源氏物語の魅力
「伊勢物語」誕生・あらすじ
「源氏物語」に多大な影響を与えた先行物語として「伊勢物語」は間違いありません。源氏の作者・紫式部は少女時代から愛読者でした。拙著『「源氏物語」誕生ー紫式部の生涯ー』に続く第二弾として「伊勢物語」の誕生について推理・製作していきたいと思います。人々に理解されるかどうか、前作以上に心配なのですが、自分が生まれた証とするためにも頑張っていきたいと思います。
よく「伊勢物語」は在原業平(825−880)の一代記ふうに書かれていると言われています。確かに業平本人と思わせるところに、また全く関係のない「男」の話も追加されていて奇々怪々、複雑な書となっています。全くフィクションとみなしておられる学者もいらっしゃいますが、ある程度は本当のことを形を変えて遺したのではないかとみなされる学者の方もいらっしゃいます。私が信奉する角田文衛博士(平成19年現在94歳)と2月にお会いしたのですが、最後お別れする際、博士は私をじっと睨みつけるようにご覧になって「君、『伊勢物語』はフィクションかと思うかね、それともノンフィクションかと思うかね?」と聞かれました。私はかねがね博士の著作を読んでいましたし、私も同意見だったので「ノンフィクションだと思います」と言うと「そうかね、そうかね」と相好を崩されました。早く納得できるものを完成した博士のもとにお届けしたいと思っています。
さて、この物語を説明するには遠く平安時代より以前の延暦4(785)年から話を進めなければなりません。
当今は桓武天皇でした。東宮は弟の早良(さわら)親王でした。都は前年に平城京から遷都した長岡京でした。桓武天皇は天智天皇の曾孫です。天武系の強い平城京から遷都したかったのです。もう一つ遷都したい理由がありました。桓武天皇の生母は百済系の女性で卑母とされていました。天武系の称徳女帝が独身のまま崩御された際、いろいろな思惑があって天智天皇の孫・白壁王が光仁天皇として即位しました。皇后には称徳女帝の異母姉・井上内親王がなり、東宮にはその子・他戸(おさかべ)親王がなりました。しかし藤原氏の当初からの目的は山部王(後の桓武天皇)を東宮にすることでした。光仁天皇の即位後わずか2年にして皇后井上内親王の天皇呪詛がでっちあげられ、廃后そして他戸親王も皇太子を廃せられ二人は幽閉され、3年後に毒殺されています。その間に山部王は東宮となり、即位しますが、井上皇后と他戸親王の死霊がいる平城京になどいたくなかったというのが真相ではなかったでしょうか。
しかし同じことがまた起こります。その延暦4年9月。桓武天皇はもう1か月も旧都平城京に滞在していました。まるで何かが起こるのを待っているように。新都長岡京の留守は藤原種継という桓武天皇と同年のお気に入りの側近が守っていました。ところが9月23日夜、都を見回っていた種継は何者かに射殺(弓ですよ)されました。犯人はすぐに捕まりました。大伴継人らを中心とする長岡遷都に反対する勢力でした。翌24日、急いで戻った桓武天皇はてきぱきと数十人の逮捕者を出しましたが、28日意外な所まで累が及びました。それは皇太子早良親王もこの暗殺に関係しているというのです。親王は即座に皇太子を廃され乙訓寺に幽閉されます。しかし親王はまた予想外の行動を取りました。自分は潔白として食事を取らなかったのです。親王は淡路に流される予定でした。しかし絶食したままの親王はちょうど高槻のあたりで絶命します。それでも遺体は淡路島まで運ばれ埋葬されました。時に親王37歳。4年前まで僧籍であったのを亡き父・光仁天皇から新東宮に指名され、還俗して間もない悲劇でした。実はこの東宮指名も桓武天皇は気にいらなかったのかもしれません。
10月25日に桓武天皇は第一皇子小殿(おて)親王(12歳ー後の平城天皇ー業平の祖父)を新東宮にします。実はこれこそが狙いではなかったかと思われるような桓武天皇の深謀遠慮でした。しかし小殿親王の将来には暗い翳がさします。
第2回
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