ホームタウンの幸せ
ハワイに住んで見えたこと
7月20日アップ
壊したくない日常
ハワイのカレッジのESLクラスで、「母国」がエッセイの課題になり、書くのに苦労したことがある。
そのときに痛感したのは、母国「日本」は未知で、エッセイを書くだけの材料が自分にはないこと、そして私が書けるのは、ホームタウンのことであるということだ。
何を書いたのか、よく覚えていないのだが、その答が導き出されたのが、大きな収穫だ。
ワイキキのクヒオ通りに上品な味付けのうどんやがあった。
カレッジの昼食時に、私はわざわざよくそこに食べに行って、同じ日本人にも驚かれていた。
ハワイでおいしいと思った日本料理はそこと、たしか旬彩(しゅんさい)というディスカバリーベイあたりにあった店だけだ。今もあればうれしいけど、たぶんない。
日本人がよく行く京やも、私には大味で、好みには合わない。
もちろん、人と合うのが楽しい食事会や、ジャンクを味わう、というのもある。
それはそれですばらしいのだ。
ただ、どうやら私にとって当たり前な基本生活が、食事にしろ、ハワイでは「わざわざこだわる」になることが多いようだ。
ただの食事をすることでさえ、大変な努力が必要となる。
それがもっと豊かな食生活への努力ならいいが、ものすごい貧しいところに来て、当たり前をつくってるしんどさを感じた。
私のホームタウンにも悪いところ、嫌いなところはたくさんある。
この町が嫌いな人だって少なくないだろう。
第一95年には地震で。町の70%が変ってしまった。
それに比べたら私のハワイの悪口など知れている。
そして、ここよりもっといいところもたくさんあるし、一番だなんて思っていない。
学校は良くないし、町も障害者に優しいとは言えない。課題もいっぱいある。
ただ、ハワイで感じた自分のホームタウンでの大事な暮らしのことを、書きとめておきたいと思う。
私にとっては日本の暮らし、とも言えるのだろうが、それはちょっと乱暴だと思うので、ホームタウンの暮らし、と言う事にする。
・マイホームタウンの日常の一こま
日常徒歩圏内で困ることはない。病院や郵便局や、豊かな食材のそろうスーパーも。
ちょっと美味しい店もある、おしゃれな服も手にはいる。
海はないが山と川はある。散歩道もある。
また電車に乗って神戸や梅田(大阪)に40分。好きな芦屋にもすぐ行ける。
何気ない日常だが、ハワイの暮らしを思うとキラキラ感じられる。
例えば週末に近所の小さなジャズ喫茶に行く。
私の好みのをさりげなく、たとえ1958年の古いレコードでも気軽にかけてくれる店。
大きいスピーカーからのレトロな音が心に響く。
「赤ワイン、おいしいのある?」と言うと、オーナーは笑って、何本かのワインをカウンターに並べる。
おもしろい、そのワインたちの話、出所、を聞きながら一本選ぶ。
彼の所作の丁寧なこと。
「僕自身、ゆったりと食事したり、ワインを飲むのが好きだから」と、彼はただ、自分の豊かな日常を私達にシェアしてくれているのだ。
作った人のことを思いながら飲むワインは楽しいなぁ、そんなメッセージを伝えながら、さりげなく、そのワインに合うパンとチーズを出してくれる。
音楽とワインとちょっとおいしいものがあれば人生満足じゃないか?そんな風に思わせてくれるお店。
それが、グラス2杯で1200円と言うから、私はいつもちょっとだけ多めに「これでいいよ」と置いてきてしまうのだ。
オリが甘いとかで、B級だけど、素材の味がしっかりして、粗野だけどいいのだ。
例えば友人が遊びに来る。
スイスの旅行土産においしいチョコレートをもってきたり・・・。
さりげなくかわいいバスケットにいれて、リボンをつけて、はい、と渡してくれる。そのちょっとした心使いが私は最高にうれしい。
チョコレートだってうれしいだろうな。
お客さまとお茶を入れる時間。
ぽとぽとと湯が注がれるその瞬間を楽しむ。香りはマジック。
飾ってる花に合わせて選ぶティカップ。
人生ってこうじゃない?他に大切ってあるんだろうか。
どこに遊びに行っても、すてきなお茶の時間に迎えられるのが当たり前だと私は思って育った。
お茶をもてなされながら、洗練されたインテリアに学ぶことも多い。勉強になる。
ケーキのような不必要な物は、絶品でもないと体に良くないだけだ。
