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広島市 Y.
I.
.私が尿療法というものを知ったのは半年ほど前に、沖縄在住の お医者様のブログを読んでいた時に「尿療法」という言葉を目にしました。
日ごろから健康オタクで良いといわれるものは全て自分で調べ、実践してみるのが癖になっていすので、すぐさま情報収集しました。
最初は尿なんて飲めるかな? とドキドキでしたが、今までの経験からコレは素晴らしいモノだという確信がありました。
理由として、自分の尿を飲むという一銭もかからない健康法だという事。
これを広めたとして困る人は世の中に五万といますが得する人はいないのではないでしょうか、本当の健康法って全てこういうものだと思って います。
広められては困るものが真実の情報。
私は確固たる自信をもって尿療法を始めました。味としてはもちろん不味いです。先入観もあるのでしょうし私の食生活は肉食も多いので苦い。
それでもプロポリスを入れたりしながら続けていきました。
すぐに効果がわかったのは手湿疹に対してです。右手の中指の第一関節のみ手荒れするという変な状態が続いていました。
一度荒れ始めると何を塗っても何をしても治らず、ひび割れ痛かったり痒かったりするので非常につらかったのです。
しかし、朝一の尿を飲み、ついでに中指を重点的に尿を塗るとびっくりするぐらいカサつきがおまります。
手に塗って洗い流さずにそのままでも皮膚は殺菌できるという情報は知っていましたので、そのままで過ごします。
カサつきがひどい時は一日に何度も塗布しますが、匂いもしないし何より効果が凄いです。
通常数ヶ月悩まされる手湿疹が数日間でおさまったので、尿療法の凄さを改めて感じました。
尿の外用での素晴らしさに驚いた私は、美容関係の仕事なので顔にも美容液として毎朝塗布していますが、たるみなどが多少改善されたように思います。
美容に関しては色々と試している最中ですが、保湿力の素晴らしさは手湿疹の時に十分実感していますのでオススメいたします。
今の所、大きな病気の無い私ですが、ない時から予防として飲んだ方がいいと本にも書いてありますので、これからの一生の健康法に出会えたと心から嬉しく思っています。
先入観や偽情報のせいで人に言うのは中々難しいですが、大切な人には少しずつ伝えていけたらと思っています。
中尾先生や麻りもさんはもちろん、この素晴らしい療法を広めてくださっている方、全てに心から感謝しております。
尿療法に出会わせてくれてありがとうございます!!
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佐々木 陽子
飲尿という言葉を初めて耳にしたのは、「真理は自然の中に在り」という政木和三先生の生前のご活動を紹介しているブログからでした。
政木先生については有名なので省きますが、先生を尊敬する方々が大勢いらして、各地で講演会が持たれたようです。
講演会の様子がビデオに残されていて、先生が飲尿について話されたのを初めて耳にしたのが知る切っ掛けとなりました。
その時は、驚くと同時に、直感的に目の前に真理の扉が開けられ、秘密の宝を頂いた様な気がしました。
普段から、政木先生の幾つもの奇跡の話、多くの発明品を無償で世の為に提供するなどの偉業を知っていましたので、
その人間性に一点の疑いを抱くことなく信頼していただけに、直ぐに始めようと次の日の朝1番の尿を試しに飲んでみました。
決して美味しいとは言えないまでも、生温く、味もさほど悪くはないし、此れならいけるかなというのが、飲尿初日の感想です。
当然、飲尿の根拠を知りたくなりAmazonで尿療法に関する本がないか調べ、中尾良一さんと小宮山かよ子さんの共著『尿療法 驚くべきこの効果』を手に入れることとなりました。
中を読み進むにつけ、驚くべき事の羅列!
何故、こんな素晴らしいものが世に紹介されていないの?
まやかしの西洋医学など、クソ喰らえだ!
古代から世界中で受け継がれている最高レベルの医療がここにあるじゃないか!しかも、タダ!
神さまは、外に探すのではなく、全て人間の中に治療法を備えて下さっているではないか!
驚くべき恵に、喜びと感謝の念が湧きいで感動を覚えました。
それ以来、毎朝、感謝しながら飲尿を続けています。
そんな日が続いていたある日、以前から黄斑変性症と診断されていた私の右目の歪みが、何となく正常に近ずきつつあるのを発見。
此れには前段があるのですが、日頃、西洋医学に不信感を持っていた私は、2ヶ月もの間、眼科で矛盾した二種類の薬を飲ませられていました。
再度の検診の時に、此れを、ズーと飲み続けなければならないのかを確かめたところ、そうだというので薬を拒否し、何度か検診の要請がありながら、それ以来病院には行っていませんでた。
まだ、完治とまでは行きませんが、歪みが正常になりつつあるのです。
此れは、飲尿による副産物にちがいありません。
それに、ダイエットをした覚えはないのに、数ヶ月で体重が適正体重に。
まだ他にも私が気付かないだけで、改善された事がきっと、あると思います。
殆んどの方は、病気を治したいという動機で始めたと思うのですが、私の場合はそんな訳で、疑いもなく始めることが出来ました。
続けていると、確かに毎朝の飲尿により健康が維持出来ている様に感じとれます。
それにつけても、病に苦しむ多くの人達の為に、この「奇跡の水」「生命の水」の存在を知って欲しいと切に思わざるを得ません。
こんなに世の中が疲弊している今だからこそ〜
医療制度も腐敗している今だからこそ〜
人心が、錯乱している今だからこそ〜
知った者の責任としてこの「福音」を、伝えていくのが使命ではないでしょうか。
私は因みに、お二人の方にお伝えして、たいへん喜ばれております。
最後に、永きに渡り現在も尿療法の普及のために人生を捧げていらっしゃる高田たみ代さんに敬意を表し終わらせたいと思います。
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一宮市 F. Y.
