目次
・生い立ち
・ダンサーとして
・
新東宝で
・
東映で
・
キリヤマ隊長として
・
「ウルトラセブン」後
・
横山道代との結婚生活
・
高樹蓉子との共演

生い立ち
生年月日:1928年
2月26日
本名は中山昭治、東京都本郷区湯島天神の出身で、酒屋を経営していた父の三男として生まれた。1942年に高等小学校を卒業後、海軍の少年水測兵として入隊した。少年兵で採用されたのは約1500人の中で50人程度だった。彼が採用されたのは骨格が太かったとのこと。
軍隊生活は厳しく、教育期間は良く殴られたとのこと。教育期間後は小笠原の父島に行き、飢えに苦しみ生死をさまよいながら終戦を迎えた。
ダンサーとして
終戦後は体が丈夫で音に合わせて踊ることに自身があったため、小牧政英バレー団に入団した。その後、アーニーバイル舞踊団、三橋蓮子舞踊団などで舞踊の基礎をみっちり仕込まれ、日劇のショーの「パリの唄」で越路吹雪の相手役を務めるまでになった。その公演を見ていたスタンバーグ監督に目をつけられ、「アナタハン」という映画に出演した。
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新東宝時代
中山昭二は「アナタハン」出演をきっかけに新東宝に入社した。同期に入社したのは高島忠夫、天知茂、宇津井健などそうそうたる俳優がいた。1953年に「憲兵」主役デビューし、岸恵子と共演した。

「憲兵」で岸恵子(左)と共演した
その後も多くの新東宝映画で主演、準主演で出演した。
しかし、さらなる大望を抱き1958年12月に新東宝を離れ、フリーになった。フリーになってからは松竹の作品に5本出演し、テレビに出たが、生活するには難しく、ついに1959年10月に東映の専属になった。フリーのときには専属になるために2,3の映画会社から話はあったが、東映が一番ファイトがあり、発展しそうな会社だったので選択したとのことだ。
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東映時代
東映の専属になった中山昭二は「リスとアメリカ人・廃墟の銃声」に主演した。その後、「刑事物語」などで主演している。テレビでは「ヘッドライト」(1962)に青年弁護士役で主演し、
亀石征一郎と共演している。
その後、中山昭二のテレビの代表作の1つである「特別機動捜査隊」で藤島主任役で存在感あるリーダーとして出演した。
「特別機動捜査隊」での中山昭二(左)(ちなみに中央は伊達正三郎、右は北原隆)

「特別機動捜査隊」で立石主任を演じる波島進(左)と
「特別機動捜査隊」の途中で「ウルトラセブン」のキリヤマ隊長の出演となったが
、1971年まで出演し、その後も度々ゲスト出演している。
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キリヤマ隊長として
中山昭二が「ウルトラセブン」に出演するきっかけは彼が初めて映画出演した「アナタハン」で円谷英二が特撮を担当していたのがきっかけとされる。その後、円谷一の話によりキリヤマ隊長役での出演が決まった。しかし、その当時、特撮ものと言うと子供のものとして役者自身もばかにする傾向があった。さらに隊員の服装が彼自身気に入らなかったようだ。

「ウルトラセブン」での中山昭二
しかし、キリヤマ隊長を演じた彼は役に対し真剣に取り組んだせいか「ウルトラセブン」は大変な人気となり、現在も多くのファンがいる。
「ウルトラセブン」後
「ウルトラセブン」が終わり、1971年には「特別機動捜査隊」の主任役が終了し、その後は多くのテレビ番組でゲスト出演している。
1988年より日光江戸村で後進の指導を行っていたが、1998年に肺炎で亡くなられた。
中山昭二の趣味は読書、熱帯魚の飼育やランの栽培だそうだ。
横山道代との結婚生活
1961年5月28日に中山昭二は横山道代と結婚した。元々は、NHKのテレビドラマ「お父さんの季節」に2人ともレギュラー出演し、その後、2人で夜桜を見物したり、横山道代の母親に会い、母親が中山昭二のことをとてもいい印象を受け、それが基で結婚まで進んだ。結婚の媒酌人は戦前からの喜劇王の榎本健一で、新居は横山の実家だった。お互い、俳優の仕事があり忙しい中、月曜日だけ休みにし、釣りへ出かけたりしたそうだ。子供が1人いるが、後に離婚した。
高樹蓉子との共演
今のところ、判っているのは、「実写版あしたのジョー」、「新・平家物語」などで共演している。

「実写版あしたのジョー」より高樹蓉子(左)と
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参考:
・『映画人名事典』(キネマ旬報)
・『キリヤマ隊長に学ぶリーダーシップ』(BNN) 等
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