぜなら前述のように、自分が好きでもっともっと知りたい、追究したいものを1つに決めそれを動機としてまず大学を選ぶはずだからだ。あるいは逆でたとえ大学に入って興味を持てるものを探すとしても、全く関わりのない分野を2つも3つも深く学んでゆくということは難しい。だから結局1つに搾らざるを得ないと言ったのである。勿論、いろんな夢の欠片をそこで破棄しろと言っているのではない。もれた欠片たちはまた次の到達点(会社や家庭、2度目の大学)で握り締められるものかもしれないし、それこそが理想である。いずれにせよ大学においての指針、それから将来への方向性として、大学へ入るときに誰もが夢の欠片をとりあえずは1つに搾って(または先行させて)進んでゆくはずだ。しかし冒頭で述べたような理由があって、自分は「夢」を決められない・・。ゆえに大学を選ぶにあたって必要なこの‘搾る’ということが、そのときの自分にはできなかったのである。
そうやって‘夢’について悩んでるうちなんだかどんどんと深く突き詰まってゆき、そのうち「何故自分は夢なんて持つようになったんだろう」とまで考えるようになってしまった。・・・そのとき、ふと思う。「だって生きてるんだもん 夢の1つや2つ持つでしょ?」・・・そうだ、やっと分かった。生きているからだよ。今までここまでこうして生きてきたから、夢を持っているのだ。様々な出会いや別れ、経験、、その全てがあったからこそ、今こうして夢を持てるんだ。だから夢はいつでもなくなることなんてなかったし、こんなにたくさん増えて、こんなに自分の背中を押してくれたじゃないか。それに今だって。たぶん、これからだって!!夢の欠片は、見えないうちに、、、いつのまにか、心の奥にたまっていた。あらゆる経験の1つ1つは、ただ経験するに留まらない。必ず僕らに見えない何かを与えてくれるのだ。そう確信できた瞬間だった。
だから・・・だから、今まで生きてきた自分を振り返ってみようと思ったのかもしれない。分からないけど、そんな衝動に駆られたんだ。
学校にいた。廊下や教室の中で友達とバカ話ばっかり。どいつもこいつも笑ってる。お次は授業中、居眠りしてたら先生にこっぴどく叱られる。でこぴんが痛かった。たしか廊下にも立たされたことがあったっけか。でも、笑ってた。グラウンドでみんなでサッカーもやった。先生も交じって。あれは楽しかったな。やっぱり、笑ってた。
勉強だけではない、いろんなものをオレは先生から学んだ。遊びだけではない、いろんなものをオレは友達からもらった。オレにとって学校とは、他ならぬ、‘何かを与えてくれた存在’だったに違いない。じゃぁ今度は逆に、自分が‘何かを与える存在’になってやろうじゃないか。今の自分を形作っているものをたくさん与えてくれた、ここで。ず〜っといても、いいかもな。だって、
「なんだかんだ言っても 学校が好きだから」
そう。人は人に出会い、何かをもらう。と同時に、人は人に出会い、何かを与えるのだ。もらったものはやがて、小さな小さな‘夢の欠片’になる。そして欠片は膨らんでゆき、いつの日か花を咲かせるだろう。その花はどんな形で、どんな色をしてるのだろうか。見るのがとっても楽しみだ。その花を見た人の心の奥まで、また夢の欠片が届くんだろうな。
〜7/7

〜過去の分〜
2000.5〜7 .8〜10 .11〜12
2001.1〜2 .3〜6
BGM:U2/With or Without YOU