第1回 安祥寺
『伊勢物語』は『源氏物語』に比べるとメジャーではないが、本当に面白い物語である。まず在原業平らしき「昔、男」を始め、実在の人物がボンボン出てきて、一体これはフィクションなのかノンフィクションなのか、あるいはどこまでが事実なのだろうかと疑いたくなる。短編の125段からなるというのも読みやすい。江戸時代にはその長すぎる『源氏物語』よりも庶民によく受け入れられ大ベストセラーであったという。それから『伊勢物語』には、あっと驚く愛読者がいる。何を隠そう、『源氏物語』の作者紫式部である。このたび、読みやすい瀬戸内寂聴訳を経て、やっと谷崎潤一郎訳の『源氏』を読んだ。そこには語句の引用もきちんと書かれていたが、『伊勢』からの引用の多いこと、多いこと・・・式部の時代から約100年前のできごとである。少女時代の式部も読んだことであろう。
私もいつしか『伊勢』の魅力に取り憑かれて、読むだけでは飽き足らず、実際にその場所に足を向けて満足していた。ところでその七十七段ほどに「安祥寺」が出てくる。業平がある女御の四十九日で歌を詠むという、山科あたりにある、由緒ある寺である。ところが、ここ十年ほどは「拝観停止」となっていて閉門されていた。
太宰治氏の娘で作家の津島佑子さんが書かれた『伊勢物語/土佐日記』(講談社)という本を読んでいると、七十歳くらいの老女に門前で追い返されたとある。私も安祥寺に入ることは不可能と思い込んだ。
ある年の四月下旬、私は職場が休みとなったので、夫婦で醍醐寺へ行こうということになった。遅れてはいたが、天下の「醍醐の桜」の名残りを見たいと思ったからであった。しかし地図を見ると京都東インターからおりるとすぐ近くに安祥寺があるように思えた。車では行けないような上り坂に出くわし、私は一人で、だめもとで安祥寺を目指した。
山科疎水沿いは山桜がきれいだった。やっと安祥寺の立派な黒門に出会った。私は勇気を出して木戸のベルを押してみた。すると中から七十くらいの老女が出てきた。ああ、この人だなと思っていると老女は「何かご用ですか」と冷たく言った。
「あのう、中を少し見せて頂きたいのですが」
「どちらからお見えですか」
「兵庫県からですけど」
と言って私はしまったと思った。馬鹿正直に、そんな近くを言ってしまって、ああもう駄目だ!と目を伏せた時、じっと見ていた老女は
「ちょっとお待ち下さい」
と言って中に入った。木戸の中を見るともなく見ると、ちょうど昼頃で、もう一人老人が弁当を食べている。そして何かを二人は話している。そして・・・
信じられないことに先程とは打って変わったにこやかな表情で老女が「どうぞ」と言った。津島さんでさえ門前払いだったのに、どうして?と思ったが、とにかくラッキーと思って入らせて貰った。しかし門から何mか入った所で、私はこの寺がなぜ拝観停止なのかが分かった。
寺はひどく荒れていたのであった。前日からの雨でぬかるみが境内―とさえいえないような土地に何箇所もできている。それから木々が無残にもあちこちに点在している。手入れをしていないことは明白である。「これでは見せられないなあ」と私は思った。
私があちこち見て回っていると、先程の老夫婦がやってきた。男の方が
「あんたさんは何でここに来なすったんだい?」と聞いてきた。私は
「あの、『伊勢物語』で在原業平がここで歌を詠んで・・・」
と言っても、男はきょとんとしている。
「文徳の女御の法事がここで行われて・・・」
と言った所で、男は
「ああ、文徳というのは聞いたことがある」
と言った。この人はこの寺のいわれを知らないのだろうか?
しかし、私と男は仲良く話をするようになった。近くで昼休みだからだろうか、生徒たちの声が聞こえてきた。すぐ横は洛東高校だった。私は平安時代にとても興味を持っていることを言った。すると男は
「平安時代がお好きなら、一つだけ平安のものがある。ついてきなされ」
と言って男は暗い道を案内しだした。男は三十年来この寺に勤めている作男であるということだった。
枯葉が積もる上り坂を案内されて、10m四方の堀に出た。男は説明した。
「寺を造る時、最初に水がいるというので、まず堀を造ったんじゃそうな」
私はしみじみとその堀の遺構を見た。
男は更に説明した。
「この安祥寺は昔は大きな寺で、醍醐寺なんかも従えていた。じゃが、今の住職さんが、昔気質というか、金儲けに全然興味がないで、土地も高校に売ったり、仏像も持ってかれたりしてのう・・」
と寂しげに言った。また境内に戻る道で男は
「あんたさんはいい時に来なすった、いい時に来なすった」
と何度も言った。最初は昨日が雨で今日が晴れたからかなあと思ったがどうも違うらしい。「どうしてですか?」
と尋ねると男はにこにこしながら
「毎年何人かが、この寺を見せてくれというて来るんじゃが、住職さんが、絶対見せたらいかんいうて、門前払いばっかりじゃたんじゃ。それがな、今日はな、住職さんが留守なんじゃよ!」
男は笑っていた。男はまた言った。
「それでこの寺を見てあんたさんはどうする積もりなんじゃ?」
私は
「ええ、何かの形で文章で発表できたらいいと思うんですが・・・」
と言うと今度は男の表情はみるみる変わって
「書いて下され!書いてこの寺をまた有名にして下され!」
と本当に大粒の涙を流しながら私に哀願した。
「ええ、書きますとも。またこの寺が栄えたらいいですね」
そう言って私は安祥寺を去った。
車で待つ妻にあらましを言った後、私達は当初の予定の醍醐寺に向かった。
醍醐寺は安祥寺とはすべての面で違っていた。まず駐車場代を取り、そしてたくさんの女の人を使って境内はきれいに掃き清められている。そして入場料も普通の拝観料は600円、宝物殿も600円、両方みるとサービスで1000円とうまい商売をしている。
栄える醍醐寺、そして埋もれる安祥寺。安祥寺が『伊勢物語』ゆかりの寺として脚光を浴びる日を私は期待している。
※ 最近、梅原猛氏がやはり、安祥寺を訪れその荒廃ぶり、廃寺になるのではないかというのを訴えてられており、興味深かったです。(新潮社『京都発見 七』)
その本によると梅原氏と住職さんは京大の同窓生だそうです。