だから丁寧に作られたスポンジ、上等なミルクの味のするクリーム、に感激するためにだけ食する。
そういうことが通用しない世界には足を踏み入れたくもない。
手作りだと、大概喜んでいただくけれども。
ティタイムを演出してくれるすてきな物たちが大好き。勿論人の教養や文化を分かち合うことも。
歴史があるって楽しい。
「おばあちゃまのピアノ、弾いてみる?」
遊びに行ってそう言われ、見ると鍵盤が象牙である。
「今ではこういうことはできないし、それはいいことだけど、
こういう時代があったのね」
そんな話に花が咲く。
私の父がテレビに出た。
昔父の家に下宿してらした、父の父の学校に通っていた女性が
今イタリアで活躍されていて、彼女の特集番組だった。
彼女は私の大好きな亡くなった祖母のことをよく覚えてられて
お会いしてうれしかった。
ホームタウンにいるっていいなあ。
某百貨店はもともと呉服屋さんで、元祖デザイナーが作った着物はとってもすてき。
今でも飛びぬけて垢抜けていて、びっくりする。
古い友人がその末裔なので、家に行くと見せてくれるのだ。
彼女は結婚式にもその見事な振袖を着た。
人には歴史がある。家に伝わるものもある。
ホームタウンは、それを分かち合ってくれる友人たちに恵まれている。
近所でアマチュアのオペラ公演。1000円で見ごたえがある。
ゴルフに一回行くくらいのお金を出し合って、年に一回こういう公演を
している社会人の人たち。仕事も家庭もあってのことだ。
本場のオペラを見慣れた人にも好評。
オペラというと金持ち趣味だと毛嫌いするような人が私は大嫌いだ。
文化を尊重し、豊かな暮らしをする人がたくさんいる町が気持ちいい。
前出のジャズ喫茶も、10席の店なのに、500円でライブがある。内緒にしたい。
「今、絵本原画来てるね」
偶然あった友人に言われてはっとする。
そういう季節だなあ。
毎年地元の美術館に来る、世界絵本原画展。
毎月子どもと楽しめる催しにこと欠かない。たくさん美術品が来る。
子どもに本物を見せてやる機会が多い。
地元のタクシー会社の人たちはとても丁寧。
リムジンでもなんでもないのに。
神戸の子供服のファミリアさんでこんな会話を聞いた。
「こちらのスカートはいかがでしょう」
「あら、これなら私作れるわ」
「そうですか。お母様が作られるのが一番でございますよ」
なんて心温まるやりとりだろう。
また町ではこんなお孫さんとのやりとりも。
「おばあちゃん、また○○連れていって!」
「気に入ったの?良かった。じゃあね、ちゃんとファミリアさんのお洋服着て
また行きましょうね」
マナー、というけれど、このように子どもは成長していくのではないかしら?
母親と買い物に行くと、気苦労が多いけれど、きちんとした装いが自然に身につくようになる。
これは貧富に関係のないこと。
人の生活文化水準が私にはとても大切だと思う。
ネットで田舎の人のことも知るようになって気がついたが、私のホームタウンは
土地も物価も高い中、豊かに工夫して暮らす人が多いようだ。
リサイクルショップも近所に3つある。
私自身経済的にはかなり貧しい暮らしをしてきたと思うが、文化水準の高いところで
心豊かに暮らすのが性に合っている。貧乏を恥ずかしいと思う神経は一生理解できないが、
心の貧しさには敏感だ。丁寧に生きるすばらしさのわからない人が恥ずかしい。
基本的にこういう暮らしが守れれば、他の所に住んでもいい。
でも、ハワイに住んでみて、あまりの価値観の違いに、あくまでも長期滞在だなと思う。
もし、日本人が日常生活を改善しようともせずにハワイにしあわせを求めているなら
ちょっと問題だなと思う。社会がよくならないじゃない?
本当にハワイに住んでしまうならいいけど。
当たり前の日常を表現するのは変な感じだ。
ハワイに住んだからこそ、当たり前ではないとしみじみ感じているのだろう。
ハワイで「どうしてこうなの!」といちいち感じたことは、そのまま、当たり前が、
当たり前じゃなかったということだ。だから、大切に考えたい。
朝はとびきりおいしい無農薬野菜のぬか漬けを、備長炭で炊いたご飯で食べる、幸せ。
自分が心地よく生きていける、たくさんの幸せを感じて
感謝して生きていきたいと思います。
決して堅苦しいのや面倒なのが好きなのではありません。ほほほ。