私 は10年前に手の甲に痛みを感じるようになり、医者に行って調べてもらったらリウマチと診断されました。
その時、先生は「これから一生の付き合いだね」と人事み たいに話していました。
確 かに私も治らない病気だという事は聞いて知っていましたけれど、やっぱり自分ながらショックでした。
その日から病気との戦いが始まりました。
週 3回の注射、鍼、リハビリの通院生活となり薬は毎日1日3回飲んでいました。 でもほとんど痛みは変わりません。
こ のような生活が2年位続き、私に明るいニュースが飛び込んできました。
そうです。 尿療法のことです。
私は以前スーパーのレジの仕事をしており、その時よく話 をしていた人ですが、彼女もまた病気で入退院を繰り返す人で、何時も手には注射の跡が消えず残っていました。
そ の彼女が突然お風呂でばったりと会って、その時の彼女は元気そのもの、私もびっくりで聞いてみると、「オシッコを飲んで元気に なった」と話してくれました。
私 も苦しんでいる最中だったので、早速やってみることにしました。
すると、どんどん飲んでいくうちに、目に見えて良くなっ ているのがわかり、これには先生も驚き、リウマチは治らない病気なのにと首を傾げておられました。
「あ なたの場合、どんどん良くなっているので学会で発表しなくては」とまで話しておられました。
あ とは言うまでもなく今日ではすっかり治ってしまったのです。
治らない病気が尿療法で治った私の実体験です。
私 に尿療法を教えてくれた彼女とはそれ以来一度も会っていません。
私を助けるためだけに来てくれたのでしょうか?
今でもわかりませんが、本当に感謝の気持で一杯です。
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体験談
島根県 N.K(25歳)
私は1歳ぐらいからアトピーで、幼稚園から高校を卒業する18歳の時まで約15年ステロイドという薬を使い続けていました。 ステロイドを使っていた時は痒みを抑えつけていたので、それほど苦しんだという記憶はありません。 しかしステロイドがアトピーそのものを治す薬ではなく、単に抑えつけるだけのものであり、このままではアトピーは治らないなとうすうす感じていたことと、インターネットの情報などからステロイドの弊害について読んでいたので、思いきって高校を卒業した年の春にステロイドを使うことをやめました。
やめたのはいいもののそのリバウンドたるや凄いもので、そこからはそのリバウンドとの闘いでした。やめてから3ヶ月は夜も痒くて眠れない、体を動かすのも辛く外にも出られない、外に出たらで出たで人から変な目で見られる・・・肉体的にも精神的にもボロボロになりました。
3ヶ月後にはいったんそういった症状はおさまったものの、その後不定期にそういった苦しみに悩まされる日は多々ありました。
漢方薬や針治療などいろいろなものを試しましたが、これはというものに出会えませんでした。
今年の1月になって体の痒みがまたひどくなり、夜も寝られず動き気力もなくなりました。通っていた大学院にも通えず、友達が買い物に代わりに行ってきてくれるという状態になったので、大学院は休学という形をとり愛知の実家に戻ることにしました。
その頃友人のI氏を介してまりもさんが「まりもの摩訶不思議な世界へようこそ」という尿療法の本を送ってくださいました。
送ってもらった当初は、尿を飲むことを想像しただけで気持ち悪かったのですが、友人のI氏の強い説得と日々痒くなる皮膚に根負けして尿療法を始めることを決意しました。
初日はおそらく量にして5cc。ここから始めました。始めて1週間くらいは尿の生暖かさと何とも言えない味に、この先尿療法を続けていけるだろうかと不安でしたが、1週間を過ぎたあたりからだんだん慣れてきて、飲むことへの抵抗は無くなってきました。 そして少しずつ飲む量を増やしていき1ヶ月後にはコップ1杯を飲めるまでになりました。
実家に帰ってきたのが1月でI氏が教えてくれたこの尿療法、『ジェイソン・ウィンターズ・ティー(JWT)』という健康ハーブティー、半身浴をベースとした冷え取り、この3本柱によって私のアトピーは4月を過ぎたあたりからみるみる良くなってきました。
実家に帰った当初は顔から血が吹き出てひどい状態だったのが、家族や友人達みんなが肌綺麗になったねといってくれるほどに今では肌の状態がよくなりました。
9月から大学院にも無事復学でき、今では元気に充実した生活をおくっています。
尿は今でも欠かさず毎日1リットルくらいは飲んでいます。この尿療法はアトピーで苦しむ僕にとっては希望の光のようなものでした。
尿療法を伝えてくれたまりもさん、友人のIさんには本当に感謝しています。
そして今では多くの気づきをもたらしてくれたアトピーにも心から感謝しています。
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私が、「てんかん」という障碍と出会ったのは、1975年の春。23歳の誕生日を迎えようとする時だった。この「てんかん」(大発作型)という障碍が何をあらわしているのか、わけもわからず、発作は、以降も頻回におきるようになった。1977年の冬には、発作の重責をおこして、心停止と呼吸停止をおこしてしまった。幸い、即座に救命処置をほどこしていただいたおかげで、いのちは蘇生した。
