父とバイク
私がもの心ついたころ、といえば40年以上前になるが、その頃父は既にバイクに乗っていた。
今の富士重工が作っていたラビット号と言うスクーターだった。
・・・その頃のバイクははなんでも○○号と言う名前がついていた。
父のラビットと従兄弟のホンダドリーム
結婚したばかりの父がスクーターに乗るのを見て、坊さんの娘だった母の両親(つまり坊さん夫婦)はムコ殿が「雷族」になったと言って嘆いたらしい。
ちちのラビットは175ccだったと言う。確かめたわけではなく本人がそういっている。昔のカタログを探ると70.90.125.135.200ccなど多くのバージョンがあったようだ。上の写真を見ると隣の250ccのドリーム号より大きく見える。70や90がコンパクトで売っていたところから見ると正しい気もする。
近年大型スクーターがブームだが其の奔りだった訳だ。
後年私がラビットを手放した訳を聞くと父は「やはり、その頃は変速機のついたものでなければつまらなかったからだ。」また「乗っていたら座席が熱くなってきたのでみたらシートが焦げていた。」と言っていた。真偽のほどは定かではない。要は新しいバイクが欲しかったのだろう。
それ以前も父は別のバイクに乗っていたという。私の記憶がないところから見て50年くらい前かもしれない。
バイクといっても自転車(その頃であるから今、市場などで使われているゴッツイやつ)にエンジンがついているって代物だった。名前は確か「丸内バイク」だったか、やはり「マルウチ号」だったのかもしれない。
私の兄をおぶりながらマルウチバイクに跨る父。
何しろ、今は自転車で有名なM社をはじめ、バイクメーカーが百花繚乱の頃なのでデータも写真も殆ど残っていないよう私は生まれていたがまだバイクに乗せられない年であったのだろう。父も写真を撮った記憶自体がないと言っていた。
その後、私の記憶に残っているのは鈴木の125ccに跨っている得意げな父の顔である。名前はコレダスポーツと言うことであるが写真を見る限り、ただのビジネス車だ。ただ、当時の父にとってはギンギンのスポーツタイプだったのだろう。
@雷族とは暴走族の数代前の呼び名。サーキット族、ローリング族などはまだ、いない時代のことだ。
父の雄姿。
ちなみにハジにしゃがんでいるのが多分幼稚園の頃の私である。
父はサラリーマンであったが本当は学者になりたかったのだという。
結局、後年脱サラして学者になってしまうのだが、この頃某食品メーカーの研究所員であった父は、ある論文を書き、それが学会で表彰されたという。そのお祝い金が会社から支給され、そのお金で写真の中古バイクを買ったのだそうだ。もちろん、その頃も大型バイクは有ったのだが、庶民にとって125ccのバイクを趣味で持つことはとても贅沢なことであったそうだ。
その後、このバイクは10年以上我が家に有ったが、車を購入し車庫に入らないと言った理由で廃車にしてしまった。
さぞ、残念なことであったであろう。
父の雄姿2.やはりハジに姿勢良く立っているのが私である。
その後は念願の学者になったものの単身赴任生活が続いた父はバイクを持つことができなかったが、70歳になったとき、記念に50ccスクーターを買った。
記念にと書いたが実は糖尿病からくる網膜疾患のため、車の免許が更新できず、試験官のお情けで原付免許だけは残してもらっていたのだ。父の誕生日が3月。スクーターが来たのが9月。半年間車に乗れなかった父は嬉々としてバイクに跨った。近所の床屋に行ったり、買い物に行ったり愛用していたがここ2−3年は心筋梗塞、脳梗塞と立て続けの大病で入院するは、網膜疾患は悪化するはで父の目は殆ど色がわからず、また、よく見えなくなってしまった。そこで母は父がバイクに乗ることを許さなくなった。
それでも母の外出時などには隠れて乗っていたが、ここ1年ほどは自分でも自信がなくなったのか今ではもう乗っていない。
父のそのスクーターを見ると、バイクに乗りたいときに乗れる自分の幸せを感じる。当たり前だが健康は大切だし、健康でなければオートバイに乗れない。私はいい時代に生まれ、育ったものだ。
これが父の近況。
父は今年は78歳。最近とみに目が悪くなり免許の更新をあきらめた。
乗らないながらもいつか良くなったら乗ろうと点検だけは半年毎に行ってきたがもうその望みも叶わない。
免許があるうちに一度跨っておこうと思い
小春日和の日中に外に出てみた。
もちろん運転は叶わないが。
今月このバイクは廃車になるのだ。
バイク屋さんに持って行くのに気が重い。
2003.3.9
その父が死んだのは2006年6月28日。
81歳だった。
子供のころ体が弱かった父がここまで生きられたのは
大好きな母との毎日だったのではないだろうか。
などと思い描いている。
単身赴任で仙台に住み、わが長女は就職で盛岡に。
生きていたらどんなに歓んだだろう。
私には到底無理なことなのだが・・・。
父のような人間になりたい。
父のような人間性を持ちたい。
そう思う今日この頃である。(2007.5.24)