学校・社会
9月20日アップ!
・KCCカピオラニコミュニティカレッジ
・あるエレメンタリースクール
・ハンディキャップ
・ほのぼのお年より
・裁判所にある絵
KCCカピオラニコミュニティカレッジ
アメリカの大学は入るのは簡単と言われる。
私は、ただ、日本の偏った受験勉強をしなくてもいい、というふうに思う。
そしてやっぱり勉強は超ハードだ。
ハワイに引っ越して、英語を勉強したい私は、高校の校舎を利用しているアダルトスクールをみつけて申しこんだ。
パスポートだけ見せれば無料で受講できる。
クラスは8つにわかれていて、どのレベルか先ずチェックテストを受ける。
一緒にテストを受けるアジア系の人にハローと声をかけたが返事がなかった。
テストは「この車はドアが二つとも開いています」などを聞いて、合ってる絵を選ぶもの。
児童英検の3級程度。そして私は「ハイレベル!」といわれてトップクラスに。
私は高校時代反抗して、英語で1を取ったことがあるのだが。ははは。
自分たちのように国立大学へと望む両親と喧嘩して、受験もせずに家出した。
が、アダルトスクールは、ハローもわからない移民のために英語教育である。
授業内容も「この近くに郵便局はありますか?」程度。私は3ヶ月でやめた。
いくつかの知らない会話表現を学べば、もう最高レベルまで到達してしまうのだ。
歩いていけるKCCにテストを受けに行った。UHに編入するコースを選ぶ。
プレイスメントテストを受けてわかるのは、やはり日本と数学のレベルが違う。
半分が4桁の分数計算。残りは因数分解と連立方程式、そして1問だけ一次関数。
日本で高校レベルの問題がない。一次関数も中学最後に習う程度の問題である。
英語は単語のテストは、日本ではちょっとみたことのない言葉ばかり。
しかし長文の意味は見当がついた。
私はカレッジレベルに入れる手前の英語のESLクラスになった。
実際その人にあった勉強ができるようにとのクラス分けが徹底している。
アメリカの大学に入るのは簡単、ではなくて、入れない人には補習クラスがあって勉強できる、というのが正しいのかもしれない。
半年でそのESLクラスをパスした私はすぐにカレッジレベルのクラスに入った。
英語のリーディングとライティングのクラスがカレッジレベルになると、大学レベルの他教科も取れる。大好きなバレエはクラスがいっぱいで、モダンダンスを取り、ピアノのクラスも取った。クラス番号が100番以上が大学レベルのクラスである。
これらのクラスの単位は大学卒業の単位に入る。100番未満の英語の単位は大学卒業単位には関係がない。
毎日宿題と課題、毎週小テスト、中間、期末テスト、このすべての成績で、単位がもらえるかどうか決まる。
授業予定と成績のつけかたはどの教員も最初にはっきりプリントで伝える。
が、湾岸戦争のときは、授業予定変更で、そく新聞記事が教材にする教員もいた。
授業は適切な課題で工夫されたものが多かった。
学期の最後には、生徒全員が教員に対する評価を書いて提出する。
「わからないところがあったときにはどういう対応だったか」、などの質問に5段階評価で答えるのだ。
その結果によっては、その教員は次の学期に仕事をもらえないことも。
私は2教科分の勉強に、毎日3時間以上勉強しなくてはならなかったが、とても充実していた。
毎週の小テストもできるだけ満点を取りたくて、単語をたくさんの例文の中で覚えるという独自の勉強方を考えて、実際ほとんどクラスでトップだった。もともと勉強は大好き。
読書家で読解力があり下手な作文好きの私は、難しい長文の方が英語でも得意で、筆者のいいたいことがすぐに読み取れるし、いくらでも小論文を書きなおせた。熱心に勉強して質問するので、教員には好かれた。
日本では、教師をばかにしてるのか!と、超嫌われた経験が多いのに(笑)。
受験のための勉強、ということがまるでできない私は、本質的な勉強が大好きで、理不尽な服従に重点を置く日本の進学校でかなり混乱していたようだ。だからどうも大学受験する気になれなかった。
高校時代の親友が短大卒業後就職して貯金し、本土の大学に進んで卒業していた。
彼女から、とにかく米国では「主張」が大事で、いかにハンディもつ外国人か、英語ができないだけで、日本語なら高度な論文が書けると言わないと認められない、とさんざん言っていたが、私はKCCでそういう感想は持たなかった。