しかし、その後も発作はおさまらず、月に2〜3回起きることもあった。もちろん、専門医の治療を受けて、抗てんかん薬を服用して発作をおこさないように日常生活を管理コントロールしようとしてはいたが、うまくいかなかった。
抗てんかん薬を服用して発作を抑えていると、だんだん生きている「実感」が喪失してくるからだった。しかし、発作をおこして失神してしまうと、やはり、2〜3日間は生きている「実感」に乏しい状態であった。どちらにしても、「ドツボ」の状態であった。
1989年の10月から、飲尿を始めた。知人の物理療法士から、「飲尿療法」という変わった療法が評判だと聞いたのがきっかけだった。よし、試してみようと思い立ったのだが、最初はどうしても、尿を口に含むことができなかった。鼻をつまんでにおいを避けて飲もうとしても、えづいてしまって、のどを通らない。むかついてもどしてしまう。どうしようもないと思ったが、いったん尿がのどを通過してしまったら、そのあとは意外となんなく「飲尿」できるようになってきた。
飲尿を始めて二週間くらい経ったとき、突然、下痢と一緒に下血をした。このときは、さすがにびっくりして、すぐに精密検査の予約をとった。しかし、そばにいた妻や友人たちは、私の体調の変化をみて、前より調子よさそうだね、顔色もいいじゃない、といってくれていた。それで、私は精密検査を受けずにそのまま経過をみることにした。下痢と下血の症状は、2,3日くらい続いただけだった。まあ、一度死んでいるので、この程度の症状は、たいしたことないと思っていた。
飲尿療法を始めた方達が、異口同音に言うのは、「意識の変容」の体験のことである。体調が変わる前に、「心調」に大きな変化が生じるのである。
私の場合、飲尿療法を始めてから、「てんかん」という障碍の意味を理解することができるようになってきた。そして、「自分で生きている」と思い込んできた意識の中に、「生かされているいのちを使っているだけの自分」を見出すことができるようになってきた。自分は、この「いのちの使い方」が間違っていたために「てんかん」という障碍に出会ったのだ、と。
どんな障碍でも、生かされているいのちの否定ではない。それは、むしろ、生かされているいのちの「使い方」を学ぶためのチャンスなのではないだろうか。障碍の程度の差はあっても、その障碍の本質はみな同じなような気がする。
そして、障碍(disable)という機会に遭遇するとき、私達は、「新しい絆」を創造する可能性(ability)を手にしているのだ。
平成2年12月24日 ある人から『奇跡が起きる尿療法』中尾良一著を頂きました。 ちょうどその数ヶ月前、たまたま勤めていた病院で子供さんが小児癌と戦っておられるお母さんとの出会いがあり、何か奇跡でも起こらないものかと毎日考えていた時のことでしたので、その本の題名に引き込まれていきました。
偶然にもクリスマス、神様のプレゼントのようにも思えてきたのでした。 この本をすぐにでも見せてあげたい!という気持ちと自分がやってないのにどうやって勧めるの?という気持ちがぶつかり合っていました。 しかしその日のうちに明日から始めようと決意を固めていました。
翌朝、尿療法専用のコップを決めそれを持ってトイレに入りました。 生暖かい特有の匂いの黄色い液体・・・「飲まないとトイレから出られないのだぞ」と聞こえてくる声・・・一気に息を止めて流し込みました。 自分で決めたことなのだから頑張って続けようね。 と自分を励ましながらまず3日、1週間、1ヶ月と続けて行きました。 そしていつのまにか早いもので16年も過ぎ去りました。
尿健康法を生活の一部に取り入れた事で、自然治癒力が増して自分が自分の主治医になることが出来ました。
視力は免許証でも眼鏡等という条件は無くなり、献血も32回通いました。 自分の経験から尿療法の安全性を確認しましたのでボランティアとして普及活動を続けてきました。
中尾良一先生の1周忌にホームページを立ち上げ現在インターネットでの普及活動を行っています。 また一家に1冊尿健康法に関する本を備えて頂きたいと願い、『まりもの摩訶不思議な世界へようこそ』という小冊子を編集発行して普及活動の資料として利用しております。
今年の3月に28年勤めていた病院を退職しましたので、これからは『主婦が家族の主治医になって家族全員の健康を守っていく』という運動を広げていきたいと考えています。
最も尊敬する中尾良一先生に出会い先生の人間性に沢山触れることが出来た幸せを噛みしめながら、その恩返しとして病気の不安を抱えておられる人たちのお役に立てるようこれからも頑張って普及活動を続けていきたいと考えています。
尿健康法は始めるのに勇気が要りますし、人に伝えるのも更に勇気が要ります。 しかしそれを実行する事によって何ものにも替えれない恩恵が与えられているのを実感しています。 それは素晴らしい人たちとの出会いです。 そして魂の交流ができることです。 生かされている命に感謝し日々の生活が出来る事はこの世での最高の幸せだと感じるようになりました。
この人にも地球にも優しい尿健康法が世界の隅ずみにまで伝わる事を心から願っています。

9月2日、諫早市多良見町の「アマロリ」(尿療法)の先駆者の倉永幸泰氏を訪ね、3日、諫早市高来町の「癒しの里」轟健康ランド(代表 野田忠義氏)で日本蜜蜂体験学習を受講した。まさにお二方は自然治癒力増強の先駆者であった
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倉永幸泰氏 自宅前
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9月2日(土)朝『まりもの摩訶不思議な世界へようこそ』の編集発行者の高田さんよりメール、諫早へ行くのなら、ぜひ倉永さんに会うようにとのアドバイス。倉永さんはその本の中(p72〜76)にご自分の体験とご意見を載せておられる方で、早速電話をしたところ、たまたまその日は家に居られたとのことでお会いすることにした。
車で昼前に家を出て約束の午後4時ちょうどにご自宅に到着。いろんなお話を聞かせていただいた。本にも書かれているが、子供の頃は虚弱体質で、若い時には肺結核、痔、脊椎変形症を経験されたとあるが80歳の現在、実にお元気そうである。もとより医学生だった青年時代より健康には関心が高かったのであるが、父親の死と敗戦によって生まれ育った逗子市から親の実家の長崎県の多良見町に移住して地元で教員となり、定年退職まで教員生活をし、その後地元の多良見町史談会の会長をつとめられ町史をまとめるなどご活躍の傍ら、ご自身の健康回復の体験から、尿療法の講演活動などにも積極的に取り組んでこられている。
現在は200坪の畑で芋などの野菜をつくり、年1回の北海道登山旅行を続けられている。登山の時も水代わりに飲尿をされているとのこと。口から飲むだけでなく独自の発想に基づいて尿を使っての浣腸で大腸をきれいにしていつもおなかはすっきりとしておられる由。
実に研究熱心でインフルエンザ予防接種後は数日間、朝、昼、晩と飲尿すると、そのワクチン効果か、まったく風邪を引かなくなったと言われる。ワクチンは注射よりも少量経口投与した方が効果的とご自身人体実験された結論である。
地元の歴史研究を通じて江戸時代初期から続く地元の古い寺の過去帳を調べるうちに、今日、ガンが異常に増大していることが明らかとなり、医療技術が進んでもガン死が増大することに着目。尿療法はご自身の闘病生活の経験と2500年前のインドの古い仏典を学び尿の効果がすでに述べられていること、1985年ノーベル生理学医学賞を受賞した利根川進博士の免疫理論にも適合するものと確信をもっておられた。
倉永さんを見ていると日本の医療危機を救うためにも飲尿を取り入れた医療改革をと思わずにおれなかった。80歳のお元気な青年、倉永氏は自らの病気の克服を通じて、教育者として人々にあるべき医や食とはと活動を続けられ、地域に貢献されている。このような人に病はとりつく隙がないであろう。あとは教えられたことを自分がどう実行できるかであろう。

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野田忠義氏 出来上がった飼育箱
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9月3日(日)長崎の友人宅より諫早市高来町へ。右手に諫早湾、左手の丘陵地に緑の山が続く、やがて「いこいの村」との表示のあるところで左折、山へと上ること4,5分、左手に「癒しの里・轟健康ランド」http://www.t-k-l.jp/todoroki/top.html がある。車で乗り入れた時、「よくいらっしゃいました」と野田氏に迎えられ、教室へと案内される。
早速マンツーマンで講義が始まる。日本蜜蜂は太古の昔より日本だけの在来種であって、明治以降入れられた西洋蜜蜂よりも生命力が強いこと。たとえばスズメバチに全滅させられる西洋蜜蜂に比べ日本蜜蜂は立ち向かい最小限の犠牲で西洋蜜蜂を倒すこと。
蜜蜂に刺されてもたいしたことはないというのは誤りで、本人の体調の悪いときや、Ige抗体の数値(過去に蜂に刺されて抗体を持つ人の数値)によっては「アナフィキラシィショック」(蜂毒のアレルギーショック)で死にいたることもあるので対処方法を教えられた。自分のIge抗体の数値を病院の血液検査で確認しておくこと、そして体調の悪いときには蜂に刺されないようにすること。さらに特効薬「エピペン」を購入(病院経由)携帯して、いざというときに注射すること等である。
どうやって蜂を捕獲、飼育するのか要を得た説明で納得できた。適切な資料も用意された。
お昼をはさんで午後は巣箱(飼育箱)つくり。必要なものが全部取り揃えられて、見よう見まねで1箱完成、所要時間は2時間だった。自分にもつくれるという自信が少しついた。
その後、防護面をかぶり、手ぬぐいで首周りを保護し手袋をして蜂場(巣箱のある場所)へ。栗の木立の目立つ雑木林の中をブーンと蜂の羽音を聞きながら進む。早速、これがスズメバチの攻撃を受けた巣箱と、指し示される巣箱を見ると、蜜蜂たちが巣箱の出入り口付近に大勢あわただしく動き回っている。警備隊が敵の攻撃に備えているかのような緊張感があった。
野田氏はここを拓いて最初は西洋蜜蜂を飼い始めたのだが、あるときスズメバチに全滅させられて日本蜜蜂に替えたという。それは成功して今こうしてこの豊かな自然の中でせっせと蜜蜂が蜜をつくり続けてくれている。スズメバチはその猛毒で知られているが、蜜蜂の天敵でもあり、この蜂場にしょっちゅうくるのであろう、スズメバチの捕獲対策が欠かせない。いったんスズメバチに巣箱が占拠されるとスズメバチの縄張りとなってうかつに近寄れなくなるので十分注意が必要とのこと。巣箱の定期的な清掃も欠かせない。結構大変な作業が待ち構えているらしい。