彼女は専門課程に進んでいたからかもしれない。
授業を数回欠席するだけで単位はもらえない。課題はきついし、生徒はだいたい自分で働いて学費を払っているので、忙しく、だから教員に対しても厳しい。
私はこのまじめさが大好きだ。だから勉強にも身が入りやすい。
教材の選びかたも良かったし、日本の大学では教えるプロではない研究者が教員になっていると感じる。(私は日本で2つの大学で単位を集めている)
しかし、日本のヒマな大学生も楽しそうでいい。
あるエレメンタリースクール
ハワイの義務教育は、GradeKから5thの小学校、6thから8thまで中学校、9thから12thまでの高校、である。
ハワイに住んでいたとき、息子Yと娘Aが歩いてすぐの地域の小学校に通った。
先ず、ヘルスセンターで健康診断を受け、結核などの感染症でないか、
予防接種は受けたかなどの証明が出てから入学できる。
入学手続きには、家族の形態や、宗教、食べてはいけないものはあるか、など、事細かな質問事項があり、日本とは違う配慮が感じられた。
特定の考え、宗教にパブリックが加担しない、という政教分離精神にほっとする。
例えば学校が、肉を食べるべき、という考えに固執することはない。
クラスの希望を聞かれる。定員に空きがあれば、教師を選ぶことができるのだ。
YもAも英語がおぼつかないので、毎日ESLクラスに行った。そこで音声学の基礎から教えてもらう。
3,4人の外国人生徒がいた。中国から引っ越して来た子とYは仲良くなった。いわゆる、国語の時間に、基礎クラスに行くようなものである。
他の時間はみんなといっしょ。当時、ゴジラ、ニンテンドー、忍者タートルなどが流行っていた。どれも日本がらみである。
授業はすべての学年が2時で終わる。迎えの車も多いが、バスや徒歩で帰る子もいる。
その後学童保育に行く子も多い。
昼食は毎日、スクールランチか、ホームランチ(お弁当)か選べる。
スクールランチも2つのメインディッシュから選べる。牛乳もオプション。
朝は7時30分から朝食を食べることもできる。
うちはよく、毎日持たせるスクールランチマネーを忘れて事務室でかりた。
遠足のときはみなホームランチであるが、ほとんどのこが、ピーナッツバターサンドイッチとリンゴである。私はオムライスとデザートなどもたせた。
ハワイは暑い、腐りやすい、ピーナッツバターは栄養があり、リンゴはビタミンがある、と、ロコの人は言った。が、こういう食習慣は取り入れたくないので、私は持たせたことがない。
遠足は保護者ボランティアをつのり、引率を手伝ってもらう。
たいてい彼らが写真を撮ってくれて、後で教室の外に張り出され、わけてもらう。
大変だったのは、保護者への手紙の読解と、家庭での課題をこなすこと。
6時から保護者会で、隣の小学校との合併問題について話すから、お弁当希望者は
申しこんでほしい、など、内容自体想像つかないことが多かった。
6時からお弁当を申しこむって何?、というかんじである。
また、家の中のものをいくつ(当然英語で)説明して、クイズを出したか、など。
家庭用学習課題を親子でこなしていくのも、自分の英語力のなさを痛感した。
それは実際保護者会に参加してもそう。
熱心な人達の討論にさっぱりついて行けない。蚊帳の外である。
自分の意見が多い私には辛かった。子どもの通う学校の問題なのに・・・。
しかし、保護者たちは教師にも厳しい。税金をたくさん払って、働いている間大事な子どもをまかせるわけだから、目を光らせている。
私が口を出す必要ないほど、他の保護者が教師に意見するので楽だった。別に私は自分が意見をいいたいのではなく、よい意見が言えないことがフラストレーションになるからだ。
総合的に、この学校は良かった。帰国して転校した日本の学校は私の基準からすると、相当ひどかった。学校も、保護者の意識も。
ハンディキャップ
ハワイで暮らしていてびっくりしたことの一つに障害者ができることが日本よりずっと多いということである。
車椅子の人でも、家まで専用バスが迎えにきてくれて、目的地まで1ドルで連れて行ってくれるような福祉サービスがあり、気軽に外出できる。
バスも、車椅子には、ステップが平らになってそのまま乗れる。
それよりも驚いたのは、知的障害のある人たちである。
それまで知的障害の友人がいなかったので、うといのかも知れないのだが、先ず、ハワイで知的障害者でも、車の免許が取れることにびっくりした。