蜂場に行く道にはヤギが5,6頭飼われていた。ヤギは私には警戒するが、野田氏には親に甘える幼子のようだった。その乳は栄養価の高いミルクとなり糞は畑の肥料となり、食肉として子ヤギも売れるらしい。
講座が終わり、お茶をいただいたおりここで採れた100%天然の蜂蜜を食し、ヤギミルクを頂き、ご夫婦と会話する。お二人とも心穏やかで明るく健康そのもので病気の入り込む余地はないと感じた。
野田氏は韓国での自然治癒力向上国際会議には行きたいけれど蜂やヤギなど生き物を飼っているので旅行できないとのこと。彼はもう10年以上前から尿療法をやっておられると聞いて、やっぱりと思った。『まりもの・・・』と『体験談集』はまだ読んでいないと、喜んで買い求められた。『まりもの・・・』のHP http://www.geocities.jp/hkbbm798/index.htm もお知らせした。
彼の自然医学、養蜂の道は奥さんのガン体験が大きいようだ。術後の抗がん剤ですっかりやつれてしまった姿に危機感をいだき、主治医と口論して連れ帰った。彼の父親が内科医で、咎めも受けた。しかし、彼は必死にあらゆる療法を探し求め自然医学により見事に生還させた。彼の兄さんは外科医、息子さんは薬剤師という医学一家である。
彼が歩んで到達した現在は、真の健康はどうすれば得られるかをご夫妻の存在で示してくれた。学ぶことの多い濃縮な1日であった。お別れして山を下る途中、眼下に諫早湾干拓工事が見えた。広々とした干潟が巨大工事でせき止められ、海の生物が死滅し、そこに水田をつくるという計画。現在日本各地の山間地では耕作放棄地が広がる中、大きな疑問を抱かざるを得ない。大自然の中で生かされるわれら人間は本来自然治癒力を持っているのに、それが発揮されるか妨害されるかで大いに違った結果となるようである。
帰ってからお土産に頂いた蜂蜜を、自宅のそれと味わい比べてみると明らかにその味わいの違いが分かった。それは西洋蜜蜂の味よりもさらに多様な味わいのミックスされた自然豊かな甘さなのだ。これはわが家にとって、食料というよりも「百薬の長」と呼ぶべき薬だと実感した。
今回の出会いは自然治癒力向上の先駆者との出会いであり心より感謝します。
体験談

朝一番の尿を飲み、鏡の前で「おはよう」と笑顔で今日の自分にあいさつするのが日課となって16年になろうとしています。
私は子供の頃より丈夫で、結婚してからも出産以外入院したことはなく、ピンピンコロリの大往生を目指して尿療法を実践しています。
私が尿療法と出会ったのは、平成3年の夏でした。父の勤務する会社が、中尾良一先生の尿療法普及に協力することになり、MCL研究所の設立準備をしていました。父も社長が飲み始めたので勇気を出して飲んだらしいのです。私が実家に行くと母が「尿療法いのちの泉」という本を見せて「これどう思う?」と私に聞きました。大曜発行のとてもシンプルなグリーンの本でした。私は借りて帰り、読み始めたのですが、最初のページの「昔からの汚物であるという教育が先入観となって…」というところでピンときて、自分の思い込みを修正し、その夜すぐに飲みました。子供の頃海で泳いだ時、海水を飲み込んだような妙に懐かしい味がしました。今思うと、その時母の胎内に居た時のことを思い出したのかもしれません。
翌日、本を返しに行き、母に「飲んだよ!」と言うと驚いてすぐ父に報告していました。父は大喜びしました。母は私が父の飲尿仲間になってしまったので、決心して8月15日の終戦記念日から飲み始めました。私が飲むことで母の決心を早めたことは、私にとっても大変嬉しいことでした。
その後、歯科医である夫も突然血圧が200になりました。私は、これは神様からのプレゼントだと思い、心配せず、薬を一生飲み続けるか、尿を飲むかお好きなようにと見守っていました。夫は一晩悩み、尿を飲むことを選びました。そして、トイレから出てくると「21世紀のパスポートを手に入れた!」と叫びました。母も「お婿さんとおしっこの話ができるなんて思わなかったわ」と嬉しそうでした。
その年の11月30日、岡山の某ホテルで“人間の自然治癒力と近代医学の接点を考える”というタイトルの第1回MCL講演会が開催されました。友人達は私の家族が実践しているのを知ると、病気の人も健康な人も飲み始め、講演会に知人を誘って参加してくれました。私は友人達の為に、会社の担当者と相談し、講演終了後、お帰りの飛行機の時刻まで中尾先生を囲む会を開きました。友人達は熱心に実践報告をしましたので、先生達は大喜びされました。
その後友人達は、それぞれのやり方で自分の周囲の人達に広めているようです。私も尿療法はタダですし、本人さえその気になれば良いので、渡辺歯科の待合室にも尿療法に関する本を置いています。尿療法のお蔭で若々しかった父は寿命まで幸せに生き、平成10年、家族や周囲の人々に感謝しながら安らかに天に旅立ちました。残された母は今年82歳。父が亡くなった年齢となりましたが、近所の未亡人達がモデルにして下さっているようでとても元気です。
月に2回若い人を相手に卓球を楽しみ、毎週片道40分歩いて編み物のお稽古に通っています。編み物の先生も母があまりに若々しいので、飲尿仲間になったそうです。羊毛を染め紡ぎ、デザインを考え、一針一針心を込めて編む母の手編みのセーターも目標の百枚に達したようです。これからはもう少し、ゆっくり編み物を楽しむことにしましょうとのこと。
尿療法を10年以上続けている人達の最期はとても安らかで美しいお顔のように思います。中尾先生もお手本を示されましたが、生前中尾先生は講演会でお会いすると、私に最後にこのピンピンコロリのスピーチをするように言われました。そして「ありがとう」と力強い握手をして下さいました。先生が亡くなられた後、高田たみ代様から小冊子が送られてきて、私は本当に嬉しかったのです。MCL研究所の設立から普及に協力してくれた友人達に配りました。みんな喜んでくれました。今回体験談をとのことで、私の家族の様子を紹介させて頂きました。ありがとうござい体験談
私の身体に異変が見つかったのは平成9年の秋でした。すでに50歳を過ぎて健康状態が気になっていたので個人的に人間ドックを受けました。その結果、食道に異常が発見されました。内視鏡で食道の内部を撮影したところ、少し赤く炎症を起こしていたのです。
そこの病院では、細かい検査までは出来ないということで、大きな総合病院での再検査を勧められました。私は、勤めの傍ら、農業もしていたので秋の稲刈りを済ませた10月中旬に再検査を受けました。結局5回ほど内視鏡での検査と同時に、炎症部分の細胞検査も受けました。
検査結果は最悪で、初期の「食道がん」と判明しました。幸いにも他の部分への転移の可能性は少ないようでした。医者からは、早速手術をするように言われて、私も意を決して食道の一部を切除する手術を受けました。私はあとから知ったのですが、食道を5センチメートル切除する大手術となり、小腸の一部を使ってそこを繋ぐというものでした。
ところが、手術後に私は目を覚ますことができませんでした。その時、私は、夢の中で何度も崖から突き落とされそうになり、必死で淵にしがみついてこらえていました。なんと38日間意識不明だったのです。
結局、退院できたのは、年明けの1月末でした。退院後も毎月の定期検査を受け、自宅療養をしていました。そんな中、近所に住む知人が熱心に勧めてくれたのが「尿療法」でした。
当時、私は、再発防止のため、抗がん剤を服用していたので、その副作用もあって食欲がなく身体にも力が入らず、横になってばかりの状態でした。いきなり「尿を飲め」と言われてびっくりしました。しかし、がんの行く末を知っていた私は、信頼できる知人の勧めでもあったので、思い切って尿を飲む決心をしました。
平成10年5月から朝と昼の2回それぞれ100ccぐらいを飲み続けました。そうしたところ、少しづつ食欲も出てきて、体力がみるみる戻っていくのを実感しました。日増しに横たわる時間が減って積極的に身体を動かすようになりました。おかげさまで、がんが再発することなく、退院から7ヶ月後には医者から「晩酌をしてもいい」との許可が出ました。この病気にかかる前は、飲まない日はないほどお酒が好きな私にとって、この上ない喜びでした。それと同時に、「ためらわずに尿療法をやってよかったなあ」と痛切に感じました。
あれから、8年経過しましたが今は、体重が5kg増え、1年に1回の定期検診を受けていますが、毎日犬と一緒に散歩したり、野菜作りをして元気な日々を過ごしています。もちろん、朝と昼にはかかさず1杯飲んで、夕方にはお楽しみの缶ビール1本とお酒をコップ1杯を頂いています。
最近では、「3人にひとりががんで命を失う時代」と言われていますが、ひとりでも多くの方が尿療法を実践して健康を取り戻してもらいたいと願っています。
私は、当時海外出張が多い仕事に従事していました。タイに出張中の平成七年三月のことでした。突然、左足の股関節が痛み出しました。そのときは、なれないテニスをしたからだろうと思っていました。しかし、帰国してからも痛みは治まるどころか状態が悪化し、家族からは病院に行くことを勧められました。痛み出してから一ヶ月が経過して病院で検査を受けた結果、思いもかけない難病を告げられました。その病名は、あの有名な美空ひばりさんがかかった「特発性大腿骨頭壊死症」でした。この病気は、大腿骨の付け根の部分への血流が阻害されて骨頭が壊死を起こす病気です。これは、原因不明の難病のひとつで、治療法もなく、治療薬もないと言うことです。医師からのアドバイスは、「なるべく足を使わないこと」だけでした。
しかも、この病気は次第に悪化し、やがては手術して人工股関節に取り替えるしか手立てはない。と言うことでした。この説明を受けたとき、私は、ショックで目の前が真っ暗になりました。
お酒がこの病気によくないというので、毎晩一合ほど飲んでいた晩酌は、すぐにやめました。また、趣味のビデオ撮影も大型カメラは、足に負担がかかるから禁止。さらに、長年続けてきた弓道も制限され、私の楽しみは、すべて取り上げられてしまいました。さらに、足はなるべく使わないようにと言われましたが会社勤めはやめるわけにいかず、海外出張の多い仕事から事務系の仕事に替えていただきました。