日本でも取れるのだろうか。自分に偏見があったように思う。
そして雇用の多さ。カハラモールに私書箱もあり、歩いていけたので、ほとんど毎日モールに出かけていたのだが、バーガーキングの清掃の人は知的障害。
モールの清掃の人も。常時3名以上は知的障害者の人を見かける。
それで昼休みには、その一人の男性がかならず女性とランチを食べていた。
ベンチでハンバーガーを食べながら、女性の肩に手をまわそうとして嫌がられたり、毎日のことなので、おかしかった。そのうち一人の気の合う女性とずっと一緒にいるようになって、良かったじゃん(笑)、と人事ながら思っていた。
で、私は愕然としたのである、こんな当たり前の光景を、今まで日本で見たことがなかった!知的障害者のデートをである。
なんか日本がおかしいのか・・・・。
そして、知り合いの家族に知的障害者がいて、彼は一人で自立する能力がないのに家族が面倒がみれないと判断され、ハーフウエイホームで暮らすことになった。
他の障害者2人と健常者のカップルとで、一つの家で暮らすのである。
一緒に住む健常者は仕事として、月に2500ドルくらいの収入をもらっている。
費用は国と州が払う。彼の家族の家の近くの、同居する一人の障害者の両親が提供している家で一緒に生活する。そこで規則正しい健康的な生活が保障される。
日本でも、高齢化社会に向けてこの方法を取り入れている自治体があるそうだ。
さて、私は学校と仕事に追われ、よく家事と子守りを頼んだクララも知的障害者である。クララは特に娘Aととても仲良くなった。
クララに掃除と子守りを頼むと、クララはAにほうきを持たせ、使い方を教えながら、一緒に歌を歌って二人でのんびり掃除していたようだ。
それで20ドル渡すと、Aを映画につれて行くと言って、全部おごってくれるのだ。
Aと遊ぶためにバイトしてるようなかんじになった。
彼女は他に新聞配達とい障害者年金の収入がある。
今でも私達は、ハワイに行くときには、クララに何を持っていこうか考えるのが楽しみだ。
ほのぼのお年より
5歳の息子Yとバスを待っていた。
そのバス停は住宅街の中にあった。
バスがなかなかこないので、Yと、後ろの家の庭を見ておしゃべりしていた。
「大きな木があるね」
「何の木かなあ」
すると、その家のフロントドアから初老の婦人が出てこられ、私はじろじろ見て、良くなかった、と一瞬で反省モードになった。
「あんまり他所のお家をじろじろ見たらいけないね」
Yにそう言ってると、彼女はにこにこ近づいてきて、
「ぼうや、ライチ―がほしいのね?」
と言って、さっさと、その大きな木の実を取り始めるた。
ライチ―の木だったんだー。でも、別にほしくて、見てたんじゃないよー。
しかし彼女は手に袋を持っていて、最初から、ライチ―をくれるつもりで、出てきたのだ。
「はい。ライチ―がほしかったんだね?」
10個くらい入った袋を息子に持たせる。
「ライチーがほしいのね」
畳み掛けて言われ、私は喜んで受け取った。
「ありがと」
たどたどしく、Yがお礼を言うと、彼女は本当に嬉しそうな顔をした。
「いい子だね、いい子だね」
今年16歳になったYは、まだこのことを覚えている。
10歳の娘Aと私は、カハラのアパートから、ワイキキに行くのにバスに乗った。
途中白髪のおばあさんが乗ってきて、私達の隣に座った。
「お嬢ちゃん、何年生?」
聞かれてAは、恥ずかしそうに私の顔をみた。
「ちゃんとお話しなさいよ」
日本語でそう言っても、Aははにかんでいる。
私はダイアモンドヘッドの海も見たいし、そのバスに乗ってぼおっとするのが
大好きだったので、あまりおしゃべりに付き合いたくはなかった。
「4年生です」
でも人の良さそうな彼女を無視できずに、Aと3人で、たわいもないとこを
ちょこちょこ話した。今年はいつもより暑い・・・みたいな。
しばらくして、彼女は財布を出し、小銭入れの小銭を全部出した。
「じゃあ、ここで降りるわね」
そして、にっこり笑うと、Aの手にその小銭を握らせて、バスを降りようとした。
「えっ!、そんな・・・」
「ちょっとだけよ、ちょっとだけ」
「・・・すてきなお話ができて良かったわ」
私はあえてありがとうを言わずに、その彼女に挨拶した。
小銭は1、2ドル分あった。
いつかまた、合えるだろうか・・・。
裁判所にある絵

高校卒業記念写真から一枚・日本とは違うなぁ