そして、発病した翌年、つまり、平成八年の十二月末に市内の植物園へビデオ撮影に行った時、そこの社長から「足の具合が悪いようだが、尿療法をやってみないか」と勧められました。ここの社長自身も「リウマチで歩けないほどであったが尿療法を実践して歩けるようになった。」ということでした。さらに、尿療法のことについて細かく説明をしていただきました。 私の病気は、治療法がないと聞いていたので、社長のお話を信じて尿療法をやってみようと決断し、翌年の平成九年の元旦から毎朝、百ミリリットルを飲むことにしました。最初に、尿を飲んだときは、とても苦く感じ、とても全部飲み干すことはできませんでした。この時、直感的にあまり無理して後が続かなくなってしまってはいけないと思い半分残しました。でも、次の日からは、予定の百ミリリットルを飲み続けました。一週間が経過するとだいぶ慣れてきて、苦労もなく飲めるようになりました。 この病気は、大腿部が痛んだり、臀部が痛んだりと痛みが腰から膝まで間で移動するのです。そして、朝、目が覚めると、自然に左足の股関節の痛みが気になるのです。でも、尿療法を始めて三日目の朝でした。・u桙「つもと感じが違って、痛みが少なく、違和感も薄れていました。その後は、徐々に痛みが軽減されていきました。一年後には、ほぼ普通に歩けるほどになりました。あぐらもかけるようになったのです。病院での定期健診では、ベッドの上で医者が開脚検査するのですが、最初の頃は、痛みがあってとても苦痛でした。ところが、時が経過するとともに痛みを感じなくなりました。
私が尿療法を実践して感じたことは、「これを実践することによって血液の循環がよくなる」ということです。経済は、お金の循環が活発化することによって好景気になりますが、人間の身体は、血液の循環がよくなることによって健康になる。ということです。
私は、現在、難病の認定を返上し、定期通院もしていません。ここまで回復できるなんてとても考えられないことでした。尿療法に出会えたことで私の人生が変わったと言っても過言ではありません。
こうした確かな体験を通して、さらには中尾良一先生をはじめ、多くの尿療法の先輩諸氏からのお話しを聞いて尿療法の力を信頼できるようになりました。自分の体が回復すると、ひとりでも多くの方に尿療法を知っていただき、健康になってもらいたいという思いにかられて周囲の人たちに尿療法を説明するようになりました。その結果、うつ病、めまい、座骨神経痛などで悩んでいる方々が健康を取り戻しました。これからも微力ながら尿療法の普及に努めたいと考えています。
私は2003年の12月28日にとてつもない心臓発作に襲われました。当時住んでいた千葉県松戸市の病院の救急病棟に担ぎ込まれたときには、脈拍210、上腕動脈の血圧測定不能、つまり上腕動脈血圧0に近いという状態でした。心室頻拍というそうです。
なんとか、電気ショックで蘇生することが出来ましたが、その後、東京の都立病院に転院になり、電気生理検査とアブレーションという手術を受けることになりました。
脚の付け根からカテーテルを入れて心臓の右心室内の電気回路を調べ、異常箇所を焼ききるという手術です。
2004年2月3日のことでした。
10時間の手術のあと、主治医に言われたのは、「手術は成功しました。病名は不整脈源性右室異形成症および心筋症。今回の手術は成功し、当分大きな発作に襲われることはないでしょうが、心筋症は絶対に治らない悪性の進行性疾患なので将来は必ず再発作が起こるでしょう。そのときは、心室頻拍ではなくて心室細動を起こし、死亡する可能性が高い。そこで、あなたの場合、ICD(植え込み型除細動器)の手術しか方法はありません。心臓そのものが良くなるわけではないが、これがあれば、発作が起こっても自動的に除細動処置がなされ、脈が正常に復し、突然死を防ぐ事が出来ます。」でした。
私は、70グラムもある器具が胸の皮下に埋め込まれるという治療を直感的に受け付けませんでした。 そして、都立病院の治療はひとまず完了にしてもらい、2004年の4月から北海道の実家に戻り食事療法(玄米菜食中心)をはじめとした代替療法に取り組みました。
最初の一年間はなかなか思うように体調は良くなりませんでした。
胸部の不快感、不眠、胃の不調、体力低下、脱力感、PTSDとでも言うのか精神症状もつらい。
去年2005年の4月から代替療法に本格的に取り組む決心をしました。
北海道の地元の病院でも担当医からは繰り返し、「ICD以外に治療法はない」と言われていたのですが、「先端医療ではなく代替療法で対応していく」と医師に宣言したのでした。医師からは「何が代替療法だ、あなたは自分がどういう病気にかかっているのか全くわかっていない」と罵倒されました。私は主治医に面と向かって、主治医を替えるよう申し出ました。
地元に信頼できる漢方に詳しい皮膚科医がいるので、その先生と相談して4月から漢方薬を飲み始めました。 これが思いのほか良く効いて、夜眠れるようになり、胃腸症状も改善。
何と言っても効果が大きかったのは去年の7月から始めた尿療法(飲尿)でした。あれよあれよと言う間に、症状はさらに改善、見違えるほど元気になりました。 半ばあきらめていた仕事(鍼灸指圧師)にも復帰することが出来ました。
今でも、24時間心電図の検査を受けると、24時間の間に1000回程度の期外収縮、いわゆる不整脈はあります。 とはいえ、これも以前の3分の1以下。
朝一杯の尿療法と、『ジェイソン・ウィンターズ・ティー(JWT)』という健康ハーブティーは毎日欠かさず、玄米食を中心とした食養生、遠赤外線治療など体調には万全の注意を払って元気に暮らしています。病気以前の私よりも生き生きしているのではないかと思います。
私は、医者から「絶対に治らない悪性の進行性疾患で、ICD手術以外に方法はない」 と言われた身です。あの時、もしも現代医学の常識に従ってICD手術を受けていたら、と思うと空恐ろしくなります。ICD患者になるとただちに身体障害者1級の認定を受け、様々な日常生活の制約を受けることになります。
私が尿療法に出会うことができたのは本当に幸せだったと思います。 このように大きな病気を経験し、現代医学や代替療法についていろいろと考えさせられました。
現代医学は、「この病気にはこの(先端的)治療」という具合に、方程式に当てはめようとする傾向にあるように思います。たとえば、重篤な不整脈ならICD、重度の心筋症なら心臓移植、白血病なら骨髄移植、という具合に。 「それ以外に方法はない」と医師から言われ、患者は選択肢を狭められているのが現代の先端医療の現状なのではないでしょうか。 それよりも、何の病気であれ、体全体の自然治癒力を高めるのが最も肝要なのではないかと感じます。
私の場合で言えば、食事療法、漢方を取り入れましたがこれは心臓そのものを良くする治療とはいえない。 尿療法についても、それでただちに心臓が良くなるというものではないでしょう。 これらの代替療法が総合的に効を奏して、体全体の自然治癒力が高まったことにより、元気な身体を取り戻すことができ、結果として心臓の働きも良くなったというのが治療家でもある私の実感です。
私の場合は心臓病ですが、他の悪性疾患、たとえばガンなどでも、先端医療ではなく、尿療法をはじめとした代替療法を選ぶという選択肢もあるのではないかと思います。

一節によると花粉症で眼や鼻に異常をきたす人が我が国に2000万人もいるのだとか。 花粉症はまさに国民病だと言えるのではないでしょうか。
私は学生時代から鼻炎が始まりました。もう30年以上も前ですので、記憶は定かではないのですが、そのころは花粉症とは呼んでいなかったように思いますが、とにかく、くしゃみ鼻水鼻づまりで悩まされ、特に鼻水が出だしたら止まらないのです。
初めのうちは、鼻炎の出現する年間の総日数は2〜3ヶ月ほどでしたが、だんだんとそれが増えてきました。
私は学校を出てから小売店でお客さんと接する職業につきましたから、仕事中に鼻水が止まらないと、本当に困ります。お客さんと話をする間中、鼻水をジュジュウ、ジュジュウとすすり上げて、自分でも情けないのですが、どうにもなりません。
あるときなどは、あまりにも鼻水が出て困るのでティッシュペーパーで鼻に栓をして接客して、お客さんに笑われたこともありましたし、お客さんの目のまえで、ポタッと鼻水が鼻から落ちて気恥ずかしい思いをしたことも何度かありました。
鼻炎は1ヶ月くらい続いたかと思うと、しばらく治まります。よかったよかったと思っていると、また出てきます。
20代後半ではおそらく、鼻炎の年間の総出現日数は半分近くまでいっていたように思います。
鼻炎は別に痛くもかゆくもないし、これが事務職とか、お客さんと接しない仕事に就いているのなら、なんとか我慢ができたのですが、私のように接客をする仕事ではそうもいきません。
それで、まず試みたのは売薬です。もうそのころから、「くしゃみ鼻水鼻づまりには○○!」というテレビコマーシャルもやっていましたので、宣伝で見た薬を買って飲んだわけです。
そのテの薬をのむと、1、2時間くらいで効き目が現れます。鼻が通り、くしゃみもあまり出なくなり、鼻水も治まります。
ところが困ったことに、あの種の薬はかなりの眠気を誘うのです。そしてそれを無理にこらえて仕事をしていると、身体がだるくなってきます。
それで私は「これではいけない、対症療法ではなく根本的に直さないといけない」と思って、耳鼻科へ行きました。
耳鼻科の医師は「これはすぐには治らない。市販の薬は心臓に悪いので飲まない方がいい。42度の水蒸気を吸引して徐々になおしていく方法があるから、それをやってみましょう」とおっしゃいました。
あの種の薬は心臓に悪い、ということを聞いて私は「耳鼻科に来てよかった」と思いました。
そしてその水蒸気の吸引に、週に2回ほどその耳鼻科に通ったのですが、なかなか改善しません。仕事の関係でなるべく外出をしたくなかった私は耳鼻科へ行くのを中止しました。
そしてまた市販の薬を飲み出しました。心臓に悪いとは思いながらも、お客さんの前で鼻ズルズルはみっともなくっていけないということで……。
そうするとまた眠気と身体だるさです。本当に困りました。そのうちに鼻炎はウソのように収まり、ヤレヤレ。そう思っているとまた出現……これを私は20年近く繰り返していたのです。
40代の後半のころ、本屋で中尾良一先生の尿療法の本を見つけて「これだ!」と直感的に思った私は、すぐにその本を買い、1日で全部読み終えました。
そして次の日の朝からコップ一杯の尿を飲むことを始めました。
気持ち悪いとか、味がどうのこうのと言っている場合ではない。自分の悩みを解決してくれるのはこれしかない、と思って、毎朝必死で飲みました。するとまず便通が良くなり、鼻炎も徐々に出現日数が減っていき、2〜3年で、元の2割ほどに減ったように感じました。
鼻炎の症状が出ても、昔のようなきついものではなく、ものの3〜4日も続くと、パッと治まるようになってきました。
そうして1年ほど前に、尿健康法の啓蒙普及をライフワークとしておられるまりもさんとインターネットを通じて知り合いになり、尿による点眼や鼻洗浄を教えてもらいました。
いまでは毎朝尿を飲むだけでなく点眼と鼻洗浄も実行しており、鼻炎の出現日は、いっそう少なくなってきました。
それと、今後自分がいま騒がれている悪性のインフルエンザに罹患しても、常日頃から尿で身体を丈夫にしておけばタミフルの力を借りなくても大丈夫なのではないかと思っています。
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